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志高く剣を取る ~ロロはかっこいい冒険者になると誓った~  作者: 藤乃病


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34.冒険者と寂れた町

 山河カンショウの国、ショウリュウの都と赤倉の町を結ぶ道。一台の馬車が冒険者たちを乗せて走っている。彼らは赤倉の町より依頼された魔物退治へ向かう道中である。

 馬車の中から頻りに外を覗いているのはロロだ。後ろに広がるガタガタと揺れる道や枝が伸びきった木々を見ては首を傾げていた。

「あんまり整備されてない道だな。大勢が使ってたんだよな?」

 実際馬車の揺れは都の近郊などと比べると雲泥の差で喋る声も揺れのせいで聞こえ辛いほどだ。

「この辺の道は多くの者が使っていた、だ。過去の話だからな。それに元々赤倉の町はあまり道路整備なんかに力を入れてなかったからなあ」

「へえ、そうなのか」

 そんな話の最中にもガタッ、と石にでも乗り上げたのか馬車が大きく揺れる。

「ああああ、もうやだあああ!」

 そしてそんな揺れの度に瑞葉が叫び声を上げる。

「どうしたんだ瑞葉は。別にあのぐらいの揺れを怖がるような口では無いと思っていたが」

「揺れると気持ち悪いんだと思うぜ」

 怯えるように振るえている瑞葉の背をハクハクハクさすっている。か細い声でお礼の声が聞こえたが再びの揺れにそれはかき消された。

「ああ、酔うタイプか」

「俺も昔はそんなだったなあ」

 エゴエゴが過去の事を思い出したのか目を閉じて何度か頷く。

「こんな揺れる馬車だと本当にやばくてな。最近は慣れたのか平気なんだが前だったら今頃青い顔して寝込んでたな」

「懐かしいな。お前が馬車の中で吐きまくったのをよく覚えている」

「旦那、それは忘れてくれ。俺は過去の事は振り返らない主義なんだ」

 過去を振り返り出したのはお前だ、ゴウゴウがそう突っ込む前に馬車がまた大きく揺れる。

「うっ……。んぐっ」

「大丈夫か?」

「……ふぅ」

「駄目みたいだな」

 もはや瑞葉はまともに返事するのも難しそうだ。ゴウゴウは御者に次の休憩所で少し長めに休むよう頼み、ロロとエゴエゴはこれ以上気にしても仕方ないと外の景色を楽しむことにしたのだった。


 長い旅を終え辿り着いたのは赤倉の町。そこは周辺の道路さえ人の手入れが行き届いておらず、町を覆う石を積んで作られた壁からは草が生い茂り蔓が這いまわっている。そんな様子を一見し一行が抱いた印象はまるで廃墟のようだ、と言ったところだろう。

「……着いた? 本当に? もう馬車のらなくていい?」

 ただし一人は死んだような表情でそれどころではなかったようだが。

 町へ入る前に瑞葉を少し休ませることに決めた一行は興味の惹かれる方を思い思いに眺めている。ロロは手を伸ばして石壁の高さを測っているし、ハクハクハクは通って来た道の方を眺めて植生を観察しているようだ。エゴエゴは落ち着かない様子で辺りをうろついている。そしてゴウゴウは瑞葉の様子をしばらく見ていたが、ふと視線を感じて町の入り口の方を見た。

 ゴウゴウとそこにいた年配の村人の目が合う。

「……ちっ」

 村人は軽く舌打ちをするとその場をそそくさと立ち去った。

「……面倒なことになりそうだな」

 ゴウゴウは大きな溜息と共に先行きに漠然とした不安を感じていた。


 瑞葉の体調がひとまず落ち着き一行は町の中へ。そこには多くの家が並んでいるのだが、その一方であまり人の気配は感じられない。枯れ果てた花が植わった鉢植えや窓の奥の空っぽの部屋などを見るに半分程度は空き家が混ざっているように見受けられる。

「……なんだかあまりその……、体験したことのない町です」

 瑞葉が直接的な表現を避けて町の様子に言及しようとしたがどうにも上手い言葉は見つからなかったらしい。ただ一つ言えるのは、この町は魔物など関係なく先は長く無さそうだということだろう。

「嬢ちゃんの言いたいことは分かるぜ。……旦那はどう思う?」

「何についてだ? この町の未来か?」

「現状の方が俺は気になるな」

 町の現状。彼らはこの町から魔物退治の依頼を受けてやって来たわけだが、ここまで寂れた町に来ることになるとは思っていなかった。そしてこんな状態の町であれば気になるのはその財政状況であり、本当に依頼の報酬を払えるのかという点だ。冒険者制度の上では冒険者は拠点から報酬を受け取るのであり町が報酬を払えなかった場合に困るのは拠点、今回で言えば志吹の宿である。つまり彼らの懐が痛むことは無いが気にならないと言えば嘘になるだろう。

「昔は景気良さげに店が立ち並んでたはずなんだがなあ。ほんの数年でよくここまで寂れたもんだ」

「……自業自得と言うこともある。赤倉は少々天狗になり過ぎたということだ」

寂れた町を歩くこと数分、彼らは目的の町長の家へ辿り着く。道中に見えたのは疲れ切った面持ちのまま俯き加減で歩く者や、腰の曲がった老人ばかりで覇気ある若者の姿はどこにも見当たらなかった。

 ゴウゴウが代表して戸を叩くと中からすぐに声が返って来る。

「誰だ!」

 苛立ち交じりの大声に大人は眉を顰め、ロロは目を点にし、瑞葉とハクハクハクは思わず驚き縮こまる。

「我々はこの町からの依頼を受けて魔物退治に来た冒険者だ。依頼書には町長の家にて詳細が聞くように書かれており話を聞きに来た」

 ゴウゴウの言葉を聞くと数秒の間の後にどたどたと中から威嚇するように大きな足音を立てて向かってくるのが聞こえる。そして戸が開くと。

「冒険者だと、何の話だ」

 棘のある声と共に眉に皺を寄せて不快そうにしながら年配の男性が顔を出す。ゴウゴウは先程入り口で見かけた男だと気付いたが余計な会話をすべき相手では無さそうだとそのまま飲み込む。

「ショウリュウの都の志吹の宿に魔物退治の依頼が来ていた。これがその依頼書だ」

 ゴウゴウが差し出した依頼書を男は疑り深く細部まで確認する。

「……ふん、確かに本物の依頼書だな。しかし儂はそんな依頼を出した覚えは無いぞ」

「この家に住んでいるということはこの町の町長とお見受けするが、あなたが出した依頼ではないと?」

「そうだ」

 赤倉の町からの依頼である上に町長の家で詳細を聞けるということで誰もが当然に町長こそが依頼主だと思っていたがそれは否定される。故にゴウゴウは当然の疑問を口にした。

「では誰が?」

「俺が出したんだ」

 家の中から間髪入れずにその疑問に答える声がした。その声の方を見るとそこには町長を年若くしたような見た目の男が立っている。彼は腕を組み壁に背を預けながら町長を睨み付ける。

「親父がいつまでも魔物を放っておくから俺が魔物退治を依頼した」

「何を馬鹿な……。依頼などしてどうやって報酬を払うつもりだ!」

「うちにはまだ蓄えが幾らかあるだろ。そこから出せばいい、俺はずっとそう言っている」

「ふざけるな! あれは俺の金だぞ!」

「この町が魔物に滅ぼされても良いってのか! あんたがそんなだからこの町は!」

 唐突に始まった親子喧嘩、二人だけでやる分には勝手だが目の前でやられる方はたまったものではない。

「ご、ゴウゴウさん、止めた方が……」

「ふむ、しかし家族間の話に赤の他人が口を出すのもな」

「だがこのままだと魔物退治の話ができそうもねえぞ」

 おそらく普段から仲が悪いのだろう、放っておくといつまでも喧嘩をしそうな二人だ。どうしたものかと皆が頭を抱えていると、不意に町長がゴウゴウとエゴエゴを睨み付ける。

「貴様ら、丙族だな」

 どうやら丙族を快く思っていないようだ。しかしながら二人もそのような態度には慣れているので表面的には何ら態度は変わらない。

「何が魔物退治だ、見ろ! お前が冒険者なんぞ呼ぶから丙族が来る。貴様らどうせ魔物退治などしないんだろう? 儂はお前らに殺されたやつを何人も見て来たぞ!」

「親父、その丙族差別も古いんだよ! 今の丙族が何したってんだ。そりゃ丙族の誰かが犯罪をする事だってあるけどな、同じぐらい他のやつだってしてんだよ」

「お前は何も知らないくせに口を出すんじゃない!」

 再び町長がゴウゴウたちを睨み付ける。

「いいか、儂の目の黒い内は貴様らの好きにはさせん! さっさと帰れ!」

 言うだけ言って町長は家の奥へと消えて行った。余程丙族を嫌っているのだろう。そしてその後ろ姿に舌打ちをしたその息子は余程町長の事を嫌っているのだろう。

 彼は怒りに満ちた心情をどうにか落ち着けると一行の下へとやって来る。

「……悪かったな、嫌な思いをさせた」

「いや、気にすることは無い。よくあることだ」

「そうか、そう言ってもらえると少しは気が楽だが。……ここじゃ親父がいつ来るかわからないし外で話をしよう」


 一行は町長の息子を先頭に場所を移す。向かったのは小さな食堂、客はほとんどいないのだろう、店主らしき老婆が一人で切り盛りしている。

「おやおや、今日はお客様がいっぱいで」

「魔物退治をしてくれる冒険者さんたちだよ」

「本当かい? しかし町長は放っておくと言ってなかったかね」

「親父の言うことなんて聞いてたらこの町は滅んじまうよ。魔物だっていつこの町に来るかわからないぜ」

「……その魔物に関して聞かせてもらおうか」

「ああ、勿論だ」

 赤倉の町付近に魔物が現れたのは実に数か月は前の話である。ただその時点ではあまり問題とはされなかった、と言うのも数が少なかったからだ。そしてそれを確認した町長は今以上に近付いて来るようなら討伐を考えると日和見し放置することを決定した。それは彼の悪癖だ。

「結果いつの間にか数を増やした魔物は俺達には手に負えなくなった。あいつはいつもこうだ。商人の誘致や道の整備も町主導で進めていればこんな風に寂れた町になることも無かったのに……」

 彼にとって町長は自らの親であると共にこの町を寂れさせた張本人でもある。商人を誘致する為に交通の便を良くしたり町の開発を進めるべきだと言う彼の主張は町長によって全て握り潰されたのだ。二人の確執はもはや修復不可能な状態になっている。

「と、すまない。今は関係なかったな」

「どんな魔物がいたかわかるのか?」

「確認できているやつで言うとトウボクサイやハネトカゲなんかがいたな」

「トウボクサイか……。余所から群れが移って来た可能性はあるな」

 トウボクサイは森の木々を倒す習性がありめぼしい木々を倒し尽くす群れごと場所を移す性質がある。稀に森の奥深くへ行くと不思議と空が開け大量の倒木が地面を埋め尽くしていることがあるのだが、それはきっと以前にトウボクサイの群れがいたことの証である。

「仮にそうなら年季の入った奴もいるかもな」

 歳を取ったトウボクサイは樹液の鎧がより大きく堅くなっていることが多く通常の個体に比べて危険度が高くなる。

「いたとしても俺かお前が対処をすればいいだけだ」

「まあな」

 しかしゴウゴウ、エゴエゴの両名にかかればそれは大した問題では無い。彼らはそれだけの実力者なのだから。

「魔物の場所は分かるのか?」

「ああ、物見櫓があるんだ。そこから監視は続けててある程度の場所はわかるぜ。ちょっと待っててくれ」

 町長の息子は店主の老婆に地図を借りるとすぐに戻ってくる。

「これは辺りの地図なんだが……、えっと、ここが町の入り口だな。それで魔物は大体この辺りを縄張りにしてるんだ」

 彼が指差したのは町からは少し離れた場所にある高い崖の下あたり。

「この辺には崖の下に洞穴があったりするからもしかしたらそこをねぐらにしているのかもしれない」

「近くまで行ったことは?」

「無い」

 はっきりとそう言い切ると彼はバツが悪そうに首元をさする。

「この町はもう若者がほとんどいないんだ。俺ぐらいの歳のやつはほとんどみんな外へ出ちまった。残ってるのは今の生活から脱する気力もないやつか故郷を捨てられない老人ぐらいさ。俺は経済とかの勉強はして来たけど戦いはさっぱりでね。魔物と戦えるような奴なんてもういないんだよ」

 もはやこの町の未来に希望は無い、彼はそう言わんばかりの態度だ。だがそれも間違いとは言い切れない。なにせ自分の身を自分で守れない町に住む者がどれ程いるだろうか。

「でも俺たちが来たからにはもう安心だろ。魔物退治なら任せとけってな」

 ロロが胸を叩いてそう言ったが彼の胸には然程響いた様子は無い。

「君みたいな若いやつがこの町にもいたらなあ……」

 その呟きが彼の心情の全てを表していたのかもしれない。


 町長の息子は話を終えると家に帰り冒険者一行はそのまま食事がてら作戦会議を始めるのだった。

「話の通りなら魔物自体はそこまでてこずることも無いだろう。物見櫓に関しては後で行ってみるとして、とりあえず今日の所は周辺調査、あと洞穴の方にも足を運びたいところだな」

 話の途中でも次々と食事が運ばれて来る。幸いにもこの食堂には多くの食料があるようだ。店主曰く、ほとんどは痛みそうになったものを干したり塩漬けにしたりして保存していただけとのことだが。人が減る一方の町では誰もこんな店に食べに来ないからと快く提供してもらっている。

 並んでいく食事は保存食を様々に調理したもので都での生活が長いロロや瑞葉にはあまり馴染みのない物ばかりだ。

「このスープ見た目より味が濃いな」

「塩漬けしたお肉と野菜を使ってるからねえ。本当はもうちょっと新鮮な物を出したいんだけど、前に隊商が来たのも一月前で何も無くてねえ」

「でも美味しいですよ。塩漬けの野菜も結構いいですね」

「そう? 都から来た人はよく味が濃すぎるって仰るのよ」

「俺は濃い味も好きだぜ」

「ふふ、ありがとうねえ」

 実際に二人がどう思っていたかは、二人の表情を注意深く観察していたものなら初めに口に入れた時に少し口の端を曲げたのを見て理解できるだろう。他の三人は味よりも量の方が欲しいのかともかくがつがつと口に入れて行くばかりだが。

「あらあら、みんなお腹が空いてるのねえ。久しぶりに張り切っちゃうわ」

 嬉しそうな笑みを零しながら店主は次の料理を作りに店の奥へ。

「俺達食べてるだけなのに嬉しそうだな」

「そうね、腰も曲がって動くのも大変そうなのに」

 そんな呟きを聞いて思わずハクハクハクが食べる手を止める。実際、彼らには少し不思議だった。どうしてここまで歓迎してくれるのかと。

「寂しいのだろうな」

 そんな疑問に答えたのはゴウゴウだった。

「寂しい?」

「おそらく店主は赤倉の町が栄えた頃もこの店を切り盛りしていたのだろうな。あれを見ろ」

 ゴウゴウの指差す先には古ぼけた写真が一枚。店の前で年齢も性別も様々な数人の者と今よりもはきはきと笑う店主の姿。

「あれだけの従業員を雇うほどの余裕があったこの店も今や月にどれだけの客が入っているのかもわからない」

 客の座る席は綺麗にされているが店の棚などには埃が溜まっている。おそらく客の入りも悪く空気が入れ替わることも無いのだろう。店主である老婆には体力的にも限界があり客の使う椅子や机の掃除は欠かさずとも、誰も手を触れない場所までは手が回らないと見えた。

「確かに寂しいよなあ」

 今や貸し切り状態の店内も昔は大勢の客で賑わっていたのかもしれない。誰も来ない店の中で一人佇む老婆の姿を想像するとロロは思わず頬を噛んでやるせない気持ちになる。

「他の町に行ったりしないのかな」

「……長年慣れ親しんだ町を捨てるというのは難しいものだ。ましてかの老婆にとってこの店は多くの思い出が眠っているのだろう」

 町長の息子も言っていたことだが、この町に残っているのはこの町を捨てられない者ばかり。彼らは長く人生を共にして来たこの町に後ろ髪を引かれどこへ行くことも出来ない。

「まあこの様子ではこの町も先は長くないだろうが」

「……それってこの町が無くなるってことですか?」

 ゴウゴウは何も言わない。しかしここから赤倉の町が再生する見込みはほとんど無いと既に多くの者が感じている。それは来たばかりのゴウゴウたちでさえ、だ。目立った特産品や名産も無く、交通の要所だったのも今は昔。今や若者はこぞって町を出て行き残るのは老い先短い者や無気力に日々を過ごす者ばかり。そして何より恐ろしいのは魔物の脅威だ。

「この町は既に魔物への自衛の力が無い。これは戦う力を持つ人がいないということではなく、もっと恐ろしい話だ」

「どういうことですか?」

「小さな村では稀に魔物と戦える者がいないこともある。しかし大抵は狩りを行って獣や弱い魔物の肉を獲って暮らしているものだ」

「まあ話を聞く限りこの町はそういうやつも居なさそうだがな」

 もしもそんな者達がいるのならば魔物の動向をもっと詳しく知ることが出来ただろう。森で狩りを行う者にとって魔物の群れはあまりに危険で無視はできないものだ。

「そのような者達がいる内は魔物もそう簡単には人の住む場所へ近付かない。あれらは危険があるかどうか考えるぐらいの知能はある」

「人が魔物の数を減らしている内は無理に人の領域に近付いては来ないってことですか?」

「そうだ。多数の人が魔物の縄張り避けるように魔物達も人の縄張りへそう簡単には近付かない。例えば人工物の類があると強い警戒心と共に距離を取ることが多いな」

 木の柵などは魔物によっては体当たりで簡単に破ることが出来る。しかし実際には多くの魔物が柵を見つけるとそこへは近付かないようにするのだ。それはその向こうは人の領域であり、侵入を試みれば人に追われる危険があることを本能的に認識しているからなのである。

「この町の壁を見たか?」

 ロロと瑞葉は首を傾げたがハクハクハクははっ、と気付く。

「ぼ、ぼろぼろ、だった」

「そうだったっけ?」

「お前は確か石壁と高さ比べをしていただろう……」

「え、あー、まあそうだったかな」

 ロロはきまり悪そうに頬を掻いている。

「もう少し注意深く周囲を観察することだな。瑞葉が休んでいる時に少し見回っていたが町を囲う石壁は劣化が激しく草や蔓が覆っていた。まるで人が手入れしている様子は無い」

「あー、そう言われるとそうだった気がする」

 瑞葉は外の石壁の様子を思い出そうとするがそもそも町の外の様子があまり思い出せない。

「み、瑞葉ちゃん、馬車酔いで、寝てた、から」

「あぁ、そうだっけ……」

「嬢ちゃんは見事な酔いっぷりだったからなあ。覚えてねえのも無理ないだろ」

 笑うエゴエゴに瑞葉はどこか恥ずかしそうにしている。

「それで、人が手入れしてないとどうなんだ?」

 ロロが話の続きを促したのでゴウゴウも再び話し出す。

「人の手入れがされてない石壁はもはや人工物とは言えない。魔物も獣もいずれあの壁を人の領域への境界とは考えなくなるだろう。そうなった時に何が起こるか……、言わずともわかるだろう」

 その言葉に皆が思わず想像する。今まで見て来た数々の魔物、それが町へ向かい歩く様を。ロロと瑞葉は都から出たことなどない。魔物が町に攻めて来るなどと言うのはどこか遠い出来事で、精々空を飛んで来るフクレドリが畑を荒らすぐらいの事だ。多くの魔物が正面から町を襲う、そのことに対し馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことは簡単なのだが、ゴウゴウの言葉にはその立場や経験に裏打ちされた説得力があるように感じられた。

「……じゃあさ、俺たちが魔物を倒さないといけないな」

 ロロが拳を握り呟くが、ゴウゴウは首を横に振る。

「それも一時しのぎに過ぎん。今を乗り切っても次はどうなる?」

「また冒険者が」

「この町にそう何度も冒険者に依頼するほどの蓄えがあるか?」

 依頼の報酬は実際の所はかなり格安だ。但し、町が滅ぶ危機と引き換えにすればと言う話であるが。赤倉の町の経済状況が好転しない限りいずれはその報酬も払えなくなるだろう。

「無論、慈善の行いとして魔物を狩ることは自由だが、それは果たして冒険者のすべき事かは疑問の余地が残る所だ」

 ロロはその言葉を聞き思わず何か言おうとして、しかし言葉は何も出てこなかった。彼は人を守るかっこいい冒険者になりたいと願っている。当然この町に住む人々の事を助けたいと心の底から思っているだろう。だがゴウゴウはそれは冒険者のすべき事なのか、そう疑問を呈してきたのだ。今の彼にはその答えが分からなかった。

 かちゃ、とロロの前にパンに塩漬けの肉と酢漬けの野菜を挟んだ料理がのった皿が置かれる。

「私たちの町の為に悩んでくれるのは嬉しいわ。でもあなたはまだまだ先があるんだからこの町のことで悩まないでいいの。もっとたくさんの出来ることがあるわ」

 そう言った店主は穏やかな微笑みを浮かべている。その様はまるで悩む子供を見守っている親のようにも見える。

「話が聞こえてしまったか」

「気にしなくていいわ。少しご一緒してもいいかしら?」

 瑞葉が自分の椅子を寄せて場所を作るとすぐにロロが横のテーブルから椅子を持ってくる。店主はそこに座ると一息ついて皆の顔を見る。

「この町はね、いずれ消えるわ。ここに残っている私たちだってそのぐらいは分かってるの」

 腰の曲がった老婆は自らの白髪を弄りながらなんてことないようにはっきりとそう言った。

「まだわからないだろ。ここに住んでる人だっているし」

「ただ住んでるだけなのよ」

 彼女が顔を伏せると深く刻まれた皺が目立つように感じられる。その様子はあまりに力無く弱弱しい。見ているのが少し辛く感じられるような気がした。

「私も昔はこの食堂を切り盛りしながら町を盛り上げようと必死だったわ。遠くから来た隊商の方々に一晩中食事を振舞ったこともあったわね。あの頃は……、私も町も星の様に眩しい輝きを放ってたわ」

 自らの過去を語る老婆の目は輝きに満ち、だからこそ今の弱弱しい姿が痛々しく映ってしまう。

「今の私は日々を暮らすので精一杯。たまにこんな風にお客さんが来てくれると昔を思い出して嬉しくなるのだけど、昔と同じには出来ないの。歳を取るって残酷ね」

「でも……、いえ、すみません」

 瑞葉は慰めの言葉をかけたかったが、彼女には老婆にかけるべき言葉が見つからなかった。まだ年若い彼女には過去の栄光を懐かしむ気持ちも年を取り嘆く気持ちもわかりようが無かったからだ。

「ふふふ、あなたたちは優しい子ね。冒険者なんでしょう? きっと良い冒険者になれるわ」

「まあな。俺たちはかっこいい冒険者になるんだ」

「ええ、きっとなれるわ。魔物退治もあなた達なら怖くないかしら?」

「ま、そこは俺や旦那も付いてるからな。何が出て来てもあっさり倒しちまうぜ」

 そう言ってエゴエゴが袖をまくり自らの筋肉を披露する。

「あら、よく鍛えてるのねえ。昔来ていた隊商の護衛の方にもそこまで鍛えてる方はいなかったわ」

「はっはっは、まあ俺は丙自治会一の実力者だからな」

 丙自治会、その言葉を聞き老婆が表情を変える。

「丙自治会の方でいらしたのね。前にニウニウさんから話を聞いたことがあるわ。確か都で丙族の保護や迫害を無くそうと活動なさっているとか」

「ニウニウの事を知っているのか」

 ゴウゴウが表情こそ変えなかったが明らかに先ほどまでと聞く態度を変えて尋ねる。

「ええ、私はこの町にずっと住んでますからねえ。あの方がこちらに来られたのはこれから町が発展していく、そんな頃だったかしら。彼女は家がこの近くだったからよく町の案内をして回ったことものよ。そうしたらお返しにと私の店の手伝いを申し出てくださってねえ。あの写真の端に厚着をしていらっしゃる方がいますでしょう? あれはニウニウさんなのよ」

 皆が写真の方を見る。写真を撮ったのは冬のようで皆がそれなりに着込んでいるのだが、一人確かに明らかに顔が半分は隠れ帽子を目深に被った女性がいる。

「写真でも丙族が写っていると気分を悪くする人がいるからってあんな格好で。私はあの方が優しい方だと知っていましたから、そんなことは気にしていなかったんですけど」

「……そう言ってもらえると彼女も喜ぶだろう。今は彼女はどこかへ越してしまったのか?」

 その問いに対して店主は言い辛そうに奥歯を噛んだ。しかしやがて意を決したのか口を開く。

「亡くなったんです。ええ……、もう半年も前になるのね」

「そうだったか。……なぜか聞いても?」

「彼女は勇敢な方でいらしたから。昔から魔物や獣が現れると戦える人を集めて先頭に立って外へ。あの時ももう戦える人なんてほとんどいなかったのにぼろぼろになった槍を持って魔物と戦いに行って……、血塗れで村の入り口に倒れていたの。それで二度と目を覚まさなかったわ」

 魔物と戦うことは常に命の危険を伴う。腕に覚えのある狩人や冒険者がある日出掛けると帰ってこなかったなんて話はありふれている。ゴウゴウは数年前ニウニウが自治会を訪れた際に笑って近況を話していた姿を思い浮かべていた。

「そうか、彼女は確かに勇敢で強い女性だった。都にいた時に冒険者として共に魔物と戦ったこともある。……惜しい人を亡くしたものだ」

 ゴウゴウが目の前にあった水を一気に飲み干す。その目には僅かな寂しさを伴っている。

「ニウニウは確か結婚してたろ。旦那はどうなったんだ?」

 ニウニウが赤倉の町へと越したのは結婚し旦那と二人で新たな暮らしを始める為であった。丙自治会で世話になった者には挨拶をして回っていた為、エゴエゴはそのことをよく覚えている。

「ああそうねえ。あの方は忙しく駆けまわっていたからねえ、あまり見たことが無いのよねえ。ニウニウさんは旦那は遠方の隊商を赤倉の町を通るように営業をしているって聞いたけれど、この町の景気が悪くなってからは少し聞き辛くてねえ」

「成程、そりゃあ聞けねえな」

「……どういうことだ?」

 ロロがどうも話が分からなかったようで隣の瑞葉に尋ねる。

「ここを通るのが不便だからここに来るように言っても誰も来てくれないでしょ。だから営業もね」

「ああ、そっか」

 考えればすぐにわかることだったな、とロロは思わず反省する。しかし話に集中できないの今話題の中心となっているニウニウのことを知らないというのが最大の原因だろう。瑞葉もそれは同じでなぜ今そんな話をし始めたのだろうと不思議に思っている。ゴウゴウの態度が世間話の一環でしているようには見えなかったのだ。

 結局その後は町の現状なんかを聞いたりしながら食事を楽しみ店を後にする。

「しばらくこの町にいらっしゃるのかしら? もしよければまた来て頂戴ね」

「次来るときは良い知らせを持ってこれるよう尽力しよう」

 そんなやり取りの後に彼らは町の端にある物見櫓へ向かう。


 物見櫓は町の端、東西南北の四か所に設置されている。その高さはこの町のほとんどの建物よりも高く、なるほど遠くを見渡すことができる。

「はー、高いなあ」

 ロロが下から櫓を見上げて思わず声を漏らす。しかし他の者は皆何か言いたげな表情だ。

「変な事言ってないよな?」

「ロロ、都の門はもっと高いのよ」

「んー? まあそうかな」

「あの門の上には衛兵がいて遠くを監視してるの」

「ああ、そうだっけ。下からだとあんま見えないからなあ。……あ!」

 ロロはようやく気付く、自分が高いと思った櫓も同等以上の機能を有する都の門よりも低いという現実に。

「もっと高い物見慣れてるんだから高いっていうよりむしろ低いのよ」

「低い、いや低くは無いと思うけどなあ」

 そう言うと彼は櫓に備え付けの梯子を上り始める。櫓の上には誰も居らずどうやら常時誰かが監視をしているわけでは無いらしい。そしてそこからの見晴らしは残念ながらあまり良くは無い。ある程度の高さが確保され多少は遠くが見えるのだが、付近の森は人の手があまり入っていないのかやたら高い木がそこかしこにあり視界を遮っている。また石壁のすぐ向こうがどうなっているのかはわからず、もし魔物が直接に壁を破壊しようとしたとしてもその様子はここからは見えないのだ。

「どうだ、例の洞穴は見つかったか?」

「まだだな。でもすぐに見つけてやるさ」

 瑞葉とハクハクハクも梯子を昇り櫓の上へ。エゴエゴは狭いからあまり上に行きたくないと駄々をこねたので登っては来ない。

「うわー、何も無い」

 上に来て櫓の内部を見ると瑞葉は思わずそう言った。実際、端に落下防止の低い柵があるだけでここで出来ることは本当に外を見張ることだけのようだ。そういうわけで本来の目的通りに食堂で見た地図の記憶と照らし合わせながら外を見る。

「さっきの地図からするとあの断崖が魔物が集まってるんじゃんいかっている洞穴がある方の位置ね」

「じゃああの断崖の下の方は魔物の通り道になってるんだな」

「……流石にこの距離じゃ駄目だなあ。望遠鏡でもあれば何か見えるかもしれないけど」

 何も無いここにも望遠鏡が設置されていた跡はある。おそらく以前あった物が壊れると修理も新設も諦められたのだろう。

「もう少し町の防衛にお金をかけてくれないと困るよねえ」

「こ、困るの?」

「誰も得はしないな。元々この町は外から来た者が落とす金で潤っていた。しかし危険な町に行きたい者など居はしない」

「……あの町長はどうしてこんな風に」

 瑞葉は遠くに見える町長の家を見つめる。高所から改めてその家を見ると周辺の家々よりも大きく広く、そして豪著に見えた。人が居らず外壁が剥がれたりして不格好になっている家も多い中であの家だけは綺麗なままで周囲から浮いているようにさえ見えた。

「今更何を言っても仕方ないことだ。少なくとも、この町の現状を変えられるだけの何かを俺たちは持っていない」

 浮かない顔をする瑞葉にゴウゴウがそう声をかける。彼女はそれでもどこか納得がいかないようだったが次の瞬間にその考えは一旦余所へと置かれることになる。

「魔物だ!」

 ロロの声が響く。その場にいた他の三人はすぐさまロロの指差す方を見た。

「森に穴が空いてるところ?」

「ああ、あそこにトウボクサイっぽいのが一瞬見えたんだ」

 この町の周辺には森が広がっているが一部不自然に木々が見えず穴が空いているようになっている場所がある。そこはおそらくトウボクサイが縄張りとしているのだろうとこの場の誰もが予想していたが、ロロが見たことによりそれは確実なものとなった。

「行こうぜ」

「そうだな。奴らがどこか巣を作っているのであればそこを突き止める良い機会だ」

 ゴウゴウはそんな風に言った直後に床を蹴る。物見櫓は人が落ちないよう柵があるのだが視認性を考慮してか腰の辺りまでの高さしかなく飛び越えるのは簡単だ。

「先に行くぞ」

 そのままゴウゴウが三人の視界から消える。

「え、飛び降りたの?」

 瑞葉が思わずぽかんと口を開けているとその横をロロが走り抜ける。

「俺も行くぜ!」

 ロロが柵を乗り越え下へ落ちて行く。残された二人はその姿が消えた方をしばらく見つめていたのだが。

「私らは梯子で降りよう」

「う、うん」

 瑞葉とハクハクハクは梯子を下りるとそこにまだ残っていたエゴエゴに先ほどの話を共有し森へと向かい走り出した。


 手入れもろくにされず陽光を遮る木々が鬱陶しい森の中を瑞葉、ハクハクハク、エゴエゴが走っている。

「急がねえと旦那が全部倒しちまうかもなあ」

「それならそれでいいと思いますけどね」

「俺の手柄無くなっちまうじゃねえか。折角嬢ちゃんにも俺の強さを見せてやろうと思ったのによ」

「町が安全に守られるのが一番だと思います」

 これは瑞葉の本心だ。彼女は最も大切なことは冒険者が活躍することではなく人々の安全が守られることだと信じている。

「はー、優等生だねえ。ハクハクハクはどうだ?」

「え? あ、私、は。……む、難しい、です」

「……お前もよくわかんねえ奴だな。まあとりあえず急ぐぜ、森の中だし転ばないように気を付けろよ」

 エゴエゴが一際強く地面を蹴り前に出た。二人もそれを追って足を速める。

 ここはろくに整備されていない森の中で足場はお世辞にも良いとは言えない。幸いにも瑞葉とハクハクハクは依頼の中で山道を歩き回ることが多くそこまで困りはしなかったが、街中を歩くのに慣れた者がこの森を走り回るのは至難の業だろう。

 そんな森を駆け抜ける中で瑞葉はエゴエゴの確かな実力を感じていた。先を行く彼はその後ろを行く二人の実力を見て無理の無い速度で駆けて行く。周囲の警戒も怠らず時に足元の悪い場所では注意を促す。自分一人の事に手一杯でなく余裕があるからこそ為し得ることで、走りながら瑞葉はある種の安心感のようなものまで抱いていた。

「エゴエゴさんって頼りになりそうだね」

「す、すごく頼りになる、人だよ」

 ハクハクハクがはっきりと頷く。自治会の中でも彼は非常に目立つ存在と言うことだ。会長であるゴウゴウがこうして何の気兼ねなく人を任せられるほどに信頼できるほど。

 瑞葉は思う。今回の依頼は自分たちに出番など無いかもしれないな、と。


 先に行ったゴウゴウとロロは幸いにも魔物の姿をその目に捉えることに成功していた。

「トウボクサイだな」

「倒すのか?」

 ロロが自分の剣の柄に手をかけたがゴウゴウはそれを制する。

「俺たちの目的は場当たり的に魔物を倒すことではない。この地に魔物が棲みついているならばそれを丸ごと倒す必要がある」

「……えっと、つまり巣があったらそれも倒したいってことだよな」

「そうだ。まずはあれらに気付かれないよう観察を続けるぞ」

「はーい」

 それはロロにとっては苦痛の時間だった。これまでの依頼では現れた魔物は総じて倒してしまえばそれで終わりと言うものばかりだったのだが、今回は少し毛色が違う。木陰に身を潜め大きな音を立てぬよう身動きはせず息を殺す。たとえその目的が困っている人を助ける為だとわかってはいても退屈なものは退屈だ。

「旦那、調子はどうだ?」

 後から来た三人がが合流するとこのまま観察を続ける組と周囲の探索に向かう組に分かれることがゴウゴウより告げられる。

「どうせお前たちはじっとしてなどいられないだろう?」

「流石旦那、わかってるな」

「確かにじっとしてるぐらいなら走り回ってる方がいいな」

 そしてロロとエゴエゴは周囲の探索へと向かうことになった。


 森の中は昼間にも関わらず薄暗く、少々不気味さを感じさせる装いだ。

「なんかどこから出て来てもおかしくないって感じだな」

 ロロが思わずそう呟くのも無理はない。木々が生い茂り死角の多いこの森に魔物がいるとわかっているのだ、警戒し身体が強張るのも当然のことだ。

 しかしエゴエゴほどの実力者ならば話は別である。

「ま、確かに警戒したくなるのは分かるがな。この辺にはいねえよ」

「いないのか?」

「ああ、俺は何と言っても雷使いだからな」

 ロロはその言葉に首を傾げる。

「あ、知らないのか? お前らゴウゴウの旦那に魔法を見てもらったんだろ。雷は使い方によっては周囲に敵がいるかどうかの探知が行えるんだってその時言ってなかったか?」

 ゴウゴウが三人の魔法を見たのは随分前の話ではあるが、多忙な彼が誰かに稽古をつけるのは珍しいので多少噂になっていたようだ。しかしその内容に関しては正しい情報が伝わっているとは言えないようだ。

「あー、まあ確かに魔法を教えてもらったことはあるけどさあ。俺は魔法下手だから基礎の基礎しか聞いてないぜ」

「そうなのか? 流れてる魔力は結構なめらかでいい感じに見えるけどな」

「でも俺風弾ぐらいしかまともに使えないぜ?」

「……そりゃ下手だな」

 思わずエゴエゴが同情するようにロロを見る。丙族として生まれた彼は生まれつき大きな魔力を有しており、歳が一桁の頃には風の槍を放ち獣を倒したことがあった。それすら出来ないというのは俄かに信じがたいことですらある。

「まあ、あれだな。別に遠くから魔法を撃つのが冒険者の仕事じゃねえからな。お前は別の所を磨いて行けばいい」

「そういうもんか?」

「ああ。俺は事務仕事はさっぱりだからな。ゴウゴウの旦那やリューリュ―の爺に任せっきりだ。代わりに丙自治会で一番強いのが俺ってわけだ。ま、役割分担だな」

「成程、そういうもんか」

 彼の言うことは自慢できるのかどうかはかなり微妙だったがロロにとっては幾らか励ましになる言葉だった。何か自分に出来ることを磨いていく、難しいことが出来なくともそうやって一歩一歩前に進むしかない。ロロは自分の拳を強く握り思う。もっともっと体術や剣術を磨けば他の人、瑞葉やハクハクハクに無い強さが身に付くだろうか、と。


 瑞葉、ハクハクハク、ゴウゴウの三人はじっと息を潜め魔物の様子を覗っている。数頭のトウボクサイが離れた場所で果実を漁っているようだ。瑞葉はその様子を地面に座り込んで観察しながら口を開く。

「魔物、あれでほぼ全部ってことは無いですか?」

「あり得んな」

 彼女の問いをゴウゴウはあっさりと否定した。

「どうしてわかるんですか?」

 ゴウゴウはその問いにはすぐに答えなかった。彼の頭の中に浮かんでいたのは同年代の女性、赤倉の町に住んでいた丙族、ニウニウの姿だ。

「……この町に残っている者が少ないのは事実だが、あの程度の魔物にさえ手を出せなくなったのは最近の事だ。少なくとも彼女がいた頃ならばどうにかなっていたはずだ」

 話を聞く二人は彼女とは誰の事を指しているのかすぐには浮かばなかった。しかし店主と話していたゴウゴウの姿を思い出せば彼女とはニウニウの事であると気付くのは難しくない。それと同時にゴウゴウがこの依頼を受けたのは偶然ではなくこの町の様子を見に、牽いてはニウニウの顔を見に来たのだろうと気が付く。

「……ニウニウさんとはどういった関係だったんですか?」

 瑞葉は尋ねながらゴウゴウの瞳を覗き込む。彼はどこか遠くを見つめている。


 ゴウゴウとニウニウは同世代の丙族であり共に迫害の中を生き抜いた友人でもあった。そして彼らは丙族の現状を憂いて丙自治会を作り上げた同士でもある。彼女は頭が良く主に人々の衝突が起こった時にその仲裁を買って出ていたのを彼は今でもはっきり思い出すことが出来る。魔物との戦いに置いても彼女の立てた作戦や的確な指示にどれほど助けられたかは覚えていない。

 丙自治会が軌道に乗り出した頃、ニウニウは自治会の高値の華として扱われていた。多くの者から頼りにされ好意を持たれていた彼女は、しかしその好意を受け入れはしなかった。軌道に乗り出したとはいえそれを安定させるにはまだまだやるべきことが山積みで自身の生活よりも優先すべきことがあったからだ。

「ゴウゴウ、様、報告ですよ」

「様付けは止めてくれといつも言っているだろう」

 ニウニウはよくゴウゴウを揶揄って楽しそうに笑っていた。そんな彼女にゴウゴウが惹かれていなかったと言えば嘘になるだろう。その彼女は自治会が都において安定した力を持つようになるとすぐにいい人を見つけ結婚してしまったわけだが。

「丙自治会も大きくなったわ」

「お前の様に優秀な奴が大勢いたからだな」

「下の世代も育って来てる。私の力はもういらないわね」

 活動が実を結び都において自治会の名を知らぬ者がいなくなった頃、ニウニウは都を出て赤倉の町へ居を構えることをゴウゴウに告げた。

「商売で一旗揚げるのが旦那の夢だからね。私はそれに付き合うことにするわ」

「そうか。あそこはこれから発展していくだろう。……遠くから成功を祈っている」

 丙自治会の多くの友人に見送られ都を去った彼女の姿はゴウゴウの脳裏に焼き付いている。それから彼女は何度か折を見て都に顔を出していたのだがここしばらくは手紙一つ寄越さなくなっていた。ゴウゴウはそのことを心配してはいたが赤倉の町には伝手も無く、また彼自身も多忙な日々に追われ中々調べることが出来ずにいた。

 そして今、彼は自らの足で赤倉の町を訪れたのである。

 

「ゴウゴウさん?」

 瑞葉は問いに答えることなく遠くを見つめるゴウゴウに少々不安を覚えていた。もしかすると今自分がした質問はあまり聞かれたくない事柄だったのかもしれない、或いは今は怒りを覚えている頃合いだろうかと。しかしゴウゴウは俯いて少し寂しそうに笑う。

「彼女は、古い友人だ」

 たったそれだけの言葉だった、しかしその一言に込められた思いの強さは瑞葉とハクハクハクに確かに伝わっていた。


 周囲の調査が終わりロロとエゴエゴが戻ってくるのと魔物が動き出すのはほとんど同時だった。

「都合いいな。このまま全員で突っ込んで巣を潰しちまうか」

「落ち着け、俺たちは確実にこの地の安全を取り戻す。その為には慎重を期すべきだ」

 エゴエゴは血の気の多いことを口にするがゴウゴウがそれを窘める。彼らはあくまでこの日を魔物達の観察の為に費やしていた。魔物達の移動はのんびりとしていてまるで外敵を恐れている様子は無い。

「警戒する様子が無いですね」

「おそらく恐れるべき外敵がいないということだろう」

 たとえ魔物と言えど無敵ではない、冒険者やより強い魔物、時には魔力を持たぬ獣にだってに襲われる危険は常に存在する。群れからはぐれたトウボクサイが牙獣の群れに襲われ死骸となることも珍しくは無い。しかしここに居る魔物たちはまるでそう言った者を恐れていないようだ。

「まあ確かにさっき俺様が周りを見て回った時も他にそれらしい気配は見つからなかったな」

「こんだけ深い森なら何かしらいそうなもんだけどなあ」

 森には多くの食料や身を隠す場所があり多くの獣や魔物が生息している場所だ。山が多く自然豊かな山河カンショウの国において商人や旅人の護衛依頼が多く出されているのは、どうしても街々を渡り歩く際に木々が鬱蒼と生い茂る危険な場所を通る羽目になるからである。そういう意味では今の状況は少々不自然に思えるところもあった。

 魔物の後を付けていると正面に切り立った崖が見えて来る。

「あれが噂の所だよな」

 そこは町長の息子から聞いた洞穴が存在する場所だ。

「確かに幾つか洞穴が見えます」

 確かに存在する洞穴は中が暗くその先までは見通せない。しばらく観察を続けるとその内の一つへトウボクサイたちが入って行く。

「……入りましたね」

「どうする?」

 判断を委ねられたゴウゴウは洞穴をただじっと見つめている。風が吹いて木の葉が舞う、それが彼らの前を通り過ぎるとようやく口を開いた。

「ロロ、お前ならどうする?」

「え、俺?」

 突然尋ねられたロロは思わず口ごもる。既に周りに判断を任せるつもりになっていたようで、ゴウゴウはそれを見抜き敢えて話を振ったのだろう。

「えっと、洞穴に乗り込む、のは無しだよな」

「なぜそう思う」

「暗いし狭いし戦い辛そう?」

「半分正解だ」

「半分かあ」

 ロロは悔しそうに息を吐いた。ゴウゴウはその様子に微笑み、それと同時にロロの後ろにこそこそと隠れようとしている影を見つける。

「ハクハクハク、お前はどう思う?」

「ぴっ」

 彼女は次に話を振られることのないよう隠れて気配を消そうとしていたようだがこの距離でそんなことをしても意味は無い。寧ろゴウゴウは隠れようとしていたことを窘めるように睨んでいる。彼女はそのことに気付くと頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだったが、背をそっと押されたのに気付き少し落ち着きを取り戻す。

「あ、あ、えと。……すぅ、ふぅー。ほ、洞穴の中が、ど、どうなってるかわからない、です。だからその、危ない、かな、って」

「……まあ、いいだろう。その通りだ」

 ハクハクハクはちらっ、といつの間にか後ろにいた瑞葉に目配せをする。彼女は感謝の必要は無いとでも言わんばかりに何も口にはしなかったが。

「ロロ、あの洞穴に乗り込んだ場合だが、俺たちが戦うべき相手がどこにいるのか、どれだけいるのか、そもそもそこは俺達にとって有利なのか不利なのか現状ではわからない」

「んー、あ、そっか。さっき入った奴で全部かわからないもんな」

「地形もわからないだろう。例えば幅が狭い洞穴ならば俺たちはトウボクサイの突進を避けることは出来ないだろう」

 ロロは避けることも出来ない細い洞穴の中でトウボクサイの巨体が迫ってくる様子を想像する。今まではぎりぎりの所で横に跳んで避けていたが避ける場所が無いとなるとその恐怖は筆舌に尽くしがたいものだ。

「流石にあれをまともに食らうのは勘弁だな」

「そうだろう。俺たちが魔物と戦う時に気を遣うべきことは多岐に渡る。お前たちがこの先も魔物と戦い続けるつもりならそれらを自身で考えられるようにしなければならないし、その上でどういった判断を取るか決断を迫られるだろう」

 その言葉を聞き三人は気付く。今、ゴウゴウは共に来た未来ある冒険者に先駆者として知恵と経験を授けようとしているのだと。

「ではロロ。もう一度聞こう。洞穴の内部がどうなっているかわからない状況で魔物を討伐する為に中へ入ることは是か非か」

 ロロはじっ、とゴウゴウの瞳を見つめる。ゴウゴウも同じようにロロの瞳を見つめる。そして、ロロは。

「今は入る時じゃない、かな」

 そう言った。

「そうか」

 そしてゴウゴウはその答えに満足気に微笑むのだった。


 一行はこの日を魔物達の行動を把握することに使い切ることとなった。警戒しながら洞穴を観察しているだけの時間は特にロロにとって退屈な時間ではあったがそれなりの成果があったとは言えるだろう。

「結構たくさんの魔物がいるんだな」

 最も重要な情報は間違いなくそのことだろう。彼らが最初に見つけたトウボクサイの群れ、これは数頭程度でこれだけならすぐに終わっていたはずだ。しかし時間が経つにつれて複数種の魔物が洞穴へと戻って行くのが確認できたのだ。

「元々聞いていたのはトウボクサイとハネトカゲだったがイワムシもいるのが見えたな」

 ハネトカゲは発光する鱗粉を撒き視界を奪うのが得意で、イワムシは背中に背負った岩の様に見える殻を攻撃と防御に使う。しかしどちらも危険度は低い魔物で普通なら彼らが苦戦するような相手ではない。

「数が多いですよね」

「そうだな。正直なところ想像以上の数だ」

 ハネトカゲが通り過ぎた時には周囲が鱗粉によって神々しい雰囲気を醸し出していたし、イワムシが来た時には地面が彼らによって埋め尽くされていた。たとえ一体一体が脅威でなくともあの数に囲まれた時に対処できるかと言うのは別の話になる。

「まあ俺ならまとめて雷の餌食にしてやれるがな」

 エゴエゴが自慢げに言う。実際、彼が本気を出せば多少囲まれたところで自身から全方位に雷を放出することであっさりと難を逃れることが出来るだろう。

「エゴエゴ、それはあくまで最終手段だ。現状、俺たちは可能な限り周囲への被害も考慮して動く必要がある」

 しかしそのような手段を彼らは取らない。瑞葉は冒険者研修をふと思い出す。炎を出す魔法が得意と言った際に火事になる可能性があるから別の魔法を学べと言われたことを。雷とは強大な自然現象であり、時に山の奥深くに落ちれば大きな火事となることがあるのは彼女も知っていた。故に雷を扱う二人はその魔法の扱いに気を遣わねばならないのだと。

 瑞葉のその考えは確かに当たっている。しかしそれが全てではない。

「わーかってるよ。あの町長さんは俺達にいい印象なんか無さそうだしな。周囲には被害を出さず魔物だけを倒す、だろ? 俺も後で難癖付けられるのは勘弁だぜ」

 ロロと瑞葉はその言葉で丙族の微妙な立ち位置に改めて気付かされる。彼らは確かに町を魔物の被害から救いに来た冒険者である。そして冒険者が魔物と戦う際、周辺の物や環境に一切の被害を与えないというのは難しい。無論、通常それらを気にする者はいない。依頼を出す者は彼らでは対処が難しいと考え冒険者を呼ぶのだから、その際に起きた些細な被害に関しては見なかったことにするものだ。それに明らかに必要以上の被害があったのならば国がそれなりの保証をすることを約束している。ただしこれはあくまでも制度としての話であり、個人間の話は全く別の事だ。

 赤倉の町長は丙族をはっきり嫌っておりゴウゴウ達を見て明らかな反感を覚えていた。もしも彼らが町のどこかに被害を出したならそれがどんなに些細でもあげつらって怒鳴り散らすのが想像できる。いや、町の被害に限らない。例えば森の木々が焦げていたら、地面が抉れていたら、洞穴の岩壁が崩れたら、それを元に文句を言って来ないと誰が言い切れるのだろうか。無論、他の者はその程度の事を問題にはしないだろう。しかし丙族への悪感情は周辺へ伝染し引いては彼らの立場を悪くする。

 丙自治会が昔から相手取っているのはそう言った形無き悪意なのだ。

「周りに被害を出さないように倒すとなると少しずつ誘き寄せて倒していくのが無難ですかね」

「それも一つの策だ。ただ魔物達がそれにいつまで気付かずにいてくれるかはわからないな」

 これまで外敵に脅かされず警戒の緩んだ魔物を誘き寄せる、これは非常に簡単だろう。しかし同じことが何度も起こればどれほど頭が平和に緩んでいても気付くものだ。

「となると、一度に全部の魔物無いしその大半を誘き寄せる必要があるってことですか?」

「その場合は大規模な戦いになるだろうな。俺とエゴエゴ、それにハクハクハクの魔法もあることだ、殲滅するのは難しくない」

「そういやお前の魔力凄いもんな」

 エゴエゴがハクハクハクの肩を叩く。実際、多数の魔物を相手取る際にハクハクハクが全力で魔法を放てばそれだけで大半を倒すことが出来る。それほどに彼女の魔法は強大であり、それと同時に危険だ。

「当然俺たちは巻き込まれないように事前の位置取りをせねばならないし、終わった後に周囲がどうなっているかは保証は出来ないが」

「……まあ」

「確かに」

 実際に彼女の魔法を間近で見た二人は思わず声を揃えて頷く。初めての依頼では山の中で木々が宙を舞っていたほどだ。こんな場所で放てばどうなるかは火を見るより明らかだろう。

「しかし魔物の数が想定より多い以上そういう手段を持っているというのはありがたいことだ。いざという時には頼りにしているぞ」

 ゴウゴウに肩を叩かれた彼女は期待をかけられていることに緊張し、がちがちになりながらも何度か頷いた。

「でもさあ。それならどうするんだ?」

 ロロが思わず尋ねる。

「今のままだとどうやったって何か問題が起こるってことじゃないのか?」

 そのことには瑞葉やハクハクハクも気付いていた。気付いていたからこそ聞けなかったことでもある。多数の魔物を同時に相手取れば周辺に多少の被害が出て町長から反感を得るのは間違いない。しかしそれを避けようと少しずつ倒すにしても相手の魔物がいつまでもこちらに都合よく動くとは思えない。ある程度の長期戦は覚悟するとしてもいつまでもこの町に留まっていれば町長の反発は強まるだろう。

 この難問にどんな答えを出すのか、自然とゴウゴウに皆の視線が集まる。

「簡単なことだ」

 はっきりと彼はそう口にした。

「問題がどこへあるのか考えればやるべきことは一つだろう?」


 魔物達がすぐさま町を襲うことは無いだろう。あれらは安定した暮らしを送っている。食料もまだ潤沢にあり縄張りも広く町の人々と敵対する理由はまだ無いのだから。つまり多少の時間的な余裕はある。

 故に彼らが取った行動は町へ戻るという手段だ。

「俺が町長を説得する」

 ゴウゴウは力強くそう述べた。

「現状見えている範囲で最も問題となるのはこの町と我々の関係に尽きる。特に町長だ」

 そもそも町長がこの魔物退治に協力的であれば今彼らが悩んでいる問題の大部分は解決する。町や周辺環境への多少の被害を看過できるものとするのであれば取れる手段が大きく広がるのだ。

「あの固い頭を説得できれば俺たちが取り得る策は増えこの依頼をかなり楽に終えることが出来るだろう」

「でもあの人相手にゴウゴウさんが行っていいのか?」

 ロロの問いは当然だ。彼が丙族を嫌っていることは周知の事実、そしてゴウゴウが既に丙族であることはばれているのだ。

「ロロの言う通りですよ。門前払いされません?」

「問題ない。そもそも俺は丙自治会の会長としてそういう人をこそ相手にして来たのだ。少々時間はかかるかもしれないが……」

 ゴウゴウがちら、とエゴエゴの方を見る。それを受けて彼はにやりと笑みを浮かべた。

「要するに説得までは俺達で町を守れってことだ。ま、それは俺の得意分野だな」

 エゴエゴが拳を合わせると同時にばりっ、と周囲に放電し気合を入れているのが見て取れる。その様子にゴウゴウは安心したように笑みを浮かべた。

「ロロ、瑞葉、ハクハクハク」

「ん?」

「はい」

「むぃ」

 ゴウゴウの呼び掛けに三者三葉の表情で振り返る。

「俺たちは人が出した依頼を受けてそれをこなすのが仕事だ。それは分かるな?」

「それぐらいはなあ?」

「まあ」

 ハクハクハクも二人に続いて頷く。

「だからこそ忘れてはならない。こんな魔物退治であっても俺たちが相手にするのは魔物だけではないんだ」

 ゴウゴウが視線を余所へ移す。三人もつられてその先を見た。森の木々、その先にある赤倉の町。

「俺たちは人を相手に依頼をこなしている」

 依頼を出したのは町長の息子だ。しかし依頼人の事だけを考えるのが冒険者のすべきことなのか、少なくともゴウゴウやロロたちはそうではないと信じている。

「誰もが納得できる終わりの為に奔走することを俺は間違いとは思わない。お前たちもそうだろう?」

 依頼人が、冒険者たちが、町に住む人々が、全てが終わった時にその誰もが幸せならばそれより良いことなどきっと無いのだ。


 赤倉の町へ戻るとゴウゴウは町長の家へ、残りの者は宿へと向かう運びとなった。

「ゴウゴウさん一人に任せていいんですかね」

 そう呟いたのは瑞葉だ。ゴウゴウの言葉を疑っているわけでは無いが、今の状況を客観的に見れば一人に面倒ごとを押し付けた様で落ち着かないというのも理解できる。

「だよな。俺も付いて行きたかったぜ」

 ロロも同じような気持ちだ。こうしてただ宿に戻るだけという役割は居心地が悪い。町長の説得に何かしら手を貸すこともできたのではないかと思わずにはいられないのだ。

 しかしここに残った丙族二人はそう思ってはいないようだった。

「お、大勢で行くと、あまり良くない、かも」

「何でだ?」

 ハクハクハクの言葉にロロが疑問符を浮かべた。

「その、向こう、は、一人だし……」

「……そっか、変に大人数で行くと脅してる風に取られるかもね」

 三等星ほどの冒険者がその気になれば戦闘経験のない者など何人いても同じだが、少なくとも対等な話し合いをしようとしている格好をする必要はある。こちらに相手を害する意図が無いのであれば猶更だ。

「……でもさあ、心配だよ」

 瑞葉が不安気に町長の家の方を見る。こんな場所から何が見えるわけでは無くとも一体どんな話し合いが為されるのか、いやそもそもちゃんと話に応じてくれるのか、心配の種は尽きない。

「ま、お前らが心配することじゃねえよ」

 その声はエゴエゴが発したものだ。三人が彼の方を見る。

「ゴウゴウの旦那が何年俺たちを率いて来たと思う? 丙自治会がどうして都であれだけの力を持ってると思う? こんな交渉は旦那に取っちゃいつもの事だ」

 丙自治会は然程歴史の長い組織ではない。魔王が倒されたのが二十年前、それから魔王の残党が何年も人々を騒がせ丙族の名を地に落とした。その状況をどうにか変えようと組織されたのが丙自治会だ。ゴウゴウはその創設者の一人であり、十年以上も先頭に立って皆を率いて来た。

「俺たちがすべきことは心配することじゃねえって。旦那がしばらく説得の為に時間を取られるだろ?  なら俺たちは魔物達の動向をしっかり把握しておくのが仕事だ」

「な、なるほど」

 町長を説得するのには流石に時間がかかるだろう。その説得に支障を来すような事態を起こさないことが残された彼らの役割という訳だ。

「ま、今日の所はしっかり休んどきな。俺は少し外を回って来るぜ」

 エゴエゴはそう言い残して町の外へ向かう。三人はその背を見送ると宿へと向かった。


 赤倉の町の宿は中々に良い造りをしている。もっと手入れや掃除が行き届いていれば旅人はあの宿が素晴らしかったと吹聴して歩くかもしれない。いや、きっとそのような時代もあったのだろう。

 部屋着に着替えたロロは一人しかいない部屋で座禅を組み深呼吸をする。これは虎イガーの面々と訓練をしている時に教わったことで、心を落ち着けその日一日を振り返り頭の中を整理するのだとか。それは少々短慮で考え無しな所のある彼に必要な事だろうと。

 ロロは頭の中で今日の一日を振り返る。馬車に揺られやって来たこの赤倉の町、早速とばかりに向かった場所では町長に邪険に扱われたものだ。そしてその息子に今の町の状況について話を聞き、食堂の老婆に昔の話を聞いた。そして実際に魔物の調査に赴き、今は宿にいる。

「……うーん、何を考えればいいんだ?」

 一日を振り返るだけならこれで終わりだ。しかしそれで終わりにしていいとは思えなかった。もっと考えるべきことがあるはずだ、そう感じている。しかしそれが何かわからない。

「……いや、違うな」

 ロロはふと気付く。今、自分は何を考えるべきかわからないのだと思ったがそれは思い込み、或いは意図的に自らを騙しているのだと。例えば赤倉の町の未来に関して考えてみてもいい、町長の説得を自分だったらどんな風にするのか考えてみてもいい、トウボクサイやハネトカゲなんかの生態を思い返すのもいいだろう。考えることなど幾らでもあるじゃないか。

 しかしその中身を深く考えることが出来ない。なぜだか心をかき乱されるように集中できない。

「んー……、何だか集中できないな」

 実はこれは今日が初めてではなかった。寧ろ最近はずっとこうなのだ。ロロは一人落ち着いた時間を過ごしていると何か心の中でざわつきを覚えることがある。いや、一人の時だけではない。瑞葉やハクハクハクといる時もそうだし、今日一日の中でもそれを感じたことが何度かあったのだ。

「駄目だ」

 そうして何かを考えるのを中断しそのまま布団の上に倒れ込む。そのまま目を閉じてぼーっとしていればいつかは眠ってしまえるだろう。夢の中でまでは胸がざわつくようなことも無い。

「俺はかっこいい冒険者になるんだ」

 そう言って彼は目を閉じ夢の中へ逃げ込もうとした。

 冒険者の話をしよう。彼らは研修や試験を経て正式に冒険者として活動することが出来る国家公認の便利屋のようなものだ。六等星が研修生であることを考えると一等星から五等星までの五段階の階級が存在することがわかるだろう。その中で最も人数が多いのが五等星であるのは言うまでもない。

 五等星の冒険者、その中身は大別して二種類の者が存在する。危険度の高い依頼を受けるか受けないかだ。

 前者、ロロたちの様により高みを目指す者はそのような依頼も積極的に受けて、同行する三等星以上の者から多くを学びより強くなろうと鍛錬を怠らない。順調に手柄を上げれば一年から二年程度で四等星になれるだろう。

 対して後者はただの町の便利屋だ。日常的に出される些細な依頼を受けて日々の生活を送る者もいるし、本業が暇な時に依頼を受けに来る者もあるだろう。彼らの多くが魔物と戦う気が無いのだが、それは元々争いが嫌いや苦手か或いは実際に戦った結果恐怖に負けたか、だ。しかし彼らを嘲笑う者はいない。結局のところ誰かの為に何かをしていること自体は変わらないのだから。

 どうしてそんなことを考えたのだろうか、ロロは自問しながら寝転がっている。しかし横になっていると数日間続いた馬車移動による疲れが不意に襲ってきた。こんな柔らかい寝床にいるとどうしても眠気が襲ってくる。

 夢現になり様々な記憶がロロの中を漂っている。小さな頃の自分が両親に見守られはしゃぐのを今の自分が遠くから眺めている。瑞葉が怒っているのか学校の友人たちを追い掛け回し、ゴウゴウや竜神が彼女たちを見守っている。農場の知り合いがササハ村に走って行って卸先の店主は遺跡で商売をしている。他にも依頼で行った村の住人や最近知り合った冒険者たちが入り混じった記憶の水泡となり浮かんでいる。

 彼は不思議と水中を揺蕩い流されるままになる一枚の葉っぱになった気がしていた。大きな水流になすすべもなく流され、波が水泡を作り彼の記憶を攫って行く。自身の過去が泡となって消えて行く感覚は筆舌に尽くしがたい恐怖を覚えさせるものだろう。

 しかしロロは怯え竦むことなく水中に浮かぶ記憶の泡に見入っている。そしてふと気が付いた。幼い頃の記憶、瑞葉と二人で絵本を読んでいる姿を見て。

「じゃあ俺はかっこいい冒険者になるぜ!」

 そう言った自分を見て。

 目が覚めると既に夜は明けていた。眠っていたのか起きていたのかわからないようなだるさの中で彼は呟く。

「俺、何で冒険者になるって言ったんだっけ」

 本当に自分は冒険者になりたいのか、彼はそんな疑問を初めて自分にぶつけたのだ。


 ロロが部屋を出て顔を洗ったりしていると瑞葉とハクハクハクも起きてきたようだった。三人は連れ立って朝食へ向かう。

「昨日はようやくまともに休めたわ。その前までは朝が来ると馬車に揺られないとって思うと憂鬱でねぇ……」

 どうやら瑞葉はよく眠れたらしく顔色も健やかである。実際、馬車の移動で最も疲れを感じていたのは彼女であろうしとりあえず数日はその心配が無いとわかって少し安堵しているところだろう。

「私も、その、よく眠れたよ」

 ハクハクハクもどうやらよく寝られたようで血色がよい。元々彼女はどんな場所でも寝られる性質ではあるのでどこへ行くにも寝起きは元気そうだ。ただし心配事などがあると寝られない日もあるのでもし目の下に隈でもあれば何か話を聞いてやるべきだろう。

「結構いい布団で気持ちよかったしロロもよく寝られたでしょ」

「ん、ああ。そうだな」

 ロロは寝起きが悪かったことなどわざわざ伝えることでもないと嘘をついた。いや、嘘と言うべきかは微妙だ。夢のような何かを見るぐらいには確かに寝ていたが、どうにも妙な疲れが残っているといういまいち形容しがたい感覚。

「それより朝飯は何が食えるんだろうな! どうせなら朝からステーキとか食いたいけど」

 なんとなく嘘をついたような後ろめたさからロロは即座に話を逸らす。

「朝から? それより野菜スープとかの方が良いわよ。ねえハクハクハク」

「え、あ、私は、その、どっちでも」

 そんな風に話しながら歩いていると三人はどうも宿の前が騒がしいことに気が付く。 

「何かあったのか?」

「まさか魔物が?」

 思わず湧いて出た疑念が三人の足を速める。結論から言えば彼らの予想は外れていた。但し、現実はある意味でもっとまずい事態となっているが。

 宿の前には大勢の人が集まり彼らは一様に沈んだ表情でぼそぼそと遠くからは聞き取れない程度の声で話している。ロロは外へ走り出ると近くにいた者に話しかける。

「なあ、何かあったのか?」

「え、ああ……、と。子供に聞かすような話でも」

「こう見えても冒険者だぜ。魔物でも出たんなら俺が戦うぞ」

「冒険者? ……ああ、そういやジョセアが呼ぶって言ってたな」

 どうやら彼は町長の息子の知り合いのようで冒険者が来るという話は聞いていたのだろう。そして胸のバッジを見ればロロが嘘をついていないこともすぐにわかる。ただそれでも話すべきかは少し迷いがあるようだった。しかしやがて決心したように唇を噛むと顔を近付け口を開く。

「……いや、魔物が出たんじゃないんだ」

「なら何が」

「殺されたんだ」

「え?」

 ロロは思わず聞き返した。予想だにしていない言葉を聞き一瞬冗談なのかとさえ思った。しかし目の前の男の表情はとてもそんな風には見えない。

「町長が誰かに殺されたんだよ」

 赤倉の町に強い風が吹く。それはこれまで停滞していたこの町を一新するかのように、強く、強く。その先に待ち受ける未来はまだ誰にも分からない。

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