38.5 丙族二人
山河カンショウの国、赤倉の町を覆う壁の外。木々の影には残雪が光を反射している。その光が照らす先には二人の丙族。彼らは互いに睨み合って佇んでいる。
「もう行っちまったがいいのか? あんなガキ三人じゃ死んじまうかもしれねえぞ」
挑発の言葉を吐いたのはエゴエゴだ。魔物を倒しに行くと言ってこの場を去ったロロたちを出汁に目の前にいる男の動揺を引き出そうとしているのだろう。
「あの三人を心配するよりも自分の心配をしたらどうだ?」
しかしゴウゴウは挑発に対し一切動じる様子は無い。腕を両側に垂らし気負う様子すら見せずただ目の前の男を、目の前の敵を見据える。その瞳に僅かにやるせない思いを滲ませながら。
「魔物は何がいるんだ? お前は全て知っているのだろう?」
唐突に放たれた言葉にエゴエゴは頬を歪ませた。
「気付いてたのか?」
「……俺がここにお前を連れて来たのは単純に戦力として欲しかったのが半分。それと別にお前に怪しい連中との繋がりが見え隠れしていたのが半分だ」
ゴウゴウは丙自治会の会長として様々な職務に服している。その中には数か月前にショウリュウの都周辺を騒がせた妙な組織の調査も含まれていた。組織自体は拠点を壊滅にまで追い込んだが全ての構成員を捕らえたわけでは無い。そして捕らえた一部の者の証言で丙族の女が関与していることが判明しており、丙族が関連する調査と言うことで彼にお鉢が回って来たという訳だ。
そしてその中で彼はエゴエゴが丙族の女の目撃情報があった時期にその付近で活動していたことが複数回あったのを確認し本格的に調査を始めた過去がある。
「お前を最初から疑っていたわけでは無いが調べれば調べる程に不審な点が幾つも出て来る。……あまり良い気分ではなかったな」
「旦那にそんな風に言ってもらえるなら光栄だ」
「この赤倉の町でのことにお前はどれだけ関与しているんだ?」
エゴエゴは答えるのを少し躊躇った。冷たい風が吹き枝の上の雪が落ちる。枝葉の擦れる音の中で彼はこれまでにやって来たことを思い返していた。ここに来るまでに様々な者の助けを得て、それぞれの理想の為に進んで来た。彼らを裏切ることは出来ない。
しかし、目の前に立つかつて尊敬した者を前にただ黙っていることもできなかった。
「……元々魔物はこの辺りに多く居た。ただ交通の要所となっていた頃には隊商や数多の冒険者がここにに来る道中で倒しちまうからな、問題は無かった。それぐらいは旦那も知ってるだろ?」
「そうだな」
赤倉の町は森の中に作られた町だ。周囲に魔物の生息する環境は整っており当然に多くの魔物がいるのも当然のことでしかない。ただそれらは町を訪れる人々に狩られる内に警戒して人に近付かなくなっただけだ。
「ここが寂れてからは徐々に町の方へ来る魔物も増えてたが残っていた戦える連中がどうにかして来た。ニウニウさんが死んでからはそんな魔物も現れなかったらしい。結局、あの人は自分の命と引き換えにこの町を守ったわけだ」
「その後は?」
今、彼らは魔物討伐の依頼を受けてこの場にいる。町に近付く魔物は減っていたのではなかったか?
「最近増えたのは……、お察しの通り俺の手引きだ」
ゴウゴウはあっさりとその事実を自白した。
例の組織が魔物を捕らえ方々に送っていたことをゴウゴウも知っている。故にこのこと自体は驚くに値しない程度の事だ。しかし実際にそれを認めたことの方は、ほとんど感情を表に出さない彼が思わず唇を噛む程には衝撃を与えたらしい。
「魔物で町が滅ぶならそれでもよかった。依頼が出たならその時は俺も付いて行くつもりだった。旦那に誘われた時は好都合だと思ったぐらいだ。まあ、旦那なら誘ってくれるとは思ってたがな」
「……お前はニウニウの事を慕っていたからな」
ニウニウ、丙自治会の創設者の一人である彼女は多くの丙族を救ってきた。エゴエゴもその一人だ。
「都の隅で迫害されてた俺を救ってくれたのは他ならぬニウニウさんだ。飯買う金も無くてこれからは野菜泥棒になるしかないって時に手を差し伸べてくれたんだ。今でもはっきり覚えてる」
彼にとってニウニウは正に恩人だ。人として生きる道を与えてくれた、人の持つ温かさを教えてくれた。丙自治会に身を置くようになったのも彼女への恩と憧れ故である。
だから、彼女が死んだと聞いた時に彼の心を染めたのは怒りであった。
「俺は、最初にニウニウさんが死んだって聞いた時、俺自身を恨んだ! 恩人だったのに会いに行きもせず気が付いたら死んでたなんて馬鹿みたいだろ? 何もできなかった、何もしようとしなかった俺自身への怒りに震えたさ」
その心情はゴウゴウにも理解できた。彼も同じだ。共に長い時を過ごし戦った友を、その最期どころか長い間会うことなく気が付けば死んでいたのだから。
しかし二人に決定的に違う部分がある。
「でもな! 俺はある時に知ったんだ! ニウニウさんが死んだのはただ死んだわけじゃない! あれは、この町に、殺されたんだってな!」
彼女の死の真実を知った時にどうしようと考えたか、だ。
「旦那、俺にはわからねえ。どうして俺達はいつだって耐え続けなきゃなんねえんだ? 奴らはああも容易く俺達を踏みにじるのに、なぜ俺達は拳を振り上げることさえ許されない?」
エゴエゴが考えたのは復讐。血で血を洗う古の時代から変わらぬ定理。
「誰もが丙族を踏みにじろうと言うなら、俺はそいつらを踏み潰す巨悪となろう! ここでのことは、その、第一歩、だ」
彼の叫び、彼の怒り、そして彼の痛みに呼応するように周辺で雷が音を立てて鳴っている。空気中をバチッ、バチッ、と人の通る隙間も無いほどに鳴っている。
その様子をゴウゴウはあくまで冷静に観察し、ただ対応策を練る。
「……エゴエゴ、お前には丙自治会の理念を解し切れなかったようだ」
それは決して本心からの言葉では無かった。ただ彼はその言葉を発さねば決心がつかなかったのだ。ここまでの間にもどうにかその決心を付けようとしてきたが、どうしても思い浮かぶ様々な思い出。長年の付き合いの中で良き友として接し、共に戦う同志として有り、面倒を見続けて来た後輩。そんな相手にどうして本気で戦うことが出来る。
しかしこれ以上の説得は不可能と断じたのだ。もはやわかり合うことは出来ないだろうと察してしまった。だから、ここからは。
「お前はもはや人々の敵であり、俺達丙族にとっても敵である。俺は、俺の職務に従ってお前を捕らえる」
捕らえる、なんと甘美な響きだろうか。ゴウゴウは思わずそこで言葉を途絶えさせてその続きを言うのを止めようかとさえ思った。しかし、既に彼は己の心に決断を下したのだ。故にもう一言だけ付け加えねばならない。
「……捕らえる、か、」
エゴエゴは自らの強さに凄まじい程の自信を持っている。無論、勝てない相手もいることは分かっていたが、丙自治会においては最強であるし、あらゆる三等星の中でも最強であると自負していた。
しかしそんな彼も思わず身震いした。
「或いはお前を殺す」
淡々と述べられたその言葉にただただ恐怖を抱いていた。
これ以上の会話は不要。それを察したエゴエゴは早速とばかりに雷を飛ばす。彼は何も話をする為だけに二人でお喋りをしていたわけではない。溢れ出る魔力で周囲の空気を覆い帯電させる。その後放った魔法は帯電した空気の影響で更に威力を増す。相手がゴウゴウだからこそ彼は自身の手持ちで最も強力な一撃を喰らわせる為に。
「手加減なんかできねえぜ」
そう呟くと手から離れた雷が周囲に作られていた空気の中の電気を吸って行く。そしてそれはゴウゴウへと一直線に向かって行く。
見ただろう、人を飲み込む巨大な光の束が走る姿を。勝負、いや、殺し合いにおいて出し惜しみなど無意味だ。ただ一撃で決めてしまえば良い。その考えで放たれた雷は目で追えない程の速度を持ち、そして地上を発つ鳥のような軌道で以て空へと消えて行った。
「は?」
空へと消えて行ったのだ。
「どうした? 何かおかしなことでもあったか?」
ゴウゴウが呆けた面を見せている目の前の敵を挑発する。
「ところで攻撃しなくていいのか? 折角の雷も空へ放つだけでは魔力の無駄だろう」
もしも、もしもであるが。今の雷がゴウゴウに直撃していたならば、その威力を防ぎ切ることは出来ず決して軽くは無い痛手を追っていたことだろう。しかし現実はそうならなかった。
気が付けばエゴエゴは震えていた。そのことに気付いた彼はこれを武者震いだと誤魔化すように拳を握る。
ゴッ。
鈍い音、それはエゴエゴが自身の額を殴った音だ。衝撃と痛みが震えを消してくれるだろう、そう思っての事だった。
「……俺は、怯えてねえぞ」
虚勢だ、彼は未だ震えが取れていない。しかし幸いにも頭は回転し始めていた。彼は決して己の実力を過信していない、そして先の一撃は情に絆されて外したわけでもない。一撃で決着を付けるつもりだった。それだけの威力があった。しかし現実はゴウゴウに当たる前に予定した軌道から逸れて空へと向かいそのまま消えて行く。
「どうした? もう終わりか?」
「……後悔するなよ」
エゴエゴの必殺技、自身の周囲に雷を纏った魔力を放出し空気をも帯電、その空気が互いに擦れ合う内に徐々にその威力を増していく。その状態で放たれる雷は自らの魔力に加えて空気中の雷をも取り込み威力を加速度的に上昇させるのだ。
未だ彼の周囲には帯電した空気が残っている。
「怒れる神よ」
一撃必殺の威力でありながら最大で五連射まで可能とされる彼の雷はまるで神が五本の指で敵を貫くようだと称される。
「その指を以て神罰と為さん」
人々は、空へと突き刺さる五本の指を見上げた。
そこにいるのは肩で息をし脂汗を滲ませる男と、涼しい顔でその様子をただただ見つめる男だ。
「はぁ、はぁ、な、何が、起こって……」
エゴエゴはその身に宿る魔力をほとんど使い切り憔悴する。一発目よりも更に威力を増した雷を五連射したのだ、消耗の激しさはさっきの比ではない。しかしゴウゴウは未だ同じ地面に立っている。いや、同じ地面に立っているはずなのに遥か高みから見下ろしているかのようだった。
「雷の魔法は基本的に直線的な軌道をする。このように」
ゴウゴウが伸ばした手指の先から放たれた雷がエゴエゴの顔を掠めて行く。その軌道は直線的で、それこそが本来エゴエゴの予定していた軌道だった。
「しかし何事にも例外は付き物だ。例えば金属」
そう言ったゴウゴウは背に隠していた短剣を投げた。直後、雷がさっきと同様の軌道で放たれる。しかしそれは直線的に進む途中、宙にあった短剣の方へと軌道を変えて直撃した。
「このように途中で金属があればそちらへ軌道を変えることもある。色々と研究したがどうもより通電しやすい物体へと軌道を変えている節があるな」
「……さっき金属は無かっただろ」
「金属が必要と言った覚えは無い」
もう一度ゴウゴウが雷を放つ。それは何も無い空気中にありながら軌道を直線から大きく変えて空へ消えて行った。その軌道は先にエゴエゴが放った雷の軌道とそっくりである。
「詳しく教えるつもりは無いが要するに雷の軌道を操る方法は幾らでもある、と言う話だ」
その言葉を聞いてエゴエゴは先程からの震えの意味をようやくはっきりと理解する。彼はその事実に無意識化では既に気付いていたのだ。自身の得意技であり最大の威力を持つ雷の魔法、その全てが目の前の男には通用しないという事実に。
「俺は常々言っているな。お前の雷の威力は俺よりも上だ、と。だがそれは俺からすれば大した問題じゃない」
ゴウゴウは確かに目の前の男を自分よりも上と認めていた。自身こそが自治会で最強だと名乗るのも間違いではないと考えていた。ただしそれは威力に限った話である。
「人にせよ魔物にせよ制圧するのに必要なのは必ずしも威力とは限らない。また雷だけに頼った戦い方も危険だ。それが通じない相手には無力になる」
まるで今のお前のように、そんな声が言外に囁かれている。
「俺が様々な魔法を研究しているのは半分趣味だが、実用的な面もかなり多い。相対する敵がどのような手段で攻撃しどのような手段で防御するのかはわからない。だが俺は予備動作からその先を推測することが出来るしそれに対する対応策も用意することが出来る。お前相手ならば戦闘になると決まった瞬間から既に雷の対策を終えていた」
エゴエゴが戦闘前の会話の最中に周囲の空気を帯電させたように、ゴウゴウもまたその時点で雷を回避する準備を終えていた。言うなれば、二人の戦闘は始まる前からその決着がついていたようなものなのだ。
「何か一つを突き詰めるのも強みだろう。だがそれだけで俺を倒したいならお前程度では不十分だな」
その言葉を切っ掛けにエゴエゴが膝から崩れ落ちる。彼の魔力はもうほとんど残っていない。魔力の殆どを込めた雷が通じなかった今、彼に出来ることはほとんど残っていなかったのだ。ゴウゴウはそんな彼を見つめている。その瞳には先ほどまでのような敵意では無く、ただ悲しみに満ちている。
「……なぜこんなことをした」
それは理由を問うものではない。間違った道を戻れないところまで進んでしまった友への嘆きだ。
「ニウニウは、たとえ彼女が真に殺されたのだとしてもこんなことを望みはしない。寧ろこんな時だからこそ言うだろう。丙族は決して間違いを犯してはならない、と」
「……そうだな。あの人の口癖だったな」
敗北を悟った彼は先程よりも柔らかな表情で過去に見て来た恩人の姿を思い返す。復讐など、望みはしない。そんなことは分かっていた。
ただ、わかっていても耐えられないことがあると言うだけなのだ。
「旦那、丙自治会の活動を俺は間違ってるとは思ってねえよ」
「……お前の尽力を忘れたことも疑ったことも無い」
「ただ俺はニウニウさんがあんな風に死んで思ったんだ」
ゴウゴウは黙って次の言葉を待った。
「俺達はいつかなんて待てないんだ。耐えられないのは今の俺達なんだよ」
涙を流し彼は叫ぶ。
未来を生きる若者の為に、聞こえの良い言葉だと思わないだろうか? 一方で今を生きる者はそのほとんどが救われること無く消えて行く。今を苦しんでいる大勢の為に拳を握り、今も苦しめている者達を殴り飛ばす。そう考えてしまうことを誰が否定できるというのだろう。
エゴエゴは残った魔力を体内で練り上げながら立ち上がる。その表情は一見すると穏やかだが、ゴウゴウは即座にそれが嵐の前の静けさのようなものだと気が付いた。
「何をする気だ」
「俺に残ってる魔力は少ない。まさかあれだけの魔力を消費して傷一つ付けられないとは思わなかった。おかげで予定とはだいぶ違うことになっちまった」
「何を……」
エゴエゴはただ自身の中で魔力を練り上げているだけだ。しかし残り僅かなそれでは多少無理をしたところで目の前の男を倒すどころか逃げ出すことすら出来ないだろう。それはここに居る二人共が理解している。
「大人しく捕まり知っていることを全て話したらどうだ?」
「そんな俺ばっかに構ってていいのか? 子供たちは心配じゃないのか?」
「あの三人はあれでただの馬鹿じゃない。経験もそれなりには積んでいる。今はそれよりもお前の知っていることを話せ」
話を促されたエゴエゴはしかし口を噤んだまま何も言おうとしない。何を考えているのか、それを知るには彼の性格や態度、表情や仕草から想像するしかない。ゴウゴウは目の前の男について過去から今までのあらゆる記憶を探った。
好戦的で粗野な男ではあるが決して考え無しに動くような性格ではない。力押しこそ目立つがそれも己の力が確かにあるということを前提としての事だ。今の状況でも現実的に自分の力だから出来る何かを探っているはず。しかし魔力を自身の中で練り上げているだけで動く気配は無い。表情も変わらずこちらを見るばかりで機を窺っているようにも見えない。何かの魔法を使うつもりか? しかし残された魔力は少なく、最も得意とする雷が俺に通じないことは既にわかっている。ならば別の魔法か? しかし雷にすら劣る威力や精度の魔法など恐るるに足らず。そんなこともわからないような馬鹿じゃない。
そこまで考えてふと、おかしな点に気付く。
魔力の量が多過ぎる、と。
ゴウゴウは人の魔力を視ることが出来る。故にエゴエゴが先ほどの攻撃で消耗し残っている魔力の量がどの程度なのかは完全に把握していた。しかし現在体内で練り上げている魔力は明らかにその時よりも多い。
魔力とは心臓の近くに存在する臓器、魔臓によって作られる。それは無理のない範囲で常に作られているが、意図して無理をさせることも可能ではある。しかしそんなことをすれば魔臓に大きな負担を与え筆舌に尽くしがたい痛みを伴い何らかの後遺症が残ることもある。普通はやらないし、生半可な覚悟では痛みに耐え切れない。
しかし痛みは耐えればいい、後先も考えなければいい、その一度だけだから後遺症も問題無い。そういう魔法が、一つ存在する。
「っ、自爆するつもりか!」
エゴエゴはにっ、と引き攣った笑みを浮かべた。既に魔力を消耗した状態では自爆をしたところでこの付近が吹き飛ぶだけだろうが、町の住民の不安を煽るには十分だ。それはほんの少しだけだとしても彼の溜飲を下げてくれるだろう。
つまりこれは、命を懸けた目の前の男との決別だ。
「……そうか」
ゴウゴウは全てを悟ったようにそれだけを呟くと一歩前に歩み出た。エゴエゴは激しい痛みに悲鳴を上げる魔臓をそれでも無理矢理に動かし続ける。そしてそうしながらも目の前の男の一挙手一投足を見逃してはならないとわかっていた。だからこそ一歩を踏み出した瞬間に全神経を集中して次の動きを待った。彼にとってこの自爆は最後の手段であり、今やこの町へ代償を払わせる唯一の手段である。たとえその行動自体が間違いなのだとしても、誰にも邪魔をさせる気は無かった。
ドッ。
「あ?」
鈍い音が鳴った、エゴエゴがそう思った瞬間には全てが終わっていた。急に魔力を生み出せなくなったと思い自らの胸を見ると刃物の切っ先が見えた。
「なん、だ、これ」
それは先程ゴウゴウが雷の軌道について説明する為に放り投げた短剣だ。彼は説明の後にその短剣を魔法で遠隔で背後へと移動させていた。そして今、一歩を踏み出して注意を惹き付けて置いて背後から高速で胸部へ、より正確に言えば魔臓へと突き刺したのである。
エゴエゴはそれまで体の中を流れていた魔力が急激に減って行くのを感じていた。魔臓を貫かれた彼はそれ以上の魔力を生み出すことが出来ず、胸から流れて行く血と共に魔力が漏出して行くのを止めることが出来ない。
そんな彼の元へゴウゴウが歩いて行く。その目は苦渋と悲哀に満ちている。
「だ、んな」
「もう喋る必要は無い」
何かを言おうとした彼の言葉を遮りゴウゴウは続ける。
「お前はもうすぐ死ぬだろう。……これはお前のしてきたこと、やろうとしたことを鑑みて丙自治会の会長として下した決断だ。お前は……、お前は未来の丙族の為にここで死ぬべきだ」
死、エゴエゴはそれを意識して猶、自身の考えを曲げる気にはなれなかった。結果的には何一つ成し遂げることは出来なかったようだが、それでも己の行動が間違いでは無かったと信じていたのだ。
虐げられた丙族がすべきは他者を虐げようともその尊厳を取り戻すことだ。悪意には悪意で以て報復すべきなのだ。それが公平というものだろう?
しかしその考えを曲げるものがあるとすればそれは何か? 決して死への恐怖などではない。死など恐ろしくは無い、元より覚悟の上だ。では何が?
ふと、エゴエゴは自分を見下ろす男の表情を見た。長く共に在った者を殺した時にどんな顔をするのかと僅かに興味を持ったのだ。そして彼は胸の傷の痛みを忘れる程の激しい後悔に襲われることとなる。
「な、いて……」
ゴウゴウの目からは涙の雫が落ちようとしていた。
彼は基本的に物事に私情を挟まない人間だ。目的の一つに私的な事が関係していたとしてもそれを優先して他を疎かにすることは無い。共に丙自治会を作り上げたニウニウの事があろうとただ純粋に依頼をこなす為に動き、町に混乱を引き起こさぬよう注意を払い、今は共に戦って来た仲間を自ら手にかけた。
しかしそれが彼の本当の望みだったわけでは無い。
「エゴエゴ」
「……あ」
「なぜ俺達はこんなことをしなければならないんだ」
その表情は暗く陰になって見えなかった。しかしその震える声が、痛みを堪えるように握られた拳が、地面へと落ちた雫が、見えなくとも教えてくれる。
エゴエゴはその姿を見てようやく気付いた。この道は間違いだった、と。
丙族はなぜ苦しまねばならないのだろうか、なぜ虐げられねばならないのだろうか。それはわからないが皆が苦難の道を歩き続け、自分は運よくそこから助け出された。しかしそれで全てが終わるではなく目の前には苦しみ続ける丙族がいた。自分が救われたのならば、自分も同じように誰かを救おうと、そう思っていたはずなのに。終わって見れば恩人を傷付けただけではないか。
どうしてこんなことに?
「……だ……、ぁ」
声はかすれもはや意味のある言葉を発することは出来そうも無かった。まるで憑き物が落ちたかのように怒りは消えて残ったのは後悔ばかり。今願うのは、せめて何かを伝えたい。自分を止めてくれた恩人へ。
魔臓を破壊され大きな傷を負った彼の身体には魔力など残っていない、はずだった。しかし彼はふと自身の手に伝う魔力を感じる。それは彼が丙族たる証である手首の石から掌、そして指先へと伝う。
パチッ。
とても小さな音、そして光だ。誰にも届かないかもしれない程に小さな指と指の間を伝う雷。触れたところで少し痛いだけの小さな、小さな雷だ。それがエゴエゴに残された最後の力だった。近くに居ても見逃し、聞き逃しかねないようなそれを、丙自治会の会長は確かに観測した。
「……俺が初めて教えた魔法だな」
指の間に雷を伝わせる。それはエゴエゴが自身の魔法について教えていた時にまず初めに教えたことだ。殺傷力こそ低いが牽制ぐらいにはなるし暗い所では灯り代わりに使うこともできる、雷を扱うならまずこういった小さなことから始めるのだ、と。
そしてその呟きを聞いてエゴエゴは満足気な笑みを浮かべた。
「……そうか」
そしてその笑みを浮かべたまま二度と動くことは無かった。
ゴウゴウはもはやただの物と化した肉の塊を丁重に運び壁に寄りかからせる。本来ならせめて室内にぐらいは移してやりたかったが未だ彼にはやるべきことがある。涙を拭い顔を上げた。
「三人が無事だといいが」
そう言って彼は森の中へ向かう。思うところは幾つもあったが、それを考えるのは後だ。同じ志を持っていた友を失ったことを悲しむのも今ではない。
今はただ、祈ろう。死後の世界があるのなら、そこで彼が先人たちに窘められバツの悪い表情を浮かべていると良い。




