毒霧の森を進む⑦
幼女が泣き始めたので、リヒトは突き放すように冷たい口調になる。
「泣くのは最後にしろ。次の質問に答えてくれ」
もっと泣き始めるのではとハラハラしたが、幼女は手の平で涙をぬぐってから顔を上げた。
狂気に侵されている姿しか見たことないので、本当に魔王なのかと疑ってしまう。
「お前が森に毒霧を出す災いか?」
『それはおかあさん』
母親も魔王になってるんかい!
あたしはそうツッコミしそうになったが耐えた。下手な茶々をしていはいけない。
一瞬だけ、リヒトが変なこと言うなってアイコンタクトしてきた。
気を付ける。
「お前の起こす災いはなんだ?」
リヒトが核心に触れた。
少女はきょとんとして、ゆっくり質問に答える。
『ええとね。…………おかあさんに悲しまないでほしいって強く願ったら声が聞こえたの。優しい男の人の声。私の願いを叶えてやるって。その力を与えるって』
幼女のいう声は魔王の声だろうが、あの声が優しいだって?
あたしが聞いたのは、地獄から響くような恨めしい声だった。
もしかしたら、依代になる者には違う響きとして聞き取れるのかもしれない。
聞く者によっては慈愛に満ちた声なのかもしれない。
うわぁ。ゾッとする。
『その声に助けを求めたの。そしたら。目を開けたら。おかあさんがトゲトゲの蔓を出していて泣き叫んでいるから、とても怖かった』
ぽたぽたと、幼女の目から涙が零れ落ちる。
地面に当たると、白い花を咲かせて消える。
あれは………リリカの花。
間違いない、村に咲いていたものと同じ花だ。
あたしは背筋が凍った。
ヂヒギ村のリリカの花が、ここから流れてきたとすれば……。
この泉、飲んでも大丈夫だったのだろうか。
ちょっと不安になり泉を一瞥すると、リヒトが大きなため息をついた。
「話を逸らすが、この泉はお前がつくったのか?」
『ううん? これはもともとここにあったよ』
「お前の骨が底に埋まっていたのは何故だ?」
『私の肉を動物が食べて、その取り合いでこの泉に落ちちゃっただけ。私はずっと死んだ場所にいたんだけど。ええと、ここから少し離れた場所でね。それで体が冷たくなくなったから、なんでだろうって思ってたら、おにいちゃんたちがいたの』
「だそうだ」
リヒトが冷たい口調で付け加えた。
ちゃんとした水でよかったー!
「話を戻す。お前は母親を災いとして変化させたか?」
『えええー? わからない。私はおかあさんに泣いてほしくなかっただけなの。私はもう大丈夫だよって伝えようとしても、おかあさんは泣きながら私から離れていくの』
新しく出る涙を手の平で拭いながら、幼女は言葉を続ける。
『おかあさんは私に気づいてくれない。傍にいこうとしても近づけなくて。おかあさんの泣き声がずっと聞こえて、とても悲しいの』
幼女が泣き始めたので、リヒトは傍観する。
少し時間が経過して幼女の涙が止まると、また質問を始めた。
「お前は魔王になった自覚はあるのか?」
『自覚? わからない』
「殺された時や、魔王の声を聞いてから起こった事を話せるか?」
リヒトの容赦ない質問に、幼女は驚いて瞬きした後、数秒目を閉じた。
そしてゆっくりと瞼を上げる。その目には困惑が映し出されていた。
『あの時おかあさんは、外のお医者さんならきっと治してくれると、あたしを連れて村から逃げた。でも追ってくる村長さん達につかまって』
幼女はぶるっと体を震わせた。
『あたしは沢山殴られて、おかあさんの目の前で死んじゃった。痛くて、痛くて。何度もお母さんに助けてって叫んだから。おかあさんが村長さんを殺そうとして、木こりさん達に殴られてた』
そして空を見上げる。
『そしたら優しい声がきこえて、願ったの。おかあさん悲しまないでって。でも目を開けるとおかあさんは死んでた。私のせいで……』
幼女の目が濁って行く。光が失われ絶望の色が濃く浮き上がる。
『おかあさんを助けてって願ったのに、願いはかなわなかった。なんでおかあさんの体から蔓がでてきて化け物になったの? なんでおかあさんは私を置いていくの?』
「あ、もしかしたら、あんたが霊魂だから見えないんじゃないか? 骨なら見えるとか?」
あたしが何気なく呟くと、幼女がこちらを向いた。期待の籠ったキラキラした熱い視線が当たる。
逆にリヒトから苛立った冷たい視線を向けられてくる。
暑くて冷えるぞ。
幼女がスッとあたしの目の前にやって来た。瞬間移動のように素早い。物理法則にとらわれていない動きだ。反射的に柄を持つ手に力がこもる。
『おねえちゃんありがとう! そうかもしれない! 骨なら私だってわかってもらえるかも!』
うわぁ。邪気が一切ない。
その代わりに期待の圧力が全身にぶち当たる。
「いやでも。可能性という話だから、実際に上手くいくかどうか」
物体なら見えるんじゃないかと適当に思っただけで、骨を見てすぐに自分の子だと理解できるかどうかは不明だ。
『でも骨をみせるってやったことないから。いい案だよ! おねえちゃん凄い!』
手放しで喜んでいる幼女。すぐに人骨に戻り、手で持ち上げようとするが。
霊魂になっているため、骨が持てなかった。
何度もスカスカとすり抜けるので、笑顔から徐々に曇り、涙目になった。
『もて、もてない……もてないいいいいい』
またぽろぽろと泣きはじめた。
あたしは柄から手を離して立ち上がって人骨の傍に行き、しゃがみ込む。
涙目の幼女と目が合った。
「結果を期待してほしくないんだが。どのみちあたしは、あんたの母親のところに向かう、だから骨を運んでやる」
曇った幼女の表情がゆっくりと明るくなる。
『いいの!? おねえちゃんが持っていってくれるの!?』
「持っていくだけだ。そのあとはどうなるかわからない」
期待に溢れているので釘を刺す。幼女は小さく頷いた。
『わかった。持って行ってくれるだけでいい!』
あたしが骨を袋に入れていると、静観していたリヒトが幼女に近づいた。
幼女の目線に合うようにしゃがむ。幼女と目を合わせてから、ゆっくりと話しかけた。
「声が聞こえて魔王になる瞬間を詳しく教えろ」
幼女はフリーズしたように固まった。
瞬きもせずリヒトを見つめると、徐々に表情が消えていく。
『声。魔王になった時……』
「お前から魔王特有のシグナルを感じる。魔王に乗っ取られたことを、もっと詳しく思い出せ」
『マオウにナッタときの……』
幼女はカタコトで言葉を繰り返しそっと目を閉じた。
思い出すように数分沈黙が経過した後、ゆっくり口を開いた。
『願った。おかあさんが泣かないように、笑ってほしくて幸せになってほしくて、誰でもいいから助けて叶えてと願った。そしたら声が聞こえた。願いを叶えてやろう。だから我と一つになり我になるといい』
幼女の雰囲気が禍々しい物へ変化し始めた。
あたしはいつでも攻撃できるように刀の切っ先を向ける。
「あれは!」
少女の額にうっすら模様が浮かんでいた。水滴の模様……。王都で見たペンダントに刻まれた模様と同じものだ。
「これは一体……?」
あたしの動揺をよそに、幼女は言葉を綴る。
『でもあたしの願いは叶えられていない。おかあさんはずっと泣いている。願いが叶わないなら我にならない。重い程の憂いと愛おしさ。あれは誰のためのものか? おかあさんのためだよ。だけど私の愛はおかあさんに届かない』
幼女から大粒の涙が地面に落ちる。地面に吸い込まれると白い小さな花を咲かせ、周囲が花畑になった。花畑の中心にいる幼女の目は真っ黒に染まり、皮膚へと浸食し始めている。
『おかあさんは呪われた。死ぬ寸前、願いによって魔王に囚われてしまった。私と同じく救われない。完全に魂が同化した。もう元には戻れない。魂が上書きされる。個が消え我と化す。怒りと絶望で心が占められてどうすることも出来ない。我の器になるため早く願いを叶えて、個の心を消し去らなければ。器を得るための交換条件。個にとっては最後の希望となる』
「器とは何だ?」
リヒトの問いかけに、幼女は応える。
『魔王は器を欲している。魔王自身の願いを叶える為。現世に留まり続ける為の器。本当の身体。強く願いを渇望する器が己に違いない。我と同じ願いをするならばそれは我の器に違いない。我には使命がある。悲痛な祈りを楔にして器を得て蘇れば我の願いが叶う』
「何を願う?」
『姫に、姫に、逢える、守れる、姫に、姫に、頼まれ、姫に、身も心も、姫のために。姫ノ願イヲカナエルタメ二』
幼女の音声が乱れ、声のトーンが変わっていく。
額から漆黒が溢れて、血管のように全身に流れ始める。
あたしの背中が泡立つ。額の熱も焼け付くようだ。
これはまずいぞ!
【姫に愛され護るために我が】
「もういい。陽が出たら母親の元に案内しろ。骨を届ける」
リヒトがピシャリと言葉をかけると、幼女の変化がとまる。
水が引くようにスーッと漆黒が額に集まると奥へと引っ込んだ。幼女の姿が元に戻っていく。
『えへへ。やった』
幼女がぱぁっと笑顔になると、リヒトはゆっくりとため息をついて立ち上がった。
「今のは……」
あたしが声をかけると、リヒトは気怠そうに首を左右に振る。
「今は聞くな。いつか話す」
いつか話すって…………話す気ないだろ。
まぁいいか。期待しないで待ってよう。
「この魔王。今は無害だが、願いがかなった瞬間に力を得る。毒霧の魔王を倒したあとすぐに殺すほうがいい」
おいおいリヒトよ。幼女の目の前で言うな!
危機感もたれてやりにくく……おいこら、幼女も楽観的に頷くんじゃない!
あたしが苦笑いを浮かべると、リヒトは焚火の傍に戻った。おもむろにリュックから寝袋を取り出しす。地面に敷くとこちらを向いた。
「日の出まで起きているつもりだったが、少し疲れた。休ませてもらう」
「あ。ああ。どうぞ。あたしが起きてるから好きなだけ寝ろよ」
了承するとリヒトはすぐに横になった。すぐに規則正しい寝息が聞こえる。
いつも促しても寝なかったのに……。
まぁいいか。しっかり寝てもらおう。
振り返ると、幼女がにぱっと無邪気な笑顔を浮かべていた。
『おねえちゃん。暇? 私と遊んでー!』
「遊ばない。話ならいいぞ」
『わーい。やったーっ』
不本意だが、会話で夜の時間を潰すことにした。
次は毒霧の魔王に挑みます。
読んでいただき有難うございました!
木曜日に更新しますのでまた来てください。
物語が好みでしたら反応していただけると創作意欲の糧になります。




