38.冒険者と殺人犯
山河カンショウの国、赤倉の町、その町長の家に向かう冒険者の姿があった。先頭を歩くのは瑞葉だ。彼女はロロとハクハクハクを連れて力強く足踏みをして前へ進む。
「緊張してるのか?」
「余計な事言わない!」
ロロの茶々に思わず彼女は大声を上げる。確かに彼女は緊張している。それも激しく、だ。心臓が他人にも聞こえそうなほどに大きな音を立てているのがわかるし、無駄に強く踏む足はそうしないと前へ進めなくなりそうだからだ。必死に心を落ち着けようと襟を強く摘むものだから服が伸びて皺になりそうだし、他にも普段の様子と違いを探せば枚挙に暇が無いだろう。
それでも決して立ち止まることは無かった。
町長の家、その主であった町長その人の部屋の中。死体が未だ放置されたその中では異様な雰囲気が漂っていた。それは決して死体の存在が発する不穏な気配などではなく、その場に集った者同士で牽制し合うひりついた空気のせいだろう。
この場には瑞葉、ロロ、ハクハクハクの三人に加え町長の息子であるジョセア、そのジョセアと町の今後について話をしていた啓喜、町長殺しの嫌疑で上階に監禁されていたゴウゴウ、翌日に行う予定の魔物の巣と目される洞穴への潜入について彼と話をしていたエゴエゴ、の計七名が揃っている。
「この場にはこの殺人についてよくご存じの七名が揃ったということですね」
瑞葉はその場の支配者のように先陣を切って口を開く。彼女は皆の前に立ったことでこれまでよりも強い緊張を感じていた。内心の不安さを悟られぬよう精一杯の虚勢を張っている。
「……それで、お嬢ちゃんが事件の犯人がわかったというから集まったわけだが、本当なんだろうな?」
そう言って彼女を睨み付けるのはジョセアだ。その目には猜疑心が強く表れており目を合わせたら次の瞬間には射殺されているんじゃないかと瑞葉は少し思う。だが怯んではいられない。彼女は襟元を摘みながら咳ばらいを一つする。
「こほん、あー……。もちろんです。私は嘘は嫌いですから」
おー、とロロが感心したように拍手を贈ると、ハクハクハクもそれに倣って同じように拍手をした。少々空気の読めていない行動で周囲の者は白けた視線を彼らに送ったが、瑞葉は内心助けられたなと感じていた。
何せ彼女は事件の犯人をある人物でほぼ間違いないと感じてはいるが、証拠は何も無くそれどころか解けていない謎さえ残っているのだから。もしも彼女に注目が向いたままであれば内心の動揺からそのことを気取られたかもしれない。
「えー、と。少し邪魔が入りましたけど、気にせず行きましょうか。まずこの殺人で最も不可解な点はこの部屋がいわゆる密室だった点です」
「そうは言ってもそこにいる本人が実証して見せたようにゴウゴウさんにとってはこの部屋は密室じゃなかったでしょ?」
啓喜は縛り付けられた椅子ごとここに連れて来られたゴウゴウを指差しながら尤もな指摘を行う。そしてそれには瑞葉もはっきりと頷いた。
「啓喜さんの仰る通りゴウゴウさんにとって密室は密室にならない。ただ、一つおかしな点として……、密室を維持することってゴウゴウさんにとって不利にしかならないんですよね」
「……あ、そっか」
「あー、なるほど」
瑞葉の言葉を聞いて頭の回転の速いものから順々にその事実に気が付く。
「確かに実行可能性という意味では密室のせいでゴウゴウさんが最も怪しいですけど、中に入ったのなら鍵を外に持ち出してしまえば密室は密室じゃなくなります」
鍵の閉まった部屋がここにある。その鍵を魔法で開けて中に入ったとしよう。では外に出る時はどうすべきか? この時に合鍵が部屋の内側にあったのならそれを持って外に出ればいい。後は鍵を閉めて合鍵を適当な所に置いておけばその部屋が密室であったと誰が認識できるだろうか。
今回の件、鍵が目立つ場所に落ちていたにも関わらずそれが行われていないというのは明らかに不自然である。
「……それを言い訳に自分への疑いを逸らすつもりだったってことだろう」
不機嫌な様子を隠そうともせずジョセアが言い放つ。しかし彼女は怯まない。
「そもそも疑いをかけられないことの方が重要ですよ。それに疑いを逸らすと言いますがゴウゴウさんは自ら最も疑いが深いのは自分であると主張しました。ジョセアさんの言う通りだとすれば完全に行動が矛盾しています」
それに対しジョセアは更なる反論をしようと口を開いたが結局何も言わずに再び閉じる。これ以上の指摘は堂々巡りにしかならないと気付いたからだ。そして他の皆は誰も何も言おうとせず少なくともこのことに関しては誰もが彼女の言説に納得したらしい。
「ハクハクハク、今のってどういうことだ?」
「うぇ、えっと……」
いまいち内容を理解しきれていないロロを除いて、の話であるが。
「以上の点でこの部屋が密室であることは基本的に不自然で、不可解なんです。当然ですが鍵を開ける手段が無い者はそもそも中に入って殺人を行えない、しかし開ける手段がある者にとっては容疑者が自分たちに絞られてしまう状態を意図して残してしまう。おかしな話です」
それを聞いて啓喜が挙手をして声を上げる。
「そうは言っても結局僕らには犯行を行えないんだからゴウゴウさんのように魔法が得意な誰かが犯人ってことにならない?」
「そうだ、啓喜の言う通りじゃないか! 結局俺達には無理なんだぞ! だったらそいつがやったってことじゃないか! 密室にしたのだってそいつが馬鹿だっただけだ!」
ゴウゴウは不愉快そうに眉を顰めたが敢えて何も言わず沈黙を貫く。彼は瑞葉へと視線を向けた、それはまるでお手並み拝見と言わんばかりだ。
瑞葉は深呼吸をして、前を向く。
「確かに、お二人の言う通りです。自身に不利な状況を残すのはおかしいと言っても、そもそも他の誰もが不可能であれば無意味です。つまり逆に言えば、この状況を意図して誰かが作ったとすればそれは間違いなく密室であれば自身の疑いが晴れる人物。ジョセアさんや啓喜さんのような鍵を開ける手段を持たない人物になります」
「なっ、俺を疑う気か!」
「……ジョセア、落ち着きなよ」
取り乱し気味に前に飛び出たジョセアを啓喜が抑える。瑞葉は背に冷や汗が伝うのを感じていたが自信の有る表情だけは崩さない。そもそもこれは彼女にとって想定内の出来事であり、寧ろ自身の推測が正しい可能性が高まったとすら感じている。わざわざジョセアと啓喜を名指しで疑った甲斐もあったというものだろう。
概ね想像通り、かな。
二人の反応を見て彼女はそう思い、この先の推測をどのように話していくかを考え出す。そんな彼女をジョセアは怒りに満ちた表情で睨み付け奥歯を強く噛み締めている。そして啓喜に止められながらも一歩前に出た。
「良いだろう! お前の言う通り、私たちのような魔法も使えないただの人が疑わしいとしようじゃないか! だがな、どうやってこの部屋に入る! 出来ないことは出来ないとなぜわからん!」
たぶん、それがこの殺人の肝、だったのだろう。わかってしまえば何ということは無い謎、いや、謎という程のものですら無いのだが。瑞葉は徐にジョセアの方へ向けて歩き出す。
「な」
肉体的には非力な少女、しかし彼女は冒険者だ。たとえ五等星と言えど戦う為の心得を持たぬ者にとっては恐ろしく彼は思わず一歩後ずさる。しかしそもそも彼女はジョセアのことなど見ていない。彼が下がって開いた道をそのまま進み扉の方へ。取っ手を手に取り、そのまま開いた。
「この扉が――、今回の犯行において最も重要な要素です」
ガチャリ、と音が鳴る。それは彼女が内側のつまみを捻り鍵をかけたからだ。閂が飛び出ているのは遠目でも理解できるだろう。
「こんな風に内側からなら誰でも簡単に鍵を開け閉めできます」
ガチャ、ガチャ、ガチャリ。何度も音が鳴りその度に閂が出たり入ったりを繰り返す。そして次に彼女はもう少し扉を開き外側の鍵穴を指差した。
「しかし外側に付いている鍵穴。これは特別な物で一本しかない合鍵を除いては、たとえ同じ形の鍵を作っても開けることは出来ない、ですよねジョセアさん?」
「あ、ああ……」
歯切れ悪く彼は答える。
「鍵は今持ってますよね?」
「……さっき開けたからな」
そして懐からその鍵を取り出した。
「それは良かった。少し見せて貰えますか?」
「あ? まあ、いいが」
瑞葉はジョセアの所まで行くと鍵を受け取りじっと見つめる。顔の前まで持って行きじっと、じっと見つめている。
「……何なんだよ」
「まあまあ、もうちょっと待ってやろうよ」
悪態をつくジョセアを啓喜が宥める。その中でも瑞葉の動きはしばらく無く、皆が待つのに飽きた頃、ようやく彼女は鍵を降ろす。
「ありがとうございます。もう十分です」
「ああ」
ジョセアに鍵を返却すると回れ右してそのまま部屋の外へ、そして扉を閉めた。
「は? おい、何を……」
ジョセアが思わず声を上げる。他の者も訝しげな様子で扉の方を見つめている。しかしすぐに変化は起こった。
ガチャリ。
「あ」
大きな音と共に鍵が閉まったのだ。当然だが扉には誰も近付いてなどいない。
「ゴウゴウさんの魔法、じゃないよねえ」
「俺は何もしていない」
啓喜が念の為と言ったように確認したが、当然ながらゴウゴウは何もしていない。ただ縛り付けられた椅子に座ったまま瑞葉の次の行動について考えていただけで魔法を使うなど考えもしなかっただろう。
ガチャリ。
今度は鍵が開いた。そして瑞葉が扉を開けて中へと入って来る。
「わかりましたか?」
その手の中には鍵が握られている。それは透明で、彼女が触れている部分から徐々に融けつつあるのが見えるだろう。
「これ、形が同じなら氷で出来た鍵でも開くんですよ」
彼女はこの扉を開けることが出来るのは本当に町長の部屋に落ちていたあの一本だけなのか、その点に疑問を感じていた。その主張をしているのはジョセアだけであり、実際に試した者はいなかったからだ。故に彼女は昨日、それを試すことにしたのだった。
啓喜に話を聞き、一人櫓の上で考えをまとめ終えた彼女は再び町長の家へと向かった。そして他の場所には目もくれずジョセアの部屋へ。
「落とし物だ?」
「そうなんです、すみません。わざわざ一緒に来ていただくほどの事でもないので鍵を貸して頂ければ勝手に取ります」
「ああ――、まあ、いいだろう。すぐ返せよ」
彼女は町長の部屋を調べている時に落とし物をしたと言って少しの間だが鍵を借りることに成功した。そして彼女は急いで町長の部屋へ向かい、後ろにジョセアが付いて来ていないことを確認すると懐に忍ばせていた容器、その中にあるほぼ融け切った雪解け水を取り出す。
「……やろう」
彼女は魔力を水に溶け込ませるようにして馴染ませる。どうやって同一の形の鍵を用意するか、その回答に彼女は水を凍らせて同じ形の物を作るという方法を選んだ。魔法の冷気で水を凍らせることが出来るのは既に彼女自身の手で実証済みだ。後は形を整えるだけに過ぎない、と言葉だけなら簡単にも思える。
さて彼女が選んだこの方法だが、実際の所は考えるだけで不可能だと断じる者が多いだろう。魔法について多少心得がある者ならば特に、だ。そもそも水を凍らせることが既に難しい。ある程度の才能を持った者が十分な訓練を積んで初めて出来ることだ。わざわざそれを身に付けるより自らの得意分野を伸ばすことを優先する場合が多い。その上で自らの想定した通りの形にするというのはもう気の遠くなるような話だ。
つまり、瑞葉の才能は常人にとって気の遠くなる程の高みに位置するということだ。
「……よし、良い感じ」
彼女は鍵を目の前に掲げると魔力を通わせた水をその横に浮かせる。何気なく行われているが物体を完全に宙へ浮かせるのはかなりの難度であり見た目ほど簡単なことではない。まして彼女のように目の前の鍵と同じ形へ整えようとするなど普通はやろうとも思わないだろう。しかし彼女はそれをやり遂げた。そして浮かせた水が鍵とほぼ同じ形だと確信すると一気に凍らせる。様々な方向から見て形のずれた部分を細かく修正、そしてついに本物の鍵と形が一致する氷の鍵を作り上げた。
「あとは、と」
彼女はその氷の鍵を手に取ると魔力を纏わせ十分な強度を担保し、鍵穴に差し込む。そして緊張と共にゆっくりと捻る。
ガチャリ。
彼女は思わず息を呑んだ。その音が示すのは鍵が開いたというその事実。彼女は取っ手を捻りゆっくりと引いて行く。目の前に広がる部屋の光景を見つめながら彼女は、町長殺しの容疑者を一人に決め付けたのである。
「試してみるまでは私もまさか密室の仕組みがこんな簡単な話だとは考えてませんでしたよ」
瑞葉はそう言うと今度は扉を開けたまま鍵穴に氷でできた鍵を差し込む。そして皆が見ている前でそれを捻るとそれに連動して閂が飛び出た。逆に捻ると今度は閂が引っ込む。その動きはもはや疑いようも無くその鍵が機能していると証明している。
そしてその事実は皆の中に一つの疑惑を生む。合鍵は作ることが出来た、であれば密室を作るのは魔法など無くとも簡単にできる。ではなぜ皆が鍵は一本しかないと思ったのか? 合鍵が作れるとしてそれをを容易に作れる者とは? 犯行当時、他に疑うべき冒険者が存在することを知っているのは? 町長を殺害する動機がある者とは?
皆の視線が自然と一人の元へ集まって行く。
「な、なんだよ!」
ジョセアの元へと。
「俺が嘘をついたとでも言いたいのか!」
「実際開いてるじゃねえか」
エゴエゴの至極真っ当な言葉に彼は思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「つまりだ、元々お前は町長の野郎を殺すつもりだったんだろ? それで今回ゴウゴウの旦那って格好の身代わりがここに来たのを良いことに町長を殺したってことじゃねえのか!? お前自身はゴウゴウの旦那に罪を被せてのうのうと暮らそうとしてたんじゃねえのか!?」
「私が、そんなことを、するわけが……。私たちは親子だぞ! いくら嫌っていても」
「いやあ、どうだろう」
苦し紛れの言い訳を啓喜が遮る。ジョセアは頬を引き攣らせて怒りに任せて拳を自分の脚に叩き付ける。
「啓喜! お前まで疑うのか!」
「そりゃ疑うって」
怒声を軽くいなして啓喜は言葉を続ける。
「そもそも動機って面で言えばお前が一番疑わしいじゃないか。鍵の件があったから違うのかもと思ってたのに、それも無くなっちゃあなあ」
「ぐ、な、これから取り立ててやろうというのに、啓喜、お前……」
「それはまるで取り立ててやるからお前に有利な証言をしろとでも言いたげに聞こえる」
「違う! 私はただ!」
ジョセアは何かを言おうとしたはずが自身に向けられている啓喜の視線を見て言葉を失う。既に自身の言葉への信用が欠片も無いことを悟ってしまったのだ。
「そうそう、あなたは私に啓喜さんを疑うように仕向けようとしてましたよね」
瑞葉はここぞとばかりに追撃の手を緩めない。ここで心を折る、その一心で言葉を投げかける。
「な、に、を……」
図星を突かれたようなその表情に彼女は内心安堵しながら更に言葉を紡ぐ。
「私が啓喜さんの所へ向かうと言った時に、彼の事を粗暴と評していましたね。しかし実際に会って驚きました、性格がまるで逆ですよ。温厚で理性的です」
「おー、褒められてる?」
啓喜がおどけた調子でそう言ったが誰からも反応は無い。
「……あれは察するに、私にそういう印象を植え付けたかったのでは? 啓喜さんが何らかの拍子に町長を殺しかねない、そう思わせたかったのではありませんか?」
「……そんなつもりは無かった」
「そういえば啓喜さんにゴウゴウさんの事を伝えたのもあなたでしたね。事前に魔法が得意な人が来ていると教えておいたのは密室が判明した時に疑うべき人物を作っておく為ですか?」
「ただの世間話の一環だろう」
「今朝、私がここを調べたいと言った時について来たのも余計な証拠を見つけられないよう見張っておく為なんですよね」
どれもこれも根拠とするには弱弱しい状況の羅列。しかし冷静さを欠いているジョセアにはその一つ一つが彼の急所を刺しているようにさえ思えていた。
「違う!」
だからこそ叫ぶ。声を上げ威圧するように、優位をどうにか保とうとするのだ。
「ジョセアさん!」
しかし今の彼女にそれは通じず対抗するように声を張り上げた。その様子に寧ろジョセアの方が気圧されたかのようにたじろいで口の端を歪めながら彼女を見る。
「あなたが町長を殺したんです。あなたは常日頃から彼の事を恨んでいた。それは親子だからと言って許せるものではなく、いえ、親子だからこそ彼のこの町への仕打ちが許せなかった。あなたはこの町を守るという大義名分のもとでその罪を人に着せ彼を殺した!」
「違う!」
「あなたは剣を取り彼の胸を刺したんだ!」
「違う! あれは俺じゃない!」
一際強い否定の声。しかしその言葉は周囲に僅かに違和感を覚えさせた。
「あれは、って。 じゃあ何をやったんだ?」
啓喜が尋ねる。その言葉にジョセアは顔を青褪めさせた。本来ならば失言という程のものでもないはずだった。たまたま口をついて出た言葉だったと言われれば少々違和感はありつつもそれ以上の追及のしようは無い。しかしその時の彼は激しく責め立てられ動揺し狼狽し、要するに何か考える余裕が無かったのだ。
故に表情に出てしまう。剣を刺してはいない、が、他に何かをやったのだと。
「正直に話して頂けませんか?」
瑞葉の問いに彼は床を見つめて震えている。それは恐怖だろうか、屈辱だろうか、或いは、彼自身にも分からないのかもしれない。
「お、俺は……、俺はこの町を救う為なら何だってできる」
彼は血走った眼を大きく開き引き攣った笑みを浮かべている。そして彼は。
「そうだ、何だって、だ。親父を殺すぐらい、なんてことないさ」
自ら、その事実を口にした。
ジョセアの告白に各々がそれぞれの反応を見せる。ロロはぽかんと口を開けて素直に驚いているし、これまでの反応から薄々その事実に気が付いていたハクハクハクや啓喜は納得するように息を漏らす。ゴウゴウはどこか釈然としない様子でジョセアを見つめ、エゴエゴは頭を抱えて座り込む。そして彼を追い詰め責め立てた張本人である瑞葉は勝ち誇った笑みを浮かべている、わけでは無い。ただただ安堵し全身の力が抜けて行くような気分だった。
彼女がジョセアを犯人と決め付けた理由は扉の鍵が開いたという一点に尽きる。他の点でも多少の違和感はあったとはいえ基本的には証拠など何も無かったのだ。故にもしも彼が冷静さを保ち反論を試みていればこのような結果にはならなかっただろう。
結局のところ、これはあくまでもジョセアが人殺しに耐え得るだけの精神を持っていなかったというだけに過ぎない。この自白は彼自身の弱さ故、ということだ。それが幸か不幸かはまだ決まったわけでは無いが。
ジョセアは罪を自白するとどこか憑き物が落ちたように弱弱しく項垂れ、ぽつぽつとこれまでの事を、そしてどうやって町長を殺したのかを語り始める。
「小さい頃からだ。俺は……、親父のことが嫌いだったんだ」
町長は横暴で強欲で他人など自分の養分としか思っていない人間だったと彼は語る。
「何でこの家に俺と親父しかいないか考えたことがあるか? 母さんは俺が小さな頃に出て行ったんだ、結婚なんてするんじゃなかったってな。……本当は俺も付いて行きたかったんだ」
ジョセアの脳裏には今も焼き付いている光景がある。家の中を響き渡る父と母の怒鳴り声、部屋から出て来るとそのまま外へ一直線に歩く母の姿。そして。
「手を伸ばして連れて行ってって頼んだんだ。そしたらさ、あんな奴の血が流れてる子供なんていらないって」
振り払われた手は強く痛み、母は扉を開けて出て行くと二度と戻ってくることは無かった。彼の悲痛な面持ちに口を挟める者はいない。
「……それから先も親父は改心することなんて無かった。栄え行く町をあいつが駄目にしやがった。……俺は息子として責任を取らなければならないと思ってたんだ!」
力強く叫んだ彼の表情はその言葉と裏腹に泣くのを堪えるように強張っている。瑞葉はふと思う。彼は子供なのだと。母に捨てられ、父のようにもなれず、ただ一人で彷徨う子供なのだと。彼には手を取り導いてくれる誰かがいなかったのだ。
感傷的になる瑞葉を余所にジョセアの話は続く。
「だから俺は、あいつの食事に毒を入れた。食事を作るのは俺の役目だったからな、簡単だったよ。あっさり食ってあっさり死んでいったぜ」
「毒……」
彼の行った殺人は毒殺。毒の入手経路など気になることはあるが、本人が自供している以上はその辺りの事は現時点で枝葉末節に過ぎない。毒殺であったことが明らかになった今、最も大切なことはそこでは無いのだ。
「……改めて聞くが、本当にお前が剣を刺したわけでは無いんだな?」
ゴウゴウが尋ねる。彼が尋ねなくとも他の誰かが尋ねていたであろう、それほどに今重要なことだ。そしてジョセアは。
「今更嘘なんかつかねえよ、俺は毒を飲ませただけだ。剣は本当に刺していない」
そうきっぱりと否定した。
それからしばらくはジョセアへの尋問が始まる。各々が聞きたいことを次々と尋ねたのだが、彼は毒を盛って殺したことこそ認めるも剣を突き刺したかどうかに関しては一貫して否定し続けた。
「……じゃあ誰が剣を刺したんだ?」
「俺だって知りてえよ」
啓喜の呟きにジョセアも同意する。
「毒を盛った、夜の間に鍵を中に閉じ込めて密室を作った。それで朝にお前と一緒にここに来たら親父に剣が突き刺されてたんだ。お前と一緒にここに来た時に驚いてたろ? あれは演技じゃないんだ、本気だったんだ。俺だって何が何だかわかんねえよ」
彼自身、困惑しているのだ。父を殺したことに後悔は無い、しかしそう言ったことと一切関係なく謎が一つ残ってしまったのだから。
「本当は毒じゃなくて剣で死んでたんじゃないだろうな?」
「……ジョセアさん。私が思うにあの剣は町長さんが死んでから突き刺されたものではないでしょうか? 私もはっきりとした知識があるわけではありませんので不確かですが、生きている人間に剣を突き立てて流れる血があれだけということは無いと思います」
これは昨日ロロの話を聞きながら考えていたことである。トウボクサイの血が吹き出て大変だったという話を聞いて、彼女はふと感じたのだ。町長の死体はあまりに綺麗ではないかと。血は刺された胸の辺りを赤黒く染めるだけで周囲に飛び散った様子も無い。いくら剣が刺さったままとは言え流石に流れる血の量が少なすぎる。
しかし既に剣が刺された時に町長が死んでいたのならば話は別だ。既に流れる理由を失った血は刺された隙間から漏れるように出て来るだけだろう。まるで今の町長の姿のように。
「ですから、毒殺されたという点に関しては間違いないかと」
「……まあ、だろうな。俺だって鍵を置きに来た時に息をしてるかぐらい確認したさ」
あわよくば言い逃れようというよりは半ば冗談で言った言葉だったのだろうが、真面目に否定されてバツが悪そうに頭を掻く。
ある種、弛緩した空気が流れ始めていた。謎はまだ残っていたが犯人が判明し、その彼は既に罪を認めこれ以上の事を起こす気が無いとその態度で示していたからだ。残った謎と犯人の処遇は警察に任せてしまえばいい、町の運営がどうなるかは難しい問題だがそれは町の人々が考えて行くべきだろう。故にここですべき話はとりあえず終わりだ。
その終わった空気を。
一筋の雷光が切り裂く。
「えっ?」
その呆気に取られた声は誰が上げた者かはわからない。どのみち誰に耳にも届いてはいなかった。皆が同じように呆然としてただ放たれた光に目を白黒させるばかり。
そう、その雷光が何なのか、放った本人を除いて理解できたのはたった一人だけだ。
「旦那、残念だぜ」
「……俺も同じ意見だ」
エゴエゴとゴウゴウ、二人の丙族が雷を帯びたその身で組み合っている。遅ればせながら瑞葉やハクハクハクは何が起こったのか理解する。先の光はエゴエゴが雷と共にゴウゴウに攻撃を仕掛けたのだ。しかしそれは事も無げに防がれてしまったらしい。
「お二人共、何を」
「決まってるだろ、町長のやつに剣を突き刺した犯人をとっちめる。ここからの流れはそれ以外ねえだろ」
「な、まだ決まったわけじゃ」
「いいや、決まってるさ!」
何の確信があるのかエゴエゴはそう叫び、組んでいた手を放すと後ろへ跳んだ。それと共に室内を縦横無尽に走り回る雷光を投射する。
「周りを巻き込むつもりか? こんな狭い場所でそんな技を使うべきではないな」
「余裕こいてんなよ!」
雷光の数と軌道はとても常人の目で追えるものではなく、啓喜やジョセアは勿論、ロロたち三人も動くに動けない。しかしゴウゴウは冷静に周囲の様子を確認すると何ということも無く三歩下がる。その先には外へと繋がる大きな窓がある。
「喧嘩は外で、だろう?」
ゴウゴウは迫り来る雷光に微塵も竦む様子は無く、空気を入れ替える時のように、天気を見る時のように、ごく自然な動作で窓を開けるとそのまま雷光を引き連れて外へ飛び出る。
「待て!」
エゴエゴもそれを追い外へ飛び出す。残っていた雷光も彼を追うように外へと消えて行った。
残された者は突然の出来事に付いて行けず呆然と窓を眺めている。
「え、な、何で?」
「あの二人は何を?」
「追うか!?」
「む」
「ちょっと待って!」
混沌としたその場では各々勝手に動き出しそうだったが、どうにか瑞葉の言葉が耳に届く程度の理性はあったらしく皆がその場に留まる。
「えーっと、一つずつ整理しましょう」
「……まあ、そうだね。僕なんか追っても何の役にも立たないだろうし」
瑞葉の提案に啓喜も賛同したことでとりあえず混乱が収まって行く。
「ジョセアさんが毒殺したって言うのは、もう決まりでいいですよね」
「今更否定する気も無いさ」
「それで、それなら剣を刺したのは誰ってことで」
「エゴエゴ、さんは、ゴウゴウ、さんが、さ、刺したって、思った、のかな」
「まあそうじゃなかったらいきなりあんなことはしない、と思う」
エゴエゴが何らかの確信を得て町長に剣を突き立てたゴウゴウを行動不能にしようとした、そうであれば先ほどの凶行にも一応の納得は出来る。それにしても突然過ぎてどうにも片手落ちではあるが。
「仮にそうだとしたらその確信はどこで得られたんだろうか」
これまで行動を起こさなかったことからエゴエゴがその確信を得たのはジョセアとの問答の最中ということになるだろう。しかし彼との問答の中で新たに得られた情報というのはかなり少ない。精々が町長は毒殺だったという点ぐらいの物だろう。
客観的な事実の中に誰が剣を刺したか決定付けるものは現状では存在していない。それでも比較的可能性が高い理由を見つけようとして瑞葉は一つ思い出す。
「そういえば、窓に魔力が残っていたんですよ」
「魔力?」
「はい、あの二人は最初に来た時に既に気付いていたみたいです。魔力が残っているのは魔法で開けた痕跡です。だからそれを理由にゴウゴウさんを疑っていた……」
そこまで言ってこれはおかしいと彼女は気が付く。元々それを理由に疑っていた、それは逆に言えば更なる理由が無ければ実際に何か行動を起こす理由が無いということだ。啓喜やハクハクハクもそのことに気付いたようで指を噛み悩んでいる。
「俺が知る限りでこの町にはそんな魔法を使える奴はいない」
ジョセアは端的に彼が知る事実を述べる。
「つまりどのみちあの二人のどっちかが剣を刺したのは間違いないんじゃないのか?」
前提が正しければ成立する図式だ。しかしどうしても可能性は排除できない。町の中に高度な魔法を使えることを隠している人物がいる可能性、外から偶然に危険な殺戮者が紛れ込んだ可能性。それを排除できる証拠が欲しい、瑞葉は、ハクハクハクは、啓喜は、そう考えている。
「あのさあ」
しかしロロは違う。
「何で二人がやったって決めるんだよ。エゴエゴさんが何か誤解してるだけかもしれないだろ? とりあえず追いかけて止めようぜ」
瑞葉はその言葉に肩を落とす。彼女の頭の中にはついさっき起こった出来事の映像が流れていた。
「あのねえ、あんなのどうやって止めるのよ!」
「み、瑞葉ちゃん、お、落ち着いて……」
思わずハクハクハクが止める程の剣幕だったと言う。実際、エゴエゴの攻撃を見切れた者はいなかったのだ、無理もない。
「説得とかさあ」
「だったら犯人が誰か考えないといけないでしょ! ゴウゴウさんじゃないって言い切れるだけの根拠がいるの! どうやって見つけるか考えてるの!」
「俺達で犯人を見つけるとか」
「だああぁっ! もうっ!」
大声で叫び肩で息をする瑞葉。おかげで少しは落ち着きを取り戻してきたようだが、周囲は先程までとの調子の差に面食らってぽかんとしている。痛いほどの視線を感じた彼女は恨みがましくロロを睨んだとか。
「ロロは何か気付いたことある?」
「みんなでもわからないんだろ? 俺が何か気付こうと思ったら犯人に話でも聞かないとな」
その答えに思わずため息が出てしまうのは仕方ないことだろう。
しかし、偶然にもその冗談が不意の閃きを引き起こす。
「……犯人か」
彼女は気が付いたのだ。犯人であれば、当然誰が犯人なのかはわかっていると。そして彼女の表情を見てハクハクハクと啓喜もその可能性に思い至る。
「エゴエゴさんが犯人だとしたら……?」
彼は自ら言及したりはしなかったが三等星で雷の魔法を扱える凄腕だ。窓の鍵を開ける程度は出来ても不思議はない。そして、彼が犯人であるとすれば、ゴウゴウを襲ったのは。
「自分の犯行がばれる前に推定犯人であるゴウゴウさんを縛り上げて有耶無耶にしようとした、とか」
「で、でも、その、黙ってれば……」
「そこが気になる所かな。でもゴウゴウさんもエゴエゴさんを疑っていたんだったね」
「はい、魔法で鍵を開けた痕跡がありましたから……」
「それが理由かもね。仮にあの場で襲い掛からずともゴウゴウさんはすぐに彼を追及していたんじゃないかな。どうせいずればれるなら不意を打てる機会に襲い掛かった、とか」
あり得なくは無いか? 瑞葉は幾つかの疑問は残ったが一応は啓喜の言葉に納得する。しかしそうなると問題は。
「……エゴエゴさんが本気で戦うつもりなら、ゴウゴウさんが危ない」
彼は自身を丙自治会一の実力者と自認しており、ゴウゴウもそれを決して否定するような態度は見せなかった。それはこの戦いの結末がどうなるかを示しているのかもしれない。
「行こうぜ。とりあえずエゴエゴさんを止めればいいんだろ」
言うが早いかロロは外へ走り出していた。
「あぁ、もう! だから私たちの実力じゃ……」
駆け出したロロをもう止めることは出来ない。ハクハクハクや啓喜が見守る中瑞葉は頭を掻きむしっていたが、やがて覚悟を決めて前を向く。
「ハク、ロロを追うよ」
「ん、うん!」
「啓喜さんはジョセアさんが妙な事をしないよう見張っておいてください」
「もう何もしねえよ」
「こっちは任せておいて」
こうしてロロに一足遅れて二人も町長の家を飛び出す。
ゴウゴウとエゴエゴ、二人が戦っている場所を探すのは簡単なことだ。雷鳴の轟を聞いた住民たちは外へ出てその音がどこから来るのか見つめていたのだ。彼らの視線を追って行けばあっという間に町の外に雷が轟いているのを見つけることが出来るだろう。
「町長が死んで今度は何が」
「……雷がもの凄い勢いで飛んで行ったのを見たぞ」
「魔物もいるし、この町も終わりなのか」
住民たちは一様に沈んだ暗い雰囲気を醸し出している。地面を見つめ未来を憂う言葉を紡ぎ出す。それは長らく辛い暮らしを営んで来た彼らの普通なのだろう。もはや脅威に対して戦う術を持たない彼らはただいつか来る滅びの日を憂うことしか出来なくなっていた。町の外へと急ぐロロはそれらを見聞きして、心の中に何かしこりのようなものを感じた。そして全力で走っていたはずがまるで何かに引き留められているかのように徐々に徐々にと足が遅くなっていく。そしていつの間にか彼は立ち止まる。その目は沈んだ表情の住民達へ向けられている。
「この町はまだ終わりなんかじゃない!」
その声に皆の注目が集まる。まだ年若い少年に、その身や精神を老いと苦難に蝕まれた人々の視線が集まって行く。
「この町は運が良いんだ。目の前にある脅威は俺達冒険者が何とかできる。魔物も、あの雷も俺達はへっちゃらさ。だからまだ終わってないだろ」
衆目に晒されそう叫んだロロの姿を瑞葉とハクハクハクは目撃した。あの二人を追って出て行ったはずが何をしているんだなんて呆れもしたが、それ以上に彼女たちはこそこそがロロだと思いもした。彼は目の前で悲嘆に暮れる人々を放っておける人間では無い、と。
しかし彼の言葉が誰に対してもその心に刺さる、などと言うことは無い。住民たちの反応は冷たいものだった。
「そう言われてもなあ……」
「今更どうしろってんだ」
既に何もかもを諦めた者達にとってロロのような我武者羅にでも前に進もうとする者はもはや忌避の対象ですらあったのだ。何を言われても綺麗事にしか思えない。
「……あぁ、くそっ」
「……むぅ」
その様子に瑞葉とハクハクハクはもどかしい思いを抱えていた。二人はロロのあの姿にこそ救われて今この場にいる。何か言いたかった、言ってやりたかった、あの住民達の反応が許せなかった。
しかしだからこそ二人にはかける言葉が無いことに気付いていたのだ。彼女らと住民達は根本的にずれているのだ、互いに互いの気持ちが知りようも無いほどに。
そんな彼女らを余所にロロは未だ住民達と向き合おうとしている。
「どうするかって、それはまあ……、後で一緒に考えようぜ」
「考え無しなんじゃねえか」
どうにか皆の意識を変えようと試みるも彼らは吐き捨てるような言葉を浴びせ背を向け始める。
「あ……、まだ、何か出来るんじゃないのかよ」
言葉と想いが届かない現実にロロは自身の力不足を感じざるを得なかった。どれだけ素晴らしい未来を思い描こうとその未来を信じさせることすらできない、そんな自分の事があまりにちっぽけで弱い存在だとさえ感じていた。
そんな彼の肩に手が置かれる。
「……あ、食堂の」
「ありがとうねえ」
そう感謝を述べたのはロロたちがここに着いた日に昼食をいただいた食堂の店主だ。かの老婆は優しさと寂しさが同居したような眼差しでロロを見つめている。
「あなたにはこの町の事なんて関係ないでしょうに、一生懸命になってくれるのね」
「……だって見てられないだろ」
彼の目には涙が滲んでいる。悲しさか、悔しさか、或いはそれらや他の多くの感情が彼の幼い心からただただ溢れ出しただけなのかもしれない。老婆は彼の手を握る。
「ただそれだけの理由で一生懸命になってくれる人なんていないのよ」
ロロはその寂しげな言葉の響きに思わず老婆の方を見た。その時にふと彼女の顔を構成する皺の一つ一つには彼女が経験した悲哀をも刻み込んでいるかのように思えたのだ。
「人はね、人に善意で接するのが難しいの。上がり目の時には何もせずとも手が伸びて来るの。でもね、落ち目になった途端に彼らは私たちが伸ばした手すら振り払うのよ。でも私はそのことを恨みはしないわ。皆、他人よりも自分の事の方が大事なの、当然の事よ。そんなことをたくさん経験してきたから――、ここに居る人達は、色々なことを諦めてしまったのね」
「そんなのは……、悲しいだろ」
「悲しくなんて無いわ。仕方のない事よ」
ロロは納得がいかない様子を隠そうともしなかった。それが子供らしい反抗心から来ているのか、それとももっと別の何かなのかは本人すらわかっていなかった。そんな彼を老婆は優しく抱き寄せる。
「あなたみたいな子がいてくれて私は嬉しいの。そんな顔しないで」
「……でもさ、俺はどうせならみんなが笑って過ごせるようにしたかったんだ」
「皆が皆あなたみたいにはなれないわ。特に私たちみたいな老人は、今更生き方を変えられないのよ」
「でも」
老婆はロロが言おうとした言葉を手で遮る。
「あなたがこの町を救おうとしてくれたことは嬉しいわ。でも他にやることがあって走っていたんじゃないの?」
その言葉でロロは、はっ、とする。
「今のあなたはまだ若いわ、こんなところで立ち止まっていては駄目よ」
「……そう言われても」
「たくさん経験を積んで良い大人になったらまた来て頂戴。その時はこの町の人たちの事も変えてしまえるぐらいに強くなってね」
老婆は強がりのような微笑みを浮かべていた。ロロはそのことがとても悲しくてやりきれない思いだったが、それでも彼女の思いを無駄には出来なかった。
「……わかったよ。俺は絶対に今よりも強くなって、またここに来る。だから今は行くよ」
「ええ、そうして頂戴」
「……ありがとうございます」
ロロは走り出した。もう立ち止まることも振り返ることも無い。老婆は彼の去り行く姿をしばらく見つめていたが、やがて後ろを振り返る。
「あなたたちは行かないのかしら?」
瑞葉とハクハクハクがそこに立っている。二人は顔を見合わせると少し考えた後に深々と礼をして走り出した。
老婆はじっ、と二人の背を見つめる。
「若いっていいわねえ。あなたたちもそう思わないかしら?」
老婆の隣にはいつの間にか啓喜とジョセアが立っていた。
「だってさ、ジョセア。どう思う?」
ジョセアはしばらく瞑目して黙り込んでいた。町長を殺した事実が明るみに出て彼は少しだけ心に余裕が出来て、それまでは考えられなかったことを考え始める。もしも、の話だ。
「……俺は後悔などしていない、していないが。ああいう姿を見ていると、もう少し別の方法もあったのかもしれないと、思ってしまうな」
「今更気付いたの? ……もうちょっと早く気付いて欲しかったよ」
彼らの視界から若者たちの姿が消えて行く。
崩れかけた壁を越えてロロが目にしたのは、全身に雷を纏い光り輝くエゴエゴの姿と彼の眼前にただ悠然と立っているゴウゴウの姿だった。
「エゴエゴさん!」
ロロの呼び掛けに彼は視線を向けることさえしなかった。その目が見据えているのは眼前の男ただ一人。ロロは少し考えた末にもう一度口を開く。
「エゴエゴさんがやったのか!?」
その発言は睨み合う二人は勿論、追い付いて来た瑞葉とハクハクハクにも届いた。
「あの馬鹿、そんな直接聞いたって答えてくれるわけが……」
そんな瑞葉の呆れたような呟き。しかしそれとは裏腹にエゴエゴは視線こそ動かしはしなかったが口を開く。
「まさかお前が気付くとはな。何でわかった?」
そう、彼は認めたのだ。そのことに驚いたのは瑞葉だけではない。隣にいたハクハクハクも、彼と向かい合って立っていたゴウゴウも。そして。
「え、本当にエゴエゴさんがやったの?」
それを尋ねたロロも、だ。
その反応に毒気が抜かれたのかエゴエゴは思わずロロの方を見た。
「……お前が聞いたんだろ」
「いや、え? だってさ、みんながエゴエゴさんが剣を刺したのかもって言い出したから、本人に否定してもらおうと思って」
ロロは皆の話し合いで出たエゴエゴがやった可能性について信じていなかった。長い付き合いではないにしても共に戦ったこの二日間を通じて彼がそんなことをする人では無いと信じていたのだ。その一方でゴウゴウがやったのかと問われればそれも否定しただろう。
要するに彼がこの場に来たのは本当にただ二人が争うのを止める為だけで、さっきの質問もその一環に過ぎなかったのだ。
「エゴエゴさんが? 剣を? えぇ……」
信じられないというような目で見て来る若き冒険者の姿にエゴエゴは思わずため息をついていた。
「お前は……、馬鹿だなあ」
直後、エゴエゴの手から雷が空へと昇る。その威力は目にしただけでたかが五等星の冒険者には手に余ると理解できるだろう。
「確かに、俺はあの屑の胸に剣を突き刺した。……もう死んでたとは知らなかったがな」
「……やはりお前は」
「旦那、あんたともここまでだ」
エゴエゴの視線は再びゴウゴウの元へと戻る。その目に帯びているのは哀しみと怒りだ。そしてその目を向けられた丙自治会の長は、目の前にいる『元』同志を止めることは出来ないのだと悟っていた。
「ロロ、離れていろ。その位置では巻き込まれる、邪魔だ」
「……勝てるのか?」
「分かり切ったことだが、この勝負の勝者は俺になる」
彼ははっきりと言い切った。だからロロは。
「わかった、気を付けて」
それだけ言って壁の中へ戻って行った。そして近くにいた瑞葉たちに気付くと合流する。
「どうする?」
「どうするもこうするも、私たちじゃあの二人の戦いには入れないよ。……いや、もしもゴウゴウさんが負けた時に備えて戦う準備だけはしておこうかな」
「勝つって言ってただろ」
「最悪に備えておくのも大事だよ」
そう言って瑞葉を中心に三人でどう戦うか策を練り始める。雷への対策をどうするか、身体能力の差をどう埋めるかなど課題ばかりで良い案は出ていなかったが。
外の音に耳を澄ませながら少しの間そんなことをしていたのだが。
「大変だぁー!」
唐突にそんな声が聞こえた。聞き覚えのある声では無かったがおそらく住民の声なのは推測が付く。三人は躊躇いなくその声の方へと走り出した。
その男は櫓のある方角から走って来ていたようで、三人を見つけると少し安心した様子で足をもつれさせ半ば倒れ込みながらもどうにか立ち止まる。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「た、大変、大変なんだ!」
その表情は真剣そのもので何かまずいことが起こったのは疑う余地も無い。
「落ち着いてください。何がありました?」
瑞葉の声かけに少し落ち着きを取り戻した彼は何が起こったのかを端的にはっきりと口にする。
「魔物だ! 魔物が来てる!」
「魔物!?」
彼は単なる町の一住民だ。それで外を歩いている時に偶然にもエゴエゴが放った雷が町の外へ向かうのを目撃したのである。周りの者がその場で町の今後を憂い始める中、彼は外で何が起ころうとしているのか見てやろうと櫓へ上っていた。
「それで俺はずっと外を見てたんだ。雷が空へ昇ったのも見たんだぜ。まあそれはよくて、それからちょっとして、森の木が倒れるのが見えたんだ!」
最初は雷のせいだろうかと思ったが、天に昇った雷で木が倒れるのは不自然だ。それでよくよく見ていると木々の隙間からその姿がちらりと見えたのである。
「あれは完全に魔物だったんだ! 魔物がこっちに来てるんだよ! だから俺、知らせないとと思って走って来たんだよ」
なぜ今魔物が動き出したのか、それは単なる不運で片付けられるのか、瑞葉とハクハクハクの中では一瞬の間に幾つかの思考が渦巻き始め。
「分かった! 俺達に任せてくれ!」
ロロの力強い言葉にその全てが吹き飛ぶ。
「俺達は魔物退治に来たんだからな、全部俺達が倒すからゆっくりしててくれ」
彼の言葉を聞いて二人も覚悟を決める。そもそも彼らがここへ来たのは魔物討伐の依頼を受けての事、今やるべきことは魔物を倒し町の安全を守る。他の事は二の次だ。
「ありがとう。俺達も町の守りを固めておく。無理しないでくれよ」
そう言って住民の彼は走ってどこかへ向かった。その後ろ姿にロロが声をかける。
「俺達が全部倒して備えが無駄になったらごめんな!」
その声に彼は親指を立てて笑っていた。
ロロを先頭に三人が町の外へ走って行く。その姿は未だ対峙している二人の元からも見えていた。
「ゴウゴウさん、俺達魔物を倒してくる!」
「……魔物?」
ゴウゴウはエゴエゴの表情を見て少し考えてから答える。
「こっちが終わったら俺も向かう。無理はするな」
「ああ!」
そして三人の背は森の中へと消えて行った。
町長殺し、丙族同士の戦い、魔物の群れへと立ち向かう新人冒険者。
この一連の事件の後、赤倉の町はどあらゆる地図からその名を消すこととなる。




