その音色は人を掴み⑤
「あたしは……何かを見ていた。それは分かる。だけど、何を見ていたのか……全く覚えていない……」
確実に言えるのは疲労感と焦燥感、あと……愛おしさ。それ以外は全く、何も思い出すことは出来なかった。
「つまりこれは……ボケの始まりなのか?」
リヒトの額に青筋が浮かんだ。
「結論はそこか! そうだな! 始まりだろうなボケめ! 覚えてるなんて全く期待してなかった!」
「そうだろうとも! そこまで怒るか!?」
冗談も通じねぇ!
色々考える事ありそうだけど、呪印ではなく痣が浮かんだ事が気になる。自分では確認できないから余計に気になる。
今もその痣がでていないか鏡でチェックするが、あるのは呪印だ。しかも煌々としていて、盛大な悪口を見ているとげんなりしてきた。
「はぁ……」と、大きなため息を吐くリヒトは、胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出す。ペン音を立てながら何かを書き、それをあたしに寄越した。
「痣はこんな感じだ」
「ふーん?」
複雑なデザインだ。二重丸の紋の中に水滴のような模様を二つ、その水滴にも何か歪な模様が細々と描かれており、凝視すると不意に背筋がゾクっとした。
これが額に……ねぇ。呪印よりはデザインはマシかもしれないが、長時間視界にいれたくない。
リヒトがするっと紙を取り上げ、メモ用紙に挟む。
「あ、ちょっと」
「これは俺が持ってる」
「……まぁいいけど」
釈然としないが、あまり持ちたくないので異議は唱えず、任せることにした。
「完全に災いの仕業だな。反応の弱いオルゴールでも精神に何らかの異常をきたしそうだ。出回れば後々被害が出てくる。早くその店に案内しろ」
「あ! ちょっと待って! ストップ!」
移動するリヒトを慌てて止めると、彼は半眼で見下ろした。
「……なんだよ」
「あと三十分くらい、でいいから待ってくれないか?」
「何で?」
「そりゃ、額当ての紐を補強すんだよ! 額出したまま出ると、とんでもない恥を晒すじゃないか!」
まだ額が熱い。
ってことは呪印が爛々に輝いているはずだ。この姿で外に出ると非常に目立つし、非常に間抜けだ。
リヒトは「ふん」と鼻で笑った。
「俺が恥ずかしいんじゃないから、どーでもいー」
この野郎……。
怒りが芽生えるが、ここは押し殺して、あたしも鼻で「ふん」と笑う。
「ふふん。じゃ、先に行っても良いけどさ。店の位置解ってる? まだ教えてないよね。オルゴール店沢山あるぞ~~~。無駄足踏みまくってみる? あたしは止めないけどな!」
彼は「ぐ」とうめいた。
しばらく迷った挙句、ドカっと椅子に座りなおす。
「十五分で直せ」
ここで待機するのか?
自分の部屋に戻ってくれよ!
っていうか、そうか! 時間管理するつもりだな!?
色々言いたいことがあったが、譲歩してくれて良かったという安堵感の方が大きかったので、「さんきゅー」と軽い返事をして、あたしは急いで額当てを修理した。
あたしはリヒトと共にファンタジックな店の前に到着する。時刻は夕刻前、ギリギリお店が開いている時間だ。
店の外観が見え、そこに近づくにつれ、リヒトの足取りが目に見えて重くなっている。
店先に立ち止まった彼は、一軒家である店を上から下まで眺めたあと、ため息を吐く。
「……お前、本当にここへ入ったのか?」
大汗を浮かべながら、入りたくないという視線を向けてきた。あたしは頷く。
「そうだ。ノリとか勢いがあった」
営業中の看板がドアにかけられていたので中へ入った。チリンチリンとベルが鳴るが、その音に反応し出迎える人はいない。
無人とは、不用心だな。
「こんにちはー」
「……うっわ、すっげ彩色の部屋」
初めて店の中に入ったリヒトは内装の色彩とディスプレイにかなりドン引きし、表情を固くする。
拒絶反応が起こったのか、中に入るのを躊躇い、入り口付近で立ち止まる。
あたしが手招きすると、渋々中に入った。
「……出たい」
「気持ちは解る」
「嘘つけ」
本当だ。と返事したいが、おそらく押し問答になって時間のロスが発生する。無視をしよう。
「さてオルトラはどこだ?」
店の一番奥のレジカウンター、さっきオルゴールを見せてもらった場所まで行くが、彼女はいなかった。
単に留守中、もしくは所用している、とかだと良いのだが。
オルトラの身に何かが起こり始めているのではないかと、心配になってくる。
リヒトは胡散臭そうに辺りを見回し、喉下を軽く押さえながら語尾を強くする。
「弱いが店内から確かに反応がある。潜んでいる」
あたしの呪印も反応はあるが、微弱だ。
「店内に置かれている物ではない……な」
探るように周囲を見まわして、リヒトは肩をすくめた。
「そいつが依代の可能性が高い」
あたしはため息をついて、もう一度店内を一瞥する。
狭い店内に陳列棚が並んでいるが、そこまで高さはない。気配を探ってもここには人の気配がない。
「彼女はいったいどこに? まさか……もう閉店して帰宅してる?」
「だったら営業中の札ださないだろ」
「じゃぁ、買い出し……」
「鍵掛けずに出かけないだろ。それに………。あそこか?」
言いかけた言葉を遮って、リヒトが壁にかけられた赤白の点描カーテンをめくる。
木のドアがあり、『作業部屋、関係者以外立ち入り禁止』の札がある。
客から見えないように隠していた。
「この中から人の反応がある」
うん? あたしは何も感じないが?
ドアノブを捻り、遠慮なく開けようとするので、慌てて止める。
「まてまてまて、勝手に開けて良いのか?」
「知るか。店内に誰も居ないのが悪い」
ドキッパリ言われたので、それもそうかと、あたしは納得する。
「そうだな、開けよう」
「………」
リヒトは気味が悪そうに眉を潜める。
「何でそんな顔であたしを見るんだ?」
「お前の切り返しが早くて気持ち悪い」
「店員探しててドア見つけたから、呼ぼうとしてるだけだろ?」
「そうなんだけどな……」
そっちから言った癖に。
同意すると煮え切らない態度とられた。解せぬ。
「そうだ。あたしが開けようか? 万が一更衣室だったら、あんた捕まるぞ」
「………………」
リヒトは唖然としながら、ドアノブから手を離し「開けろよ」と促し後退した。
だから。なんでそんな顔であたしを見るんだ?
「うるせぇ、早く開けろよ」
「うるせぇ開けるわ」
何も言ってないんだけどな。と思いながら、まずはドアをノックする。返事がなかったのでドアノブを回して扉を押した。
隙間が出来た途端。
金楽器の大音響の音がドアから染みだし、体に振動が降れた。
その瞬間、
「「!!」」
一気に額が熱くなるのを感じる。
間違いない、この部屋に魔王が巣くっている。
~~~~♪
いやこれ、騒音を越えて、爆音に近いレベルだろ?
なんで外には全く音が漏れていなかった?
綺麗な音も、爆音レベルになれば喧しいなぁ!
防音設備があると思えない、壁の薄さに戸惑いながら、耳を押さえたいのを我慢しつつ、あたしは足を踏み入れる。
「~~~♪」
その部屋は、四方を棚に囲まれ、様々な部品が置かれていたが、真っ先に目についたのは、作業台の上に置かれている作りかけのオルゴールだ。
オルトラはというと、作業台の前に座りオルゴールの外枠を組み立てていた。その数ざっと二十個。手のひらサイズで、八角形の形にレースの模様が刻まれている。
視線の先にオルトラがいるのに彼女の存在が希薄だ。人間というよりも別のなにかになっている。
「~~~♪」
組み立てつつ歌を口ずさんでいるようだ。
彼女の歌は小さく微かで耳を澄ませると聞こえる程度。
まぁ、それだけなら、完成品の音の確認をしていると思えるんだが。
問題は、彼女の口から黒い靄が噴き出ていることと。
黒い靄がシリンダーに注がれ、油を塗った様に黒光りを放ちながら動いている。
シリンダーの黒色が外側まで広がり、黒光りになったオルゴールからフシュフシュと黒い湯気が登っている。更に、独りでにコームを持ちあげ弾き、曲を鳴らし黒い靄を吐き散らかす。
作業台の上はさながら、水に入れた沢山のドライアイスを置いているような光景だった。
ホラーじゃん。
これは『魔王オルゴール』だな。
あたし達は丁度、魔王オルゴールを量産しているタイミングで、部屋に突撃したようだ。
うーん。悔しいことにメロディーは滅茶苦茶綺麗なんだよなぁ。魅了とかの効果があるのかなぁ?
荷物になるからと購入を断念していたあたしでも、うっかり購入したいと思うほど。
でもこの小さなオルゴールに詰まった音は、心を掴み離さない危険な品だ。
これが出回って人々を魅了したなら、どんな事件が起こるのだろうかと、少し興味が湧いてくる。
まぁ、とっとと片づけるけど。
文章改正しました20221130
オルトーラをオルトラに変更しました。




