40.冒険者の大晦日
山河カンショウの国、赤倉の町。その入り口では御者が馬車を曳く背角獣と共に自身を雇った冒険者たちが来るのを今か今かと待ちわびている。
依頼を終えた冒険者一行は赤倉の町を去る日を迎えていた。その人数はここへ来た時よりも一人少なく、代わりに荷物には棺桶代わりの木箱が一つ増えていた。
この数日、赤倉の町に数多くの事件が起こり、それは嵐のように吹き荒びこの町の多くを変えたようsだ。しかしその結果が出るのはまだ先の話になるだろう。今はまだ以前のような鬱々とした平穏がこの町に戻って来た、ただそれだけ。
一行は町を去る前に最初の日にも世話になった食堂でこの町の最後の食事としゃれこんでいる。
「魔物は退治してくださったんですってね。啓喜さんが仰ってましたわ」
「ああ。こんなでっかい魔物もいたんだぜ」
ロロが身振り手振りを交えてどんな魔物がいたのかを声高に語る。彼は幼い頃から志吹の宿でザガの武勇伝を聞いて育ったものだから自分もやって見たかったのだろう。若干大袈裟ながらも楽し気にあれやこれやと語り続ける。
「ちょっと盛り過ぎだよ、ロロ」
そんな姿に横から口を出すのは瑞葉だ。彼女は話を盛るにも度が過ぎると思った部分には遠慮なく訂正を入れて行く。そうやって突っ込みを入れられても彼は不快になる様子は無く、寧ろこうして訂正を入れてくれるのをわかっているからこそ記憶が曖昧な部分まで好き勝手に語っているように見える。
「それで最後に止めを刺したのがハクハクハクなんだ。すげえ魔法でさ、一発だったんだぜ」
「あ、あぅ」
話の流れでロロが囃し立てるようにハクハクハクを持ち上げるが彼女は恥ずかしいのか顔を伏せてしまう。食堂の店主は彼らの様子に優しい笑みを浮かべながら共に食事を楽しんでいた。
「みんなすごいのねえ、私みたいな年寄りには眩しいぐらい」
「んー、でも俺なんてまだまだだぜ。結局魔物退治にも何日かかかっちゃったしな。これは先輩が言ってた、鎧をいっつも着てる先輩がいてさあ、その人が言ってたんだけど。依頼を解決するのは早ければ早い方が良いんだって、その方がたくさん人が救えるんだって。難しいんだなあって改めて思ったぜ」
「その先輩の事を慕ってるのね」
「志吹の宿の冒険者はみんないい人だからな。他にもいっつも刀を持ってる人とか――」
火が点いたのかロロの話は中々終わりそうに無く、瑞葉は突っ込みを入れるのに疲れて一人黙々と食事を続けるゴウゴウの元へ。
「ゴウゴウさん、出発はいつ頃に?」
「……ああ。まだ先だ」
「まだ先」
「……そうだな」
「具体的には?」
「ああ、具体的、か。多分一時間後ほどだろう」
「そうですか」
瑞葉は心配そうにゴウゴウを見つめる。普段ならば質問に対してこのようにいい加減な返事をすることは無い。その原因については、間違いなく彼の荷物に新たに増えた棺桶のせいだろう。
棺桶の中には共にここに来た冒険者、エゴエゴの姿がある。棺桶に入るに相応しい死体の姿で、だ。
昨日、ロロたちはクビナシトラという強大な魔物を打ち倒し町へと戻った。そしてそこでゴウゴウから事のあらまし聞いている。共に来た冒険者が結果的には未遂に終わったとは言え町長を殺そうとしていた、この町への復讐を試みたという事実は少なからず彼らに衝撃を与えたものだ。
しかしこの件に関して最も衝撃を受けたのはゴウゴウだと言うことは想像に難くない。
共に長い時を過ごした仲間と敵対しなければならない、それは筆舌に尽くしがたい悲しみと苦しみをもたらすだろう。表面上は平気そうな顔をしていてもその心の内が外面と異なっているのがその態度にも現れている。
三人は励ましの、或いは慰めの言葉をかけるべきか悩んだものだが結局は言及を避けることに決めていた。ゴウゴウはこれまでに離別も死別も数え切れないほどに経験してきている、彼に必要なのは起こった事実と向き合い飲み込む為の時間であり、決して誰かの言葉では無い。三人はそう結論づけたのだ。
皆が食事を終えて一息をついている頃、食堂の戸が徐に開かれる。
「やあやあ皆さんお揃いで」
「啓喜さん?」
そこに現れたのは啓喜だ。どうやら冒険者一行が都に戻ると言う話を聞き付け探していたらしい。
「随分と世話になったからね。お礼ぐらいはしておこうと思って」
「そうは言っても俺達は依頼をこなしただけだぜ」
「じゃあ言い方を変えよう、迷惑をかけたから謝りを入れておこうと思って」
「別に謝られるようなことも無かったと思いますけど」
「ま、町を代表してってこと。正式にはもう少し先になりそうだけど立場上そのぐらいはしておこうってね」
町長殺しが発生したことで赤倉の町では多くの事が起こった。そして啓喜もその渦中の人物の一人だ。彼は町長を殺した犯人がジョセアと見抜き彼を捕らえ、後日やって来た他の町の警察に一切の事情を説明し引き渡した、と言うことになっている。本来ジョセアの犯行を暴いた功績は瑞葉に与えられるべきだが皆の合意の元それは彼の物と言うことになっている。そして事件解決の立役者として諸々の手続きが終わればこの町の新たな町長に就任する予定だ。
「町長、になるんですよね? どうするんです?」
「どうするもこうするも、この町の為に働くだけさ」
瑞葉ははぐらかされた気分だった。彼女はこの寂れた町の町長にどれほどの価値があるのかを聞いて見たかったのだ。ほとんどの人が前へ進むことを諦めたようなここで一体何が出来ると言うのか。
しかし流石に直接それを口にするのは気が引けるというものだ。どう口にすべきか考えていると横からロロが口を出す。
「ここは良くなっていくのか?」
その問いに啓喜は少し返答を考える。それは答えに窮すると言うよりは単に自分の中にある考えを整理するような時間だ。
「……そうだねえ。僕はこの町に住んで結構長いんだ。良かったことも悪かったこともたくさんあったけど……、この町を見捨てたくは無いと思う程度には思い入れが出来てしまったよ」
彼はこの町を少しでも長く存続させる為の幾つかの案を既に用意している。それが実るかは彼の実力と周囲の考え次第だが、前を向いているのは確かだろう。
町は変革の時を迎えている、ただそれだけの話なのかもしれない。
啓喜や食堂の店主と別れた一行は町の入り口に待つ馬車の元へ向かう。その中で一人、前へ進む一歩毎に表情に陰りが見えていた。
「私だけ歩いて帰ろうかな」
そう零すのは瑞葉だ。彼女はこの後の馬車での旅が憂鬱で憂鬱で仕方ないらしい。
「そんなことしてたら年が明けるぜ」
ロロの言葉にハクハクハクが頷いている。赤倉の町での滞在は彼らの想定よりも長引いている。本来なら余裕で年を越す前に帰れるはずが今やぎりぎりだ。
「……年が明けるかあ。それは、まあ、困る」
特別なことがあるわけでもないが新年を迎える一日ぐらいは家族と共に過ごしたいと思うのは彼らにとって自然な事だ。
ショウリュウの都での年末年始はお祭り騒ぎを行うよりは親しい人々で集まり静かな日々を過ごすのが一般的だ。大抵の店は大晦日から三が日まで休業しており、人々は家で家族と共に過ごしたり友人とささやかな宴会を開いている。忙しく働いた日々をこの期間だけは忘れてゆったりとした時間の流れを感じることだろう。
幸いなことにこれと言ったことも無く馬車での旅は終わり、年が明ける前に彼らはショウリュウの都へと辿り着いた。外はもう暗く御者は一行に軽く挨拶をするとそそくさと消えて行く。きっと彼も今年の仕事はこれで終わりなのだろう。旅の途中に都に戻ったら娘に土産を渡すのだと嬉しそうに言っていたのを覚えているはずだ。
そしてその場に留まった冒険者一行は備え付けの長椅子に座り込んで俯く瑞葉の様子を見ている。
「大丈夫か?」
「……うん」
「大丈夫じゃないだろ」
見事に馬車で酔った瑞葉は青い顔で荒い呼吸をしている。先ほどは馬車から降りるのも苦労する様子でロロに肩を借りていた。
「さ、先、行っていいよ。……私、後で行くから」
「いいのか?」
瑞葉は黙ってこくりと頷く。どうも馬車に乗る度に酔っているので調子が戻るまでの時間がなんとなくわかってきたようだ。今回は中々長引きそうでこれ以上待たせるのも申し訳ないらしい。
「じゃあ行くか」
「う、うん」
そう言いながらロロはちらりとゴウゴウの方を見る。彼は棺桶に腰をかけてじっと何事か考えているようだ。
「ゴウゴウさん、棺桶って座っていいのか?」
もうちょっと聞き方ってものが、そんな言葉を発する元気は瑞葉には無かった。ゴウゴウはロロの声にしばらく反応する様子も無く黙っていたが、やがて口を開く。
「……ああ、問題は、無い」
行為の是非はともかくゴウゴウ自身には問題があるように見える。彼は自身の行動を大義の為には仕方が無かったと考えているし、思い返してみても間違った行為はしていないと断ずることが出来る。ただ理性的な正しさが感情的にも正しいとは限らない。
彼は常に理性的に正しい行為を採り続けられるが、その結果として時に彼の心が限界を迎えることがあると言うだけだ。
「……ロロ。悪いが宿への報告を任せてもいいか?」
「え? ああ。でもそれっていいのか?」
「これを持って行け」
ゴウゴウは今回の事の顛末が詳細に書かれた紙をロロに渡す。
「その紙には俺の魔力が込められている。ミザロに渡せば俺が書いたことは分かるだろう。何か聞かれたらわかる範囲で答えておいてくれ」
「ゴウゴウさんはどうするんだ?」
「俺は……、少しこいつと二人で星を見て来る」
そう言うと彼は立ち上がり棺桶を引き摺って歩き出した。その後ろに声をかけるのは誰にも躊躇われるだろう。
「こっちは任せてゆっくりしてくれよ」
まあだからと言ってロロが黙っているわけも無いが。その声にゴウゴウは手を振って応え、そのまま夜の闇の中へ消えて行った。
「じゃあ俺達も行くか」
「う、うん。瑞葉ちゃん、また、後でね」
その声に応えるように瑞葉は小さく手を振っていた。
ゴウゴウが一人で向かったのはショウリュウの都の外にある丘の上。そこは彼と棺の中で眠る友が初めて出会った場所であり、それから折に触れて二人で、或いは他の仲間と共に訪れた思い出深い場所だ。
空を見上げれば冬の渇いた空気の中を星が瞬き、地上をか細い光で照らす。ゴウゴウは棺の蓋を開けると共に星を見つめる。
「……こんなことになるとはな」
彼は場合によっては友を敵に回す覚悟は決めていたが何もこんな結末を望んでいたわけでは無い。今の彼に出来るのは過去を偲び、この思い出の地で最後の時を共に過ごすことだけだ。
「なあ、お前は結局何をしていたんだ?」
その問いは純粋な疑問から出たものだ。彼が赤倉の町で行ったことは白日の下に晒された。しかし繋がりがあったと目される組織において何をしていたのかそれが明かされることは無かった。或いは、ゴウゴウは彼を生かしたまま捕らえて情報源とすべきだったのかもしれないが、そこまで求めるのは酷というものだろう。
それにその答えはもう明かされようとしているのだから。
瑞葉が歩けるようになるまでにかかった時間は十五分ほど、しかし彼女は大事を取って更にもう十五分はじっと座っていた。どうせもう急ぐことは無いのだからと普段通りの体調に戻るまで待ち続けた結果である。
そして彼女は静かな都の中を歩き志吹の宿へと辿り着く。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
出迎えたのは宿の看板娘兼冒険者のミザロだ。彼女は瑞葉を見て、それから彼女の後方を見て怪訝そうな表情を浮かべる。
「一人? 珍しいわね」
「え?」
「ん?」
時が止まったと錯覚するような静けさが二人の間に流れる。我に返った瑞葉は宿のラウンジを見てそこにロロとハクハクハクの姿が無い事に気付く。
「ロロ、と、ハクハクハクは?」
「来てないわ。一緒じゃないの?」
「……先に行ってって言ったんですけど」
彼女の三十分前に二人は宿へ向かって歩き出した。当然ながら既に着いていなければおかしい。途中で寄り道をしている可能性もあるが、瑞葉は二人の性格を考えてその可能性は低いと考えていた。
だとすればどうして二人がここへ来ていないのか?
これは瑞葉がまだ長椅子で体を休めていた時の事。本日は大晦日、ほとんどの人は家へと帰り都の通りに人の姿はほとんど無い。その時などロロとハクハクハク以外には誰の姿も見えなかったほどだ。
「ゴウゴウさん大丈夫かな」
ロロは時折心配げに後ろを振り返ってゴウゴウが行ったであろう方角を見つめる。いつも落ち着き払い冷静な態度を崩さない彼のあんな様子を見るのは初めての事であった。
「ゴウゴウさんなら、大丈夫、だと、思うよ……、その、たぶん」
丙自治会によく出入りしており彼の姿を見ることの多いハクハクハクもあんな姿は初めてで根拠なく信じることしかできない。一応一部始終は聞かされたものの、その内心まで推し量ることは難しい。まさか心中などは考えていないと思うが心配せずにはいられないものだ。
それから二人は少しの間、無言で歩き続けた。静かな都の中を歩いているとまるで世界には彼ら以外には誰もいないのではないかと思えてしまう程。
その錯覚はハクハクハクの背を少しだけ押してくれたのかもしれない。
「あの」
「ん?」
彼女は拳を握り大きく息を吸う。傍目から見ても緊張しているのが伝わって来るその挙動にロロもまた息を呑んだ。
「……ありがとう」
「……えー、っと、何に?」
唐突な感謝の言葉に対してロロは反応に困ってしまう。何分、今はただ歩いていただけで感謝されるいわれなどない。もちろん、これまで行って来た何がしかに対しての感謝だとはわかっているが何の前触れも無くそれだけ言われてはどう反応したものか困るものだ。
それでハクハクハクはロロの問いに対して少しだけ考え込む素振りを見せた。きっと彼女は勢いに任せて言葉を発したのだろう。尋ね返されて初めて頭の中を整理しているのだ。彼女が思っていること、伝えたいことを、それらを一つ一つ大切に丁寧に。
「ロ、ロロ、は、その、ね。……たくさん私を、助けてくれた、から」
「クビナシトラの時の事か?」
「そ、それ、だけじゃない、なくて……」
彼女の手は震えていた。しかしそれを抑えるように更に強く手を握り締め、目を閉じ大きく深呼吸をする。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、それを何度か繰り返すうちに彼女の震えは少しずつ収まって行った。そして再び目を開いた時、彼女の目は真っ直ぐにロロの目を見つめていた。
「初めて出会った時に、手を引いてくれた時から、ずっと、何度も、助けられて来たんだよ」
ずっと前に立って、ずっと前を向いて、折れることの無いその心が、疑うことなく信じてくれたその眼差しが、ハクハクハクにとってどれだけ救いとなって来たか。
「俺は別にいつだって俺の思うままにやってるだけのつもりなんだけどなあ」
「だからだよ」
ハクハクハクはロロの手を握る。
「私の事を何も知らない時から、ずっと、信じて手を取ってくれて、嬉しかった、そういうことなの」
「……ふーん、まあ、その、よくわからないけど、これからもよろしくな」
「うん」
ロロはそのまま手をがっちりと握り歩き出す。当然ながら手を握りしめられたハクハクハクもそれに連れられ歩き出す。
都の往来を人目が無いとはいえ手を繋いで歩く。
ハクハクハクはふと思った。この様子を誰かが見たら、まるで何かのような勘違いをされてしまうのではないか、と。
彼女の顔がみるみる赤くなっていく。前を行くロロはそれに気付くことなくのんきに歩いていた。手を放そうかと彼女は少しだけ思ったのだが、すぐに首を振って考え直す。
もう少し、もう少しだけこのままで。
二人は気付かなかったが、屋根の上に佇む人が一人。
「あの二人、冒険者みたいだし丁度いいか」
彼はそう呟くと屋根から飛び降りて音も無く二人の背後へ。
「ん?」
ロロは不意にハクハクハクの手から力が抜けて行くのを感じて後ろを向いた。その目に見えたのは誰かの手。
「ちょっと眠っててね」
脳味噌を揺さぶるような衝撃と共にロロの意識はそこで途絶えた。




