二人目 扉の向こうで
アンジェリカは傭兵団の宿舎で寝泊まりしていた。
といっても、団員のほとんどがそうだ。根無し草の俺たちは、固定の住処を持たず仮設の宿舎で生活している。
今日は近くの町の領主に雇われて、最近暴れている盗賊団と剣を交えた。彼らもまた、戦争の弊害で職や家を失ったものたちだ。同情する気持ちもあるが、傭兵団が従うのは感情ではなく金だ。彼らは盗賊で、俺たちは領主の依頼で捕まえに来た傭兵団。それだけ。
俺たちは死力を尽くして戦い、そして勝った。
人を殺したことの罪悪感、勝利したことの興奮、同情心。それらがぐるぐると渦巻く心中を、アンジェリカのことを思って打ち消した。
仲間たちと帰還し、俺はまっすぐアンジェリカの待つ宿舎に向かった。
近頃は仕事が終わればいつも二人で過ごしていて、そのまま夜を共にすることも少なくなかった。
傭兵団では実質公認になり、ちゃかされることも多くて恥ずかしかったが、同時に誇らしかった。
俺が仕事で外に出た時は、彼女の家に向かうのが通例だ。
それならば、彼女は部屋でゆっくり待つことができる。いつ帰ってくるか分からないし、明日になる可能性だって低くない。
「喜んでくれるかな」
俺の手の中にあるのは、領主へ事の顛末を報告したあとに買った、小さなネックレス。
気づけば俺は、副団長になっていた。傭兵団の中で団長の次に高い立場になり、今回も責任者を任されたくらいだ。昔よりは金銭的に余裕があった。といっても、安物だが。
アンジェリカと付き合って1年余り。
実力も立場も上がって来たので、そろそろ結婚したいと俺は考えていた。彼女がどう思っているかは、分からないけれど。
最初は指輪を買おうと思った。でもなんか気取りすぎだし、婚約のプレゼントはネックレスにしたのだ。
俺はそれを大切に持って、彼女の部屋に近づく。中から人の気配がする。
「待って、そろそろ帰ってくるかも」
「あ? いいじゃねえか。別に」
扉に手を掛けた瞬間にそんな声が聞こえて、俺は動きを止めた。
声の主はアンジェリカと――団長だ。
「えー、ダメだよ」
「ぎゃははは、あんな女々しい奴じゃ、満足できてないだろ?」
「もう」
いつもの下品な笑い声に、甘ったるいアンジェリカの声。
信じられない状況に、俺は怒りが湧いてきた。
なんでアンジェリカの部屋に団長がいるんだ?
俺の女だぞ?
「ちょっ、んっ」
すぐに、アンジェリカの嬌声が響き渡る。
俺は慌てて、扉を開けはなった、
「おい!」
「あっ……」
「ぎゃははは、戻ったか? 副団長さんよぉ」
あられもない姿で股を開くアンジェリカ。俺だけに見せていたと思っていた、その身体。それが今、団長の下にある。
団長は悪びれもせず歯茎を見せた。
「悪いな、あんたの女を貰っちまってよ」
「団長、あんた――」
俺のこと応援してくれてるんじゃなかったのかよ。
だいたい、団長には愛人がいるって話じゃないか。なんで人の女に手出す必要がある。
そんなことを、口汚く叫び散らした。支離滅裂で、正しく伝わったかは分からない。
「ちがうの、ちょっと相談に乗ってもらってて」
「相談でこんなことする必要があるのか?」
「私も嫌だったの! でも無理やり」
心臓に毛が生えていなければ、いけしゃあしゃあとこんなことを言えないだろう。
さっきまでは愛おしい女神のように感じていたアンジェリカが、黒くくすんで見える。煤を被ったように、美しいとも、大切だとも思えなくなっていた。
それでも抱いた恋人と知ってしまった愛情は消せなくて、吐き気がする。
「ぎゃははは、まあこれも勉強だと思えよ。お前の甲斐性がなかっただけの話だ」
「ふざけ――」
「俺だってこんなことしたくなかったんだ。でも愛人に頼まれてよぉ。最近お前らが調子に乗ってるってんで、団長としてお灸を据えに来たわけよ」
「ちょっと、そんな話知らない。団長、私のこと好きって」
「なわけねぇだろ! 情けないガキの手あかが付いた女なんて、ごめんだよ」
こいつが何を言っているのか、全然理解できなかった。
俺は言葉にならない叫び声を上げながら、殴りかかった。
しかし、実力が付いてきたとは言え、相手は団長だ。殴り返され、蹴り飛ばされ、気が付いた時にはボロボロで地べたに寝転がっていた。
アンジェリカが心配そうに駆け寄ってきたが、簡単に別の男と身体を重ねる女に、触られたくない。手を振り払うと、そのまま宿舎を出て走った。
もうこんな傭兵団にはいたくない。俺から最愛の恋人を奪った団長。俺を裏切ったアンジェリカ。
団長への尊敬の気持ちも、傭兵として過ごした思い出も、彼女との楽しかった記憶も、全てが憎らしい。
そのまま拠点としている町を出て、俺は荒野に消えた。