モグラ穴はあちらこちらに⑤
簡単な入浴を済ませてスッキリしたので、ついでにアンジャに空腹を訴えるとパンとミルクを頂いた。
黙秘による迷惑料としては破格の値段だと思う。
さて、村人の安否確認に向かった村長が戻る前に、リヒトに確認しておこう。
彼もパンを食べている。咀嚼がひと段落したタイミングで声をかけた。
「まさかとは思うけど、ハーブ茶飲んだら襲われるって分かってた?」
それならちょっと軽く絞めないといけないと思っていたが、リヒトは首を左右に振った。
「いいや、残念ながらそこまでは。ただ、落ちた時に何かがいて、あの茶と似た匂いがしたから、飲みたくなかっただけだ」
先ほどの襲撃で、襲われていたのはあたし一人。彼は傍に居ても何もされていない。
つまりハーブ茶の匂いに反応して襲ってくると思ってよさそうだ。
「むぅ。結果的にはハーブ茶を飲まなかったら、襲われないって分かったけど。……って、ちょっと待て。何かって、あの腕の事? 初めに落ちた時にすでに接触したのか!?」
「そうだが?」
きょとんとしながら肯定した。
「言えよ!」
「暗かったし、蠢ている物、としか認識できなかったから、言わなかった。反射的に火で対応したらすぐ逃げてったから、印の反応に気づかなかった」
「あ、そう」
あの時の赤い色、あれは火の色だったんだ。
火で追い払えるのは分かっていたから、穴に火を投げ込んだってことか。
「じゃ、その火は一体どっから出したの? 暗いならすぐにマッチ出せないだろうし、そもそもマッチ程度の火じゃ退散しないでしょ」
素朴な疑問を投げかけたらリヒトは肩をすくめる。
「企業秘密。まぁ、これから使うから、すぐにタネが分かるだろうがな。どうせ、お前は使えないし」
「ふーん。だけど火がいつでも起こせるとなると便利。焚き火とかに重宝しそう」
「そんなくだらない事には使わない」
リヒトは嫌そうに視線をそらした。
アンジャが戻ってきて、村人全員の安否が確認された。
穴に落ちていた遺体は旅人だろう、と仮定され、騒ぎが収まるまで、そのままにすることにしたらしい。
埋葬は穴から引っ張り出さず、上から土を被せる案が濃厚のようだ。
皮剥がされているし、腐乱しているから、妥当な手だと思う。
もしかしたら、遺品だけ回収するかもしれないけど、あたしがやるわけではないので、どうでもいいや。
さて、穴の中にいた魔王の言葉をアンジャに伝えると、その泉は村の水源だと説明を受けた。
行きたいと伝えたら場所を教えてくれたが、なぜそこを知っているのか? と、アンジャは不思議そうに首を傾げる。
そこがワームの住処になっているかもしれない、と嘘八百を吐いてそれっぽい理由を作ると、なるほどと納得してくれた。
黒い手はワームの妖獣ってことにしといた。
『災いが起こっている』と告げると、混乱が生じて村が廃墟と化すので、知らせるのは最終手段だ。というリヒトの提案に乗った。
さて、目的地が近づいたので回想終わり。
丈の長い草を手で避けると、突然広い視野が出てきた。
中央に透き通る泉が湧き出ている。
相当深いようだが底まで難なく見えるほど、透明度は最高だ。
これが村の水源となっている。
陽の光に輝く、透明な水面に自分の顔を映しながら、アンジャから聞いた悲壮話を思い出した。
「この湧き水の中で人がねぇ」
アンジャは語った。
娘は寂れる村を救いたいとハーブの育成に力を注いだ。
娘には将来を約束した相手がおり仲睦まじく日々過ごしていた。
十年の歳月ののち成果が実り、理想のハーブが完成しお茶を創る。
特産品として村を盛り上げられる! 少しでも栄える事が出来る!と喜びの絶頂だったが、
間もなく娘の体は病に侵され、あっという間にこの世を去った。
残されたのは夫婦となった男。
男は娘の死が受け入れられず、頭を病み、亡き娘を探して彷徨っていた。
ついに何日も姿が見えなくなり皆で探したら……
「この泉の中に沈んでいた。どっかの話に出てきそうなオチだな」
「そこを動くな」
「ん?」
バシャ。
リヒトは濃いピンク色の液体の入った小瓶の蓋を開け、あろうことかあたしにぶっかけた。
「おい」
防水の靴だからまだ許せるものを、しみ込むタイプの靴だったら本気で蹴り上げてやるところだ。
「囮がいるだろ。お前にぴったりだ」
せせら笑っている姿を見て殴りたくなるが、今は我慢だ。
「自分にかけろ」
「俺は素早さあんまりないから。お前が適任だ」
「確かに、あんたは鈍くさい」
煽ってみたが、リヒトは揶揄を無視して、辺りを警戒する。
まぁ。遊ばないほうが良いか。
「男が死んだのが一週間前。そのころから穴が出来始めた、と言っていた」
「そうだな。死ぬ間際に憑かれたのか、死んでから憑かれたのか……ああ、きたぞ」
リヒトの言葉と同時に、あたしの額が熱くなる。
「さぁて。どこからくるのやら」
あたしが刀身を構えると、足元の地面がひび割れていく。透明だった泉が沸騰したように、ぶくぶくと泡立つ。
「毎度毎度思うけど、こう熱くならなくて良いと思わない? 一瞬の隙をつかれそう」
「同感だ。集中しづらい」
軽く胸を押えていた手を懐にもっていって、何かを取り出すリヒト。
気になるが、戦闘時に敵から視線を外すのはマズイので、ぐっと堪える。
凶悪なる魔王は強大だ、油断すれば簡単に命を持っていかれる。
「きた!」
泉の底の方から、黒い渦が発生した。
バジャ!
水しぶきをあげて、黒い腕の束が何本も、空へ向かって伸びてきた。
【ここに! ここに居るのかい! 我の愛しい姫よ! 待っていた!】
黒い腕の間から、人の姿が浮き出てくる。
白いカマボコの目に、白い逆かまぼこの口。前回と違うのは裸の男性の皮を被っているという点だ。
皮のあちこちが破けて、黒い手指がバラバラに動いている。
本来あるべき股間のブツがなくて助かるが、手指が蠢く股間はかなり不気味だ。
一般人が見れば絶叫するか、通報されるかの変態姿だが、見た目で判断してはいけない。あれは魔王だ。
皮を被っている意味が分からない。と、リヒトが呆れた様に呟いていた。
【姫よ! そこにいるな!】
何本かの腕が、軟体動物のように滑らかに動き、本体と思われる塊部分を、水面から陸地へと移動させる。
その度に水しぶきが舞って、あたし達はもうずぶ濡れである。冷たいから止めてほしい。
「わぁ。思ったよりもデカイ……」
一見すると、イソギンチャクのような出で立ち。
縦横の直径5メートル越えの、巨大不気味生物と化していた。
腕も人間の背より一回り大きい。動いてるだけで風圧がくる。
リヒトは見上げながら、中央を示す。
「だが、本体の大きさは俺達と同じくらいだ」
「まぁ、人の皮を被れるくらいだから……うん、人間サイズだね」
本体はイソギンチャクの中央、腕や手がガッチリガードしている部分だ。
切り刻む方がいいのかなと、攻撃手段を思案していると、「腕が邪魔だ」と言い、チラリとあたしを見るリヒト。
あたしは読心術なんてない。だけど、彼が何を言いたいのか、すぐに分かった。
「触手を切って本体出せってことか? 刀でも一応切れるけど、おそらくすぐに元通りになるぞ」
リヒトは「ふっ」と鼻で笑うと、人事のように気楽に言った。
「健闘を祈ってやる」
「チ、勝手に祈ってろ!」
魔王の体が完全に泉から出た。
狙うは芯の露出。
あたしは魔王に向かって駆け出した。




