36.冒険者の抱える悩み
山河カンショウの国、赤倉の町。その町長の家の二階にはあまり使われていない物置がある。掃除もいい加減で人の出入りが無い場所だから埃っぽく誰も寄り付かない。そんな部屋も今日は少し騒がしくなっていた。
「ゴウゴウさん、何であんなことを!」
荷物を端にどけ場所が空けられた部屋の中央、椅子に全身を縛り付けられら状態のゴウゴウは瑞葉の動揺と怒りが入り混じった言葉を黙って聞いている。
「瑞葉、落ち着けよ」
「落ち着いてられるわけないでしょ!」
ロロが宥めようとするもどうやら逆効果のようだ。
「多少揉めたってゴウゴウさんが人殺し何てするわけないでしょ! だから絶対こんなのおかしいじゃない!」
そのままそこら辺の物にまで当たりそうな勢いで叫ぶ彼女に後ろに控えているロロとハクハクハクは思わず縋るような目でゴウゴウの方を見た。そしてそのゴウゴウは大きな溜息をつくとようやく口を開く。
「瑞葉、そう声を荒げるな」
「でも!」
「あの場を納めるにはこれが一番穏便に済む方法だった」
町長の殺人が密室で行われたとわかった瞬間、ゴウゴウは周囲の視線が集まるのを感じていた。その中でも明確に疑いの目を向けていたのはこの町の住人であるジョセアと啓喜の二人だ。なぜなら二人はここに来るまでの道中に既に知っていたことがある。
「丙自治会会長のゴウゴウ。噂に聞いたことぐらいある、様々な魔法を扱う凄腕の冒険者でありながら丙族の地位向上の為に様々な施策を行っているとな。そしてあんたは昨日、うちの親父に会いに来た。魔物討伐の件に関して相談があると言って」
「それは間違いない、事実だ」
「そしてその時に親父が声を荒げていたのもよーく聞こえたな。少し気に障ることがあるとすぐに怒鳴るもんで、他の部屋にいても聞こえちまう」
「そうだろうな。殺された者の名誉を汚すようで申し訳ないが、彼は少し怒りを感じやすいようだ。情緒不安定とも言えるな」
「怒りを感じやすい、か。あんたもそうだったんじゃないか? 交渉が上手く行かなかったことに怒りを感じていた。そしてその報復に親父を殺した、そうなんじゃないのか?」
ジョセアの口からは留まることなくゴウゴウを疑う言葉が出て来る。
「聞いたことがある、魔法を極めれば遠く離れた物をも簡単に動かすことが出来ると。その気になれば家の外から鍵を開けることもあんたなら簡単なんじゃないか? そうすれば中に忍び込んで短剣を突き刺し元に戻して逃げるだけ」
その想像は部屋が密室であったことを聞いた際、瑞葉の頭の中に真っ先に過った想像であった。無論、彼女はゴウゴウがそんなことをするとは思っていないが、もしもこの場でそんな真似ができる者がいるとすれば。
「あんたが俺の親父を殺したんだろう」
ジョセアは鋭い目でゴウゴウを睨み付ける。それを受ける彼はただじっと黙って何も言おうとはしない。どうして何も弁解しようとさえしないのか、皆がそんな疑問を抱き始める。
「何か言ってみろ!」
カチャッ。
ジョセアが叫ぶのとほぼ同時に音が鳴った。その音は扉の方からで皆の目がそちらを向く。
カチャッ、カチャッ。
扉を内側から開け閉めするつまみがひとりでに動いて音を鳴らしている。
「成程、確かに俺ならこの所業も可能らしい」
ゴウゴウが落ち着き払った声でそう言った。他の皆は思わず言葉を失う。
「いくら鍵が特注の物であっても内側からはあのように簡単に開閉できる仕組みであれば突破するのはそう難しくは無い。なんなら窓の外から鍵だけでなく扉も開けて見せようか?」
それはもはや自白にも近しい言葉の羅列だ。自身の疑いを晴らそうとするのではなく寧ろ疑いをより深めようとする暴挙。
そんな言葉の数々に最も驚きを見せていたのは意外にも疑いをかけたジョセア自身だった。
「……な、何を言っているのかわかってるのか? それともお前は町長を、親父を殺したと認めると、そう言いたいのか?」
ゴウゴウはその問いに何と答えるべきか悩んでいるようだった。明らかに狼狽えているジョセア、疑惑の目を向ける啓喜、困惑した様子のエゴエゴ、彼ら三人の様子をしっかりと確認している。そしてそれからロロたちの方を見て、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「……その問いに対してはこう答えよう。俺は町長を殺してなどいない、と」
「ならなぜあんなことを」
「先ほど見せたように確かに俺ならばあの状況でも町長を殺すことは可能だろう。そして昨日町長との交渉で多少揉めたのも事実だ。動機があり、殺害が可能となれば疑うには十分な理由になる」
「それはあんたが殺したってことじゃないのか?」
「しかし俺は殺していない」
ゴウゴウは確かに現状判明している事実では最も疑わし人物が自身であるということを認めていた。しかしその一方で殺したのかという問いだけは完全に否定していた。
「少なくとも三日話せば何かしらの成果を出す自信があった。この町に混乱を起こすのも不本意なことだ。故に町長を殺す理由は俺には無い」
「も、揉めていただろう。かっとなってってことも」
「人同士の行いである以上、その可能性を否定しきることは不可能だろうな」
自らの潔白を証明したいのか、或いは自らが犯人であると言いたいのか、理解し難い言動を繰り返す彼を周囲の者は奇異の目で見ている。
「何が言いたいんだお前は」
声を荒らげるジョセアをゴウゴウは手で制する。そしてある提案をした。
「俺が何を言おうと疑わしいのは事実だろう。しかし一方で証拠が無いのもそうだろう?」
ジョセアは言葉に詰まる。現状、誰がやったのかを証明できる証拠など何も存在しない。ここに居る誰もが殺人の捜査に関して専門的な知識を有しておらず証拠の探し方すら覚束ないのだから。
「故に俺はこう提案しよう。この件に関しては近隣の町から警察を派遣してもらい解決する。そしてそれまでの間は最も疑わしき者として俺を拘束しておけば良い」
「……拘束?」
「ああ。手足を縛り付けて部屋に監禁でもすれば良い。とりあえず犯人らしき人物を拘束しているとすれば町の平穏も戻ろう。魔物退治に関しては、彼ら四人でもなんとかすることは出来るだろうし問題は無いな」
その提案に誰もが唖然としていたが、最終的にジョセアはその提案を飲んだ。そしてゴウゴウは椅子に手足を縛り付けられ物置と化していた部屋に置かれることとなったのである。
ゴウゴウの監禁場所は人の出入りが自由で監視も無しと言うことになっている。ジョセア曰く自らその提案を行った温情と言うことらしい。
「俺一人が疑われるだけでひとまずはこの町に平穏が戻る。この結果は中々悪くない」
ゴウゴウは自身の選択とその結果に満足しているようで心穏やかだ。
「でもそれでそんな風に縛られるなんて」
寧ろ本人よりも周囲の方が気に病んでいるぐらいである。怒りからか身体を震わせる瑞葉を宥めながらロロが口を開く。
「なあゴウゴウさん。何て言うか、その、俺はゴウゴウさんも瑞葉も両方の気持ちがわかるような気もするんだけどさあ。これからどうするんだ?」
そう、問題はこれからのことだ。
「ゴウゴウさんはやってないんだろ? だったら町長さんを殺した人がまだいるってことだろ? それに魔物もまだいるし」
「そうですよ! 魔物も! 殺人鬼も! どっちもまだいるんですよ! こんなところで縛られてる場合じゃないじゃないですか!」
「おいおい」
「み、瑞葉ちゃん、落ち着いて……」
手を振り上げて興奮する瑞葉をロロとハクハクハクが抑える。ゴウゴウもその勢いに押されて目を丸くしていた。
「まあ、その辺りに考えが無いわけでは無い」
「……とりあえず聞きましょう」
瑞葉は振り上げた拳を下ろして話を聞く体勢に戻る。普段よりも態度が大きいのは怒っているからだろう。それを察してゴウゴウはこれ以上は怒らせないよう頭の中で話を整理する。
「まず、目に見えている明らかな危険である魔物だが……。あれは現状では比較的警戒の必要が薄い」
「……町長さんが死んだから、ですか?」
「気付いていたか」
町長が死んだことによって魔物と戦う際の面倒は結果的に解決している。依頼主であるジョセアや覇気のない住民たちは冒険者が魔物を倒す際に多少周辺の環境を乱したところで気にもしないだろう。瑞葉はそれにとうに気付いていたが、それ故にこれまで言えずにいたのである。
このことが示すのはこの殺人は冒険者一行に利するものであるという事実なのだから。
「……確認しますけど、ゴウゴウさんじゃないんですよね?」
「ジョセアに言った通りだ。俺が町長を殺す理由は無い」
「そうだぞ、ゴウゴウさんが殺すわけないだろ」
本人に確認せずとも、ロロに言われずとも瑞葉はそんなことは分かっていた。ただどうしても彼女は疑わずにいられなかっただけなのだ。町長の死が自分たちにとって利益をもたらすのなら、それを行ったのは自分たちの中の誰かなのではないのかと。
「……ロロ、ハクハクハク」
「ん?」
「む」
「お前たちはエゴエゴの所に行ってくれ」
ゴウゴウが監禁状態になるとエゴエゴはすぐに魔物の様子を見に物見櫓へと向かった。ゴウゴウが一時的に戦力から離脱するとなるとより魔物の様子を密に監視する必要がある。また町長という面倒ごとが減ったこともありこちらから討って出る機会も早まるだろうと策を練り直しているところだ。
「現状では全員で町を離れるのは悪手だ。俺がこの場に留まる必要がある以上お前たち二人はエゴエゴと共に魔物の討伐を頼む」
「わ、わかりまし、た」
「瑞葉はどうするんだ?」
「魔物が不意を突いて町に来る可能性もある。瑞葉がいれば多少は時間を稼げるだろう」
たった三人では相手の数に対してあまりにも少なく、何かの間違いで町へ通してしまう可能性を考えるのは自然な事だろう。しかし瑞葉は向かってくる魔物を想像して眉を顰める。
「え、いや、私一人じゃどうにもできませんよ?」
瑞葉は魔法によって敵の足を止めるなど味方の支援は得意だが、直接的な攻撃力に欠けるのは大きな欠点だ。ハネトカゲほどの小型の魔物はともかくトウボクサイ辺りになると致命傷を与えるのは難しい。故に他の二人が残った方がましなのではと考えていたが。
「少し時間を稼げば俺が出る」
そんな考えを断ち切るようにゴウゴウが力強くそう言った。三人は思わず彼を縛り付ける縄を見つめる。
「その気になればこんなものを抜けるのは容易い。そのぐらいは俺を縛り付けたジョセアもわかっていることだ」
熟練の冒険者を完全に無力化することは難しい。大抵の状況では鍛え上げた肉体と魔法を駆使してあっさりと抜け出すことが出来る。魔力を吸収する鉱物を付けた頑丈な手枷足枷を持っていることもあるが、これはかなり貴重な物であり山河カンショウの国では国王直属の部隊がそのほとんどを所有している。そうでない場合は一例を挙げれば対象の持つ魔力を遥かに超える魔力によって強度を増した部屋に閉じ込めるなどがあるだろう。
では単なる縄はどうかと言えば、その気になればロロでさえ火傷を覚悟で火を出せばなんとか抜けられるだろう。瑞葉やハクハクハクならば風の魔法辺りで切ってしまうかもしれない。その程度の拘束だ。
「ここに留まっているのは俺に争う意志が無いという証明でしかない。町の危機となれば先に魔物を討伐して再びここに戻って来るだけだ」
「要するに私は魔物を確認し次第ゴウゴウさんを呼べばいいってことですね」
「そういうことだ。逆に俺がいる以上は二人も三人もこちらには必要ない」
「……なるほどなあ。よーし、行こうぜハクハクハク!」
「え、わ、わわわ」
ロロがハクハクハクの腕を引っ張って走り出す。部屋の外からどたどたと聞こえる足音とハクハクハクの鳴き声が響くのを残った二人はそれが聞こえなくなるまでじっと耳を澄ませていた。
そして静寂が部屋の中に訪れる。
この静寂は気まずさから生まれたようなものではない。二人して示し合わせたかのように黙り込んだのには訳がある。外からは何も音が聞こえていなかったがゴウゴウは瑞葉に外を確認するように顎で促した。瑞葉は何も言わずその指示に従う。廊下へ顔を出し左右を確認、それも念入りに確認して扉を閉めた。
「誰も居ませんよ」
「そうか」
そしてゴウゴウは瑞葉に本当の指示を与える。
「瑞葉、お前は町長を殺した犯人を突き止めて欲しい」
その言葉を聞いて思わず彼女は唾を飲む。悪い想像が当たってしまった、と心の中で呟いていた。
ロロとハクハクハクが物見櫓へ向かうとエゴエゴがそれに気付いて下に降りて来る。
「よう、二人だけか?」
「ゴウゴウさんがその方が良いって」
ロロが先ほどゴウゴウにされた話を説明する。
「成程、まあ旦那らしい考えだ。要するに俺たちは三人で魔物を退治して行けってことだな」
「あ、あんなにいたのに、三人、だけ、で、大丈夫?」
彼らが確認している魔物の数は少なく見積もっても数十体はいる。その中には比較的危険性が少ない魔物も含まれるとはいえ、ハクハクハクはあまりの数の差に不安になっているようだ。
「でもどうにかなるだろ。ほら、ハクハクハクの魔法も思いっきり使えるし、エゴエゴさんもいるし」
対してロロはあまり心配していないようで鼻歌でも口ずさみそうなほど気楽な調子だ。実際、どちらかと言えば現状はかなり余裕がある方でエゴエゴもロロに同調する。
「別に全部の魔物を一辺に相手するわけでもないからな。昨日ゴウゴウの旦那も言ってたろ? 洞穴に突っ込むのはあり得ないって。まずはちまちまと数を減らすところからだ」
エゴエゴが二人に今日の作戦を話し始める。とはいえやることは単純だ。洞穴から出て来た奴らを離れたところに誘き出し殲滅、その繰り返しだ。
「じゃあ俺が囮になって二人が待ってるところまで連れてくればいいんだな」
洞穴から出て来た魔物を釣り出すのはロロの役目だ。石を投げるなりして気を引いた後に魔物とつかず離れずの距離を保ちエゴエゴとハクハクハクが待っている地点まで逃げて行く。
「一番危険な役割だ。危ないと思ったら魔物なんざ置いてってもいいから逃げるのを最優先。わかったか?」
「わかってるって」
ロロは危険な役回りを受け持っているとは思えないほど緊張しているような様子を見せない。エゴエゴは若干不安にはなったが今日まで見て来た彼の能力を今回は信じることにした。
「よし、そうと決まればゴウゴウの旦那と瑞葉に俺たちの予定を共有してくる。お前たちは魔物の動きを見ていてくれ」
「任せろ!」
「あ、わかりま、した」
そのまま彼は走り去って行く。残された二人はその背が消えるのを見届けると。
「じゃあ俺たちは上で監視だな」
「う、うん」
そう言って物見櫓の上へと登って行く。
物見櫓の上は風が強く吹いていた。風除けも何も無いここでは風の冷たさが身に沁みる。
「結構寒いな」
「そう、だね」
時節は冬、彼らは防寒着を着てはいたが冷たい風はそれだけでは防げないようだ。ロロは体を少しでも暖めようと屈伸をしたり伸びをしたりと少々騒がしい。
「そ、んなに動いたら、疲れちゃう、よ」
思わずハクハクハクがそんなことを言う。少しでも体を縮めて外に身体の熱を逃がすまいとしていて、二人が並んでいるとあまりに対照的に映るだろう。ロロは動きを止めるとじーっと彼女の方を見る。
「え、う、うぅ」
ハクハクハクは見つめられていると委縮して更に小さくなる。ロロはそんな彼女の後ろにさっ、と回ると脇に手を入れて持ち上げた。
「わ、わっ、わ」
「はっはっは、そんな縮こまってたら咄嗟に動けないぜ!」
「あ、あうぅ……、そ、そうだね」
ハクハクハクが落ち着いたところでロロは彼女を下ろすと、櫓の端、町の外が良く見える位置へと向かう。
「俺はさ、難しいことわかんないし出来ないからさ」
風の音に混じってその声がハクハクハクの耳に届く。彼女はその言葉が他の誰かに向けてと言うよりは自身に言い聞かせているかのように感じられた。
「せめて町はちゃんと守らないとな」
「……あ、の」
その呟きに彼女は何か言わなければならないと声を上げたがその先が何も出て来ない。頭を働かせ知恵を振り絞り自分の抱いている気持ちを言語化しようと試みたが、どうしても上手く言い表せられないのだ。
やがて彼女はそれを諦めてロロの隣に並び魔物の動きに目を光らせるのだった。
赤倉の町の中を瑞葉が一人歩いている。彼女は町長殺しを疑われている冒険者の仲間という立場上、住民からの視線をかなり気にしていたのだが幸いにも住民は彼女に目もくれていない。どうやら犯人候補として拘束されているのがゴウゴウであるということをジョセアと啓喜が外に漏らさないようにしているのだろう。
彼女はとりあえず朝食にパンを一つ買うと人目を忍んで路地へと入り込む。
「……はあ、大変なことになったなあ」
大きな溜息をつきながら彼女は食事を始める。考えているのはゴウゴウが彼女に出した指示に関してだ。
「町長殺しの犯人を見つけろなんて……、まるで小説か何かだよ」
彼女は冒険者の出て来る物語を好むが、その中には稀に冒険者が依頼中に起こった奇怪な事件を解決に導くものもあった。主人公は古今東西の知識を備え、機智に富み、類稀な行動力で以て犯人を捕らえるのである。しかし彼女はそんなものを読む度に思うのだ。
「私には向いてないと思うんだけどなあ」
彼女は自身の知識量は多くの先達に比べ明らかに少ないと自覚している。咄嗟に何か起こった際には動揺し頭が真っ白になるし、いつも幼馴染のロロが手を引いてくれるから進むことが出来る。そんな自分がどうして事件解決の主役になれるのだ。
しかし彼女は人並みの責任感と言うものがあった。
「でもまあ、頼まれた以上は、やるだけやらないとかあ」
考えれば考える程に憂鬱になる彼女であったが、未だ底は知れていないことを彼女は知らない。更なる憂鬱をもたらす使者が今、やって来る。
「お、いたか」
「え?」
その声は頭上から響いてきた。聞き覚えのある、というか共に依頼を受けた人物の声だ。
「エゴエゴさん、魔物の様子を見に行ったんじゃ?」
建物の屋根からエゴエゴが彼女を見下ろしている。瑞葉は驚きからか心拍数が上がるのを感じていた。
「まあな、っと」
彼は問いに答えながら飛び降りる。瑞葉は目の前に相対する体格の良い丙族に思わず後ずさりしていた。
「もしかして向こうで何か?」
「いや、まだ何も。ただこっちの予定を伝えておこうと思ってな」
エゴエゴはこれから洞穴付近に向かい出て来る魔物を片っ端から余所へ引き付けて数を減らしていくことを説明する。
「昨日ちょっと話してたやり方ですね」
「ああ。とりあえず数を減らさねえとな。俺だって今の状況で洞穴に突っ込みたくはないからな」
瑞葉は昨日の様子を思い出しながら、三等星であっても流石にあれだけの数を一度に相手はしたくないのかと冷静に分析していた。
「ゴウゴウさんにも伝えておきましょうか?」
「ん? ああ、いや、旦那には俺から伝えとく。それよりもお前には頼みがあるんだよ」
頼みがある、それは嫌な既視感がある言葉だった。瑞葉は想像したくも無いのに次の言葉を考えてしまう。どうか次の言葉が、こんなものではありませんように、と。しかし。
「……町長殺しの犯人捜しをな」
嫌な想像とはいつだって当たってしまうものだ。彼女の表情は強張り息を呑む。ゴウゴウに続けて同じ頼みをされるとは、厄介なことになって来た、そう彼女は感じていた。
「な、え、と。近くの町に警察の派遣を要請するのでは?」
「待ってられねえだろ、何日かかるかわかんねえぜ? こっちで出来ることはするべきだ」
「でも、えと、手掛かりも何も無いですし」
瑞葉はとりあえずといった体であまり前向きになれないことを伝えようと口から適当な言葉を発していた。しかし不意にエゴエゴの表情が変わったのに気付く。
「あるんだ」
彼は力強くそう断言した。普段の彼は少しやんちゃだが気のいい兄ちゃんと言った様子を見せているが、その時ばかりは不思議と背筋に冷たい物が走るような怜悧さを持っていた。
「瑞葉、お前を信用してこれは言うんだが……、他の誰にも言わないで欲しい」
あまりに真剣な、いや、真剣さを通り越して圧力すら感じられる様子に瑞葉は思わず襟元を摘んで呼吸を整える。
「……わ、かりました。他の、誰にも、言いません」
口元が渇き普段なら一息に言える言葉が幾つにも区切らねばならない。彼女はいつの間にか自分が恐ろしい事態に巻き込まれていることにようやく気付いたのだ。
そしてエゴエゴはそんな彼女にある秘密を伝える。
「町長の部屋の窓には、魔力が残っていた」
魔力を内包する物質はかなり貴重なものだ。例えばそう言った木々の生えた森を見つければ一財産稼げるし、そんな鉱石が掘れる鉱山が見つかれば国の一大事業になるだろう。そしてそんな貴重なものは多少豪華な屋敷だろうがたかが窓一枚に使われることは無い。
しかし魔力の無い物質にも人が魔力を纏わせることは簡単にできる。
「魔力を纏わせた物質や魔法を使った空間に多少の魔力が残ることがあるってのは知ってるか?」
「聞いた、事が、あります」
「そうか。つまり俺が言いたいのは窓の鍵が魔法によって開けられたって事実だ」
それはつまり。
「……ゴウゴウの旦那が町長を殺したかもしれねえんだ」
この町の住民にどれだけ魔法で窓の鍵を開けられる者がいるだろう。ジョセアの言を信じるならこの町には魔物と戦えるような者はいないらしい、つまり魔法の扱いに長けた人物は少ないと考えられる。無論、鍵開けと魔物との戦闘に必要な魔法には大きな差があり、戦えずとも鍵開けは出来ると言う器用な者もいるだろう。しかしあのうだつの上がらぬ住民たちが高度な魔法を使えるとは思えなかった。
しかしゴウゴウならば? 彼は町長の部屋で彼は遠く離れた位置のドアの鍵を簡単に開けて見せたのだ。窓の鍵も当然あっさりと突破してしまうだろう。
「……でもゴウゴウさんは、その、都でも似たようなことをして来たんですよね? 今更ちょっと揉めたぐらいで殺すなんて」
「それがそうとも言い切れない理由があってな」
ゴウゴウが丙族への反感、差別的感情と戦ってきたことは疑いようも無い事実だ。そしてその全てを彼は常に冷静で落ち着き払った態度で、決して内心の怒りを顕わにすることなく対処し続けて来た。瑞葉の言う通り今更ちょっと揉めたぐらいで人を殺すことなどあり得ない。
ふと、瑞葉は思い至る。町長と揉めた理由が魔物退治のことで無かったとしたら?
「旦那がこの町に来た理由、知ってるか?」
「……魔物退治、だけじゃないんですね」
エゴエゴがその言葉に頷く。
「旦那は宿に頼んでたんだ、もしも赤倉の町から依頼が来たなら自分に回して欲しいってな」
「ここに来たかった、ってことですか?」
「……昨日の昼に食堂で話が出たろ」
瞬間、瑞葉は食堂の店主が話していた女性の事を、飾られた写真の中でも肌を隠していた彼女を、森で彼女を古い友人だと言ったゴウゴウの横顔を思い出していた。
「ニウニウ、さん、ですか?」
エゴエゴはその問いには答えずただ目を閉じて唇を噛んでいた。それは遠い昔を思いその時に戻りたいと渇望するも、もはや戻れぬ悲哀を含んでいる。
「丙自治会は数人の丙族が集まって創ったんだが、その中にはゴウゴウの旦那やニウニウがいた」
瑞葉はその言葉でゴウゴウが抱いている彼女への思いの強さ、その源泉を理解する。どれほど言葉を尽くしても言い表せられない程の関係が二人にはあり、だからこそ古い友人と短い言葉しか出なかったのだと。
「俺が自治会に入った頃は二人が先頭に立って皆を引っ張ってた。わざわざ言葉を尽くさなくても互いに通じ合ってるって感じでな、長く苦楽を共にした戦友ってやつだったんだろ。ニウニウは自治会が大きくなった頃に赤倉の町に移住したが、時々旦那に顔を見せに来てたんだぜ。最近は手紙も来なくなったのを旦那は心配してたさ。だが旦那も多忙だ、あの人は自治会を率いる長だからな。それだからニウニウも安心して余所へ行くことが出来たんだろうし、いい加減は出来ねえだろ。だから中々こんな風に来ることもできなかった」
エゴエゴが語る二人の話、しかしその結末を瑞葉は既に知っている。
「……なあ」
だからこそ、彼女は。
「ニウニウはどうして死んだと思う?」
ゴウゴウが町長を殺す姿を脳裏に浮かべていた。
エゴエゴが去り一人路地の壁に寄りかかる瑞葉。彼女の手は服の襟元を首を絞めてしまいそうなほどに強く握っている。
「……っ、ぁ」
何か声を上げようとしているのか、口元が何度も様々に動くが、そこから発せられるのは意味を持たない音だけだ。
頭が痛い、眩暈がする、立っているのも嫌になる、このままここで横になりたい、そして全て忘れてしまいたい。そんな思いが彼女の中で渦巻いている。そしてようやく彼女は言葉を絞り出す。
「私には、荷が重いよ」
彼女の目には涙が滲んでいた。
実際の所、彼女はこうなることをエゴエゴが来た瞬間には、或いはもっと前の時点で、気付いていたのかもしれない。ただずっと気付かないふりをしていただけで。
彼女は町長殺しの犯人捜しをゴウゴウに頼まれてから、誰ならば殺す可能性があるだろうか、その問いの答えをずっと考えていた。彼女の知る限りにおいて最も疑わしい人物は町長の息子、ジョセアだ。彼ら親子の中はすこぶる悪く、特にジョセアは町長に対して憎しみに近い感情すら抱いているように見受けられた。言い争いの内に弾みで殺してしまうということは十分にあり得る。
次にジョセアと同じ第一発見者である啓喜。彼は町長に融資の依頼に来ていたと言っていたが、話を聞く限りそれが実現する可能性は低そうに感じられる。そうなると実は前日に一度話に来てその際に話しが拗れ殺害してしまったということも考えられる。朝に来たのは話をまだしていないと言い張る為の偽装だろう。
ここまでならば問題はなかった。しかし考えを進めて行けば自然と他の可能性についても彼女は思い至ってしまう。
三人目、ゴウゴウ。これは先にエゴエゴがその動機について解説してくれた。そして本人がその実行可能性に関しても実演してくれている。部屋へ通ずる唯一の鍵が部屋の中にあったという事実を考えれば彼が最も怪しいとも言える。
そして四人目。
「……エゴエゴさんに鍵開けできるか聞き忘れたな」
エゴエゴ。彼が犯人であるかもしれないとゴウゴウが言ったのだ。
時は少し遡り、瑞葉がゴウゴウに犯人捜しを頼まれた時の事だ。
「……殺人事件の犯人探しなんて一冒険者、それも私みたいな新人のすることじゃないと思いますけど」
彼女はやんわりと断ろうとそんな言葉を口にしたがゴウゴウの目は鋭く、決して断ることを許さないような雰囲気があった。
「……まあ、やるだけはやってもいいですけど」
その様子に怯んだ彼女は視線を合わさずに承諾の意を示す。
「でも手掛かりになりそうな物もありませんしどうしようもないような」
しかし結果が出ずとも仕方ないと言わんばかりに予防線を早速張った。
「手掛かりはある」
その予防線を破るように力強く言ったゴウゴウは、しかし次の言葉を中々口にしようとしない。まるで出来ることなら隠しておきたいことかの様に躊躇っている。
「ゴウゴウさん?」
彼は首を傾げる瑞葉の姿にようやくその重たい口を開いた。
「窓だ」
「窓?」
「窓に魔力の痕跡があった」
図らずもそれは後にエゴエゴが指摘した事実と同じものである。
「おそらく魔法で窓を開け侵入、そのまま町長の胸にあの短剣を突き刺したのだろう。ひどく単純な手口だが扉からの侵入よりは簡単で妥当な手段だ」
扉の鍵を開けるつまみを回すとなるとその位置がどこかもわからない扉の反対側かどうしても距離が離れる窓の外からと言うことになる。しかし窓の鍵ならばガラスの向こうに見え、しかも距離が近い。より簡単に開けられるという訳だ。
「つまり犯人は魔法の扱いに長けた人物ってことですよね」
「そうなる」
瑞葉はその心当たりを探るに当たりすぐさま目の前の人物の事を思い浮かべたが、この時点では動機があるとも思えず一旦保留としていた。今は別だが。
そして当のゴウゴウが怪しいと感じていた人物こそが。
「……エゴエゴには注意しておけ」
同じ丙自治会の仲間であるはずのエゴエゴだ。
「……それはエゴエゴさんが殺した、と?」
「かもしれない、だ。断定するつもりは無い」
要するに疑っているんじゃないか、瑞葉は心の中で呟く。
「しかし俺が昨日調べた限りにおいてこの町に魔法の扱いに長けた者はいない」
「それはどうやって調べたんです?」
「聞き込みだ。町長の人となりを知ろうと住民に話を聞いていた。幾らか説得の助けになりそうな話もあったが今や何の役にも立たないな」
彼は自嘲するように笑みを浮かべ、すぐさま不謹慎と感じたのか普段の落ち着いた表情に戻る。
「ともかく、その辺りも頭に入れて調べてみてくれ」
その頼みに瑞葉はついぞ首を縦には振らなかったが、それはあまりの重責から来る不安故に身体が動かなかったせいであった。
こうして彼女は共に依頼に来た二人の三等星に事件解決を依頼され、そして二人が互いを疑っているという事実を知った。知ってしまった。
「窓の魔力、から、考えると、どちらかが犯人なのは間違いない、ん、だよね」
二人が証言している窓の魔力の痕跡に関しては事実なのだろうと瑞葉は仮定した。だとすればそれは窓を開けて町長の部屋へ誰かが入った証拠に間違いないのだろう。その目的は当然、状況から見て町長殺しのはずである。
「どちらかが犯人、かぁ」
瑞葉はその考えに思い至り、それ故に涙を流していたのである。しかし涙を流すほどの衝撃を受けたことは彼女自身にしても意外な事であった。
そう、衝撃を受けていたのである。
「あの二人が犯人なのは、嫌だな」
その理由は一緒に依頼に来た仲間だから、という仲間意識から来るものではない。もっと独善的な、彼女が幼い頃から信じている世の摂理故か。
彼女にとって冒険者、とは特別な職業であり称号である。物心つく前には死んでしまった父が残した絵本は彼女の中に冒険者がどういった者なのかを彼女の心に刻み付けた。自身の子供と変わらぬ愛情を注いでくれたロロの母親から冒険者の愛情あふれる姿を学んできた。
彼女は自身でも気付かぬ間に冒険者の理想の姿を心の内に作り出しているのだ。そしてそれによれば冒険者とは魔物に負けぬ力を持ち、弛まぬ努力を続け、強き善性を持つ者だ。
今回の件はそんな彼女の冒険者像が夢物語でしかないと突き付けられていた。町長を殺した冒険者に善性があるとは言い難く、また事が起こった後に互いを疑い出す二人の姿も彼女が思い描く理想像とは大きくかけ離れてしまった。
そしてそのことは憧憬を集める者の裏側を覗き見てしまったかのように彼女に衝撃を与えた。前へ進むのを躊躇ってしまうほどに。
「……何で私はこんなに……。こんなに弱いんだろう」
彼女の理性はこれから事件について調べて行くうちにその疑いが晴れる可能性もあると訴えている。ゴウゴウはああ言ったが一日の内にこの町の全てを知ることが出来るわけもない、探せば窓の鍵を開けられるほどの魔法の技量がある者も見つかるかもしれない。或いは今ここに居る者とは全く関係なく町長に恨みを持った者が彼を殺しに来たのかもしれない。他にも可能性は幾らもあると理解している。
それでも彼女が今こうして動けないのは、そうならない可能性、あの二人のどちらかが殺した可能性も確かにあると感じているからだ。そしてもしそれを自分の手で暴いた時にどう受け止めればいいのかわからないのだ。
これまでに瑞葉が関わって来た冒険者たちは彼女が憧れるに足る強さを持っていた。二等星のような誰もが憧れるような者達だけではなく、たとえ虎イガーのような四等星の者達でさえ誰かの為になろうと戦える強さを持っていた。それは彼女に誰もがはっきりとした形を持たずとも確かな善性を持っていると錯覚させていたのかもしれない。
そしてそんな冒険者の一員になった彼女もまた、それと同じ物を確かに持っていると信じ込ませた。
「……そっか、私は無意識の内に自分は善なるものの一員だと思ってたんだ」
人は自らが正しいと思っていればどんなことでも出来てしまう。冒険者と言う善性を持つ者は当然に正しく、その一員である彼女は無意識の内に自らの悩みの一部をそこに預けて勝手に振舞う強さを身に付けていた。しかしその前提が崩れるなら、これまで彼女が行ってきたことは果たして本当に正しいものだったのだろうか?
「私は、この、事件の犯人を……」
見つけるべきなのだろうか。彼女はそう自問自答する。
森の中、ロロが適切な足場を見極めて風の様に駆け抜けて行く。そしてその後ろからドッドッドッ、と巨大な生き物の足音が幾つも響いている。彼は時折後ろを確認してはその足音の主、トウボクサイが後を付いて来ていることを確認していた。
「やっぱりあの数に追われるのはちょっと嫌だな」
ロロはそんなことを呑気に呟くと更に足を速める。そして地面に刺してある派手な色の紐を巻いた枝を見つけると大きく跳び上がった。
「よっ、し」
木から垂れ下がる蔓を手に掴み上手く樹上に着地すると、直後にトウボクサイが彼の下に集まって来る。未だ走っていた勢いが収まらず少し先の方まで行ってしまったが、ぐずぐずしていると戻って来た彼らに乗っている木ごと倒されるだろう。
「後は頼むぜ、二人共」
ロロがそう呟いた直後、カッ、と閃光が走った。あまりの眩しさにロロは思わず目を閉じる。それはエゴエゴの雷が放つ光だったのだが、彼が再び目を開けた時には既に何頭かのトウボクサイが倒れているばかりで雷の本体を目にすることは叶わない。
「すげーな。あんな一瞬で……」
三等星の実力に思わず舌を巻いていると残っているトウボクサイが暴れ出すのが見えた。
「今度は俺の出番か?」
一応飛び降りて戦う準備をし出した時、今度は周囲の木々を大きくざわめかせながら何かがトウボクサイを貫くのが見えた。
「ハクハクハクの魔法だ」
その威力は相変わらず強力で目に留まらぬ速度で撃ち出された木片は二頭ものトウボクサイを貫き更に地面に深く埋まって行った。
「……俺もあんな風な魔法が使えればなあ」
木の上でロロに出来ることは何も無い。精々いつでも動ける準備をしておくぐらいだ。そうすれば例えば。
「あ、撃ち漏らし」
二人が待ち伏せている地点からは大木の陰で見え辛い位置、そこで逃げようとする一頭に不意打ちを喰らわすぐらいは出来るのだから。
魔物の討伐はある程度順調と言えるだろう。ロロは洞穴から出て来た群れを上手く誘き寄せハクハクハクとエゴエゴが待機している地点に連れて行く。後は二人が遠距離から一方的に攻撃し片付けるという寸法だ。複雑なことは何も無く、だからこそ上手く行っているのかもしれない。
「よーし、今日はこの辺りにしとくか」
そんなことを三度ほど繰り返した辺りでエゴエゴがそう宣言する。
「もういいのか? 俺はまだまだ行けるぜ」
「わ、私も、まだ、大丈夫です」
ロロとハクハクハクはやる気と体力がまだ十分であることを訴えたが、エゴエゴはただ首を横に振り答える。
「体力があるのは良いことだがな。俺たちがやるのは魔物の討伐だけじゃないってことだ」
その言葉にロロは思わず首を傾げていたが、ハクハクハクはすぐに気が付く。
「町」
「町?」
「の方に、来るかも?」
「そういうことだ」
彼らは魔物の討伐の依頼を受けて来たわけだが、その際に依頼を出した町が壊滅的な被害に遭っていたとすれば依頼を完遂したとは言えないだろう。
「あの洞穴、相当な数の魔物がいるみたいだからどうせ一日で倒し切るのは無理だ。だが俺たちがこうやって幾らか数を減らしたのは中の連中に伝わるだろ。じゃあそいつらはどうすると思う?」
「……ん-、町の方に来るかもしれないってこと?」
「そう言うことだ。いきなり全部来たりはしないだろうが様子を見に来るやつがいるかもしれない。この辺りに仲間が戻ってこない原因があるとすれば人間の集まる町はその有力候補だ。俺たちは余力のある内に町に戻ってそういう動きをしてこないか監視だな」
「わかった」
こうして三人はこの日の討伐を切り上げる。町へ戻る最中も周囲の警戒は怠らない。エゴエゴとハクハクハクが周囲を魔法で索敵しながら進んで行く。
「……いいなあ」
その姿を二人の後をついて行くロロは羨ましそうに見つめていた。
三人が町に辿り着いたのは日が暮れ始めた頃であるが、町の中は朝の喧騒はどこへやらすっかりう元の寂びれた雰囲気に戻っていた。
「俺は旦那と話があるからお前らは宿に戻って寝袋を持って物見櫓へ行ってくれ。今日からあそこで寝泊まりするぞ」
「あそこでかぁ……」
魔物が町の方へ来ているか確認できる場所などそうは無い。彼らが物見櫓で番をするのは当然の帰結である、が、ロロとしてはあのいい加減な柵しかない高い場所で寝るのはあまり気分の良いものではなかった。
「ハクハクハクはあそこで寝られるか?」
「大丈夫、だと思う」
言葉では言い切っていないがハクハクハクはあまり心配そうな様子は見せていない。寧ろ少し楽しそうにも見える。少々不謹慎ではあるが皆で連れ立って寝袋で横になっているのを想像すると野営でもするような気分になるのだろう。
「よし、じゃあ行こうぜ」
その様子に安心したロロは宿へ向かうべく走り出しハクハクハクもその後をついて行った。
宿、二人が部屋へ向かう途中、壁に手をつきながらゆっくり歩く瑞葉の姿があった。
「お、丁度いい。瑞葉ー」
その呼び声を聞くと瑞葉は途端に背筋を伸ばし、しかしすぐに思い直したかのように背筋を曲げて不機嫌そうに振り返った。
「戻って来たんだ」
「ああ、今日は終わり。これから寝袋持って櫓に集合だって」
「……ああ、魔物がこっちに来るかもしれないからその見張りってこと?」
「そうそう。瑞葉も用事が終わったらこっち来るか?」
「……そうね。私も少し外の風に当たろうかな」
「決まりだな。ハクハクハク、寝袋三人分頼むぜ!」
「え? あ、わかった、よ」
ハクハクハクが部屋の方へ小走りで向かう。瑞葉は呆れたような目でロロの事を見つめていた。
「女の子に荷物取りに行かせるのってどうかと思う」
「まあいいだろ、ハクハクハクには寝袋三つぐらい軽いんだし」
実際ハクハクハクはロロよりも力が強いが瑞葉が言っているのはそういう問題ではないだろう。ただロロはそんなことよりも気になることがあった。彼の視線はじっ、と瑞葉を見つめている。
「何?」
彼女の物言いには棘があった。流石に気心知れた仲であっても穴が空くほど見られては気持ち悪いというのもあるが、彼女はそれ以上に心の内を見透かしたような表情の方が気に食わなかった。
「何か悩みでもあるのか?」
そして心の内を見透かしたようなことを言われ彼女は頬を歪ませて溜息をつく。彼女は本当に嫌になる、そう心の中で毒づく。ただし、その相手がロロなのかそれとも自分なのかは彼女にも判然とはしなかった。
「ハクハクハク、先に行ってるからなー」
突然ロロは大声で叫ぶ。
「よし、行こうぜ」
「……周りの迷惑とかさあ」
そんな言葉を呟きながら彼女は自分の背を押す手の暖かさを強く感じていた。
物見櫓へ向かう道中二人が何かを話すことは無かった。ロロは決して話を促すことは無くただ彼女の隣を歩き続けていた。瑞葉はそんなロロにまるで親か教師を気取っているようで腹が立つとも思ったし、話をするかこちらに決めさせてくれるその態度をありがたくも思った。
結局、瑞葉が口を開いたのは物見櫓の梯子を昇り切ってからだ。強く吹く風は冷たく、二人の体温を奪ったが、彼女はその風のおかげで頭が冷えて少し考える余裕が出来ていた。
「ロロは……、町長を殺したのは誰だと思う?」
彼女が口にしたのはそんな漠然とした質問。歩きながら彼女は自分の頭の中の難問に関して相談すべきか悩んだようだが、結局はそれ自体は心の内に仕舞うことにしたようだ。それはロロを通してゴウゴウとエゴエゴが互いに疑いあっていることが知られてしまうかもしれないという危険を感じたから、或いは単にこの手の話の相談相手としては不適格だと思ったかもしれない。
さて、瑞葉の問いに対してロロは唸り声を上げて悩んでいる。
「んー……、どうだろうなぁ。正直さ、俺、人を殺したいって思ったことないからよくわかんなくてさ」
瑞葉はその言葉を、意外にも、意外だとは思わなかった。何も考えることなく心の内でそうでしょうね、と相槌を打ってそれから少し驚いたのである。彼女は人を殺したことなど無いし、それを実行に移そうと思ったことも当然に無い。しかし嫌なことがあればその原因の人物を殺してやりたい、などと一瞬思ったりすることはある。
「……まあ、ロロに聞いたことが間違いだったかな」
「悪かったな。でもお前が何を悩んでるのかは分かったぜ」
「へぇ」
「要するにこの町に殺人犯がいるかもしれなくて不安ってことだろ。まあその気持ちならわからなくもない。誰だって死ぬのは嫌だもんな」
違うよ、思わず瑞葉はそう言いかけたが結局その言葉は呑み込む。
「ロロは単純でいいね」
そんな皮肉を言ったのはそれが羨ましかったからかもしれない。自分もそのぐらい物事を単純に考えられたなら、或いは今の様に悩む必要も無かったかもしれないのだから。
しかしロロは少し不満げに口を尖らせている。
「何?」
「そりゃ瑞葉は俺の事を単純でいいって思ってるかもしれないけどさ、俺からしたら瑞葉は複雑で羨ましいって感じだぜ」
「複雑で羨ましい? 何その概念……」
単純の対義語を当てただけと言うのは分かるのだがしかしその意味が彼女には分からない。彼女にとって自分など他人が憧れる価値など無い存在なのだから。
「俺さ、最近ちょっとわかったことがあるんだよな」
「へぇ……」
「人がどうして悩むのかってのがやっとわかって来たんだ」
「な……、そうなんだ」
悩み無さそうだもんね、という言葉を瑞葉はどうにか飲み込み続きを促す。
「悩むのって、結局色々考えちゃうからなんだよな」
「まあ、悩むってそういうもんだし」
今の事柄、過去の事柄、未来の事柄、期待、後悔、不安、嫉妬、様々な想像や感情が人々を思い悩ませる。故に。
「何も知らなかったり考え無かったりすれば何も悩まないで済むんだ」
「それは、そうかもね」
ロロの言葉は間違いではない。たとえ凶悪で強大な魔物が目の前に迫り来る状況でさえ、そのことを知らなければ悩むも何も、そのことに関して考えるという選択自体が取りようが無いのだ。
そしてロロは最近、自分がそうだったのではないかと思い始めていた。
「瑞葉は小さい頃から色んなことに悩んでてさ、俺は不思議だったんだ。何で瑞葉はあんなに悩んでいるんだろうって。でも最近違うんじゃないかって思ってさ、おかしいのは俺の方だったんじゃないかって思うんだ」
瑞葉はロロの言葉を真剣に聞き始めていた。初めの様に揶揄うような態度はなりを潜め、その言葉の意味を彼女なりに読み解こうとしていたのである。
「本当はもっと考えるべきことがあったんじゃないかって、俺は瑞葉が知っていること、考え付いてることにまだ思い至ってないだけなんじゃないかって思い出したんだ。馬鹿みたいに走ってるだけじゃ何の意味も無かったんじゃないかって、思ってさ」
我武者羅に走り回ることは必ずしも状況を好転させるとは限らない。的外れな方向に行ってしまうことだってあるだろう、或いは何もわからないままに取り返しのつかない失敗をしてしまうことだってあるかもしれない。
ロロは最近ようやくそのことに気付いたのだ。不安、恐怖、そう言ったものに無知であった自分はただ徒に状況を悪化させて来たのではないかと。
「……色々考えてさ、不安に思って動けなくなるってのは、悪いことじゃないんじゃないかって思ったんだ。俺はもっと瑞葉みたいに思慮深くならないといけなかったんじゃないかって思うんだ。勢いだけで走って来たのは間違いだったかもしれないって、そう思ったんだよ」
冒険者になったロロは様々な経験を積んで来た。その中で多くの人と出会い、様々な人と関わって来た。そしてその関わりの中で彼は気付き始めていた。自分は決して特別な何かを持っていないのだと。力、技術、魔法、頭の回転、知識量、何を取っても人に劣っている部分ばかり。その事実は彼に嫉妬を、羨望の感情を思い起こさせた。
だからこそ思ってしまうのだ、もし過去の自分がより良い行動を起こしていたならば、今のような結果ではなかったのではないかと。
「ロロ、それは違うよ」
しかしその考えはとても自然に否定された。
「ロロがそのままでいいと思うか、それとも変わりたいと願うのかは自由だと思う。私もそこに口を挟むつもりは無いよ。でもね、私はずっと、ずっと昔から、何度も何度も、勢いだけで走って行くロロに助けられてきたんだよ」
瑞葉は幼い頃からずっと最初の一歩を踏み出すのが怖かった。その先に何が待っているのかわからない、そのことが怖くて怖くてたまらないのだ。いつか必ず踏み出さなければいけないとしても、彼女にそんな勇気が湧くことは無かっただろう。
瑞葉は櫓の端まで歩いて柵に体重をかけ半分身を乗り出す。そして空を見上げながら続きを話し始めた。
「私ね、今こうして冒険者をやれてるのは、運が良かったんだなって思ってる」
「そうか? 瑞葉なら当然だと思うけどな」
「そうでもないよ」
ロロには彼女の言葉が不思議でならなかった。瑞葉は魔法の才能に優れ、常に落ち着きがあり様々な所に気を配れる、少なくとも自分よりはずっと冒険者に向いていると彼は思っていた。しかし問題はそこよりもずっと前にあるのだ。
「もしも私が一人だったら、きっと冒険者になんてならなかったと思う」
彼女にとって冒険者とは憧れ、と一言で表すと少々彼女の心情とはずれてしまうがそれに近いものである。その冒険者になったことに後悔など無いし、ならなかった自分がいたとすればその時こそ後悔していただろうと容易に想像がついていた。
ただ彼女は一人きりならば決して冒険者にならなかったのだ。
「学校でさ、冒険者になりたいって人は少なかったよね」
「最初の頃は結構いたけどなあ。卒業する頃にはあと二人ぐらいだったかな」
「そうだね。二人共結局家業を継ぐことになったからやめちゃったけど」
冒険者に憧れる子供は多い。しかし一方でその夢を持ち続ける者はかなり少ない。ある者は世間と言うものを知るにつれて熱が冷めて行き、ある者は魔物との戦いで大怪我をした者を見て怖気づき、ある者は家業を継ぐ為に夢を諦める。
「きっと私一人だったら二人と同じように私も農場の仕事をやってたんだよ。私はね、どうにも上手くやっていける自信が無かったんだ」
「初めて聞いたな」
「初めて言ったからね」
ロロは空を見つめている瑞葉を見て、ずっと一緒にいたからって何でも知っているわけでは無いと改めて感じていた。
「絶対に上手く行かないって思ってた。怪我をして戻って来る冒険者を見てあれは未来の私かもしれないって思ってた。魔物と戦うなんてできっこないって思ったんだよ。いつか冒険者の登録をすることがあっても暇な時期に町の便利屋をやるのが私の限界だって、そう思ってたんだ」
しかし彼女は今、こうしてロロやハクハクハクと共に冒険者として危険な依頼を受け続けている。
「じゃあ今はどうしてそうなってないんだ?」
だからロロはそう尋ねた。瑞葉が振り向きロロを見つめる。
「私の隣にロロがいてくれたからだよ」
思わず息を呑む、ロロは冷えた空気が固まったのではないかと思うぐらいに動けなかった。彼女の瞳の熱はこの寒さの中でも変わらない。
たとえ空から白い雪が降ろうとも。
「雪だ」
「雪だね」
ぱらぱらと空から降るそれに二人は目を奪われる。
「……ロロ、こっち来なよ。良く見えるから」
「そうだな」
ハクハクハクがようやく寝袋を抱えて梯子を昇って来た時、二人は時間が経つのも忘れて空から舞い散る雪の姿に見惚れていた。
ロロと瑞葉、二人の悩みが解決したのかと問われれば、否と言わねばならない。しかしそれでよかったのだろう。少なくとも二人は一歩前へ踏み出すことを選ぶと決めたのだから。未だ風雪の中にあるこの町も、徐々に変わって行く時が来ようとしている。




