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3.冒険者になる為に

 ショウリュウの都、商店街。

 大勢の人が行き交う商店街、ここはショウリュウの都で最も賑やかな場所だ。右を向けば肉屋が国外から輸入した牙獣の肉を大仰に見せびらかし、横の金物屋がその肉を楽に切れる包丁を実演販売している。左を見れば冒険者が干し肉や水を大量に購入し荷車を引いて歩いていた。

「知ってるか、あそこの肉屋余った肉は干し肉にして向かいの冒険用品店に卸してるらしい」

「知らないのはあんたぐらいね」

 ロロと瑞葉は採れ立ての野菜を抱えてその中を歩いていた。二人は研修の為に志吹の宿に向かう途中なのだが、ついでとばかりに親が働く農場の手伝いで馴染みの八百屋に野菜を届けるように言われたのである。

「この野菜だって漬物とかにして冒険用品店行きになることもあるらしいわよ」

「本当かよ。漬物なんか売ってるのか?」

「帰りに寄ってみる?」

「そうだな……、いや。俺たちが真の冒険者になってからにしよう」

「確かにその方が気分が出ていいわね」

 八百屋はまだ準備中のようで店先に野菜を並べているところだった。

「おじさん、おはよう」

 そう言いながら二人は荷物を下ろし店先に野菜を並べ始める。配達に来たのは一度や二度ではなく、いつもの日常と化した作業だ。

「おはよう二人とも、今日は朝早いね」

「まあな。俺たちもとうとう冒険者になる日が来たんだ」

 ロロが自慢げに昨日もらったばかりの冒険者バッジを見せつける。八百屋のおじさんはそれを見ると物思いに耽るように遠い目をする。

「お、六等星のバッジだ。久しぶりに見たなあ、去年ぐらいにイザクラさんとこの子がつけてたのを見たっけねえ。そうか、二人もそんな年になったんだなあ。ずっと冒険者になるって言ってたもんなあ」

「今は見習いだけどさ、すぐに俺たちの武勇伝がこの都中に広がるぜ」

「その時にはおじさんの店も紹介してあげるよ。美味しい野菜売ってるおすすめの店だって」

「そうかいそうかい、期待してるよ」

 その後も三人は野菜を並べながら、農場の様子はどうか、冒険者になってどうするのか、しばらくは晴れ間が続くとか、そんな他愛もない世間話を続ける。やがて持ってきた箱が空になるとロロたちはその場を後にする。

「じゃあ俺たちは冒険者研修があるから」

「ああ、頑張ってな」

 八百屋のおじさんは志吹の宿の方へ向かう後姿を見送りながら感慨に耽る。冒険者になったらお祝いに何か珍しい野菜でも取り寄せようかと微笑んだ。


 二人は商店街の中を時折見知った顔に冒険者バッジを見せびらかしながら通り抜ける。道行く人たちは憧れに向けて進み始めた彼らの背を暖かい声援で押し出した。

 商店街を抜けて川を少し下ると志吹の宿が見える。いつも見かけるような冒険者の姿がそこにある。ロロも瑞葉もそれを見て思わず自分の服につけているバッジを撫でた。

「俺たちもあの一員になるんだな」

「ええ、必ず」

 都の外へ向かう冒険者の一団を見送りロロたちは志吹の宿へと足を踏み入れる。

 

宿の中はちらほらと客か冒険者かが見える。あるテーブルでは主人である崎藤が自ら給仕をしながら何やら話をしている。相手は高名な冒険者で二人も何度か話をしたことがある女性だ。そして不意に彼女がロロたちに視線を向ける。

「やあ、待っていたよ」

「竜神さん、一人でここに? ザガさんは?」

 彼女の名は竜神。二等星の冒険者であるザガが率いる一団のサブリーダーを務めている。考えなしに突っ込みがちなザガの手綱を握れる貴重な人物である。そんな彼女がザガを連れず一人でいるのは珍しく、ロロの口からは疑問が零れた。

「ザガなら今日はいないよ」

「彼は今朝早くにイザクラ考古学団と遺跡調査に向かったよ。数日は帰ってこないんじゃないかな」

「私もしばらくは馬鹿の面倒を見なくてすむわけだ」

 はっはっは、と笑い声が響く。団員からはザガの面倒を見られるのは彼女しかいないと思われるほど信頼が厚いのだが、しかし彼女自身はザガの面倒を見るのが嫌いらしい。

「あはは、竜神さんがお一人なのは珍しいですね」

 瑞葉が愛想笑いと共に緊張しながら声を上げる。彼女は竜神が決して恐ろしい人ではないと知っている。しかし……。

 高名な冒険者には稀に勝利して名を上げようと決闘を挑む者がいる。そして二年ほど前のこと、竜神が商店街で買い物をしている時にそんな冒険者が彼女の前に現れた。しかし竜神は取り合おうとしない。曰く。

「私は名を上げることになんて興味がないし、その手伝いをする気もない」

 それだけ言うと彼女は徹底してその冒険者を無視し続けた。やがてそいつはしびれを切らして横にあった店の壁をぶち壊した。

「てめえが無視するってんなら俺はばわっ」

 気付いた時には竜神がその冒険者の顔を鷲掴んで持ち上げていた。崎藤が壊れた壁に頭を抱えるのを見える。それを一瞥し物語の竜のように恐ろしい形相をした彼女は静かに口を開く。

「わかった、あの壁のようにしてやるよ」

「ま、待って」

 悲痛な悲鳴が宿の中に響き渡る。その冒険者は田舎に帰って狩りをして暮らしているらしい。

 そんな一部始終をたまたま目撃していた瑞葉は、それ以降竜神と会う際にはそのことを思い出してひどく緊張するようになったという。それはさておき、たとえ瑞葉にとって竜神がどんな恐ろしかろうと先の言葉は聞き捨てならなかった。

「えっと、その、待っていたっていうのはどういうことなんでしょうか?」

 竜神は自分たちを待っていたと言った。瑞葉は何か失礼なことをしてしまったのだろうかと内心震えが止まらない。ロロが隣でいつも通りの様子でいるのさえ少し気に食わなく感じるほど。もっともその心配は杞憂だが。

「六等星になったんだろう? ミザロと崎藤から聞いた、というか頼まれてね。しばらく研修の手伝いをやってくれってね」

「竜神さんが? 俺はてっきりミザロ姉がやるのかと思ってたけど」

「ミザロもやるけどね。一人じゃ教えられないこともあるし、単純に時間が取れないでしょ? 依頼の振り分けとかって大部分はミザロがやってるし、場合によったら自分で依頼をこなしにも行ってるからね。単なる看板娘じゃないんだよ」

「人いないの?」

「ここ崎藤さんとミザロと食堂のおばちゃんしかいないんだよ。流石に少ないよねえ、新しく人雇った方がいいんじゃない?」

 問われた崎藤は頭を掻いて気まずそうに答える。

「あはは、いや、考えてはいるんだけどねえ。みんなが頑張ってるから経営が苦しいわけでもないんだけど、ミザロちゃんあれで節約志向でね。あんまりいい顔してくれないんだよねえ」

「へー」

 やんややんやと三人が盛り上がる中、瑞葉の背には冷たい汗が流れる。竜神との冒険者研修、どうか殴られたりしませんようにと心の中で祈った。

 世間話が落ち着いた頃、竜神が残っていた水を飲み干して立ち上がる。

「さて、そろそろ行こうか。とりあえず最初は冒険者の基礎知識からだ。崎藤さん研修室を借りるよ」

「好きに使ってね。こっちがお願いしてるわけだし」

「よっしゃ、やってやるぜ」

「……そうだね」

 崎藤が手を振り見送る中、宿の奥へ三者三葉の面持ちで向かっていった。ロロと瑞葉の研修がこれより始まる。


 竜神に引き連れられ二人は宿の研修室へ。そこはつい昨日学力測定を受けた部屋だ。狭い部屋で十人も入れば少し息苦しく感じそうだ。前方には黒板があり、それを使いながら研修をしていくのだろう。入ってすぐのテーブルに二人は並んで座る。それを確認して竜神が早速話し出す。

「さて、研修を始めていくわけだけど……。最初に教えることは法律で決まってるんだよね」

 黒板に竜神は文字を書き込んでいく。『冒険者とは何か』。

「冒険者とは何か。ロロ、冒険者って何?」

「竜神さん、そんな簡単なことわざわざ聞かないでくれよ。冒険者っていうのは魔王とか倒したりするんだよ」

「瑞葉はどう思う?」

 瑞葉は右手で襟元を摘み少し考え込む。

「……えっと、冒険者は……。魔物を退治したり、商人を護衛したり、どぶさらいをしたり、迷子探しをしたりする。つまり、便利屋です」

「二人ともここでは不正解。学校では便利屋ってことぐらいしか教えてくれないんだっけ? 今は何を教えてるのか知らないんだよね。まあ便利屋って言うのは実態には即してると思うけど。まあそれは置いといて、少し長い話になるけど聞いてもらおうか。冒険者がどういう存在なのか」

 冒険者とは依頼を取りまとめる拠点で依頼を受け、それをこなす。ただそれだけの存在だが三大国という強大な国家がそれを保護しているのには訳がある。

「冒険者って言うのは公的な機関には難しい部分を補う役目があるんだ」

「ん-? よくわからん」

「例えばここショウリュウの都には自警団がいるね。あれは名前と違って実際には国の機関なんだよね」

「それは聞いたことがあります」

「自警団の役割は基本的にショウリュウの都を守ること。だから都内部の治安維持や周辺の魔物退治辺りまではやってくれるわけだ。でも商人の護衛なんかは基本的にやらないよね。他にも少し離れた町で魔物が現れた時だってあまり動かない。だって役割から逸脱してるもの」

「あの、王都の軍が動いたりしないんですか? 確か、昔に、蛇獅子の群れが出た時に、その軍が討伐しに行ったと思います」

「あったね。五年ぐらい前だったかな? でも蛇獅子の群れを発見したのは冒険者だしそれが街に向かわないようにしたのも冒険者だね。軍が動いたのは発見から十日後とかだったかな」

「そうだったんですか?」

「軍は編成に時間がかかるし、国全体を網羅するには数が足りない。人を増やそうにも国の金にも限界があるし人材の育成っていうのもなかなか難しい。さあどうしようか、って時にたまたまこの志吹の宿で冒険者の仕組みが上手くいってたんだ」

 およそ四十年前、志吹の宿では仕事で宿にずっと泊まっている客の一団がいた。その中の数人は仕事が終わった後もこの都に愛着が湧いてここに住むことにした。その時に彼らが仕事として始めたのが依頼を受けてそれをこなすという便利屋稼業。当時の志吹の宿の主人は顔が広く都のどこからか困り事を依頼として受けては彼らに頼んだ。噂が広まるにつれて依頼人も、それをこなす者もどんどん増えていった。誰かしらが便利屋じゃなく冒険者と呼べ、と言いそれは不思議と定着し彼らは冒険者と呼ばれ始める。その頃、この国の王がこの制度に目を付けたのだった。

「国は公的な資金と労働力をほとんど使わずに多くの問題を解決できる手段として冒険者制度を保護してるんだ。うまくやったもんだよ」

 そこで聞かされた冒険者の姿は二人が想像していたものとはかけ離れていた。物語の中の英雄ではなく現実的な人の営み。

「冒険者ってのは世に蔓延る空想の物語のおかげでまるで世を救う英雄のように思うやつは多い。でも実際には本当にただの便利屋だ。崎藤も言ってたんじゃないか?」

 かっこいい冒険者になる。それはロロと瑞葉が高らかに宣言した言葉だ。二人がなりたいものはぶれていない、しかしその姿はおぼろげでまるで現実感のないものではないだろうか。

「さて冒険者になりたいなら私は歓迎するよ。これから冒険者としての基礎的な知識を覚えていこうか」

「ああ、どんとこいだ」

 ロロが声を張り上げる。その隣で瑞葉はそんなロロを羨ましそうに見ていた。

 基礎知識の項目は本当に基礎的な話で、依頼の受け方から実際に報酬を受け取るまでの流れや冒険者に与えられる権利と様々な規制の話など。はっきり言ってつまらない話だが冒険者として活動するには絶対に必要になることだ。ロロにとってはかなり苦痛に感じる時間でメモを取る手もなかなか進まなかったが、瑞葉はひたすら知識を詰め込むのは鬱屈とした気が紛れる時間になっていた。

 志吹の宿内でのルール、国の法律、最低限のマナー、依頼に応じて必要な荷物の量、様々な事物の金銭的な相場などなど。竜神は二人に必要なことを伝え終えると大きくため息をついた。

「今日はこのぐらいにしておこうか。全くミザロも面倒なことを頼んでくれる。知ってる? あいついつも基礎知識講座を私に投げるんだよ」

「それだけ信頼されてるんじゃ?」

「私は体を動かす方が好きなんだけどね」

 瑞葉は過去に見た竜神の姿を思い出す。体を動かすことに関しては加減できないと思われているんじゃ、なんて言えるはずはなかった。


 ロロたちは崎藤に挨拶をすると宿を出て帰途に就く。二人雑談しながらすれ違う人の中には冒険者らしき人もいる。瑞葉は彼らの中のどれだけが英雄になることを夢見て、彼らの中のどれだけがそれを諦めたのか想像していた。ふと隣を歩くロロが何を見ているのか気になり視線を向ける。しかし彼女はすぐに視線を逸らした。自分が何を期待したのか、或いは何を恐れているのかがわからなかった。

瑞葉は家に帰ると義父と母との夕食を楽しみ、それから部屋に籠る。手に取ったのは少し表紙が擦り切れた古い絵本。彼女が物心もつかない頃に本当の父が買ってきてくれたものだ。母はたまに懐かしむようにこの本を撫でて少し寂しそうな顔をしている。瑞葉にとっては数少ない父と自分を繋ぐ思い出の品であり、冒険者に憧れた切っ掛けでもある。

「英雄となった冒険者は故郷へ戻り幸せに暮らしました」

 そんな言葉で結ぶこの絵本は、正に冒険者を英雄のように描いた物語だ。瑞葉はロロと二人でこの絵本を何度読み返しただろうかと思う。しかしこの日は最初の頁を開く勇気を持つこともできなかった。しばし考えて絵本を本棚に戻すと自分が使っていた学校の教科書を取り出す。ロロの学力であれば何年生のものがいいだろうと瑞葉は思案する。誰かの為に何かをするというのは気分良く思考停止できて便利だ、瑞葉は頁をめくり筆を動かす。そうして夜が更けていく。

 月が天頂に達する頃、ロロは体を動かすのを止めて軽く体を洗って寝よう、そう考えた。そう思い立つとそこからは早く、さっさと体を洗って床に就く。悩みや不安はあったかもしれない、ただそれで目指す道を諦める必要はないと信じていた


 志吹の宿、研修室。室内には昨日と同じ顔ぶれが揃っていた

「今日は冒険者の必須技能について説明しようか。依頼人と良好な関係を築く人心掌握の術や獣や魔物の痕跡の調べ方とか、他にも色々」

「強くなる方法とかは?」

「別にそれって必須じゃないでしょ。戦わなくてもできる依頼もあるんだから」

「あって困るものじゃないけどね。今日はそういうのはなし」

 竜神が一枚の紙を取り出して二人の前に置く。

「じゃあまずは地図の読み方から教えて行こうか。依頼を受けてまずすることは依頼主の場所まで行くことだからね。君たちは目的地に辿り着ける?」

 ロロも瑞葉も都を出たことはなく地図もあまり見たことはなかった。地図を見ながら見当外れのことを言う二人に竜神はくくく、と笑みを浮かべる。

「君たちは強くなるよりも学ぶべきことの方が多いってことだ。この研修の間に色んなことをしっかり学ぶんだね」

 ぐうの音も出ない二人。この日、彼らは幾つもの知識を頭の中に詰め込んで帰っていく。去り際、明日もまた新しい知識を詰め込むことになるよ、その言葉は聞こえなかったふりをした。


 数日後。

「今日は魔力についての話をしよう。魔法が使えるなら戦う戦わない以前に今までになかった選択肢が増える。水を求めて襲ってくる人間がいても水を生み出す魔法が使えるなら分けてやればいい」 

「水の生成って確か難しい魔法ですよね」

「あくまで例えさ。私だってそんなの使えないし。それで魔力なんだけど、心臓のすぐ近くにある魔臓のおかげで私たちには魔力がある。それをうまく使うと魔法になるんだよね。細かいところは初心者向けの魔法の教本でも読んだ方がいいよ。とりあえず有名どころはヨトゥク式と孤城の流派だからできればどっちも読んどいて」

「聞いたことあるな」

「魔法と言えばとりあえずこの二人だからね。ヨトゥクと孤城はどちらも方法論に違いはあれど魔法を一般に使いやすい形で普及させた偉人だ」

「私もヨトゥク式の魔法の使い方を参考にしました。幼い頃に本で読んだんです」

「へえ、試しに少しやってもらおうか。得意な魔法は?」

「火の魔法です」

「じゃあ掌に出してみて」

 竜神の要望に応え瑞葉は意識を集中する。ヨトゥク式の魔法の使い方では自らの中にある魔力を意識するところから全てが始まる。瑞葉が読んだ本には魔力は心臓より流れ頭から四肢を巡り再び心臓に戻ってくると書かれていた。その流れを意識することで自らの意思によりその流れを操ることができる。今、瑞葉の魔力は自身の意思によりその掌に集められている。実体がなく存在の朧気な魔力はそれ故に何になることもできる。炎に変えたいと思うなら自身の魔力が魔力であるということさえ朧気にし、それは炎なのだと自信すらも騙すのだ。瑞葉は敢えて焦点をずらして自らの掌を見つめる。そうすることで輪郭を失った自らの魔力は何者にでもなれるのだと彼女は知っている。

「すぅ、ふぅ」

 深呼吸、その後広げた掌からほんのわずかに離れたところに小さな炎が現れる。燃料もないのに燃え続けるそれを三人が見つめている。三十秒ほどそうしてから瑞葉はゆっくりと炎を握り込むように掌を閉じる。先ほどまで燃えていた炎は不意に風でかき消されるように脆く消えた。

「少し火を起こすまでに時間がかかるけど問題ない。今の様子ならもっと大きな火も出せるんだろう? やるじゃないか」

「ありがとうございます」

「瑞葉は雑草とかまとめて魔法で燃やしてるんだぜ」

「なるほどね、いいことだ。追々魔法の実技も研修でやるけど火を出す魔法は訓練しなくてもよさそうだね」

「でももっとでかい炎を出して魔物丸ごと焼いたりした方がかっこ良くないか?」

 ロロの言葉を聞いて竜神は苦笑する。

「残念ながら魔物の討伐で火を使うことはほとんどない」

「え、何で?」

 瑞葉も声には出さなかったがロロと同じ気持ちだった。自分の得意な魔法を否定されたようであったし、物語では魔物を巨大な炎で焼き払うのは定番の光景だ。しかし竜神の答えは単純明快なものである。

「魔物は森に多いからね。そんな大きな火を出したら森林火災だよ」

「あ」

「あー、それもそうか」

「昔、一回そういうことが実際にあったんだけどねえ。あれは駄目だね。魔物よりよっぽど被害が大きい。それ以来この研修の内容には火の魔法を使う際の注意喚起が必須になったんだよねえ」

 竜神が説明したところによると、火の魔法は野営などをする際の火おこしや松明に火をつける場合など以外の使用は推奨されておらず、魔法が原因で火事を起こした場合は終身刑などの刑罰が国によって定められているとのことだった。

「どこでも無難に使いやすい魔法としては風の魔法だね。森や建物の中でも比較的周囲への被害が少なくて済むよ」

「帰ったら少し練習してみます」

「それがいい。魔力は筋力と似たようなものでね。練習すれば練習するだけより大きくなるし、同じことを繰り返し練習すればそれだけ技術として身につく」

「精進します」

 それからも魔力についての様々な知識が二人に伝えられた。


 更に数日後。顔ぶれの若干変わった研修室でミザロが第一声を発する。

「今日は外に出ます」

「ほんとか? 勉強ばっかりで飽き飽きしてたんだ」

「何をするんですか?」

「山歩きです」

 ショウリュウの都には巨大な滝がある。そこは広大な山の麓に当たるのだが、普段その山は立ち入り禁止となっている。理由は単純で、多くの子供や観光客が迷子になって山を下りられず遭難するからだ。しかし、ロロと瑞葉、ミザロの三人は今その山の中にいる。

「これをどうぞ」

「……地図?」

「これを見ながら設定された三か所の目的地を順番に回って街に戻ってください。制限時間は日暮れ、およそ六時間後です」

「危なくない?」

 地図の読み方の教えは受けた。依頼で山や森を歩き回る時の注意点も幾らか聞いている。しかし実際にやるとなると話は別だろう。

「ご心配なく。私が遠方から見てます」

 瑞葉の心配を余所にミザロは普段と変わらぬ事務的に返答するのみ。更にその言葉を残してミザロは踵を返して立ち去る。立ち並ぶ木々の影がミザロの姿を覆い隠していく。残されたロロと瑞葉は周囲を軽く見回すと地図を手に顔を突き合わせる。

 冒険者は魔物退治や薬草の採取の為に山へ向かうことが多い。それ故に冒険者制度が未整備の頃は新人が遭難して死んでしまうというような事故が多かった。現在では研修の中にそれを組み込むことでそれを防ぐ試みがされており、以前に比べて遭難事故は格段に減ったという。

「ロロ、どっち行けばいいかわかる」

「いやそもそも今どこにいるかわからん」

「私も」

 周囲の地形などから現在地を予測し二人は歩き出すのだが、結論から言えばその旅路は過酷なものだった。藪の中を抜け、切り立つ崖を登り、木の根に足を取られる。擦り傷などがいくつもできた頃にようや一か所目の目的地に辿り着く。

「ちょっと開けたところに出たね」

「向こうに沢があるな。おかしくね?」

「ここだと思ってたんだけど、地図上だと近くに沢はないよね」

 しかし二人は全くそのことに気付いていない。実際に自分たちが見ている場所と地図上の地形を上手く一致させることができていない。

「暗くなってきたし、どうする?」

「決まってるだろ」

「じゃあ、せーの」

 大きな声でミザロの名が呼ばれる。近くの樹上にいたミザロはその声を聴くと飛び降りて二人の前に姿を現す。

「ほんとに近くにいた」

「二人とも、お疲れ様。帰りましょうか」

 なんてことないようにミザロは二人を連れて宿へと向かう道を歩き出す。その道中、今日の研修の目的をミザロが語る。

「この研修は慣れない山は地図があっても遭難することを教える為にやりました」

 それを聞いて二人は絶句する。ミザロはその後も山の中では自分の位置を把握するのも容易ではないこと、山道は大抵の場合荒れており体力の消耗が激しく怪我もしやすいこと、山に入る場合はガイドを雇うことを二人に伝える。二人はそんなミザロの後ろをとぼとぼと歩いて帰った。


 更に数日後。研修室で座って待っていたロロと瑞葉にミザロが言う。

「今日は戦闘訓練をしましょう」

「とうとう来たか」

 ロロが腕まくりをして息巻く。

「ようやくミザロ姉をこてんぱんに叩きのめす日がやってきたんだな。一昨日の魔法訓練での扱いを後悔させてやるぜ」

 先日あった魔法訓練でロロは自分の身体強化の魔法がいかに凄いかと自慢していたのだが、それを見たミザロに鼻で笑われるということがあった。そのことを根に持ち後にあると聞いていた戦闘訓練の日を待ち望んでいたらしい。

「ロロ、止めといた方が」

「いいや、俺はもう止まらない。早く外へ行こう」

 瑞葉はそんなロロを止めようとするがもはや彼を言葉で止めることができる者などいない。ロロを先頭に三人は訓練場へ向かった。

 訓練場は相変わらず広くて何もないのだが、今日はその中央に誰かいるのが見えた。立派な髭を蓄えて腰に刀を差した男だ。

「牛鬼さん?」

「……来たか」

 牛鬼と呼ばれた彼は志吹の宿を拠点とする冒険者の一人で、今日の戦闘訓練の為にミザロが用意した先生でもある。

「もしかしてミザロ姉と戦うわけじゃないのか?」

「いえ、二人を個別に指導した方が効率がいいから牛鬼さんを呼んだだけよ」

「志吹の宿には世話になっている。恩を返さねばなるまい」

「よろしくお願いします」

 少しの説明を挟むと二人の実力を見る為に模擬戦が始まる。まずはロロとミザロだ。

「本来なら模擬戦だしいくらかルールを設けるものだけど……、まあ何をしてもいいからかかってきなさい」

 ミザロは訓練場の中央に向かうとそんなことを言った。丸腰でありながら何一つ気負うことなくロロに向けてそう言い放った。それを挑発と受け取ったロロは拳を強く握り彼女の姿を見据える。

「後悔するなよ」

 身体強化の魔法はほぼ無意識の内に誰もが使えるようになっている魔法だ。だからこそ得意と称するには多少のことでは許されない。例えば自分の体重の何倍もの重量がある荷物を運んだり、身長の倍以上ある木の上に飛び上がったり、或いはその場から消えたように感じるほどに早く走り出したりだ。

 気が付いた時には訓練場の中央でロロとミザロが交錯していた。地面を強く蹴り出したロロは勢いそのままに体当たりを仕掛ける。しかしミザロにとって大したことでもないのか軽く見切って身を躱し更にロロの背を押し込んだ。普通ならロロが倒れて終わりだろう。しかし地面に手を突き勢いを殺しミザロを見据えて叫ぶ。

「くらえ!」

 自らの体制が大きく崩れるほど凄まじい勢いの後ろ回し蹴り。しかしそれは空しく宙を切った。それを見ていた瑞葉は戦慄で喉が渇くのを感じていた。今の一連の流れ、ミザロが体当たりを見切り躱したのはいい。しかしその後の後ろ回し蹴りを彼女はロロの背を押した反動を利用して当たらないぎりぎりの位置まで足を進めた。まるで何が起こるのか、何ができるのか事前に知っていたかのように。それは自分たちとミザロが如何に遠いところにいるのかを示しているのではないか、と。

「やるじゃないかミザロ姉。でもこれならどうだ!」

 ロロはそれからも様々な手段でミザロに一泡吹かせようとするが、それが実ることはなかった。十数度の挑戦を経てロロの額には汗が流れていた。それが運動による発汗なのか、或いはミザロとの実力の差を見た上での冷や汗なのかは本人にもわからなかった。

「ミザロ、ここまでにせよ。本来の目的を見失って居る」

「む……、そうですね。ロロ、あなたの番はここまでにしましょう」

 ロロは反論できずしばらく立ち尽くしていたが、やがてその場から下がっていく。

「次は瑞葉、あなたの番よ」

 瑞葉が前に出る。

 そして彼女もミザロとの如何ともしがたい実力の差を見せつけられた。

「もしかして、私たちの自信を無くさせるのが、この訓練の目的だったり?」

 息も絶え絶えに瑞葉が問う。

「半分正解ね」

 頷くミザロと、その返答に言葉を失う二人。

「あなたたちは確かに一般人にしては体力もあるし、魔法もそれなりに使える。でも勘違いして自分を強いと思われると困るわ」

「……今の言は未来ある若者が無謀な事物に挑み死なれるのは困るということだ」

 ミザロの後ろに控えていた牛鬼が言葉を付け足す。

「ああ、そういう」

「更に、この訓練はまだ半分しか終わっておらん」

「……そうか! つまりここから俺たちの強さを引き出す為の訓練を」

「そんなものはないわ」

 ロロの言葉を遮ってミザロが強く否定する。その呆れ返った表情にはロロでさえバツが悪く感じられた。

「そもそも戦いの目的をあなたたちは勘違いしている。勝つことだけが目的じゃない」

「いや、勝つ方がいいだろ……、いいと思うんだけどなあ」

「今、私に勝てたと思う?」

 その問いに誰も声を上げなかった。しかし心中には確かに答えがある。万に一つの勝ち目もない。それは瑞葉もロロもはっきりとわかっていた。

「魔物退治で勝ち目のない相手が現れた時は逃げる方が大事。危険な魔物がいるとわかれば相応に強い冒険者や軍の討伐隊が出てくるわ。負けて死んだら何も残らない」

「……つまりここからの訓練は相手から逃げる訓練?」

「まあ、近いわね。より正確には」

 瞬間、牛鬼が腰の刀を抜いた。その切っ先は速く、鋭く、ミザロの首元へ。後方の死角から放たれた一閃は本来なら首を刎ね飛ばし凄惨な光景を生み出していただろう。しかしミザロは視線を向けることさえなく襲い来る刃より身を屈めて躱していた。

「え?」

「おい」

 瑞葉が固まり慌てたロロが止めようと前に出るよりも早く、牛鬼の刀が翻ってミザロを再度襲う。今度は屈んだ体を支える腕へと。

 カンッ―――

 刀が弾かれ鈍い反響音が鳴る。牛鬼の動きが止まる。それからミザロが数拍おいて立ち上がり立ち尽くすロロたちの方を向いた。

「ここからの訓練は今みたいに攻撃を躱したり防いだりする訓練をするわ」

 その言葉を聞いた二人からはもはや何の声も上がらず、ただ顔を見合わせることしかできなかった。


 一か月の研修にも終わりが来る。

 志吹の宿、一階のラウンジ。そこにロロと瑞葉が座っていた。

「覚えてるか、訓練の時の俺のあの一撃。こう、地面を蹴って飛び跳ねるようにして拳を繰り出すやつ」

 ロロは多弁で、取り留めもなく訓練の時の話や以前に聞いた冒険者の話を立て板に水のごとく話し続ける。対して瑞葉はたまに相槌を打つ程度で緊張した面持ちで置いてあるお菓子をつまんでいた。周囲に何人かいる冒険者は二人の様子を気にはしているようだが声をかける者はいなかった。余計な重圧を与えまいとただただ見守る。

 しばらくしてその場に崎藤とミザロが現れる。

「二人とも、待たせたね」

「そうだな、待ってたぜこの時を」

 ロロが固く拳を握り、瑞葉は大きく深呼吸をした。

「冒険者になる為の試験、その依頼内容を説明しよう」

 崎藤の声に志吹の宿が静まり返る。自信、期待、不安、そんな感情が入り混じる中、二人の冒険者見習いが見習いでなくなるのか。運命の試験が始まろうとしていた。

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