蜜の香り漂う宴②
木の上を凝視すると違和感を覚える。
「なんだあれ!?」
沢山の脇枝にびっしり緑色の妙な形がある。葉っぱに擬態しているが、葉っぱではない。
その形は、真っ直ぐに伸びた棒状のものが一枚の花弁に包まれているような形状で、その花弁を囲うように二枚の花弁がさらに覆っている。
「仏炎苞に囲まれている、あれは花だ」
リヒトが上を見上げて言葉を出した。
「殆ど葉っぱと同じ色で判別しにくいなぁ」
真ん中の花弁がぶつぶつした黄土色なので、そこら辺が葉っぱとは形が違うので、見慣れば判別は可能だ。
しかし判別出来ると別の問題も……直径一センチくらいの花が鈴なりについて結構不気味だ。木に粉瘤が出来ているような印象になる。
多分、先ほどまでこんな木々はなかった。
試しに花が密集している木の方に近づいてみると、頭がクラリと重くなる。
「間違いない! これだ!」
距離を取ってから、あたしは息を止めて一気に駆け出し、木の側面をタン・タンと平行に駆け上がる。
花の近くまで行くと勢いがなくなり落下し始めるが、ここまでくれば十分刃が届く。
浮遊感が来る前に枝を数本切り離し、一回転して地面に着地。
花が付いた枝も後からグチャリと落ちた。
見た目よりも重量があったみたいで、軽い音ではなく、結構重い音がした。
「うっわ」
落として後悔した。
ひらひらと優雅に花弁を散らせるのではなく、熟れすぎて腐りかけの果実が勢いよく床に飛び散ったような惨状になっている。
沢山の匂い袋……液体が入っているので水袋か……をあたりにまき散らした。匂いのキツさが二段階上がった気がする。
「匂いキッツ! 落すんじゃなかった! あああ、頭痛てぇ!」
あたしは悶絶しながら鼻を押えて涙を浮かべる。過剰なくらい潰れた花と距離を取っていると、リヒトが呆れながらあたしと木と花を眺めた。
「どんな筋力してんだお前は」
「あれくらい里の者なら殆ど出来る」
答えると、リヒトは驚いた。
何か変なこと言ったか? と首を傾げる。
「ああ、言ったさ。普通出来ないぞ。木を平行に登るなんて……っつ!?」
急にリヒトは胸を押えた。
すぐに顔を上げて、あたしに変化がないことに戸惑う。
「おい。額、熱くならないのか?」
「……頭が痛すぎて、あと、なんかどうでもよくって、正直、匂いの不快感以外なーんにも感じなくなってきてる。魔王でも出てくる気配あり?」
「額当て少しずらしてみろ」
言われた通り少しだけ浮かせてみる。
「呪印はしっかり浮かんでいるな。ってことは、意識が別の場所に半分いってるってことか。元に戻して良いぞ」
言われた通り元に戻す。
あたしの様子にリヒトが困惑した様に動きを止めたが、すぐに辺りを警戒する。
彼の行動倣ってあたしも警戒しなければならないが、今は意識を保つので精一杯だ。
思考能力が低下している事に危機感を持っているはずなのに、どれら全てどうでもいいか。と、投げやりな気分が強くなる。
冷静な判断ちょっと無理だなーと、戦闘前だというのに呑気に鼻歌を歌いだして。
自分でも明らかにおかしいと思う。
「やばい。やばい。やばい。おかしいぞあたし」
あたしが脂汗を浮かべながら、残っている理性でやけくそ気味に笑うと、リヒトは眉を潜めた。
「思ったより、この匂いは厄介だな」
今更かよ……物凄く厄介なんだぞこれ!
そう文句を言いたかったが
【花が一つ落ちた】
第三者の声が響いて口をとじる。
あー、この声は魔王だ。
ってことは、倒せばこの匂いも止まるし、この妙な感覚も治るだろう。これは退治するしかない。
あたしは気合を入れ直して、無関心を追いやる。
「どこにいる?」
刀身を構えて探る。気合を入れたことが功を相したか、なんとなく気配が感じ取れる。
上……。前方斜め上の木の上だ。
【誰だ、落としたのは?】
花弁の中から黒い顔が雫のように流れ落ち、雨粒のように落下して地面に人型で降り立った。もにょんと水滴の音がしそうな程ふよふよして芯がない。
気持ち悪い。もっとまともに登場しろよ。
あたしが嫌悪感で呻いていると、周囲の腐敗臭が強くなった。魔王自身から、甘ったるい腐った匂いが発生し、あたりの空気が汚染されて酸素量が減っている気がする。
いい加減にしてくれ、本気で理性飛びそうだ!
「っ!」
ヤバ、視界が少し霞んできた。
【お前達、姫に刺す花を落としたな?】
魔王は白いカマボコ目をもっと細くして、あたし達に視線を向ける。瞬間背筋がゾクっとした。これは憎悪の念だ。
【折角、姫に届ける最高のレクイエムだったのに!】
「こんな頭が痛くなるような匂いを届けてどうする! レクイエムってタイトルも最悪だぞ! この花にはぴったりだけどな! ネーミングセンスないにもほどがある!」
リヒトも言葉を付け加える。
「花も緑色だと目立たないな。全く華がない」
あたしは刀を構えつつ、魔王は目を少し丸くしつつ、リヒトに視線を向ける。
「……洒落かそれ?」
「意味はちゃんとある」
真顔で言ったのでそれ以上言う気にはなれず、気を取り直す。
花を愚弄された魔王は怒りに体を振るわせ、それが連動して頭上にある花たちも振動した。ブルブルブルと水袋が揺れるような音が周囲に木霊する。
【我が育てた花を愚弄するか! 良かろう。愚民なるお前達にもこの香りをたっぷり嗅がせてやろう! 光栄に思って死ぬがいい!】
「思うかぁぁぁぁぁ!」
あたしは一気に魔王に駆け寄ると、額から袈裟切りに頭半分と右肩を切り裂き、二当分した。だが魔王は平然とバカにしたように笑う。
【効かぬ!】
「な!? シマッタ! 外した!」
「アホか! それは『リヒト』だ! 胸の位置を切らないと無駄だ!」
そしてよく見れば、切った額の呪印の場所も少しずれているのでノーダメージだろう。初歩的というか
「ああもう! 渾身のミス!」
叫びながらもう一度攻撃をしようとするが、魔王は黒い体を液体に変えて滑るように地面を高速で這いながら後方へ移動し、あたしとの距離を取る。
這った後にぬめっとした液体が残り、そこから腐敗臭がゆらっと浮き上がった。空気が汚染されていく。
「ってうわ! 滑る!」
這って濡れた地面は、雨上がりの芝生のように足元が滑りやすい。
「ナメクジかこいつ!」
【どうした。手も足も出ないか】
魔王は顎を下にして両手を体に引っ付けて足をピッタリ閉じ、蛇のようにぐねぐね凄いスピードで動いている。
台詞はかっこいいのに、かっこわるいな。
「んあーー当たらない!」
移動を読んで、狙って、刀を突き刺したり風圧で切ろうとするのだが当たらない。かすったり、弱点以外に当たってもノーダメージだ。
「もう、これ、疲れる!」
ぬるぬるした魔王は地面の至る所を這いまわして、滑りやすい液体をこれでもかと散布していく。
無色だから気づきにくいし、冗談抜きで滑りやすいので、あたしの機動力が奪われてしまう。
集中力が切れているのも関わらず、あたしは無様に転んだり追いかけっこしている。
なんか、なんでだろう。なんでこんなことを。
遠くから何か音がする。あれはなんだろう。
ええと、違う。今は魔王を追わないといけない。
止まれば、動くことをやめれば。
なんか、ヤバイ。
「おい! 一度その場から離れろ!」
リヒトが何度か呼びかけ、すぐに止めた。
「って、聞こえてねぇなアレ。完全に術中にはまってやがる。まずは匂いからなんとかしないとダメか」
やや焦りを含ませながら呟いているが、本人は気づいていない。すぐにバックから緑色の粉を出して、辺りにばら撒く。
「さて、これが効くといいんだけどな」
その声が聞こえない。
魔王の体を傷を付ければつけるほど匂いがきつくなり、這いまわる姿を目で追う事が困難になった。
何かおかしい。
自分の動きが、思考が、なにかおかしい。
違和感を強く覚え、あたしは一度体勢と脳味噌を切り替えようと魔王と距離をとるのだが、動く本体にばかり気を取られて、切り落とした欠片を注意していなかった。
【愚か者め! 掛かったな!】
「わ!?」
切り落とした魔王の一部があたしの顔面に飛んできた。
反射的に小手に潜ませている短刀で切り裂くと。
パン!
割れた風船のように破裂して液体が飛びだす。今回は思いっきり頭や顔に浴びた。
「ぎゃーーーー!」
あたしにしては珍しく、思いっきり悲鳴を上げた。自分の耳に入ってくる自分の声に凄く違和感がある。あたしはあんまり悲鳴をあげないはずだ。
液体は常温だった。強力な酸や溶解液とかじゃなくて助かったが、強烈な甘ったるさと腐臭が嗅覚を刺激というか、攻撃してくる。
あら塩をゴシゴシと脳味噌に練り込まれているみたいだ。頭痛と吐き気が凄まじい。
ううう。匂いの暴力に為すすべなし。
「げっ、げふ」
意識と体が一瞬マヒし、あたしはその場にガクッと膝をついた。
毒はないみたいだが、毒があったほうが逆に良かった気がする。
「うっ、かはっ」
胃液が逆流して口から溢れだす。腐敗臭と吐瀉物の匂いで呼吸困難になった。倒れ込みそうになるが、刀を支えにして辛うじて体勢を維持する。
このまま座っているとやばい。やばい……。
何がやばいっけ。
頭の大部分が痺れて、今、あたしは何をしていたのか分からなくなってしまった。
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