11.5.ある居酒屋にて
ロロたちが特訓期間の最中の頃。ショウリュウの都、とある居酒屋。見てくれはあまりぱっとしない居酒屋だが料理と酒は旨いと有名な店にこの都でも高名な人物が集まっていた。
「いやあ、みんなよく来てくれたね。中々こうして集まれることは少ないし喜ばしいよ」
そう音頭を取ったのは志吹の宿の主人、崎藤だ。彼の目の前にはそうそうたる面子が揃っている。
「はっはっは、奢ってくれるってのに来ねえわけにもいかねえだろ? それに俺様が来ないと会が盛り上がらねえからな」
「馬鹿がうるさくて悪いね」
豪快に笑う大男は志吹の宿で最も依頼達成の実績が多いチーム、ザガ十一次元鳳凰のリーダーであるザガ。そしてそれを嗜めるは副リーダたる竜神だ。十人ほどのチームだが他のメンバーも全員が三等星以上とその実力を疑う者はない。特にこの二人はショウリュウの都で一番の冒険者と言われれば彼らを推す声もあるほどの有名人である。
「崎藤殿が声をかければ誰であれ来るだろう。イザクラ考古学団としても決して無視はできんよ」
そう言ったのは白いぼさぼさの髪と白い立派な髭を蓄えた背の低い老人。彼は歴史の長い冒険者の一団であるイザクラ考古学団のトップを務めている。志吹の宿の創設期から在籍している彼は二等星の冒険者であり、長い経験に裏打ちされたその実力を疑う者はない。また考古学の権威としても顔が広く、ショウリュウの都のみならず山河カンショウの国中で彼を敬う者は絶えない。
「すみませんなあ、家老殿。イザクラの都で合同勉強会だったはずが、わざわざお呼び立てして」
「案ずることはない。既に九岳も団を仕切るに十分な経験を積んできている。才天やライライも補佐してておるしこの老いぼれが指揮を執る必要はあるまい」
「なるほど、家老殿は良い部下に恵まれているようで羨ましいですな」
このような場にも関わらず堅苦しい鎧をきっちり着込んでいる彼は自警団団長、琳だ。壮年の彼はショウリュウの都における公権力の長の一人である。都の警察組織を取り仕切る彼は相手を威圧するように振舞うことも多いが、この場ではただの気さくな男性に見えるだろう。
「私などは部下に中々恵まれませんよ。冒険者係のカクラギなどはよくやってくれてますがね、そちらのように粒揃いとはいかないようだ」
「ルーチェ殿は未だ出てこぬか」
「ええ、ええ。それでも十分な仕事ができるからと家から出て来もしない。あまり姿を見せないようでは部下の不満が溜まるからと忠言してはおりますが中々手ごわいものですよ」
琳はやれやれと首を振る。その顔には苦労人らしい皺が刻まれており、その職責の重さが伺える。
「あれが出てこないなら良いことだ。少なくとも今は都に大事はないと言うことだろう」
ゴウゴウが腕を組んで目を閉じてぶっきらぼうにそう言った。彼はショウリュウの都における丙族の協同体、丙自治会の会長だ。本人はあまり役職で呼ばれることをを気に入ってはいないようだが。しかし彼は無愛想ながら困っている者を見れば手を差し伸べずにいられない性の持ち主で、苦境から助け出された者は皆彼こそが会長に相応しいと思っている。
「そういう見方もできますがね、まあ示しがつかないということです。自警団としてはあまり認めたくないのですよ」
「あいつが特別扱いは仕方ねえだろ。まあ団長になるってんならちょっとどうかと思うが今のところはあんたが団長だ。それでいいじゃねえか」
「そう言っていただければ助かりますがね」
不意にノックの音が響く。店員か、或いは参加者の最後の一人が来たか。
「どうぞー」
崎藤の声に合わせてドアが開かれる。そこに立っているのはミザロだ。ドアを開けた彼女はその場から席を見渡して既に自分以外の全員が来ているのを確認する。それから何を言うべきか数秒程、考えているのか考えていないのかわからないが、間を開けてから言葉を発す。
「皆さんお早いですね」
ただそれだけだ。
「ミザロおせえぞ! 先に始めようかと思ったぐらいだ」
「うるさい、騒ぐな」
「ようやく揃ったようだしお酒でも頼もうか」
「羨ましいですな。私はこの後も仕事がありますので飲めないのですよ」
「酒もいいがとりあえず何か腹に溜まるものが欲しいところだ」
周囲が騒ぐ中をミザロは淡々と歩き崎藤の隣に座る。
「宿の仕事は終わったの?」
「問題ありません。私があの程度も終わらせられないと?」
「あ、いやそういうわけじゃないんだけどね」
彼女はかつて一等星に最も近いと言われた冒険者だ。今は崎藤の手伝いで宿の仕事をしておりあまり依頼を受けることはなくなってしまったが。しかしその実力は衰えておらず、志吹の宿で警備を雇わないのは彼女がいれば事足りるからだとまことしやかに噂されるほどだ。
ここに居並ぶ面々を見ればこれが単なる飲み会でないことは明らかである。はっきり言えばショウリュウの都における勢力の長同士の情報交換の為の会談なのだ。居酒屋の店主はそのことを心得ており料理等を運ぶ時など最低限しか個室へは入らず、なんなら近寄ろうとさえしない。店主はただただ扉の向こうの会談で平和な話題が紡がれることを祈っている。
数人の店員が入れ替わり立ち代わり中に入り、皆が出て行くとそれぞれに飲み物が渡り卓上には料理が敷き詰められる。
「じゃあとりあえず乾杯と行こうか」
崎藤の仕切りに従って皆がグラスや杯を手に取る。
「えー、では皆様の活躍と健勝に。乾杯」
乾杯の声とカツッ、という気持ちのいい音が鳴る。酒を、ジュースを、茶を、それぞれがぐいと飲んでいく。
「っはー! 相変わらずいい酒だな! もう一杯もらおう!」
「話が終わってからにしときな」
「なあに、どうせお前が聞いているだろう? はははは、はは……、ああ、悪い悪い。冗談だ冗談」
ザガに睨みを聞かせる竜神の姿もこの会ではいつものことだ。
「じゃあ早めに必要な話を終わらせようか。琳さん、お願いできるかな?」
「む」
声をかけられた琳は喋る前にと香ばしく揚げた手羽先を骨ごとばりばりと噛み砕いて一気に飲み込む。
「んっんぅ。あー、よし。さて皆々様方にお集まり頂いたのは他でもない崎藤殿のお声掛けではあるが……、我々自警団からの報告が起因していることは明らかである。まあ耳聡い者は既に聞き及んでいるかもしれぬが、先日の崖崩れの件に関してのことだ」
竜神とゴウゴウは既に察していたようでやはりといった具合に各々頷きを見せる。他の者に関しては合点がいかないようで首を傾げたりぽかんとして唇を噛むのだった。
「崖崩れに関しては市井の者から聞き及んでいる。怪我人もなく規模も大したことはないということだったが」
家老、というより彼の取り仕切るイザクラ考古学団はおよそ一月ほど前からイザクラの都で合同勉強会を開催している。彼は琳と崎藤に呼ばれて急遽こちらへ戻ってきたばかりだ。故に本来は情報通の彼だが今回の件に関してはあまり詳しくはないらしい。
「家老殿はまだ帰ってきたばかりであるからな、知らぬも無理はない。崖崩れの発生が今より十五日前、当初この崖崩れは風雨により弱っていた部分が崩れただけであると考えられた。都龍議会は周辺に更なる崖崩れの危険が無いか専門家に調査を依頼、我々自警団にその安全確保の任が与えられた」
都龍議会というのはショウリュウの都の議会の通称で有事の際は議会で様々な決議が取られる。この件に対する議会の対応はごく自然なものでその点に関しては疑問の余地もない。
「大昇竜での災害は観光業に大きく影響することもあり迅速な調査が求められた。発生の二日後には専門家数人による調査チームが立ちあげられすぐさま調査が開始。発生の四日後には周辺環境に問題なしとの結論が届けられた」
「……随分と早い」
家老の呟きに琳は頷く。
「ええ、此度の崖崩れには明確な原因がありましてね、結果として周辺には問題なしとわかりました。念のために多少の補強工事はすることになりましたがね」
「あの少し前に雨が降ってたろ、あれが原因だって聞いたぜ?」
ザガが言ったのは住民に対して報じられた表向きの理由だ。直前に雨が降っていたのは偶然、或いは比較的不自然でないそのタイミングを狙ったかだ。
「あれは人災でありましてね。崖崩れの地点で魔力の残滓を発見しております」
熟練の冒険者や自警団の精鋭ともなれば何かしらの方法で魔力を感知する手段を持っている。それは基本的には対峙した人や魔物の魔力の動きから次の行動を読む為であるが、当然それ以外にも役に立つ場面がある。今回はその一つと言えるだろう。魔法を使った場合にその場に多少の魔力が残るのだ。
「崖崩れの地点で誰かが魔法を使った、と」
「うむ、その通りだ。もちろんこれだけなら魔物の存在も疑われるべきだが、周辺調査の結果魔物の痕跡はなく一方で人の痕跡は発見された」
琳が一枚の紙を取り出す。そこには森の中で発見された足跡や衣服の切れ端と思われるものの写真のように精緻な模写が描かれている。
「我々はこれらの痕跡から犯人を捜索しているが芳しい成果は今のところ得られてはいない。ここまでで何か質問はあるかな?」
「話は分かったけどよ、そんなに気にするようなことか?」
ザガが不思議そうに声を上げる。
「確かにそんなことやってるやつは許せねえが、見つけてぶん殴っておしまいだろ? 見つけらんねえってんなら俺様が見つけてきてやろうか?」
「お前に見つけられるならもう捕まってるだろ」
「なら大昇竜の警備やるか。次来たところをぶん殴って終わりだ」
ザガの言い分はある面では正しい。もし犯人が再び大昇竜に現れるとすれば彼が警備することであっさりと犯人を殴打、もとい逮捕できるだろう。本気の彼から逃げられる者など世界中を探してもそうそういないのだから。
「また現れる可能性は低いだろうと考えられている」
「ん、何でだ?」
「彼らの目的は大昇竜にないからだ」
「おいおいあそこでなんかやったんだろ? ならそこに何かあるに決まってるだろ」
「何かの試験であろう」
「うむ、家老殿の仰る通りだ」
「崖崩れを起こすこと自体は目的になく、威力か、精度か、或いは他の何事かの試験。現場すら見ておらぬこの老いぼれにはわからぬが、この件は今後の試金石とする腹積もりと思える」
つまり後に何か事を起こす為の準備に過ぎないということだろう。この騒ぎで得た情報を元に本来の目的を達成しようというわけだ。
「崖崩れを起こしたのは魔法だと言ったが、具体的にどのような魔法だ?」
「該当地点では地質が脆くなっていたとの報告がある。それ自体が魔法の結果なのかそれとも別の現象が起こった結果としてこうなったのかは不明だ」
「……どちらにせよかなり高度な魔法に思えるな。竜神ならできるのか?」
「地形を動かすからってこと? 私のは魔力を通した地面を無理矢理動かしているだけだからなあ。知っての通り私は大雑把なんでね、崖崩れが起きるように脆くするなんて細かい作業はできない」
「通わせた魔力で物体を微細な粒子に分断していく魔法があったという記述を見た覚えがある。数年前に古い魔導教本を読み解いた際にあったものだ。もっとも、使い手に出会ったことはこの老いぼれの長い人生の中でもないが」
家老が読み解いた魔導教本というのはイザクラ考古学団が遺跡から持ち帰ったものである。そのような本に載っている魔法というのは多くの場合に現代よりも進んだ魔法技術を前提とされており、余程の才がある者以外は扱えないと考えられている。そもそも考古学を嗜んでいない者がそのような本を読む機会は無いのだが。
「ここで話しても憶測の域は出ないだろう。希望者にはあとで資料を渡そう。欲しい方は……」
家老とゴウゴウ、それに竜神が手を挙げる。
「まああなた方であろうとは思っていた。これが終わったら好きな時に自警団の本部へ足を運んでくれたまえ。その時までには用意しておこう。それで、ええとどこまで話したか……」
「崖崩れ自体は何かの試験ではないか、というところだな」
「おお、そうでしたな。そうなると今後行われるであろう本番がどこかというのが次のお題になりますか」
琳は周囲に目配せし意見を募る。それを受けて竜神が口火を切った。
「地質を変化させる魔法とするなら狙うは大昇竜だろう。地すべりか洪水か、事を起こすならわかりやすい手段がいくらでも……。ただそれが違うんだろう? 他にどこがいいのか……」
「ん? 大昇竜じゃないのか?」
「狙いが大昇竜なら試験は別の場所で行うはずだ。人為的に崖崩れが起こされた以上警備が厳しくなるのは誰にでもわかる。試験をあそこで行った以上は別の場所に狙いがあるのだろう」
「しかし都が狙いとすればあの大昇竜を超えて都合の良い舞台はあるまい。或いは、都に目を向けさせる為の罠やもしれぬな」
「その線はあり得ますな。我々自警団は今回の件、組織だった犯行とみております。自分たちの隠れ家で何やら準備をしている故に、その隠れ蓑として大昇竜を狙うということは考えておくべきやもしれません」
「崎藤、お前さっきからずっと黙ってるけど何かないのかよ?」
「そう言われても僕は所詮宿の主人だからねえ。君たちみたいに何ができるわけでもないよ。最近はあまり変な噂も聞いてないし力にはなれないかなあ」
「ミザロは?」
「私ですか?」
ザガがミザロに話を振ったことで会話が一時的に止まる。彼女に熱い視線を送りその言葉を待つ者、これ幸いと目の前の料理をつまむ者、或いは酒でのどを潤す者。そんな時間がたっぷりあってゴウゴウが目の前の皿を空にし、ザガがジョッキを呷って最後の一滴まで口に入れる。至福の表情でザガがジョッキをテーブルにダンッ、と置いた。
「……なるほど」
それを合図に上の空だったミザロの目に生気が宿る。
「何らかの組織がこのショウリュウの都を狙っているということですね。ただ特定するには情報が少な過ぎる。幸い家老殿が戻ってきたことですし魔法の特定は任せた方が良さそうですね。その他の手すきの人材で現在ある高危険度の依頼を一斉に終わらせましょうか。一時的に目を逸らすのが目的なら今すぐに事を起こす気はないのでしょう?」
一息で言い切ったそれを受けて琳は神妙な表情で頷いた。
「ふむ、それが正しい推察とは限らないが……。新たに有力な手掛かりを掴むまではそうする他ないのかもしれぬな」
要するに手掛かりがないなら今のうちに面倒を片付けて有事に備える、ただそれだけの話だ。
「他に案が無ければしばらくはその方針で行きましょうぞ」
「そうだねえ。しばらくは冒険者のみんなに頑張ってもらわないといけないかな。久しぶりに依頼奨励期間ってことにして報酬の方を奮発しておこうか。ミザロちゃんもそれでいいかな」
「そうですね……、財政的にはあまり良くありませんが……、まあ今回は仕方ありませんか」
「ミザロも依頼に出るのか?」
「…………仕事もありますしあまり出たくはありませんが」
「でもイザクラさんがいないから結構依頼が溜まってるでしょ? 家老さんはしばらく忙しいだろうしミザロちゃんも出てくれると助かるなあ」
ぎろり、と崎藤を睨むミザロ。崎藤はその形相の恐ろしさに苦笑いを浮かべて固まる。
「ミザロ、お前は志吹の宿でも頂きに近い実力者だ。また、宿に常駐する以上はこの拠点の顔役でもある。冒険者としての責務は果たすことが崎藤や宿の顔を立てるということでもあると思うが」
横からゴウゴウが空になった皿をよけつつ口を挟む。ミザロはゆっくりと首を動かして彼を睨むのだが、その相手は新たに牙獣肉と葱の串焼きの皿を手前に寄せて食べ始めている。串焼きを三本程食べ終えた頃にようやくミザロが小さく呟く。
「……まあ、確かに、そうですね。いい機会ですから面倒そうな依頼を幾つか終わらせておきましょう」
その呟きに崎藤はほっ、と胸を撫で下ろす。
「おお! そうかそうか。それなら俺様と勝負だ! どうせ討伐系の依頼もあるだろ? どっちが魔物を討伐できるかでどうだ!」
「この馬鹿。ミザロと同じ依頼をやってどうする。二等星が複数人必要な依頼があったらとっくに話が来てるだろ」
「む、そうか。ならこの先の一か月でどっちが多くの依頼を片付けるかだ! そうしよう!」
無論この俺様が勝つのはわかり切ってるがな、前回はお前の運が良かっただけで……。延々とザガが語っているのを周囲は無視して他の話を始める。
「先の件が主題であろう? ならばもう食事を始めても良いかな?」
「ええ、ええ。すみませんな家老殿。食べましょう食べましょう。既に食事を始めている方もいらっしゃいます故、彼に全て平らげられてしまう前に食べましょうか」
「すまないな、いつものことでミザロに意見を尋ねた時点で話は終わりだろうと思ってな。益体もない話を続ける気はそちらにもあるまい? 空になったもので食べたかったものがあればすぐに頼もう。支払いはどうせ崎藤だろう?」
「あのねえ、遠慮とかしたらどうかな?」
「馬鹿を言え、俺を招いたのだからこのぐらいは想定内のはずだ」
「いやまあ、いいけどさあ……」
「さっき食べてた鶏、あれに赤いたれをかけたやつはどうだった?」
「あれか。竜神好みとはいかないな。見た目ほど辛くはない」
「ならいいか。そっちの苔根の挟み揚げを取ってくれ」
「ああ」
ここからは宴会だ。空気も変わって彼らのことを知らなければ仕事仲間か何かが打ち上げをしているのだと思うかもしれない。いや、実際に彼らにとってはそのようなものだ。話もそれぞれの近況や最近あった面白い話など次々と移り変わっていく。
「そういえばこの前に新人の冒険者が生まれたと聞いたぞ。うちのカクラギが試験を見たのだろう?」
その中で新人冒険者の話も上がっていた。
「ああロロと瑞葉ちゃんかな? 今は特訓中みたいだけど」
崎藤は竜神の方に視線を送る。当然、彼は初依頼とその後の反省会の流れを知ってはいたのだが、実際にやった者の方が詳しい話をできるということだろう。
「あの二人、思ったより筋がいい。まだまだ子供で経験も足りないが、それなりに経験さえ積めば三等星ぐらいまではとんとん拍子かもしれないな。まあ数年は先の話だろうが」
「ほう、有望だな。確か十五になったばかりなのだろう?」
「ああ、ロロの方はあの歳の割に身体強化がかなり上手い。剣の強化も使えていたし、近接戦ならそこらの四等星にも負けないかもしれん。まあ器用なことはできないし頭も悪いがね。瑞葉は対照的に器用な魔法使いだよ。あれは天性の才能じゃないか? かなり離れた位置を起点にして風を起こしてた。魔法制御は私より上手いよ」
竜神の魔法は地形を操るものである。彼女の魔法は地面を伝って魔力を通し、その魔力で地形を変化させる。これはあくまで土や岩といった物質に魔力を通しており、何もない空中での魔力操作とは技術的に雲泥の差がある。竜神が驚き褒めるのも無理はない。もっとも、当時の瑞葉はそれが魔法の当たり前と認識していたのだが。
「竜神、そのことだが……。瑞葉のやつは起点指定の型しか使ったことがなかったらしいぞ」
「は? 何それ」
「この前ロロとハクハクハクに頼まれて魔法の使い方を指導したが、その時にそう言っていた」
「……はは、そんなことあるかね」
「まあ二時間ほどで既に体外放出の型について感覚を掴めそうだと言っていたし、既に身に着けているかもしれないが」
竜神は羨ましい才能だなと小さく呟く。現状でさえ瑞葉の魔法制御はこの場でも上位に食い込むだろう。それを活かせるだけの経験はまだ積めていないが。
「……ハクハクハクとは一年前のあの事故の子だったな」
不意に琳が神妙な顔で呟く。
「ああ。覚えていたか」
「これでも自警団として色々と気に掛けている。その新人二人と一緒にいるのか?」
「そうだな」
「こう言っては何だが、大丈夫なのか?」
「どうだろうな」
ゴウゴウは思わず考え込む。ハクハクハクが事故で一人の冒険者を再起不能と言える状態に追い込んだ。それ以来、ハクハクハクは自責と恐怖に苛まれずっと一人で悩み続けていた。ずっと憧れていた冒険者としての活動もやめて、人と接することすら恐れていた。その彼女が冒険者として再び活動を始めたのは。
「……俺はあの二人に期待している、という言葉で自らの責任を押し付けようとしているのかもしれないな」
「卑屈になるな。飯が不味くなるだろ。お前はお前で色々ある中で少なくとも餓死しない程度には面倒を見てただろ。それにあの二人に任せたのは結果的にはよかったんじゃないか」
「まあ、そうだな。それはそうかもしれない」
「しかしお前はあの二人とそんなに仲が良かったか? あまり話していた記憶もないが」
それを聞いて崎藤が思い出したように尋ねる。
「そういえば五等星の当てがないか聞かれる前にロロと何か話していたね」
ロロたちが冒険者研修を終えた後の話。初めは牛鬼に話を聞いていたのだが、途中で五等星の冒険者バッジをもらい損ねていたことに気付いたことで瑞葉が席を外した。その際のことである。
「あの時にロロは牛鬼と俺にできれば丙族の子を紹介してほしいと頼んでいた」
「なんでまたそんなことを」
「あれは瑞葉のやつに丙族とも関わりを築いてほしいと言っていたな」
「あの子は物心つく前に父親が魔王の残党であった丙族に殺された、そう聞いたが」
「そうらしいな。瑞葉自身は記憶にもない父親のことで恨みなどは無いらしいが、母親が丙族に対しての恨みと恐れを抱えているそうだ」
「まあねえ。あの子らがいる農場ってジムニーさんの所だし。ほら、丙族お断りのところ」
「ああ。それで今後も冒険者としてやっていくなら丙族とも関わりが増えるだろうからそれに慣れてほしいのだとか。まああまりに嫌がるようならやめるとは言っていたが」
「へえ、ロロも意外に考えてるんだな」
「そうだな。あれも拙いなりに考えているらしい。それを聞いてハクハクハクのことを任せてみようかと。何かしらあの子には切っ掛けが必要だったし、あの二人にそこまで悪い印象もない。聞けば牛鬼もあの二人は善人だと言っていたことだし悪いことにはならんと思ってな。あの後竜神が三人の依頼の引率をしたんだったな。どうだった?」
「ああ、そうだな。私が見る限り、まだ完全に打ち解けてはなさそうだったし、お互いのことも全然知らなかったらしいよ。とは言ってもあの二人馬鹿だからな。あの依頼がどうだったかは崎藤に話したが、どうも誰も聞いてないらしいな」
それを機に竜神が三人との初依頼について語り出す。初めは新人らしい点に微笑ましく思ったり、道中で時折見せる実力を褒めそやす。しかし事を思い出すにつれて竜神が徐々に荒れていく。そしてハクハクハクがロロを巻き込みかねないほどの魔法を放った場面でとうとう我慢の限界を迎える。
「ロロのやつ自分があの子の魔法に巻き込まれそうになったのにさ、すっげえええええ! って馬鹿みたいに騒いでたんだぞ。信じられるか? 瑞葉のやつも横であんな魔法を使われたのにすごいすごいってさ。馬鹿だよ馬鹿! あの二人どっちも!」
はっはっは、と愉快な笑い声が響く。実際に目の前でやられた竜神としては頭を抱える他ない。
「崎藤殿、そちらには愉快な新人が入ったようですな」
「そうみたいねえ。実際、あの三人はこの先どうなんだい? さっきは数年もすれば三等星だなんて言ってたけど」
「あー、まあ、しばらくは五等星のまんまだろ。ハクハクハクは魔法の制御が良くならないと話にならないし、ああも内気じゃ一人で依頼なんてこなせないだろ。瑞葉も何かよくわからんことに悩み過ぎだ。あの手合いは誰か引っ張るやつがいないと動けない。そういう視点で見れば四等星に一番近いのはロロなのかもねえ」
「周囲の者を巻き込み前に進もうとする、という点では確かに他の二人にはない資質だろうな。しかし一方であれは単純に頭が悪いだろう」
「それは違いない」
再び笑い声が響く。今度は竜神も一緒になって笑っていた。
「だから俺が本気を出せばお前より多くどころか倍以上の依頼をこなせるんだ、わかるか?」
「………………ああ、そうですか」
その裏ではザガは未だにミザロに大演説をかましている。ミザロはそれを淡々と聞きながらコップを何度も傾けていた。
しばらくして卓上には空の皿が並ぶ。遠慮がちに残されたものはゴウゴウが全てさらって行ったようだ。食事や酒に満足しこの場は解散となる。
「では、私はこれで。多忙なもので、申し訳ない」
「この老いぼれもここで去るとしよう。自警団と今後の段取りに関しての話もしておきたい」
琳と家老がその場を去る。二人は自警団本部へと向かうのだろう。しばらくは魔法の解析や犯人追跡で忙しい日々を過ごすと見える。
「私らはどうする? まあその子はもう駄目だろうけど」
「そうだねえ」
ミザロはザガの演説を聞き流しながら酒をちびちびと飲んでいたのだが、気が付けば酔っ払って眠ってしまった。今は崎藤に背負われている。
「まあミザロちゃんを送らないといけないし私はここで」
「仕方ねえなあ。ゴウゴウお前は二次会行くか?」
「丙族がいてもいいならな」
「そういう場所と面子でやればいいだろ」
「なら行こう」
ザガが竜神に場所と面子を集めろと叫ぶ。うるさいな、と文句を言いながらも竜神がどこかへ駆けていった。この三人はうわばみの酒飲みかつ健啖家で集まると朝まで居酒屋を梯子することもある。夜の都へ消えて行く彼らを見送って崎藤は宿への道を歩いていった。
宿への道も中程だろう。崎藤が立ち止まり後ろを向いて背負っているミザロの様子を見る。
「ミザロちゃん、もう起きてるでしょ」
周囲は人通りもなくしばらくは静寂があった。しかし全く動く気のない崎藤を見て観念したかのようにミザロが目を開ける。
「……もう少しおんぶ」
「歩けるでしょ、もう降ろすよ」
崎藤がしゃがむと渋々と言ったようにミザロが地面に足をつける。その足取りは少々覚束ないようだが整備された道を歩くのに問題は無いだろう。
「ミザロちゃん、お酒弱いんだからもう少し控えたら?」
「…………私は優秀ですから、ええ、とっても。そうですよね?」
「そうだねえ。ミザロちゃんとっても優秀だよね」
「……そうですよね」
ミザロは微笑んでさっさと歩いて行くのだが、言動も行動も正に酔っ払いだなあと崎藤はため息を吐いた。
「ああそうだ、明日からしばらく依頼を受けるので私いませんけど、無駄遣いとかしたら駄目ですよ。わかってますよね」
「もちろん、こんな時でも宿の経営を心配してくれるなんてできた子だよ」
「ふふ、そうでしょう。私がいれば宿のことは心配いりませんからね」
崎藤は明日からのことを考える。ミザロもしばらくは依頼をこなすので人手が足りない。かといって人を雇えばミザロに文句を言われる。
「しばらくは寝れないかもなあ」
そんな呟きは夜の闇に溶けて誰の元へも届かなかった。




