モグラ穴はあちらこちらに④
玄関から庭を通り、道に出る。
どこかに潜んでいるので、ひとつひとつ、慎重に穴を覗きながら、おかしな点がないか確認した。
歩きにくい……っていうか、さっきよりも穴増えてない?
さきほど覗いた窓まで戻り、数を確認したが、やっぱり数個多い。
土が沈む音や振動はしなかった。自然に消滅して穴があいたと思わざるを得ない。
庭から道に戻ろうとして地面を踏むと、胸騒ぎがした。
抜刀し警戒する。
西の方向から一直線に、こちらに迫ってきている。
あたしは一際強く気配を感じた穴の近くに立つ。
「ここから出てくる可能性が高い」
いくつか覗いて、傾斜は様々な事がわかった。立っている穴は傾斜が40度くらい。まぁまぁ斜めだ。 底が見えないくらい深いので、灯欲しさに火でも投げ入れたい気分だ。
「あの……」
呼びかけられ、顔をあげると、困惑している村人と目が合った。
「もしかして、何か来る?」
「おそらく」
「大変だ!!」
村人は真っ青になって「おおーい! みんな! 家の中に入れええええ!」と叫び、周囲に知らせながら、道の脇に置かれている石の上を走った。
それを聞いた村人が作業そっちのけで、急いで家に戻る姿があちらこちらで確認できる。
気になることがある。
地面を直接歩いている村人がほとんどいない。
道や家の傍に置いてある踏み石を渡り、極力地面を踏まない様にしている。
今、地面に足を付けて歩いているのはあたしだけだ。
きっと大事な事を教えてもらってない。
とはいえ、今更聞きに行く時間はない。
周りの匂いが変わった。
奇妙な匂いが、穴の中から漂い始めた。
煮込み過ぎたイチゴジャムが炎天下で腐ったような、臭いようでそれでいて、若干心地よいような甘い匂い。
それが鼻腔から脳に向けて通り抜けた。
鼻を覆うほど強い匂いではないものの、集中するにはすこし邪魔だった。
「……あつ!?」
突然、額が熱くなる。
驚いて額を押さえると、リヒトが玄関から表に飛び出してきた。
彼はしかめっ面をしながら、胸の部分を押えている。
険しい表情のままあたしの足元の穴を睨み、鋭く叫んだ。
「足元! 出てくるぞ!」
「え? ……おおっとおおお!?」
地面がひび割れた。
ジャンプしてその場を回避したら、亀裂から黒い腕が土を割って生えてきた。
どう見ても人間の腕だ。
右手も左手もあるが、地面から伸びる腕はざっと30対。
それがうねうね動いている。
うん、これは気持ち悪い。
アンジャが言うのを躊躇うわけだ。
「なんだこれ。醜悪だなぁ」
間一髪。足を掴まれることなく地面に降り立つ。
獲物を捕らえ損ねたと感じたのか、手の塊が引っ込む。
周りを見渡すと、視野に入るほとんどの穴から、腕の触手がうねうねしている。液体のように四方に溢れ、一本一本が掴もうと指をワキワキ動かしている。
足元の地面がひび割れたのでジャンプで回避した。目がどこにあるんだと思えるほど、正確にあたしの位置を捉えている。
腕の束が地面に出てくるたびに、穴が増え続ける。
こんなのが地下にいると思えば、土をかける気力もなくなるわけだ。
妙に納得して、次の手を考える。
どうもこの腕の束、本体ではなく末端のようだ。手ごたえがない。刀で凪ぎ払うと腕は霧散するが、すぐに元の形へと戻る。本体にダメージを与えないとイタチごっこのままだろう。
問題は、どうやって本体を引っ張り出すかだ。
腕を斬っていけばいずれ出てくるかもしれないし、腕を斬ってもダメージがないからずっと出てくるかもしれない。
「どうしようかなぁ」
おそらく本体は土の中だと推測できる。が、この状態で穴に入って行くのは無理だ。四方を掴まれて動けなくなったら終わる。
もうすこし情報が欲しい。
あたしは足元の腕を回避して、着地する。
ボコオ!
地面に足を着いた瞬間、地面が急に割れて片足が埋まった。見た目は変わってなかったので気づかなかったが、落とし穴もまぎれていたらしい。
「最悪! うっ!?」
急いで足を抜こうとしたが、地面に突っ込んだ足を下から掴まれた。
一つに捕まると数秒で20も30も手が絡みついて来る。腕の束の勢いで土が宙を舞った。
あたしは底へ引っ張られ、垂直落下の速度で落とされていく。
すぐに刀を地面に刺し、支えにするが。
「わわわわ―――――!?」
思った以上に引き込む力が強くて、手が滑って柄を話してしまった。
「やっちまったぁぁぁ!?」
叫びながら、すぐに懐に忍ばせている短刀を抜き、穴の側面に差し込むとなんとか落下が止まる。
「……ふう」
手に足と腰が掴まれているが、抵抗する力と拮抗した。現段階で、これ以上落ちることはない。
ゆっくり息を吐いて上を見上げる。
あーあ。あんなに空が小さい。
これからどうしようかな。
「とりあえず、穴から脱出。だよなー」
真っ暗で何もわからないが、傾斜があるので力を入れやすい。しかし、ここから登るには、一瞬でも腕が力を弱めない限り、困難だ。
あたしの習得している技は土の中だと、……生き埋めになるなぁ。
自力で登るしかなさそうだ。
腕を足で蹴りながら、数を減らそうと努力してみる。落そうとすればするほど、腕の数が増えたので止めた。
うーん、マズイな。
いっそのこと、本体まで引きずられた方が、攻撃できるチャンスができるかもしれない。
でも、どこまで引きずられるか分からない上、もしも逃げ場がなければ自殺と同じだ。今は特攻する気分ではない。
ならば。粘って、業を煮やした相手がここに来るのが、一番いい案だろう。
長期戦上等!
腹を括った矢先に、底から声が響いた。
【いつもつけている香り、良い匂いだ】
ぞわっと全身に鳥肌が立った。
怖いではなく、不気味さに鳥肌が立つ。
腕とは違った感触が、滅茶苦茶ゆっくりと、足元からよじ登られている。
「……ひぇ」
思わず変な声が出た。
額が激しい熱を帯びる。狙い通りきた。正体はやはり魔王だ。
でも気持ち悪そうだから、確認したくないなぁ。
あたしは意を決して、そぉ~っと下を覗く。
何かがあたしの体をよじ登り、這い上がってくるのがわかる。手ではない。生き物の胴体だけのような。ぬめっとした感触が、ゆっくりと体を這ってくる。闇と同化したそれは、かまぼこ目と薄い口を赤く浮きあがらせていた。
完全ホラー登場シーンなんだけど!
超、怖ええええ!
あたしの内なる悲鳴を知る由もない魔王は、這いずりあがって腰に手を伸ばした。
柔らかいナマコみたいな感触!
気持ち悪い!!
これ以上、登ってくるのは勘弁願いたい!
名案が浮かばず、どうやって引きはがそうか悩んでいると、「おい!」と頭上から声が響いた。
上を見上げると、手のひらいサイズの円から、水色を背景に黒い影が覗き込んでいる。
「なんだ、生きてるか」
明らかにテンションが下がった声だ。
「残念そうに言うな! 人でなしが!」
「元気そうだな。こっちからは真っ暗で見えにくいんだが、今どうなってる?」
リヒトは冷静に呼びかけてきたので、冷静に答える。
「魔王でてきたぞ。人の体にまとわりついているナマコみたいだけど、間違いなく魔王だ!」
「へ~~~~え」
リヒトは涼しい顔をしながら一笑、そのあとで冷笑を浮かべた。
「助けて欲しいか?」
【その香り。いつも君がつけていた我の好きな香り】
リヒトの声に覆いかぶさるように、魔王が言葉を出す。
「当たり前だ! 激気持ち悪いんだから!」
にやり、とリヒトがほくそ笑むのが見えた。
なんだかどっかのパターンを思い出す。
「助けてください、お願いしますって言ったら。その張り付いてる物、何とかしてやろう」
「はぁ!? こんな危機的状況で何言ってんだ」
【我がいつも畑で摘んできて、君にお茶を入れてもらったね】
わたしの声にセリフ被せるんじゃない!
「じゃ、引きずられて地下探検に行ってこい。生きて戻れるか保障は出来ないがな!」
【姫の体は柔らかい。とても心地よい】
「ぐっはああ! この人でなしめええええ!」
【迎えに来てあげたよ。さぁ、私と一緒に……】
魔王の声がめちゃくちゃ被ってくるが、そこはもう無視だ。
畜生! 背に腹は変えられん!
あたしはギリギリと奥歯を噛みながら、大声で叫んだ。
「『タスケテクダサイ! オネガイシマス!』。言ったぞ!」
「感情こもってないが、まぁいいか。今から火を入れるから、息止めとけよ。肺が焼かれても知らねぇから」
は? 何を言ってんだこの男は?
火を投げ入れる???
「魔王ごとあたしを焼き殺す気か!?」
リヒトの顔が引っ込むので返事はなかった。
「あの野郎……」
ギリギリと奥歯を噛みしめる。ふと、胸に違和感を覚え下を見ると、魔王が胸部まで来ていた。
無性に殺意を覚える。
落下覚悟で短剣を脳天に刺してやろうかと、玉砕案が浮かんだところで
<サラマンドラよ。小さき花火を纏い踊れ>
なにやら不思議な発音が穴に響く。
歌のような、楽器の音色のような音が聞こえた。
かと思うと、真っ赤な火が穴の側面をグルグル回りながら、もの凄い勢いでこっちへ降りてきた。吃驚する時間もなく、あっという間に体全体炎が広がる。
「アッツーーッ!」
冗談にならないほどに熱い!
やっぱり焼き殺す気でやってるな!
【ひぃぃぃぃ!】
火に囲まれた魔王は悲鳴を上げ、あたしをあっさりと放し、素早く穴の奥へ潜る。炎の明かりで実態が把握できた。体は人型であったが真っ黒ではなく、人の皮を被っているような、鈍い肌色をしていた。
魔王の容姿なんてどうでもいいが、近くで見たい物ではなかった。
逃げた魔王の跡を追うように炎が底へ降りていく。下を確認するが、火で底が見える事はなかった。あたしが予想しているよりも、相当深いらしい。
特攻しなくて良かった。
体が自由になったので、懐刀を使って穴から這い上がった。
乾いた土なんて目じゃない。
筋力があればなんとかなる! 登れる登れる超余裕!
穴の端に指をかけて、ぐっと上半身を出す。
「はぁ。酷い目に遭った!」
新鮮な空気を肺一杯に取りこみ、穴を覗くが、もう魔王の気配は消えてしまった。
「なぁ、あれはなんなんだ?」
「ん?」
穴の傍にいたリヒト訊ねると、彼は使い終わったマッチ棒を地面に捨てた。
「……ぷっ」
質問に答えず、あたしの体を上から下まで眺めて爆笑した。
「泥にまみれるだけじゃなく、焦げまでつけたか! はははウケる!」
「誰の責だ! 誰の!」
「いて!」
あたしはリヒトの足をゴンと蹴り、痛みにしゃがみ込む彼を尻目に、玄関前で貼り付けられた様に固まっているアンジャへ足音を響かせながら近づいた。
「村長さん」
あたしの迫力にアンジャは顔を真っ青にして声が出せない。
「まさか。このまま黙っているわけじゃないよな? 知ってることを全て話してもらうぞ」
「わ、分かった、話す!」
アンジャは震えながら両手を擦り合わせながら頷く。
「じ、じゃが。その前に。風呂を用意するから、入らないか? 泥もついてるし焦げておるから、少し匂いも」
「悪かったな焦げ臭くて!」
「泥焦げくせぇ! ははははは!」
「黙れ泥臭いやつ!」
横で笑っているリヒトを一度だけ睨むと、あたしは「そうさせてもらう!」と乱暴に答え、お風呂を借りることにした。




