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そのトラ猫をふみ超えて  作者: ひなたひより
8/8

第8話 まあ、そういうことだ

 教室の窓側の席。

 全開にした窓からは、時々ふわりとした風がカーテンを揺らしながら舞い込んでくる。

 そしてこの時期、外からは蝉の声がしんしんと聴こえて来る。

 暑苦しくってうざったい。しかし同時に、来たる夏を感じさせてくれる前奏の様だ。

 高校生活初めての夏休み。

 入試が終わって落ち着いたと思ったら、もうこんな時期かよ。

 もう後、一週間で夏休みに入る。

 何となく入りたい部活も決まらず、なんとなく予定も何もない、そんな夏休みの予定にしてしまった。

 あーあ、休みに入る前に、ちょっとは友達と予定入れとこうか。

 はーとため息をついて前を見る。

 柔道部の幸田。

 おまえデカすぎだろ。

 身長190センチって何なんだよ。一学期の間、お前の背中以外何も見えなかったよ。

 まあ、一番仲良しだからいいけど。

 思い返せば中学の時、一学期の間だけだったけど、とびきりの美少女の背中を見続けた。


 丁度今ぐらいの時期だったな……。


 話すきっかけが欲しくって、今考えると馬鹿馬鹿しい計画を立てた。

 勝手に前の席の美少女が猫好きだと勘違いして、それならとトラ猫を神社裏から半ば強引に連れて帰った。

 トラオもよく付き合ってくれたよ。

 ふてぶてしいトラオを思い浮かべると、ついニヤついてしまうんだよな。

 かつて俺はあのふてぶてしいトラ猫を踏み台にして、恋を手にしようとした。

 篠原さん、今頃どうしてるかな。

 あの夏の夕暮れ時。

 あの子は驚いた様な困ったような顔をしていた。



「好きなんだ。君の事」

「えっ」


 かき氷を口に運ぼうとしていた篠原さんの、スプーンを持つ手が止まった。

 きっと君は俺の事を見ていたのだろう。俺はもう顔を上げる事さえ出来ずに下ばかり向いていた。

 校舎の向こう側の賑やかさ。

 もうすぐすっかり暗くなりそうな空。

 食べ終わる前に溶けてしまいそうなかき氷。

 きっとこれらすべてが恋なのだ。

 そして沈黙の後、篠原さんは口を開いた。


「ありがとう。近藤君の気持ち嬉しいよ」


 その言葉に俺は顔を上げた。

 そして困ったような笑顔を浮かべた君の顔を見て知ったんだ。この恋の結末を。


「でも、ごめんね」


 君は立ちあがって背を向けて歩き出した。

 毎日教室で見続けた君の背中。

 いつか並んで君の横顔を見たいと憧れた。

 やはり俺の見続けたのは最後まで君の後ろ姿だった。


 

 夏が来るとまた思い出す。

 初恋の味というのはどのような味だとしても、決して忘れる事の無いものなのだろう。


「ねえ」


 後ろの席から声を掛けられた。


「え?なに?」

「あんまし言いたくないけど、すごい毛が付いてるよ」

「ホント?俺が?」

「うん。けっこうすごい。これ使いなよ」


 手渡された掌に収まる様なブラシ。

 何となく見覚えがあった。

 貸してくれた後ろの席に座る女生徒の顔をじっと見てみる。

 ショートカットの少し日焼けした感じの子。

 ずっと前にもこんな感じでこういうやり取りをしたような。

 

「ひょっとして前にも貸してくれたことある?」

「覚えてた?中学の時貸したげたよ」

「あ、そうか。思いだした。え?何で同じ中学だったのに今まで後ろの席にいるのに気付かなかったんだろう」

「私さ、二学期に転校したんだ。同じクラスだったのは一学期の間だけ」

「そうか、それで」


 成る程と納得した。


「ごめん。失礼しちゃったね」

「近藤君は前の席のあの子に夢中だったからしょうがないよ」

「な、何で知ってるの!」

「見てりゃ分かるよ。滅茶苦茶匂い嗅いでたし」


 恥ずかしいところを明るく暴露されて猛烈に赤面した。


「そんなとこまで見られてたとは……」

「まだ相変わらず猫飼ってるんだね」

「ああ、うん。じゃあブラシ借りるよ」


 あんまり恥ずかしすぎて、ブラシを返した後も居心地が悪かった。


 終業式が終わり明日から夏休み。

 ちょっとだけ夏休み遊ぶ約束をしてから幸田とは分かれて通学路を帰る。

 蝉の五月蠅い街路樹の道。ふいに背中をトンと押された。

 振り返るとあのブラシを貸してくれた後ろの席の女の子。

 確か佐伯さえきさんとか言ったな。


「びっくりした。家こっちなの?」

「そう。奇遇だね」

「こっちならたまには会いそうだけど、あ、部活か」

「そういうこと。私陸上部だからいつもは遅いんだ。そんで朝練も有るし」

「へえ。頑張ってるんだね」


 なんだか意気投合して、中学の頃の事とか結構色々話した。

 女子とこんなに話をしたのは初めてだった。

 そのうちに家に着いた。


「俺の家、ここなんだ」

「実は知ってた。何度か見かけてたんだ。私の家はここからまだ先。ちょっと遠いけどトレーニングだって思うようにしてる」

「へえ。前向きでいいね。見習わないと……」


 その時塀をゆうゆうと歩いてくるトラオに気付いた。

 トラオも気付いて、にゃーと言いつつやって来た。

 おう、今日はやけに早いな。そんな感じだ。


「これが制服の毛の犯人ね」

「そう。トラオって言うんだ。でっかいだろ」

「野良っぽいけど、飼い猫なんだよね」

「どうかな。半ノラって感じかな。寝るときは大概俺の部屋で寝てるよ」


 抱かせて欲しいと言われて、トラオを佐伯さんに渡した。

 佐伯さんは喜んでトラオの立派な体を抱きしめた。


「んー、たまんない。猫最高」

「あ、猫好きだったの?」

「そりゃもう。猫の毛だらけの近藤君が気になって気になって」


 俺の全く知らない所で佐伯さんは萌えていたんだな。


「近藤君」

「え?」

「今だったら篠原さんとどうなったか訊いていい?」

「えーと、そうだね……」


 そしてあっさりフラれたことをかいつまんで話した。


「ふーん」


 佐伯さんは重くなったのかトラオを俺に返した。

 ずしりとした重さが俺の腕に戻って来た。


「じゃあね佐伯さん。また二学期に」

「ねえ、近藤君」

「え?」

「もしね、良かったらなんだけど、夏休み一緒に遊ばない?」


 あの時ブラシを貸してくれた君は、もしかすると俺の背を見続けてくれていたのだろうか。

 恥ずかし気な横顔を見せる君に一瞬、腕の中のトラ猫の重さを忘れた。


「勿論。よろこんで」


 トラオ、お前はホントに不思議な猫だな。


 二年もの時間差で、トラオは知らぬ間に後ろの席に座っていた女の子を惹き寄せていたのだった。

 腕の中の立派な体格のトラオがにゃあと鳴いた。


 まあ、そういうことだ。


 今そう言ったんだろ。トラオの真意を確かめたくて顔を覗き込もうとすると、もう一度にゃあと鳴いた。



               ――完――


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