霧立つ森に閉ざされた村⑧
文字数2800くらい
到着した村長宅は住宅区のど真ん中で、木造の一軒家だった。
薄そうな木のドアをノックすると、はい。と返事をしながら老婆がドアを開けた。年齢は60歳ほど。化粧をして花柄のワンピースを着ていた。背はとても低いが背筋がピンと伸びている。
浅い皺の入った瞼が大きく見開かれ、くるんとまるい眼球があたしを見つめた。
「あらまぁ! 話には耳に入ってましたが、本当に? 旅人さん?」
「旅人です」とあたしは復唱すると、「そうですかぁ! そうですかぁ!」とはしゃぐような声色を出し老婆は目を輝かせた。目じりに涙を浮かべて、恭しく頭を垂れる。
「ようこそ! 歓迎します!」
老婆は顔をあげると、祈るように手を組みながらズイっと身を乗り出した。あたしは引きつった笑みを浮かべて一歩下がる。
何か期待されている。
あたしは背筋に冷たいものを感じるも、情報収集はしっかりやろうと気を引き締める。
「村長さんはご在宅か?」
「ささ! 中へどうぞ」
「いや、在宅かどうかを」
「どうぞ! どうぞ!」
言葉を途中で遮られ、すぐに中に入るよう促された。なんだか入りたくない、とあたしは言葉を続ける。
「もし不在ならばまた時間を改めて……」
「旅人さん。遠慮せずに中へどうぞ!」
強めの笑顔で手招きをする。あたしは呆れながら眺めた。
この老婆、話ちゃんと聞いているのか? これでじつは村長留守だったから文句言うぞ。
「わかった。お邪魔しよう」
意を決し玄関から一歩入ると、村中に広がる薬の匂いがあった。
これは、薬のようなお茶の匂いだよな?
薬湯というべきか?
これを嗅いでいると、凄く不快な気分になる。
なんなんだ、これ?
嗅いだことのない匂いに眉を潜めながら、老婆に続いて通路を歩く。廊下は動物のはく製が沢山飾られていた。鹿や熊、妖獣の古熊も怪鳥もある。傷が最小限なので、腕の良い者に狩られたようだ。
剥製を眺めていると、老婆が通路の端にあるドアを開け、「こちらへ」と促した。
どうやらリビングに案内されたようだ。
色の装飾が殆どない木目調の部屋に、四人掛けのテーブルと質素な椅子が置いてある。
ここにも棚に剥製が置かれ、絵が飾られてあった。
男性数人が武器を持っている絵と、男性数人が牙の生えた虎を持って笑っている絵の2枚だ。
「ようこそ。旅人さん」
絵を眺めていたら、皺だらけのスキンヘッドの老人があたしに近づいてきた。足腰がしっかりしていて、背筋もピンと伸びている。
あたしよりも頭五つ分高い老人は、柔和な笑顔を浮かべ、握手を求めてるように右手を差し出した。
差し出された手はごつごつして、腕も太い。
若いころはさぞかし長身で肉体派だった。と、予想がつく。老人は元狩人だろう。否、雰囲気からすると、今も現役かもしれない。
「儂がこの村の村長じゃ」
「どうも」と、あたしは握手を返す。
閉鎖的な村では愛想良くしておいた方がいい。
あたしと握手した村長は驚いたように瞬きを一回行って、すぐに平常心に戻った。
「おお。これはこれは、只者ではありませんな。まずは席につきなされ。お話はそれからじゃ」
テーブルに案内されて座ると、村長の妻がひと口サイズの団子が入った皿と、茶色い液体が入ったコップを目の前に置く。
不快な薬湯の匂いが強くなった。
どうぞ。と促されたが、飲む気が起きなかったので、あたしはコップを持つこともせず、すぐに村長夫婦に問いかけた。
「失礼な事を聞くが、この変な匂いのするお茶はなんだ? 村中から匂ってくる。これはこの村の特産品なのか?」
村長夫婦は無言でお互いの顔を見つめた。
なんだそのアイコンタクトは。
ツッコミしたかったが耐えた。彼らから嫌気が見え隠れする。返答を待ったほうがよさそうだ。
少し間をあけ、老婆が静かに答えた。
「特産品ではないですが、この村で昔ながら飲まれている薬湯です」
「世間一般に飲まれているものなのか?」
「……………」
老婆が釈然としない様子で黙ったので、あたしは訊ね方を変える。
「薬湯なら病気の者に飲ませるってことだよな? あたしが病気を持っているように見えたのか?」
「いえ、その……。そんなつもりはありません。あの、すいません」
老婆が申し訳なさそうに謝ったので、あたしは首を左右に振った。
「謝らないでいい。気分を害したわけではなく、薬湯を出す理由を知りたかっただけだ」
「それは……」と言いよどむ老婆の声を遮って、村長が声を出した。
「そうじゃな。旅人さんからすれば、こちらの配慮が不思議でならんじゃろう」
あたしが頷くと、村長が言葉を続ける。
「ここに来る途中で若い者の姿を見かけたかな?」
「ああ。病気に罹っている若者や子供なら見かけた。というか、殆ど病人しか見ていない」
即答すると、村長は深いため息を吐きだした。
「現在、この村では風土病が爆発的に流行しておる。老人は無害じゃが、五十代から下に病が蔓延している。だから旅人さんも発症する可能性があると思って用意したんじゃ」
「そうか」と頷きながら、
やっぱり霧の他にもなにかあった!
あたしは内心頭を抱える。
風土病の流行が災いに関連があるにしろないにしろ、現状を把握するためには、どんな些細な情報も必要だ。
全く関係のない事が結びつく可能性がある。
あたしは「はぁ」とため息を吐いた。
「だから薬湯を用意したと? その風土病とは一体なんなんだ?」
「ローレルジ病じゃ」
「ローレルジ病?」
「まず手足から湿疹がでる。それから体が節々まで痛くなって、動けなくなって、指先から黒くなっていくのじゃ」
「末端から壊死していくってこと?」
「左様。黒くなったら四肢が腐り落ち崩れていく。それが体を浸食し、心臓まで到達すると痙攣を起こしてショック死するんじゃ。朽ちていく痛みは想像を絶するほどで、心臓まで届く前にショック死する者もおるが、ほとんどの者は最後まで苦しんでから逝く。恐ろしい病じゃ」
なんだそれ、怖い。
「風土病なら、この土地に原因があるんだろう? アテはあるのか?」
村長は首を左右に振り「わからん」と否定し
「誰も調べようとはしておらんし、儂らも止めた。いつもの事じゃと思ってのぉ」
「手足腐り落ちるのかいつものこと……」
棒読みで復唱して、呆れた様に肩をすくめた。
「死ぬ病じゃないか。それでも原因を特定しようとしないのか?」
「そうじゃ。ここには正常な医者しかおらぬ。酔狂者はおらぬ」
「酔狂者……ねぇ」
うっわ、言い方が悪い。
こっちの言葉を使うということは、風土病解決に対して非協力的と言わざるを得ない。
風土病は限定した地域に定着し、流行を繰り返す病気の総称だが、原因を突き止めるには色々調査して、研究しなければならない。
調査研究する。ということは、積極的に病と関わるということだ。下手をすれば自らも死ぬ危険性を孕む。
それを行う人達は研究者と呼ばれ重宝されるが。
逆に、病と深く関わる人達の事を愚か者と称し、酔狂者と呼ぶ地域も多い。
研究者を酔狂者と呼び蔑む地域は、風土病が色濃く残っている節がある。自分の命と引き換えにしてでも、勢の命を救おうとする猛者を、本来は歓迎すべき事なのだが。
この村では排他してきた可能性が高そうだ。
次回更新は木曜日です。
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