第3話 ガキは嫌いだ
何故あのトラ猫とばったり遭遇したのか。
けっこう簡単に結論が出た。
歩いて行くにはちょっと遠い神社。
入り口から入ろうとすれば、ぐるりと迂回して行かねばならない。
しかしあいつが通って行った先には神社の敷地があり、人間が通れない小さな通り道があるのだと想像できた。
つまり直線距離で自宅と神社の裏手を結んだ場合、それほど遠くはなかったのだ。
この辺りもあいつの縄張りという事なのだろう。
さっさと行っちまったが、チクワは食べた。
あいつに一つ貸しが出来た。また味をしめてやってきたら、その時は貸しを返してもらう。
毛一束頂くとしよう。
そして、篠原さんに見せつけるわけだ。
「近藤君、いっぱい毛が付いてるよ」
「今の時期って抜けるよねー」
はい。頂きました。
チクワと毛一束だったら安いもんだろ。
ウインウインってこのことだよな。
自分で言うのもなんだが、よくできた計画だと自画自賛した。
俺もトラオもホクホクだよ。
問題は次にあいつとどうやって接触するかだな。
また神社に出向いてチクワで釣るか。警戒心もちょっとは薄らいだだろうし、今度こそ抱かせてもらえるかもしれん。
そして持ち帰ってそのまま飼う。
で、妹に世話をさせる。
念願のペットを飼えて妹もホクホクだ。
そして妹の友恵は、それはもう期待で待ちきれないって感じだ。
「でさ、お兄ちゃんの言ってた猫ってどうなったの?」
「チクワはやった。もう一歩ってとこだ」
「じゃあ、明日?明後日とか連れてきてくれる?」
「まあその辺りだな。楽しみにしとけ」
「名前なににしよーかなー」
まだ親には内緒にしたままだが、もう飼うつもりで妹はいるらしい。
トラオ(仮)を見て萎えなければいいが。
そして翌日、神社裏にいたトラオ(仮)を俺は捕まえてきた。
チクワを食べさせて警戒心を解いたところで、そのまま抱えて持ち帰ってきた。
予想はしていたけど滅茶苦茶重かった。
「おかえり。おにいちゃん」
「おう、ただいま」
妹は俺の抱えている立派なトラ猫を食い入るように見た。
「それなの?」
「ああ。可愛いだろ」
「子猫だと思ってた。それとお腹を空かせてて可哀想だって言ってたから痩せてると思ってた」
「まあちょっと太り気味かもだけど、いっつも腹を空かせているみたいなんだ。どうだ、気に入ったか?」
「うーん、微妙ね」
妹は早速トラオ(仮)に手を伸ばして触ろうとした。
すかさずトラオ(仮)が鋭い目つきで睨む。
「機嫌が悪そうだね」
「まあ、初対面だしそんなもんさ」
そして母にトラオ(仮)を紹介した。
母は立派なトラ猫を見るなり、この辺りのボス猫じゃないのと、すぐさま反応した。
どうやらあっちこっちで餌をもらっている名物猫で、この界隈では有名なトラ猫らしい。
飼っていいかと訊いたところ、わざわざ飼うってどういうことだと逆に訊かれた。
「餌にも不自由してないし、寝るところだってあちこちにあるみたいだし、野良猫生活をエンジョイしてる感じでこれっぽっちも可哀そうなところも見当たらないし、わざわざ飼ってやる理由が見当たらないわ」
俺だって全面的にそう思う。
しかしここで断念する訳にはいかないんだよ。
「俺はこいつと出会った時に感じたんだ。こいつこそ運命の猫だって」
「え?どの辺が?」
「なあ、頼むよ。世話は俺と友恵がちゃんとするからさ。な、友恵」
妹はどうも渋い顔をしている。あんまし世話したくなさそうだった。
「約束したろ」
「したけど……」
そして母からは飼いませんと突っぱねられた。しかしあちこちで餌をもらってる猫だし、うちでもたまに餌をやったりして飼ってる気分を味わうくらいならいいんじゃないと、時々なら猫が家に上がり込むのを許してくれた。
と言う訳で、我が家の猫では無いものの、スキンシップをはかる準備は整った。
トラリーヌ。
妹はそう名付けた。
見かけのやさぐれた感じを名前でカバーしようとしているのだろうか、雄猫にふざけた名前を軽い気持ちでつけて、しつこく呼んだ。
「トラリーヌ、トラリーヌったら」
完全無視。
くだらねえ、これだからガキは嫌なんだよ。
背を向けたまま、時々尻尾の先を振って妹を無視しているその姿は、まさにそんな感じだった。
「おまえはそう呼んだらいい。俺はトラオって呼ぶから」
「トラオ?なんだかそのまんまだね」
そのまんまでいい。背伸びしても似合わん。
「トラオ、今夜は泊ってけよ」
「にゃー」
「あ、お兄ちゃん、今返事した」
「ああ。みたいだな」
縁側に座布団を敷いてやると、トラオはドシッと腰を落ち着けて丸くなった。
「ねえ、気付いてるとは思うけど、すごい毛が付いてるよ」
翌日、一時間目から後ろの席の女子に声を掛けられ、やっぱり目立っているのだと確信した。
朝にはトラオはいなくなっていたが、たっぷり抜けた毛が座布団にびっしりついていた。
お宝ゲット!
夏服では毛が目立たないだろうと、ケチケチせず、ふんだんにトラオの毛をデコレーションしてきた。
肝心の篠原さんは、当たり前だが前の席にいる関係上、デコレーションされた俺の姿に全く気が付いていない。
後ろに座っている奴にはさぞかし目立っていたのだろう。
「あんまし言いたくないけど、制服と言うよりセーターみたいになってるよ。ブラシ貸したげようか?」
「いや、いいんだ。このままで」
そして5時間目が終わるまで、篠原さんは気付いてくれなかった。
一方、篠原さん以外の周りの連中は、何て格好してるんだと指摘してくれた。
おまえらの反応はどうでもいい。
さりげなく篠原さんの前を何度か通ってみたが、やはり気が付かない。
こうなれば俺の方からアプローチするしかないか。
さりげなく猫の毛が付いているのを指摘して誘いをかけてみるか。
「篠原さん、肩に猫の毛が付いてるよ」
「え、気付かなかった。あれ近藤君もいっぱい付いてるね」
「ホント?気が付かなかった。うちの猫、俺にべったりだからさ」
と、まあこんな感じで二人は惹かれ合うって寸法だ。
猛烈に緊張してきた。
しかし完璧に用意したこの機会を逃すわけにはいかない。
俺は生唾を呑み込んだ後、篠原さんの背中に声を掛けた。