モグラ穴はあちらこちらに②
群衆の中から、初老の男性が恐る恐る近づいてきて、震える声を出す。
「あの、もし……」
のだが、あたしの眼中に入っていない。
「あー! あー! お前と喋ると吐き気がしてきた!」
「吐けば! 穴はいくらでもあるし、好きなだけ吐けば!? なんなら穴に落ちて吐き散らかせば!? 上から埋めてやるわ!」
「お前の上に吐いてやるから、穴に落ちろ!」
「うっわ! 汚ったな! その口しっかり塞いで逆流させるから窒息しろよ!」
初老の男性は、あたし達の威圧に圧倒されながらも、じりじり近づき、震えながらゆっくり手をあげる。
「あの、もし。……お二人は、旅の方、かな?」
のだが、やはりあたしの眼中に入っていない。
睨み合っているので、外野の動きに注意を払っていない。
「しっかり用心しとけよ! 俺がいつ落とすか分からないぞ!」
リヒトがちょっと高い身長で見下ろし、激怒した表情で睨みつけてくる。
くそ! ちょっと身長伸びたなこいつ!
「そっちこそ! 狙ってスカって落ちたら、それでこそ笑いものだからな」
あたしは目線だけ見上げて、皮肉っぽく笑いながら、睨み返す。
初老の男性は少し涙目になりながら、果敢に声をかけてくる。
「あのぉ……もしもーし。旅の方。この場所は危ないので、お話は。ええとあの、ちょっとお話を……」
「そんな間抜けな事するか!」
リヒトは握りこぶしを更に握って、激しく声を出すので、鼻で笑ってやった。。
「さっきもそう言って落ちたくせに! はん!」
「言ったな! お前が落ちても、絶対に助けたりしねぇ!」
「上等だ! そんなヘマをするものか!」
あたし達はギリギリと奥歯をかみ締めながら、お互いの額をくっつけてにらみ合う。
手を出さないのは、理性が働いている証拠だが、傍から見れば一触即発だろう。
初老の男性は顔色を青く変えて、慌てて一気に距離を縮め、あたし達間に割って入った。
「お、落ち着いてください! 何があったのか知りませんが、往来で喧嘩はいけません! 落ち着いて下さい!」
あたし達は初老の男性に向き直って、同時に叫んだ。
「「取り込み中だ! 少し黙っていろ!」
「ひぃぃ!」
怒鳴り声に腰を抜かし、ドサッと地面に尻もちをついた。顔面が蒼白になり、ガタガタと体を震わす。
「……」
その姿を見て、あたしは頭が冷え、「申し訳ない」と慌てて謝罪した。
リヒトもバツが悪そうに頭を掻きながら、初老男性に手を差し伸べた。
「じいさん、驚かせて悪かった」
ゆっくりと起こされた男性は呆然としていた。
尻餅をついた時に服に砂がついていたので、あたしはその部分を軽く叩き落とす。
「往来で騒いで迷惑をかけてしまったな」
そして視線を感じて、辺りをゆっくり見回す。村人が怯えながら遠巻きにこちらを眺めていた。
旅人がトラブルを起こし、年寄りが巻き込まれた!? と完全に思われているだろう。
困惑した視線が痛いくらい体に突き刺さる。
猛烈に反省しながら、あたしは周囲に会釈をする。
「驚かせてすまなかった」
村人数人がビクッと反応して、即座に視線を外された。
あ、怯えられた。
落ち着きを取り戻した男性が、事情を尋ねる。
「喧嘩の原因は何事ですかな?」
「それは……」
内容がくだらなすぎて説明に困ると、リヒトはしれっと穴を指さした。
「この穴について討論していたら、助け出す方法で意見の相違があり、それで白熱しただけだ」
どこをどう掻い摘んだらそんな綺麗にまとまるのか?
あの罵倒だとそこに結びつかないだろう!?
「そうですか」
「ああ」
他に上手い言葉も思い浮かばなかったので、余計な事は言わず、話を合わせる事にした。
「村に来る手前から沢山あると思ってたが、流石に村の中で見るとは思わなくて」
「なるほど」
初老の男性はうんうんと頷き納得した。
「二人は旅人かな?」
「そうだ」
「穴について説明したいが、地面の上にずっと立つのは危険じゃ。急に穴が空くこともあるから、場所を移動しよう」
「それは怖い」
思わず相槌を打つと、男性は深くゆっくり頷いた。
「ワシの家でゆっくり話をしないか? どうじゃ?」
あたしはやんわり断る。
「有難い申し出だけど、宿屋に行こうと思ってる」
「宿屋はないぞ。ここは街道に外れた寂れた村、滅多に旅人も来ないのじゃ」
「そうか」
共通点あるなぁ。
あたしの村も宿屋はなく、長老かモノノフの家に宿泊させる。
ヴィバイドフ村にやってくるのは、力試しの人だったり、買い付ける商人だったりが中心。
長居されても困るから、って理由で宿がなかった気がする。
近くの町から馬車や馬を使えば、半日で到着するのでそこで宿を取るので必要ないとも……。
「では、お言葉に甘えます」
余計な事を思い出していたら、リヒトが代わりに返事をしたので、思考を戻した。
「それが良かろう。さぁ、こちらじゃ」
初老の男性は道案内すべく、あたしの前を歩いた。
うーん。周りの視線が妙に気になる。
先ほどの騒動の尾を引いているのかと思ったが、そうではない感じがする。
珍しそうな視線を向けるのは、滅多に旅人が来ないからという理由で頷ける。
しかし、好奇心の中に紛れ込む、希望に満ちた視線を向けられるのは何故だ?
後を一定距離開けてついてくるし、ぼそぼそ何か話しているし。
「けふ」
あたしは砂を吸い込んで、思わず咳き込んだ。
この村、どうも土埃が激しく、風が吹くと、すぐに砂嵐のように舞い上がった。
喉と肺が辛い。
「凄い土埃。この辺りは、乾燥している土地ではないのに」
すぐそこの畑には、艶々とした野菜が育っている。地面も適度に潤っているし、土埃が舞うような土ではない。
だが、村中にある穴の周りは、ヒビ割れるくらい乾燥している。
土埃はあの乾燥した砂が舞っているのだろう。
村の外の穴も確か乾燥していたなぁ、とぼんやり思い出す。
「そうじゃ。肺を痛めてしまうからの、あまり外で長く話すのは勧められん。室内ならば防げる。ほら、あそこじゃ」
男性が立ち止まり示した一軒家。前面に小さな庭があるが、植えてあった木々や花が、軒並み穴に飲まれている。
穴だらけの庭は乾燥して、地割れを起こしていて、散々な姿だった。
「ワシ一人じゃから、気兼ねしなくて良いぞ」
「お邪魔します」
遠巻きからビシビシくる村人の視線を背に、お宅にお邪魔した。
こじんまりとしたリビングに案内され、荷物を降ろす。
「ようこそ旅の方。挨拶が遅れたが、わしはアンジャ。村長をしておる」
だから言い争いをしていたあたし達に声をかけたのか。
村で起こった揉め事は、村長が止める事が多いからな。納得だ。
余計な気を使わせて申し訳ないと、もう一度思ったことは言うまでもない。




