一人目 故郷
俺は田舎の小さな農村の出身だった。
特別裕福だったわけじゃない。税金を納めることにすら苦労していたし、物は全然なくて、あるのは土と草と木。それと村のおっちゃんたちがあーでもないこーでもないと言いながら立てた傾いた家屋に、母さんが作ったつぎはぎの服。あとは野良猫。
物心ついた時には畑仕事を始めていたし、それは他の家の子も同じだった。
幸い食べ物には困らなかった(畑で穫れるからだ)が、冬になると少しの保存食で凌がなければならなかった。雪が積もると畑仕事もできないので、森で薪を拾うか、内職で草履やカゴを作った。
娯楽はほとんどなかった。
日の出とともに畑に出て、日が沈めば帰って寝る。そんな毎日だ。
でも、決して不幸ではなかった。
両親がいて、妹がいて、弟がいて。村のじいさんたちはちょっと話が長いし、ばあさんたちは色々聞いてきて鬱陶しいけど、暖かくて幸せだった。
ないものを数えればキリがない。でもあるものを数えれば、全部大切だし、全部自慢できるものだ。
両親は仲が良くて、いつも子どもの成長をニコニコ見守っていた。
妹が生まれ、弟が生まれても、俺に冷たくなったりはしなかった。むしろ、妹たちの面倒を見るとめいいっぱい褒めてくれるから、俺は率先して手伝った。
「今日は里芋がたくさん穫れたのよ。蒸かし芋にしましょう」
「そりゃいい。お前の蒸かし加減は完璧だからな」
「俺里芋好きだよ。ねばねば!」
「あなたはお兄ちゃんだから、お手伝いしてくれたら沢山食べて良いわよ」
「やったー!」
何気ない日常。当たり前の幸せ。暖かい団らんがそこにはあった。
妹は、心配になるくらい可愛い。
きっと大きくなったら俺の妹とは思えないくらい器量良しに育つだろう。こんな狭い村じゃ、妹を嫁にやれる男なんていない。町に引っ越せるように、お金貯めないとな。
弟はちょっとボケっとしてるけど、優しくていい子だ。俺がつまづいて擦り傷を作って帰った時には、真っ先に駆け寄って撫でてくれた。傷口を撫でられて痛かったけど、それ以上に嬉しかった。
「お兄ちゃん」
「にーに」
二人がいる。両親がいる。これ以上の幸せがあるだろうか。
それと、何人か同年代の友達もいた。
働き盛りの大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、皆町に行ってしまった。だから遊び相手はもっぱら、俺と同じ子どもたちだ。
今ではその顔も忘れてしまったけど、特に仲の良い女の子が一人、いた気がする。
その子は別の村から流れてきた子だから、両親は住んでいない。村長の家に住んでいたのだったと思う。
不思議な魅力のある子で、よく一緒に遊んでいた。
村の人口はそう多くないから、みんな家族みたいなものだ。どこかの家で何かあれば、次の日には全員が知っている。そんな距離の近さは時々嫌になるけど、明るくて、楽しくて、暖かい村だった。
風に聞く都会の暮らしに憧れる気持ちもあるし、口では不満を垂れるけど、本当は今あるものだけで十分だった。
俺の小さい手で抱えられるものなんて、たかが知れている。なら、今あるものを大切にしよう。
そう、思っていたのに。
俺の大切な日常は、脆く崩れ去ることになる。