詰問からの脱出⑤
(おい間抜け。今、何処にいる?)
突然、リヒトの声が頭に響いた。
不審に思われない程度に視線を動かしてみるが姿はない。そもそも、あいつの気配も見当たらない。
悪鬼は少しふらつきながらあたしの前に佇んでいるし、村人達はあたしの動きに注目している。第三者が居ればこいつらに何かしら反応がある筈だ。
この場には誰もいないのだろう。
(つながったか? 聞こえるか?)
だとしたらこの頭に響くのは一体何なんだ?
空耳……にしてはハッキリと聞こえるんだけど。
もしかして走馬燈?
数か月、共に行動したけども……まさかこの状態であいつの声を思い出すなんて。
あたしに言い知れぬ衝撃が走る。
一蓮托生だし、あたしに不足している部分を補ってくれるので頼りにしていたが、まさかこんな危機的状況で思い出すほど存在が大きかったなんて予想外だ。無自覚だったけどそうだったのか?
(おい。おいって)
いや待てよ。
走馬燈なら思い出すのは過去の出来事だ。
この頭に響く声、現在進行形の会話っぽい気がする。
困った。これはあたしの頭がおかしくなったってことなのか?
(お前の頭は正常だ。わざわざ話しかけてんだから無視すんな。助けないぞ)
あ。やっぱり『会話』だ。
過去の出来事がフラッシュバックしているわけではなくて、本当に頭の中でリヒトの声が響いている。
これはきっと精神感応だ。
強いサトリの力を持つ者が行えると聞いたことがある。
……あれ。だとすると、あたしの思考を読んでるって事だよな。
どこまで読まれたんだ?
思ったよりも信頼していたんだって衝撃を受けていた事は筒抜けになったのだろう。
ちょっと気恥ずかしくなった。
(非常事態だろう。諦めろ)
くっそ。仕方がない。
(現在地はどこだ)
あれ? 助けにきてくれるっぽいぞ。
でもどうしよう。あたしの失敗でこいつを巻き込むのもなあ……。
(今がどんな状況なのか分からないが、お前大分ヤバイだろ。この後に及んでそんな悠長なセリフがはけるとは、自信過剰もここまで来ると呆れるなぁ。おい)
息を吐くように罵倒された。
今、村中に眷属が溢れいる。下位妖獣レベル並の強さだ。
果たしてリヒトが無事に来ることが出来るのだろか。
巻き込むのも悪い気がする。
(余計な事ごちゃごちゃ考えるな。今どこだ)
声のトーンが低くなった気がする。苛立つ感情を抑え込んでいるようだ。
(魔王の気配が強すぎて位置が特定しづらい、居住区のどこだ?)
それは……
ガンっと意識が揺れる。
悪鬼があたしの顔面を殴ったので、頭部が揺れて一瞬意識が途切れた。
意識が黒く塗りつぶされる。
…………
……
(早く質問に答えろ!)
はっっっ!
リヒトの怒鳴り声が脳に響いて意識が明瞭になる。
呼びかけ助かった。今本気で気を失うところだった。
脳震盪を起こしたっぽくて、まだ目がちかちかする。
医者の自宅の地下。
門から南に下がって居住区の中央ら辺。二階建てのこじんまりした家のちか……がっ!
「あぐ!」
「黙秘とは良い度胸だ」
居場所を伝えている最中に魔王があたしの腹に拳をめり込ませる。そのまま強く押し付けられる。
「ぐ。げほ!」
血と胃液が込み上げてきて吐きだしたので息が詰まった。
何度目かになる嘔吐を床にまき散らしながら、あたしは体を震わせる。
「痛いだろう、怖いだろう、これが俺の妻の痛みだ。村の者の痛みだ」
胃からの逆流に咳き込んでいると胸倉を掴まれ持ちあげられる。悪鬼は哀傷に満ちた眼差しをしながらあたしの顔を覗き込む。
「命があるうちに早く薬を出せ」
「……」
あたしの体が小刻みに震える。
もちろん、恐怖ではない。怒りだ。脳内でブッチィィィと音がする。
堪忍袋の緒が切れた。
「い……」
「い?」
「いい加減にしろよこの腐れ耳の魔王があああああ!」
あたしは練っていた闘気を額に纏いながら、全身全霊で悪鬼の呪印に頭突きを喰らわせた。
持ちあげられていたので悪鬼との距離が近いから、少し頭を前にしただけで余裕で当たる。
ゴォン!
小気味いい音がして悪鬼がよろけた。
「人をずっとサンドバックにしといて何か言えとか言えるわけねぇだろおおおお!」
さらにもう一撃、頭突きをくらわせた。
「う、ぐ!?」
予想外の攻撃と威力だったのか、悪鬼はあたしを放した。両手で顔を覆いながらよろめきつつ数歩後ろへ下がる。額からパチパチと火花が飛び散り、靄が薄くなった。
思った以上に良く効いたみたいだ。
額に刃物生やしてもう一度頭突きしてやりたい。
悪鬼に解放された瞬間、ベギ! と金具が壁からもげてしまい、あたしは宙に浮いた。
そのままドシンと床に尻もちをつく。
「いった!」
多分、悪鬼の攻撃が留め具にかなりの負担をかけていたのだろう。その時にあたしが強く体を振ったさいに耐え切れず取れてしまったようだ。
いまだ!
ラッキーが起こったので、力を振り絞ってすぐに体を起こた。悪鬼に体当たりをくらわせつつ、台の上に置かれたナイフを取ろうと手を伸ばす。
「取り押さえるんじゃ!」
呆気に取られていた村人達だったが、流石というか、すぐに村長が指示を飛ばす。
号令を聞いて木こり二名が即座に動き、あたしの上にのしかかった。
踏ん張りきれずバタンと床に倒される。寝転びながら上から押さえつけられる4つの手を払い除け、木こりの腹や顔を足で蹴りつつ引き剥がす。
多少なりとも木こり達の顔に裂傷が、服に靴底の泥が付着する。
「大人しくしろ!」
「まだ動けるのか!?」
木こり達が大慌てになりながら暴れるあたしを捕まえる。まるで巨大魚を確保するかのような動きだ。
ここに吊るされる前だったら難なく払えたはずだが、悪鬼からの追加ダメージが深刻で力の持続ができない。
あたしの力が尽きた瞬間、すぐに取り押さえられた。うつ伏せで両手両足を抑えられる。
「はぁはぁ。……ああああ、くっそ!」
せめてナイフを取れたらもうちょっと応戦できたのに!
あっさりと動きを封じられてしまってかなり悔しい。
「こ、こいつ、あれだけ殴られてもまだこんな力が」
「これじゃまるでヘッドリッサベアのようだ」
木こり達から畏怖視線が降り注ぐ。押し付ける手から彼らが震えているのが分かる。
熊と例えられてしまったんだが、このくらい普通に暴れるだろ?
「おのれ……おのれ」
悪鬼が斧を持って仁王立ちしている。若干体幹がふらついていたが、爛々に光る目は怒りに震え、あたしを見下ろしていた。
あと数発殴ったら倒れそうだな。
悪鬼の体が怒りで沸騰したように赤々と染まりはじめた。あたしの頭上で斧を振り上げる。
「もういい、死ね」
村長達も驚いたように目を見開いたが、ケラケラと愉快だと言わんばかりに笑った。不気味なカエルの合唱みたいだ。
「病に罹らないなら死ね。仲間でないなら死ね。絶望を持ち込んだ者は死ね」
あたしが言う事を聞かないから諦めたか。
いい気味だ。……って笑ってられないな。
あんなん脳天にくらったら即死だ。
悪鬼は斧を振り下ろした。
くそ。ここまでか……。
覚悟を決めたその瞬間に、悪鬼の腕に取り憑いていた黒い靄が分離する。元の腕を外側に引っ張り斧の軌道を変えた。
ガン! と斧が床に傷をつける。
軌道を変えた斧はあたしの頭部より20センチ外側に刃を立てた。
予想外の靄の動きに驚愕する悪鬼。
なぜだ。と叫ぼうとした口を塞ぐように、内側からもう一つの口が盛り上がる。
【この者の体に流れる血こそが病の特効薬だ。一滴も無駄にするな】
「なっ!?」
突拍子もない発言を聞いて頭が真っ白になった。
今までの行動でどこをどうしたら、あたしの血が特効薬だと気づけるんだよ!?
正解だけども。意味がわからんっっ!
呆然とするあたしの目の前で、悪鬼の顔がもう一つメキメキと音を響かせて生えてくる。2つの同じ顔が互いの陣地を取り合うようにせめぎ合う。
【さぁ。薬を求めた貴様の願いが完全に叶った。この器は我の物だ】
「あ。が。が。が」
カタン。と斧から手を放し、悪鬼がもだえ苦しみながら、頭を抱えて後ろに後退する。
周囲から溢れ出した黒い靄のが悪鬼の体内に流し込まれて収束していく。
「あ。が。が。が。がっ、があああああ!」
淀んだ力を限界以上に注がれた悪鬼は激しい雄叫びをあげた。空気がビリビリ振動する。
ビリッ ビリッ
悪鬼の肉体がまた一回り大きくなる。衣服が音を立てて破れて全裸になった。太い血管がいくつも浮き上がり脈打つ。
まるで真っ黒な鬼の彫刻だ。生殖器がないので下から見上げてもそんなに不快ではない。
変化を遂げた悪鬼は肩で呼吸しながら、4つの目で見下した。
【はぁ。はぁ。こいつの、血が、妻を助ける】
まだナルベルトの意志があるが、気配は魔王だ。
辛うじて人間の意識が残っているにすぎない。
多分、彼があたしの血を薬として妻に使った瞬間、完全に魔王化するのだろう。
面倒な手順であるがこれは人間と魔王の契約だ。魔王化に時間がかかるのはこのせいか。
体が落ち着いてきたのか、悪鬼の呼吸が正常に戻る。その途端、発狂したように大笑いを始めた。
【はははは! そうか、そうだったのか! まさか血とは思わなかった! 小娘、良い隠しどころを考えたな!】
考えて隠してたわけじゃない。体質だ。
さて。どうしようかな。
薬の正体が魔王の謎サーチによって暴露された。
【今すぐ、小娘の血を搾り取れ! 妻が助かる、村が救われるぞ!】
眷属の喝采があたしの鼓膜を響かせた。
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