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志高く剣を取る ~ロロはかっこいい冒険者になると誓った~  作者: 藤乃病


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26.冒険者の危機

 山河カンショウの国、ハイドウ村。宿の前で夜風に当たる少女が一人、ハクハクハクだ。彼女は久しぶりの故郷が落ち着かず中々眠れないらしい。人っ子一人いない夜の村は心地よく、夜空に見える星の光は彼女の心を少し落ち着かせてくれた。

 ここに来てからというもの彼女の心の内は常に穏やかではない。嫌な思い出のある故郷を訪れた時点で既に心臓は早鐘を打っていた。そして両親の最期について知るべく幾らかの話を聞いたもののその成果はあまり芳しくない。いや、それどころではないだろう。話を聞けば聞くほど彼女の中にある想像が浮かび上がるのだ。丙族を嫌う村人、増えていた魔物、そして村長は魔物の巣を壊滅させたはずがそれについては喧伝しなかったと言う。それはなぜか、何か不都合な事実があったからではないか。つまり両親は魔物の巣を殲滅する為の犠牲にされたのではないかと、そんな想像が頭を過るのはおかしなことではない。

 ハクハクハクは聡い娘で他の者がそのことに思い至っていることは想像がついている。瑞葉は心配性とも言える程に様々な事に思索を巡らせているし、柳やディオンは三等星の優れた冒険者だ。口に出さなかったのは自分に気を遣ってのことだともわかっている。ロロに関しては……、特に何か言う必要は無い。

 そんな風にずっと気を張り続けていたものだから彼女は眠る前に少し落ち着いた時間が欲しかった。明日からも聞き込みは続けることになる。知りたいことを知るにはもう少し踏み込んだことをしなければならないかもしれない。鼓動がばくばくと鳴っているのが聞こえていた。このまま布団に入ったところで眠れやしないだろう。彼女は一人、星空を見つめる。

 しかし、彼女は本当のところ一人ではない。建物の影から彼女を見つめる瞳があった。そしてその主が影から姿を現す。

「ハクハクハク」

「っひゅ、……え?」

 声にならない叫び声と共にハクハクハクが呼びかける声の方を見た。そこに立っていたのは見覚えのある顔。朝方に聞き込みをした村人の男。彼女がこの村に住んでいたハクハクハクだと知るとその場を逃げ出した男だ。

「……え、と」

 ハクハクハクは思わず周囲を確認した。周りに誰もいないのか、逃げるならどこへ逃げるべきか、そんなことを考えていたのだ。男は彼女に向かって足を一歩踏み出す。対してハクハクハクは足で地面を擦り後ろへ下がった。

「あ……、悪い。そうだよな、近付かれるのは怖いよな」

 男はそう言うと立ち止まり、腰に手を当てて悩むように地面を見つめ、それからその場に座り込んだ。

「えっと、な。別にお前をどうこうしようってつもりはないんだ。ただ話したいことがあって……」

 ハクハクハクは訝しむように警戒するように彼を見ていたが、やがてそんな意味も無いと判断し息を吐いて少しだけ緊張を緩めた。


 朝、と言っても日が出る前の早い時間、瑞葉は目を覚ますと寝ぼけ眼で周囲をぼーっと見た。あまり見覚えの無い場所だなどとぼんやり思ったところでようやく今はハイドウ村に来ているのだったと思い出す。商人であるトキハの依頼を受けてロロ、ハクハクハク、柳、ディオンと共にここまで来て、そして冒険者五人で同じ部屋に泊まっていたのだと。当然周囲には他の四人がいるだろう。

「あれ?」

 ロロは横を向いて静かに眠っている。柳は胡坐をかきながら多くの武器に囲まれて眠っている。ディオンは邪魔だろうに鎧も兜も付けたまま横になって姿勢よく眠っている。しかしもう一人、ハクハクハクの姿が無い。

「……まあいつも朝早いもんね」

 ロロやハクハクハクとは何度か泊りがけで依頼に行くこともあり、ハクハクハクがいつも早くから起きているのは知っている。瑞葉は今回思い出深き故郷と言うこともあるし緊張をほぐす為に風にでも当たっているのだろうと考えた。それで少し様子を見に行ってみようと立ち上がる。

 外はまだ暗く灯りの少ないこの村ではあまり出歩こうとは思わないような時間、しかし一人で頭を冷やすには丁度良い空気感に思える。ハクハクハクの邪魔をするのは悪いかもしれないなと思いながら表に出ると瑞葉はその姿を探す。

「……いない」

 確かに暗くて見えづらい場所ではあるが人の姿が全く見えない程ではない。彼女は目を凝らし見える範囲を改めて確認するがそこには人っ子一人いないことが分かっただけだ。瑞葉は自身の心臓が早鐘を打つのを感じながら近くの路地などを確認し始める。泊っている宿の死角を確認し、向かいの建物の路地を見て、何が入っているのかよくわからない倉庫の周りを回った。

 ハクハクハクはどこにもいない。

「……すれ違ったかな?」

 言いながら彼女の心臓は更に早鐘を打つ。冷や汗が流れるのを感じながら部屋へ戻ると、そこには目を覚ました柳とディオン、そしてまだ眠っているロロの姿があった。

「おはよう、朝が早いな」

「ズーハよ、しっかり休むのも冒険者の仕事だぞ」

 瑞葉はそんな二人の言葉に一拍遅れておはようございます、と弱弱しく答えた。彼女の視線は忙しなく動いたがこの部屋にはどこにもハクハクハクの姿は無い。宿の他の部屋には別の客がおりそこに間違って入ることは無いだろう。洗面所などにも立ち寄ったがそこにも彼女の姿は無かった。外も、宿付近は調べたが見つけることはできなかった。

 瑞葉が思わず生唾を飲んだのは緊張からだろう。そして震える声で二人に問う。

「……ハクのこと、見てませんか?」

 その言葉で二人が事態を把握するには十分だった。


 瑞葉がロロを叩き起こし身支度を済ませるのとディオンが機械馬を駆り周辺を改めて確認し戻って来たのはほぼ同じぐらいの時間だった。

「どうでした?」

 瑞葉は機械馬から降りるディオンに問う。しかし彼は首を横に振った。

「後ろに誰もいないのがその答えだ」

 どうやらこの付近にハクハクハクはいないらしい。

「ハークハークの魔力は溢れんばかりに多い。付近にいれば見逃すはずはないのだが……」

 その言葉に瑞葉は以前魔力を視る技術について教えてもらう約束をしていたのを思い出した。しかし今はそんなことをしている場合ではないだろう。ハクハクハクを探すことの方が先決だ。

「村長の所に行ったとか? ほら、どうも話を聞いてると村長は何か知ってそうなんだろ?」

「でも何で一人で……」

「うーむ、何か思うところがあったのだろうが……」

 そんな風に話していると柳が口を開く。

「昨晩、一度外に出ていた」

「外に?」

「ああ。ただすぐに戻って来たから夜風にでも当たっていたんだろうと気にしていなかった。戻ってきて布団に入ったのを見て私も眠ったんだ」

「……つまりその後にこっそりと抜け出した?」

 柳の話ではハクハクハクはわざわざ他の四人が眠りに就いたのを見てどこかへ行ったということになる。誰にも何も告げず、一人でどこかへ。

「ふーむ、昼間は別におかしな様子は無かったな」

「ディオンさんの言う通りだと思うぜ。色々悩んではいたと思うけどこっそりどっか出て行くようには見えなかったぜ」

 二人の言うことには瑞葉も柳も同感だった。嫌な思い出のある故郷に戻ってきたのだ、緊張もあろう、気負いもしよう。しかしその一方で共に来た者の言葉を聞く心構えはあるようだった。しかし夜になって突然姿を消した、それの意味するところは。

「夜に誰かに会った?」

「……妥当な考えだろうね」

 夜、外に出た折に誰かに会い、そこで何かを知ったのだ。そしてその結果として彼女は一人でどこかへ。

「わざわざハクハクハクに会いに来る候補は限られている。とりあえず行くべきはあそこかな」

「あそこ?」

 その場でロロだけがどこへ行くべきかピンと来ていないようだった。


 柳が少し乱暴に戸を叩くと中からどうぞ、と声が聞こえた。

「邪魔をする」

 戸を開くとそこには村長が片腕で不便そうに新聞を読んでいた。彼は若干威圧するような態度の柳を見て新聞を置くと、堂々たる態度で彼女の目を見返した。

「冒険者殿は不機嫌とお見掛けするが、何かあったかな」

「単刀直入に聞こう。あんたはハクハクハクに気付いていたのか?」

 彼はその言葉を聞いて動揺したのか一旦呼吸を整えた。

「……当然だ。あれから六年も経ったが顔ぐらいは覚えている。あまり背は変わっていなかった。あの子は連れて来ていないのか?」

「白々しいじゃないか。どこへ行ったかあんたは知っているんじゃないのか?」

「……何を言っている?」

「しらを切れば誤魔化せるとでも?」

 柳が武器に手をかける。三等星、それも武闘派の冒険者ともなればその威圧感はそこらの魔物ですらかわいく感じるだろう。相対する村長はそんな彼女の圧をなんとか受け流しつつ、一方で困惑するように眉根を寄せている。

「や、柳さん、それ以上は……」

 瑞葉は柳の発する圧に恐怖すら感じていたが、それでもここで争いを起こさせてはならないとどうにか声を上げる。柳の瞳が彼女に向けられた。思わず竦み上がる程の強い瞳に思わず瑞葉は一歩後ずさる。瑞葉は顔を見ることもできない。それでも襟元を強く握りしめ、かすれそうな声でも。

「あ、の、そ……。ま、まずは、話し合いを……」

 そう訴えた。

「……話し合い?」

 しかし柳の瞳は揺らがない。彼女はその強い瞳で村長の方を見た。

「ハクハクハクが消えた理由なんてこの男が何かしたからに決まっているだろう。私たちが彼女の両親について調べているのは既に村人から聞いたんじゃないか? 不都合な真実が出る前に彼女を消してしまおうと考えたんじゃないのか?」

 柳が腰に差したナイフを抜いた。もはや柳を止めることはできないのか、瑞葉がそう思った時、横から前に歩み出る影が。

「ちょっと落ち着こうぜ」

 ロロだ。彼は柳と村長の間に入り立ち止まる。

「柳さん、焦るのはわかるけどそんな風にやっても解決しないだろ。俺は馬鹿だからさ、考えてもわからないんだ。みんなまでそんなになられたら困るんだよ」

「……はあ?」

 その言葉に毒気が抜かれたのかそれとも単に呆れたのか柳がぽかんと口を開ける。

「まあ柳さんの言ってることはわかったぜ。村長さんが怪しいって思ったんだろ。でも何もしてないと思うぜ」

「……根拠は?」

「もちろん、ある」

 ロロはそう言って足を上げると、そのまま村長の横にまで行く。

「何の真似だ?」

 困惑する村長を無視してロロは先ほどまで村長が読んでいた新聞を持ち上げた。

「この新聞、実は俺も読んだことがあるんだよな」

 ロロはあまり新聞を読まない。たまに瑞葉に勧められて一緒に読むことはあるがあまり内容は覚えていないし、まして一面を見ただけでそれを読んだかどうかわかることなど無いだろう。しかし今はこの部屋に入って一瞥しただけでそれを読んだことがあるとわかったのだ。

「あ!」

 瑞葉も気が付く。確かにその新聞を彼女は読んだし、その内容の一部をはっきりと覚えている。

「これにはな遺跡探索体験会で新しい機械馬の保管庫が発見されたって記事が載ってるんだ」

「ほーう、機械馬。しかしローロよそれがどうしたのだ」

 当然と言うべきか、ディオンはその言葉を聞いてもわからない。しかし村長の方は気が付いたようだ。

「……そうか、一緒にいた五等星は」

「そうなんだよね」

 ディオン、柳の両名は首を傾げるばかり。それを見て横から瑞葉が注釈を入れる。

「あの遺跡探索体験会って私たちが行ったやつなんです。名前は出てないけど写真にハクハクハクが写ってるんですよ」

「……つまり村長はハクハクハクが出ている新聞を読んでいた?」

「そうだぜ。ほら」

 ロロが持ち上げた新聞は丁度先に説明のあった頁が開かれている。余程じっくりと見ていたのか新聞のその頁だけがしわくちゃになっている。

「何の為にそんなことを、と聞くのは無粋だな」

 ディオンがふっ、と笑う。村長は耳を赤くして咳ばらいをした。

「ごほん、偶然そこを読んでいた時に君たちが入って来ただけだ、が、まあいい」

 言い訳じみたことを口にして村長は話を戻した。

「それで。ハクハクハクが消えたというのはどういうことだ?」

 柳もこうも勢いを削がれては強硬な姿勢を取る理由もなく、ただ嘆息して事の次第を話し始めるのだった。


 ここまででわかっている事実を村長と共有する一行。村長は落ち着いた様子で話を聞いていたが、話の最中に何度か眉根を寄せて険しい顔をしていた。

「……成程、状況はわかった。しかし私はそのことに関与していない、それ故にハクハクハクがどこへ行ったのかは知らない」

「本当なんだろうな」

 柳が睨み付けるように彼を見るがすぐに間に他の面々が入る。

「柳さん、とりあえず今は……」

「そうだぜ。協力して探した方が早いって」

「うむ、村長の言葉の虚実に関しては行動を共にしながら見極めるがよかろう」

 間に入った者もそれぞれ考えは違うようだがとりあえずこの場で争いが起こることは防がれる。柳が大人しく矛を収めたのを見て改めて村長が口を開く。

「先の話、彼女のことが村人にばれたと言っていたな」

「そうそう。あっちの方の家だったよな」

「ん、ああ。そうだな。家の前で日向ぼっこしてた男だ」

 村長は話を聞いて眉間に皺を寄せる。何か思うところがあるようだ。

「案内してくれるか? 彼には聞くべきことがある」

 柳は案内するのを少し渋っていたが、ロロが早く行こうと村長を引っ張るのを見て結局はその後をついて行くことになる。


 案内してくれと頼んだ村長は、しかしロロが道を間違うと訂正するなどどうもその場所に心当たりがあるようだった。単に村人のことをしっかりと把握しているというなら問題はないのだが、どうもそうではないらしい。

「……この村は丙族を追い出すことで安寧を得た」

 唐突に始まった話はこの村の歴史。それを作り出してきた彼自身が見てきた歴史の話だ。

「元々この村で丙族はかなり嫌われていた。初めにこのような場所に村を開拓したのは魔王の残党に村を追われ逃げ延びた者なのだ。彼らは魔物の棲み処が近くにあるここならば魔王の残党も寄って来るまいと考えた」

「丙族の次は魔物の恐怖に怯えることになるだけじゃないのか?」

 柳の疑問も尤もだ。彼もその言葉に頷く。

「その通りだ。だが魔物はその場にいるだけで敵とわかる。一方で奴らは味方のふりをして殺しに来るのだ。この腕もそうして失った」

 敵か味方かわからない者よりははっきりとした敵の方が対処が容易い。住民ははっきりとした敵に対し一致団結しどうにか魔物の襲撃を乗り切っていたらしい。

「……ただ、この結束にも問題はあった」

「それが丙族か」

「そうだ。魔王の残党に追われた者の中には丙族もいた。ハクハクハクの両親もそうだった。私は村長に何度か進言したことがある。丙族をこの村に入れるべきではないのではないか、とな。しかし彼は全ての丙族が魔王に与したわけではない、彼らはこの村の為に命を懸けて戦っている、と。当時の私は何をふざけたことをと憤慨したものだ」

 村長の顔に浮かぶのは後悔の色。彼は確かにその腕を丙族の手によって失った。しかし今の彼はそれを理由に全ての丙族を恨みはしていないようだ。

「私はこの村ができたその時から魔物と戦い続けてきた。……隣にはいつも共に戦う丙族の者がいた。よく思い返してみれば何度助けられたかわかりはしないのだ。当時の私はそんなこともわかっていなかったが」

「……何があんたを変えた? 私たちが聞いた話じゃあんたはこの村で最も丙族を嫌っていたと、そう聞いている」

 柳の問いに村長は押し黙る。彼は六年前の記憶を思い返していた。

「……私の家でハクハクハクの姿を見た時、この胸に去来した感情をどう表現すれば良いのだろうな」

 しかし次の言葉が発せられることは無かった。先に目的地に辿り着いたのだ。

「この家だろう」

「ああ、そうだぜ」

「では先にこちらに挨拶をしてから話の続きをするとしよう」

 彼は家主にノックもせず無遠慮に家の入口の戸を開いた。しかし。

「……誰もいないようだな」

 中に人の気配は無い。

「どこか出掛けたのでは?」

「その場所が問題だ」

 村長は家の中に躊躇なく上がると使い古した木製の食器を一つ手に取った。

「汝何処より来たり何処へ帰らん」

 彼がそう言葉を発すると食器を床に置く。瑞葉は先の言葉をどこかで見た覚えがあると不思議に思いながらその食器を見つめていた。そして次の瞬間、食器がずずず、とゆっくりとある方向へと動いた。瑞葉はそれを見て魔法の教本の一頁を思い出す。

「今の帰還の魔法ですか?」

「そうだ。森を彷徨うことになる狩人には重要な魔法でもある」

 人が物に触れる時に知らず知らずのうちにその物に魔力が移ってしまうことがある。その現象は人によって魔力の残滓だとか認識外の魔力付与だとか様々に呼んでいるがそのことは今はどうでもいい。重要なのは移った魔力とその主人には繋がりが存在すること、そしてそれらが互いに引き合うということだ。帰還の魔法はその繋がりをより強固にすることで物体を主人がいる方向へ動かすことが出来る。村の狩人は森に出向く際に友人や配偶者が身に付けていた腕輪や髪留めなどを持って行き、帰還の魔法を使うことで村の方角を見失わないようにしている。

「この家の主はあちらの方角へいるようだ。急ぎ向かうとしよう」

 冒険者たちはいつの間にか村長が指揮を執っていることに若干の違和感を覚えてはいた。しかし手掛かりらしい手掛かりは無く、また今の所は村長が妙な動きをしていないこともあって彼らはその後をついて行く。


 食器が指し示すのは村の入り口の方角。一行は気が急いているのだろう、気が付けば駆け足になって進んでいた。しばらく走ると食器を地面に置きその進む方角を確認する。その繰り返しで気が付けば目の前に村を覆う簡素な柵が見えている。しかし食器が示すのはその外ではない。

「そこの小屋だな」

 入り口手前の小屋、そこへ食器が進んでいる。この小屋は狩人の装備などを置いている小屋だ。中には森で必要になる装備が十数人分は揃っており、狩りに出る準備をしながら軽く腹を満たし愚痴など零しているのを見かけるだろう。しかし先の家の主は狩人ではない。

「彼は狩人ではない以上その小屋に用向きはない、が。やはり……」

 村長は何かしら想像がついているようだが今はそれを話すべき時ではないのだろう。村長が再び歩き出すと柳とディオンは警戒しながらその後ろをついて行った。

 小屋の戸に手をかけたのは村長だ。そしてその後ろを固めるように、或いは村長が怪しい動きをしないよう柳とディオンがぴったりと後ろに着く。ロロと瑞葉は少し離れた位置で周囲を見張っていた。ぎぃ、と軋む音を立てて戸が開く。

「ん。んー! んーんんんんー!」

 そこにいたのは彼らが探していた男。ただしその身体は奥の柱に縛り付けられ口を布で塞がれている。周囲には誰も居らずどうやら彼だけがここで捕らえらえているらしい。

「ふーむ、どういうことだ?」

「彼を解放して聞くとしよう」

「いや、話を聞くまで拘束は解かない」

 柳が前に出て口を塞いでいた布を剥ぎ取る。無理に引っ張ったせいか男は痛みを訴えたが柳の表情を目にして動きが止まる。恐怖のあまりに身体が強張り動かなくなる、と言った方がいいかもしれない。

「お前、ハクハクハクのことを知ってるな?」

 村長は魔王大戦という過去の戦争を生き抜いた一人の英雄だ。柳に多少の圧をかけられたところでそれで怯むこともない。しかし今彼女の目の前にいる男はハイドウ村で過ごす単なる住民に過ぎない。

「お前がやったことを話せ」

 恐怖に顔を染める彼は一縷の望みを託すように村長の方を見た。もしかしたら助けてくれるかもしれないという淡い期待を持って。しかし共にここに来た時点でそんな望みを持つのは浅慮と言わざるを得ないだろう。

「何か知っているのならすぐに吐くべきだ。そうすれば多少の恩赦もあるだろう」

 二人に詰められた彼はすぐさま話を始める。


「話したいことって?」

 夜、ハクハクハクは男に聞き返した。こんな夜中にわざわざ訪ねてまで話すこととは一体何なのか。考えれば考える程わからない。

「……お前さ、何でこの村に来たんだ。正直、その、嫌な思い出ばっかりだろ?」

 男は探るような視線で彼女を見ている。ハクハクハクは男のことを覚えている。幼い彼女に石を投げた一人として。嫌な思い出ばかりなのが誰のせいなのか、などと皮肉を言うつもりは無いが心中にそのような思いを抱くのは無理からぬことだ。

 ハクハクハクは悩んでいる。目の前にいる男に正直にここに来た目的を話すべきかどうか。そもそも信用できるような相手なのか? この男を目の前にハクハクハクが抱く感情は恐怖だ。幼き日の恐怖が彼女の中に蘇りつつあるのを感じていた。しかし、彼女は。

「……私、お父さんとお母さんがどうなったのか知りたいの」

 彼女は尋ねた。それを知る為にここに来たのだ。恐怖など、ここに来る前から存在していたものだ。今更何を迷うことがあると言うのか。彼女は前に進むほか無いのだと覚悟を決めている。

「え、あ、ああ。そうだ、そう言えば昼間もそんなこと言ってたよな。その……、悪いな、昼間は逃げちゃって」

「いいよ。その、気持ちはわかる、と、思う」

「……お前はさ、昔からそうだよな。俺はお前に石を投げたこともあるんだぜ? 昔から逃げたり隠れたりはしてもやり返しはしなかった。丙族だし本気出せば俺たちなんてあっさり吹っ飛ばせたんじゃないのか? 何でそんな風に言えるのか俺にはわからねえよ」

 実際の所、幼いハクハクハクは魔力の使い方などあまりわかっておらず石を投げた者たちを吹っ飛ばせたかどうかは定かでない。しかし、やはり彼女は力の有る無しに関わらずそうはしなかっただろう。

「私、英雄になるの。……ゴウゴ、あ、えっと。知り合いの人に、ね。二人、その、お父さんとお母さんが魔物と戦ったのは聞いたの。多分最後もそうだった、と、思う。そんな二人に恥じない、強い、私に、なりたいの」

「そっか。……正直よくわかんねえけど。まあ、色々考えてるってことはわかったよ」

 男は少し俯いて、それから顔を覆いしばらく悩んでいた。そしてその隙間から覗く口が開かれる。

「……俺、は、その。あんまり詳しくないけどさ。お前の両親がどうなったか狩人の人ならわかると思う。たださ、あの人たち結構その、余所者のこと嫌っててさ。この村を守って来た自負があるとかなんとかで、まあ、その、話をする場所は作るけど、できればお前一人で来て欲しいんだ」

「一人で?」

「ああ。お前は元々この村の人だし、その、丙族だけど。話ぐらいはしてくれる、と、思う。ほら、俺も説得するし」

 ハクハクハクは昼間のことを思い出していた。彼女が話を聞いて回る間、確かに狩人らしき人たちは彼女らのことを避けているようだった。それを柳たちは目の前の彼が話を回した所為だと考えていたが、この口ぶりからするとどうも違うらしい。わざわざこうして一人会いに来たのもその証左ではないだろうか。それに彼女はどうしても両親のことが知りたくて、目の前の彼の厚意を無下にしたくは無かった。

「……その、し、しばらく後、でもいい? まだ一緒に来た、人が、起きてて……。一人になれない、かも」

「あ……、ああ大丈夫大丈夫。俺の家わかるよな? そこにいるから上手く抜け出せたら来てくれよ。上手く抜け出せたらでいいからな?」

 先に行ってるからな。男はそう言ってその場を去った。そしてハクハクハクは宿に戻る。部屋に入ると彼女は一瞬、視線のようなものを感じた。やっぱりまだ起きてるんだ、そう思いながら彼女は欠伸をして布団に潜る。それから数度の寝返りを打った頃、四つ目の寝息を彼女の耳が感じ取った。ハクハクハクはそれを聞いても焦らず、ゆっくりと大きな音を立てないよう部屋の外へと向かった。

 戸を叩く音が聞こえた時、男は息が詰まりそうになるのを感じていた。彼はゆっくりと戸の方へ向かいそれを開く。そこにいたのは小さな丙族の少女。

「えと、ど、どうも」

 ハクハクハクはじっと男の顔を見る。彼の顔が困ったように引き攣っているのをじっと見ている。

「あ、お、どうか、した?」

 何か変な事でもしてしまっただろうかと彼女は心配するが、男は頭を掻きながらぼやくように答える。

「あー、いや、そういうわけじゃない、んだ」

 ハクハクハクは不思議そうに首を傾げる。呼ばれたから来たはずなのにどうして目の前の彼はこんな表情をしているのだろうと。もしかして狩人の人たちに断られたのだろうか、だとすれば辻褄が合うなどと考え始める。

「えっと、行くか。その、狩人小屋わかるか? 入り口近くのあれ」

「あ、うん」

「あそこで待ってるはずだから」

 どうやらハクハクハクの考え違いのようで狩人に話は通っているらしい。つまりさっきの表情は、まだどう接していいかわからないだけなのだろう、彼女は暗い道を歩きながらそう思った。

 狩人小屋の中からは蝋燭の明かりが漏れている。既に中で待っているようだ。ハクハクハクは宿から抜け出すのに時間がかかったのを申し訳なく思い、謝った方がいいのだろうかなどと考え始めている。しかしそうこうしている内にもう扉の前だ。男がその扉を叩こうと手を胸の前まで上げて、そこで止まった。彼の手が震えて見えたのは揺れる蝋燭の火のせいだったのだろうか。

 ドッドッ。

 扉を叩く鈍い音が響く。

「つ、連れて来たよ、ハクハクハクを」

 男は震える声でそう言った。中から足音が二人の方へ近付いて来る。そして扉が開かれる。

「来たか。入れ」

 狩人の男は高圧的な態度で二人を招き入れる。彼は体格が良く正に戦士と言った風貌で、見る者に威圧感を与える出で立ちだ。ハクハクハクは目の前の男に恐怖さえ感じていたが、しかし両親の話をする為にわざわざ来てもらったのだとどうにか震える手を抑え込む。ふと、隣を見るとなぜか男も顔面蒼白で俯きながら震えているのが見えた。

 男は中央にあった座布団にどっかりと座ると狩りの道具らしい弓の弦を張りながら呟く。

「お前の、両親の話だったな」

「あ、は、はい。その、二人が、その、最期の、帰らなかった、その日に、ま、魔物を倒しに行ったと……。お聞きしていて」

 尻すぼみに小さくなる声でハクハクハクがそう言うと、狩人は聞こえているのか聞こえていないのかただ弓の調子を見ている。何か気に障ることをしてしまっただろうかとハクハクハクが体を縮こまらせていると、手入れが終わったのか弓が置かれた。

「確かにお前の両親は魔物を狩りに行った。勇敢に戦ったが、魔物の数は多く力尽き、その最期は無残なものとなってしまった」

 狩人は一切の感情を乗せず言葉を紡ぐ。その言葉は事実のみが記された文章と何ら変わらないのだが、その一方で彼が事実のみを伝える為にそうしているのかには疑問が残る。狩人の視線は未だハクハクハクと、またその隣にいる男とも交わろうとしない。話を聞き漏らすまいと集中していた彼女はそんなことには気付いていないようだが。

「当時、村の近くに魔物の巣があった。我ら村の狩人とお前の両親は巣を殲滅すべく共に戦った。彼らがその犠牲となったことには哀悼の意を示すべきだろうな。村の安寧の為に共に命を懸けた間柄と言えるだろう」

 ハクハクハクの胸にあったのは感謝だ。丙族がどのように扱われていたか身を以て知っている彼女にとって、両親に向けられた言葉が謗りの類ではないということがそれだけでも喜ばしい。父と母はこの村の為に命を懸けて戦い、そして英雄になったのだと、彼女は誇らしくさえあった。

 狩人はハクハクハクの表情を見ている。彼女の一挙手一投足を見ている。その姿は成程、正に獲物を狙う狩人だ。

「……もしよければ、お前の両親が戦いに行った場所を見てみるか? 本当は村の狩人以外は近付いてはいけないことになっているが、お前は元々村の者だ。俺も行くし問題ないだろう」

 その言葉にハクハクハクは顔を上げる。彼女は狩人の方からその提案が出たことに驚きつつも、両親が最期に魔物と戦っていた場所を見に行けることに喜びを感じずにはいられなかった。

「ぜ、ぜひ! お、お願い、します」

 彼女は興奮気味にそう言って順調に進む物事に、彼女にとって非常に都合が良く進む物事にただただ喜んでいる。

 もしも彼女が普段通りの臆病さと慎重さを持っていたならあまりに上手く行き過ぎることに疑念の一つも感じていたのだろう。しかしこの日の彼女は明らかに冷静さを欠き、目の前に降って湧いた幸運をただただ信じ込んでしまったらしい。

 心の内でほくそ笑む狩人は立ち上がると奥にあった飲み水を彼女に手渡す。

「それを飲んだら行くとしよう。まだ暗いが魔力灯もある、何度も行っているし迷うこともない」

 ハクハクハクはその水を何も疑うことなく飲んだ。

「あ……」

 隣にいる男が何か言いかけたが狩人が睨みを利かせてそれを止める。それから狩人は準備をすると言って奥にある装備を身に付け始めた。

 ガチャ、がさ、ざざ、部屋の奥から聞こえるそんな音を聞きながらハクハクハクはまるで夢でも見ているかのような心地になっていた。たまたま会った自分のことを覚えていた村人が狩人と話を付けてこんな場を提供してくれた。そしてその狩人も両親や自分に対して敵対心も害意も抱いていないようだ。こんな幸運はそうそう訪れるものではなく、今日この日のことを一生忘れないだろう。本当に、夢のような。

 ハクハクハクは目を見開く。その時に彼女は意識が飛んでいたことを自覚した。どのぐらいかはわからない。しかし瞼が重く、ひどい眠気が襲ってくるのだ。確かに今は深夜で眠くなるのは当然と言えるのだが、先ほどまでは両親の話が聞けた興奮からかそんなものは無かったのだ。しかし今は耐え難いほどの眠気が襲ってくる。時間と共に、それが、ひどく、なっていく。起きた姿勢を、保つことさえ、難しい。

 気が付けば彼女は床に突っ伏していた。目を見開くことも難しかったが、彼女の耳は人の声を捉えている。

「やっぱり丙族は効くのが早いな」

「寿天さん、その、本当にやるんですか?」

「何だ? お前が餌になるか?」

「い、いえ……。ただその……、頼んで協力してもらうって風にも……」

「馬鹿かお前。邪魔な奴らを一辺にどうにかできるんだ。この方がいいだろ」

「あ……、そ、そうですよね!」

「まあ、お前みたいな日和見野郎もいらねえがな」

「え?」

 ゴッ、と鈍い音が響き何かが床に倒れるような音がした。しかしハクハクハクの意識はそこで途切れる。


 柳は目の前の男の胸元を掴み恫喝するように睨んでいる。

「つまり狩人は近辺の魔物を釣る餌にハクハクハクを望み、お前はそいつに彼女を売ったと?」

 男は後ろめたさからか視線を逸らすも柳は顎を掴み顔を向き直させた。傍から見ていると明らかにやり過ぎに感じる程でディオンが止めに入ろうかと悩んでいると、先に村長が一歩前に進み出る。

「藍天よ、お前は寿天の甥だったな」

 唐突な問いに藍天と呼ばれた男はどうすべきか悩んだが、柳が答えるよう促したので頷いて肯定する。

「寿天は狩人の中でも取り分け優秀な才を持っている。しかしその横暴さは少々目に余るものがあった。藍天、お前が森に何度も連れて行かれているのも聞いている。その度に生傷を増やしているのものな」

 村長の言葉に男はただ俯いて何も話そうとはしない。

「私は、狩人だけが村の民などとは思っていない。畑を耕し我らが生きる糧となる作物を育てることも立派な仕事の一つだ」

「何の話だそれは」

 柳がどすの効いた声色で不満を顕わにする。今は一刻を争う時だろうと言外に訴えている。

「……そうだな。藍天の縄を解け。やってもらうことがある」

「ハクハクハクを売ったこいつを自由にさせろと?」

「柳さん、ちょっと落ち着こうぜ」

 柳と村長の間にロロが割って入る。瑞葉はあの恐ろしい形相をした柳さんの前になぜ行けるのか、不思議に思わずにはいられなかった。柳はしかし怒りが冷める気配も無く声を荒げ叫ぶ。

「ロロ、お前は憎くないか? この男のせいで彼女が消えた、こいつには罰が与えられるべきだとは思わないか?」

「こんなところで縛られてたんだからもういいだろ? それよりハクハクハクを早く探しに行こうぜ」

 ロロの世界は単純だ。瑞葉は彼と長い付き合いになるが怒りや憎しみの感情が彼の中に存在するのかと不思議に思う時がある。いつだって真っ直ぐ前を向ける姿に、悔しいけれど背を押されるような気にさえなるのだ。

 柳は数秒の沈黙の後に腰のナイフを抜いて男の縄を解いた。

「感謝しよう」

 村長は深々と礼をすると、咳払いを一つした。

「ごほん、では少し状況を整理しよう。寿天、この男の叔父で狩人をやっている男だが、奴がハクハクハクを連れ去ったようだ。目的は魔物の餌にして狩る為だろう」

 狩るべき相手が魔物なのか丙族なのかについては敢えて誰も触れなかった。

「場所は?」

「私がわかる。今から冒険者の皆と私で向かおう。藍天は狩人に村の防備を固めるよう伝えておいてくれ」

「わ、わかりました」

「ふーむ、なぜ場所がわかるのだ」

「……当然だ」

 村長は六年前のことを思い返す。彼にとって悔恨の出来事、たった二人の丙族に村を救われた日のことを。

「これから向かうのは六年前、ハクハクハクの両親が死んだ場所だ」


 六年前、村は魔物の脅威に晒されていた。近くの森にできた魔物の巣、その場所を拠点に数を増した魔物は村の近辺にまで現れ始めていた。幸いにも狩人やハクハクハクの両親の奮闘で村や住民への被害は無かったが、誰も彼も疲労困憊。いずれ限界が来るのは目に見えていた。

 ある日、村長として、また狩人の長として指揮を執っていた彼は魔物の巣へ攻め入ることを提案する。魔物の巣とは概ね一体の強力な魔物がどこかに棲み付き、それに付き従うように小型の魔物たちが群れを成して完成する。魔物の長を倒してしまえば他の魔物も散り散りに去って行くというのが過去の経験から判明していることだ。このまま村の周囲で迎え撃っても埒が明かないなら、ぎりぎりとはいえ体力の残っている内に魔物の巣へ攻め入る方が活路を見出せる。彼はそう考えたのだ。

 魔物の巣への道のりは険しい。大体の位置は小型の魔物が向かってくる方角から掴めていたが正確な位置は分からない。そして巣に近付くほどより強力な魔物が蔓延っている。大勢の狩人を従え巣へと向かった彼は巣の場所と長の魔物を見つけた。見つけたのだが、それ以上の成果を持ち帰ることはできなかった。多くの狩人は負傷し、中には助からない傷を負った者もおり、彼自身も大きな傷を負った。しかし彼はまたすぐに戦いに向かうつもりだった。道中、多くの魔物を狩り道はできた、今以上の機会は訪れないと彼は知っていたのだ。

 ただ、それを知っていたのは彼だけではなかった。

 

「我々は最低限の治療を皆に施し、翌日に再び魔物の巣へ向かうつもりだった。しかし我々が眠っている間にたった二人で魔物の巣へと向かっていた。我々もそのことに気付きすぐに向かったが、辿り着いた時には全てが終わっていた」

 村長の先導の下、冒険者たちが森の中を駆け抜けている。本来ならばこの辺りは魔物や獣が多く危険で警戒しながら進む必要があるのだが、そんなことに時間をかけている余裕も無く最短距離を走り続ける。

「あの二人は魔物の巣へと赴き、自らの命と引き換えに魔物の長を打ち倒した。この先の八太蔓が太陽も通さぬ程に生い茂った場所だ」

「八太蔓と言えば一部の魔物が食料にしている。それで魔物の巣になったんだろう」

「……最近、再びあそこに魔物が集まりつつある」

 その言葉に柳は思わず不快感を顕わにした。

「つまり狩人、寿天は過去を再現しようとしているのか?」

 寿天は過去にハクハクハクの両親が命を賭して魔物の巣を壊滅させたことを知っている。そして今、彼はハクハクハクを魔物の巣に置き去りにしてそれを再現させようと言うのだ。彼女が勝てばそれでよし、彼女が死んだとしても魔物に深手を負わせてくれれば十分だ。

「寿天は昔の私のように、或いはそれ以上に過激に丙族を嫌っている。そうすることに躊躇などないだろう」

「……このまま真っ直ぐか?」

「そうだ」

「先に行くぞ」

 柳が村長を追い抜き前に出る。直後、ディオンも機械馬に乗って駆けて行った。

「こちらも急ごう」

 村長の言葉にロロと瑞葉が頷く。


 ハクハクハクが目を覚ますと彼女は深い森の奥に転がっていた。周囲は薄暗く目を凝らして見れば太い蔓が木々を覆っているせいらしい。彼女は徐々に意識が無くなる前のことを思い出す。狩人の小屋に連れられ、そこでどうも眠り薬を飲まされたらしい。そして今は森の奥。

「も、戻らないと」

 とにかくこんな場所にいてはいけないと、村に戻らなければと思い立ち上がる。そしてそこでふと思う。なぜこんな場所に放置されたのか、と。丙族を殺したいほど憎いのならば眠っている内に殺せばいい、しかし自分はこうして生きている。わざわざこんな場所まで運んで放置しているのはなぜなのか。

 邪魔な奴らを一辺にどうにかできる。

 不意に頭の中を過った言葉は意識を失う直前に狩人が話した言葉だ。邪魔な奴ではなく邪魔な奴等、どうして複数形なのだろう。自分以外に丙族はいない、となると丙族でない邪魔者が存在する。

 ふと、周囲を見る。

 森の奥へ行ってはいけない。昔からこの村ではそう言われ続けていた。理由は単純で、多くの魔物がいて危険だからだ。今ここは?

「ふ、ふっ、ふぅ」

 呼吸が荒く、手が震えている。今の彼女は丸腰で盾も何も持っていない。魔物がもし現れたとして戦うことが出来るのか、恐れが彼女を支配しようとしている。

 ハクは、強いね。

 俺の仲間は凄いんだぜってみんなに自慢しないとな。

 ふと、そんな言葉が頭の中に蘇る。それは彼女の頼れる仲間であり友人である二人の言葉。彼女には自身が強いなどと思うことはできないが、その言葉は彼女に戦う勇気を与えてくれる。

「大丈夫、大丈夫」

 ハクハクハクは二人の言葉を反芻しそれが薄氷の上を踏むように危ういものであったとしても、どうにか冷静さを取り戻しつつあった。

 ピュウウウウゥゥゥゥゥ。

 少し気の抜けた笛のような音が彼女の上を通って遠くへと流れていく。薄暗い中で彼女には見えなかったがそれは鏑矢が風を切って進む音だ。そしてそれを放った下手人は彼女の風下に陣取りその成果を待っている。

 ハクハクハクが何の音か不思議に思い足を止めていると、奥から徐々に足音が響き始める。彼女がそれに気付いた時には既に遅く、もはや逃げ出すことはできそうもなかった。

 魔物だ。

「トウボクサイっ」

 彼女は先ほどの音は魔物を呼び寄せる為のものだと気付いたが今更気付いたところで意味は無い。既にトウボクサイの目に彼女の姿は映り、逃げ出すことはできないのだ。

「……大丈夫」

 トウボクサイの突進は脅威だ、しかし彼女は既に何頭か倒した経験がある。身体強化を駆使すればぎりぎりの所で躱すことはできる、その後方向転換してくるまでの間に強力な一撃を喰らわせたらいい。

「そうだよね、瑞葉ちゃん」

 友人ならばきっとそうするように言うだろう、彼女はそう思い覚悟を決める。迫る巨体、心の内から湧き出る恐怖、しかしそれらと戦う意思があれば。

「今っ!」

 彼女が本気で身体強化すればその瞬発力は常人の比ではない。トウボクサイは一瞬、彼女が消えたと錯覚しただろう。元々彼女がいた位置を通り過ぎ方向転換するも、どこへ行けばいいのか一瞬では判断し切れない。

 故に隙ができる。

「風よ、螺旋を描き貫け」

 風の槍が走る、それはトウボクサイの足へと直撃し体勢を大きく崩した。その間にハクハクハクは拾った木片に魔力を込める。動きの止まったトウボクサイを見据え手を前に出して構える。

「疾風よ、我が剣を仇の下へ放て!」

 彼女が呪文を唱えると木片が凄まじい速度でトウボクサイへ、そのまま胴体へ突き刺さり内臓を傷付ける。呻き声を上げるそれはまだ生きているようだがもはや動けはしない。その内に息も止まるだろう。

「よ、し」

 ハクハクハクは安心したように一息つくが、それにはまだ早い。この森の奥に魔物が一頭しかいないなどあり得ないのだから。

「……まだ、いる」

 目に見える範囲だけでも既に数体の魔物や獣がいるのが見えた。トウボクサイや牙獣、貪蛇など単体では然程脅威とはならないが、もし一斉に襲い掛かってくれば対処しきれるかはわからない。今は先のトウボクサイがやられたのを見てか木々の奥から様子を見ているが油断はできない。

「落ち着いて、えっと、どうする?」

 先制攻撃を仕掛けるべきか、それとも相手が襲ってこない今の内に逃げ出すべきか。否、彼女がまずしたのは周辺の生物の探知。集中して彼女自身を中心に魔力を球状に広げて行く。その魔力が触れればそのものの姿形を彼女ははっきりと知覚でき、次にすべき行動の指針になるだろう。

「……え?」

 そして彼女は気付く。今彼女がいる場所がどれ程危険な場所かと言うことを。動揺した彼女の隙を魔物や獣は見逃さない。示し合わせたかのように彼女を囲んでいたそれらが一斉に襲い掛かる。襲い来る気配にハクハクハクは思わず全身に魔力を滾らせるが、瞬間、目の前を一筋の光が通り過ぎた。そして矢が突き刺さった牙獣が悲鳴を上げるより早く、彼女の目の前に一人の冒険者が立つ。

「間に合ったらしいな」

 右手に槍を、左手に斧を持った冒険者はそう言った次の瞬間にはトウボクサイの足を斧で断ち切り、槍を投げて牙獣を貫き、いつの間にか投げていたナイフで貪蛇を仕留めた。

「ハクハクハクー! 無事かー!」

 聞き馴染みのある声がハクハクハクの耳に届く。そちらを見るとまだ遠くだがロロを先頭に瑞葉と村長がこちらに向かっているのが見えた。

「柳! こちらは大丈夫だ」

 更に木々の奥から機械馬に乗ったディオンが姿を現す。どうやら彼は回り込んで奥に残っていた魔物達を蹴散らしたらしい。

「さて、あとは寿天とか言う狩人をとっちめて終わりかな」

 柳が大きく息を吐いてそう言った。しかし、その言葉大きな誤りだ。

「こ」

「ん、どうした?」

「ここから逃げて!」

 ハクハクハクが叫ぶのとほぼ同時、空を覆う蔓の一部が彼女らを目掛けて凄まじい速度で伸びて来る。柳は即座に迎撃の構えを見せ、五本の蔓を切ったがハクハクハクを狙う最後の一本は間に合わずその身で彼女を庇う。

 蔓が柳の腕を取ると彼女の身体が宙を舞う。

「柳さん!」

 その声の反響が消えるより早く、柳は蔓に振り回され中空を三回転しそのまま近くの木へと投げ飛ばされた。激しい衝突音と共に胴より太い木が倒れて行く。しかし彼らに柳の心配をしている暇などない。

「な、何、あれ?」

 瑞葉が恐怖で身体が強張る中、上方を指差す。空を覆っていた蔓は身を寄せ合い、上空にまるで巨大な鳥のような形を象ろうとしている。

 魔物の巣の長が、その姿を現したのだ。

 


 

 

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