第2話 また会ったな
翌日、昨日の失敗の原因を考えながら、前の席に座る篠原さんの匂いを吸い込んでいた。
おお、なんか元気出てきた。
こうして栄養補給を出来るのも今学期末まで。二学期に入ったらいきなり席替えだ。
昨日のトラ猫を取り逃がしたのが悔やまれる。
ホントは今日、制服にあいつの毛を滅茶苦茶つけて登校するはずだった。
猫好きの篠原さんが、俺を意識し始めるきっかけになるに違いない。
「猫飼ってるんだね」
「え?分かる。猫の事なら何でも訊いてよ」
まあこんな感じだ。一分の隙も無い。
しかしあいつ。あのやさぐれたトラオ(仮)はなかなか手ごわそうだった。
他に当てもないし、もう一回トライしてみるか。
あいつらは餌を持っている奴と持っていない奴だと態度がまるで違うな。
前に神主のおじいちゃんがあいつらを撫でてるのを見た事がある。
つまり食いもんをくれるやつには心を許すって単純な仕組みだ。
手ぶらで行った俺が浅はかだった。
今日は一旦帰ってから、なんか美味い物を持って行こう。
冷蔵庫になんかあったかな……。
綿密な計画を頭の中で描いているうちに、あっという間に一時間が過ぎた。
教科書も黒板も一切見てないが、篠原さんの制服に付いていた猫の毛の本数は数えた。
篠原さん。俺は君のためにトラオ(仮)を必ず手に入れて見せる。それまで待っててくれ。
そしてまた鼻腔を全開にして英気を養った。
またまたやる気がみなぎってきた。
寄り道もせず真っ直ぐに帰宅すると、すぐに冷蔵庫を漁った。
ソーセージ。チーズ。チクワ。
さてどれがいい。
やさぐれたトラ猫を頭に思い浮かべる。
あいつはチクワだな。絶対そうだ。
4本入りのチクワの包みを取り出す。
さあて行くか。
着替えるか?面倒だな、制服のままでいいや。
一刻も早くあいつを捕獲して連れ帰る。
美味い物を食わせて、この家から離れられなくしてやるのだ。
「フフフフ」
成功映像がありありと浮かんできた。
あいつさえ手に入れば後はトントン拍子に違いない。
手に持ったチクワを見つめてニヤニヤしていると、小学生の妹が台所に現れた。
「なに!チクワを見ながらニヤついて」
「あ、いや、何でもない」
「それ晩御飯のおかずだよ。お兄ちゃん、もしかして食べようと思ってた?」
まずいな。妹にチクワを持ち出しているところを見られた。絶対チクるに違いない。
「なあ友恵、おまえ猫好きか?」
「うん。好きだけど」
「猫飼いたいよな」
「そりゃ飼いたいよ。でもお母さんが嫌がるし」
よし、こいつを巻き込んで、計画の片棒を担がせよう。
「すっごい可愛い猫がいてさ、そいつに餌をやろうかなって思ってさ」
「そのチクワを?そうか、魚のすり身だからか」
成る程。チクワは魚のすり身だったな。
「そうゆう事。なんだか腹を空かせてて可哀そうだから、食べさしてやりたいんだ」
「へー、お兄ちゃんもいいとこあるんだね。私も見に行きたいな」
多分こいつは、目のウルウルした子猫を想像してる。
やさぐれたトラオ(仮)を見せたら反対派に寝返りそうだな……。
「警戒心が強いんだ。取り敢えず俺が行って連れ帰ってくる。感動のご対面はその時な」
「あー、待ちどおしいな。で、お兄ちゃん、お母さんを説得できそうなの?」
取り敢えず捕獲を優先していたので、そこまで考えていなかった。
「俺とお前で頼み込んだら何とかなるさ。交代でちゃんと世話できるか?」
「するする。絶対する」
「よーし。約束な」
上手くいった。これで何とかなりそうだ。
連れ帰ってきたのが、目つき鋭いとんでもなくデカいトラジマの成猫だったら、こいつはどんな反応をするのだろうか。
それでも世話はしてもらうぞ。約束だからな。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
妹に見送られて玄関を出る。
そのまま自転車置き場に回って鍵を外そうとした。
「ん?」
視界の隅に影。
首を向けてから、まさしく飛び上がった。
隣の家との境界の塀の上。
丁度、俺の背丈くらいの高さで狭い一本橋の様になっている。
その上をゆうゆうと、あのやさぐれたトラジマの猫が歩いていた。
どうゆう訳だ?なんであいつがここに?
一瞬その謎を解明しようとしたがやめた。
ここでこいつに会えた奇跡を、有効利用してやろうじゃないか。
「トラオ」
耳がピクリと動いて、丁度通りがかったトラオ(仮)が俺の方を見下ろす感じになる。
おう、また会ったな。そんな落ち着いた雰囲気だ。
早速チクワで誘いをかける。
袋を破ってチクワを一本出して、ゆっくりとトラオ(仮)の顏に近づける。
鼻を近づけクンクンしだした。
よーしそのまま食いつけ。
トラオ(仮)は鼻をひくつかせてしつこく匂いを嗅いでいる。
さあいけ。がぶっといけ。
パクリ。
食べた。
こうしてみると立派な体格の割には口は小さい。かぶりついたものの、その後食べにくそうにしている。
成る程、このサイズじゃ食べにくいって事か。
チクワを手でちぎって掌に載せて近づけてみた。
今度は食べやすくなったのかガツガツ食べ始めた。
トラオ(仮)は一本完食しザラザラの舌で掌を舐め上げる。
おおお、くすぐったい。ヤスリみたいな舌だな。
「もう一本行くか?」
もう一本袋から出そうとしたらトラオ(仮)はそのまま、また塀の上をすたすた歩いて行ってしまった。
すまねえな、ちいと急いでんだ。
尻尾をぶらぶらさせて行ってしまった後ろ姿が、そう言っている気がした。