19.5.祭りの裏で
山河カンショウの国、ナナユウの村。七月七日、時は日が落ちて少し経った頃。一人の冒険者が森の中に立っている。彼の名は牛鬼、志吹の宿の冒険者で今はナナユウの村で行われる星見祭りの警備の依頼を受けてここにいる。そして今その手は自らの腰に差された刀、その柄を握り暗い森の奥を睨み付けている。
ギィンッ!
何度目かの金属音、それはいつの間にか抜かれた牛鬼の刀が金属の輪を弾いた音だ。
「そろそろ姿を現したらどうだ? それともこちらから行った方が良いか?」
牛鬼が刀である一点を指す。ほとんど明かりの無いこの森の中では人の目では何も見通せないはずだが、牛鬼には確かにその先にいる敵の姿が見えている。
「……へえ、ばれてるんなら仕方ないわね」
木の上から姿を現したのは女。少々露出過多とも見える服装だが、それは彼女の肉体を見せつける為であろう。幾つにも割れた腹筋、ただ太いのでなく筋肉が浮かびあがった太もも、無駄な肉が無く引き締まった二の腕。その完成された美しい肉体に牛鬼は見覚えがあった。
「カグリか」
カグリ、彼女と牛鬼は一度会っている。祭りの催しにあったナナユウの村力自慢大会、そこで牛鬼を破り優勝した者こそが彼女だ。あの時は単なる催しの対戦相手であり負けた後にはその力強さを称え清々しささえ覚えたものだが今は違う。
カグリは牛鬼の背後を指差して口を開く。
「さっきの子、逃がしてよかったの?」
「ロロのことか?」
牛鬼はほんの数分前にロロと共に巡回をしていた。しかしそこにカグリの襲撃を受け、危険から遠ざけるべく逃がしたのである。
「ふむ、まあ確かにこの山が丸々危険である可能性もあるか。わざわざ何の為にこの祭りを襲撃しようとしているのかはわからんが、その口ぶりからすると誰かしら他にいるのだろう?」
そんなことを言いながら牛鬼はカグリを観察している。額の鉢がねに特筆すべき点は無し、両腕に着けた籠手は攻防一体の武器だ。その他は身に纏う服も少なく大した物は隠せないは無いだろう。落ち着き払った牛鬼と対照的にカグリは青筋を浮かべて牛鬼を睨む。
「……私のこと舐めてるの? あなた一人で私に勝てるつもりか、って聞いてるんだけど。大会で勝ったのがどっちか忘れちゃった?」
カグリが不意に腕を振る、それは彼女の籠手の内側、その死角につけられた金属の輪を投げ放つ動作だ。相対するのが戦闘の心得が無い者なら気付かぬ内に顔面が潰れていただろう。しかし牛鬼は事も無げにそれを刀で弾く。
「腕を振る予備動作まで見えているなら軌道を読むのは難しくないな」
「……流石は三等星、とでも褒めればいいの? そんなの弾いたって私に勝てるわけじゃないわ」
睨み合う両者。その距離はまだ十数歩は離れている、しかし熟練の冒険者にしてみれば短い距離だ。牛鬼はカグリが動くのを待つつもりだった。事実として、カグリの膂力は牛鬼を上回っている。不用意に自分から近付き掴まれでもすればどうなるかはわからない。また牛鬼が扱う居合の技術も相手が近付くのを待つのが基本の戦型である。
カグリは必ず動く、牛鬼はそう確信していた。彼女の魔力が身体中を流れその肉体を強化しているのを牛鬼は感じ取っている。長時間そのままでいるだけでも消耗は激しい、故に動かなければならない。
「……来ないのかしら? 三等星の割に随分と臆病でいらっしゃるのねえ」
しかし牛鬼の目論見を余所にカグリは動かず挑発を繰り返すのみ。その行動は違和感を覚えるには十分だ。そんなことをしても時間稼ぎにしかならないだろう。
一歩、カグリが踏み出す。視線がその動きを追ったその時、背後より音も無く忍び寄る爪が牛鬼を狙う。
「こんなものが狙いか」
地面に長く鋭い爪が落ちた。牛鬼の背後にいた巨大なトカゲのような魔物、ソウガジュウ、その爪だ。そしてソウガジュウが爪を切られたことを理解し怯んだその隙を牛鬼は逃さない。
「ちっ」
舌打ちと共にカグリが地面を蹴る。牛鬼は事も無げにソウガジュウの喉元を切り、そのまま切っ先をカグリに向ける。
「……ほう、よく止まったな」
カグリは刀の切っ先が胸に刺さる寸前で止まっていた。
「どうやらお主の切り札は先のソウガジュウらしい。確かにあれは気配も無く近付き人々を殺す魔物だな。どうやって手懐けたと聞きたいところだが……、違うのだろう?」
「……何が言いたいの」
カグリの表情は変わらない。努めて動揺を悟られないようにしているのだろう。しかし相手は何十年と冒険者を続けてきた猛者だ。心の内まで見透かすかのような彼の眼から逃れることはできない。
「どうした? 焦りが見えるな、一対一では自信が無いと見える。まあ主は所詮四等星、十把一絡げにされる凡庸な冒険者に過ぎぬからな。それも仕方ない」
「この距離で私に勝てると?」
「まだ刀の間合いだと思うが。しかし接近戦、それも格闘の間合いにまで入れば主の得意分野と言えようか」
カグリは無言で刀を摘んだ。
「これで刀は封じたわ。三等星様は武器無しでどう戦うの?」
今この瞬間、刀を摘む三本の指にカグリの魔力そのほとんどが込められている。牛鬼は軽く動かそうとしてみたがその空間に固定されているかの如く動かない。
「先のソウガジュウ、何も無い所から突然現れた」
カグリの表情に変化はない。それは心の内を隠しているからではなく、ただ目の前の敵を打ち倒すことしか考えていないからだろう。
「……どうやら一度倒さねば話も聞けぬらしい」
牛鬼が刀を手放す。その瞬間、カグリは刀をどこか遠くへ放ると牛鬼に突進した。カグリの身体は筋肉の鎧に覆われ、それを強大な魔力がより硬くより強くする。巨体を誇るトウボクサイでさえ真正面から打ち倒すその力は恐れるに値する、が、当たらなければ意味がない。牛鬼はカグリの動きをまるで先に知っていたかのように当たらないすれすれの位置を通り抜けた。
「ちっ!」
カグリの反応も早い。彼女は躱されたことに驚き舌打ちしつつも一瞬の内に反転する。その彼女の目の前には刀の鞘、その先があった。
「がっ!」
牛鬼の鞘による突きがカグリの鉢がねを叩き、衝撃が脳を揺らす。自ら振り返った勢いが突きの威力を増し、結果としてそのまま彼女は受け身も取れず後ろに倒れる。
「動けまい。今のうちに手足でも折っておこうか?」
カグリは何か言おうとしたが声が出なかった。目の焦点が合わず視界がぐるぐると回り、どうにか立ち上がろうとしても手足が僅かに震えるばかり。
「……な、んで、こん、な」
回り続ける世界は吐き気がするほど気持ち悪いものだ。彼女はそれにうんざりし目を閉じて思考の世界に閉じこもる。今の彼女に必要なものを取り戻す為に。彼女がここに来た理由、こんな計画を立てた理由。
辛さを覚えたからだ。怒りを抱えたからだ。憎しみを宿したからだ。そのことだけを思い出す。
それがどのぐらいの時間だったか彼女にはわからない。ただ気が付けば立ち上がり、その目は己が敵を睨む。そこに牛鬼の姿は無い。
「刀を取りに行ってみれば、まだ立つか。……さっきから何を見ているのだ?」
カグリが睨むは牛鬼ではない。彼女が敵としているのは、恨みを抱いているのは。
「……世界。何を見ている? 決まってるでしょう? この世界! 私を、私たちを排斥するこの世界を、壊しに来たのよ!」
先の一撃で緩んだのか、カグリの鉢がねがずり落ちる。彼女の額には丙の字があった。
「丙族か」
「ええそうよ。私は何の因果か丙族に生まれたわ」
よくよく見ればその胸元には丙族特有の文様がちらりと見えている。そして彼女は籠手を外しその手首を見せた。
「間違いないようだな」
手首に生えた石を見た牛鬼は少し歯噛みした。先ほどの彼女の言葉の意味を概ね理解できたからだ。
「丙族はただそれだけで石を投げられるものよ。私が物心ついた時にはそういう運命だったの」
カグリの生まれ故郷は辺鄙な場所にあった小さな村だ。そこでリカリカと名を頂いた彼女は両親だけでなく村の誰もに祝福されて生まれる。当時、丙族とそうでない人は共に手を取り合う仲間だった。何事も無ければ彼女は村人と共に生きる仲間としてその一生を過ごすはずだった。
彼女が三歳になる頃、魔王が現れる。
魔王はその強大な力で多くの人々を殺めた。魔王は魔物を操り人々を襲った。魔王は人々に疑いの芽を植え内乱を煽った。そしてそんな魔王を見て、一部の丙族が、いや、およそ全体の半数に上る丙族は魔王に与したのだ。
魔王に与した丙族はその強大な魔力で敵対する者を滅ぼし続けた。魔王は一年ほどである冒険者によって討ち取られたが、それでも彼らは止まらなかった。多くの者が魔王の残党となり、魔王の復活を望み、魔王の望みを叶えようとし、或いは新たな魔王へ成り替わろうとした。
既にこれは過去の話だ。魔王の残党も今はいない、少なくとも表立って行動してはいない。その多くは軍や冒険者に捕らえられるか殺され、一部の者はその様子を見て投降した。ここまでが魔王に与した丙族が人々を不幸にした話だ。この話はここで終わる。
終わらない不幸はカグリやその他の丙族のものだ。人々にとって丙族は恐怖の象徴となった。良き隣人だったはずの彼らは魔王に与し大勢の命を奪った。もちろん全ての丙族がそうだったわけでないと誰もが知っている。果敢にも魔王やその配下へ挑み散って行った丙族の英雄の姿を覚えている者も少なくない。しかし、今隣に住んでいる彼らを良き隣人と信じられるだろうか? 本当に魔王の残党でないと信じられるだろうか? だってあなたの親は、兄弟は、娘は、丙族に殺されただろう?
「私の母は魔王に与した丙族よ。……幼かった私を村に置いて、魔王と共に戦った裏切り者よ!」
そんな母親が残した娘を村の人々はどう扱うだろうか。無論、理性ある大人の誰もが理解している。魔王は滅びた、この幼い娘に罪は無い。この子は決して誰も殺してなどいないし、この子に殺しをさせるような者も既にいないのだ。しかし村中の誰もが知っている。カグリの母が軍の一部隊を滅ぼした悪魔であることを。
「丙族はいつ魔王の下へ向かうかわからない。まして私は大勢を殺した悪魔の娘よ。私が村でどんな仕打ちを受けて育ったかわかるかしら?」
それは、想像に難くない。深い憎しみ、狂った正義感、肥大した恐怖は人を簡単に狂わせる。人々にとって丙族であるということはそれだけでいずれ裏切る悪魔なのだと偏執を抱かせた。彼らを近付けてはいけない、彼らを我々の営みに入れてはいけない、彼らを排除せねばならない。
「私が何をしたの? 私の母は、或いは多くの丙族が、人々を殺し恐怖と憎しみを植え付けた。その恨みを晴らすのにどうして私が犠牲にならなければならないの?」
牛鬼は何も答えない。彼はその問いに対する答えを持っていない。
「……私はそれを許してきたこの世界を壊す、このちんけな村も、ショウリュウの都も、山河カンショウの国も、三大国も全て壊して……」
カグリは黙り込む。その先の言葉は彼女の中にはなかった。彼女はただ不条理に傷付けられ、奪われ、蔑まれ続けた来た日々のその怒りをぶつけたいだけだ。その先の目的など無い。
「これ以上の会話は不要で不毛だ」
牛鬼が刀を納めながらそう言った。
「戦う気は無いとでも言うつもり?」
カグリは拳を強く、彼女の怒りに呼応するように血が滲むほど強く握り締める。
「主が退くと言うなら戦わずともよいが」
牛鬼が腰を低くしその手を刀の柄に掛ける。
「今更説得に応じるつもりは無かろう。せめてここで止めてやる」
牛鬼の戦法は居合を基本に置いている。そして彼の必殺の一撃もまた居合だ。カグリは牛鬼の周囲に流れる緊張と覚悟を見た。
「成程、私が近付いた所を仕留めようと、そう言うことなのね」
それならば近付かない、そう言って彼女は地面の土を手に取る。
「柔らかい土ね、でも丁度いい。」
カグリは土を拾うとその場で強く握り締めて形を整える。そして牛鬼の足元に向けて投げた。
「私は近付かずとも攻撃ができる。あなたの体力がなくなるまでやってあげましょうか?」
「その必要はない」
牛鬼が跳んだ。人の頭ほどの高さにまで跳び上がっている、しかしその様子を見てもカグリは落ち着いている。確かに待ちの姿勢と見せておいて突然動き出すと言うのは意表こそ突けるがそれだけだ。空中では体の動きは制限され牛鬼の視線や体勢が刀の軌道を読みやすくする
「そんなもんか三等星!」
彼女はその腕を、更には腕に着けた籠手を魔力で覆う。丙族の魔力量は他の者に比べ生まれつき高い。更には幸か不幸か悪名高い母の血は彼女に更なる魔力を授けた。その全てで強化した彼女の腕や籠手は無類の硬さを誇る。そして牛鬼の刀の間合いに入った。
抜刀。
刀の軌道、それはカグリには既に読めていた。故に彼女は自身が最も信頼するその籠手を刀の軌道に入れる。どれだけ硬く鋭い刀であろうと金属を切り裂くのは難しい、まして魔法で強化されたものであれば猶更だ。薄く衝撃に弱い刀は籠手にぶつかればその衝撃で折れる。武器を失った牛鬼など脅威ではない。カグリは既に勝利を見ていた。
音、金属と金属がぶつかる音だ。しかし刀は折れない。
「は?」
カグリはその目で信じられないものを見た。牛鬼の刀は折れることなく籠手に当たったその場で留まる。そのまま籠手、もといカグリの腕を支点にして牛鬼の身体がは空中で軌道を変えた。
「刀が切るだけと思ったか?」
背後を取った牛鬼はカグリが振り返るより早く刀の柄でその背を突いた。その衝撃はカグリの肺に達し空気が全て吐き出され激痛による呻き声と共に倒れる。
「あ、ぐ、く、そっ」
「カグリ、主の境遇には同情する。が、それだけだ。此度の所業は許されるものではなかろう。……知っていることを全て話すのならば多少はとりなしてやることもできるかもしれんが」
「うるさい! わ、私は、ま、まだ負けていない」
カグリはそう言ったが先の一撃は彼女の正常な呼吸を妨げ全身に力が入らない。牛鬼も彼女がまだ動こうとするなら今度は躊躇わず手足を使えなくするだろう。言葉こそ優しさを帯びているがそれ程度のことはやるだろうという圧を発している。勝敗は決した。
「……答えよ。先の魔物、主が連れてきたのだろう」
カグリは答えない。彼女は過去のことを思い返している。村での辛く苦しい生活、それを抜け出せたのは偶然だ。魔物が村を襲い彼女を苦しめていた者は皆死んだのだ。石を投げてきた隣の子供も、罵声を浴びせた向かいの老人も、物置に閉じ込めて雨水と腐りかけの食料だけを与えて死ぬのを待つことに決めた大人たちも、皆が死んだ。彼女だけは頑丈な物置のおかげで駆け付けた冒険者に助けられた。
冒険者に付いて丸盆の町に移り住んだ彼女は丙族であることを隠して自らも冒険者を目指した。時折目聡くも丙族であると気付いた者に陰口を叩かれたり目立たぬ場所で石を投げられることもあったが、それを跳ね返せるほどの強さを求めて身体を鍛えた。そしていつしか彼女を前にして怯むことなく何か言える者はいなくなった。見ただけで分かる圧倒的な力を彼女は手に入れたのだ。
「私、は、この力で、世界を、変えれると……」
そして彼女は歪んだ正義を持った。それはまるで彼女を育んだ村人たちのように。力を恐れ誰も彼女を前に何も言えないのなら、世界中を恐れさせる力を持てばいい。国を滅ぼせるほどの力を持てば誰が私に物を言えるのだ!
「どうやらお主は誰の助けも受けられなかったようだな」
牛鬼が呆れたようにそう呟いた。その呟きがカグリの中で何度も反芻するようにこだまする。丙族を助けてくれる者などいない、そう言いたかった。彼女は呼吸が徐々に落ち着くのを感じる。先ほどの衝撃が抜けてきたのだ。直に動けるようになるだろう。
「私を助けた者は……」
彼女は三年前のことを思い出していた。歳を取った冒険者がそれでも人々の為にと依頼をこなし続けていた。彼女はその冒険者にだけは気を許し、共に過ごす日もあった。しかしその冒険者はもう。
「……いた、のだな」
カグリはまだよく覚えている。物置の中で一人飢えと渇きに苦しみながら生きているだけの日々を。そこから救い出してくれた冒険者の温かい眼差しを。
彼女は一つ思い出す。冒険者になったのは、決して力があれば誰も何も言えなくなるからなんて理由ではなかったと。ただ憧れを抱いたのだ、彼女を救ってくれた人に。
「……本当はわかっていたの。こんなことをしても何もならないって」
彼女の顔は憑き物が落ちたように険が取れていた。彼女の頬を流れる涙を見て牛鬼は刀を納める。
「村の周囲に多くの牙獣を放ったわ。今頃他の警備のルートでも騒ぎになっているはず」
「そうか。ソウガジュウはあの一体だけか?」
「ええ、流石にあんな貴重な魔物そうそう見つけられなくてね。もっと捕まえられていたならそれも放ってたでしょうけど」
「どういった絡繰りだ? 何も無い所から現れたように感じたが」
「遺跡から出た遺物よ。莫大な魔力を込めることで移動できるもの。かなり小型で一度使うと魔力切れになるのだけど」
「遺物か……」
牛鬼は先ほどソウガジュウに襲われた辺りへ行くとその場で立ち止まる。そのまま目を閉じてしばらくじっとしていたが、やがて目を開けると一直線にある場所へ向かい手を伸ばした。
「これか」
その手に握られていたのはほぼ立方体の黒い箱のような物。牛鬼は中身が見れないかと軽く引っ張ったりしてみたが、壊しても事だと思いすぐに諦める。それで再びカグリの下へ戻り話を続けた。
「先ほど牙獣が他の場所にも出ているはずと言っていたが、同じ物が複数あるのか?」
「ええ。……どこから説明したらいいかしら」
カグリは少し考え込み、それから話し出す。
「私みたいな世に恨みを持つ丙族や山河カンショウの国に恨みを持つ人を集めた組織があるのよ。去年ぐらいにそこから私も声をかけられてそこに入ったの。それでそこの支援者の中に遺跡発掘で生計を立てている人がいるらしいわ。この遺物はその人から何かの役に立ててくれと貰った、と聞いてる。何でも遺跡を発掘していたら相当な数が出てきたそうよ。私が使ったのもその一部ね」
牛鬼は面倒なことになったと頭を掻く。危険な使い方など幾らでも考え得る遺物が危険な組織に渡っていると言うのだ。一刻も早く遺物を全て回収する必要があり、組織自体も潰す必要があるが、自分一人でどうにかできることでもないと結論付ける。
「……とにかく山中に散らばっているこれを集めねばな。その後のことはその後に考えるとしよう。カグリ、立てるか?」
「そうね」
カグリは既に先の一撃から回復したらしく何事もなかったかのように立ち上がる。
「手加減してくれたんでしょう? ありがたいけどあの時の私に容赦は必要なかったと思うわ」
カグリは気付かなかったようだが立ち上がり歩き出す彼女に若干引いているようだった。
ソウガジュウの死体を引き摺り牛鬼とカグリは遺物の回収へ向かう。その間二人はこれまでの話を整理していた。
カグリは丙族であり差別されてきた経験から力を求めていた。冒険者として力を磨き名が売れてきたある日、彼女はある組織に誘われる。正確な人数は不明だが三等星の冒険者なども多くおり、銀斧のリュウキなども見かけたという。そこを仕切っていたボスの話では元々山河カンショウの国などの体制に不満があり国を打倒する革命を起こそうとしているらしい。ただし内部ではそれぞれが好き勝手に行動しておりショウリュウの都などの大きな街にはまだ手を出さなければ何をしてもいいとの話だった。そして彼らを支援する者もおり、その中の一人が今回使用した遺物を提供したらしい。
「……いまいち目的が見えんな。本気で国を落としたいとすれば行動がいい加減過ぎる」
「実際誰もボスが何考えていたかなんて知らないわ。ただ何をやるにも仲間や物が入用でそれを用立ててくれた、今回の遺物はボスの知り合いからもらったらしいわ。それに牙獣の捕獲なんかも積極的にやってたしね。そんな風に色々と揃えてくれるからみんなボスの言うことにはある程度従ってたの」
「そうか……。まあ良い、都に戻って崎藤に全て投げるとしよう」
しばらく時間が過ぎ幾つかの遺物を回収した頃。牛鬼が不意に立ち止まり周囲を見る。
「何かあったの?」
「誰かいる、強いな」
牛鬼はカグリの仲間がいる線も少し疑ったが、動揺した様子を見てその線を捨てる。他に考えられる候補を幾つか頭の中で挙げたところで相手が姿を現した。
「志吹の宿、の牛鬼だな。そしてそちらは……」
背が高いその男は夜も更け気温が下がって来たとはいえ今の時期に似つかわしくないマントを羽織っており、その手には一冊の本が開かれている。牛鬼はその男に見覚えがあった。
「『本の虫』のトライトだったか? このような所の警備依頼にわざわざ主のような高名な冒険者が来ているとは驚いたものだ」
彼は山河カンショウの国でそこそこ名の知れた冒険者であり、ナナユウの村の警備依頼を受けた中で牛鬼と合わせ二人しかいない三等星でもある。
「志吹の宿の牛鬼にまでこの名が知られていようとは、喜ぶべきか? 私は休養がてらこの依頼を受けたまで。それとそのような物言いはあなた自身に向けられるべきだろう」
トライトは皮肉っぽく返答しながらカグリに対し明らかな警戒を見せていた。
「……噂に聞いたが、その本には世のあらゆる出来事が載っているとか。あれは事実か?」
牛鬼が随分前に聞いた噂だが、ある事件が起きた際に現地で調査していた警察が『本の虫』トライトの持つ本を見るとその事件について詳らかに記されていたという。まだ警察が把握していないことが書かれていたことへの驚きは勿論、何より彼自身がその日は一日中宿に籠っていたという裏付けが取れていたことこそが驚愕であったと。
「あらゆる出来事など知ることはできない。しかし私はそこにいる冒険者カグリ、本名リカリカこそが今日この日に牙獣を放った下手人であると知っている。あなたは彼女を自由にしているようだが私は行動不能の状態にすべきと判断している」
「……彼女はこれ以上事を起こす気は無いと判断した。後に罪を償うべきではあるが現状拘束する必要はない」
トライトはしばらく牛鬼とカグリを交互に見つめる。その目や表情からはおよそ人間らしい機微は無く無機質に観察しているようだ。カグリが若干の居心地の悪さを感じ始めた頃、前触れ無くトライトが口を開く。
「遺物の配置箇所を全て答えよ」
カグリはあまりの唐突さに一瞬反応できなかったが、すぐに自身への問いだと気付き記憶を探る。
「……私が遺物を配置したのは全て巡回ルート上のことよ。口頭で伝えるのは難しいから地面に書いてもいいかしら?」
「こちらに地図がある。指で指し示して頂ければ結構」
「そう」
カグリは配置の際により良い場所を探して少し周辺を歩いたので地図上の正確な場所は把握できていないと前置きし、数か所を次々に指差した。トライトはその様子を相変わらず無機質な様子でじっと見つめている。
「これで終わり、これ以上詳細な位置はその場に行ってみないとわからないわ」
「……どうやら嘘をつく気は無いようだ」
トライトは地図を片付けると少し考え込む。彼の持つ本には既に遺物の大まかな場所が記されている。それはカグリが指差した位置とほぼ一致していた。またカグリの仕草や行動、瞬きの回数や指先の動きに至るまで見続けた結果、隠し事をしている風ではないと考えていた。
「よろしい、あなたの身柄は牛鬼に預けよう。志吹の宿の三等星ともなればまさか四等星を相手に取り逃がすこともあるまい」
カグリの扱いについて納得したところで牛鬼とトライトは今回の件を受けてこの後の対応について話し始める。
「――とまあ、カグリによればそのような経緯でここにいるらしい」
「……遺物を持った組織、野放しにするには少々危険が過ぎると言わざるを得ない。……カグリ、と呼ぶべきかリカリカと呼ぶべきか」
「カグリで長く通してきたからそっちの方が助かるわ」
「では冒険者カグリ、あなたは組織の所在を知っているのか?」
「私がここに来る前にどこにいたかなら知ってるわ。でも時々移動していたから今もそこにいるかはわからない」
「その場合誰も拠点に辿り着けないが」
「元あった位置に次の拠点の位置を示す暗号が残されているはず。必要なら解き方を説明してもいいけど少し長くなるわよ」
「その解説は別の機会にするといい。どのみち私と志吹の宿の牛鬼だけでは戦力として心許無い部分がある」
「うむ、その点は同意しよう。ソウガジュウを捕らえるような実力があるのだろう? 流石に三等星二人では少々不安が残るな」
カグリは先の牛鬼との戦闘を思い出す。鍛え上げた肉体と丙族の特徴たる大量の魔力を持つ彼女は自身の強さを疑ったことは無かった。しかしその力は牛鬼に全く通用しなかったと言っていい。攻撃を当てることが出来ずあっさりと背後を取られ一撃の下に倒された。もし本気だったなら今頃あの場で血溜まり沈んでいただろう。そんな牛鬼とトライトは同じ三等星。
「そこまで手に余るものかしら? 正直、今の私はあなたたちに勝てる気が全くしないのだけれど」
思わずそんな風に口を挟んでしまう。その言葉にトライトは溜息をついて呆れているようだった。
「はっきり言おう。冒険者カグリ、あなたが数人いたところで私一人で倒せるだろうと確信している。しかしその想定はあくまで互いに同等の条件下で戦闘を行った場合に限る。敵地へ赴き数も質もわからぬ敵を相手に確実なことなど言えはしない」
だからあなたは四等星なのだ、と言外に含ませているような物言いだ。
単純な強さが物を言うのは正面から戦う場合に限る。拠点というのは守る側に有利だからそこを拠点にするのだ。罠があるかもしれない、有利な地形に陣取っているかもしれない、伏兵が隠れているかもしれない、それ以外にも様々な点で確実にその場を守れるよう手を尽くしているだろう。実力が上だからと相手を侮ればそこに転がるのは己の死体だ。
そのようなことを理解しているからこそ牛鬼は既に案を練っていた。
「拠点は攻め落とす、我々ではなく志吹の宿の冒険者がな」
「新たに依頼を出す、と?」
「そのようなものだ。都にはイザクラ考古学団の家老殿が帰ってきておる。あの傑物であれば遺物に対しても何らかの知見をくれよう。それに誰かしら二等星の者も居るだろうし彼らに任せてしまえば良い」
トライトはその案を聞き牛鬼を見た。人任せな態度に非難でもされるだろうかと牛鬼は思わず身構える。しかし。
「良い考えだ。それなら私も休暇を潰されずに済む」
トライトの中ではナナユウの村の警備は休暇と同様に認識されている。余計なことに首を突っ込みたくなどないのだろう。
「私は遺物の回収が終わり次第ナナユウの村へ戻るつもりだが、冒険者牛鬼、あなたはどうするつもりだ?」
「主のように黙って見ているわけにもいかんのだ。志吹の宿、というよりショウリュウの都では今回の件を軽く見ることは無いだろう。都に戻って急ぎこの件を報告せねばならん」
「本来であればこちらの警備に三等星が二人も必要ないのは明白。必要とあらばあなたの穴を埋める程度の働きはしておこう」
事実、この一帯に魔物や獣の類など居らず、今回のように人為的に連れてこない限りは警備の仕事など無いのだ。トライトの言うような状況など起こることは無いだろう。
「では早々に遺物を全て集めるとしよう。さすれば今日の仕事は終わりであろう」
「そうか。しかし私たちは既に三か所を回り合計五つの遺物を集めてきたところだ」
トライトが後ろを向くと木の陰から二人の冒険者が現れる。二人の手には合計で五つの遺物が握られている。
「いつの間に……」
カグリの呟きは既に遺物を集めていることと二人がそこにいたことの両方に向けたものだ。対して牛鬼は二人がそこにいるのを当然に気付ていたらしい。
「主の仲間か? どうやら物探しは得意らしい」
「そうだ。察しの通り右の彼女は物探しに長けている、今日のような場合には適性が高くすぐに見つけることが出来たというわけだ。もう一人はついでに連れてきただけだ」
「えっ」
「こちらは二か所回って来たからな。手持ちに三つ、合計で八つか。まだあるのか?」
「いや、私が持ってきたのは丁度八つよ。他には無いわ」
「なら今日の所はこれで終わりとしよう。ようやく休暇らしく休める」
トライトが身を翻して歩き出す。後ろにいた二人は遺物を牛鬼に渡すと軽くお辞儀をしてそのままトライトに付いて行った。二人がその場に残される。牛鬼は遺物を両手で抱えて何か考え込んでいる。
「これからどうするの?」
カグリが牛鬼の横顔を見つめながら尋ねた。
「……とりあえず主と二人でショウリュウの都に戻るとしよう。明日はO・デイのコンサートがあったはずだが見れそうもない」
「それは悪かったわね」
カグリはそれが冗談か本気か測り兼ねたがとりあえず適当に謝っておくことにした。O・デイの人気は彼女の耳にも当然入っているらしい。
「とりあえず村の方へ戻る。共に来た安川に事情を説明し先んじて帰るとしよう。走れば夜が明ける前に帰れる」
「え、朝まで待たないの?」
「早い方が良かろう」
そうして二人は一旦村の方へ。牛鬼は安川にのみ聞こえるよう合図をし呼び出すと、これまでの経緯を説明した。
「……つまりあんたは帰るってことか。うるさいやつがいなくなるとはせいせいするな」
「ロロたちには適当に誤魔化しておいてくれ」
「面倒な所は丸投げか? 直接話して来い」
「子供たちを巻き込むには少々面倒でな」
この一月ばかりの間、ショウリュウの都では冒険者や自警団が慌ただしく走り回っている。大昇竜の山で起きた崖崩れに始まり、ササハ村で出現したトウボクサイ、そしてそこで見かけられた丙族の姿。
「カグリ、お主ササハ村に行ったことは?」
「ササハ村?」
この言葉に顔色が変わったのは安川の方だ。
「いや、そうか。確かにあり得る」
「何の話? ササハ村って西の方だったかしら。何か特産品があるとか聞いた覚えはあるけれど」
「……安川、嘘をついていると思うか?」
「……さあな。ただ心拍数は普段と変わらないようだが」
カグリは何を言っているのかわからないと言うように首を傾げている。そしてその様子は二人を欺こうとしているようには見えない。そもそも今更そうする意味もないだろう。
「どうやら本当に知らぬようだな。なら別の質問をしよう。主のいた組織に丙族は他にいたか?」
「丙族自体はそれなりにいたわ。あそこは居心地がいいのよ。みんな町や国や世界に恨みつらみを持っている人ばかりだから。丙族が育って来た環境なんて大抵の場合ろくでもないものよ。私自身、今はもう何かするつもりは無いけど恨みつらみが消えたじゃないわ」
「そこでトウボクサイを捕らえていたことは?」
「流石にあんなの閉じ込めておけないわ。ああでも、魔物の生息地に遺物を仕掛けてそこにいる魔物を転送できるんじゃないかって話はあったわね」
「成程、それなら可能性はあるな」
「……ササハ村でトウボクサイが出たってこと? それも遺物の痕跡がある?」
カグリは話の流れから推測したのだろう、逆にそう尋ねる。
「……ここに来る前の日に志吹の宿の主人から聞いた話だ。丙族の目撃情報もある。……しかし安川、なぜお主がそれを知っておる」
「俺の耳が良いのは知ってるだろ。ひそひそ話が聞こえたんだ」
牛鬼は都に戻ったら崎藤に安川に注意するよう進言すべきかと顔を顰める。しかしわざわざ話を広めるような輩でもないと今回は目をつぶることにした。
「……まあ良い、とにかくそう言った話もあり少々急ぎたいところだ。安川、後は任せるぞ」
「適当に誤魔化せば良いんだろう? 面倒だがやっておいてやる。後で何かしら奢ってもらいたいところだがな」
「……崎藤殿にボーナスを出してやれと進言しておこう」
こうして牛鬼、カグリの二人はナナユウの村を後にする。そして星の明かりの下を、半分はそれが届かぬ森の中であったが、駆け抜けて日が昇る前にショウリュウの都へと辿り着いた。
三日後、ショウリュウの都の自警団が保有する拘置所。そこへ三人の冒険者が訪れる。
「……主等二人だけで良かったのではないか? 今後の作戦に参加する予定は無いのだが」
地下へ向かう階段、その先頭を歩くは億劫そうな態度を隠さず気だるげに歩く牛鬼。頻りに自分は関係ないと言って憚らない。本来なら今頃は馴染みの店で菓子でも買って楽しんでいる頃だと不平不満をこぼすこぼす。
「ぐちぐち言うな。向こうがお前のこと気に入ったんだって? いやあ、色男だ」
そう言って口笛を鳴らすのが竜神。牛鬼を見てけたけた笑っている。
「そも牛鬼、お前が荒れた彼女を説得したと聞く。彼女に取って信が置ける者がいた方がこちらも話を聞きやすいと言うものだ」
ゴウゴウが腕組みしながら諭すように言った。そう、三人は拘置所にいるある人物に会いに来たのだ。
階段を下ると石造りの壁の合間に鉄格子が見える。その中にはショウリュウの都やその近辺で罪を犯した者が収監されていた。牛鬼が階段すぐそばにいた看守に目的の人物がどこにいるか尋ねる。
「ああ、その方ならすぐそこですね。右の列のこちらから二番目の所です。あの方は問題行動も無く助かりますよ」
「模範囚か。しかしそれなりの刑期にはなるのだろう?」
「どうですかね。今回の件に関しては彼女の組織に関しての情報提供があったので多少の恩赦があるかも、とは耳にしましたが」
「言っていいのかそれ」
「まあ、お三方共有名な方ですし。特別ですよ? 内緒にしといてくださいね」
看守は少しはにかんだようにしながら口元に指を当てた。どうも看守にしては少々子供っぽいところがあるなと三人は思う。
「そう言えば知ってます? この前もここに有名な方が来たんですよ」
そして話好きらしい。人が来るのが珍しく普段より興奮しているのか、それとも生来の性格かは測りかねるところだ。
「銀斧のリュウキです。実はここに収監されてるんですよ」
「……結構遠くじゃなかったか? ミザロがあれをしばき倒したの」
銀斧のリュウキと言えば牛鬼がナナユウの村へ行く前にミザロが捕らえた元冒険者だ。その場所は凍湖シンシンの国との国境に当たる氷嶺の町、ショウリュウの都から船などを乗り継いで五日以上かかる場所だ。
「前にもここで収監してたからですかね」
銀斧は冒険者時代に犯罪行為に手を染め一度ここに収監されている。その際は模範囚だったらしいが外に出てやったことを鑑みるに反省など欠片もしていなかったのだろう。
「一応九華仙の都やイザクラの都も話に上がったんですが、何か問題起こしそうだからって嫌がられたらしいですよ」
「まああいつはなあ」
「そうだな」
「うむ」
誰も否定などしようはずがない。冒険者だった時から偉そうで横暴な振る舞いが多く、実力こそ認められていたがそれ以上に品性の無さが話題となる男だったのだ。
「そういう訳なんで奥の方には行かない方がいいですよ。めちゃくちゃ睨んできますから」
「はっ、私が目の前に行ったらぎゃんぎゃん吠えて来るだろうさ。私が二等星なのが気に食わないって馬鹿みたいにいつも吠えてたからね」
竜神は当時から二等星の冒険者であり、いつまでも三等星だった銀斧はそのことを妬みよく文句を言っていた。ただどれだけ文句を言っても喧嘩は売ろうとしなかった辺り自分より強いと言うことは認めていたのだろう。
「さて、すまぬがそろそろ行かせてもらうぞ」
「ああどうぞどうぞ。すみません話に付き合わせて」
三人は目的の人物がいる牢に向け歩き出す。
彼女は牢の中で一人逆立ち腕立てをしている。狭く圧迫感があり鉄格子の向こうからは監視の目が光る、そんな環境にあっても鍛えた肉体が衰えぬよう鍛錬を積む。流れる汗が額から落ちる。訪問者はそれを見て感嘆するように呟いた。
「丙族にあってあそこまで体を鍛える者は珍しいな」
「自治会にはいないのか?」
「俺の知る限りはいない」
「ならいないってことだ」
彼女はその声に聞き覚えが無かったがどうやら此度の訪問者は看守や自警団ではないらしいと気付く。切りのいい回数になったところで逆立ち腕立てを止め彼女は訪問者の顔を見る。
「……牛鬼、と誰かしら?」
「久しい、という程ではないか。元気なようだなカグリ」
牢の中にいる彼女、カグリは牛鬼の訪問に笑みを見せたが一方で残る二人に対して警戒を見せているようだった。それを察した牛鬼は二人の紹介を買って出る。
「えー、この二人は、こっちのでかい女が竜神という冒険者だ」
「竜神……」
カグリはどこかで聞いた名前だと思うがいまいち思い出せない様子だ。しばらく顔を見つめていたが、やがて胸元に付いているバッジを見て驚きと共に誰なのか気付く。
「二等星! それじゃああの長い名前のチームの!?」
「そのままチーム名は忘れててくれ」
竜神は『ザガ十一次元鳳凰』というチームのサブリーダーに就いている。しかしこのチーム名はリーダーであるザガが一人で決めたもので本人以外は誰も気に入っていない。特に竜神はこのことを悔やんでおり、どうでもいいから一任すると名付けをザガに投げた過去の自分を恨んでさえいた。
「こっちの丙族の男がゴウゴウという冒険者だ」
「一応丙自治会という団体の会長ということになっている」
「丙自治会……、あの組織にいる時にそんな団体があるって話は聞いたわ。詳しくは知らないけど丙族同士で助け合う場所だとか」
「そうだ」
ゴウゴウがカグリに向ける視線は冷たい。カグリは同じ丙族同士であってもこんな目で見られることがあるのかと少し戸惑いながら思う。
「丙自治会は基本的には丙族同士の自助組織であり、一方では丙族に対する差別を減らすことを目指し、他方で丙族へこれ以上の反感を抱かせないよう行動もしている。ここに来たのは他方の目的に当たるな」
「……ああ、そういうことね」
カグリはその言葉でようやくゴウゴウの視線がなぜあれほどに冷たいのかを悟った。
丙族への反感や差別感情の多くは魔王に与した裏切り者とその残党によって培われたものだ。しかし当然彼らが全ての者に対してそんな感情を植え付けたわけではない。たまたまその丙族たちに襲われなかった者やその時代に生まれていなかった者にとっては対岸の火事でしかないだろう。ただ、人から伝え聞いた話や周囲の言動から影響を受けてはいる。丙族が過去にそうしたことを行ったのだと知っている。
そんな中でカグリのような丙族の者が大きな犯罪を犯したとすれば、どうなるだろうか。
「お前のような者が現れる度に丙族への風当たりは強くなる。丙自治会へも同様だ。お前たちはあんな丙族をも守ろうと言うのか、そう言われるだろう。だからこそ我々は厳然たる態度で示さねばならない。丙自治会は丙族の地位向上を願っているが、法に反する悪人をそこに含めることはない、と」
ゴウゴウが威圧するようにカグリを見下ろす。カグリはもしもここが拘置所でなく人気のない森の中であれば今頃頭が吹っ飛ばされていたかもしれないと思う程の圧を感じていた。伝う汗が先までの鍛錬の成果なのかそれとも恐怖による冷や汗なのか彼女にはわからなかった。
「ポーズはそこまでにしてくれ。話が進まんだろう」
竜神がゴウゴウの肩に手を回して呆れたような口ぶりでそう言った。
「……ポーズとは何だ? 事実としてそう思っていることだが」
「会長として立場を明確にしなきゃならないのはわかるがどうせここにいるのは私と牛鬼だけだろ? 気楽に行こう、気楽に」
ゴウゴウは竜神を睨み付けるが、竜神は怯む気配もなく肩に手を回したままじっと見つめ返す。
「……まあいい。二等星様と喧嘩をしても仕方ないことだ」
「上がれないからって僻むなよ」
ゴウゴウは渋々と言った様子で一歩下がる。どうやら話しこそ聞くがここからの会話に参加する気は無いらしい。
「さて、本題に入ろう。私が聞きたいのはあんたがいた組織のことだ」
「組織の何が聞きたいの?」
「まあ構成員とか捕らえてる魔物とか、なるべく具体的に」
「……自警団でなくなぜあなたが?」
「今から潰しに行くから」
竜神は事も無げにそう言った。
「……今から? 潰しに?」
「家老の爺さんがあんたが持ってきた遺物がどんなものかって言うのを解析してくれた。どうやらあれは親機から物体や生物を子機へと送ることが出来る転送装置らしいじゃないか。お前が持ってきたのはその子機の方だろう?」
「確かにそう聞いてるわ」
「あれは似た遺物が時々出て来るらしくてなあ、家老の爺さんが手を加えて逆に親機の方へ飛べるようにしてくれたらしい」
つまりカグリの持ってきた遺物は家老の手によってそのまま組織の拠点へ繋がる転送装置と化したということだ。今やいつでも組織への奇襲を行うことが出来てしまう。
「その奇襲部隊に私、というか私のチームが選ばれたってわけだ。それで相手方の戦力把握の為に話を聞きに来た」
本来なら自警団などが十分な準備を整えて殲滅するのだろうが、今回はたまたまザガ十一次元鳳凰が都に戻って来た時にこの話が舞い込んできた。彼らの実力派折り紙付きで信頼も厚く自警団はこの件を一任することに決めたのである。
「……確か噂ではあなたのチームって二等星が三人いるとか」
「ああ、そうだな」
「なら心配するほどのことは無いと思うけど」
そう前置きしてカグリは自身が知る限りの情報を話し出す。組織と言っても互いの繋がりは薄く身に付けていた冒険者バッジなどからでしか実力のほどはわからない。また人数も完全には把握できておらず少なくともこの程度はいると言う程度の情報だ。捕らえている獣や魔物の類は日に日に誰かがどこかへ連れて行き、誰かがどこかから連れて来ると言った様子で現在の数はわからない。改めて口にすると具体的な情報は少なく本当に私はあそこにいたのかとカグリは自嘲気味に笑ったが、竜神からすれば十分だったようだ。
「……大して印象に残るやつがいないなら問題ないな」
竜神が知りたかった情報は明らかに他と格が異なる誰かがいるかどうか、というその一点だ。二等星、冒険者に取ってその称号は決して軽いものではない。彼ら彼女らにとって有象無象がどれだけ集まろうと関係ないのだ。故に問題は三等星以上の冒険者がどの程度の数いるかという点に絞られている。しかしカグリの口からそのような者の存在は語られない。精々数人の三等星がいるか、という程度の話だ。
「よーし、もう十分だろう。ゴウゴウ、行くぞ」
「……そうだな」
そう言って竜神とゴウゴウがあっさりと去って行く。牛鬼も続くつもりだったがその前にカグリの方へ向き直る。
「騒がしくして済まなかったな」
「いや、私のやったことを思えばあのくらい協力するのは当然のこと。寧ろあの丙族の……、ゴウゴウだったかしら? あの態度の方が正しいと思えるぐらいね」
「……あまり腐るな。既に主は心を改めたのだろう?」
「どうかしら」
彼女の視線は石造りの床に固定されている。牛鬼を見ていると自分が何をしたのかを思い出してしまう。それは彼女の罪悪感を呼び起こし、少し辛い。彼女が牢の中にあっても必死に身体を鍛えていたのはそれらを忘れようとしていた部分もあるかもしれない。
牛鬼はそんなカグリを見て慰めるように口を開く。
「……主を悪くない、と言うつもりはないが罪は償えばよい。幸いにも目立った怪我人も無く事は終わったのだ」
牛鬼が回れ右して歩き出す。
「外に出たら馴染みの店で菓子を奢ってやろう。日々日々励むがよい」
そのまま歩みを緩めることは無くその姿は見えなくなった。カグリは牛鬼の姿が見えなくなるとその消えて行った方をじっと見つめている。
「何年先だと思ってるのかしら」
そう言って大きな溜息。しかしその顔はどこか嬉し気に見えた。
志吹の宿、その裏手にある訓練場。
「壮観だねえ。いや、ザガのチームが全員揃うなんて中々無いんじゃない?」
宿の主人、崎藤がそこに集まった面々を見て感嘆の溜息を漏らす。ザガ十一次元鳳凰の面々は一人一人の実力が高く、普段はその中の二、三人で依頼に出向くことが多い。全員が集まるのは打ち上げに行く時が主だ。
彼らのリーダー、ザガが一歩前に出て口を開く。
「俺たちザガ十一次元鳳凰が全員揃ったってことがどういうことかわかるか?」
「え? ……いや、ちょっとわからないかな」
何を聞いてるのかが、とは流石に言わない。竜神はザガに向けてまた馬鹿なことを言い出したと冷ややかな視線を送っている。
「俺たち全員が揃えばな、それはもう、とてつもなく凄いことだってことだよ」
「え、ああ。そうだね。凄い」
「そうだろうそうだろう」
ザガは同意が得られ満足そうに頷いている。
「家老。あの馬鹿は放っておいてさっさとやろう」
竜神がそんなザガを無視して家老をせっつく。他の面々も家老の方へ視線を集めた。
「こちらの準備は既にできておる」
家老は手に持った遺物、立方体の金属でできた黒い箱のようなものを地面に置いた。
「ここに魔力を込めれば遠く離れたこの遺物の親へ行くことが可能になるであろう。丁度この箱の上部の空間に裂け目が生じそこを通り抜ければ目的の場所になろう」
「……転送ゲートは遺跡の奥にあるような巨大な装置が必要なんだと思ってたがね」
「これは少々時代が進んだ先にあるものと考えられている。あれは一度設置すれば半永久的に稼働するが構造上装置が巨大になる。対してこれは小型化にこそ成功しているがかなり多量の魔力を必要とするものだ。そして空間の裂け目が小さく開く時間が短い。通り抜けるのに失敗した時にどうなるのかはわからぬな」
「なるほどね。こんなのがたくさんあるってんだから怖い話だ」
この遺物に関して都龍議会と自警団は組織の殲滅に使用した後は自警団による厳重な管理の元で運用を行うとしている。ショウリュウの都内部での使用を計画しているがどの程度上手く行くかはまだわからない。
カランカラン、と鐘が鳴った。これは崎藤が宿の食堂を切り盛りするヤヤに頼んでいたものだ。午後一時、その一分前になったら鳴らすようにと。
「時間のようだ。魔力は俺が込めよう」
ゴウゴウが前に出る。丙族である彼は魔力の総量が多く適任であると言えよう。
「とにかく大量に、でいいのだろう?」
「そうだ。多ければ多いほど長い時間裂け目が開く」
ザガ十一次元鳳凰の八名、イザクラ考古学団のトップである家老、丙自治会の会長であるゴウゴウ。総勢十名の冒険者が息を呑んで時を待つ。午後一時丁度になれば再び鐘が鳴る。その瞬間に道が開き、彼らが一斉に組織の拠点へなだれ込む。
再びの鐘が鳴った。直後、ゴウゴウの手より魔力が遺物に注がれる。それは一瞬で遺物の持つ性能を引き出し空間に裂け目が生まれた。
先陣を切ったのはザガ。空間の裂け目に入った彼はその直後、見慣れぬ鉄格子の中にいた。周囲には数頭の牙獣、おそらくそれらを捕らえておく為の檻なのだろう。ザガはそれを理解すると即座に牙獣へ向けて地面を蹴る。
直後、二人目、竜神がその場へ。彼女はザガが牙獣の処理へ向かったことを確認すると前方の鉄格子を掴み、そのまま隙間を広げる。そのまま外へ出ると続々とやってくるザガ十一次元鳳凰の面々が彼女に続いた。
ザガが牙獣を殴り飛ばす音を聞いたのか、鉄格子を曲げる音が響いたのか、奥から一人様子を見にやってくる者あり。
「な! ぐぁもぐぅ」
声を一瞬上げたところで彼は地面から伸びた影に口を塞がれる。
「あー、一瞬声出されちゃった」
「まあいいだろ別に。ねえ竜神さん」
「そうだな」
「私、出入口探しますね」
誰一人動じる様子は無く周囲の様子を観察している。出入り口を探すと言った彼女、空天赤坂はその場に座り、集中するように目を閉じて座禅を組んでいる。
「……前方、道なり、突き当り左、十五歩、左坂道を上へ、上がり切り前へ三十歩、右へ道なり、です」
彼女の言葉を聞いて三人ほど走り出す。影に包まれた三人は周囲からはその動きが知覚されづらくなり、道中で誰かとすれ違っても気付かれる心配は無いだろう。
「そろそろ準備終わったか?」
牙獣を軽くのしたザガが檻から出て来る。
「あと十五秒」
竜神が適当な秒数を述べた。準備というのは、この場にいる誰一人として逃がさぬようする事で、要するに出入り口の封鎖だ。竜神が述べた十五秒が経つよりも早く三人がそれを成し遂げるだろう。
「赤坂、もういいか?」
「え? ああ、まあ……、竜神さんどうでしょう?」
「……もういいだろ。ザガ、出るのはいいがちゃんと手加減しておけよ。自警団も聞きたいことがいくらでもあるだろうしな」
周囲はその言葉に顔を背け苦笑いを浮かべる。この場の全員が知っている、真に手加減が苦手なのは竜神だと言うことを。
「よっしゃ! ザガ十一次元鳳凰、行くぞ!」
「せっかくの奇襲の意味がなくなるだろ!」
竜神がザガをぶっ叩く音を合図にザガ十一次元鳳凰のメンバーが動き出す。洞窟の中をそれぞれ思うがままに走り出した。
「老いぼれと違い若者は元気でよいな」
「御老公、それは謙遜が過ぎると思うが」
その姿を見送る家老とゴウゴウ。二人は檻の中にある巨大な遺物の陰に身を隠している。ゴウゴウの視線は家老が胸元に付けたバッジへ向いていた。
「確かに老いてこそいるが二等星という称号を伊達や酔狂で付けているわけでないことぐらいは知っている」
「若い者にそのような立場は譲りたいものだがな。ゴウゴウ殿が貰ってくれても構わんよ」
「遠慮しておこう。それより、これから遺物の調査をするのだろう? 見学しても?」
「問題は無い。知っておるか? この手の遺物はある意味ではそう珍しいものでもない。古き時代から短時間での移動を叶えようとする意志は変わらぬよ」
二人は洞窟の制圧に動くつもりは無いようだ。ゴウゴウは先ほど遺物に魔力を込めた為に幾らか消耗していると言うこともあるし、家老は家老で遺物調査こそが本分だ。彼らは戦闘に参加しない理由がある。
ふと、牙獣の一頭が起き上がる。それはザガが殴った一頭、に巻き込まれて気を失っていたそれだ。牙獣に取って人は狩りの対象だ。牙を剥き出しにして走り出そうと脚を前に出す、と雷がそれを貫いた。
「では露払いはこちらでやっておこう。御老公は遺物調査に集中すると良い」
ゴウゴウの掌で雷が音を立てて鳴っている。確かに多くの魔力を失ったはずだが獣程度では相手にならないらしい。
「ではお言葉に甘えさせてもらおう」
その後も二人を襲おうとする獣の姿はあったが、近付くことさえ適わなかったと言う。
ザガ十一次元鳳凰による洞窟の制圧が始まる。彼らは個々人により得意な戦法が違っている。ある者は音も無く背後より近付き気付かれることなく敵の意識を刈り取る。ある者は相手が見えるかどうかぎりぎりの位置より魔法を放ち一撃の下に仕留める。
そんな彼ら彼女らの中で最も目立つ戦い方を好むのがザガと竜神だ。
ドォン、ズドォン。巨大な爆発音が響く。
「敵か? 何が起こった!」
「煙がすごいぞ。おい、風で吹き飛ばせ!」
爆発により舞い上がった粉塵が風で飛ばされる。そして薄くなった粉塵が一つの影を映し出す。
「何者だ!」
そんな誰かの声に応えるように粉塵を切り裂きザガが姿を現した。
「俺様だ!」
知らねえよ、誰だあいつ? そんな声が周囲から漏れ聞こえる。ザガはそんな風に話す十数人を値踏みするように見ている。そして一通り見てつまらなそうに溜息をつく。
「んー、ちょっとお前ら弱過ぎるな。俺の引き立て役にしてももう少し強い方が見栄えがいい」
挑発に思えるがザガはそこまで考えていない。心から思ったことを口にしているだけだろう。
「……調子乗ってんじゃねえぞ!」
その言葉を受けて怒りに任せ突進する者が一人。巨大な鎚を振りかぶりザガに狙いを定める。それを見てザガは拳を握り魔力を込める。
「一撃でぶっ潰してやるぜええ!」
ザガが拳を振るう。しかし鎚男との距離はまだかなりあり当然その拳は届きはしない。しないのだが、その拳は周囲の空気を巻き込み大気をうねらせる。
「ぐっ」
うねる大気に思わず鎚男は足を止めた、それが失敗だった。ザガが操る魔法は風を動かすものではない。風は魔法で起こる現象をある程度制御する為に発生させているだけだ。彼の魔力は周囲からエネルギーを受けるとその体積を急激に膨らませ周囲に巨大な熱や風、音を発生させる。
つまり彼の魔法は爆発という現象を引き起こす。
鎚男の間近で発生した爆発はその勢いで男を吹き飛ばす。後ろで様子を見ていた中の数人もその余波である爆風と熱に当てられ気絶していた。それほどの威力でありながら洞窟の壁には傷一つ無く、残されたのは舞い散る粉塵のみ。
「か、火薬か?」
「そんなたけーもん使うかよ」
「こんな洞窟であんなの滅茶苦茶だ」
「次は誰だ?」
実力差を認識したのか誰も動こうとはしない。誰かが口火を切り目の前の男を倒すのを願っているのかもしれないが、そんな未来が訪れないのは誰もがわかっていた。
「……時間切れだな」
再び爆発音が響いた。
そこから離れた場所で竜神が大勢を引き連れて走っている。
「向こうは派手にやってるな。ったく、奇襲の意味が無くなるっていつも言ってるんだがなあ」
「てめえ、待てや!」
「ぶっ殺してやる!」
竜神は敵を一か所に集めるべく走りながら倒さない程度に物を投げたりしてちょっかいをかけている。彼女の後ろを既に十数人が追っているのが見えた。そして洞窟の構造を知らず適当に走っていれば行き付くのは当然行き止まりだ。
「ちっ、ここまでか」
竜神が舌打ちと共に憎々し気に目の前の壁を睨む。
「どこから入って来たか知らねえがここまでだな」
「は、よく見りゃいい女じゃねえか。ここで飼ってやろうか?」
「そんなのどうでもいいだろ。早く殺せ」
「そうだそうだ、この場所がばれたんなら次が来るかもしれないだろ」
「うるせえな、ここで飼い殺しにすりゃ関係ねえだろ」
どうやらここを拠点にしていると言っても意思は統一されていないらしい。カグリから聞いた通りだな、と竜神は納得する。そして彼女は目の前で言い争う連中を見ながら緊張感の無い連中だと思った。敵を目の前にそんな余裕があるのか、と。
地面が動く。洞窟の上下左右を岩で覆われており本来ならばそのようなこと起こり得ない。しかし竜神を追った十数名の足元が確かに動いた。徐々に、隆起し、彼らを囲い込むように。
「な、何が起こ」
その言葉を最後まで紡ぐ前に彼ら全員が隆起した岩に閉じ込められた。もはや内部の音が外へ漏れることさえない。
「もっと大勢閉じ込めるつもりだったんだがなあ」
竜神は再び行き止まりの壁を睨んでその場を後にする。
洞窟の制圧は順調に進む。その場にいた冒険者崩れのごろつきや、恨みを糧に生きる丙族たちは次々と制圧され、危険な獣や魔物は最終的に始末された。
「これで終わりか?」
ザガが倉庫の奥に隠れていた男を縛り上げ地面に投げる。横にいるのは空天赤坂、ザガ十一次元鳳凰で一番の感知系魔法の使い手だ。
「……私はこれ以上の敵を感知できません。おそらく終わりかと」
その後、数日ほどその拠点に見張りが置かれ出入りする者が捕らえられた。総勢七十六名が捕らえられ、牙獣三十頭、貪蛇十二頭、小型のムツアシグマ三頭が討伐、更には数多くの遺物が押収されるという一大作戦は終結を迎える。ザガ十一次元鳳凰の名声は高まり、それに付随した家老とゴウゴウも称賛されるだろう。今後自警団の下で捕らえられた者への尋問が行われる。万事解決し山河カンショウの国の未来は明るい。
「未来は明るい、か」
事の顛末が書かれた新聞を手に呟く者あり。その手には拠点から押収されたものと同じ遺物があった。彼はそれを懐に収めると誰もいない山野を一人歩く。