蜜の香り漂う宴③
【さぁて、賊め。覚悟せよ】
項垂れそうな頭を無理矢理上に向けると、真上に魔王が見える。ぼんやりと眺める。
【ははは!】
かまぼこの目なのに笑って居なかった。瞋恚の瞳で見据えられている。
【ははは!】
憤怒の形相のまま、しかし声は弾むように
【この高貴な香りを吸えて幸運だと思え。悲運に気づくことなく、後悔しながら逝くが良い。花の糧として、有機肥料として活用してやる】
「農業か!」
ツッコミしたら意識が少し戻った。
今は魔王と戦ってんだよ。しっかりしろあたし!
<シルフィードよ。この場に新たな息吹を与えよ>
ザザザザッヒュー!
木々の隙間を縫って突風が吹いた。
力が入らないので思わずこける。
慌てて起き上がると、辺りに充満していた甘ったるい匂いが風に運ばれ一瞬で消えた。
【な! 花の香りが!?】
「え!?」
あたしも魔王も驚いた。
【花、花がああああああっ】
魔王は狼狽してあたしを放置し、緑色の花へ高速で這い寄る。
腐敗臭は消えると、思考がクリアになっていく。肺にたまった匂いを吐きだすように大きく、何度も咳き込む。
「げふ、においで、しぬかと思った」
『あたし』が戻ってきた。
匂いの支配から解放され、自分の意志でゆっくり立ち上がる。
まだ膝に力が入っていないが今が好機。魔王へ向かって刀を構え直し、攻撃を続けようとするが
「下がってろ」
「?」
強めに言われたので思わずリヒトに視線を向ける。彼は魔王を鋭く睨んだまま、静かに音色を響かせる。
<シルフィードよ! 爆風の刃と化せ!>
ゴウォォォ!
リヒトを中心として風が渦を巻き、竜巻並みの暴風が発生。
木々をなぎ倒しそうなほど揺らしている風の塊があたしの真上を通り過ぎて、花と魔王を切り裂いた。
パッと見て、プロペラの回転に巻き込まれてミンチになった感じ。
【ギャァァァァア!】
首から上、胴体、足と、体を細切れにされた魔王は地面にドサリと落ちる。呪印が破壊され魔王の輪郭が徐々に薄まる。
魔王が大切にしていた花も全て細かく切られ、ドサリ、ドサリと地面に落下し中身をまき散らした。
風の影響か、こちらに飛び散ることはなく、竜巻の中心範囲内でとどまっていた。
「チッ、一度じゃ抑えきれないか」
リヒトがもう一度暴風を発生させ、匂いをかき消した。
すっかり森の匂いになり、花たちが全て消えていくのを薄目で見つめながら、魔王は残っている花を握り絞める。
【この花を、姫に愛でてもらうはずだったのに】
サラサラと存在が消え始めているが、抗うことはしなかった。そんな侘しい姿の魔王に頭を抱える。
「ってかさ、同じ女として思うけど、これあげたら完全に嫌われるぞ」
リヒトも頷く。
「こんな不気味な花を欲しがる輩がいるわけないだろう。もう一度、花を選びなおしてこい。『リヒト』」
魔王は一瞬、ほんの一瞬だけ白い目の部分を丸くするが、すぐ目を吊り上げる。
【いいや、我にはこれが必要だ。必要だった、よくも、よくも、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎いにくいにくい】
呪いの言葉を放ちながら、魔王は自ら育てた花びらと共に霧散した。
あたしは大きく息を吸った。
「ああ! 空気が美味しい!」
心なしか森が明るくなって、今なら森林浴が出来そうな気がする。
気がするだけで、実際はジメジメした空気はこの森特有のもので、さっさと森を抜けて水浴びをしたいのが正直なところだ。
マスクは吐しゃ物により使えなくなってしまったが仕方ない。
これが無ければ鼻と喉の奥まで入りこまれて窒息していたか、完全に気絶していただろう。
最小限のダメージで済んだから良かった。
もう使う気がないのでここに捨てる。
「はぁ、嗅覚が良すぎたことが致命的だったとは……」
いつもなら役に立つ機能なのに、今回は泣きたい。
新しい手ぬぐいに若干水を湿らせ、口周りを丁寧に拭いた。少し距離をあけて立っているリヒトが肩をすくめる。
「ほんとにな。花の特性を考えたら、花そのもの、魔王そのものが匂い袋とか考えなかったのか? 不用心に何でもかんでも切ればいいってものじゃないぞ」
「う……」
冷静に面責してきた。
多少なりとも言い返したかったが、今回はリヒトに助けられたので止めておく。油断はしていなかったが相性が悪すぎた気がする。
「相性が悪すぎたのは否めないが、それでもあの体たらくはないだろ。もっと考えろ馬鹿め」
無言になっていたら、辛辣な言葉遣いがきた。反論できない。
「くそ、今回は好きなだけ言わせてやるよ」
観念してそっぽを向きながら歩き始める。
リヒトは「やれやれ」とため息をつくが、それ以上なじらなかった。
拍子抜けしながら、ムシムシジメジメした森を進む。
やや間を開けて、リヒトが口を開いた。
「確認するけど。お前、戦っている時は何を考えていた?」
「あー、えー?」
そういえば、あたしは何を考えて戦っていたのだろう。
立ち止まり、首を捻りながら思い出そうとする。
「魔王を倒さないと匂いが消えないから、追わなきゃ」
「追う? 倒そうとは思わなかったのか?」
「ええと」
あたしは霧がかった思考を思い出そうとする。
「最初に攻撃した時は倒そうと思っていた。けども、匂いが強くなるにつれて、動くのをやめれば動けなくなる、だから追わなきゃいけない、みたいな感じになった」
あたしの中に、もう一人のあたしが居た。
何もかも諦めてどうでもいいと思っていた。
「ふぅん。それが今回の魔王の特徴って事か」
リヒトは考え事をするように視線をそらしたが、数秒で視線を戻す。
「だからお前、鬼ごっこみたいな動きになってたんだな」
「はぁ?」
「鬼ごっこ。最初、弱すぎるから遊んでるのかと思ったぞ」
「はぁ!?」
リヒトの嘲笑にあたしは驚愕して顔色を変えてしまう。
「んなわけないじゃん! 真面目に倒そうと思って動いてたんだぞ!?」
「記録に残しておきたったな。あの間抜けな追いかけっこ」
「あああああああああああ!」
あんまり覚えてないけど、そうかもしれない。
リヒトの言う通りかもしれない。
あたしは羞恥心から赤面してしまう。村でやらかしたら死ぬまで揶揄われる案件である。
「うううう…………」
あたしは凹んでしまったが、リヒトは興味ないらしく視線をそらした。
「さて。今回分かったのは、呪印は万全の体調の時にしか上手く感知出来ないってことか。術中にはまった時は、あえて弱点を狙わない攻撃方法になる、っと」
メモ帳を取り出して経緯を記録し、ぱたんと閉じて、懐に仕舞う。
「間抜けな奴が色々やってくれるから、データが取りやすいな」
皮肉!
「畜生! 調子が悪いときは今度から頭から真っ直ぐに刀を振り下ろしてみる。そうすれば、どっちかに刃が届くだろうよ!」
大人しく縦一文字で切らせてくれないだろうけど、そう決めておく。
失敗は誰にでもあるから、今後同じ失敗をしないよう心得ておこう。反省終わり!
気を取り直して、今度はあたしから質問をする。
「あんたは、風を使って匂いを吹き飛ばしたけど? 緑の粉は何?」
「なんだ。グロッキーだったから気づいてないと思っていたが」
「考えられなくても見たことは記憶してる」
「ふぅん。……花の正体は匂いの塊、なら、風の塊を当てて吹き飛ばせば力が落ちるかと思ってさ。粉は……まぁ、簡単に言ったら匂い消しみたいなもんだよ」
「ふーん」
納得して頷いた。そんなあたしにリヒトは意地悪そうにニヤリと口元だけ笑みを浮かべる。この表情の後は皮肉を言うに決まっているので内心警戒した。
「匂いに毒の成分が含まれてなくて命拾いしたな」
「案定の皮肉! ふーんだ! 毒が含まれていた方があたしには…………」
あたしは言いかけた言葉を飲みこんで、反論を止めた。
「…………」
カリカリと頭を掻いて思い浮かべそうになった事を心から消す。
「?」
リヒトは首を傾げながらあたしを見る。途中で言葉が切れたのがよほど不思議らしい。
「毒が含まれていたら……?」
やっぱり聞いてきた。そう心で呟いて、あたしは「ふふん」とバカにしたように笑った。
「そしたらあんたもヤバかったな!」
「はん! 風でかき消すさ!」
「どうだか。気づいた時にはすでに……ってオチかもよ?」
小馬鹿にして肩を竦めると、リヒトは眉間に皺を寄せながら言い返してきた。あたしも負けずに言い返す。
森に怒鳴りあいが木霊するが、それは周囲が平和になった証拠でもあった。




