塩と胡椒のテーブル①
<相反するけども混ぜてしまえば>
あたしはゆっくりと意識を覚醒させた。
カーテンの境目に光の筋がある。朝だ。
「んーーあーー! 良く寝たーー!」
寝たまま体をぐぐぐっと伸ばす。
ゆっくり上半身起こして、もう一度背筋を伸ばした。
「っっっあーーーー。気分爽快!」
首を動かすとコキコキと鳴り、肩を回すとだるさがある。体が少し固まっているようだ。
頭皮をカリカリと掻いて手櫛で髪を解きながら、日付が分かる物を探した。
時刻を知らせる時計しかなかったのですぐに諦める。
「どのくらい寝てたかなぁ。空腹度合いを考えると二日って感じだけど」
そう。あれからほとんど食べず、風呂に入らず、昏々と寝ていた。
動いたのはトイレと、水差しの水を飲む時くらいかな。
水は常にテーブルに置かれていた。毎日、朝昼晩。水差しに新鮮な水が入っていたお陰で、水分補給が楽だった。
今日は水差しの中にレモンが浮かんでいる。ガラスに水滴が垂れているので、交換してそんなに時間が経っていないようだ。
水差しの横に小皿があり、一口サイズに切った林檎が置かれている。切り口は新しかった。
ニアンダ殿かメイドが用意してくれたのだろう。
後でお礼を言わなければ。
ベッドから降りて、全身をゆっくりと伸ばす体操をした。血行が良くなってスッキリする。
さてと。荷物確認しよう。
クローゼットに足を運び、備え付けの鏡で自分の姿をチェックする。
少し青白い顔をしているが、栄養を補給すればすぐ元に戻る。
「おや?」
何かいつもと違う。
まじまじと自分の顔をチェックする。
あ、頬と目の横に深くついた傷が、跡形もなく綺麗に消えていた。瘢痕で残ると思っていたので結構嬉しい。
「……もしや」
確認してみると、手足についた傷の跡がなくなっている。
ま、まさか!?
服を脱いでチェックしてみた。
腕、足、腹、背中、手の平、指などの古い傷跡がなくなっている。
おまけに、つるつるピカピカな肌の質感だ。
風呂に入っていないのに体臭も少ない。
「なにこれすごい!」
薬だけだとこうはならない。
改めて回復術の素晴らしさを実感する。
ポージングしながら体の傷を確認していたが、気が済んだのでクローゼットを開ける。
ふわっと花の香がした。
かすかに香るエレガントさ。
ニアンダ殿の趣向の良さが分かる。
クローゼットの中は四段の棚と、棚と壁に突っ張り棒があった。数本のハンガーがかかっている。
一番上と二段目には見慣れない服が十着以上、畳んで置いてある。
三段目にあたしの服一式と室内着とタオル。
四段目に防具が置かれている。
綺麗に畳んでいる服を取り出してみる。下着も含め全部綺麗に洗濯されていた。
下着を戻して、羽織物を広げる。ふわん、といい匂いがした。
あれ? 穴が空いてたり、破けてるところが修復されているぞ。
「わぁ……。誰がやってくれたんだろう」
こんなサービス今まで受けたことがない。
有り難いけど恐縮だ。
防具は泥や血が綺麗に取り除かれている。そのため壊れた部分が目立っている。
武器は袋に入れられ、ハンガースペース下に置かれていた。泥や汚れそのまま。こちらは触っていないようだ。
「よしよし、武器は下手に触ると切れちゃうからな。まとめられてるだけで有難い。さて、こっちは?」
リュックは武器が入った袋の横に置いてあるので、取り出して中身を確認する。全部ある。リュックに納めてクローゼットに戻した。
「動けるようになったし、着替えるかな」
確認が済んだので、モノノフ服に着替えようとしたが、止めた。
ニアンダ殿がコーディネイトすると張り切っていたから、着替えるとマズイ気がする。
そのうちここに来るはずだ。了承をもらってから着替えることにしよう。
ただ待っているのも暇なので、武器を磨くことにした。
トイレドア横の小さな手洗い場で布を濡らして拭き取る。手入れ用の研磨クリームを塗り、こびりついた汚れを取る。砥石で研ぐ。
コンコン
ドアを叩く音がして顔をあげ、時計を見た。七時を示している。
「起きてる? 入るわよ」
ニアンダの声がした。
返事をする前に鍵をあけて入ってきた。
ナイフの手入れをやめて、あたしはドアに向き直る。
「おはようニアンダ殿」
「!?」
ニアンダ殿がこちらを見て目を大きく見開き、視線を右から左に向ける。そして眉をしかめながら首を傾げ、ため息をついた。
ゆっくりドアが閉まる。
まぁ。そうなるよな。
あたしが床に座って手入れしてるから、床の面積の半分を数の刃物が占めている。
汚さないよう、傷つけないように布を敷いているが、よく考えたら、こだわりの部屋でやる内容ではなかったかも。
「やっとお目覚めね。手入れしてるってことは、元気になった?」
頷くと、ニアンダ殿はホッとした笑顔を浮かべた。
「それなら良かった」
怒ることも、文句を言う事もなかった。
人間ができてる、と感心する。
ニアンダ殿は刃物を踏まないようつま先立ちになりながら、あたしの傍まで歩いてきて、そのまま座った。
「二日間ほとんど寝てるからちょっと心配したわ。でも水や軽食がちゃんと減ってたし、夜中にトイレ行く姿も見たわね。目を瞑って呼びかけても返事せず、夢遊病のようにふらーっと動いていたから不気味だったけど」
あたしは頷きながら刃物類を片付ける。
「頭の一部は起きてたんだが、眠かったから無視してたと思う。すまない」
ふふ。と、ニアンダ殿が軽く笑った。ポン、と肩に手が置かれる。数秒後、満足そうに頷きながら手を離した。
「怪我はほぼ完治してるわ。でも疲労が残っているからまだ安静ね」
「それならよかった。たった二日で完全回復したのは初めてだ。ありがとう」
「どういたしまして」
これで金貨二十枚なら安いと思う。
また瀕死になったら利用したい。
「それにしても、杞憂でよかったわ」
何が、と聞き返すと、ニアンダ殿が悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「ミロノちゃんの行動に注意するよう、リヒト君から言われてたのよ。痛みがなくなったらすぐに動き回って傷がひらくかもしれないからって」
うわ。言い返せない。
時と場合によっては怪我を気にせず動き回るはずだ。
あたしが何とも言えない表情で呻くと、ニアンダが渋い表情になり腕を組む。
「人の忠告を聞かない馬鹿っているのよ。痛みがなくなったらすぐに動く人。傷が完治してないのに完治したって錯覚する馬鹿」
一瞬、ニアンダ殿から強い怒気が放たれた。
よほど腹に据えかねた出来事があるのだろう。
「耳が痛い」
「ミロノちゃんは言いつけ守ってくれたから良し」
その後、ニアンダ殿から『言いつけを守らない患者』に対する愚痴がくどくど語られる。
聞き覚えの名がちらほらあり、モノノフも数人、この病院を利用していると分かった。
完治までの時間が短いのと後遺症がほとんどないことから、多くの冒険者や術者がニアンダ殿の回復術を利用していることが分かった。
だから経営は潤っているんだなぁ。
とりあえず面白い話だったから、口を挟まずに聞いていたが。
ふと、リヒトが脳裏に浮かんだ。あいつ今どうしてるんだろう。
「話の途中だがニアンダ殿。あいつは大丈夫か? 無茶をさせてしまったから気になる」
ニアンダ殿は少し間を開けてからゆっくり微笑む。
「リヒトくんは丸一日寝て過ごしていたわね。二日目から調子が戻ってきたのか、資料館へ行ったり、図書館へ行ったりとうろうろしてたみたい。文字を読むのがあの子の趣味だし、大分気晴らしになったんじゃないかしら?」
長期滞在の時は本を求めてうろうろしてる姿が脳裏に過る。
必要以上に本を読まないから、本を求めて徘徊する理解できない。
とはいえ、本を読めるほど回復したのならいつも通りということだろう。
「そっか。それならいい」
「あ、そうそう。本で思い出したんだけど」
ニアンダ殿はクローゼットを示した。
「ミロノちゃんが寝ている間に薬草と薬を見せてもらったわ。どれも一級品で高額で売れる品質よ。手作りとは思えなかったわ。薬学師の勉強してるのね、免許はいつとるの?」
「いいや? 取らないけど」
驚いて目を見開くニアンダ殿。
「え? 免許申請しないの?」
「薬作りは嗜みだから、自分の傷が治ればいいと思ってる」
えー。とニアンダ殿が残念そうに声を上げた。勿体ないと言わんばかりに大げさに肩をすくめる。
「正直、手製の薬を作ってるっていっても、良くて中級品程度だと思ってたの。だから薬で治るには時間がかかるしリスキーって言ったんだけど、あの質なら短時間で完全回復出来るわ。超一級レベルよ。私が買い取りたいし、貴女を専属として雇いたいぐらいだもの」
驚いた。高評価されたのは初めてだ。
母殿からは『配合調整甘い!』『足りない!』と駄目だしばかりだったから……ちょっと嬉しくて、髪の毛をニギニギしてしまう。
「そこまで褒められるとは思わなかった」
「ミロノちゃん。自分が作った薬、あまり人に見せた事ないでしょ」
「ない」
里の外へ出るときは親父殿と一緒で、極力人目を避けていた。
ヴィバイドフ村は薬作りがブームなので、自分が使う薬は自分が用意する風潮だ。
そのため人に使うこともあまりなかった。
ニアンダはニコリと微笑みかける。おしとやかな笑顔のくせに獲物を狩る目つきだ。
「暇になったら是非ココにおいで。雇うわ。リアの森が近いから材料に困らないわよ」
全然そんな気はないのだが、今は無難な返答にしておこう。
「……では選択肢の一つとして」
「それは良かった。いつか旅が終わった時に考えてみて」
ニアンダ殿が、さてと、と呟きながら立ち上がる。
「ミロノちゃん、食事の前にお湯浴びてくる?」
「入れるならば今すぐに!」
即座に返答すると、ニアンダ殿が苦笑した。
「じゃぁタオルと下着を用意して風呂場に行きましょう。その後に食事でいいわね」
「すぐに入れるのか? お湯を沸かす時間とか……」
ニアンダ殿はクローゼットから服と下着とタオル一式を籠に入れた。この部屋に常備されていたものだ。
「アニマドゥクスでお湯を出せばいいんだから、すぐに入れるわよ」
「そんな手が……」
「オッケー! 行くわよ!」
ニアンダ殿はあたしの腕を掴んで立たせると、意気揚々と歩き始めた。
風呂に入りたかったのでおとなしくついてきたが……さっき取り出した服が気になるんだけど。
さり気なく、隠しながら用意したけど見えたぞ。
薄紅色で白い模様があるワンピース。
あれを風呂上りに着るのか?
あたしが?
「そうよー。オフの日くらい可愛い姿でいなきゃー! ミニスカートだけど短パン履くから見えないので大丈夫!」
「服の変更を求める!」
「額当てはそうねー。可愛いバンタナかお化粧とかで隠せばいいわね」
「早まるな! 絶対にあたしに似合わない系だ!」
これはヤバイ。世にも恐ろしい人間にされてしまう。
「いやいや。似合うのを選んだから自信もって」
捕まれているので心の声がただ漏れになってる!
だったら、嫌がっているのが真摯に伝わっているはずなのに!
無視られてる!
くっそ。
好意を邪険にするのは偲びないだけで、悪戯心あれば振りほどいてやるのに。
ニアンダ殿からは好意しか感じられない!
うわああ。厄介だ!
あたしは心の中で絶叫するが、ニアンダ殿には一切通用しなかった。




