ストライト湖の魚②
しばらく回ると、とある広い場所で人が集まり始めた。名前プレートを胸につけて、関係者以外は出ていくように言われた。
聞くと、今から市が始まるそうだ。
買い付けする人達の熱気が、徐々に大きくなっていった。
あたしは一般のお客に混じって水槽を回る。会場の端っこの、目立たない部分にも水槽がある事に気づき、近寄ってみる。
『毒』と書かれた浴槽が置いてあった。
「へぇ。毒かぁ~」
何気なく流そうとして「って、毒!?」と、二度見した。
間違いなく毒って書いてある。
食べられない魚なんだろうけど、こうあからさまに『毒』と書かれたら気になる。
「ひぇ!?」
興味本位で中を覗き込むが、その風貌に思わずのけ反ってしまい、覗き込むのではなかったと、本気で後悔した。
「うわぁ……、なんだこれ気持ち悪い」
予想以上の不気味な魚だ。気持ち悪くなり顔を背けるも、チラチラと全体像を確認する。
魚の大きさは30㎝で良いサイズ。
アイナメの形をしているが、髭の生えた魚のヒレの部分に、人の手足っぽいものが寄生虫のように数本ついて、小さな手がニギニギしている。
目の色は紫色と緑色が混じって、白目が灰色で濁っているし、鱗が変形して瘤のように凸凹しているし、背骨も曲がって歪なフォルムだ。
じっくり見れば見るほど、醜悪。
これは食べる気が起きない。美味しいよって言われても、絶対に食べたくない。
「これはもしや、妖獣の魚バージョン、怪魚?」
昔は人を餌にした大きな魚、怪魚がうようよしていて、冒険者が退治して回っていたと聞く。その大きさが三メートルくらいなので、これはその稚魚とか?
そんな不気味な魚が五匹。水の入った四角い水槽の中で優雅に泳いでいる。
少しずつ観慣れてきたので観察してみる。
「なんでこんなの置いてるんだか。捨てないのかな?」
「この魚、吃驚するわよね」
中年女性が話しかけてきたので、あたしは顔をあげる。
ふくよかな背の低い60代の女性だ。少し厚めの上着を着て、足首まである腰エプロンからゴツいズボンが見える。
体中から魚の匂いがするので漁師の奥さんだろう。
「なにこれ」
毒魚ケースを指し示しながら聞くと、彼女は苦笑いを浮かべた。
「食べたらダメな魚だよ。一緒に引き上げちゃったけど、湖に戻せないからここに置いてるんだ」
「あとで処分するのか?」
「そうだよ」
「ストライト湖は怪魚がいるのか?」
「いいや。二十年前に大規模に討伐されたのを最後に、全く見てないねぇ」
「また現れたとか?」
中年女性は落胆した様に肩をすくめた。
「いいや。それは怪魚じゃないんだよ。元々食べられる魚だったんだけどねぇ。いつの間にかこんな姿になって、食えなくなっちまったんだ」
「え? 食べられる魚だった?」
信じられない物を見る視線を向けたら、中年女性は「そーなんだよ」と、がっかりしたような声を出した。
「普通の美味しい魚だったんだよ」
聞かなくても伝わる、『食べられなくなって懐に影響がある』と。
「そうか。そうだよな、こんな不気味な姿だったら、食べないよなぁ」
「いやいや? 毒があるから食べられないのさ」
ちょっと意味が理解できず首を傾げると、女性は説明を続けた。
「見た目はグロいけど食べられるかも? と挑戦者が数人居てね。でも中毒で死んじまったから、食べられないって分かったんだ。以後、獲れたらリリースせずに殺して土に埋めてる」
いや、うん、ええと。
「これを、この魚を、食べる?」
醜悪な魚を示しながら半信半疑で聞く。
動揺しすぎて言葉がどもってしまった。
「そうさ。興味本位とか、前も食べられたから多分大丈夫、とか、そんな理由さ」
「これを……」
これを食べるだなんて。いやまずは料理するために、触って切らないといけないだろう?
どんな勇気を絞り出したら触れるんだ!?
目が点になりつつ、ちらっと毒魚を見ると、大人しく水槽を泳いでいた。
小刻みに動くヒレの手がうねうね、尾びれも小さな手がうねうねしている
どう考えても、これに手を出そうとか全然思わない。
「餓えていても、正直、食べたくないなぁ」
サバイバル中に極度の空腹で我慢できず、見た目が悪いモノや怪しい果実を食べて、腹を下したり、のたうち回ったりした経験は、一つや二つじゃない。
それでも見た目はまともだった。
こんなに、見るからに食べると吐きそうなフォルムじゃない。
「なんとか食べられないかと、調理法思案していろいろ試してみたんだけど、中毒症状でたり、亡くなったりしたわ」
「調理法……」
「寄生された部分は、まず綺麗に取って洗浄から、内臓を抜いても、血抜きをしっかりしても、毒消し草をつめても、乾燥させても、何をしてもダメだったわ」
なるほど。理解できない。
手足落としても食いたくないってば! 鱗とフォルムもヤバイ!
あたしが完全にドン引きしている中、中年女性は落胆した様に首を左右に振り、両手を腰に当て残念そうに言葉を続けた。
「高級魚で美味しかったし、良い値段ついたんだけどねぇ~」
これをよく食おうと思ったな、と逆に感心したわ!
「そうか」と頷いて
あれ? 待てよ? と思考が動く。
食べられる魚が急に毒性を持つのなら、環境が変わったってことだよな?
「あの、もしかしてこの毒魚。増えてるってことある?」
そう聞くとすぐに中年女性の顔が曇った。
嫌な予感がする。
「そうなのよ。他の魚も段々毒が混じってしまって、食えなくなってきてるんだわ」
うわぁ! やっぱりそうか!
「湖自体に問題があるのかもしれないって、町長が研究者呼んで、いろいろ調べに来てるんだけど……成果でずだねぇ。今のところ、原因不明だよ」
「大問題だ! そ、それじゃ魚食べられない!?」
あたしの形相がよほど可笑しかったのか、中年女性は「あははははは」と大笑いした。
「そんなに心配しなくても大丈夫。ま一、一部の魚が変わっただけで、旬の魚は沢山獲れているからね! あたしらや料理人が、しっかりとチェックしているから、毒のある魚はだしゃしないよ!」
「そっか。よかった」
折角港町にいるのだから、一匹くらい新鮮な魚を食べたいもんな!
ほっと安堵して胸をなでおろすと
「これだから、女は食い意地が張って嫌になる」
背後から唐突の嫌味がきた。
リヒトが戻ってきたようだ。
「ありがとう、安心した!」
あたしは丁寧に会釈をして、毒魚の水槽から離れる。他にも数人が『毒魚』の貼り紙に惹かれるようにやってきては、各々戦慄の声をあげていた。
それを肩越しに聞きながら、一メートル後ろにいたリヒトに歩み寄る。
半眼で彼を睨みつつ「別にいいだろうが」と、強めの口調で言い放ち、そっぽを向く。
「なんだ。俺の声聞こえたのか」
「耳が良いんでね」
「地獄耳」
「なんとでもいえ。魚なんて滅多に食えないんだ。チャンスがあれば食べたいって、あんたでも思うだろ?」
「おもわねぇ」
「か、かわいくない!」
「うげ。かわいいと思われたら俺死ぬかも」
「勝手に死ね」
軽口を返して、あたしはズンズンと足音を立てて歩き、建物から出る。
とりあえず、何はどうとも魚!
あいつにいくら馬鹿にされようとも、魚を食うんだ!
ズシズシっと足音を立てながら先に行くと、リヒトは「そっちじゃない」とあたしを呼び止めた。
あたしは極めてガラを悪くしながら「あぁ?」と半眼で答えると、リヒトはチョンチョンと横にある店を指差す。
二階建ての土壁の家、宿屋の看板が出ている。水際なので窓から湖が一望できる感じだ。
「宿はここだ。部屋を取って荷物を置いてから、『海上キットテン』っていう店に行くぞ」
「あ、ほんとに近い」
すぐ裏だったみたいだ。
「さっき漁師に聞いたら、この町で一番安くて美味い店は『海上キットテン』だって教えてくれた。衛生面でも安全っぽいし、毒の心配もなさそうだ。食いに行くぞ」
「は? へ?」
災いの情報収集やってんのかと思いきや、美味しい魚料理の店を聞き込みしていたなんて。
あたしは驚きながらリヒトを指し示す。
「ひょっとして、あんたも食べたかったんじゃ?」
「そうだが?」
真顔で頷かれた。
「うわ、さらりと言いやがった! あれだけあたしに食い意地張ってるって言っといて!」
「誰かさんがしきりに『魚』『魚』と、呪いの様に言ってたから黙らせ……」
「あんたも食べたかったんだな! あははは」
指差して笑うと、リヒトは眉を潜めて不快感を表し、さっさと宿の中へ入っていった。
「言えばいいのにー!」
あたしは笑いながら彼の後に続く。
宿屋に荷物を置いて、あたし達は海上キットテンへと足を運んだ。舟をイメージした店で、開店前から少し列が出来ていた。
あたしも並んで待つこと十分。
開店と同時にドッと客が流れ込み、満席状態になる。
店内から美味しい匂いと笑顔と談話が溢れる賑やかさで、これは少々待つかなと思ったが、開店直後とあってか運良く直ぐに二人掛けのテーブル席に座れた。




