水底のデスパラダイス②
人生初の水上歩行は、歩くたびに足の裏が妙な感覚を伝えている。
硬いような、柔らかいような……水の入った浮き輪の上を歩いている、と表現すればいいかもしれない。
ともかく、歩くのはとても楽しかった。
あたしは景色にも目を向けた。
うすい月夜の光源しかない湖はつつ闇に染まっており、壮大な無の空間が広がっていた。
山や陸地も闇に沈んでいるから、余計に、何もない空間を歩いているような、錯覚に陥ってしまう。
一つの色に統一された空と湖は、どこからどこまでが境界線なのか、判断つかない。
まるで御伽の国へと迷い込んだような、曖昧な光景だった。
「起きながら寝ぼけるな。器用な奴だ」
冷水のような一言に、あたしは景色を見るのをやめて、前方を行くリヒトを睨んだ。
「五月蝿い。別に良いだろう? 感動しているだけじゃないか」
そもそも口に出してないのに、文句言われる筋合いはない。あたしの雰囲気楽しそうだからって茶々入れなくてもいいだろうに。
「この不気味な暗闇に感動する。その感性に度肝抜かれる」
「感性豊かで素晴らしいだろう」
「はっ! どの口が言う。これが最後に見た景色にならなきゃ良いがな」
「今日も皮肉絶好調だねぇ。ある意味、感心するわ」
あたしは一笑する。
そしてリヒトの横へ移動した。
聞こうと思ったことを思い出したためだ。
「なぁ。昼間の質問の答え聞かせてよ。今日はあたし一人で退治するんだろ? あんたはこんなに凄い力を持っているのに、どうしてあたしの力が必要なんだ?」
リヒトは苦虫を潰したような表情をした。
「その台詞は、俺が単なるお荷物だ、という隠語が含まれているのか?」
「あっはっは。そーじゃないって。お荷物なんて全く思ってない。単純に気になるだけだ」
「そうか」とリヒトの表情が通常に戻る。
何を勘違いしてるのやら、変なの。
「深読みしすぎると、自滅するぞ」
忠告してやると「悪かったな」とリヒトは肩を竦める。その姿にあたしは苦笑を漏らした。
「で、話を元に戻すけど。どうしてなんだ? あんた一人でも十二分に戦えるよな」
そこまで話しかけて「もしかして」と続ける。
「本気で一人で頑張りたくないから、あたしをアテにしたってこと?」
「違う」
リヒトは顔をしかめ、唾をゆっくりと飲みこんだ。
「お前が思っているほど、俺の力は完全無欠じゃない」
「ん?」
「出来る事と、出来ない事がある。それは……」
リヒトは言い淀んだので、あたしは肩を竦めた。
「あのさ。あんたの力を完全無欠だって、思ってないぞ。あんたが自分でも言ったよね? 一人じゃ難しいって、その『難しい理由』が知りたいだけ」
リヒトは視線を逸らして、速足で先に進もうとした。
踏み込んでほしくない様子を匂わせるが、そうはいかない。
戦闘時に命を預けていると同時に、命を預かっているのだから。疑問・不安要素は潰しておいたほうがいい。
背中を合わせられない相手では、命を預けることも、護ることも出来ない。
「まてよ」
あたしは彼のマフラーとマントを、ぐいっと引っ張って、前に回りこむ。
リヒトの目を真剣に見つめて、もう一度聞いた。
「話すって言ったよな?」
リヒトから大きなため息が漏れた。
握っている手を振り払うことなく、ゆっくりと歩き出したので、あたしはマフラーを離して、その横についた。
観念した様に話し始める。
「俺が使っている力は攻撃、補助、防御の三種類。扱える精霊は五大元素だ」
「精霊五種類って、火・水・風・土・天の全種類って事か。それパーフェクトなんじゃ? いやでも、その割に、一から二種類の攻撃しか見たことない気がする」
リヒトは頷く。
「五大元素でも属性の相性で、最大効果の値に強弱はある。俺が一度に扱える種類は二大元素だ。そして、その法則とは別に、術が発動しにくい点があり、その部分が今回の退治の足かせになっている」
「ふむ?」
「まず、敵が水底にいるため、足場の問題が発生する。足場を作りだすには、補助の術をかけることになる。すると俺は、補助の維持するために攻撃が使えなくなる」
「もっと簡単に」
リクエストすると、リヒトはちょっと困った様に息を吐いた。
「俺は攻撃発動中に、補助や防御を使う事が難しい。その逆もまた然り。そして精霊の密度によって扱える術に制限が発生する。さらに他属性を同時に操るには、精霊同士の相性の問題も発生する」
「つまり攻撃と防御系は連動できない。また属性が違えば相性により効果の程度が変わってくと。同属性でも制限ありってやつか」
「そうだ」
あたしは説明を噛み砕く。
「一つの攻撃が終った後なら、他の精霊の攻撃やら補助やら防御が発動できるって事だな? 継続しながら違う属性の効果をかけるのが困難、って解釈であってるか?」
「そうだ」
ふむふむ。
なんとなく分かってきた。
「発動条件が『精霊の量』であるなら、その『量に応じて使えるパターンも限られてくる』ということか。攻撃力をメインにすると、その他が薄くなる、若しくは不発。防御をメインすると、攻撃がしょぼくなるか不発」
あたしはピッと人差し指を立てた。
「属性のバランスを考えると、水の上では火の恩恵は薄く、水と風の恩恵は大きいってことかな。あんたは火が得意みたいだから、攻撃力が半減するって言いたいんだろ」
リヒトは満足げに頷く。
「ああ、そこまで分かれば良い。理解力だけは本当にあるんだな」
「理解力だけで悪かったな!」
だが、これで納得できた。
「つまり。足場の確保で水の補助を使っているから、現時点で攻撃が使えない。魔王と対決する時に攻撃が出来ないんじゃ話しにならない。その上、水属性だと思われる魔王に火で対応は難しく、水の攻撃が効くかどうかも分からない。ってことで、あたしが必要となったわけか」
リヒトが強く頷く。
「魔王に『風』は効くかもしれないが、水中に潜んでいるとなると、風単独では十分な威力が期待できない。だったら最初から、お前の回復を待って、直接物理で倒せばいいか、と思ったんだ」
「ふむ、なるほど」
湖のど真ん中で水中。
足場がない場所に魔王が潜んでいる。
岸に呼べないのであれば自ら赴くしかない。
船を出せば騒ぎになるし、人目も増えるし、被害も増える。
被害を最小限で済ませたい、リヒトの采配なのだろう。
まぁ、最小限というよりも、自分の力が周りにバレたくない思惑がメインっぽいが、あたしも同意見なのでそこの部分は尊重する。
そこまで考えて、あたしは彼に視線を戻した。
「とりあえず、質問に答えてくれてありがとう。あんたの事情が把握できた」
「分かったら、とっとと一人で災いを退治してこい」
こいつ。わざわざ一人を強調しやがった。
「へいへい。頑張らせて頂きますよ。その代り足場は任せた。術が途切れて水中にドボン! はマジ勘弁してよね」
「俺は補助を中心にすると、最初から言ってるだろう? 無駄な心配するんじゃねぇよ!」
「心得た」
イラッとしたリヒトの姿に、あたしは苦笑いを浮かべた。
補助を中心にするとなると防御も薄くなるだろう。リヒトに攻撃が及ばないように気を配るか。
空の真上にある月が傾きはじめた頃、あたし達は魔王がいるポイントに到着した。
確かに額に反応がある。足元というか水中からだ。
「ここだな」
リヒトは暗い水底に視線を落とす。あたしも視線を落としながら、もう一度額の熱さを確認した。
「この真下っぽいけど……」
ここからどうすれば……もしやこれは、水の中へ潜れってことか?
いや、泳げるけど! 潜水も出来るけど!?
泳ぎながら刀で戦うとかちょっと難しいんですけど!?
やれって言われたら出来なくはないけど、死ぬ確率の方が高い。
「んんー、でもこのままじゃ、手も足も出ないから潜るしか……」
難しい表情のままうめくと、リヒトがあたしの肩を軽く後へ押す。
「下がれ。邪魔だ」
「はぁ?」
強く押されるので後へ下がる。三メートルくらい下がると、リヒトは立ち止まって肩越しにあたしを見た。
「今から風と水を使って湖に穴をあける。穴が開いたら飛び降りろ」
「ん?」
「風が吹き荒れるだろうが、酸素を送ったり、足場を作るだけだから、風圧で死ぬことはない。お前ならすぐ自由に動けるだろうよ」
「湖に穴って……」
疑惑に満ちた視線を送るあたしを完璧に無視して、リヒトは緊張した面持ちで、すぅっと小さく息を吸った。
彼の唱えた声が湖に響く。
水が激しく動く。
その光景にあたしは唖然とした。
これがリヒトの力なんだと思うと……正直ぞっとする。
アニマドゥクス。
精霊を操る術を見るのは初めではないが、彼の力を見る度、規格外に内心舌を巻く。
今は味方だが、敵になって、本気で戦う時のために、対応策が必要だと、頭の中で警鐘が鳴り響く。
あたしの剣呑な眼差しを背中に受けながら、リヒトは術を完成させた。




