旋回する質問と渦巻く暗鬼⑨
翌朝、朝日と同時に目を覚ますとリヒトは寝ていた。特に声をかけずに食堂へ向かう。
今日の朝食はなんだろうと思ったら、まだマーベルは料理を仕込んでいた。ちょっと早く起き過ぎたようだ。
あたしに気づいたマーベルが深い皺を作りながら笑みを浮かべている。
「おはようございます」
「おはよう」
「すいません、まだ朝食は出来てないんですよ」
「大丈夫。今日は早く目が覚めてね。ここで待っててもいいかな?」
「そうしてくれると助かります」
マーベルが調理場へ引っ込んだのであたしは食堂のテーブルへ適当に座った。ぼんやりと昨晩を思い出す。
あいつ、やっぱ勘がいいんだよなぁー。
最初から睡眠薬盛っておくんだった。
手順を間違えた事に後悔する。
マーベルは心配そうにこっちをチラチラ見て、出来上がった品から急いで持ってきてくれた。
よほど腹を空かせていると思われている。
どんな顔してたんだあたし。
「すぐできたのはこれとこれ」
焼きたてのクルミパンとジャムを置いてくれた。とても良いにおいがする。
「お腹空いたでしょ!? もうちょっとで出来上がるから、待っててね!」
パタパタと急いで戻っていった。その背中を目で追うと
「どうやら空腹で倒れそうって思われたらしいな」
リヒトが声をかけてきた。
彼は旅の服に着替えており、足取りも軽やかだ。
沢山空いている席があるのに、同じテーブルつき、わざわざあたしの前の椅子に座った。
話があるようだ。
「おはよう。気分はどうだ」
声をかけると、リヒトは腕の袖をめくった。湿疹が消えて皮膚の色合いも元に戻っている。
あたしが確認し終わったのをみて、すぐに袖を元に戻す。
「一晩で消えた」
「よかったな」
「………ああ」
腑に落ちないという表情を一瞬するも、すぐに元の無表情に戻る。
そのタイミングでマーベルがあたしの朝ごはんをトレーに入れて戻ってきた。
チキンのスープと野菜サラダ、スクランブルエッグ、卵のサンドイッチ、スコーン、くるみパンとジャム。
食べれるけど品数多すぎだろ。作るの大変だろうし、どんだけ食べると思われてんだ。
「これで足りますか?」
「十分すぎる。用意するの大変だっただろう」
「とんでもない。村の者が大変失礼しまして。こんなものでしか誠意をみせられず。宜しければ沢山食べてください」
「気にしなくて良かったんだが、有り難く頂く」
ルンルン気分でスープを飲み始める。
味は美味しいんだよなぁ。
あたしがニコニコしながら食べているのを微笑ましく眺めてから、マーベルはリヒトに向き直った。
「おはようございます。村長から聞きました。ローレルジ病を罹ったそうで。この宿で最後まで看取るように言われたんですが……動いで大丈夫ですか?」
リヒトは少し沈黙して「ああ」と答えた。マーベルは病に語ろうとしたが、それを制して、リヒトはあたしの半分くらいの量の朝食を持ってくるように頼む。
マーベルは残念そうに調理場へ戻った。
あたしはまた老婆の背中を見送る。
「宿で看取るねぇ? 村長は気が利くのかな?」
年齢を考慮して薬湯を用意した事を考えると、親切な部類であるとは思う。
「さて、どうかな?」
リヒトは窓から見える村の風景を凝視しながら答えた。眉間に皺が寄っている。色々考え事をしているように一点を見つめて動かなかった。
「それは隠すほうがいいか?」
先程、病について否定しなかったので、小声で問いかける。
「ああ。面倒が増える」
ここで病が治っているとバレると厄介と判断したみたいだ。
リヒトは辟易したように頬杖をついた。
「今回の問題は人間だ」
「それは……」
「はい。待たせましたね。どうぞ」
リヒトの言葉の意味を問う前に、マーベルが朝食を持ってきたので口をつぐむ。
テーブルに料理を置いたマーベルは今度は直ぐに去らず、リヒトの右横へ移動すると椅子に腰掛けた。
「旅人さん。やせ我慢しちゃいけませんよ。かかったらすぐにだるくて体を動かすのが辛いんです。食事が終わったら部屋で休んで下さい」
マーベルは心配そうにリヒトの顔を覗き込むが、彼は我関せずでモクモクと食べている。
「ショックなのは解りますが、受け入れて治療を行わないといけませんよ。湿疹は3日で手足全部を覆い……」
マーベルの言葉が止まった。その表情は驚いていり。
リヒトは食べる動きを止めた。しまったと一瞬表情が歪む。
「村長は手の甲にと……」
とマーベルが乾いた声で呟き
「ちょっと失礼しますね」
リヒトの許可を得ないまま勝手に彼の腕の袖をめくる。彼の皮膚は湿疹の名残のような薄い赤が二個ほど見えるが、肌の色と区別がつかない。
打ち身の痕じゃないな。しまった。軽く叩いておけばよかったか。
マーベルは目の周りの皺を押し上げるように目を見開き、穴が開くほどジッと、腕を見つめた。瞳が動揺したように揺れているのが分かる。
無礼な老婆を殴るかもしれないと、あたしは一瞬ヒヤっとしてリヒトの顔色を窺う。彼は嫌そうに眉をしかめただけで拒絶はしなかった。
「なにも、ありませんね……」
肩透かしをくらったように呆けながら、マーベルはそっと袖を元に戻す。そして数秒無言になり、ため息をついた。ゆっくりとリヒトから距離を取ると、恭しく頭を下げた。
「申し訳ありません。腕を見せていただき有難うございました。どうやら村長の誤診のようですね。旅の方が発病していなくて良かったです」
マーベルが安堵した笑顔を見せた瞬間、リヒトの顔が引きつった。おぞましい生物を見たかのように眉をしかめると、すぐにマーベルから視線を外して、椅子を動かしてまで距離をとってから食事を続ける。
「村長が脅すような言い方をして申し訳ありません。でも分かってください。彼も貴方を心配していたのです」
「……」
「気分を害したのは謝ります」
「……」
リヒトが完全にマーベルを無視したので、彼女はあたしに話しかけた。
「お連れ様がご無事で良かったですね」
いや誤診ではない、治っただけなんだ。とは言えず、あたしは「そうだな」と頷く。
「症状を把握していないないから不安だったが、そう言って貰えるとホッとする」
「そうですね。………良かったですね」
マーベルは笑顔だったが、あたしはその笑顔を見て背筋が凍るような思いがした。
本心なのかそうではないのか、腹に何を思ったのか、想像は出来るが考えたくはなかった。
料理を食べ終わったリヒトは若干軽蔑した眼差しを向けつつ、マーベルに話しかける。
「今日の昼でここを去る」
マーベルが「え?」と答え、あたしは「え?」と聞き返す。
寝耳に水なんだけど。
そう思ったが、訂正は入れないでおいた。
成り行きを見守ろう。
マーベルは驚きで目を見開く。垂れ下がった瞼がパチッと開かれ、完全に目の形が見えるほどだ。
「今、村から、出る、と? おっしゃいましたか?」
「そうだ。早く助けが必要だろう。早急に手を打つよう伝えてくる」
マーベルは言葉を選んでいるのか、口が開いたり閉じたりしている。
「本来なら来てすぐ引き返せばよかったんだが、俺がこのザマだったからな。すまなかった」
はあ? 口先だけでも謝っただと!?
「え? いえ、そんな」とマーベルは狼狽して口ごもる。
「すぐに綺羅流れに連絡をして村に応援を呼び、この状況を打破する」
リヒトは立ち上がりマーベルの肩を優しく掴む。頼れと言わんばかりの態度が、演技かかっているような気がする。
「貴方達が不安を感じる日々をこれ以上続けない様、全力を尽くす」
いつもとは若干違う雰囲気を出しながら、マーベルの『何か』にむけて説得しようとしている。少々っていうかかなり芝居かかった言い回しだが、マーベルの信頼度がグングンあがっていくのを目の当たりにした。 『言葉巧み』ってああいうのを言うんだな。
いや、どうしたよあいつ。びっくり仰天なんだけど。
あたしはぽかんと小さく口を開けてリヒトを眺めた。
明かりを消して二人だけにライトを当てたい気分だ。朝なので無理だけどな。
「あ……有難うございます! 有難うございます!」
涙を浮かべたマーベルは憑き物が落ちたような……今度こそ本当に安堵したという希望に満ちた笑顔になった。
それをみて、リヒトが半眼になり小さいため息をつく。
老婆に安心感を与えたかったという話ではないと思う。
あたしはまだ彼の真意が理解できなかった。
次回更新は木曜日です。
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