水底のデスパラダイス③
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リヒトはすぅっと小さく息を吸った。
<シルフィードよ。この場に留まり渦と化せ>
<ウンディーネよ。我が祈りに応じて形を変えよ>
数本の太い風の柱が、吸い込まれるように水へ降りた。
その途端、今まで穏やかだった水面が騒ぎ出す。
足元が不規則に盛り上がり沈み、バランスを上手く取らないと倒れてしまいそうだ。
ザァアアアア!
その光景にあたしは唖然とする。
湖に大きな穴が出現しただと!?
いや。水を押し広げて空間を作ったんだ。
うわぁ、ぞっとする。
こいつと本気で戦う時があるかもしれない。アニマドゥクスの対応策が必要だ。
現時点で、全く必要がない対抗策に思考を巡らせていると、リヒトがこっちを向いた。
思考がこいつの暗殺に向かっていたので思わずドキッとする。
ばれてないよな。と視線をそらすと、彼は少しだけ首を傾げた。
「なんだ?」
「べつに」
もう一度視線を戻すとリヒトは額や頬に汗の粒を浮かばせ、やや疲労した表情をしていた。
睨んでいる瞳も若干の倦怠感を含ませている。
そうだよな。疲れるよな。
あたしは心の中で、ごめんと謝った。
「魔王はこの真下にいる。内部の結界も貼ったから、魔王は外に逃げられない」
色々ツッコミしたかったけど、頷くだけにした。
「三つの竜巻がぶつかって、水を押し広げて空間を創りだしている。刃陣は入っていないから、中に入ってもズタズタにはならない」
ふむふむ。と頷くが、中に刃を入れる場合もあるんかい!? と内心ツッコミを入れる。
「完全な無重力ではないが、それでも重力は極端に少ないだろう。お前の運動神経なら自由に動けるんじゃないか?」
「分かった」
「もう一つ。補助二つを同時に使って崩れないように維持をしている。術に支障をきたすため、何か不測の事態があっても攻撃をすることは出来ない。自分でなんとかしろ。死体が浮かんだら放置してそのまま帰って寝る」
負け前提で話すなクソが。という気持ちを押し殺しながら頷く。
「どうぞご自由に」
さらっと返事をして穴に向かって歩くと、「あと……」と、リヒトが小さく言葉を続ける。
さっさと言えよ。と思いつつ「なに?」と振り返らずに聞き返す。
「日の出までには決着をつけろ。無理そうなら仕切り直しする」
なんだよ、今日は少し優しいじゃないか。
あたしは思わず笑った。
「気遣い感謝。もう言う事はないか?」
リヒトから「ああ」と返事がきた。
「では行ってくる」
一度だけ後方を振り返ると、リヒトは難しそうな表情をしていた。
あたしが思っている以上に、体力なり気力なりを消費するのだろう。術の維持のため今も力を出し続けているに違いない。
攻撃が瞬発、補助が持続ということか。
となれば。作用が逆なので、同時に発動したくても制御が難しいということだろう。
瞬発よりも、維持がしんどいのはわかる。
あたしも技の中で維持がとても難しく現在も未収得だ。
そんな事を考えながら水の縁からダイブして、あたしは湖の中へと落ちた。
突風が下から上へ吹き上げており急落下はしなかった。
ぽっかりと空いた湖の穴は直径が約十メートル。
戦闘出来るように配慮されているのか、思った以上に広い空間が作られていた。
あと薄暗いどころじゃない。夜目が利いてもほぼ暗黒だ。殆ど何も確認できない。
真っ暗の中を降下していくのは、正直心臓に悪い。
このまま海底に激突するのではないか、と、不安もよぎる。まあ、単なる落下とは違う感触が全身で感じ取れるのでパニックにはならない。
緩くて儚い風の足場がそこら中にあり、体にバシバシ当たる。
空気の塊を足場にしろ、ってことだろう。
水を押し広げている風は乱暴で不規則だが、すぐに慣れてバランスを保てるようになった。
風の塊を足場にして、落下の速度を殺していく。
耳元で、びゅうびゅうと、鳴る風が、周りの音をかき消す。
幸いにも、落下中に敵はいなかった。
ものの数分で、あたしは海底に着地した。
空気の流れと勘で着地すると、湿った砂地にブーツに沈む。
夜間訓練のおかげでなんとかなったけど。
距離感掴みにくいから明かりなしは自殺行為だ。
ともあれ、無事に着いてホッとした。
どのくらいの高さから落ちたんだろうと、何気なく見上げると。そそり立つ黒い水の壁しか分からなかった。
少しだけ恐怖を覚える。
今、術が切れたら水圧で即死だなー。
「っと」
そんな事を考えていたら、猛烈に熱くなり額を押さえる。
こっちに気づいて殺気を放っているようだ。
あたしは顔を顰めながら魔王に向かって叫んだ。
「ちょっと! こんな深い海底まで尋ねてきたのに、出迎えはなし?」
呪印で魔王の方角はなんとなく分かるが完全に把握しておきたい。そう思って声を出したが返事はない。
うーん、肉眼で確認できない。
もしかして風の音で、あたしの声が聞こえないんじゃ?
そんなわけはないか。
こんなに殺意があるんだから。
強い殺気が四方から真っ直ぐあたしに注がれる。これはすぐに攻撃を仕掛けてくる。
あたしはすぐに刀を構えた。




