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あの日、いつもの駅で怪異ときみと

作者: 笹夢まさき

 放課後。学校の最寄り駅。

 今日も今日とて僕は寝不足だった。ここ一週間くらい新作のゲームに熱中してしまって、あまり睡眠時間がとれていなかった。

 僕は学校で居眠りをしたくない。これでも一応、授業は真面目に受けるタイプだ。一回でも聞き逃してしまうとリカバリーが必要になり、そっちの方が大変だから。それが何回か積み重なってしまうと、もう挽回は絶望的。そうなると結果的にゲームの時間が削られてしまうことになる。そうならないためにも僕は日々の勉強をおろそかにしたくなかった。

 僕はホームで電車を待っていた。周りのみんなはスマホを見ている。僕にはもうそんな力も残っていなかった。いまの状態でじっと視線を固定なんてしていたらただちに睡魔に襲われてしまう。そんな意味のない自信だけがあった。だから僕は適当にあちこち視線を漂わせて時間を潰していた。

 ふと前方にいる女性に目がいく。

 異様な雰囲気をまとう女性だった。

 六月。暑くなってきたこの時期に、赤いロングコートなんか着てる。

 長い髪は乱れてボサボサ。手入れもろくにしていない感じ。

 前髪を垂らしているせいで、顔はよくわからなかった。かろうじて隙間から鼻の先と唇が見えるくらい。

 彼女自体は列に並んでいなかった。

 一番前に並んだ人のとなりに立っていた。息がかかるくらい密着した距離だ。

 その耳元でなにかを囁いていた。

 顔を近づけられているのは、サラリーマン風の中年男性。そんな親密そうな関係には見えない。それどころか、知り合いすらにも。

 男性はずっと無視していた。

 イヤホンはしていない。聞こえていないわけじゃないだろう。

 っていうか、さすがに気配で気づいているはず。だというのに、男性は一瞥すらしなかった。

 危なそうなヤツだ、って見て見ないフリをしているのだろうか。

 かといって、少しでも避けようと身体を仰け反らせることもしない。あの男性、なかなかの胆力といえた。

 彼が反応してくれないとわかると、女性は諦めて身体を離した。

 快速通過のアナウンス。

 突然女性は身を翻し、線路に飛び込んだ。

 目をそらす暇もなかった。

 僕は自然と息を止めていた。心臓が早鐘を打っているのを自覚する。

 やがて電車は通り過ぎ、静かになった。

 僕は様子がおかしいことに遅れて気がついた。

 なぜか周囲がまったく騒ぎになっていなかったのだ。

「ちょっと。大丈夫?」

 誰かが僕の肩に手を触れた。

 僕はふりかえる。後ろに並んでいたおばさんが僕の顔を覗き込んでいた。

 無意識のうちに膝をついていたらしい。周りから見れば急にふらついたように見えたのだろう。

「……大丈夫、です」

 僕は応え、立ち上がる。

 周囲を見回して確認した。

 不思議だった。どこにも異常は見当たらなかった。

 血の一滴も飛び散っていない。周囲の人たちも変わらずスマホに視線を落としていた。誰も気づいていない。

 いや、少ないけれど顔を正面に向けている人もいる。それは反対側のホームにも。

 誰かが見ているはずだった。でも、誰も驚いたような顔はしていない。

 僕は意を決して列を離れた。

 黄色い線を越え、線路を覗き込む。

 隅々まで見た。だけど、やはり飛び込みの痕跡らしきものは一切見当たらない。

……あの女の人はどこへ?

 それとも、僕の見間違い? いや、そんなはずは……。

 電車が間もなく来るというアナウンス。僕の乗るやつだ。

 僕は後ろのおばさんに頭を下げ、列のもといた位置へもどった。





 べつの日。

 また僕は寝不足だった。

 あいかわらずゲームは楽しいし、バイトも忙しい。高校生なのにバイトというのはあまりよくはないとは思っているけれど、お小遣いだけで欲しいゲームは買えない。だから仕方ないと開き直っていた。

 目をこすったあとに気づく。

 また、あの女の人がいた。

 間違いない。先日と同じ服装、赤いロングコート。

 なにより身にまとう雰囲気が同じだった。

 ただ、前回と違う点もあった。

 もう一人、僕と同じ方向を見ている子がいたのだ。

「……」

 ブレザー姿の女子高生だった。僕とはちがう高校。

 斜め後ろから見える横顔からでも彼女が可愛いのはわかった。ポニーテールにした黒髪はとても艷やか。うなじは陶器のように白い。顎は小さく、鼻は高かった。まっすぐに結んだ唇とやや下に向けた視線は知性を感じさせた。

 赤いロングコートの女性が位置を変えるたび、彼女のポニーテールがそれを追うように揺れた。

 その子はあきらかに前方をうろつく女性を意識していた。

 じっと見ようとはしないけれど、どこへ動いたか気をつけている。やっぱり誰がどう見ても、あのロングコートの女性は不審者だろう。警戒して当然だ。

 よかった、と僕は安堵した。

 あれは決して僕にだけ見えていた幻じゃないのだ。

 でも、一方で疑問は残る。

 なんで、あの子以外はまったく見えていないフリをするんだろう?

 いまもまた赤いロングコートの女性は列に並ぶ一人の耳元でなにかを囁いている。

 でも、前回と同様、顔を近づかれている人はなんの反応も示さない。

 実際には声を発していないのか?

 いや、そうとは思えなかった。確かに唇は動いているし、かすかにだけど僕のところまで声らしきものも聞こえてくる。

 ポニーテールの子がいつの間にか僕の方をふりかえっていた。

 思った以上に美少女だった。モデルみたいに整った顔。

「……」

 彼女は僕を見て、無言で首をふった。

 彼女の唇が動く。

 僕に読唇術なんて使えるわけがない。だから自信はなかった。でも短い言葉だったし、彼女の表情を含めた雰囲気でなんとなく伝わった。彼女は『見るな』といっているようだった。

 僕は思わず自分の後ろを確認する。でも、みんなスマホを見ていて顔を上げている人はいない。やはり彼女は僕に向かっていっているようだった。

 僕は素直に従い、斜め下に視線を落とした。

 あの女の人をまっすぐに見ないように。

 かつ、その位置を見失わないように。

 その足元だけを視界に残した。

 女の人が動き出す。

 まだ電車は来ない。

 女の人は前列の辺りだけじゃなく、不規則に移動を始めた。

 心臓が脈打つ。

 こっちの方まで歩いてくるような予感がした。

 僕は女性の足元を追う。履き古したヒール、心許ない歩行。

 疲れてるんだろう、なんてレベルじゃない。

 ひどく酔っ払ってるのか、頭おかしいのかっていう――。

 女性の声らしきものが継続して聞こえてくる。べつの人に近づいては、また声掛けを繰り返す。

 僕は嫌な汗が出てきた。

 女性は一人一人の顔を覗き込んでいるような動きだったからだ。

 いまのところ反応する人はいない。

 でも、僕には無理だ。あんなふうにされて反応しない自信がない。

 電車はまだ来ない。

 女の人の歩く軌道が突然変わった。

 僕の方へやってくる。

 僕は腕を掴まれた。

 顔を上げると、さっきのポニーテールの子だった。

「私だけを見てて」

 彼女はまっすぐに僕の目を射抜いた。

 僕たちは至近距離で見つめ合う。

 普段なら照れてどうしようもなかっただろう。でも、いまはそんな気分にはならなかった。

 彼女のことをヒーローのように感じたからだ。だから可愛いとかではなく、その存在が心強いと思った。

 いわれたとおり彼女の目に集中する。ほかのものは一切見ないように。

 僕たちのそばを女の人が通り過ぎていく。

 横を通る数秒間、女性の呟きがきこえた。

「な、ま、いき、な、ガキ、ガキ」

 喉が潰れたようなかすれた声だった。

 電車のアナウンス。

 唐突に女の人の気配が消えた。

 ポニーテールの子も僕の手を離す。

 彼女は無言で背をひるがえし、電車に乗り込んでいった。

 僕も列の流れに背中を押されて車内へと進む。

 電車の中で僕たちは離れた席に座った。彼女の方をうかがうも、彼女はイヤホンを耳にはめてすぐに目を閉じる。向こうから話しかけてくるつもりはないようだった。

 僕の降りる駅の方が先にやってくる。

 降車する際にもう一度彼女を見たけれど、彼女は目を開けなかった。

 お礼をいうタイミングを逃したまま、僕は電車を降りるしかなかった。





 さらに後日。

 僕は帰る時間帯を変えた。

 授業があるから、いままでより早くというのは無理だ。だから後ろにずらすことにした。放課後、一時間ほど図書室で時間を潰してから帰ることにした。これにはいい面もあった。環境を変えればおのずと心持ちも変わる。図書室のほどよい緊張感の中では、宿題がやけにはかどった。結果的に家に帰ってからのゲーム時間を増やすことができた。

 あれからあの女の人は見かけていない。今日もいないようだった。

 僕は安心してホームに立つ。

 ちょうど電車が一本通り過ぎたタイミングだったのだろう。ホームにほとんど人の姿はなかった。

 僕は一番前の位置についた。

 横を見る。

 いつの間にかあの女性がとなりに立っていた。

 彼女もこちらを向く。

 目があった。

「あ、たし、みえ、る?」

 壊れた機械かのような口の動き、と、ノイズ染みた声。

 快速通過のアナウンス。

 急に腕を掴まれる。とっさにふり払おうとした。

 でも、できなかった。女の人とは思えない力だ――。

 女性は線路に飛び込む。

 腕を引っ張られた僕も一緒に落ちた。

 冷静に、と自分に言い聞かせつつも、心音が早くなっていくのをとめられなかった。

 とにかく早く立ち上がって上に逃げないと――。

 どこか打ったわけじゃない。身体は痛くなかった。

 でも、女性が僕の腕を掴んで離さない。

 髪の毛のあいだから覗くうつろな目。感情が読めない。魚みたいな目だった。

 靴越しに振動を感じる。

 快速電車が近づいてきていた。

 僕は力のかぎり暴れた。

 でも、相手の方が強い。

 女の人の爪が食い込んでくる。

 血がこびりついたまま固まったかのような、赤黒い爪――。

 僕はなおも抵抗した。

 女の人の髪が乱れる。

 その際に一瞬だけ口元が見えた。

 彼女は笑っていた。

「――!」

 女性へ飛び蹴りをかます影。

 途端に力が弱まり、僕の腕は自由になった。

 助けてくれたのは、先日のポニーテールの子だった。

 彼女はすぐにふりかえって、僕に抱きついてきた。

 そのまま身体を押され、壁に背中がつく。

「じっとしてて」

 彼女がいう。

 すぐになにも聞こえなくなった。

 風圧で目が乾いてしまうような距離を電車が通過していく。

 彼女の頬が僕の頬に触れていた。とてもやわらかかった。こんな危険な状況だというのに、僕はひとときの安らぎを感じていた。

 数秒後、静かになった。

 彼女がほっと息を吐く。

 僕たちが逃れたのはホーム下の退避用スペースだった。

 彼女は身体を起こそうとして、なにかに気づいた表情をした。

「……」

 黙って僕の手を引き剥がす。

 僕は無意識のうちに彼女の背中に手をまわしていたらしい。

「あ、ごめん……」

 慌てて謝った。

 彼女はとくに気にしていない様子で息を吐いた。

「勘違いしないで。あんなにくっついたのは、私の髪の毛が削れたら困るから」

 そういって彼女はポニーテールのふさを優雅に揺らした。

「大丈夫かー?」

 上から心配する声が降ってくる。

 僕と彼女は大人たちに引っ張り上げてもらった。

 いつの間にか人も増えていたようだ。

 間もなく駅員がやってきた。

「彼、最近疲れてて。ふらついた拍子に落ちちゃったんです」

 自ら進んで説明役を買って出たのは彼女だった。

 親しい間柄みたいに二人の仲を偽っていたけど、僕は黙っていた。とにかく話が早く終わってほしかったから。気分がよくないのは事実だった。

 大事にはならなかったけれど、一応は報告書を作らないといけないらしい。その作成に二人で協力した。僕はそこで初めてその子の名前を知った。

 十分後、僕たちはそろって駅員室を出た。

「助かったね。たまたま私がいて」

 ホームに向かって歩きながらポニーテールの子がいった。

「ちゃんと寝た方がいいよ。じゃないと、よくないものが見えちゃうから」

「きみも?」

「私はいつでも。そういう体質だから」

「あの……助けてくれてどうもありがとう」

「二万円」

「は?」

「これ見て」

 彼女はポケットをまさぐった。

 取り出したのは、バラバラになった数珠と破けたお守りだった。

「あ……。もしかして、さっきの電車で?」

「ばか。電車にはかすってもいないし」

「じゃあ、なんで?」

「あいつにキックしたでしょ。そしたらこうなるの」

 僕は首をかしげた。

「あいつらに触れるだけでもダメージをくらうわけ。だから、これはその防御のために持ってる。でも、所詮一回こっきりの使い捨てだから。また新しいの買わないと」

「でも、ちょっと高くない……?」

「そこら辺のパチもんと一緒にしないでくれる?」

 彼女は僕を睨んだ。

「わかった。バイト代が入ったら払うよ」

「おっけ。二万円がこれらの実費。あとは、私への謝礼だね」

「……いくら?」

「今度コーヒーでも奢ってよ」

 僕たちはLINEを交換した。

 二人で同じ電車に乗る。

 車内では隣同士で座った。

 でも、会話はない。彼女はまたイヤホンでずっと音楽を聞いていた。

 僕の降りる駅の方が先にやって来る。

 僕が立ち上がると、彼女も顔を上げた。

「バイバイ」

 手をふってくる。

 僕も曖昧にふり返し、電車を降りた。

 電車がふたたび走り出すのを見送り、僕は歩き出す。

 僕は家までの道を歩きながら、ひとり考えた。

 まだ頭の中を整理できていなかった。

 今日の出来事が怖かったのは間違いない。だけど、一方で得たものもある。

 彼女との出会いだ。

 なんか勢いでLINEを交換してしまった。

「いてぇ……」

 いまさらながら、女の人に掴まれた右腕が痛いことに気づく。

 指の形がはっきりと痣になっていた。

 まえと同じ、今回も電車が通過したあとに誰か轢かれたような痕跡はなかった。

 あの女の人はどこへ消えたんだ?

 っていうか、どこから現れた?

 あの女の人がなんだったのか、今度あの子に改めてきいてみようと思った。



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