24.冒険者の忘れ得ぬ故郷
ショウリュウの都、商店街。ロロと瑞葉が志吹の宿へ向けて歩いていると道行く人に新聞を配る人の姿が見えた。
「号外だ、号外だ! 感謝祭が始まるよ! 国王陛下のお姿とお言葉が載ってるよ!」
どうやら今日は無料で皆に配っているようでロロと瑞葉も押し付けられるようにして新聞を受け取る。そこに書かれているのは魔王討伐感謝祭、ほとんどの者は単に感謝祭と呼んでいる、が迫っているという報せだ。数日前、山河カンショウの国の国王が王都にて姿を見せ今年も感謝祭を盛大に開くことを宣誓、また冒険者の日々の働きに感謝を述べたという。
「おー、国王様の写真が載ってるぜ」
「今年も盛り上がるでしょうね」
感謝祭は国王が住まう王都で冒険者が魔王を倒して以降は毎年行われている。盛大な催しが幾つもあり十日かけて冒険者への感謝を表するもので、毎年国内だけでなく他国からも多くの者が王都を訪れる。また山河カンショウの国に名だたる四都市、ショウリュウ、イザクラ、楼山、九華仙の都では冒険者バッジを見せると食事や商品が割引になることもあり毎年各地で賑わいを見せるのだ。
「そういえばお母さんが今年も農場に注文がいっぱい来てるって言ってた」
「感謝祭が始まったら忙しくなるな」
観光客が増えれば食事処は大忙しだ。そしてそれは食材の需要が高まるということでもある。毎年この時期の農場は大忙しで、特別に人員を増やして対応することもあるほどだ。去年のロロと瑞葉も配達の為に農場と店々を何往復もしたものである。
「ま、もう少し先の話だけどね」
「そうだな」
感謝祭が始まるのは八月の二十日と決まっている。今はようやく八月になったばかりでまだまだ余裕があるという頃合いだ。彼らにとって、の話だが。
二人が志吹の宿へと辿り着くと丁度中から人が出て来るのが見えた。ザガ十一次元鳳凰のメンバーが勢揃い、それに加えて宿の主人である崎藤もいる。
「崎藤さんどっか行くの?」
ロロが声をかける。崎藤が日中に宿から離れるのは珍しい。まして今日は背中に鞄を背負っている。普段ならば出かけるにしても精々買い出しや自警団へ手続きや業務の話をしに行く程度なのでほとんど手ぶらなのが常だ。
「ああ、王都にね。ほら、感謝祭が始まるからさ」
「もう行くんですか?」
先も言ったように感謝祭まではまだ時間がある。王都への道のりにいくら時間がかかるといえ少々余裕を持ちすぎているぐらいだ。
「まあ途中で視察に寄る所もあるからね。それを差し引いてもさ、王様の手前万が一にも遅れられないし」
崎藤、及びザガ十一次元鳳凰は今回の感謝祭に際し王様より招待状が送られている。これは毎年のことで冒険者の拠点の責任者及びその拠点で活躍目覚ましい冒険者は王城へ招待される決まりだ。彼らはそこで王様との食事会に参加し、贅を尽くした食事の数々と王様よりお褒めの言葉を戴く。大変な栄誉を戴いた彼らはこれからも冒険者稼業に精を出すことだろう。
「あー、胃が痛い。王様に会うようなすごい人じゃないんだけどねえ。僕じゃなくてミザロちゃんが行ってくれたらいいのに」
「私なんてこの馬鹿が馬鹿しないよう感謝祭の間中おもりをしないといけないんだぞ? それに礼装も性に合わない。今から肩が凝りそうだ」
崎藤と竜神がそれぞれ愚痴っぽく本音を漏らす。国王からの招待は栄誉であることは事実なのだが、当然送られた側は非常に気を遣う。失礼を働こうものならどのような目に遭うか想像するのも恐ろしい。そして冒険者というのは得てして格式ばった場所が苦手なものだ。最低限の礼儀ぐらいは当然に弁えているが、基本的に彼らが親しむのは一般市民であり王侯貴族の類ではない。故に崎藤や竜神のようにただただ面倒に思うような者がいるのも無理はないのだ。
「私だけでも残っていいか?」
「勘弁してよ。ザガを抑えられるの君だけなんだから」
「そうですよ。感謝祭回るの楽しみにしてるんですから! 竜神さんがリーダーを押さえてくれないと私たち遊べないじゃないですか」
「俺はお貴族様とお近付きになって玉の輿を狙いたい」
「お前らなあ……」
無論、純粋に楽しみにしている者もいる。国王との食事会が終われば後は感謝祭を楽しむだけだ。王都の有力人物ともお近付きになれる場でもあり、彼らと懇意になりたい者にとっては絶好の機会と言えるだろう。高名な冒険者が貴族の子息、息女と婚姻を結んだという話も少ないが伝え聞く話である。
このようにそれぞれ招待状に思うところこそあるが王命とあらば行かぬわけにもいかない。彼らはロロたちに手を振り王都に向けて旅立った。
「感謝祭の一週間前に着くように、ってすげえ早いよな」
「まあ、王様相手じゃあ万が一にもってことなんでしょ」
二人はそう呟きながら宿の中へ向かう。
宿の受付には崎藤がいない以上、当然ミザロが立っている。入って来たロロたちに一瞬視線を向けたが今は他の客の相手をしており声をかけることは無かった。ロロたちはとりあえずラウンジで適当に飲み物でも飲もうと席に着く。
「次はどんな依頼受けるか考えてる?」
果物のミックスジュースを飲みながら瑞葉が問う。ロロは少し考える素振りを見せてから頷く。
「俺は気付いたんだ」
「……何に?」
変なことを言い出すんじゃないだろうかと瑞葉は不安を隠せない。ロロは受付にいるミザロの方を見てから口を開く。
「結局さ、今ある依頼を聞いてから考えた方が早いんだよな」
「まあ、確かに」
その点に関しては瑞葉も異論は無い。しかし彼女は苦虫を嚙み潰したような表情を一瞬見せた。瑞葉が事前に聞いたのはどちらかと言えば想定した依頼がなかった際にまた今度にしようという話にならないかと思ってのことだ。未だ彼女には自信というものが無く、せめてどんな依頼をするかだけでも決めて気を楽にしようとしていたのである。
そんな話をしていたら宿の入り口から新たに誰か入って来る。彼女は入り口付近で不安気にラウンジの様子を覗っている。
「おーい」
ロロが呼びかけると彼女はほっとしたように表情を緩めて二人の方へ歩いて来た。
「よう、ハクハクハク。元気になったみたいで安心したぜ」
「う、ん。もう大丈夫、だよ」
ハクハクハクだ。この三人が集まるのは遺跡探索体験会以来のことで、ロロと瑞葉はハクハクハクの体調がどうなったのか心配していたようだ。幸いにも翌日には既に動けるようになっていたことなどを知ると二人は安心していた。
「そういや知ってるか? 崎藤さんとザガ十一次元鳳凰の人がしばらく留守らしいぜ」
「え……、あ。感謝祭、だから?」
「そうそう。なんだ知ってたのか」
「あ、いや、去年、も、この時期に出掛けてて……」
感謝祭が近付くと崎藤とザガ十一次元鳳凰が王都へ出かけるのはほとんど毎年のことである。崎藤は責任者として当然であるし、ザガ十一次元鳳凰が冒険者のチームとして志吹の宿で最も優れているのは疑いようもないのだから。
「そうだったかしら。去年はまだ学校に行ってたしよく覚えてないなあ」
ロロと瑞葉は学校に行ったり農場の手伝いをしている時期で去年までどうだったかはあまりよく知らない。しかしロロが考えているのは今の話だ。
「まあ去年どうだったかはいいんだよ。それより俺が言いたいのはミザロ姉や竜神さんなんかについて来てもらうのは無理ってことだぜ」
「あ、そっか」
ロロたちが依頼を受けるには三等星以上の随伴が必要だ。その中でも知り合いの多いザガ十一次元鳳凰はここに居らず、ミザロは宿の仕事を崎藤の代わりにこなす必要があるのでここを離れられない。瑞葉は軽く周囲を見たがどうやら今は見知った顔はいない。
「まあ適当に話しかけてみれば誰かしら一緒に来てくれるだろうけどな」
物怖じせず見ず知らずの人に話しかけられるのはこの三人の中だとロロだけなのだが、そのことに気付いていないのは彼だけだ。瑞葉とハクハクハクは若干気が重くなるのを感じていた。
そうこうしている内に受付にいた観光客らしき人が外に出て行くのが見えた。三人は立ち上がってミザロの下へ。
「三人共いらっしゃい」
「ミザロ姉。今日はっていうかしばらくは受付なんだな」
「崎藤さんから聞いたのね。そうよ。しばらく冒険者は休業ね」
「とりあえず私たちでも受けられる依頼はありますか?」
ミザロは瑞葉の質問を聞いて固まる。ハクハクハクはその様子にどうしたのかとおろおろし始めるが、二人はこうしたことにも慣れたもので動じることなく待つ。それから少しして突然電源が入ったかのように動き出したミザロは瞬く間に三枚の依頼書を差し出した。
「フクレドリの討伐、牙獣の討伐、行商の護衛だって」
三人が受付に置かれた依頼書をそれぞれ勝手に読み出す。その中でハクハクハクの目がある場所で止まった。ロロが目聡くそれに気付き視線の先を読むと行商の護衛の依頼書に向いているように思えた。食料と農具、それに武器の輸送で魔物が棲みつく森の近くを通るらしい。その目的地は。
「ハイドウ村ってのはどこなんだ?」
ロロと瑞葉には聞き覚えの無い場所だ。ショウリュウの都にいる者に聞いてもほとんどがその場所を答えることはできないだろう。都の南部、たまにしか人が通らずあまり整備されていない道を歩き続けること三日。そこにその村はある。
ハクハクハクの生まれ故郷だ。
「そ……、こ、は」
消え入るようなハクハクハクの声。彼女の頭の中では故郷の思い出したくもない思い出の数々と、最後に見た両親の背中が見えている。
「えっと、さ。フクレドリか牙獣の討伐にしようか」
何やら悪いものがあるのを察したようで瑞葉がそう提案する。しかしハクハクハクは黙って一歩前に出ると護衛の依頼について書かれている依頼書を手に取った。
「ハク?」
彼女はじっとそこに書かれていることを見つめている。
「あー、のさあ。それにするのか?」
ロロが尋ねても彼女は返事をしない。ただ、じっと隅から隅までその一枚の紙を見続けている。どうしたものかと二人が顔を見合わせて悩んでいるとハクハクハクはその紙を叩きつけるように置いた。
「わ、私。この、この依頼を、受けたい!」
ロロ、瑞葉、ミザロの三人はハクハクハクの突然の行動に驚いたように固まる。実際、普段は内気で大人しい彼女が急に大きな声を張り上げたものだから驚くのも無理はない。
「まあ俺はいいけど……」
ロロはそう呟いて瑞葉を見る。
「私も、別にほら、ハクがそう言うなら……?」
瑞葉もしどろもどろになりながら特に否定する理由もなくそう答えた。しかしその場にいる最後の一人、ミザロはじっとハクハクハクを見つめて何事か考えている。
「……え、あ、あうぅ」
人にじっと見られるのに慣れていない彼女はさっきまでの勢いもどこへやら恥ずかしさから顔を伏せてしまう。そしてそうさせた張本人であるミザロはいつものように無言で何か考えているようであった。
「この依頼を受けさせることはできませんね」
そして口を開いたかと思うと依頼書を手に取り手近な引き出しにしまった。
「え、ミザロ姉がこの依頼なら大丈夫って言ったんじゃん」
「そうね」
ロロの非難も当然のことであるがミザロは開き直ったように頷くばかりだ。
「えっと、説明とかってお願いしても?」
「もちろん、説明しましょうか」
ミザロは瑞葉の問いに頷くと一瞬ハクハクハクの方を見て、それから目を閉じ数秒固まる。
「あなたたちは冒険者、依頼を受けてそれをこなすのが仕事なのはわかるでしょう?」
それに関しては誰も異論などなく三人共が頷く。
「今の私は志吹の宿、つまり冒険者の拠点の責任者代理。所属する冒険者に依頼を渡す際は当然彼らが依頼をこなす能力を持っているかどうか考える必要があるわ」
「その能力があると思ってさっきの三つの依頼を見せてくれたんですよね」
「そうね。でもさっきの様子を見て考えが変わったの」
さっきの様子とはハクハクハクが依頼書を見た時の様子だ。
「明らかに普段と異なる精神状態。その状態で本来の実力が発揮できるのかは疑問ね。たとえ相手がひ弱な獣や魔物だとしても私たちにはそれ相応の危険が伴うことはわかるでしょう? まして護衛の依頼なら守るべき相手を危機に晒すことになる」
その言葉にハクハクハクは何も言い返すことが出来ない。確かに彼女は自身が明らかに冷静さを欠いているのを自覚していた。
「冷たいジュースでも飲んで落ち着いてもう一度来るといいわ」
ミザロは宿で使える飲料券を三枚差し出す。どうやらこれで好きなものを飲んで来いということらしい。三人は一旦ラウンジの方へと引き返した。
それぞれの好みのジュースにヤヤさんがおまけで付けてくれた冷凍果物のシロップ漬けがテーブルの上に並ぶ。ロロは早速とばかりに半分ほどジュースを飲み果物を三つぐらい摘む。ハクハクハクはコップを両手で持ったはいいがそのまま飲もうとはせず俯いて黙り込んでいる。瑞葉はそんな彼女に気を遣ってか中々手が出ないようだ。
「瑞葉、これ冷たくて旨いぜ。この前の冷やすやつで冷やしてくれよ」
この前の冷やすやつとはエアコンの真似事をした時のことだろう。のんきなロロに対し瑞葉がきっ、と睨み付ける。しかし彼も流石に何も考えていないわけではない。
「いや、ほら。ハクハクハクさ、何か悩んでるんだろ? 俺たち話ぐらい聞くからさ、長くなってもいいから。これも冷たい方が旨いから」
要は長丁場になりそうなのを察してのことだと言いたいのだろう。瑞葉はそうだとしてもこっそり言うとかもっとやりようがあったんじゃないかと思うが、ロロ相手じゃ言っても仕方ないと黙って果物のシロップ漬けとついでに飲み物を冷やし始める。ハクハクハクは二人のやり取りに少し不思議そうな顔をしたが、じっと見られているのに気が付くとすぐに視線を逸らした。瑞葉は放っておいたらここでずっと黙ったままになりそうだと彼女の方から尋ねることにする。
「ハク。何かその……。さっきの依頼、何か気になることがあったの?」
ハクハクハクは尋ねられてもしばらく黙っていたのだが、やがて決心したように前を向き、口をパクパクとさせ、俯く。そしてか細い声で呟いた。
「あ、の、ね。……私の。……私の、故郷、なの」
ロロと瑞葉はその言葉の意味が最初は上手く飲み込めなかった。そもそも彼らはハクハクハクの生まれがどこかなど聞いたことは無く、勝手にショウリュウの都がそうなのだろうと思っていたところがある。三人は一緒に過ごす中で雑談することもあるがハクハクハクは主に聞き役に回っているので、実のところ二人はハクハクハクについて知らないことが多い。
「……生まれ故郷? えっと、名前何だったっけ? ハドウ村だったっけ?」
「あ、いや、あの。は、ハイドウ、村、だよ」
「ハクハクハクはその村で生まれたのか? 今はここに住んでるんだよな?」
「う、うん」
「じゃあ里帰りしたくてあの依頼を受けたかったってことか」
ロロは一人納得したように頷くがそんなはずはない。現にハクハクハクは後ろめたさを感じているのか視線を逸らして手首を強く握り締めている。
「ハク、どうしてあの依頼を?」
どうしてあの依頼を受けようと思ったのか。ハクハクハクはそれを語る為に自身の過去について話さねばならない。早鐘を打つ鼓動、強く真一文字に結んだ唇、握り締めた手首、そしてその手に感じる丙族が持つ石の感触。
「あ……。あの、ね」
「うん」
「長、く、なるかも、しれないけど。き、聞いて、くれる?」
「当たり前だろ」
優しい目で見つめる二人を見てハクハクハクは自らの過去を話し始める。ハイドウ村に生まれ、平和に過ごした日々。罵声が浴びせられ、石を投げられ、悪意を向けられた日々。そして両親が戻ってこなかったあの日。冷や汗を流し、時に言葉に詰まり、しかし彼女は過去について語り続ける。
「そ、その後ね。あの、ゴウゴウさんが、む、村に来て。それで、その、都に来たの」
「……そうだったんだ」
瑞葉が想像よりもずっと重たい話にどう対応して良いかわからず、ただそう呟く。彼女が気を紛らわせようと手を伸ばしたジュースは既にぬるくなっていた。周囲よりもひんやりとした空気が辺りを漂っている。ままならない、そう思って彼女がロロの方を見ると彼は何事か考えているようだった。
「……あのさ、ハクハクハクがそこで育ったのはわかった。でもさ、何でそこに行きたいんだ?」
それは、考えてみれば当然の疑問である。そもそもこの話を始めたのはハクハクハクがハイドウ村へ行くことになる依頼を受けたいと言い出したからだ。しかし話を聞いてみれば村にあるのは嫌な思い出ばかり、そこへ行きたいと願う理由は無いだろう。
「本当は、ね。……あそこ、に、行きたい、わけじゃない、の」
ハクハクハクは掌まで覆っている長い袖をまくり手首を見せた。そこには丙族特有の石が生えている。彼女のそれは鮮やかでしかし深みのある青色をしている。ロロと瑞葉は普段隠してあってあまり見ることのないそれをじっと見つめる。
「……この石。お母さんが、ね。と、とっても綺麗って、言ってて。お父さん、は、すごい、ち、力があるんだ、って」
それは両親との数少ない幸せな思い出。母の腕に抱かれ父の優しい目が彼女を見つめている。言葉の意味など分からなかったが大好きな二人に囲まれた彼女は笑顔を浮かべていた。彼女はこの石を見る度に二人のことを思い出す。決して忘れることなどない。だからこそ、彼女には知りたいことがあった。
「……私、お、お父さんとお母さんが。さ、最後に、どうなったのか、知りたいの」
彼女は両親の最期の姿を知らない。彼女は家を出て行く二人の姿を見送っただけだ。
「二人は、ね。村の近くに、魔物、の群れがいるのを知って、その、戦いに、行ったらしいの」
それを知ったのはショウリュウの都に来て一年程経った頃。ゴウゴウより口伝えでそう聞かされた時のことを彼女ははっきりと覚えている。
「そ、その時から、私、ね。ずっと知りたかった、の。二人がどこで戦って、どうなったのか、ずっと、ずっと」
ハクハクハクの想いを推し量ることはできないが、しかし並々ならぬ決意があることは疑う余地もなかった。
「だから、ね。ハイドウ村に、行きたくて、その、あの依頼を……」
「なるほどなあ」
ロロが納得し大きく頷く。それから瑞葉に顔を近付けて小声で言った。
「なあ、どうする?」
瑞葉はどうする、なんて言われてもなあ、と困ったように顔を引き攣らせる。ハクハクハクの一人の友人として彼女の願いを叶えてあげたい気持ちはある。両親の最期が知りたいというのもわからないではない。問題があるとすれば、それを冒険者の依頼として受けた中でやることにあるのだろう。その点で言えば彼女の考えはミザロのものに近い。
「……ハク。私は、その、申し訳ないけどミザロさんの意見に賛成かな。私たちは冒険者で、依頼を受けるならそれを遂行することが第一だと思う」
その言葉に対しいハクハクハクから反論はなく、ただ唇を噛んで俯くだけだ。ロロも何か言いたそうにしているが歯を食いしばって我慢している。二人共瑞葉の言葉が正しいとわかっているのだろう。
「だからさ」
そんな二人に瑞葉は言葉を続ける。
「今度、また都合を付けてさ。依頼とか関係なく行こうよ。ハクが個人的に里帰りするのは何も悪いことじゃないでしょ? 一人で不安なら私もロロもついて行くからさ。ねえ、ロロ?」
「……そうだな。ハクハクハク、俺も一緒に行くぜ!」
二人の声にハクハクハクが顔を上げる。目の前にいる二人はいつも彼女の手を取ってくれる。そんな自慢の友人たちを前に彼女は嬉しいような申し訳ないような、でもやっぱり最後は嬉しくて頬が緩むのを感じた。
「あ、ありがとう」
彼女の目からは喜びが溢れ頬を伝う。
ハクハクハクが落ち着きを取り戻した頃、彼女は既にぬるくなったフルーツのシロップ漬けをあっという間に食べ切る。空になった皿を置いて三人は再びミザロの下へ向かった。
「話し合いは終わった?」
「はい。今回はさっきの護衛依頼は止めておこうと思います」
「そう?」
ミザロは先ほど引き出しにしまったハイドウ村への護衛依頼を取り出す。
「ハイドウ村への道中はそれほど危険ではないし依頼をきちんとこなせるのなら受けても構わないと思うけど」
「いえ、大丈夫です」
「そう。まああなたたちがそう決めたのならこれは他の人に頼もうかしら」
そう言ってミザロがその依頼書を本来しまうべき場所へ戻そうとした時。
「頼もー!」
突然後ろから響き渡った大声に瑞葉とハクハクハクは肩を震わせて跳び上がり、ロロは何事かと振り返る。ミザロは呆れたように溜息をついて大声を上げた男に視線を向けた。
「ディオンさん。いつも言っていますがもう少し声量を抑えてください。あなただけが使っているわけではありませんので」
「む、すまない。迷惑をかけるな」
そう言って頭を下げるのは全身鎧の男、ディオン。
「あ、ディオンさん。久しぶり」
「おお、ローロ! ズーハにハークハークも! 三人共元気そうで何よりだ」
三人とディオンは以前に共に依頼を受けたことのある仲だ。彼は鎧に覆われた見た目と異なり非常に親しみやすい性格で久しぶりの再会を喜び合う。
「そうか、君たちが以前にディオンと依頼を受けたという新人だな」
そして今日はディオンの後ろにもう一人誰かいる。女性としては平均的な身長で露出している腕や足が筋肉質であるのが見て取れる。ただ彼女を初めて見た時にそのことに気付く者は少ないだろう。なぜならばそんなところよりも彼女が全身に身に付けている大量の武器に目を奪われるからだ。背中に槍と弓を背負い、腰に鞭と数本のナイフ、手には大斧を携えている。全身鎧の男に並ぶにはある意味似合いの格好と言えた。
「私の名は柳。この全身鎧とチームを組んでいるんだ。よろしく頼むよ」
ロロ、瑞葉、ハクはハクハクと順々に握手をすると彼女は受付にいるミザロの方を、そして彼女がまだ手に持っている一枚の依頼書を見た。
「三人はこれから依頼を受けるところか。どんな依頼を受けるところなんだ?」
「あ、えっとまだ決めてなくて」
「ミザロが持っているやつだろう? 見せてもらうぞ」
柳はミザロが持っている依頼書を奪い取った。そしてディオンと共にその内容を見始める。
「ほーう、護衛依頼か。ハイドウ村と言えば南方の村だな。道はあるはずだが着くまでは歩き詰めになるだろうな」
「トキハさんの依頼だ。彼女はよく近隣の村へ食料を届けに行っていて経験豊富な商人だよ。君たち新人には丁度良い依頼かもな」
二人がそんなことを言うのだが、三人は少々困惑する。それも当然でその依頼は受けないと先ほど決めたばかりなのだから。
「えっと、その依頼はちょっと受けないことにしたんです」
瑞葉はハクハクハクに許可を取ると二人に簡単な経緯を説明する。そしてそれを聞いた柳は上を向いて瞑目し何か考えているように見えた。
「そうか……、そんな事情があるのか」
そして小声でそう呟くと再び依頼書に目を通し始める。細かい所まで見落としのないように。
「トキハさんのことだからおそらく三日は滞在するだろうな」
「うむ、間違いなかろう。彼女は人との繋がりを大切にするのを信条としているからな」
ディオンにそんな確認をすると再び依頼書に目を落とし、そしてそれを受付に置く。そして胸を叩き声を上げる。
「よし、この依頼我々が同行しよう」
三人がぽかん、と口を開く。
「ミザロ、彼女らは冷静な判断が出来ているようだ。それならば問題ないだろう?」
ミザロはじっと柳を見つめ返し、それからハクハクハクの方をじっと見つめる。たっぷり十秒ほどの時間を経て彼女は頷いた。
「まあ、問題ないでしょう。あなたの実力の程はよくわかっているつもりです」
柳の胸には三等星のバッジが光っている。しかし事情通の者の間では一年後には彼女のバッジからは尖った部分が一つ減っているだろうと噂されているのだ。
「ディオン、お前もそれでいいだろう?」
「……柳よ」
ディオンが柳を見下ろす。彼の表情はわからない、が次の瞬間彼は親指を立てて言った。
「お前ならばそう言ってくれると思っていたぞ!」
ははははは、とディオンの笑い声が宿中に響く。柳も呼応するように笑い、ミザロは耳を塞いで苦々し気な表情を見せた。そして先ほどからずっと困惑し続けているのがロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人だ。彼らは話題の中心にいるはずなのに先ほどからずっと置いてけぼりを喰らっている。
「さっき瑞葉が言ったけど俺たちその依頼」
「よーっし、そうと決まれば善は急げだ。トキハさんに話を聞きに行こう。いるなら商店街の荷積み場かな? 私は先に行くぞ」
「あ、待っ……。行っちゃった」
柳は人の話も聞かず外へ飛び出した。彼女の足は速く今更止めに行くことなどできないだろう。
「ふーむ、ああは言ったが君たちがこの依頼を受けたくないというのであれば柳を説得しても良い」
その場に留まっていたディオンが三人に向けて話し出す。
「柳の怪我が治ったばかりであまり危険な依頼を受けるつもりもなかったしな。この依頼は私たちだけでこなすこともできる」
「……そう言えば怪我をしている仲間がいるって言ってましたね」
以前にディオンと一緒に依頼へ行った時にそんな話があった。柳は腕の骨を折りしばらく休養していたところだ。今日この日にようやく依頼に出ても問題ないと言える程度に回復したばかりで少々のブランクがあった。そういうわけで五等星に任せられる程度の依頼というのは丁度良いと考えている。
「うむ、だから君たちがこの依頼を受けないというならそれでも構わんのだ」
その言葉に三人は顔を見合わせたが、やはり受けないという考えで一致したのだからそれでいいだろうと思っていた。
「しかーし!」
ディオンの言葉を聞くまでは。
「本当にそれでいいのか? よーく、考えてみよ! 後に時間を作り里帰りする、それもいいだろう。判断としては正しいかもしれん。だがそれまでの時間ハークハーク、彼女はずっと悩み続けなければならない! それに一度や二度の訪問で見つかると決まったことでもないではないか。今回、この旅の中で、手掛かりを見つけることが出来れば! 次に君たちが行く時の役に立つだろう?」
ディオンの熱の入った言葉の数々が目の前に立っていたロロの胸に刺さる。彼は後ずさりしながらよろけ地面に崩れ落ちた。
「そ、そうだ。俺たちはハクハクハクの悩みを解決できたつもりになってたけど、そうじゃなかったんだな。いつか解決してやるなんて言葉より、今すぐに解決できた方が何倍も良かったんだ」
「ローロ」
ディオンの声にロロが顔を上げるとそこには差し出された手が。
「よくそのことに気が付いた」
「ディオンさん!」
ロロがディオンの手を取る。
「行くぞ! 柳の後を追うのだ!」
「ああ! 瑞葉、ハクハクハク、行くぞ!」
二人が扉を開けて飛び出した。残った二人は呆然とその姿が遠のいていくのを見送る。
「ハク、どうする? ……いや、ハクだけに決めさせるのは卑怯かな」
瑞葉は襟元を摘みながら困ったように口元を歪め、それからハクハクハクを見た。
「私、は。受けるのもいいかなって思うよ。三等星の人が二人もついて来てくれるなんて中々無いだろうしね。さっきはまた今度にしようなんて言ったのに虫が良いかもしれないけど」
「……そ、んなことない、よ。瑞葉ちゃん、は、その、とっても、わ、私のこと、考えて、くれてる。今も、ね」
「……そうかなあ」
「そうなの!」
珍しく語気を強めたハクハクハクに瑞葉は思わずのけぞった。
「……えぁ。そう、だからね?」
そしてハクハクハクは思わず出てしまった彼女の中では大きな声に自身でも驚いたようで、すぐに小さく縮こまって近くの者が辛うじて聞き取れるような小声になる。
「まあ、ハクがそう言うならいいよ。……追いかける?」
ハクハクハクが首を何度も縦に振る。
「それなら行こう」
「待って」
二人が外へ歩き出そうとした瞬間、鋭い声で待ったの声がかかった。その声の主はミザロだ。
「ミザロさん、えっと、何か?」
「受けるなら署名をしていって」
依頼を受ける際は誰が受けたのかはっきりさせる為に依頼書に署名をする必要がある。しかし先に飛び出していった全員が当然のようにそんなものはせずに出て行っていた。
「あ、はい」
こうして新人冒険者たちの次の依頼が決まった。向かうはハイドウ村、ハクハクハクの忘れがたき故郷。新たな冒険が始まる。




