初めての魔王③
距離を開けつつ小声で会話すると、黒いソレがこちらに顔を向けた。
服と肌、髪と顔の境目がない『影のような人』で、目の部分は白く爛々と輝きかまぼこの様に波打って、細く細くなっていく。口の部分はどす黒く光る赤い色が徐々に広がっていった。
【人は、我の思うがままに動く】
歪なノイズのような音が、あたしの脳内に直接届いた。耳元で鐘をカァンと鳴らされたような不快感が押し寄せてくる。
思わず耳を塞ぎそうになったが、その代りに柄を握り絞めて構える。
【人は我の言う事を聞く】
「うーん」
あたしは見たこともない『人影』を見つめて汗を浮かべる。
全長190センチは越えている大柄な黒い影は重量感はなく薄っぺらい。重力に支配されず、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れている。
「霊魂でもない。妖獣でもないぞ。やっぱり、あれが魔王というモノなのか?」
見続けていると怖気が全身を襲い、恐惶の念が込み上げてきそうだ。
「そーだな。実体では、なさそうだ。でも……」
リヒトもじっと『人影』を見つめ続けて、何かに気づいたように慌てた声を出す。額には冷や汗が出ているようだった。
「いや、あれはまさか? 精霊か? いや、あんなに禍々しい精霊なんて……、まさかアイエーテル? いや違う。アイエーテルじゃない。なら、あれは……なんの精霊?」
信じられない者を見たように瞬間的に慌てた様だが、
「ま。今はどうでもいいか。推測よりも状況だ」
端倪すべきことではないと、リヒトは思考を止めた様だ。
タイミング的には丁度いいだろう。
向こうもあたし達を次のターゲットにした様で、カマボコの細い目が不穏な色を発している。いつ攻撃をしかけてもおかしくない。
【貴様たちとて、例外ではない!】
影は両手を投げ出すように振ると、10本の指先から真っ白い糸を噴射した。
まるで蜘蛛がお尻から放たれた糸のようだ。
「うん? あれは当たるとまずいな!」
先端は槍の穂先のように鋭かったので、あたしは数十歩前に出て全て切り落とす。切り落とした糸は風圧に靡いてハラハラと空を泳ぎ、すぐに視界から消える。
強度はほとんどない、ただの糸だ。
影は切られたと分かると今度は片手を下へ向けた。糸が地面を潜って見えなくなる。前方からまた糸を放たれて切ると、そのタイミングで地面から槍のように糸が飛びだした。
懐かしい、親父殿のお手製トラップのようだ。
「わぁお! あんたは手品師か!?」
影に向かって叫ぶとリヒトからツッコミがきた。
「もっとマシな台詞を言えって言ってるだろうが! 一度逃げるぞ!」
「異議なし!」
足元から糸がドスドス生えてくるのを尻目に、あたし達は逃げ出した。
相手が何者か分からない以上、初手で戦うのはこちらが不利。手の内を暴いてからの戦闘でも遅くない。
分からないまま無理をして戦うよりも、弱点の一つや二つを仕入れてから、または相手の特性を理解してからでも全然遅くないのである。命は一つしかない。肉体も一つしかない。だから、こちらの被害を最小限で済ませるのであれば、撤退逃走いくらでもOKだ。
卑怯? 狡猾? どんとこい。自分を護るのに手段なんて選べない。
それにあの場合は逃げてちょっと正解かもと、リヒトを盗み見する。
初手の攻撃の時に彼の反応速度を伺ったが酷く鈍い。あまり彼と距離をあけないほうがいいだろう。直接攻撃回避はあたしが担当だな。
住宅を離れて草原や公園の方へ駆け出す。
逃げる場所を考えていなかったが、人が密集している住宅地よりかは、草原や公園の方に逃げるのがベストだろう。
リヒトに合わせて走ると、彼は周囲をチラチラ確認しながら、あたしに視線を向ける。
「少し様子を見たい」
「いいよ。パターンとか把握するのは賛成だ」
影はぴったり追ってくる。
細くて脆そうな糸のくせに、バスン! バスン!と周りのレンガ壁や地面をえぐり、木々の枝や幹を切り落としている。突く絞めるという攻撃しか出来ないみたいだ。
しかし硬さが全くないので刀であっさり切れるから楽。
問題は影の方だ。布を切っているような感覚が届くだけで、どの部位も致命傷にはなっていないし、即座に回復もしているようだ。
闘気も込めているがノーダメージ。霊魂ですらダメージを与えられるというのに。
「うーん、困ったね。物理攻撃効くんだろうか?」
散々物理攻撃を試してみても、散々な結果に終わったので、あたしは途方に暮れてしまった。あと何が有効か頭を唸りながら考える。
リヒトも影をチラチラ確認しながら考えているようだった。彼も投擲という形でいろんなものを投げていた。どれも素通りして手ごたえはなかったけど。
「物理は駄目ってことか。なら……」
【私の思うがままに踊れ!】
「踊るか!ど阿呆!」
「一々言い返すな! 緊張感が無いやつだな!」
黒い影はあたし達と同じ速度で滑るように移動し糸を向けてくる。出す場所は両手、口、足だ。どこかで補給している様子はなく、体内から作っていると思われる。糸が尽きるかもという期待をしているが、今の所その気配はない。
「気づいてるか?」
リヒトが目配せをする。後に視線を向けていたあたしも「ああ」と短く答えた。
「刀に手ごたえはあるが、障害物を全部通り抜けてる」
影は真っ直ぐ追ってきている。
あたし達は柱や花壇なんかを避け迂回するが、影は通り抜けており、糸だけが物体に当たり抉ったり縫い込んだりしていた。
「初めてだよ。こんな手ごたえが薄いやつ」
リヒトは「はぁ」と息を吐いた。
「あれが魔王なのかどうかも分からないが……。ったく、走り疲れてきた。一発攻撃して反応みるか。さてどの属性に……」
「ん? もう走り疲れた?」
聞いてみると、少し無言の後ゆっくりと首を縦に振った。
「………ああ、走り疲れた」
「体力ないなー」
「うっせぇ。お前と一緒にするな」
まだ逃げ回って一時間も経過していないのだが、リヒトは逃げるのに辟易してきたようで少々苛々している。
まぁ、ほぼ全力疾走なので通常ならとっくにへばっている。なかなか体力あるなぁ、とあたしは感心していた。
「はぁ、こんなに意味不明な物に遭遇するなんて。よし、生きて帰ったら絶対に親父殿をぶん殴ろう」
あたしは故郷の方向を見つめながら呟いて、視線を戻すと悪寒がした。
「……ってマズイ!?」
前方の地面を視界に捉えた瞬間、脳内に警鐘が鳴り響いて、あたしはリヒトを押し倒して地面に伏せた。
ドバァ!
間一髪、走ろうとした地面の下から糸が出てきた。
あのまま行けば串刺しだっただろう。
ホッとしたのもつかの間、上をみてあたしは思わず顔色を変えた。
「やっば! すぐに立てるか?」
「言われなくても立つさ!」
バッと糸の網が頭上に広がって押し寄せてくるので、急いでリヒトの手を引っ張って駆け出す。間一髪で糸の追撃を回避する。
「んー? これはマズイかな?」
襲ってくる糸に纏まった束がいくつも増えてきた。地面や木々や石壁を縫い始めて一つの布生地にしている。布が景色を覆いかぶさり始めた。
「ありゃりゃ、逃げ道塞がれた」
走る速度を緩めてやがて立ち止まりリヒトの腕を離した。
「そうみたいだ」
リヒトが周りを見渡して舌打ちをしている。
シーツを干している洗濯物の中に突っ込んだって感じだ。地面にも糸が隠れている可能性がある。白い布は激しくうねりながら糸を出し始めている。まるで『ここから先は通さない、貫かれろ巻かれろ』と全身で表現しているようだ。
「切ってもいいけど、それで解決ってわけにもねぇ」
大元を何とかしない限り、これが続くと思われる。
このまま逃げても糸がずっと追い続け、町全体を白い布で覆ってしまうかもしれない。
マリオネットじゃなく、ミイラって感じになっちゃうな。
あたしがクスクス笑っていると、リヒトが肩で息をしながら首を左右に振る。
「いやもう、ほんと。呆れるほど余裕綽々だな」
そんな言葉を吐いているが、彼も自若として顔色も変えていない。
「あんたも余裕綽々だな」
「ああ、当然だ」
【想いのまま】
リヒトの言葉に被せるように影が声を反響させ、布をすり抜けて影は姿を表した。
黒い影はにやりと笑った。
【全ての人は我が思いのままに……】
追い詰めた獲物を捕まえるために、指先をこちらへ向ける。




