第7話 男だろ
「やあ篠原さん、奇遇だね。こんなとこで会うなんて僕たち縁があるみたいだね」
「あっ近藤君、本当に凄い偶然。でも今日も近藤君に会いそうな予感がしてたんだ」
どうかな、トラオ。こういう筋書きが浮かんだんですけど。
篠原さんのすぐ後ろまで来たが、イメージばかりが先行してなかなか声をかけれない。
男だろ!
トラオが背中を押してくれた気がした。
「シ、シノハラさん」
いかん。ちょっと硬かった。
「えっ、近藤君?何してるの?」
「えっと、その、妹に付いて来たんだ。篠原さんは?」
「ああ、弟に付き合って来たの」
何とそうだったのか。トラオの神通力では無かったのか。
そりゃそうだよなと納得した。
「近藤君もかき氷?」
「え?」
篠原さんに声を掛けようと後ろから近づいていただけなのだが、どうやらかき氷の列に並んでいた彼女の後ろにいた事で、自然と並んでいたらしい。
「そうなんだ。暑いよね」
「そうだね。今日はホント暑かったね」
始まったばかりの露店なのに、まあまあの列が出来ていた。
お陰で篠原さんの後ろにしばらくいられそうだった。
俺はいつも篠原さんの後ろ姿ばかり見てるな。
そう思いつつ、学校ではまるで話せなかったのにこうして会話できている事に感動していた。
「近藤君の猫、もう良くなった?」
「トラオ?あいつはすっかり良くなったよ」
「へえ、トラオって言うんだ。そのまんまだね」
口に手を当てて可笑しそうに笑った。
何という可愛さ。ありがとうトラオ。お前のお陰だ。
「篠原さんの方は?あのチンチラ食欲出た?」
「シャーロットね、ちょっとましになったかな」
シャーロットと言うのか。篠原さんが付けたのかな。美少女らしい素晴らしいセンスだ。妹のトラリーヌとは大違いだ。
また少し前に進む。
あともう少しで篠原さんの順番が来る。
何も出てこない。何を話せばいいんだ。
「妹さんって何年生?」
「4年なんだ。篠原さんは?」
「うちは5年。生意気なの」
「へえー」
へー、じゃないよ。自分から話を終わらせてどうすんだ。
「私を置いてどっか行っちゃった。友達がいたらしいわ」
「うちもそう。友達見つけたって走ってってそのまま」
「置いてかれたもん同士だね」
「へへ、そうだね……」
また列が進んで篠原さんの順番が来た。
「いちご一つ」
「はい。いちごね」
ああ、そうだろうな。君にはいちごのかき氷が良く似合ってる。
ただ赤いシロップのかかったかき氷を手にしただけ。
俺はきっとこれから先、この時の君の姿を忘れないだろう。
「お先に。じゃあね」
「うん。またね」
俺はその後ろ姿を見送る。
俺の見てきた篠原さんは後ろ姿がホントに多いな。
「なあ、おにいちゃん。何にするんだ?」
そうか、俺もかき氷の列に並んでたんだった。
後ろに並んでいる人達の苛立ちに焦りつつ、ちょっと変わったグレープ味のかき氷を頼んだ。
かき氷の乗った小さな発砲スチロールの容器を手に、篠原さんを探す。
グラウンドの隅、人ごみから少し離れた場所で、篠原さんはかき氷を立ったまま食べていた。
彼女の視線の先には、やっと始まった盆踊りのまばらな人の流れがある。
一緒にかき氷を並んで食べれたら。容器を片手にそんなことを考える。
きっとこの躊躇いが後悔に変わるのにはそれほど時間がかからない。このじわりと溶け続けるかき氷の様に。
今口にして冷たさを味わえるこの瞬間に、恋というものの味を知りたいんだ。
「篠原さん」
「あ、変な色のかき氷、グレープ?」
「そうなんだ。ちょっと冒険」
「私もちょっと並んでる間に考えた。そんな感じなんだね」
突然喉の渇きを覚えた。かき氷をスプーンで一口すくって口に入れる。
何の味だろう。分からないや。
「校舎の裏に座れるところがあるよ。俺、ここの卒業生だから詳しいんだ」
「あ、そうだよね。じゃあ近藤君について行こうかな」
「うん。ついて来て」
きっと俺はこの時、妹の事もトラオの事も何も考えなかった。
生まれて初めてだ。
痛いほどの緊張の中、俺は本気で望みを叶えようとしていた。
あの時よりもずっとずっと強く。
5年生の時に計測した50メートル走のタイムで、クラスで1番になった。
6年生の時に100メートル走でも1番になりたくて、毎日遅くまで練習した。
結果は2位。結局もっと速い奴がいて勝利をかっさらっていった。
頑張っても届かなかった100メートル走。もしかすると自分以上にあいつは頑張っていたのかも知れない。
また今度も手を伸ばしても届かないのかも知れない。それでも手を伸ばしたい。手を伸ばさずにはいられないんだ。
君が好きなんだ。
「ここだよ」
「あ、静かでいいね」
浅く水を張った小さなコンクリート造りの円形の池。
丁度座り易い高さの縁がある。
そこに篠原さんと並んで座りかき氷を食べた。
篠原さんは俺の食べる紫色のかき氷の感想を聞いてきた。
「どんな味なの?」
「甘くって、それっぽい匂い。良く分からない」
「じゃあグレープじゃない感じ?」
「分からないんだ……君と並んで食べていたら味なんて……」
「え?」
あの夏の夕暮れ、篠原さんと並んで食べたかき氷。
紫色の気味の悪い色をしたかき氷は、忘れられない微妙な味がした。
「好きなんだ。君の事」
口の中でスッと甘さが溶けていった。
それがその時感じた恋の味だった。