20.冒険者の過ぎ去りし過去
山河カンショウの国、ショウリュウの都、郊外の農場。大荷物を抱えて歩く二人の少年少女。畑の雑草をむしっていた農夫が二人に気付いて声をかける。
「ロロに瑞葉じゃないか。しばらくどこか行ってるって聞いたが帰って来てたのか?」
少し離れていたせいか二人は立ち止まり声の出所を探す。やがて昔から農場で働いている顔馴染みの農夫を見つけてロロが声を張り上げて答える。
「一昨日都に帰って来たんだ。ナナユウの村ってとこに行ってて、祭りの警備をやってたんだぜ」
「祭りたあいいなあ。楽しかったか?」
「一応依頼で行ったんだぜ。まあ結構遊ぶ時間もあって楽しんで来たけどな」
「そうかそうか、ならよかったじゃないか。その大荷物はどこかの店に卸す分か?」
ロロたちが両手で抱えているのは木箱で、それは農場の野菜を入れるのによく使われるものだ。二人が親に頼まれて野菜の配達をしているのをこの辺りで働く農夫はよく見かけている。
「いや。宿に持ってけって父さんや樹々さんが。中身は色々入ってるみたい」
「今は夏野菜がどんどんできてるからなあ。宿の客や冒険者のみんなにもしっかり食べてもらってくれよ」
「ああ、もちろん!」
ずんずん歩き出すロロと軽く会釈をしてからその背を追う瑞葉を農夫は手を振って見送る。
二人は畑の多い郊外を抜けて食料や衣料品などの店が多く立ち並ぶ一帯へ。今はまだ朝早くで開いていない店も多く然程人通りは多くない。開店準備をしている知り合いの店主に声をかけられたりしながら志吹の宿へ向けて二人は歩く。
宿の前まで辿り付いた二人は一旦そこで立ち止まる。その目で見据えるのは宿の扉。
「どうやって開ける?」
二人は両手で箱を抱えているので扉を開くことが出来ない。勿論、その箱を一旦地面に置いてしまえば良いだけの話なのだが。
「開ける時だけは別に置いてもいいだろ」
「駄目よ。そうやって例外を増やすと特訓にならないでしょ」
二人は些細な荷運びも特訓だと、宿でそれを引き渡すまで箱を一度も置かずに行こうと決めていた。幸い、これまでに鍛えた体力と魔力によって重い荷物を運ぶこと自体は苦にならなかったがここに来て別の問題が発生したと言うわけだ。
「じゃあ一旦俺が二つ持ってその間に瑞葉が開けるって言うのは?」
「あー、まあ、あり、かな? どうだろ。私が置いてるって感じにならない? まあそれ抜きにしても痛そうだからダメ」
瑞葉の視線はロロの腕に向けられている。数日前、ロロは牙獣に襲われ腕を怪我している。幸い、傷は浅く既に動かしたりしても問題は無いようだが、瑞葉は未だ心配しているようだ。
「なら片手でどうにかして持つか?」
今の二人ならば身体強化により、たとえ苦瓜、辛瓜、トウモロコシ、茄子、西瓜、犀革豆などがぎっしり詰まった木箱であろうと片手で持つことは可能だろう。ただしこの木箱には持ち手など無くかなり不安定にならざるを得ない。落とせば中身がどうなるかわからないのにそのような手段を取ることはこの二人にできそうもない。
「こう、箱を掲げて口で開けるとか」
「駄目だろ、普通に」
「そうよね。ごめん、今のは無しで」
どうしようかと二人が悩んでいると不意に扉が内から開く。そこから出て来た人影はしばらく二人を見つめたまま動かない。
「……………………何をしているの?」
たっぷり時間を取ってから二人に声をかけたのは宿の看板娘、ミザロだ。その手には箒が握られておりどうやら宿の前を軽く掃除しに出て来たのだろう。二人はしどろもどろに弁明した後にミザロに招かれるがまま宿の中へと入っていく。
木箱は食堂を切り盛りするヤヤさんに渡され二人はラウンジでミザロと共に一息つくことに。
「ナナユウの祭りに行ったと聞いたわ」
「そうそう。色々あったよな」
「本来は星を見る祭りだったらしいですけど、祭囃子を聞いたり、ロロや牛鬼さんが力自慢大会に出たり、O・デイの歌を聞いたり色んなことをやってましたよ」
「警備の依頼で牙獣が出たと聞いたけど怪我はない?」
心配するようなミザロの言葉に瑞葉がロロの腕をじっと見る。ロロはばつが悪そうに頬を掻く。
「ちょっと腕を噛まれたりしたけど……、まあでも問題ないって。もう痛くないし」
実際、既に傷はほぼ治っており、痕はまだ残っているが痛みなどは無理に動かしたりしなければ無いようだ。荷物を抱える際も持ち方さえ気を付ければ何も問題ないとは本人の弁である。
「……冒険者、特にあなたたちは獣や魔物と戦うつもりでしょう? そんな冒険者には怪我は付き物よ。だからと言ってそれを軽視しては駄目よ、少しの怪我も自分では気付かぬ問題があるものだわ。魔物には毒を持つものもいるし無理はしないでね」
「はーい」
「気を付けます」
小さな頃から宿に来ていた二人はミザロから見て弟分妹分のような存在で、あまり表には出さないが実のところ様子を気にしているらしい。最近はミザロも忙しく宿を離れることが多かったのであまり話すことも無かったが、久しぶりに会えた今日は三人でしばし歓談の時間を設ける。
時間と共に上階から降りてきた観光客や外からやって来た冒険者がラウンジに集まり出すが喧騒とは程遠い穏やかな時間が流れる。ミザロなどは国内外で有名な二等星の冒険者であり観光客などからは注目の的なのだが、今日の客は行儀が良く遠目で眺めるだけで満足している。冒険者たちもそれぞれで固まって情報交換などをしているようで、ヤヤさんが料理や飲み物を持ってくる以外は忙しない様子の者などいない。こんなのんびりした日も悪くないと瑞葉が思ったのだが、不意に宿の扉が勢いよく開く。
「ふっ、俺様の登場だ」
そこにいたのはザガだ。扉を開け腕を前に伸ばした状態のまま何やら悦に浸っている、のを後ろからガッ、と小気味よい音を立てて殴られる。
「えっ!?」
思わず声を上げたのは観光客だろう。その二人は思わず慌てて周囲を見るが他の者はもはや慣れ切って一瞬目を向けただけですぐ自分たちの話へ戻っていく。そしてザガを後ろから殴りつけた張本人、竜神が声を上げた。
「そんなところで止まるな、邪魔だ」
「俺様の登場だぞ、最高潮に盛り上がるところだブフッ」
起き上がりに顔面に膝を喰らいザガが地面に倒れ伏す。竜神はそれを無視して中へ入っていく。後ろにいたチームメンバーの空天赤坂はザガに手を貸すか迷っているようだったがやがて小走りで竜神の方へ向かった。
「崎藤ー、いるんだろ? 早く出てこい」
竜神が宿の奥へ呼びかける。それを見てミザロが立ち上がり竜神に声をかける。
「崎藤さんなら出掛けてます。要件なら代わりに私が聞きましょう」
「そうなのか? 珍しいな」
「自警団からの呼び出しです」
「ああ、なるほどな」
それから二人の間で二、三会話を挟み一旦ミザロがロロたちの下へ戻ってくる。
「すみません、竜神さんと話があるので今日はここまでですね。また時間がある時に話しましょう」
「ああ。またな」
「お仕事頑張ってください」
ロロと瑞葉は手を振ってミザロを見送る。そしてその姿が消えると瑞葉が小声で言った。
「ミザロさんってさ、私たちとかと話す時と竜神さんとか崎藤さんと話す時で明らかに態度違うよね」
「確かに、そういやそうだな」
「なんでだろ」
残念ながらその謎の解明が始まることは無い。床を叩く大きな音にその場の全員の注意が惹かれる。音のする方で見たのは空中で回転しそのまま立ち上がるザガの姿。
「リーダーの俺を置いて勝手に行くとは……、まあ面倒な話はあいつに任せればいいか」
ザガはそう呟くとラウンジの方へ、そこでロロと瑞葉を見つけると当然のようにその空いた席に座った。
「よーう、ロロ、瑞葉。俺様の素っ、晴らしい活躍は聞いたか?」
「活躍? 何かすごい魔物を倒したとか?」
「新聞に書かれていたのなら読みました」
「あー、俺様は新聞は読まないんだ。だから何が書かれていたのかは知らん」
ザガは新聞を読みはしないし、また新聞記者に話を聞かれることも無い。冒険者の活躍の記事に関しては直接冒険者から話を聞くのでなく拠点である志吹の宿に送られた報告書などから作られることも多い。そしてザガはほとんどの場合において話が盛られるので記者の方も彼から話を聞くのは避けているようだ。
「よーし、お前ら暇だろ? 俺様の一から十までかっこいい活躍を話してやろう」
ザガはつい先日あった犯罪組織の拠点を制圧した際の話を始める。
「乗り込んだのはこの宿どころか自警団の本部でもすっぽり入るようなどでかい洞窟だ。奥に行けば地下にどんどん潜って行ったんだが、そこにいたのは超巨大な牙獣だ。牙獣はわかるか? わかるならいい、あれの何倍もでかいやつがうようよといたってわけだ。しかーし、俺様は怯まない。奴等の懐に飛び込んでこの拳で殴り飛ばしてやったのさ」
「冒険者崩れの悪党どもが奥の部屋でビビってたのさ。俺様は中に入って一撃でも当てられたらここから逃がしてやってもいいと言ってやったさ。慈悲深い俺様の言葉に良心がまだ残っていた奴等は涙を流し、そうでないやつは武器を持って一斉に跳びかかって来た。俺様は優しいからな跳びかかって来た奴等は一撃で気絶させてやったぜ」
「そうだ、入り口から逃げようとするやつに容赦は必要ないだろ? 俺様の拳が火を噴くってわけだ。逃げ出そうとするやつらに勘付いた俺様は地面を蹴ると壁を突き破り奴らの真下から登場だ」
「こうして俺様のおかげで全て丸く収まったってわけだ。竜神の慌てふためいてる姿は中々見ものだったぜ」
ひとしきり話し終えたのを見てロロと瑞葉は拍手を送る。それはその話に感動したわけでなく、長年の経験でやらなければ視線や態度で要求されるのを知っているからだ。歳が一桁の頃は二人もザガの話を信じ本気の拍手を送っていた。流石に今時分は話半分に聞くのが常としている。
「俺様の活躍がよく分かるいい話だっただろ。お前らも頑張れよ? そうすりゃいずれは俺様みたいになれるってもんだ。竜神のやつも筋は良いって褒めてたぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。経験さえ積めば四等星ぐらいすぐなれるってな具合だったか? まあ俺様ぐらいになると三日で四等星になれちまったが」
「そうなんですか」
「この宿で最も早く四等星に上がった男、それが俺様ってわけだな」
「そうなんですかー」
事実がどうなっているかというと、残念ながら記録が残っていない。ザガが相当に早く四等星になったことは間違いではないが。
ふと、ザガが後ろを見る。ロロと瑞葉は視線の先を見るがその宿の受付辺りには何も変化が無いように見えた。
「よっしゃ、俺様はそろそろ行くぜ」
「もう行っちゃうのか」
ザガの話の大部分は信用ならないものだが、娯楽として聞く分には面白いものがある。ロロはもう一つ二つ話を聞いてもいい気分だった。
「悪いがこの後も用事があるんでな」
そう言ってザガが立ち上がるのと同時に宿の受付の奥にある扉が開く。そしてそこから竜神と空天赤坂が出て来るのが見えた。当然のようにザガはそこに合流する。
「出て来るのがわかってたってことか?」
思わずロロが小声で瑞葉に尋ねる。瑞葉も表情に驚きを滲ませながら、たぶんね、と短く返した。
ザガ達三人が連れ立って宿から出て行く。ミザロが戻ってこないのは竜神との話を報告書にまとめているのだろう。ロロと瑞葉はこれからどうするか話し始める。
「ハクハクハクでも探しに行くか?」
「……んー、一応今日は休みって言ってあるのにわざわざ探しに行くのもどうだろう」
ナナユウの村の依頼を終えてショウリュウの都に戻って来たロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人は話し合いの結果、三日ほどの休息を取ることに決めていた。これは主にロロの腕の怪我の具合を見る為である。故に今日は本来ならば二人も宿へ来るつもりは無く、たまたま用事が出来た為に来たに過ぎない。
「それもそっか。ハクハクハクもたまには家でのんびりしたいよな。じゃあどこか買い物でも行くか?」
「別に欲しいものも無いけどなあ。牛鬼さんが言ってた菓子屋に行くのもありだけど……。修理に出した帷子の様子でも見に行ってみる?」
「それは面白いかもなあ」
こうして二人の意見が一致し向かう先が決まった、のだが残念ながら二人が今日そこへ行くことは無い。
宿の扉がゆっくりと開く。そして中へ続々と人が入ってくる。先頭は痩せ気味のモノクルを付けた男、続いて筋骨隆々の無精ひげを生やした男、若い女性、老人、少年、丙族の少女、腰の曲がった丙族、等々。十数人もの人々が宿の受付前に集合している。
「崎藤殿はおられるかー?」
先頭で入って来た男が宿の奥へ声をかけると奥から足音が響くのが聞こえた。扉を開けてミザロが出て来る。
「イザクラ考古学団に丙自治会の皆様ですね。そろそろお越しになると思っていました。崎藤さんなら今は出掛けております。諸々の手続きに関しては私の方で」
「左様か。では私とリューリュ―殿で早く終わらせるとしようか」
「ふー、まあこればかりは仕方あるまい。本来ならこの私がこのような雑務をするのは気が進まないが、流石にさぼるとゴウゴウに何を言われるかわからんだろうな」
先頭に立っていた男とリューリュ―と呼ばれた腰の曲がった丙族がミザロと何やら会話し始める。その他の者はラウンジの方へそのまま流れて行った。人数が増えて俄かに騒がしくなり、食事を作るヤヤも忙しそうに動き始める。
「何だろうな? 急にいっぱい来たけど」
「……ミザロさん、イザクラ考古学団と丙自治会って言ってたけど」
瑞葉は言いながらその二つの団体で何かあったようなと考える。そして不意に思い出す。
「そう言えばイザクラの都に何かしに行ってたんじゃなかったっけ。確か、そう、合同勉強会」
「合同勉強会? そう言えば聞いたような聞いてないような……」
ロロは瑞葉から聞いてもあまりピンと来ていないようで首を傾げている。
「合同勉強会ってそもそも何を勉強するんだ?」
「え? それは……」
瑞葉の方も合同勉強会に行ったという話を聞いた覚えがあるだけで中身に関しては少しも知らないのだ。聞いた時もそうなのか、と思っただけでそれ以上の興味など無くすぐに頭の片隅で忘れられていたような記憶だ。
そんな二人の様子を丙族の少女がじっと見ている。そして二人が悩むのを見てずんずんと近付いて来た。
「合同勉強会って言うのは、考古学の勉強会なのよ!」
ラウンジに響く明るく大きな声。瑞葉はぽかん、と丙族の少女を見つめた。
「考古学の勉強会なのか」
そしてそんな彼女を余所に当然のように返事をするのがロロだ。丙族の少女はそうなのよ、と言って話を続ける。
「旧世代については学校で習ったでしょ? 今より魔法技術が進んでいたっていう時代ね。考古学では遺跡の発掘を通じて当時の技術とかどうして滅んでしまったのかを調べてるのよ」
「旧世代かあ、そういやそんな話もあったな」
考古学や旧世代の話に関しては学校で習うものの概ねその存在について軽く触れるだけで詳細に説明されることは無い。ロロがよく知らないのも無理は無いだろう。
旧世代、とは今よりおよそ三百年程前の文明を指す。この文明は何かしらの理由で滅びを迎え、その後しばらくは文献でしかその存在は確認されていなかった。しかし時と共に当時人々が居住していたと思われる施設の跡が見つかった。それらは遺跡と呼ばれ人々はそれを探索、その中から現代では再現できない技術で作られた物が見つかり始める。例えば物体を遠く離れた場所へ転送したり、魔力を込めるだけで周囲の地形を変えるような装置、これらは旧世代の遺物と呼ばれた。現代においてこれらの研究は体系的にまとめられ考古学と呼ばれ親しまれている。
「昔にどんな暮らしをしていたのかとか、どんなすごい物があったのかとか色々と勉強してきたんだから」
「へー、そうなのか」
頷くロロに対して丙族の少女は何やら不満そうな表情を顕わにする。
「なんか反応薄くない? もっとすごーいとか言ってもいいんじゃない?」
「そうか? いや、まあ、その」
ロロは若干口ごもっていたが、睨み付けるように見つめる少女を前に目を逸らしながら弱弱しく口を開く。
「正直考古学ってあんまり興味ないかなー、って」
考古学の研究に一生を捧げる学者からすれば台を叩いて激昂するのかそういう者もいると冷静な態度でいるかはともかく、目の前の少女はご立腹なようだ。歯ぎしりと共に睨み付ける彼女を前にロロは若干身を引いた。
「ねえ、あなたは? すごいと思うでしょ?」
「えっ」
丙族の少女は首をぐるんと勢いよく回して今度は瑞葉に詰め寄る。瑞葉自身も実のところあまり考古学に興味を持っていないとか、凄いのは考古学やその研究をしてきた人、或いは勉強会を開いた人なのではとか思うことは幾つかあった。しかし言いたいことはそんなことではない。
「えっと、ね。その……」
瑞葉はじっと見つめる視線に思わず生唾を飲み込み襟元を摘む。少女と机で視線を行ったり来たりしながら逡巡していたが、やがて決心してずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの……。だ、誰?」
この丙族の少女、二人とは初対面である。
「はい、どうぞ」
ヤヤが野菜と果物をすりおろして作ったジュースを三つ置いた。一つはロロの前に、一つは瑞葉の前に、そしてもう一つは丙族の少女の前に置かれる。
「ゆっくりして行ってね」
「はーい」
ヤヤが去って行くのを見送ると少女とロロは早速ジュースを飲み始める。瑞葉はそんな二人の、とりわけ少女の様子をじっと見つめる。
「ぷあっ、美味しい!」
少女は年の頃は二人と同じぐらいに見える。身長は瑞葉より少し低い。同じ丙族のハクハクハクと比べるとすれば身長は高いが体付きが全体的に細いように見えた。或いはハクハクハクが少し丸っこいと言うべきか。肌は浅黒く焼けており、髪は短めに揃えており前髪を頭の上で留めている。活発そうな印象を与えるその見た目は先ほど話しかけてきた彼女の印象と合っていた。ただ額の丙の字を隠そうとせずさらけ出すのは珍しいと僅かに思う。
品定めするように見つめる瑞葉の視線を余所に丙族の少女はジュースを七割ほど飲むとグラスを机に置いた。
「私はサキサキサ。将来有望な冒険者! 今はまだそこまで有名じゃないけどいずれはショウリュウの都どころか世界中で知られるすごい冒険者になるんだから」
彼女の胸には五等星のバッジが光っている。彼女の言葉を大言壮語と笑うか子供らしい良い夢だと褒めるかは受け取り手次第だ。その中で張り合う者も当然いるわけで。
「すごい冒険者か、まあまあだな。俺はロロ。いずれはかっこいい冒険者になる男だ! 覚えておいて損は無いぜ」
「へえ、中々やりそうね」
何やらかっこつけて言うロロにサキサキサは一目置くように呟く。瑞葉はこの流れで自己紹介するのは嫌だなと思ったが二人が圧をかけるようにじっと見ている。
「えっと、み、瑞葉です。よろしくお願いします」
そんな何の変哲もない自己紹介に二人がわかってないとでも言いたげに溜息をつく。何かしら波長が合うのか初対面にも関わらず息の合う二人だ。
「悪いなあ。こいつちょっとノリが悪くて」
「まあこのノリは素人が付いてくるには難しかったかな」
瑞葉はもう黙っているかと思いジュースをちびちびと飲み始める。サキサキサはその様子に少しやり過ぎたと思ったのかそれまでの空気を捨て、咳ばらいをしてから二人の胸にあるバッジを指差した。
「二人は五等星なんだよね。前に私が依頼を受けようとした時に私と同い年ぐらいの二人組がいるって話は聞かなかったけど」
「前っていつ頃だ? 俺たち最近冒険者になったばかりだからさ」
「えっとぉ、勉強会で二か月ぐらい空けてたし、その前はちょっと忙しかったから……。いつだったかな?」
「私らが冒険者になってまだ三か月も経ってないから、その前だったのかもね」
「え! じゃあ二人共私の後輩だ!」
サキサキサは目を輝かせて跳び上がる。
「自治会だとまだまだ新人でさぁ、小さな子供の面倒を見ることはよくあるけど私を慕ってくれる後輩っていないんだよねぇ」
別に慕ってるとは言ってないしまだ先輩として尊敬できるかもわからないんだけど、と瑞葉は心の内で思う。
「そうだ! せっかくだから今度一緒に依頼に行こう! 誰か五等星の子を探さないといけないところだったの。イザクラ考古学団の人に遺跡の探索に行かないかって誘われてて、都の周辺は遺跡がいっぱいあるから今後に役立つこと間違いなし!」
唐突な話に面食らう二人。ただ冒険者の、特にこのショウリュウの都の冒険者において遺跡探索の手伝いは依頼として多く上がるものだ。理由としてショウリュウの都周辺では多くの遺跡が見つかっていると言うのが一つ、イザクラ考古学団という考古学において非常に有名な研究チームがあるのがもう一つだ。特に考古学団のトップを務める家老は考古学の権威として国内外で広く知られており、彼の研究が考古学の分野を三世代分は押し進めたと言われている。
「遺跡探索かあ、どう思う?」
「んー、まあ考古学には正直あんまり興味は無いけど。でも経験としてやっておくのは良いんじゃないかな? どっちにしても私らだけで決めるのはどうかと思うけど」
「ん? どういうこと?」
二人のことを知らないサキサキサは当然二人がいつもハクハクハクと依頼を受けていることも知らない。疑問に思うのも当然のことだろう。
「もう一人一緒にやってるやつがいてさ。ハクハクハクって言うんだけど」
「ハクハクハク!?」
椅子を後ろに倒さんばかりの勢いで立ち上がり大声を上げるサキサキサに二人だけでなく周囲の人まで驚いたように彼女の方を見た。唖然とする周囲を意に解する様子も無く彼女は虚空を見つめている。
「は、ハクハクハクと冒険者をやってるってこと?」
「……そうだぜ、なあ?」
瑞葉は黙ってコクコクと頷く。
「……そっかあ」
サキサキサがゆっくりと座る。彼女の方を見ていた周囲の者も自然と自分たちの会話に戻っていく。瑞葉とロロは戸惑いを隠せないままサキサキサを見ていたが、彼女は拍子を取るように指で組んだ手を叩いている。
「ハクちゃんとは同い年でね」
そしてゆっくりと話し出す。
「学校も一緒に行ってたんだよね」
山河カンショウの国では六歳になる年から十四歳になる年までの九年間、学校に通う義務がある。彼女とハクハクハクはどうやら同い年らしい。
「私もあの子も冒険者を目指しててさ。まあ私たちは結構その、タイプが違ったから特別に仲が良かったわけでもないんだけど。それでもたまに冒険者になった時の事とか話したりしてたんだ」
「じゃあ二人は友達だったってことか」
「……んー、どうだろう。結局私はハクちゃんが一番辛い時に力になって上げられなかったし」
ハクハクハクが冒険者になったのは十五の歳になってすぐの事。サキサキサは同い年だが誕生日は半年ほど遅かった為に一緒に冒険者として活動し始めることは無く、そして彼女が冒険者になった時には既にハクハクハクは自らが引き起こした事故のトラウマで冒険者としての活動を休止していた。
「時々ね、丙自治会の近くに来ているのは知ってたの。だけど……、どうやって声をかけていいかわからなかったから。最初はすぐに立ち直ると思ってた。知ってる? ……あの子ね、冒険者になりたいって気持ちは、ひ、人一倍強かったんだよ。……私よりもずっと。だ、だからすぐに立ち直ると思って……」
ロロと瑞葉はサキサキサの様子にぎょっとする。彼女は話しながら段々と涙ぐみ声がかすれて行く。ちらちらと周囲の視線も集まっている。狼狽える二人、集まる周囲の注目、流れる涙、それらを気にすることなくサキサキサは話し続ける。
「私、自分の事ばっかりやってて、気付いたら何か月も経ってて……。今、今更どんな顔してぇ、会えばいいかもわからなくてぇ…….。つ、辛いのはハクちゃんなのに、そんなことわかってたのにぃ……。な、何もできなかった。う、うぅ……」
涙が机に音を立てて落ちる。周囲も俯き泣きじゃくる彼女の様子を見て不安気だ。ロロと瑞葉もどうにか宥めたい気持ちはあるが、何を言っていいのかわからず呆然と見つめることしかできない。
「でも」
不意にサキサキサは顔を上げてロロと瑞葉を見た。
「ハクちゃん、ふ、二人と一緒に冒険者、頑張ってるんだよね?」
「あ、ああ」
「そう、そうだよ」
二人は気圧されながらもなんとか答える。それを聞いたサキサキサは今まで以上に声を上げて泣き出した。
「うぅ、ううううぅ、よか、よかったよおおおぉ。ちゃんと冒険者やれてるんだあああぁ。本当によかった、ごめんねハクちゃああぁん。あ、ありがとうね、二人共ありがとうねえええええええぇえ、えうえええええぇん」
「お、おう、いや、ええ?」
ロロでさえ目の前の少女にどうしていいのかわからず困惑の声を上げることしきり。少ししてサキサキサが嗚咽を上げ始めたところで瑞葉がはっとしたように立ち上がり背中をさすり始める。ごめんねええ、と辛うじて聞き取れるような声を上げていたサキサキサが段々と落ち着き始めると周囲も相応に落ち着きを取り戻して行く。やがて目尻に涙を滲ませているだけなるまで落ち着くとようやく瑞葉もほっとして自分の席に戻る。
「すぅ、ふぅ。……ごめんねぇ、二人共。私、最初に先輩だなんて言ったけどみっともかったよね」
流石に今の醜態に随分と気落ちしているようだ。二人に話しかけた時の勢いはどこかへ行ってしまった。
「えっと、いえ。あの、ハクの事気に掛けてるのは凄く伝わりましたよ」
「……あのさ、ハクちゃんって二人から見てどう? その、元気かな? 冒険者として頑張ってる?」
「……はい。その、とても頑張って……」
ロロが瑞葉の言葉を手で制する。
「何?」
「いや、俺さ、実はさっきから考えてたんだ」
サキサキサが落ち着くまでの時間、ロロは何もしていなかった。何もしていなかったのだが、何も考えていなかったわけではない。
「何を?」
「うん。いやほら。先輩はハクのことが気になるんだろ? でも今更どんな顔して会えばいいかわからないって」
ロロがサキサキサを見ると彼女は気まずそうに視線を逸らす。
「……まあ、ずっと見て見ぬふりして来たようなものだし」
「俺さ、思うんだけど、結局話してみないとわからないんだよ、どれだけ親しいつもりでも結局心の中はわからないしさ」
「うん……、うん?」
「だから今度の遺跡探索の時にちゃんと話してみたらいいんじゃないか? そうすればハクハクハクが今頑張ってるのもわかるし。うん、これっていい案だろ?」
「……へえ、あんたにしてはまともなことを言うのね。じゃあ遺跡探索は受ける方向で考えてようか。ハクにもちゃんと伝えとかないとね」
「そうだな。いつやるんだ? 何か準備とかいるのかな?」
ロロが尋ねるがサキサキサの返事は無い。というか彼女は今それどころではない。拳を握り乾燥した唇を噛んで微かに震えているようにさえ見える。
「う、うぅうううぅ、そ、そんな急、急にぃ? ハクちゃん私の事嫌いになってないかな? 私みたいなの嫌いになってるよ……」
彼女の頭の中にあるのは恐怖だろうか、それとも罪悪感だろうか。どちらにしても今はもうそれと向き合わねばならない時が来たようだが。そんな風に狼狽えるサキサキサの後ろに一人の男が立っている。彼はイザクラ考古学団の九岳、サキサキサ達が入って来た時に先頭にいた男だ。ミザロとの話を終えてこちらに戻ってきたところ、丁度三人の話が聞こえてきてこちらに来たと見える。
「そちらの二人は新人の冒険者かな? 私はイザクラ考古学団の九岳だ。少し話が聞こえたよ。彼女を遺跡探索に誘ったのは私でね。君たちが共に来たいというなら歓迎するよ」
「あ、ご丁寧にありがとうございます」
「我々も帰って来たばかりで正確な日取りは決まっていないが十日後ぐらいの予定になっているんだ。事前に簡単な説明会をする予定なのでね、イザクラの支部の場所はわかるかな?」
「どこだっけ?」
「確かここから都の中心部に歩いて行って右手に看板が見えたはず」
「その通りだ。説明会は五日後に開催する予定になっている。一応昼からの予定だが、まあそこももう少し話を詰めないといけないな。後でここの掲示板に詳細を貼っておくからそれを見てもらえると助かるよ」
九岳が指差した先には数枚の紙が貼られているものの大部分が空きスペースになっている掲示板。志吹の宿では口頭でのやり取りが多くあまり活用されることは無いようだ。
「それじゃあ、私は行くよ。サキサキサ君もちゃんと来てくれると嬉しいね」
「……もっちろーん」
空元気なのが見え見えな声が上がる。それを背に九岳はこの場にいたイザクラ考古学団の者を引き連れて宿を出て行った。彼らと共に来た丙族の者たちも、九岳と共に戻って来た腰の曲がった丙族に連れられて去って行く。
「サキサキサ、俺たちは先に行くぞ」
「……はーい」
そんなやり取りがあってサキサキサはここに残っていた。ロロと瑞葉はまだ何か話があるのだろうと思いじっと彼女を見つめるのだが中々話し出そうとはしない。瑞葉がもう出て行ってしまおうかと痺れを切らしかけた時、彼女はようやく覚悟を決めて口を開く。
「ふ、二人にお願いがあるんだけど」
お願い、と言われて何もなしに無下に断る二人ではない。とりあえずといった体で二人は次の言葉を待つ。幸いにも今度は痺れを切らす前にすぐ話し出した。
「あのね……、ちょっと恥ずかしいんだどさ」
「うん」
「……ハクちゃんと気まずくならないよういい感じに力を貸して欲しい、ん、だけど……」
ロロは親指を立て、瑞葉が大きな溜息をつく。三人の話し合いは幕を閉じる。
ロロが家に帰ると待っているのは一人黙々と犀革豆の分厚い皮を剥いている父、ナバスの姿だ。彼らが住む農場で収穫される犀革豆は他のものに比べより皮が厚く食べる部分は少ないが、その分味が濃厚で旨いと評判だ。何時間も茹でて皮ごと食べる者もいるようだが、その食べ方をロロたちはあまり好まないようでいつも先に皮を剥いてから食べている。
「ただいまー」
ロロがナバスに声をかけると彼は手を止めてロロの方を見る。
「帰ったか。野菜は、何か言っていたか?」
「ヤヤさんがいつもありがとうって。お客さんからも評判良さそうだったよ」
「ならいい」
それだけ言うとナバスは再び豆の皮むきを始める。ロロは部屋に荷物を置くと向かいに座り、机に置かれた豆を手に取って同じように皮を剥き始める。
「今度は遺跡の探索に行こうかと思ってるんだ」
こんな風に父の手伝いをしながら冒険者としての何をしているのかを話すのはロロの日課になりつつある。
「イザクラの人が今度遺跡探索に行くらしくって、俺たちもついて行っていいって。遺跡ってのがどんな感じなのかはわからないけど、この辺は多いから一度やっておいて損は無いって言ってた」
「そうか……。お前はまだ若い。様々な経験をするのは良いことだろう」
「だよな。まだ日取りは決まってないみたいだけど、今度説明会をするから来てくれって。今日はハクハクハクに会えなかったから今度会った時に誘うつもりなんだ」
ロロは他にもザガの武勇伝を聞いたことや、サキサキサという先輩に会ったことなどをつらつらと話す。ナバスは偶に相槌を入れながらその話をずっと聞いていた。
ナバスはざるに入れられた灰がかった白色の豆を持って台所へ向かう。今晩は茹でた豆が主菜となるのだろう。付け合わせに野菜を卸している店で貰った燻製肉もあるかもしれない。
ロロの一日は何事も無く過ぎて行く。
瑞葉が家に帰ると両親はまだ帰って来ていないようだった。家の外で今日はどんな話をするか考えていたのだが、こんなことならさっさと中に入ればよかったと瑞葉は部屋で寝転びながら思う。
「今日は遅番かな」
季節柄農場は忙しい日々が続いている。交代制で誰かが遅くまで残る場合もあり今日はそれにあたったのだろうと彼女は考えた。外はまだ明るく、日が沈むまでは二時間ほどあるだろう。逆に言えばその頃までは帰ってこないと見て彼女は何か食事でも作って待っていようと立ち上がる。
野菜の保管庫はこの時期いつもある物を乱雑に詰め込まれている。これは瑞葉の母である樹々の癖だ。瑞葉はこれを見る度にもう少し綺麗に入れられないだろうかと思うのだが、普段は触りもしない自分にそれを言う権利など無いのだと自らに言い聞かせる。
数種類の野菜を取り出した瑞葉はそれらを一口大に切ると鍋に油を引いて炒め始める。あまり料理をしない彼女はやるとなっても適当に済ませることが多い。幸い、彼女の両親は娘が作ってくれるというだけで感激する種の人間なので問題はない。
「肉……、は、いいや」
彼女の義父たる上代は野菜炒めに肉が入っている方が好みだが、瑞葉自身は肉など必要ないと考えている。干し肉はその姿を彼女に見られただけで元の場所から動くことはなかった。
野菜炒めを作り終え、彼女が部屋でストレッチをしていると玄関の戸が開く音がした。瑞葉が顔を出すとそこには帰宅した両親の姿。
「お帰り」
「ただいま。ちょっと遅くなっちゃったわ」
「瑞葉ちゃんただいま。今日は遅番を指名されてね」
「だと思った。晩御飯できてるよ」
「そう? ありがとうね」
荷物をそこらに置くと早速とばかりに台所へ。それぞれの分を皿によそうと食卓に着く。食事中に今日どんなことがあったのか三人は話していた。農場では今年も野菜がよく実っているらしい。残って収穫した野菜を箱に詰めたりしていたが大変だったと言っている。瑞葉も今日持って行った野菜が好評だったことや、遺跡探索に同行する予定であることを話すのだった。
「それでロロとイザクラの都であった勉強会って何をするんだろうねって話してたの。そうしたらサキサキサって子が」
瑞葉はそこまで言って、しまった、と後悔する。彼女の出した名前を聞いて母である樹々の表情が強張るのが見えた。気まずい沈黙が流れる。
「瑞葉、お話を続けて?」
その沈黙を破ったのは樹々だ。しかしその表情は依然硬いままで瑞葉は思わず目を逸らす。
「あ、えっと、その。勉強会は考古学についてだったんだって。遺跡とか、遺物とかそういうやつ。それで色々と話してたんだけど……。そう、九岳さんって人。この人はイザクラ考古学団の人なんだけど、その人が今度遺跡探索をするから一緒にどうかって」
瑞葉の話も先ほどまでのようにすらすらとは出てこない。家に入る前にどんな話をすべきか考えた時、彼女はサキサキサの名前は出さないと決めていた。
丙族の名前は二音の繰り返しを基本としている。ハクハクハク、ゴウゴウ、リカリカ、サキサキサのように若干の差異はあるがその名を聞けば丙族であるかどうかすぐにわかる。丙族であることを隠したい者は積極的に偽名を名乗るのだがショウリュウの都においては丙自治会の存在もあり偽名を名乗る丙族はほとんどいない。
瑞葉の血の繋がった父親、樹々の前夫は魔王の残党である丙族に殺された。それも樹々の目の前で、だ。丙族に強い恐怖と恨みを抱いた彼女はそれ以降の日々で丙族との関わりを経っている。今の農場に身を置いているのも丙族を雇わない農場であるからだ。瑞葉は自身が仮に仕事上であったとしても丙族と関わりを持つのを母が快く思わないと知っている。故に彼女は共に冒険者として活動するハクハクハクが丙族であることも隠しているし、家でする話の中では丙族と関わったような話は可能な限り避けてきた。
その後の三人の会話はどこか気まずい雰囲気を引き摺りながらも可能な限り平静に努めようとする三人の様子が見られた。瑞葉は適当なところで話を切り上げると部屋に向かい一人、自己嫌悪の中で布団に飛び込んだ。
「……失敗した」
思わず漏れ出た言葉に更に彼女は顔を布団にうずめる。瑞葉はどうやら自分は思ったよりも丙族がいる環境に馴染んでしまったらしいと思う。ハクハクハクと過ごす日々がそうさせたのだろう。事実、始めの頃は彼女に対して丙族だからと一線を引いた対応をしていたはずが、最近はもう普通にただの友人のように接している。サキサキサに対してもそうだ、昔ならば突然話しかけられたら逃げ出していたかもしれないのに普通に話を聞いていた。
「こんなんじゃまた心配かけちゃうな……」
瑞葉は丙族への思い入れなど何もない。しかし母に対しては強い思い入れを持っている。彼女にとって樹々とは幼い頃から自身を大切に育ててくれた唯一の家族なのだ。
「もう少し気を張るようにしないと」
彼女は母親に心配などかけたくはない。しかしそう思いながら彼女自身気付いていることがある。
「でもハクは……」
瑞葉の頭に思い浮かぶのはこれまで共に歩んできた友達の顔。初めて会った時はただ気弱で臆病で流されるままになっている可哀想な子ぐらいの認識だった。しかし彼女は日々を過ごす中で少しずつ変わろうともがいている。瑞葉は彼女のそういった部分を尊敬さえしている。
「悪い人じゃないんだよ、一緒にいられなくなるのは嫌だな……」
瑞葉は自身の思いと母の思いに板挟みになって息苦しさを感じているのに気付いていた。だからと言って彼女にはどうすればいいのかわからなかった。ふと彼女は思う、流されるままになっているのは自分なんじゃないか、と。
台所に並ぶ無数の料理、いつものことだがこの量を用意するのは並大抵の苦労ではないだろう。
「いらっしゃい」
無愛想な声が遠くから聞こえた。その声はハクハクハクに対して決して店内に顔を出すなという警告の意味合いを持っている。それを知っている彼女は用意されていた夕食を手に自らの部屋とも言うべき倉庫へと戻って行った。
倉庫に収められた商品は椅子や机などの調度品、ギターや琴などの楽器、銅像や水晶玉などの観賞用の置物など多岐に渡るがそれらには埃一つ付いておらず綺麗な状態が保たれている。それはハクハクハクがこの三日ほどそれらの商品を磨き続けた成果であると言えるだろう。彼女はロロと瑞葉に三日ほどの休みを言い渡され、その間ずっと倉庫の商品を綺麗にすることだけに時間を使っていた。
ハクハクハクは使用を許されている古ぼけた見栄えのしない木製の机に食事を置く。座ると、ぎぃ、と音の鳴る椅子に座るといつものように大量に用意された食事を食べ始めるのだ。
「……うん、おいしい」
実際にはスープの塩味が薄かったり、肉の下処理が不十分で固かったり、変な酸味のあるたれで味がおかしくなっていたりするのだがハクハクハクは気にせず食べ進める。机の上に何皿もあった料理の数々はあっという間に無くなっていった。
「……ふぅ」
全て平らげるとハクハクハクは椅子に体重を預けて天井を見た。ぎぃ、ぎぃ、と軋む椅子は壊れやしないかと不安を煽るがやがて彼女はそんなこと忘れゆらゆらと思考の海を漂い始める。
「何だか久しぶりにずっとここにいた、よね」
最近は依頼で外に出たり、そうでなくともロロと瑞葉と共に過ごす時間が多かった。日中、ずっと出掛けていてあまりここの掃除に時間が割けておらず、商品をここまで綺麗にできたのは随分と久しぶりに感じていた。
「二人に会って……、変わった、のかな」
彼女は二人に出会ってからの日々を思い返す。ナナユウの村の祭り、ササハ村でのトウボクサイの討伐、都の中で依頼を受けながらの特訓の日々、フクレドリ討伐での失敗、そして二人との出会い。それらの記憶は苦い思い出も含んでいるが、彼女にとって大切な日々の記憶だ。それは二人と出会う前の事にも言えるだろう。
「……そういえば最近自治会に行ってない、や」
二人に出会う前、彼女は丙自治会の集会所へ時折出向いていた。中にこそ入っていなかったが窓の向こうから視線を感じる時もあり、おそらく彼女の存在には多くの者が気付いていただろう。
「……まあ、でも、行く理由もない、よね」
彼女は丙自治会の一員というわけではない。丙族だからと言って丙自治会に所属する義務は無いのだ。ただし集会所は誰に対しても開かれているし何か困り事があれば相談しに行ってもよい。逆に言えば行く理由が無いのであれば当然行く必要はない。ただし、彼女は幼い頃に自治会の会長であるゴウゴウに拾われ長くそこで育てられたという縁があった。
「……ゴウゴウさんには、その、特訓の時に話をしたし……」
集会所には幼い頃から世話をしてくれた人がいた。
「は、話は伝わってる、よね」
一緒に遊んでくれた人もいた。
「……え、と」
同じように冒険者を目指すと言っていた友達もいた。
「……うぅ。い、行かなきゃ、だめ、だよ、ねぇ……」
今更になってどんな顔で会いに行けばいいのか、彼女は一人悶々とした夜を過ごす。
翌日、三人は志吹の宿に集合する。ロロと瑞葉から遺跡探索の話を聞きハクハクハクはそれ自体にあまり興味はなかったが、特に嫌がる理由も無くその提案に乗ることにした。その後、近隣の清掃の依頼を受けた三人は掃除に精を出しながら遺跡がどんなところか想像する。本によればこんなところだ、昔聞いた話はこうだった、こんなだったら面白いと好き好きに話し合う。
そんな日々を過ごしている内に説明会の日が迫る。いざ、イザクラ考古学団の本部へ。