詰問からの脱出⑨
まさかの事態に、あたしは本気で混乱した。
「あんたに優しくされるとか嘘だろ!? まさか偽者か!?」
リヒトは階段を一歩ずつゆっくり歩きながら鼻で笑った。
「俺に偽物がいるのか。初耳だ」
「いやだって、自分の身は自分で守るってルール。あんたはそれを特に重視してただろ? 命の危険がなくなった時点から、手助けする必要はないはずだ」
「時と場合によりけりだ。人を冷徹みたいに言うな。あと今はまだ命の危険がある状態だ。間違えるな」
吐き捨てるように言われたが、そうなんだろうかと首をかしげる。
あたしは傷の治りも速い。あと数分経過すれば歩くことはできるようになる。拘束が解かれればあとは勝手に個々で逃走するのは当たり前のことだ。ーーーーそう伯父から教わった。
怪我をしたからといって決して足を引っ張るな。同郷以外なら尚の事、他人の手を取らず自分で自分を守るべきであると。そうすれば手を貸さなかった他人を恨まず自分を恨めば済むと。
「だったら猶更、あたしは自分で動く」
今のあたしは衰弱している状態である。
リヒトの足を引っ張ってしまうだろう。
それに……
「降ろせ。村人に遭ったら大変だ」
眷属化した村人達を相手にあたしを背負ったままでリヒトが対応できると思えない。
アニマドゥクスは詠唱する時間が必要だ。その間に接近されたら成す術がない。
接近戦が苦手な彼が一番相手にしたらいけないタイプがうようよいる。
「煩い、黙れ」と、小さい毒づきが聞こえたが、無視して話を続ける。
「今の村人は魔王の支配下になってるから控えめに言っても人間じゃない。別々で逃げたほうが賢い」
「煩い」
リヒトはドスの効いた声を出した。
あたしは少し黙る。
なんで怒っているんだろうこいつ。
「……小声で話しているぞ。しかしこの状況は非常にマズイ。早くあたしを降ろせ」
「馬鹿だと思ってたが、ここまで愚鈍だったとはな」
リヒトはそう静かに呟いてから言葉を続ける。
「はっきり言うぞ。今のお前は戦力外だ」
冷然と言い放たれ「ぐっ」と言葉に詰まった。
「迂愚なその頭で冷静によぉぉぉく考えろ。お前は今すぐ戦えるのか?」
「……」
動ける自信はあるが……戦える自信はない。
だから降ろせと言っているのに。
黙り込んだら、リヒトは立て続けに正論を放つ。
「こうして背負ってみたら尚更分かる。体から覇気が出てない。ぐったりしてるぞ。意識保つので精一杯だろうが。……これでも、戦えなくても一人逃げられる自信があるのか?」
しかし、と言葉を続けようとしたが、その声を遮られる。
「一蓮托生。俺はそれをやっているだけだ」
一蓮托生、とあたしは呟く。
別に一人で逃げると言い張るのは強がりではなく、義務だと思っているから。
モノノフとして、そしてリヒトと組むとしての最小限の礼儀だと思っているから。
助けにきてくれればいいなとは思っていたが、本気で頼んでいないし危険を冒して来るとも思っていなかった。
これはリヒトの慈善心だ。
ここで中途半場に彼から出された救済の手を振りほどくのは、失礼な気がする。
あたしは肩にやっていた手を放してリヒトの首に前に垂らし、背中にしっかり寄りかかった。何か声をかけたほうがいいとはわかっているが、なにも浮かばなかった。
リヒトは小さくため息をついただけで、何も言わなかった。
地下から一階に到着し、建物の外に出る。
すっかり夕暮れになっており空が赤く染まっている。ついでに家々も赤く……赤い炎に包まれていた。
住宅区が軒並み火で包まれており、村人達が悲鳴を上げながら火を消そうとバケツや水石を持って右往左往していた。
黒煙が視界を悪くしている。あまり吸い込むと体に悪いな。
あたしは呆れながら景色を眺める。
間違いなくリヒトが火をつけたんだろうな。
「……あんたさぁ」
「注意をそらすのに火をつけまわってたからな。人間じゃないから別にいいだろ? 少々燃やしても」
的確に質問が返ってきた。
あたしと荷物を背負ってランニングぐらいの速度で走っているのにも関わらず会話ができる。
予想よりも遥かに体力があったみたいだ。
「あいつの自宅にも盛大に火を投げてきた。中にいたやつは運が良ければ助かってるだろうな」
そうか、と相槌を打つ。
やり方は非人道的かもしれないがリヒトがとった手段を責める気は全くない。
火事で誰が死のうがケガしようがあたしには関係ないからな。
決していい気味とは思わないが、あたしも死にかけたのでお互い様だ。
リヒトは周囲を警戒しながら住居区を走り抜ける。
「おい、あれ!」
その途中であたし達の姿に気づいた村人達がこちらへ攻撃態勢をとる。
「はぁ。余裕あるな。燃やし方が足りなかったか」
<サラマンドラよ。小さき花火を纏い踊れ>
「え? 火が!」
「消せ! 消せ!」
リヒトは気づいた村人の近くにあった家数件の炎を強くして注意をそらし、さっさと逃げた。
そんなことを数回繰り返して、チヒギ村と外を仕切る門に到着する。
「門の開閉スイッチはあそこの死体の後ろなんだけど、スイッチ潰れているかもしれないんだよなぁ」
「関係ない」
「は?」
<シルフィードよ、舞い上がれ>
「わ!?」
ふわ。ではなく、ぶわっと、下から風が吹き上げた。
空に放り出されたような浮遊感があり、あっという間に外壁を飛び越え、多少の砂煙をあげるが音もなく地面へ降り立つ。
まるで体重を感じさせない着地だった。
「なん、だと……」
茫然とするあたしを余所にリヒトはスタスタと森の中へ入っていく。外壁から数メートル離れた地点にリヒトの荷物とあたしの愛刀が置かれていた。身をかがめて取るのであたしの体も少し揺れる。
驚いて「うわわ!」と声を出しながら咄嗟にしがみ付いたら「ぐえ」と声が聞こえた。慌てて力を緩める。
「ごめ、……急に動くな、落ちるところだっただろー! 今、受け身をとる自信がないんだ!」
リヒトは肩をすくめただけで怒らなかった。
「……今なら余裕でお前を殺せるな。視野にいれとく」
「この野郎」とあたしは呻く。
「さてと。森を超えるには飛ぶほうがいいか」
「飛ぶ?」
リヒトは涼しい顔をして森を見上げてから詠唱を行う。
<シルフィードよ。舞い上がり支えたまえ>
「!?」
また視界が上にスライドして浮遊感、木々の上へ抜けた。
そのまま空中で固定される。
「これは」とあたしは小さく声を出す。
風の音が耳元でゴウゴウ鳴る。少しだけ舌を出すと風の動きがわかった。
上から吹く風が螺旋状に体を包み下から持ち上げるようにしてまた上空へ戻って行く。風で作った風船の中に入って浮いているみたいな感じだ。
「すご……空を飛んでる」
歩く速度で空を飛んでいる事に興奮を覚えつつ、眼下に視線を移すと、木々の隙間から毒の霧が立ち込めているのが確認できる。
「霧の上まで来たのか」
「木の上には出てなかったからな。こうやって飛んで行ったほうが安全だ。霧が無い場所まで移動する。そこで……」
「これもう人間業じゃない」
「聞けよ」
「あんた以前さあ。トチ狂う木々の宴のとき」
リヒトは大きなため息をついて「なんだ」と呟いた。
あたしの言葉が強かったので、こちらを先に終わらせるほうがいいと思ったみたいだ。
「あたしが水平に木を駆け上がったのを見て、人間業じゃないって罵倒してよな」
「したな」
「あんたも同じじゃないか。人間業じゃないぞ」
「これはアニマドゥクスの力だ」
リヒトはドキッパリ言い切った。何をくだらないことを言っているという響きも含まれている。
「普通じゃない」
「だから」と苛立ちを含めた言葉が返ってくる。
「神業的なすごい能力だ。尊敬するぞ」
あたしは素直にそう思ったので伝えた。
空を飛んですごく感動したし、興奮したからだ。
世界に存在する自然の力の塊の総称、精霊。これを扱う人間をアニマドゥクスと称した。
かの戦争で暴悪族が得意とした能力の一つであり、敗北した後に廃れたと伝わっている。
実際に体験してみると色々な場面で重宝する。なるほど、勝利を左右するほどの力と呼ばれるに相応しい能力だ。
リヒトの能力を侮ってはいなかったが、ここまでだとは思わなかった。
やっぱり凄いやつなんだな。
リヒトは少し黙った後、チッと舌打ちをした。
「これは精霊の力を借りているだけであって俺が凄いわけではない。それとアニマドゥクスは細々とだがちゃんと継承されてる。廃れてはいないし、空を飛べる人間もちゃんと存在している。……隠しているだけだ」
「そんなもん?」
「能ある鷹は爪を隠す、っていうだろ? 強大な力は底辺と上部からやっかみを買うんだよ」
リヒトは少しだけ頭を振ってから話題を変えた。
「話を元に戻す。今日は川の傍で野営する。獰猛獣が水を飲みに来るリスクはあるが、血の匂いを消さないのはマズイだろう。手当するなり着替えるなりしろ」
「気遣い有難い」
「……」
リヒトが無言になったので、あたしも無言になる。
何気なく、肩越しに後ろを見ると村が見えた。日は完全に落ち、西の空がもう薄暗くなっているから余計に炎の明かりが目立った。
黒煙が狼煙のように昇り、一つの焚火のように村を明るく彩っている。
脳裏に地下室のことを思い出す。
あの状態から命を拾い、五体満足で退却出来たのが今更ながら信じられなかった。
もしやこれは夢ではないか。痛みすらも夢の感覚ではないか。
そう疑念にとらわれそうになったが。
耳元で聞こえるリヒトの規則正しい呼吸と、体越しに伝わる体温と心音が妙に心地良くて。
「……はは、嘘だろ」
視界が急激に暗くなった。
安心して緊張の糸が切れたなんて…………笑うしかない。
あたしは自嘲しながらブラックアウトした。
読んでいただき有難うございました!
次回は逃げた先でのお話です。
更新は木曜日です。
物語が好みでしたら何か反応していただけると創作意欲の糧になります。




