4.冒険者見習いとその周辺
志吹の宿、一階ラウンジ。
ロロと瑞葉、二人の運命を決める依頼の内容が崎藤によって今発表される。
「君たちには商人の護衛をしてもらうよ。目的地は雨原の町。出発は三日後だね」
商人の護衛。冒険者への依頼としては割と一般的なものだ。大規模な商会など力のある商売人は常に護衛を雇っているのだが、個人規模の商人の場合は護衛を雇うよりも移動の際に冒険者へ依頼を出す方が安く上がることが多い。また道中の危険度に応じて依頼を受けた宿や組合が相応の冒険者を斡旋してくれる為に素人でも安全な旅を送ることができる。
「商人や旅人の護衛は冒険者として生きるなら何度も受けることになるからね。試験に選ぶのは大体この手の依頼なんだよね」
崎藤の言葉通り、志吹の宿においては冒険者見習いである六等星の試験は常に護衛の依頼を選んできた。それは依頼として一般的であるということや、これから冒険者として働く為に見知らぬ商人とも上手く関係を築けるかを試すなどの理由がある。依頼が六等星の試験に当てられた依頼人側にも利点はある。その分安い値段で請け負ってもらえる上にベテランが最低でも三人派遣される為より強固な安全が保障されるようになっている。上昇志向の強い商人などはこの時に派遣された高名な冒険者と親交を深めようとすることもあり、願ったり叶ったりと言えるだろう。
「護衛か。まあ俺の凄さをあちこちで宣伝してもらうには丁度いいかな」
「雨原の町って、確かここから東の方にある平原の方でしたっけ」
「そうそう。山河カンショウの国では珍しい平原でね。毛獣とかがよく獲れるんだよね」
「今回も毛獣の肉を買いに行くつもりなんですよ」
そう言いながらミザロに連れられて現れたのは少し野暮ったい服を着込んだ青年だ。
「彼はこの依頼をした依頼主です」
「どうも初めまして。高保と言います。楼山の都を拠点に商売をやっています」
差し出される手。ロロが顔を真正面から見据えながらその手をがっしりと握る。
「初めまして。俺はロロだ。こっちが」
紹介された瑞葉は少々の緊張をどうにか飲み込み差し出された手を握る。
「どうも初めまして。瑞葉と言います。よろしくお願いします」
「二人とも将来が期待される実力だと聞いています。道中よろしくお願いしますね」
一通りそれぞれの挨拶が済むと依頼に関しての詳細の話が始まる。崎藤は既にその場を去りミザロがその場を仕切る。
「先ほど崎藤さんから説明があったと思いますが今回は彼、高保氏の護衛が我々冒険者に依頼された内容です。三日後の正午にショウリュウの都の東門に集合、その後は荷馬車を船に積んで出発の予定です」
「船旅なのか?」
「東側へ延びる竜尾の川は水運を担っている面もありますからね。予定通りなら丸一日は船の中です。その後は徒歩で雨原の町を目指します。道中山林を抜ける必要もありますし到着は出発より三日後の昼頃の予定です」
「一日目は船の上で休めるけど二日目は野宿になるの?」
「そうですね」
「雨原の町はここよりも楼山との繋がりが深くてね。向こうへの道はかなり整備されているんだけど、ここからだと道中に町とかはないんだ」
「そうなんですね。じゃあ色々と準備をしておかないと」
瑞葉は頭の中で必要になりそうな物を思い浮かべる。
「わからないことがあれば相談してくださいね。助言ぐらいはしますので」
「わかりました」
実際、瑞葉は生まれてからショウリュウの都を出たことがない。研修や本で幾らかの知識を得たとはいえ不安は多く、ミザロの言葉に少し安堵していた。その様子を確認しミザロは話を続ける。
「旅程としては今言った通りのものですね。それで高保氏の護衛をする冒険者の数ですが、見習いである二人を含め五名を予定しています」
「僕一人に五人もっていうのは少し悪い気がしますね」
高保は少し落ち着かないように手遊びをしながら気まずいような恐れ多いような苦笑いを浮かべる。しかしミザロがそんな様子を気にすることはない。
「こちらとしても協力して頂いている立場ですので。彼らの試験だからといって依頼主を危険に晒すわけにはいきません」
「俺と瑞葉と、あとは誰が行くんだ?」
「私と牛鬼さんとカクラギさんです」
勿体ぶることもなく事務的にミザロが答える。
牛鬼は三等星の冒険者で、三十年を超える冒険者歴を誇る大ベテランである。ミザロは牛鬼の上を行く二等星の冒険者だ。三等星というのが世間的には実力者とみなされる基準であり、若くしてそれを超えるミザロは国内外で名の知れた人物である。そういうわけで二人とも実力、経験共に申し分ないものを持っている。またロロたちが研修の際に世話になっていることもあり、その点も今回の人選に影響を与えているのだろう。もう一人、カクラギについては。
「カクラギさんって自警団の?」
「ええ。宿によく来ている自警団の彼です」
カクラギはショウリュウの都の警察機構として機能している自警団の一員である。彼は冒険者から自警団になった経歴を持ち、志吹の宿への協力兼監視の役目を担っている。
「カクラギさんってラウンジで駄弁ってる所ぐらいしか見たことないな」
「私も」
「志吹の宿には誰かしら冒険者が常にいますからね。何か問題が起こっても誰かが勝手に解決するので彼の役割はあまりありません。今回の依頼、本来なら竜神さんにお願いする予定でしたが彼女のチームにそろそろサブリーダーを返せと言われまして、暇をしていた彼に同行をお願いしました」
「自警団の人でもいいの? 確か試験には冒険者が三人以上ついてないといけない決まりだったよね」
「先ほど言いましたが彼は冒険者から自警団になっています。そしてその際に冒険者としての実績が消えるわけではありません。なので彼は三等星の冒険者としての肩書も持っています」
「あ、そうなんだ」
「三等星が二人、更に二等星の方まで。なかなか贅沢な旅ですね」
高保がそんなことを呟く。
「未来の一等星を忘れてもらっちゃ困るな」
その呟きにいち早くロロが反応し立ち上がる。高保は一瞬、呆けた様にロロを見つめたがすぐに微笑んだ。
「そうですね。期待していますよ」
その言葉に満足したようにロロは座り込む。その態度は見習うべきか、諫めるべきか。
それから細かな部分の話を詰めるとその場は解散となった。三日後までは基本的に自由時間とする、とはミザロの言だ。しかし瑞葉は言外の意図を感じていた。
「自由だって、どうする? 買い物行くか?」
「そうだね、買い物も行こう」
「も? それ以外にすることあるか?」
「ロロ、あんたってやっぱ馬鹿だわ」
なんだよそれ、そんな文句は無視される。瑞葉の視線は外へ向かう高保へと向いていた。
「折角だから高保さんの仕事の様子を見せてもらいましょ?」
そう言って瑞葉は高保の後を追う。ロロは釈然としなかったが、一人で必要な買い物を終えることができるとも思っていなかったので瑞葉に倣って外へ向かった。
ショウリュウの都、商店街の外れ。
「これが僕の荷馬車です。結構大きいでしょう?」
「おー」
「すごいですね」
幌がついた四輪の荷台、もし中に荷が入らないならば旅を共にする六人が中で寝られるだけの大きさがあるものだ。その前方には御者の座席、その先には四頭の獅子馬が繋がれている。
「馬車って獅子馬が牽いてたのか」
獅子馬はでたてがみが首元全体を覆うように生えている馬に似た生き物だ。昔はその姿から魔物じゃないかと疑われていたが、研究の結果魔力は持っていない単なる獣と判明している。
「馬車を見るのは初めてかな? 昔は普通の馬で牽いていたみたいだけどね。今は獅子馬や背角獣が主流かな。獅子馬の方が足が速くて背角獣の方が力があるんだよ。僕はあまり重い荷物を運ぶことはないから獅子馬の方が便利が良くてね」
「絵本とかだと普通の馬とかばかりでしたね。それか空を飛ぶ巨大な鳥や竜かな」
「冒険者ものの絵本かな。僕も昔よく読んでたよ。絵本みたいに空を飛べたらずっと楽なんだけどね。楼山の都から少し離れたところに人が乗れそうなぐらいの巨鳥が営巣しているらしいけど、残念ながら手懐けることもできないって」
「そうなのか。空が飛べたら森も山も越えて楽に目的地に行けたのにな」
空は人がその領域を侵すことを未だに許さない。巨鳥を手懐け、あわよくば家畜化する試みは各国が行っているもののその成果は芳しくない。竜に関してはその存在を発見すべく結成された民間の探索隊がいくつもあるのだが、現在では竜など空想の産物に過ぎないという考えまである。魔法を極めることで短時間飛行することは可能だが、それができるだけで二等星相当の実力があると言われるほどに難しいものとなっている。
人々は今日も家畜化された獅子馬や背角獣に牽かれて街々を移動している。
「荷物はまだ積んでないんですね」
荷台の中を覗いていた瑞葉が言う。
「これからだよ。三日後までにはこの中は野菜や果実でいっぱいかな」
「それじゃ馬車に乗って優雅な旅ってわけにはいかないな」
「そうだね。街々の移動用に乗り合いの馬車もあるから、機会があったら乗ってみるといい。整備された道ならなかなか快適なものだよ」
「確か私たち森の中を通るんでしたよね」
「うん。だからすごく揺れるし通る道も選ばないといけないから気を遣うね」
「ああ……、頑張ってください」
「ふふ、君たちもね」
その後も少しの間他愛もない話をして二人は高保と別れる。商店街の中心部へと歩きながらロロが口を開く。
「獅子馬って結構でかかったな」
「そうね。あんな近くで見るのは初めてかな」
「子供の頃に祭りで見たんだっけ? なんかでかいやつ牽いてたよな。あれ何だっけ」
「山車よ。毎年やってる豊穣祈願の祭りだったわね。あの時はたまたまここに来てた冒険者の一団が貸してくれたってお母さんが言ってたわ」
へー、という相槌で会話が止まる。それからしばらく歩いて人通りが多くなっていく。そろそろ商店街の中心だ。
「冒険用品の店はこの辺りね。それとも宿の近くの店にする?」
何気なく瑞葉が尋ねるがロロは答えない。上を向いて考え事をしている。その頭の中にあるのは先ほどまでの高保との会話だ。。
「何?」
「俺さ、ちょっと考えてたんだが」
「何を?」
「もしかして俺たちは買い物以外にもするべきことがあったんだ」
「何言ってんの?」
「考えてたらわかったんだよ。何て言えばいいんだろ、急に何もかもわかったって感じで、ぱっと頭の中に浮かんできたんだ」
気持ち悪、と口に出しそうになるのを瑞葉は何とかこらえる。しかしその表情までは隠せず、まるで呆れ果てた上にかわいそうな人を見るようだった。ロロはその表情に気付かなかったようで何事もなかったかのように話を続ける。
「話をするのって大事だなって思ったんだよ。そもそも一緒に依頼をこなすのに挨拶とかもなしに当日集合っておかしいよなって」
「そうだね」
「そうと決まればまずカクラギさん探しに行こうぜ。ちゃんと話したことないしさ」
「それいつ気付いたの」
「……ふっ」
ロロは答えない。瑞葉はじっとその顔を睨み付ける。ロロはどこか遠くを見て視線を合わせない。
「高保さんの仕事の様子を見せてもらおうって、誰が言ったんだったかなー」
「……ふっふっふ」
「うざ」
「すみません」
「買い物以外に何するんだよとか言ってたの誰だったかなー」
ロロは答えない。瑞葉は回り込んでその顔を睨み付ける。ロロは更に体の向きを変えるが瑞葉は執拗に追跡する。冷や汗が流れる。
「ローロー?」
「あー、わかったわかった。悪かったよ。確かに俺が間違ってた。買い物だけして当日を待つとか良くない!」
「研修でも言ってたでしょ。一緒に仕事をする冒険者とか、依頼主とか、周辺住民とか、人間関係は大事なんだって」
「わかったわかった、勉強はもうこりごりだ。早くカクラギさんとか牛鬼さんとか探そうぜ」
「はいはい、行きましょうか」
冒険用品店を横目に通り過ぎる。二人連れ立って人探しへ。
日が傾き外をぶらついていた人たちがそろそろ帰ろうかと思い出す頃。ロロと瑞葉は志吹の宿に来ていた。そして。
「カクラギさんいたー!」
「え、何?」
突然の大声に驚くカクラギ。彼は宿のラウンジで貪蛇ハムサンドを食べながら崎藤と話をしていた。
「あんなに探して結局宿にいるなんて」
頭を抱える瑞葉。それを見てなんとなく状況を察するカクラギ。
「えーと、どうやら私のことを探してたのかな?」
彼らがここへ来たのは決してカクラギがここにいると知ったからでない。走り回った結果、カクラギが見つからなかったからここへ来たのだ。
カクラギを探すと決めた彼らはまず自警団の本部へと向かった。自警団の一員であるカクラギの居場所を知っているのは当然自警団だからだ。商店街からは程近く、二人はそこへ走って向かう。
「カクラギさんなら今日は果樹園の方で仕事をしておりますね」
「ありがとう!」
果樹園は都の西部方面へ広がっている。都の象徴たる昇竜の滝を擁する山々が広がっており、その一部を切り開いて果樹を栽培しているのだ。カクラギはそこで冒険者絡みのトラブルがあったと聞いて向かったらしい。二人は早速とばかりにそこへ向かう。
「カクラギさんならもう戻りなさったよ」
話に聞いた果樹園にカクラギはいなかった。一歩遅かったらしい。
「どこへ行ったかわかります?」
「どうじゃろう。ああ、そういえばお礼に昇竜蜜柑を渡したら同僚の見舞いに丁度良いと言っておったか」
「見舞いか。なら病院だな」
「ありがとうございます」
そう言って二人は走り出す。それを呆然と見送る農家のおじいさんは二人の姿が消えた頃にぽつりとこぼす。
「どこの病院に行く気なんじゃろうか」
ショウリュウの都に病院が幾つあるのか、その問いに答えられる者が都に何人いるだろうか。ロロと瑞葉が知っているだけでも十数箇所はあるだろう。
「自警団が病院にかかるってことはたぶん魔物とかと戦った時の怪我でしょ」
「なるほど」
「だから冒険者御用達の病院じゃないかと思う」
「ってことは宿の方の病院だな」
志吹の宿がある辺りは冒険者御用達の店が集まっている。冒険者が集まる志吹の宿の周辺に自然と集まったその中には怪我の絶えない職業である冒険者向けの病院も多数存在していた。これらは大抵の場合、長期の治療に備えて入院用の部屋を多めに備えている。そこにカクラギの同僚が入院している可能性は高いと思われた。
「ごめんなさい、見てないわね」
二人は病院でカクラギの目撃情報を探した。そしてそれは全て空振りに終わった。見かけた病院に手当たり次第飛び込んだが何もない。肩を落とす瑞葉に疲れがどっとやってくる。
「ここまで目撃情報がないと、この辺りの病院じゃないのかも」
「だとしたら流石に今から探す時間はなさそうだな」
既に日は傾いている。流石に夜にまで探すのは控えたい、というか相手も迷惑だろう。
「ん-、とりあえず宿に行こう。崎藤さんたちにカクラギさんが来たら私たちが探してたって伝えてもらおう」
「いいな、そうしよう」
そして二人は志吹の宿へ向かい、そこでカクラギに出くわすのだった。
崎藤がロロたちの為に水を持ってきた頃、ようやく二人は落ち着いて要件を切り出す。
「カクラギさん。三日後の依頼、一緒に頑張ろうな」
「もう少し礼儀と順序良くできないかな……。えっと、この度は私たちの試験の為に依頼をご一緒頂けると聞いて、ご挨拶とお礼を言いに来ました。その、ありがとうございます」
深々と頭を下げる瑞葉、ロロもそれに倣って頭を下げる。
「二人共、頭を上げて」
その言葉に二人は頭を上げてカクラギを見た。
「君たちのことはここでよく見かけていたけどちゃんと話すのは初めてかな。三日後の商人護衛の依頼を共にこなす自警団員兼冒険者のカクラギです。どうぞよろしく」
カクラギが差し出した手をロロが掴む。
「俺は期待の新鋭ロロ。これから冒険者街道を駆け上がるぜ」
瑞葉は隣の男に若干の恥ずかしさを覚えつつぎこちない笑顔と共にカクラギの手を握る。
「六等星の冒険者見習い瑞葉です。よろしくお願いします」
カクラギはこの握手の間、じっと二人の表情を注視していた。ロロはめっちゃ見てくるなと思いながらも特に気にすることはない。瑞葉はその行為の意味を考え、自分の行動を振り返り、それから声を上げる。
「その、何かついてます?」
「じっと見てくるのが気になるんだろう? これはまあ、自警団員としての職業病かな」
「職業病?」
ロロがオウム返しで聞き返す。カクラギは頷いて言葉を続ける。
「自警団の中で私は冒険者関連の業務を主に担当していてね。主に冒険者とその依頼人の間に問題が起こった時の仲介役になるんだ。対して治安維持、特に都周辺の治安維持部隊は主に魔物の討伐が業務になっていてね。この二つには仕事をこなす際に大きな違いがあるんだよ。わかるかな?」
「……なんだろ、わからん」
すぐに諦めたロロに対し、瑞葉は右手で襟元を摘みじっと考え込んでいた。数秒後にゆっくりと口を開く。
「その、人が相手と、魔物が相手だから……、解決法が違う?」
「お、いいね。正解と言ってもいいかな」
「解決法って、つまり……?」
「魔物に対しては討伐するか追い返すかぐらいしかできないだろう? 人間同士の問題は基本的に話し合いで解決するんだ。力に頼ることはあまり好ましくない」
「そういうもんなのか。……それと顔を覗き込むのって関係あるのか?」
「結構大事なことだよ。例えばロロ君は私がじっと見つめた時に同じように私の目をじっと見返した。少し眉を顰めて困惑しているようだったけど、反感を抱いて睨み付けているようではなかったね。君は私への好奇心があったか、或いは何も考えず私の真似をしていたのかもね」
「ん、ああ、そう言われるとそうかも」
「瑞葉ちゃん。君は私が君の目を見つめた時にすぐに視線を逸らした。緊張か、気恥ずかしさが見て取れたよ。何か考え込むような様子も見えたが視線を幾度もこちらに戻して私の表情を見ようとはしていた。これから一緒に依頼をこなす相手のことを知ろうとしていたのかな。これは単なる好奇心と言うよりは責任感のようなものだと私は思ったよ」
「……そうかもしれません」
「こんな風に相手の表情や仕草から読み取れることは無数にある。もちろん所詮は想像だ、それが全て正しいとは限らない。でも話し合いをする時に相手のことを深く理解すること、或いは理解しようとすることはとても大切なことだ」
カクラギの言葉からは自警団としての経験から来る自負と重みのようなものがある。それは多寡の差はあれど二人の心にも届いている。
「……なるほど」
「勉強になります」
「ふふふ、勉強になったか」
そう言いながらカクラギの顔には笑みが浮かぶ。
「……気のせいでなければ悪戯が成功した子供のような表情に見えます」
早速とばかりに相手の、つまりはカクラギの表情を見ていた瑞葉が言う。カクラギは口笛を吹いて応えた。
「そうだね、正解だ。表情や仕草から読み取れることがあるのは間違いない。ただ勘違いしてはいけない」
「何をですか?」
「相手の顔をじっと見つめるのは不快に思われるからやめておこうね、ってことさ」
やったのあんたじゃん、と口には出さなかった。
「反感を持たれないように、っていうのが自警団の職務における対人関係の基本なんだ。だから実際には表情や仕草を見ていることは可能な限り悟られないようにしないといけない」
「そうなんですね」
「他にも大事なことはあるよ。礼儀、とかね」
カクラギと瑞葉がロロの方を見る。バツが悪いようにロロは視線を明後日の方へ向けた。
「礼儀正しさと言うのは持っておくべき美徳だよ。君たちはよくこの宿に来ていたから多くの冒険者と知り合いだけど、それは礼儀を持たずとも良いというわけじゃない。私への対応から瑞葉ちゃんはその辺りのことをよくわかってるように感じたね」
「ありがとうございます」
「ロロ君は、もう少し頑張った方がいいかな」
「ん、んん。まあ、頑張る……、頑張ります」
「そうすると良い。……まあ、個人的にはロロ君のように若さからくる勢いというか力強さというか、そういうものは嫌いじゃないよ。そういう面をなくしてはいけないとは思うね」
「やっぱりそう思うよ……、思いま、すよ、ね?」
「ふふふ、礼儀に関しては少しずつ頑張っていこうか」
それからしばらく話をしていたが外が本格的に暗くなってきたのを見計らい解散となる。
ロロと瑞葉は残りの日を牛鬼と話し、ミザロと話し、買い物をして、高保を見かけては荷物の積み具合を聞き、カクラギの仕事の様子を見る。そして前日の夜、二人はそれぞれの家にいる。
ロロの家、彼は父親との二人暮らしだ。
「ロロ、お前明日が試験の日だろう。早く寝たらどうだ」
そう言った視線の先はロロではなく鎌の刃先を向いている。
「まだ大丈夫だって」
目が冴えて眠れそうもない、とは言わない。
「どうせお前のことだ、目が冴えて寝れんとか言うんだろう?」
そんなことはお見通しだったが。息子を一人で育ててきた彼にとっては言わずと知れたことなのだろう。
「わかった、さっさと寝るよ」
立ち上がったロロは寝室へ向かう、途中で立ち止まり振り返る。そこには農具の手入れをする父の背中がある。それは彼が毎日のように見てきた姿だ。言葉少なにそうしている姿を見ているとロロの中にはある思いが浮かぶ。それは不安、と呼ぶべきか、それとも罪悪感か。
「なあ、俺が冒険者になるのに本当はまだ反対してるんだろ?」
父の手が一瞬止まるのをロロは見た。冒険者になることをずっと反対されてきた。頑なに、頑なに。それでも最後には認めてくれたが、本心なのだろうか。そう思わずにはいられなかった。やがてロロとその父の視線がぶつかる。そして父の口が開かれた。
「俺は、お前が冒険者なんて危ないことをやるのは反対だ。その気持ちは変わらん。お前の母さんは冒険者で、依頼をこなす途中で死んだ。お前に同じ轍を踏んでほしいとは思わん」
父の言葉に写真でしか見たことのない母親の顔を想う。ロロが産まれて一年も経たぬ内に死んでしまった母親。彼女はかなりお節介で、少々無鉄砲で、誰もが惹かれるような快活さを持っていた。そして魔物から子供を庇って死んだ。人の親が我が子に死地へ行けとなぜ言えるだろう。しかし。
「だがお前が決めた道だ。半端な気持ちで決めたわけじゃないことはもうわかってる。その道を進むことを許すと、俺に言わせたのはお前だ」
十五の誕生日を目前に控えた頃、冒険者になることに反対する父を説き伏せたのは他ならぬロロだ。
「いいか、半端はやめろ。やるならば、お前はお前が目指すものになれ」
「そうだな。そうなるよ」
「ならば早く寝ろ。寝不足で試験に落ちたら目も当てられんぞ」
「……そうだな、おやすみ」
ロロは最後に一つ、言うべきか少し迷ったが勇気を持ってそれを言う。
「父さん、その、ありがとうな」
返事は聞かなかった。理由は簡単だ。ただ気恥ずかしかった。
瑞葉の家では夕食を終え、家族三人が同じ部屋で過ごしている。
「冒険者なんて危ないからやめてほしいんだけどね」
「やめてよお母さん。それはもう何度も話したし、許してくれたのはお母さんでしょ」
「わかってるのよ。向かいのロロ君が一緒だっていうし、あなたが色々と考えてこの道を選んだのはわかってるの。だけど心配は心配なのよ」
「樹々さんにとって瑞葉ちゃんはいつまでも子供だからね。心配ぐらいはしてもいいだろう?」
「わかってるよ」
瑞葉は自分が親に、特に母に心配をかけているのはわかっている。ただそれだけで止まれるほど冒険者への憧れは小さくない。
「私もう寝るから。明日の試験を寝不足で迎えるわけにはいかないし」
「そう? そうね、しっかり寝た方がいいわよね。ゆっくりおやすみ」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
瑞葉は一人部屋の中。明かりを消して布団の上、横になって天井を見つめた。一人でそうしていると頭の中をぐるぐるとまとまらない考えが駆け巡る。明日の試験のこと、母のこと、冒険者のこと、父のこと、ロロのこと、義父のこと、この街のこと、小さな頃からの憧れのこと。移り変わる思考は要領を得ないほど混ざり切って、憂鬱も同情も憧れも執着も幸福も不幸も何もかもわからなくなっていく。やがて意識も薄れ眠りに落ちそうになるのだが、この日は最後に頭の中に悩みも何もないような顔で前を向いている顔が浮かぶ。
「明日が楽しみだな」
今日、別れる前にロロがそう言っていた。
「少しぐらい緊張感を持った方がいいわ」
消え入りそうな声を発した彼女の顔はうっすら笑みが浮かんでいる。静かな寝息だけがその部屋の中に浮かんでいた。
出発の朝、天気は快晴。寝覚めは上々。初めての冒険へ、それぞれの思いと共にその足を踏み出す。