塩と胡椒のテーブル⑧
「はぁ?」
ヴァヒスが苛立ったような、呆れたような声を上げたので、あたしは肩をすくめる。
「今の話だと、『強大なサトリでアニマドゥクスの力を持っていて歯が立たないから、リヒトを暴悪族だと言っている』んだろ? なら『サトリもアニマドゥクスもないリヒト』だと、どう思うんだ? って聞いている」
「なんだそれは? 全然関係ないだろう。あいつは人を怯えさせる暴悪族の……」
「自分より弱いやつだったとしても、あんたはサトリでアニマドゥクスの力があれば『暴悪族』と罵るのか?」
ヴァヒスは口を噤み、小さく首を横に振った。
「……そんなわけはあるまい」
「では、リヒトがあんたより弱かったら、あんたはあいつを暴悪族と呼ばなくなるのか?」
「それは関係ないだろう。あいつは……」
「大いにある」
ヴァビスが睨んできたので、あたしは一笑する。
「大事なことだ。暴悪族と呼ぶ理由が『自分より強い』と思うからか? それとも『リヒトの性格』に寄るものなのか? 答えろよ。その返答によってあたしは考える」
力に嫉妬か。リヒトの性格が嫌いか。その他の理由か。
そこのところはハッキリさせておきたいぞ。
「儂より強い者は沢山いる。その者たちをいちいち暴悪族と揶揄しない。みな人格者だからだ。だがリヒトは人の弱みに付け込んで、人を言いなりにさせようとする! 自分の意に反する者を許そうとはせず、力で支配しようとしていた! それが許せぬ!」
性格の方か。だったらちょっとだけ考え方改めてもらおうか。
ひねくれているけど、あいつはそこまで性格悪くない。
「そうか。そこまで言うなら、何かされたんだろう?」
ヴァヒスはギクっと体を強張らせ、屈辱に顔を歪める。
あー。弱み握られたんだなー。わかりやすい。
「弱みかー」
「…………そうだ」
ヴァヒスは握りこぶしを作り、ギリっと奥歯を噛みしめた。
あたしはそれを冷ややかにみながら薄く笑う。
「それなら嫌いになるよなぁ。それで? あんたはあいつにどんな危害を加えようとしたんだ? もしくは危害を加えたのか?」
「それは……」
一瞬狼狽えて、ヴァビスは口を噤むと、あたしから視線をそらした。
先ほどの威勢が嘘のように静かになってしまった。態度でバレバレなんだけど。
うーん。面白そうだから突っついてやろう。
「あんたが危害を加えると分かったから、あいつは弱みを握ったんだよ。手を出せないようにな」
「リヒトから何を聞いている」
ヴァヒスがドスの効いた低い声で呻いた。
あたしはきょとんとしてから、横に首を振る。
「いいや何も聞いていない。嘘だと思うなら読んでみろよ。あんたもサトリだろ?」
ぐっ。と呻くヴァヒスだったが、すぐにため息を吐いた。
「俺はリヒトを戒めるためにやったことは事実だ。だが同時に弱みを握られ強請られた。そんなの卑怯者のすることだ」
「あー。だとすると、『気に障ったらこの事をバラす。今後俺に関わるな』っていう事、言ったんじゃないか?」
ヴァヒスの顔色が変わる。
やっぱり、リヒトのけん制は優しいな。
なんでこいつにはわからないんだろうか。ボケてんのかな。
「それで、あんたの弱みは村中に広まったのか?」
ヴァヒスの顔色は変わらなかった。
強請が効いたから、それ以上嫌がらせしなかったようだ。
あたしは意地悪い笑みを浮かべる。
「ははん。なるほど。強請に従ったからバレなかったんだな。その時に味わった屈辱と悔しさが尾を引くから、いつまでもそんな悪態をついているってことか。子供みたいだな」
「悪態とは失礼な言い方だ。悪事を行わないよう警戒しているだけだ」
あたしはわざと大きなため息をついた。
「そもそも、あんたは根本的なことが分かっていない。あいつは『やられたらやり返すタイプ』だ。こっちが手を出さない限り、あいつは手を出してこない」
ヴァヒスは眉をひそめて怪訝そうな顔になったが、早々に匙を投げた。
「小娘。お前はさっきから何が言いたいんだ?」
あー、これは何も分かってない感じだな。
あたしは腕を組んで呆れたような視線を向けながら、ゆっくり、教えるように話す。
「つまりは、こちらから悪意を示さなければ、あいつは無害なんだよ」
意味が分からないという表情をするヴァヒスをみて、あたしは落胆のため息を吐く。これ以上話しても平行線だ。腕組みを解いてヴァヒスを追い払うために小さく手を振った。
「もぉいい。話は終わりだ。あたしはあいつに何もしないから被害を受けていない。それだけだよ。だからあたしの交友関係に口を挟むことはしないでくれ。いい迷惑だ」
ヴァヒスがあたしの底を計るような視線を向ける。
もしやこれが心を読むときの視線なのかもしれない。とはいえ、正解は分からないので放っておく。でも読まれるだけでは癪に障るので、少しだけ言い返した。
「それにしても期待外れだ。あいつをしっかり認識していない。思い込みによって歪んでいる。そもそも先に手を出したのはどっちだ? あんたは自分のやったことを棚に上げて、あいつの批判ばかりしているのと聞くと薄っぺらさを感じるよ。アニマドゥクス師範と聞いてご立派かと思えばたかが知れる」
「なんだと?」
「だとすると、あんたの忠告を全く意に介さないあたしも、暴悪族に見えてるだろうな。あんたの目には何人そう映っているのやら」
鼻で笑ってみたが、ヴァヒスは押し黙ったままだ。考えるように視線を落とす。
もしかしたら、そう思っている人間をいくつか思い浮かべているかもしれない。
だとすると、とんでもないやつだな。人間性を疑うぞ。
備わっている能力に色眼鏡をして凝り固まっているならば程度が知れる。
若年者にそう思わせる自らの思考の硬さを自覚してもっと柔軟になるよう努力するべきだ。
「この!」
突っ立っていたヴァヒスが突然殴りかかって来た。
冷静沈着かと思ったんだが、案外情熱的思考をしている。
あたしは避けながら彼の足を引っかけて転倒させた。べしょん、と胴体から床に倒れる。手で顔を庇ったので怪我はしてなさそうだ。
ヴァヒスは顔を赤くしてすぐに体を起こして立ち上がる。
それを冷たく眺めながら一笑した。
「考えを読んだなら、あたしはもう何も言う事ない。時間を無駄に取らせた上、善意からの警告も無下にしたことだけは詫びよう。悪かったな」
「……くっ」
ヴァヒスは服についた埃を手で払いながら、あたしを睨んだ。
いや殴ろうとしたのはそっちだし。殴られなかっただけラッキーだと思ってもらわないと。
あたしが苦笑すると、
「小娘、何者だ」
ヴァヒスが若干冷静さを取り戻し聞いてくるが、何故か額や首に汗をかいている。心なしか顔色が悪くなっているような。腹でも強く強打したのかな。
怪訝に思いながらも、あたしは姿勢を正して名乗りを上げる。
「あたしはウィバイドフのモノノフ。ミロノという者だ」
ヴァヒスは驚いたように目を見開いて、あたしを凝視しながら瞬きを繰り返す。
「女でモノノフだと? その歳でそんなことが? しかも旅を許されているとは、信じられん」
おや? ヴィバイドフの内部事情知ってるぞ。
モノノフの誰かと仲が良いようだな。
「驚くならば、意味はわかってもらえるかな?」
「ルーフジールの一人娘か。なるほど……」
驚いた。親父殿か母殿の知り合いだ。
「武神とは旧知の仲だ」
ヴァヒスの雰囲気が少し柔らかくなる。
「親父殿の知り合いだったか」
あたしはゆっくりと目を細める。親父殿の知り合いなら少しだけ態度を軟化させておこう。
後日、何か言われるからな。
「それは失礼した。だが、自らの発言は撤回しない。貴殿はもっと色眼鏡を捨ててその者の内面を見つめるようしてほしい。師範ならば尚更。若年者に意見され心情は面白くないだろうが、意見の一つとして捉えてもらいたい」
敬意を表したあたしの態度をみて、ヴァヒスは嫌そうに顔をしかめたものの、首を左右に振ってため息をついた。
「圧をかけながら挨拶を行うなど。蛙の子は蛙。いや化け物の子は化け物か」
ほんとこいつの低度が知れる! 失礼なのはあんただろう! 圧かけてねーよ!
化け物は親父殿だけだ!
どうせ聞こえているんだろうから思いっきり悪口考えてやる!
「さすが親子だな。そっくりだ」
ヴァヒスは諦めたような視線を向けてきたので、薄く笑いながらあらん限りんの悪口を思い浮かべた後に
「では、時間が押してるので失礼する」
軽く会釈をしてから、ヴァヒスに背を向けて階段へ向かうと、後ろから呼びかけられた。
「また後で話をしたい」
お断りだ!
振り返らずに心の中で怒鳴った。
ヴァヒスと話する話題って全く思い浮かばないからな。
読んでいただき有難うございました!
次回更新は木曜日です。
物語が好みでしたら何か反応していただけると創作意欲の糧になります。




