塩と胡椒のテーブル⑤
次に目を開けると日が昇った直後であった。人の気配がする。と体を起こすと、ドアが開いた。
「おはよう!」
三着の洋服を持ったニアンダ殿が、満面の笑顔で立っていた。
あたしはゆっくりとため息をついた。
これから着せ替え人形にされる。昨晩できなかったことを今から行うのだ。お出かけは予定通り続行だな。
「ミロノちゃん。昼からお出かけするから、この洋服を……」
「みなまで言うな。理解した。どれから着てみればいい?」
観念したように苦笑したあたしの両手に、ニアンダ殿は容赦なく服を押し付けた。
さて服が決まったところで次は朝食だ。食後に風呂に入るし、リビングに宿泊客が大勢いるということで、モノノフの服を着ることにした。
防具はなしで上着とズボンだけのラフな装いだが、見た目はわりときっちりしている。
入浴後すぐに、選んだ服に着替えると伝えたら、ニアンダ殿は了承してくれた。言い方は大事だな。
食堂のドアの前に立つと、中から賑やかな声がする。ゆっくりとドアを開けて入った。
殆どの者が食事をしている。
昨日食堂で出会った夫婦。
30代ほどの女性三人。彼女たちはお洒落な服を着こなし、品のある化粧をしている中肉中背のどこにでもいる大人の女性だ。そこそこ可愛い風貌が揃っているが飛びぬけた美女ではない。
20代ほどの男性二人。背丈は高いが細身である。薄茶色の素朴な服を着ており個性がない感じだ。時折見せる表情は子供っぽさが残っている。
身なりの良い老紳士風の男性。全体的にほっそりとした印象だが強者の雰囲気がする。深い皺と表情が気難しい性格を現しているように見えた。
関わらなくてもいいな。
さて、どこに座ろうか。
席は殆ど埋まっていて、奥側に一つあるだけだ。
一人で食べるにはいい席だな。
あたしが食堂に一歩踏み入れると、女性三人と話をしていたニアンダ殿が反応して振り返る。あたしを見つけると、
「ちょっとごめん」
と相手に断りをいれてから、手を振り注目させると、女性達の隣にある四角い二人掛けテーブルを示した。
「ミロノちゃん、こっちの席にきてーっ」
瞬間、食堂にいた全員の視線が刺さる。
あたしだけ初対面だから気になるのだろう。好奇心の色が強い。夫婦だけがすまなそうに軽く会釈をしたので、あたしも会釈で応えた。
すみっこで食事しようと思ってたんだけど、行かざるを得ない。
無視するわけにもいかず、ニアンダ殿の元へ向かう。
「一人で食べたいんだが……」
「固いこと言わないのー。一緒に食べましょう! ケイト、朝食用意してー!」
空になったコップに水を汲んで回っていたケイトが、畏まりました、と頷いて調理場へ向かった。
ニアンダ殿は椅子を引いて座席を指し示す。
「さぁどうぞ。ここに座ってね!」
周囲の視線が痛い。ひそひそ話が耳につく。
諦めた方がいいな。
あたしが渋々座ると、ニアンダ殿が正面に座ってニコニコしながら頬杖をついた。
「今日はどこ行こうか。凄く考えてるのよねー」
「この町はわからないのでお任せする」
あたしはそこで一度言葉を切り、小さく咳払いをした。
「あと……体調が良いのでそろそろ旅を再開したいんだが、どうだろうか?」
ニアンダ殿がムッとした表情になり、唇を尖らせる。へそを曲げた子供のような仕草でため息をつく。
「残念、あんまり長居出来ないかー。仕方ない。お出かけから帰ったら診察してみるわ」
「お心遣い感謝する」
ぺこりを頭を下げると、ニアンダ殿はひらひらと手を振って笑った。
「やだーもー、その服装だと余計に畏まって見える」
「そのように躾けられている」
「そっか。大人っぽいねぇ」
苦笑するニアンダ殿の背中をポンポンと軽く叩いて、女性が気を引く。
瞼を限界まで開けながらニアンダ殿が振り返ると、女性はぱぁっと嬉しそうな顔になった。女性は三人組の一人でニアンダ殿と座っている席が近い。手を伸ばせば触れることができる距離にいた。
「ニアンダちゃん、あの子とどんな知り合い?」
女性があたしを小さく指し示す。残り二人の女性もキラキラした目でチラ見してきた。
ニアンダ殿は、あー、と声を出して、あたしを紹介するように手で示す。
「少し前にきた患者さんよ。私の実家に縁がある子でミロノちゃんって言うの。仲良くしてあげてね」
「あら。そうなの? よろしくね!」
「流石ルーフジール家ね。色んな知り合いがいるわ。ところでその服はなに? カッコイイね!」
「まだ子供だよね? 旅してるの凄くなーい!?」
わらわらと女性たちから声がかかる。
誰だこいつら。いきなり話しかけられても対応に困るんだけど……。
「警戒しなくていいわ。彼女たちは私の幼馴染よ」
あたしの『誰だこいつら』という視線を感じたのか、ニアンダが微笑みながら女性たちを紹介してくれた。
髪の色と長さで説明しよう。赤髪ショートカットのカティー。赤髪ロングヘアーのララ。金髪くるくるカールのエリーザ。皆同じ年齢で既婚者はいないらしい。
町で買い物をするために数日泊りに来ているそうだ。
「ニアンダちゃんところに泊めてもらうのがいつもの恒例行事なんだ~」
「それで? ミロノちゃんはどこからきたの?」
おおう。囲まれてしまった。
左に立つカティー、右に立つララ、斜め横に椅子を持ってきて座ったエルザ。
うーん。自己紹介はあったとはいえ、知らない人だからあまり馴れ馴れしくできないな。
とりあえず質問には答えるか。
「あたしはヴィバイドフからきた」
「…………どこ?」
三人の女性はきょとんとして首を傾げる。
予想通りの反応だ。
最西端の田舎村じゃ知らなくて当然だよな。あたしも最東端の村は名前しか知らなかったし。
場所をざっくり説明しようとしたが
「最西端にある武人の村だ」
一人で座っていた老紳士風の男性がそう答えた。
「まじっすか師匠!」
「すげーーー! あそこから来たのか!?」
「あの子モノノフなのか!?」
男性二人組が反応して声が大きくなった。
声量は別にいいんだが、指差し止めろよ。
「騒がしいぞ」
老紳士風の男性が静かに戒めると、二人の男性はピタリと絞められたように体が強張り、騒ぐのを止めた。
「師匠、すいません」
苦笑いを浮かべて、老紳士風の男性に謝ると、彼は首を左右に振って、あたしに視線を向けながら、二人の男性に合図を送る。
ハッと気づいたようにあたしを見ると、二人の男性は立ち上がり
「すいません、騒がしくしてしまって」
何度も頭を小さく揺らして謝った。
気にしなくていい。と二人に伝えようとしたが、
「横槍すまなかった。気にせず続けてくれ」
老紳士風の男性があたしを一瞥しながら話題を打ち切った。二人の男性に目配せをしながら、食後の珈琲を口にする。
二人の男性は互いに顔を見合わせて、静かに座る。
ヴィバイドフを知っている奴も居るんだ。
行った事あるのか。話に聞いただけなのか。モノノフと知り合いなのか、少々興味がある。
とはいえ、勧んで会話したいわけではないので、何かのついででいいや。
今はニアンダ殿とその幼なじみに集中しよう。
カティとエルザが腕を組みながら、老紳士風の男性を睨む。
「もー、ヴァヒスさんったら。話の腰をいっつも折るんだからー」
「横槍やめてよ。女子の会話に混じろうとしないでー」
「まぁまぁ、おかげで場所がどこか分かったんだし、いいじゃない」
ララは宥めながら、二人の男性を指さした。
「寧ろ、クシード君とイートミル君がダメじゃん。騒いだのはあっち」
カティは眉間にシワを寄せたまま、それもそうね。と頷く。
「ちょっとあなた達、会話に入ってこないでよ。どこまで話したか分からなくなるでしょ?」
「どうせ仲間に入りたい口実だったんでしょ? 遠回しにするんじゃなくて、直接言えばいいのに」
「可愛い子とお近づきになりたかった魂胆見え見え」
女性達は腰に手を当て男性を指さしているが、さて、あいつらはそんなに騒いでいただろうか?
理不尽だな。と思うが、どうでもいいので指摘するつもりはない。
一斉に攻撃された男性たちは、殆ど同時に両手を軽く肩の高さに上げて、首を横に振りながら弁解を口にした。
「いやいや、最初に声をあげたのはイートミルだから」
「俺は師匠に聞いただけだし。便乗して声をあげたのはクシードだろー!」
「どっちもどっち!」
「そうそう」
「責任擦り合いしてる、大人げないぞ!」
和気藹々な雰囲気になった。知人との会話に集中した男女はあたしを忘れて談話に勤しむ。
あたしはニアンダ殿に耳打ちをした。
「ここに居る全員、知り合いか?」
ニアンダ殿が頷く。
「そう。みんな同じ村で顔見知りよ。元々小さな村だからそれなりに知ってるけど、再々ここに泊まりに来る人達は特に仲良くなっちゃうの。紹介が遅れたわね」
そう言って、この場に居る人を具体的に説明してくれた。
老紳士風のヴァヒスはアニマドゥクス指南役。
赤髪の青年イートミル、オレンジ髪の青年がクシード。二人はアニマドゥクスの修行中で彼の弟子。
夫婦は村で食料品店を営むリオウ夫婦。
彼らはニアンダ殿と特別に親しいわけではなく、ルーフジール家と贔屓にしている人達だという。
そこまで説明してもらったところで、メイドが食事を運んできた。
今日の朝食はパンとスープと野菜の肉巻に卵焼き、デザートはプリンだ。美味しそう。
「あっちで雑談しているから、今のうちに食べちゃった方がいいわよ。気がすむと貴女に寄ってくるかもしれないわ」
「そうだな」
女性たちは会話が盛り上がったのか、男性達のテーブルに席を移して楽しそうに談話している。
時折、あたしに質問が振られるが、ニアンダ殿が対応してくれたので無視する。
食べながら談話に耳を傾けると、いくつか分かったことがある。
ヴァヒスは村の中でそれなりに立場がある人間だ。アニマドゥクスの使い手として十の指に入るらしい。
今回の目的は二人の弟子の視野を広げる為と、術を使っても迷惑にならないように、リアの森で採取がてら実戦訓練をするらしい。
ニアンダ殿の幼馴染の一人、カティーもアニマドゥクス。だが初心者並みで、家事のフォローが出来ればそれでいいという考えらしい。
彼女たちは朝食後、町を練り歩くそうだ。
リオウ夫婦は食材を調達して、今日帰路につくみたいだ。
そこまで把握したところで、朝食も胃袋に八割納め、残るはデザートのみとなった。
大変美味しかった。舌が肥える。
パタン。と食堂ドアが開いた。時刻は午前9時前。振り返らなくても気配でわかる。リヒトがきた。
あいつにしてみれば遅い朝食だな。
あれ?
食堂が一瞬で静まり返ったぞ。




