37.冒険者の探偵ごっこ
山河カンショウの国、赤倉の町。物見櫓の上は風が吹き雪が吹き込んでいる。幸いにも雪の勢いは弱く凍死する心配は無さそうだ。
「寒っ」
しかし雪の、風の冷たさは容赦なく襲い掛かる。寝袋の中で瑞葉は目の端にちらつく雪を鬱陶しく思っていた。寒さと雪、慣れない環境、更にはこの町に着いてから起こった様々な出来事が彼女の眠りを浅くさせている。隣には寝袋に入って横になっているロロとエゴエゴの姿がある。二人はこんな場所でもよく眠っているようで身動ぎ一つしていない。そこから少し離れて柵の前で膝立ちになり遠くを見ているのがハクハクハクだ。彼女はこの時間の見張り役でおそらく律儀にも外をずっと見張っているのだろう。
瑞葉は起きてしまったし自分もハクハクハクと一緒に見張りをしようかと思ったがすぐに思い直す。それはこの寒さで寝袋から出たくないという理由もあったが、それ以上に一人で考えたいことがあったからだ。
町長殺しの犯人は誰なのか、その真実を突き止める方法を。
日が昇る頃、瑞葉とハクハクハクは朝食の調達へ向かう。
「雪、少し積もったね」
「そ、そうだ、ね」
既に雪は降ってきていないがうっすらと積もったそれは地面を白く覆っている。踏むと鳴るしゃくしゃくという音が二人の耳に心地よく響いていた。
「積もってるのは久しぶりに見たかも」
「前は、さ、三年前、ぐらい、だったかも」
「あー、そうかもね」
都ではあまり雪が降ることも無く、建物や地面が白い雪に覆われる姿は彼女らには稀少な体験でもある。
「子供の時はロロと一緒に雪の中をはしゃいでたよ。今は寒くてちょっと嫌かも」
「私は、その、ちょっと楽しい、かも」
「ふうん」
瑞葉が相槌がてら横を見るとハクハクハクの足取りがいつもより軽く見えた。それは彼女が感じている楽しさ、滅多に無い雪の降る町を歩くと言う体験への高揚を感じさせる。
「ハクがそう言うならこの雪も悪くないね」
掌を広げると舞っていた雪の一粒がそこに落ちて行く。それは体温で溶けると水になり手を濡らした。
「……ん」
瑞葉は何気なく掌に魔力を集中させ冷気を作り出した。彼女は自身がどれ程の冷気を作り出せるのか試したことは無かったが、それは掌に付いていた水分を凍り付かせる。
「……? 瑞葉ちゃん、どうかした?」
「ん、ああ。雪は溶けたら水になるのに水って冷やしても氷にしかならないよなあって思ってね」
「……ほんとだ、不思議」
ハクハクハクは純粋に疑問に思ったのだろう、地面の雪を少し手に取って見たりしばらく考え込んでいたが、やがて答えを出すのを諦めて歩き出す。瑞葉は氷を払うと冷たさに赤くなった手を見て馬鹿なことをしたなあ、と心の中で呟いた。
魔物討伐組が町の外へ向かった頃、瑞葉はようやく時が来たとばかりにいそいそと行動を始める。まず彼女が向かったのは町長の家だ。そこにはゴウゴウが監禁されており食事を届ける必要がある、というのが一つの理由。
監禁部屋は昨日と変わった様子は無い。一日縛られ続けているはずのゴウゴウもあまり疲弊したようには見えなかった。
「元気そうですね」
ゴウゴウは背筋を伸ばし瞑目している。その堂々たる姿は手足を縛られていなければ監禁されていると思う者はいないだろう。
彼は瑞葉の声に反応して目を開けると特に弱った様子も見せず淡々と話し出す。
「一日手足を縛られている程度なら何も問題は無い。話の合わない相手と顔を突き合わせて益体も無い時間を過ごす方が余程苦痛だな」
「元気たっぷりなら皮肉もたっぷりですね」
それは何気なく口をついて出た言葉に過ぎなかったがそれを聞いたゴウゴウは少し意外そうな表情を見せた。
「……どうかしました?」
「……いや、思ったよりも余裕があるようで、そうだな。少し意外だった、と言っておこう」
瑞葉はそう言われて初めて先ほどの軽口が、思わず軽口が出るぐらいには余裕のある心情であることを示していたと気付いた。昨日のような精神状態ならばこんな言葉は出て来なかったはずなのだ。彼女は昨日の夜にロロと話をしている内に覚悟が決まったのかもしれないと思い至る。未だにロロに頼ってしまう自分を少し恥じ、幼い頃から変わらずあり続ける関係性に思わず唇を噛む。ただそうした思いの一方で、その関係性に心地よさを感じているのも事実だった。
「どうも私には頼りになる幼馴染がいるみたいです」
「それは良いことだ」
「……ゴウゴウさんにとってニウニウさんはどんな人でした?」
そして彼女はどう切り出すか迷っていた話をこれ幸いとぶつけたのだった。そしてこの問いを聞いたゴウゴウは視線を一瞬逸らした。彼女はそれを見て更に畳みかける。
「頼れる仕事仲間? 共に戦った戦友? それとも、もっと深い何かですか?」
それらの問いを聞いて彼は顔を背けて視線を合わせようとしない。それは後ろめたさ故だろうか? だとすればどうして? 瑞葉は頭の中で思考を巡らせる。
「……ゴウゴウさんが町長を殺したんですか?」
「それは違う」
「敢えて自分から捕まったのは証拠が出ないという自信があったからでは? 窓にあったという魔力の痕跡もゴウゴウさんだという証拠にはならない。あの短剣の出所がどこかも足がつかないようにしているのかも。犯人だと言う証拠さえ出なければいくらでも誤魔化せる。全ては初めから計画されていたんじゃないですか?」
彼女の剣幕にゴウゴウは思わず怯んで声も出せないでいる。
「ゴウゴウさん。あなたはニウニウさんの復讐の為にこの町を訪れた。違いますか?」
ニウニウ、彼女はゴウゴウにとっては仕事仲間であり、戦友であり、最も近くにある憧れだった。彼が常に先頭に立ち続けたのは決して彼女に無様な姿を見せたくは無かったからだ。
「……お前たちを宿に帰し俺は一人で町長の元へ向かった」
「そうですね」
「そこで俺は、確かにニウニウの事も尋ねた。それだけじゃない。夜を徹して俺は町の人々に話を聞いて回った。彼女の最期を知りたかった。様々な話を聞いて確かに俺は思った、彼女はある意味では確かに町長に殺されたのだ、と」
ゴウゴウはそう前置きし彼が聞いた様々な事を頭の中で整理しながら一つ一つ話し始める。
町が賑わいを見せていた頃、ニウニウは大勢の人々と関わりを持ちより良い暮らしの為に奮闘していたという。喧嘩があれば間に入って仲裁し、困り事があれば共に頭を悩ませ、人々が集まる場では控え目ながらも場の空気を良くしようと皆に働きかけた。そんな彼女の世話になった人は数知れず、皆が彼女の事を好いていた。大勢の男が彼女に花を贈って気を引こうとし、夫と共に歩く姿を見て勝手に嘆いていたとか。
しかしそんな日々は町の景気が悪くなり始めると段々と様相を変えて行く。
元々赤倉の町の評判はあまり良くは無く、訪れる者の多くが苦い顔を浮かべながら利用していた。故に離れる時は一瞬の事。丸盆の町が都同士を結ぶトンネル計画を発表するや否や人々の足は次々と離れて行った。町の多くの人々がどうにか彼らの心を繋ぎ止めようと必死になる中、最も早く諦めたのは町長だった。
「町の事を第一に考えるべき立場の人間が最初に諦めたんですか?」
「様々な話を聞いたところそれで間違いないらしい」
丸盆の町に人の往来を取られ赤倉が苦境に陥り始めたのを察した町長がまずやったことは、自らの財産を確保することだった。未だ町を訪れる商人や旅人、町の未来の為に努力する住民、彼らから少しでも多くの金を毟り取り残りの人生を自らが労することなく生きるだけの財を蓄えたのだ。
住民の努力は結局のところ町長の懐を潤すだけで赤倉の評判を上げることには繋がらなかった。僅かにいたここを気に入って足繁く通ってくれていた人々も、とうとう愛想を尽かして去って行ったのである。
「……そんなことが」
「無論、俺が実際に経験した話ではない。町長への恨みから多少は話が盛ってある可能性もあるが……、全てが嘘であるということは無いだろう。それで、ニウニウの話はここからが本番だ」
この状況の中でもニウニウは決して諦めようとしなかった。それはこの町で過ごして来た日々があったからと言うのもあったが、それ以上に共に暮らして来た住民達の力になりたかったからだ。町長の行いに失望を隠せず意気消沈し町を去った住民も多くおり、残った人々の多くはどこかへ行く余裕も無くただここで日々を過ごすことしかできない弱い者達だった。たとえこの町が滅びの運命を回避できないのだとしても、残された日々を穏やかに過ごすことぐらいはさせてやりたかったのだ。
「もしも彼女に間違いがあったとするならば……」
「あったとするならば?」
「彼女は少し善性が強すぎた」
「それはどういう……」
「本当に余生を穏やかに過ごしたければ初めに邪魔者を消しておくべきだった。そうは思わないか?」
その言葉を吐いた彼の表情は思わず恐怖を覚えるような冷徹さを備えていた。つまり彼はこう言いたいのだ、もし彼女が真っ先に町長を殺せるような者であればこの町はもう少しましな状態だったのかもしれない、と。
ニウニウの行動は多岐に渡りその全てを説明するのは難しい。町の中に互助会のような組織を作って自然と助け合える状況を作り、魔物の脅威には自らが先頭に立って戦い、町長にはその悪政を指摘して改めるよう訴え続けた。町中を駆け回り彼女に住民達は力を貰い、その一方で町長は彼女の事を疎ましく思った。
『丙族がこの町を乗っ取ろうとしている!』
彼は声高にそう言って彼女を排除すべく動き始めたという。そして彼は自らの持つ財産を餌に彼女の旦那に話を持ち掛けた。
『ニウニウの活動は知っているだろう? 彼女は正しい、認めよう。私は少々視野が狭くなっていたようだ。彼女の活動を支援したい、しかし今更私には合わせる顔がないのだ。そこで、だ。お前に仕事を頼みたいのだ。その報酬に私の財産の一部を渡そう』
冷静に考えれば胡散臭い話だ。町長のがめつさは町の誰もが知っている。それはニウニウの旦那とて例外ではない。しかし彼はたとえどれだけ胡散臭かろうと、洪水の中で藁に縋るような愚行だったとしても、その話に乗るしかなかったのだ。
「……ニウニウさんの旦那さんは、確かこの町に多くの人を呼び込もうとあちこちを回っていた、んでしたよね」
「ああ。話を聞いている内に一緒に仕事をしていた者に当たった。あのニウニウが選んだだけはあって情熱を持った人物だったようだ」
ニウニウの旦那は責任感の強い男だった。彼はこの赤倉の町を盛り立てようと方々を駆けずり回って多くの人を呼び込んだ。商人、旅人、冒険者、多くの者が興味を惹かれ、或いは彼の熱意に負けて赤倉の町を訪れたのだ。
『今度は大きな隊商の親分と交渉してな、虎狼ホンソウの国で獲れる珍しい獣を持って来てくれるんだ。これは盛大におもてなししないといけないぞ』
彼が町に帰って来た時はニウニウが微笑みを浮かべながら彼の武勇伝を聞いていたという。彼はそんな彼女の為により一層仕事に励んだ。何より、この町へ彼女を連れて来たのは自分なのだから必ず町を大きくし共にいることを誇りに思えるような実績を作って見せると強く意気込んでいた。
しかし現実は非常で、時が経つにつれて町は魅力を失って行った。彼は町長に何度も直談判し、時には自ら金銭を工面してでも何かを改善しようとしたのだが結局は力が及ばなかった。
高地から廃れた町を見下ろして彼は罪悪感に押し潰されそうだった。
『自分は彼女を徒に振り回した挙句、この土地に押し込めてしまったのではないか?』
そんな呟きが漏れ出た。風が吹き、木々がざわめく。目の前には高い崖があった。彼は一歩前へ足を踏み出す。ニウニウは今も町の人々の為に様々な活動を始めている。残された人々が豊かではなくともせめて辛く苦しい日々を送らず済むように戦っている。しかし彼女がそうする価値がこの町にあるのだろうか?
彼は思った。彼女をこの町に縛り付けているのは自分の存在なのではないか? もしそうなのだとすれば、自分さえいなくなれば。幸いにもここは高い崖の上、消えてなくなるには打ってつけの場所ではないか。
更に一歩前へ。足先にあった小石が蹴られて転がりそのまま下へ落ちて行く。崖の側面に何度もぶつかりながら下へ下へ、もう見えない。彼はその小石こそが未来の自分の姿なのだと確信を得た。
あとほんの二、三歩前へ出れば彼はこの世から消えてなくなる所だった。彼は限界だったのだ。どれだけ力を注いでも町の状況は好転せず、外の商人に話を振ってもあからさまに迷惑そうな顔をされ、何の手土産も無く町へ帰る日々。たとえその全てが自分の責任で無いとわかっていても、彼には耐えられなかったのだ。己の無力さがどうしても許せなかった。
『待って!』
だから彼はニウニウの声が聞こえた時に涙が溢れた。弱い自分の姿を見られて恥ずかしくて、悔しくて、情けなかった。彼女を振り切って足を前に出すことが出来ない自分がたまらなく嫌だったのだ。
『ここに来たのは、私たち二人で決めたことでしょ?』
ただ、そう言って自らを抱き止めた彼女の事を心から愛おしいと思い、まだ自分に出来ることがあるのならそれは彼女の為に生きることだと知ったのである。
『お前に仕事を頼みたいのだ。その報酬に私の財産の一部を渡そう』
だからこそ彼は、町長の言葉が嘘だとわかっていてもその提案を受けざるを得なかった。
「……その仕事の内容は」
「それはお前のような子供に教えることではない」
ここまで話しておいて今更内緒にすることに意味があるのかは疑問に思えた。
「だがこれだけは言える。その仕事を受けた結果、彼は帰らぬ人となった」
瑞葉はそのことに対し何も言えなかった。どのような謀略があったのかはわからない、ただ彼女の中にあるのは思わず歯を食いしばり拳を握ってしまうような嫌悪と怒りの念だ。
「……ニウニウさんは」
「ああ、彼女は、そのことをどうにかして知ったらしい。証拠は無かったようだがな」
「そう、ですか」
全てを知ったニウニウは町長の元へ向かった。誰の目にも分かる程の怒りをその表情に浮かべ、しかし誰にもそれを悟られぬよう一人で。
『あなたの仕業ですね』
『不幸な事故だろう? 彼が無くなったのは私も残念だとは思うが、魔物に襲われたのだ。仕方ない』
彼女の拳は血が滲むほど強く握られていた。町長はそれを見て、あろうことか不快そうに眉を顰める。
『何だその手は、まさか私にその拳を向けるつもりか? やはり貴様は丙族だ! 魔王に付いた裏切り者共が、反吐が出る! 私が何をした!? 貴様は八つ当たりでもしようと言うのか!?』
彼女は八つ当たりなどと思ってはいなかった。正当な怒りを私は持っている、そう確信していた。しかし彼女は結局その拳を振るいはしなかった。怒りを飲み込みその場を去ったのである。
そしてその数か月後、彼女は魔物との戦いで命を落とす。最期の時まで決して町を見捨てることは無かった。
「……思うに彼女は潔癖が過ぎた、のだろうな」
「潔癖、ですか」
「丙自治会を立ち上げるに当たって彼女は何度となく言っていた」
ゴウゴウの瞳が遥か遠くを見つめる。その先には過去のニウニウや自分の姿が映っているのだろう。
「丙族がこれから先の未来で他の人たちと対等になる、その為にはその先駆けである私たちは決して間違いを犯してはならない」
「決して、間違いを犯しては……」
「そうだ。山河カンショウの国の法に、ショウリュウの都の法に、冒険者としての在り方に、人としての生き方に、決して間違いがあってはならない。それは必ず丙族の未来を妨げるのだから、彼女は共に在る仲間に、そして自分自身に、刻み付けるように何度も何度もそう言っていた」
丙族の立場はあまりにも低く、多くの者に疎まれる存在だ。だからこそ丙自治会は普通の人達のような丙族も、善性を強く持つ丙族もいるのだと示さなければならない。その為に彼女は決して間違いを犯さないよう自身を強く戒めていたのだ。
「もっと楽な生き方など幾らでもあったはずだ。時間が、いつか丙族の立場を救うこともある。しかし彼女はその時間を少しでも短くしたがった。今を生きる丙族を救おうとしていた」
丙自治会の創設者たちの中でそれを主張したのは実の所彼女だけなのだ。他の者たちは丙族が互助の精神の元で支え合うことを目的とし、精々危険な状況にある者を保護できればいいと考えていた。後のことは時間に任せていれば次の、或いはその次の時代を生きる丙族が普通に生きられるようになるだろうと。ゴウゴウもそんな考えを持っていた一人で彼女の言葉に非現実的だと顔を顰めたのを今も覚えている。結局は彼女の熱意に負けてしまったのだが。
「……だから彼女は、町長に何もできなかったというわけだ」
間違いを犯してはならない。怒りのままに拳を振るえば少しは気分も晴れただろう。そのまま殺してしまえば少しは心も満たされただろう。だが彼女にはそれは出来ない。仮に町長が謀をしていた証拠を持っていたとしても、彼女はその罰を法に委ねなければならないのだから。
瑞葉はそれ以上何も聞くことはなかった。もはや聞くべきことが残っていなかったというべきだろう。しばらくの沈黙の後にまた食事を持ってきますとだけ言ってその場を去って行く。
瑞葉が次に向かったのは町長の息子、ジョセアの部屋だ。何かあった時の為に部屋は聞いていたので彼女は真っ直ぐにそこへ向かう。
部屋の戸を叩くと少し経って返事がある。
「誰だ?」
声はひどく荒れていて、彼の心境をそのまま表しているかのように思えた。
「冒険者の瑞葉です」
彼女の声を聞くとまた少ししてから立ち上がる音がしてゆっくりと戸が開かれる。目の下には隈が出来ておりあまり眠れていないのがわかる。
「何かあったのか?」
大きく見開かれた目は少しばかり恐ろしくもあったが、瑞葉は努めて冷静に受け答えをする。
「いえ、少しお願いがありまして」
「お願い?」
「はい。町長さんの部屋やその周りを調べさせて欲しいんです」
彼女は既にこの事件を解明する為に出来ることをすると決めている。故により詳細に現場周辺を調べることは必須の事項だ。そしてそれには当然、現在の家主の許可を得ねばならない。
「……ゴウゴウ、彼をああして監禁と称するにはあまりにぬるい状態で放置している。この寛大な処置じゃ物足りないか?」
ジョセアはあからさまに嫌そうな表情を見せて彼女の頼みを遠回しに拒否している。数日後に来る予定の他の町の警察に任せる予定だと言ったのにわざわざ調べに来たのが鬱陶しいと感じたのかもしれない。二人の親子仲は相当に悪かったようだが、それでも親子の縁が無かったことにはならない。色々と思うところがあるのだろう。
ただそれらに想像が及んでいても今日の彼女は立ち止まることを知らないのだが。
「私は、冒険者としてまだ日が浅い若輩者です。その短い月日の間ですがゴウゴウさんに教わったことは数知れません。……私はゴウゴウさんがあんなことをするなんて信じられないんです。それなのに黙って見ているだけなんて……。あれほどよくしてもらったのに不自由を強いて何も出来ないのは嫌なんです! お願いします、迷惑はかけないようにしますから」
瑞葉は深く深く頭を下げる。この台詞はここに来るより前に寝袋の中で考えていたものだ。まともに頼んでも取り合ってもらえない可能性は考えていた為、自身の年齢や立場を考えれば同情を誘うのが一番許可を取れる可能性が高いと考えてのものだ。
そして実際、これは効果があったらしい。深々と頭を下げた小さな冒険者を前にジョセアは眉間に皺を寄せている。迷っているのだ。その様子に彼女はもう一押しだと感じていた。
「確実な犯人が見つかれば町の皆も安心して眠ることが出来ます。私にどこまで出来るかはわかりませんが……、それでもせめて機会だけでも欲しいのです。町の皆を助ける機会と、ゴウゴウさんに恩を返す機会、それを私に与えてください」
彼女は縋るように目の前の男の瞳を見つめた。彼の瞳の中で揺れて葛藤する気持ちが渦巻いているのまで見えるようなそんな気がしていた。
そしていつまでも頭を下げて動こうとしない彼女にとうとう根負けしたのだろう。ジョセアは彼女に許可を出したのだった。
町長の部屋へ調査へ向かう瑞葉、彼女の前にはジョセアの姿がある。
「いいんですか? その、こんなことになって、お忙しいのでは?」
歩きながら彼女はそう尋ねたが彼の足が止まることは無い。調査の許可を出す際に彼は自身も同行すると告げたのだ。
「ああ、まあ忙しいさ。親父が町長としてどれだけの仕事をしていたのかは疑問だが、俺は奴の息子だ。とりあえず町長の代理としてこの町を良くしていく義務がある。その為の仕事が無数にあるのはご想像の通り、なん、だが」
彼は大きな溜息をつく。
「朝からほとんど手についてない」
「それはその……」
瑞葉は慰めるべきか戒めるべきか迷った末に何も言えず黙り込む。ジョセアは別に彼女の反応など気にしていないのだろう、勝手に話し始めた。
「……俺と親父の仲はわかるだろ? あんたらの前で醜態を見せちまったしな」
「ああ……」
「だがな、どれだけ嫌っていたってあんな風に殺されて何も思わないわけじゃないんだ」
それは最後に残された親子の情というものだろうか。
「犯人を見つける、それでその報いは受けさせたいと思ってるさ」
瑞葉は無言で隣を歩く男を見上げる。彼は真っ直ぐ前を見て歩き続ける。その目には確かに強い思いが宿っているように感じられた。
町長の部屋へ辿り着きジョセアが扉の鍵を開けて二人が中へと入って行く。そして彼らの調査が始まったわけだが、結論から言えばこれといった収穫は無かった。
「……特に変な所はありませんね」
「そうだな。……まあ俺達は素人だ、所詮こんなものってことなのかもな」
気持ちだけがあっても上手く行かない、それが現実だ。要するにこの結果は現実的に一番有り得そうな事態というだけで瑞葉にとっては想定内の事だった。
「……そういえば、町長さんに最後に会ったのはいつなんですか?」
わかりやすい証拠が見つからないなら別の方法で犯人を見つければいい。まずは詳細な状況を把握するところからだ。昨日はゴウゴウが話を強引に切り上げた為に細かな時系列を把握できていないのだから。
「ん? ああ、直接顔を見たわけじゃないが俺が寝る前には声が聞こえたな。上の彼が帰った後だ。ぐちぐち文句を言っているみたいだった」
「二人が話をしてたのはいつ頃でした?」
「聞いてないのか? 確かここに来たのが日が落ちてからだったから十九時は回ってたと思う、それから一時間ぐらいだったか」
「で、朝に日が昇った頃に死体になってるのが見つかった、でしたね」
「そうだな」
ジョセアが最後に声を聞いてから発見されるまでの時間はおよそ九時間ほどだろう。その時間はあまりに長く、しかも夜であるが故に犯行が不可能であったことを証明できる者などまずいない。つまり部屋にさえ入れるのであれば誰にでも犯行が可能だったということだ。
瑞葉は少し考えた後にここでの調査を打ち切ることに決める。
「啓喜さんにも話を聞いてみたいんですけどどこにいるかわかりますか?」
「……まあお嬢ちゃんの気持ちはわかるがあまり迷惑にならないようにしてやってくれ」
そう渋っていたのだが、結局ジョセアは家の外まで一緒に出て簡単に道を説明してくれたのだった。この先は同行しないようで道の説明を終えるとそのまま戻って行ったが。
ただ瑞葉は別れ際に彼が呟いた言葉が少し気になっていた。
「啓喜はちょっと粗暴な所があるから気を付けろよ」
そんな不安になるような言葉をわざわざ言わないで、彼女は溜息をついてそう思うのだった。
啓喜の家は間に合わせで作った倉庫のような見た目をしている。町が賑わいを見せていた頃はこの家が旅人に見られたら赤倉の町がお前から搾取しているように見えるから建て替えろと何度も言われていたらしい。ただその外観は今となっては町全体の雰囲気と調和していた。
瑞葉が戸を叩くと建付けが悪いのか想像よりも大きな音が鳴り思わず彼女はびくつく。家の中ではその音を聞いた啓喜がゆっくりと立ち上がり、それからふらふらと音の鳴った戸の方へ歩いてそのまま押し開けた。
「ん、と。ああ、昨日の冒険者だったよな」
彼女はその態度が思ったよりも普通なのを見て少し緊張の糸が解けるのを感じていた。
「そうです。その、ちょっと啓喜さんに話を聞きたくて。あ、私、その、町長さんを殺した犯人を見つけたくて。それで話を聞かせてもらおうと思って来たんです」
彼は目の前にいる小さな冒険者を見つめる。その姿はまるで獲物を品定めしているかのようにも見えたが、最終的に彼は踵を返すと瑞葉を手招きする。
「上がっていきな。ジョセアのやつ、あんまりこの話を周りに広めたくないみたいだし、その方が都合がいいんじゃない?」
粗暴な所がある、と言うのは何だったのか。彼女は心の中でジョセアの評価が全く不適当であると断じていた。目の前にいる彼は聞いた言葉から感じる印象よりも理性的であり言動の端からは知性が滲み出ているように感じられた。
中へ入ると啓喜はお茶菓子を用意して瑞葉をもてなす。
「……その、良いんですか? この町はあまり余裕があるとは」
「いいんだよ。少なくとも俺はそこまで困ってないし。お客さんを簡単にもてなすぐらいは出来るって」
「では遠慮なく」
見たことのないお菓子に内心興味が惹かれていた彼女は促されるままに一口食べる。餅の中にしゃくしゃくとした食感の酸っぱい果実が入っていて悪くは無いがどうにももう一歩足りない印象を受ける。
「微妙な味だろ、顔を見ればわかるよ」
「……まあ、そうですね。中のこれは」
「林檎の一種らしいんんだよ。この辺で採れるんだけどどうもこの調理法は違ったよなあ」
そう言って頭を掻く彼の姿を見ていると思わず笑みが零れてしまうような微笑ましさがある。つまらないどじを踏んだ人を見るようなそれだ。
「ショウリュウの都だと酸っぱい林檎は砂糖と煮込んでパンに挟んだりすることが多いですよ」
「へえ、それは良いことを聞いた。この林檎は都に持ってったら売れるかな?」
「どうですかね。実物は見てませんが、果樹園もありますしあまり売れないかも」
なるほどなあ、と彼女の言葉に納得して頷く啓喜。その姿はまるで商売人だ。瑞葉は両親の勤める農場の経営者が彼の様に悩んでいる姿を遠目で見たことがあった。
持ってきたお茶菓子が無くなると二人は本題へと入って行く。
「町長を殺した人を見つけたいんだってね」
「はい。今はその、ゴウゴウさんが疑われているのは分かっているんです。でも私はあの人にはすごく世話になってて、ゴウゴウさんが殺したなんて信じられないんです。だからどうにかして真犯人を見つけたくて、それで」
勢いのままに喋る瑞葉の前に掌が突き付けられる。いきなり圧が強すぎただろうかと瑞葉が頭の中で反省会を始めようとすると、啓喜が顔を覗かせて微笑んだ。
「俺もこの町に殺人犯がいるなんて嫌だしね。手伝うよ」
その言葉に彼女は安心して幾つかの質問を始める。と言っても、時系列の確認に関しては新たな情報など得られない。
「前日は一人で家にいたんだよ。村長に話しに行くのは決めてたからその内容を色々考えててさ。こっちの計画を紙にまとめたりして町にどのぐらいの利益が上がる見込みがあるとかそんな話を一人で色々調べながらさ。まあ朝になって行ったら殺されてて全部無駄になったけど」
そもそも彼は町長の死体発見の前日は家から一歩も出ていないという。当日に外に出てからは町長の家に向かいそこでジョセアと会って後は町長発見の流れ、新たな情報など何も無い。なので彼女は切り口を変えることにした。
「……じゃあ、啓喜さんは町長を殺すとしたら誰だと思いますか?」
その質問を彼にするかはここに来るまで悩んでいた。彼女はジョセアには敢えてこの質問をしなかった。理由は簡単で、彼は常に落ち着きなく少々気性が荒いので尋ねられたことに対して不快感を顕わにする可能性があった。対して目の前の彼は、前評判の粗暴という評価がどうして出て来たのかわからないほど冷静に見える。
そして幸いにも彼女の質問に対してもそれまでと変わりない様子で口を開いた。
「町長を殺すとしたら、か。要するに疑うべきなのは誰なのかってことだろう? 何人か候補はいるけど、一番は今監禁されてる君の上司だと思うよ」
瑞葉は思わずむっ、として目を細めた。
「君には気に障る意見かもしれないけどね。実は昨日ちょっと知り合いと話した時に言ってたんだ。丙族の男がニウニウについて話を聞きに来たって」
「それは……」
「知ってるの? なら話は早いんじゃない? 彼がここに来た翌日に町長が殺されたっていう意味でも彼を疑うのは筋が通ってる」
ぐうの音も出ない言葉に瑞葉は反論のしようも無い。事実、彼女も完全にゴウゴウへの疑いを捨て去ったわけでは無い。
「とは言っても別に彼だけが疑われるべきでは無いとは思うよ。ニウニウさんに世話になったのは町の皆がそうだし、町長についても思うところが色々あるのもそう。俺だってさっさと隠居するなりして席を譲ってくれればいいのにと思ってたし……。ここだけの話、もしも殺しても罰されないのなら殺してたかもね」
瑞葉はその発言に思わず言葉を詰まらせる。殺しても罰されないのなら殺してた、人の本性に触れるようなその言葉に同意できなくもないと思ってしまったからだ。少し前に自分が冒険者の善性を信じそれを裏切られたような気がして戸惑い懊悩していたはずが、自分自身は人を殺す発想に同意するような悪辣さを持っている。人の矛盾じみた心の内を彼女は自身の中に感じていた。
啓喜は少し思い詰めた様子の彼女を見て余計なことを言ったかと少し反省して頭を掻く。それからおどけた口調で続けた。
「ま、ニウニウさんがやらなかったのに俺がやるわけにもいかないけど」
恩義を感じている自分がそれを裏切るわけにはいかない。それはゴウゴウも言っていたことだ。ただ、それを聞いて瑞葉はふと思う。
「ニウニウさんと町長の確執は皆さんご存じだったんです?」
彼はその問いに少し考えてから口を開く。
「まあ全員が全員ってわけじゃないと思うけど。町の皆が世話になったって言っただろ? 町の為に色々とやってたニウニウさんが町長と何度も話し合いを重ねてたのはほとんどの人には周知の事実だったと思うよ」
「……ニウニウさんの旦那さんの事は?」
「……もしかしてゴウゴウさんそこまで調べてたの? 流石に三等星の方となるとすごいな……。そっちについては、まあ、ほとんどの人は知らない。俺は町がこんなでもどうにか商売の手を広げようとしててさ、その中でちょっと小耳に挟んだってぐらい。実際にどんなことがあったのかは知らないよ。何かあったのは間違いなさそうだけどね」
その点はゴウゴウから聞いた点と矛盾しない。少なくとも彼に嘘をつく意思は無いようだと瑞葉は感じていた。
「ニウニウさんについて少しぐらいは話せるけど聞いてくかい?」
「……いえ、少なくとも今回の事件とはあまり関係が無いように思います」
彼女は興味はあったがこれ以上聞くと町長を殺した犯人に同情から見逃してしまいそうでそれ以上の話を聞くのを止める。実際、ニウニウの話をこれ以上聞いたところで町長殺しの犯人と直接結び付くことは無い。
「まあそうだね。他に聞きたいことは?」
「……この町で魔法が得意な方は?」
「ああ、それかあ。まあ聞きたいよねえ。いたら嬉しいかな?」
「……嬉しい、と思うのは悪辣だと思います」
「悪辣! はー、なんだか面白いね、君。」
啓喜はじっ、と瑞葉の表情を見つめている。彼女はその視線が自分の心の中まで見透かしているようで少し不快に思えた。
「で、いますか?」
故に少し苛立ちを顕わにしながら改めて尋ねる。啓喜は少しやれやれと肩をすくめておどけ、それから咳ばらいをして真面目な表情をする。
「魔法が得意ね。要はあの扉を開けれるような人でしょ?」
「窓でも構いませんよ」
「ああ、そういえば窓でもいいよね。あの時ゴウゴウさんが扉を開けたものだからつい。まあどちらにしても僕の知る限りはいないかな」
「いないですか」
「そうだね。これでも結構顔は広いつもりだけど知る限りではこの町にはそんな人残ってないんだ。力のある人は真っ先にこの町に見切りを付けて出て行ったからね。はあ、君を喜ばせることが出来なくて残念だ」
「元々期待はしてなかったので構いません」
言いながら彼女は気落ちしている自分の姿に気付いていた。町の住民の誰かがそんな魔法を使えるのであればその人を犯人と決め付けて証拠探しを始めていたかもしれない、そんな自分の考えがあまりに卑しく感じられ彼女は自らに失望の念すら抱いている。
「僕はそんな考えの方が好きだけどね」
啓喜の言葉に思わず瑞葉はどきっ、として動揺が表情に現れる。全て見透かしているかのような表情が不愉快で彼女は思わず睨んでいた。
しかし啓喜はそれを意に介さず言葉を続ける。
「人なんて表で綺麗事を並べていれば心の内では何を思ってるかわからないんだから、心の内ぐらいは自分の望みに正直になってもいいだろ?」
「私は町の人に犯人になって欲しいなんて思ってませんよ」
瑞葉はとりあえず否定の言葉を口にしたがそもそも否定すべき部分がそこで合っているかも自信が無かった。動揺激しい今の彼女はあまり思考が働いていない。
「……もう聞きたいことも無いので行きます」
「そう? もっとゆっくりしていってもいいのに」
「お誘いは嬉しいのですが色々と調べることもあるので」
憮然とした表情は誘われて嬉しそうにも、それを断るのが心苦しそうにも見えない。
「……君って表面を取り繕う割にはすぐ中身が出ちゃうんだね」
瑞葉は黙って立ち上がると深々とお辞儀をし、そのまま外へと出て行った。今の彼女は頭の中がぐちゃぐちゃでこれ以上は耐えられなかったようだ。
啓喜の家を出ると瑞葉は一人で町の中をぶらぶらと歩いていた。ただでさえこの町の住民は外に出ることが無いのに雪が降っている今は普段よりも人通りが少なく道の中央をふらふらしながら歩いても文句を言われないのはありがたく、彼女はぼんやりと考え事をしながら歩を進める。これと言った目的地は無いが一つの目的はあった。
彼女は自身のぐちゃぐちゃになった思考を整理したかったのだ。啓喜に様々な事を言われて散逸した思考を一つにまとめるのだ。
「すぐ中身が出ちゃう、か」
しかしその作業は中々進まない。彼女は最後に言われた言葉がどうしても気になって気になって集中できない。
彼女は自身の欠点ならばいくつでも挙げられる。その中でも精神的な弱さに関しては最近特に気になっている部分だ。
冒険者になってからと言うもの、学校と農場の往復の日々を大きく飛び越え活動の場が広がった。それは同時に様々な人や物事との新たな出会いがあることを意味する。冒険者になって半年以上が過ぎたがその間に経験したことはこれまでの人生で経験したことに比べて密度濃く、また新たな発見が幾つもあった。本来ならば彼女はそれを糧として前へ進む力に変えて行かねばならない。
ただ、彼女はこれまでの事を振り返る度に思うのだ。私は私自身の力で何かを成しただろうか? と。
「駄目だ、考えを切り替えないと」
こんなことを考えていても何の益体も無いと気付いていたが、一度起こった思考の大波を止めるのは難しい。考えるまいとすればするほど波は大きく、強く押し寄せる。
「……いや」
ふと、彼女は波の中でも立っていられる事に気付いた。
地に足がついていないかのような浮遊感がある。彼女は道を歩いているのか空を歩いているのか水の中を歩いているのか区別がつかなかった。次の瞬間には地上に叩き付けられてしまうかもしれないと思うし、気付けば溺れているのかもしれない、いやそれは錯覚に過ぎずやはり今歩いているのはただの道なのかもしれない。ただどこにあっても彼女は既に歩く術を身に付けている。
「私は弱いなあ」
気が付けば彼女は櫓に戻って一人森の方を見つめていた。今の時間、ここに居れば他に誰も来ることは無いだろう。一人きりで考え事をするには適した場所だ。きっと無意識の内にそう考えてここまで足を運んでいたのだろう。
舞う雪は彼女がいる現実をまるで物語の中にでもいるかのように錯覚させ、未だに奇妙な浮遊感は続いている。まともな精神状態ではないと彼女は自身を評したがそれに問題があるとは思えなかった。足元には吹き込んだ雪が薄っすら積もっており、足跡が彼女のこれまで歩いた道を教えてくれた。
「今は一人だ」
彼女はこの場にたった一人で立っている。
「でも一人きりってわけじゃないんだ」
雪が直接積もらぬよう耐水の布を被せられた荷物を彼女は見やる。その下には自分の他に三人分の荷物が置かれている。エゴエゴ、ハクハクハク、そしてロロの。
「ロロならきっと何があってもそこに立っていられるんだろうな」
昨日、彼女はロロの話を聞いて驚きを隠せなかった。彼女の見て来たロロは悩み事を抱えているようには見えなかった。そんな風に疑ったことも無かった。それでも彼はかっこいい冒険者になると前へ進み続けてきたのだ。
「私はあんたほど単純にはなれないけど……」
ロロならばこんな時にどうするだろう。彼女はそう考えた時に悩むことなく一瞬で答えが出るのを感じた。
「今なら少し共感できることはあるかな」
彼女は思考の洪水が引き起こす大波の中で立っていられるほど強い人間じゃない。彼女自身の力だけでは、だが。彼女の中にはいつだって手を引いてくれる人がいたのだ、同じように悩み、それでも前へ進むことを選ぶ彼の姿が。
「一人で何もかも出来ないといけないわけじゃないか」
彼女は自分自身の力のみで何かを成せたことなど無いのかもしれない。しかし今は、それが大きな問題のようには思えなかった。
「私はこの探偵ごっこを完遂しよう。警察みたいにはなれないけど……、犯人は必ず見つける」
彼女は柵の上に積もった雪を掴む。それを強く握り締めると手の中で少しずつ溶け水になって行く。しかし再び彼女が手を広げた時、そこには細い一本の氷があった。
森の中には複数の箇所で多くの魔物の死体が横たえられている。
「これだけ派手にやったら流石に洞穴に残ってる連中も気付いてるだろうな」
エゴエゴが木の上から飛び降りて呟く。それを見て木の陰に隠れていたロロも外に出て来た。倒されているトウボクサイの死体は血が噴き出したのだろう、周囲を赤く染めて薄っすら積もっていた雪をその熱が溶かして行く。
「なあ、これ町に持って帰れないかな。確かトウボクサイって食べられるよな?」
トウボクサイの肉は一応食用である。ただし、皮が剝ぎづらく処理が面倒な上に肉も硬くてまずいのであまり好んで食べられることは無い。
「町の連中食わねえと思うぞ」
「みんな食べるのも困ってるんなら俺はこれ食べようかと思って」
「はー、殊勝なこった。まあでもやめとけ。まだ仲間が洞穴に残ってたら血の臭いを辿って町に来るかもしれねえ」
ロロは死体を彩る血の赤を見る。まるで元からあった模様かと錯覚するほど大量に出ており、多少洗ったところで臭いが落ちないのは容易に想像がついた。
「そういえば聞いた気がするな。じゃあ止めとこ。迷惑かけちゃ意味無いもんな」
そんな会話をしている間にハクハクハクも木から降りて二人に合流する。
「ハクハクハク、まだ体力は大丈夫か?」
「だ、大丈夫! だよ」
今日一日だけでも多くの魔物を倒しそれなりに消耗しているはずだが彼女は力こぶを作ってまだまだやれると訴える。
「エゴエゴさん、どうする?」
「……まあ時間も時間だしな。もう一発やると日が暮れちまうかもしれん。洞穴の様子を見てからそのまま町に戻るのが吉だな」
「だってよ。また明日だな」
「あぅ。うん、明日も、頑張る」
そのまま三人は早足で洞穴まで向かう。そして近くの木陰に身を隠しながらしばらく様子を覗った。日が段々と傾いて行くのを感じるだろう、しかし彼らの目の前を通り過ぎるのは時間ばかりだ。退屈さにロロは欠伸などする場面すらあった。
「……明日は、一旦あそこに入って見てもいいかもしれんな」
エゴエゴがその様子を見て呟いた。
「入っていいのか?」
「魔物の出入りが無い。俺達が倒した魔物の数を数えたか?」
「え? あー……」
「お、大きいのも、小さい、のも、入れたら、……五十体ぐらい、は、倒した、と、思う」
「そうだな。そのぐらいは倒した」
囮作戦で一度に釣れるのは精々数体だ。彼らが如何に迅速にその作戦を繰り返したかがわかる数字だろう。
「魔物があれだけ寄り集まってるのは凄いが、それだけの数を倒したんなら中にどれだけ残ってるかは疑問だ。そもそもあそこは百や二百も魔物が暮らせるぐらい広いのか? 入り口付近だけでも調べに行く価値はあるだろ」
「確かに。一昨日いっぱい入ってるのは見たけど、五十も減らしたんなら残りの数は結構少ないはずだよな」
ハクハクハクもその主張に頷く。洞穴の中に入って行った数を正確には覚えていないが少なくとも半分ほどは倒したのは間違いない。様子を見るには良い機会だろう。
「そうと決まれば今日は戻るぞ。明日に向けて策も練らにゃならん。お前たちは休んで万全の状態にしとけよ」
「わかったぜ!」
「は、はい!」
二人は明日の大きな戦いを前に気合を入れるのだった。
ロロたち三人が町へ戻るとエゴエゴは明日の準備があるからとすぐにどこかへ行ってしまった。二人は体を休めに櫓へと向かう。
「お帰り」
二人を出迎えたのはしんしんと降る雪を背景に黄昏れている瑞葉だった。
「おー、ここに居たのか」
「見張りだからね。大事でしょ? 二人共元気そうね」
「まあな。怪我一つ無いぜ」
「私も、大丈夫だよ」
「ならよかった。お腹空いてる? 食堂のおばあさんにスープ貰って来たから温めようか」
瑞葉は荷物をまとめた場所から小さな鍋とそこになみなみと注がれたスープを取り出す。
「ここって火使っていいのか?」
「大丈夫よ。昔も冬の寒い時期なんかは中央に焚火台を置いてたとか」
準備の良いことに荷物の中から火焚き台を取り出しそこに網を、そしてその上に鍋を置いた。そして魔法で火を起こすと三人は火にあたって今日の事を話し出す。ロロがたくさんの魔物を引き付けて倒したのだと自慢げに言って、瑞葉はそれに微笑みで返す。ハクハクハクも時折ロロの言葉に注釈を付けるように口を挟み、それに対してとぼけるようにそうだったか、なんて声も聞こえた。
仲の良い子供たち三人の穏やかな時間だ。
「瑞葉の方は何かあったか?」
ロロがそう尋ねるまでは、だが。
瑞葉はその問いに対して少しだけどう答えるべきか迷った。なにせ事が事だけにもしも自分の考えが間違っていたならば周囲にかける問題が多いと感じていたのだから。しかし彼女は結局、その考えを口にした。
「多分、だけど……。犯人分かったよ、町長さんを殺したさ」
ロロとハクハクハクは最初その言葉の意味が分からなかった。二人はそもそも彼女が犯人捜しをしているなどと思っていなかったので唐突に出て来た言葉が上手く飲み込めなかったのだ。しかし時間と共にそれを飲み込み理解していく。
「……犯人、町長さん、殺した?」
「んぇ、え? 瑞葉ちゃん、えと、犯人を?」
「多分だけどね。絶対に間違いないとまでは言わないけど……、ほぼ間違いないと思う」
二人はぽかんと口を開けて驚きを顕わにする。先に我に返ったのはロロの方だった。
「え、犯人捜ししてたのか? 昨日からか?」
「まあ、そうなるかな。色々あってね、出来る範囲でやってたよ」
「で、わかったのか?」
「明確な証拠があるわけじゃないよ。でも状況から見たら多分間違いないとは思う」
彼女はロロたちが戻ってくるまでの間そのことをずっと考え続けていた。自身の考えに間違いがあるのではないかと何度も思い返したが、とうとう間違っているという考えは抱けなかったらしい。今や彼女は容疑者を一人に絞り込み、後はどうやって犯人であると自供させるかを考えているぐらいだ。
「お前はお前で頑張ってたんだな」
「まあね。それより早く食べましょ。スープも温まって来たわ」
瑞葉がスープを一混ぜすると湯気が大きく立ち上る。彼女は思わずのけぞり、まるで霧のようだと思った。しかし彼女はその向こうでロロやハクハクハクがいることは知っていたし、そもそもこれはまやかしの霧に過ぎないとも知っている。いや、或いは自分が本物の霧だと感じたことすら周囲から見れば滑稽だろう、なにせこれはただの湯気なのだから。
結局のところ、これは彼女が自身の内に抱えている迷いを目の前の湯気に重ねているだけに過ぎないのだ。そうと決まればこの霧を脱するには正面からそれと向き合う他に道は無い。
「……ねえ、二人共。これ食べたら町長さんの家に行こうか」
それは彼女にとって一世一代の決心だった。
「そこで私の考えを明かすよ」
彼女は今から人を犯人だと決め付けに行くのだと自覚していた。しかしその一方で少しだけ高鳴る鼓動が聞こえた。まるで物語の主人公の様に犯人を指差し声を高らかに上げる場面を想像していた。いつかそんな夢は醒めると知っていてもそれは今では無い、そう自分に言い聞かせ彼女は戦うことを決めたのである。




