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長いです。

あと、暴言があるので苦手な人は注意してください。

 三時間ほど経った頃、美優が目を覚ました。

 薬が効いたのだろう。すっきりした表情をしている。

 汗を拭かせて体温を測ってみると、三十七度後半まで下がっていた。

 時刻はそろそろ夕方。


「お粥、食べる? 朝から何も食べていないんでしょ?」


 美優に水分をとらせながら、レトルトのお粥をあたためて茶碗によそい、レンゲを添えてテーブルに置く。美優はパジャマ姿のまま「いただきます…………」と食べはじめた。

 まだ熱が高いので(どうかな?)と心配したが、幸い、美優はあっさり食べきった。


「薬を飲んだら寝なさい。まだ熱がさがりきっていないんだし」


 指示どおり薬を飲むと、美優は立ちあがろうとした花織にか細い声で訊ねてきた。


「…………どうして、助けてくれたの…………?」


「ん?」


「…………あたし…………ひどいことをした…………二年前…………」


「まあねぇ」と花織も肯定した。自分でも「どうして」と思う。

 目の前で苦しんでいる病人を放っておけない、とか、裕貴があまりにひどすぎるから、とか、色々理由をこじつけることはできるけれど。


「まあ、そういう時もあるわよ。現実問題、裕貴の態度はひどすぎるし、あなたも命に関わることだしね」


 花織が肩をすくめると、美優の声がふるえた。嗚咽がもれはじめる。


「ごめんなさい…………」


 大粒の涙がこぼれはじめる。


「ごめんなさい…………ごめんなさい…………ごめんなさい…………っ」


「え? え? 何?」


「あたし、ひどいことを言ったのに…………ひどいことをしたのに…………なのに…………」


 花織はわざと明るい声を出す。怒る気は、とっくに失せている。


「まあ、もういいわよ。裕貴がとんだ事故物件って、わかったことだし。むしろ、あなたのほうがひどい目に遭っていたようだしね」


 すると美優は、わっ、と泣き出した。

 泣きながら、怒涛のごとく言葉を吐き出していく。


「運命だと…………運命だと思ったの。大久保先生はイケメンで、女の子達に人気で、美人の先輩と付き合ってるって聞いたし…………でも『美優が一番だ』って言われて…………運命だと思ったの。あたしは選ばれたんだ、先生の一番はあたしなんだ、先生が本当に愛しているのは、あたしだけだって。これが運命だから…………絶対に変わらない、絶対に幸せになれるって…………信じたの…………!」


「でも」と美優は否定した。


「全然、幸せになれなかった。先生はどんどん変わって…………」


 美優は涙をぬぐいながら説明する。おそらくは本人も過去をふりかえるために。


「最初はすごく幸せだった。先生のためにご飯を作って、服を用意して…………夜遅くまで起きて帰りを待つのも『ああ、あたし今、妻っぽい』って、本当に幸せだった。でも…………」


 はじめはささいな注意だった。「ここが悪い」とか「あそこが足りていない」とか、テストの間違いを教える程度の感覚。

 だが、その『注意』は日を追って増え、どんどんハードルがあがっていき、気づけば美優は買い物一つ、裕貴の許可がなければできない生活に変わっていた。


「あまりに大変だから、裕貴に言ったの。『そこまでしなくても』って。そうしたら…………」


 すさまじい剣幕で怒られたという。

 常に優しかった裕貴の初めての大声であり、罵倒だった。


『お前のためだろ!?』『お前が立派な妻になるよう、躾けてやってるんだぞ!?』『オレが間違っているって言うのか!?』『だったらオレを納得させてみろ!!』『お前は外見は良くても頭は馬鹿だから、オレがフォローしないと駄目なんじゃないか!!』


 美優は散々怒鳴られ否定され、ひたすら怯えて『ごめんなさい』とくりかえし、気づけば裕貴の罵倒は二時間にも及んでいた。

『裕貴が正しい』『裕貴の言うことをきく』、そう約束して、ようやく解放されたのだという。

 裕貴は機嫌を直し、美優に『怒鳴ってゴメンな。でも美優を愛しているから、言ったんだぞ?』と優しく笑いかけてきたが、美優の心には、この時を境に決定的な変化が生じた。

 美優は裕貴を恐れるようになり、顔色を窺うようになり、反比例して裕貴はどんどん美優への要求をエスカレートしていき、ちょっとした不機嫌で怒鳴るようになり、美優は「毎日、ライオンと一緒に檻にいる気分」を味わうようになった。

 ドラッグストアで再会した時、裕貴が言っていた『結婚記念日のディナー』も嘘だそうだ。結婚前はケーキも食事もすべて奢ってくれた大久保先生は、もうコーヒー一杯も払ってはくれない。おそらくは、花織を悔しがらせたかっただけだろう。

 花織は不思議でならなかった。


「あなたのご両親は何も言わないの? 裕貴のほうの親御さんも?」


「お義父さんもお義母さんも『裕貴が正しい』って…………『あなたは勉強のできない高卒で、なんの取り柄もないんだから、せめて裕貴の言うことをよく聞いて、いいお嫁さんになってくれないと、私達も恥ずかしいわ』って…………あたしのお母さんや、お父さんは…………もう、ずっと会っていない…………」


 美優の両親は、裕貴との結婚に猛反対だったそうだ。当然だろう。ただでさえ教師と生徒、そのうえ十七歳と三十歳だ。親から見れば、まだ世間を知らない可愛い娘が、卑怯な大人にだまされたとした考えられない(実際、そのとおりだったし)。


(会ったことはなかったけれど…………裕貴だけでなく、両親も問題有りか…………)


 美優には申し訳ないが、花織は裕貴との結婚が流れた幸運をしみじみ、かみしめる。

 そこへスマホの着信音が響く。

 メールではなく、電話だった。

 美優が一瞬で泣きやみ、かわりに恐怖の形相となる。

 花織は自分のスマホを操作し、それから美優のスマホをとって、通話機能をオンにした。

 途端、罵声がせまいワンルーム中に響く。


『美優!! この馬鹿!! お前、いったいどこにいるんだ!!』


 そばにいた美優が「ひっ」と声をあげ、耳をふさぐ。


『ふざけんなよ、お前!! 帰っても出てこない、掃除もしてない、夕食もない!! 母さん達の前でオレが恥をかいたじゃねぇか!! 妻の役目をなんだと思ってんだ!! 馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかったぞ!? 救いようがねぇ!!』


 しばらく裕貴は一方的に怒鳴った。どの言葉も、聞くに堪えない罵詈雑言だ。十九歳の未成年と三十二歳と言う年齢差を差し引いても、他者に放っていい言葉ではない。

 裕貴の声が響くごとに美優は耳をふさいで小さくなり、花織は心が冷えていく。

 やがて裕貴は『ちょっと母さんに叱ってもらえ』と電話を替わった。

 知らない女の声が響き出す。


『ちょっと美優さん? 出来が悪い嫁だと思っていたけれど、今回はひどすぎるわ。大事な息子の嫁がこんな悪妻だなんて、恥ずかしくって、ご近所も歩けやしないったら』


 つらつらと、聞いている花織が「よくもまあ、ここまでべらべらと」と呆れるほど、「美優がどれほどひどい嫁か」語りつづける。

 理由があって電話を切らずにいた花織だが、あまりに長すぎて、後半はスマホをテーブルに置いて、冷蔵庫から夕食の食材を出しはじめたほどだった。


『聞いてるのか!? 美優!!』


 ようやく、相手の反応を確かめる問いが出てくる。

 通話がはじまって、実に三時間が過ぎていた。

 そして、それだけ怒鳴りつづけていながら、美優の体調を気遣う言葉は、ついに一言も出てこなかったのである。

 花織はもともと愛想が尽きていたが、今や裕貴に対する好感度は、ゼロを通過してマイナスを更新していた。


『おい、美優!!』


「聞いているわよ」


 ニンジンの皮を剥いていた花織はピーラーを置いて手を拭き、美優のスマホをとりあげる。

 冷めた声があまりに意外だったのだろう、さすがに裕貴も戸惑いの声を出した。


『誰だ、お前』


「ご挨拶ね。半月前に、そちらのホームパーティーで会ったでしょ。藤原花織よ」


『花織!?』


 驚愕する声が聞こえる。美優も、はらはらした表情で花織を見あげている。


「よくもまあ、そこまでべらべらべらべら、人を貶す言葉が出てくるわね。つくづく、アンタと結婚しなくて良かった」


『本当に花織なのか!? …………なんで美優のスマホに出るんだ、美優と一緒なのか!?』


「少しは妻の体調を気遣ったら、どう? 高熱で倒れている妻に、病院にも行かせず『親が来るから夕食の支度をしろ』って、そんなにママとパパをおもてなししたかったら、自分でしなさいよ。息子が息子なら、親も親ね。三十を過ぎた自分の息子が、寝込んでいる未成年の妻を無理やり働かせようとしているのに、怒るどころか息子と一緒に責め立てるなんて。どう考えても、人間のやることじゃないわ。最低限の気遣い、いえ、常識もないの?」


『いや、それは…………』


「美優さんは、私が預かっているから。ちゃんと病院にも行かせたし。後日、正式に訴える予定だから、心して待ってなさい」


『正式に訴える? 何を?』


「DVよ。当然でしょ」


『は?』


 スマホから間の抜けた声が聞こえた。

 花織は心からのため息が出た。


「…………やっている方は自覚ないって、本当なのね。事情は聞いたわ。熱が出ているのに病院に行かせず、働かせようとする。何時間も一方的に罵倒して、人格を否定する。三百円のハンドクリーム一つ、夫の許しを得ないと買えない。アンタが美優さんにやってきたことは立派なドメスティック・バイオレンス、DVよ。美優さんはアンタと離婚する。もう、その家には帰らない」


『はあ? DVって…………なにを言ってるんだ、花織。美優になにか言われたのか?』


 裕貴は本気で心当たりがない様子だった。美優は強い戸惑いのまなざしで花織を見あげる。


『そうか、わかったぞ』


 裕貴は言った。


『お前、オレが忘れられなかったのか。まだオレを愛していたんだな。だから美優とオレを離婚させたくて、こんなことを…………気づいてやれなくて悪かった、花織。お前はそこまでオレを愛していたのに、オレはお前を捨ててしまったんだな…………』


 神妙な声に、花織は全身に怖気が走った。今すぐスマホを放り出して手と耳を消毒したい。


『なあ、花織。一度、ちゃんと会わないか。そこまでオレを愛してくれるお前と、もう一度、きちんと向き合いたいんだ。なんなら美優とは離婚して、お前と再婚してもいい』


 美優が、はっ、と表情を変える。


『思えば、美優とはすれ違いばかりだった。何度説明しても、美優はオレの言うことを理解できなかったし。やっぱり年齢が離れすぎていたんだな。インテリジェンスが足りなかったんだよ。しょせん、十代の小娘なんてそんなもんだな。その点、花織はよくわかった大人の女だし、いい大学を出た旧家のお嬢様だし…………今ならわかるんだ。オレにふさわしいのは美優じゃなく花織だって。やり直そう、花織。オレが愛しているのは花織、お前だけなんだ!!』


 裕貴の声はまるで別人だった。そこだけ聞けば、ドラマのヒーローか乙女ゲームの攻略対象のように甘く優しく真剣な声だった。

 裕貴の声が響くたび、美優の顔から何かの感情が剥がれ落ちていき、花織の中にはつきあげるような憤怒と激情と、それらを上回る強烈な脱力が生じていた。


「どういう思考回路をしているのよ」「今さらアンタを愛しているわけないでしょ」「アンタの顔なんて二度と見たくない」「よく、親のいる前で妻以外の女を口説けるわね」「アンタの頭と倫理観は、どうなっているの」「アンタと結婚しなくて正解だった、このクズ」…………。


 大量の言葉が頭の中をかけめぐる。

 が、けっきょくそのすべてを脇にのけて、本題だけ告げた。

 もう、とにかく会話自体を終わらせたい。


「私の知り合いに、離婚関連に強い弁護士がいるの。その人にDVと離婚の相談をして、その人の勧めでこの電話も録音しているの。アンタとアンタの親が言ったこと全部、録っているわ。アンタが美優さんに送ったメールも全部、保存したし、アンタが今日、熱が出ている美優さんを病院に行かせず、無理に家事をさせようとしたこともメールに残っているわ。美優さんがつけていた家計簿も、証拠として預からせてもらったから。毎月、渡す生活費が三万円って、ありえないでしょ。ああ、断っておくけれど、これは盗聴じゃないわよ。裁判や調停に提出する証拠を集める場合は、盗聴にならないんですって。それじゃ」


 言うだけ言って切ろうとすると、裕貴にも花織の本気と理解したのだろう。声色が変わる。


『待て、花織!! お前、どこにいるんだ!? 美優もお前も、お前の家にいるのか!?』


 美優が真っ青になる。花織はさらりと嘘をついた。


「ホテルよ」


『ホテルぅ?』


「美優さんを保護して病院に連れていったあと、美優さんのご両親に連絡したの。事情を説明したら、カンカンに怒っていらしたわ。『絶対、訴える』そうよ。今はお二人共、県外からこちらに向かっている最中。だから私が駅近くにホテルをとって、美優さんを連れてきたの。うちには三人も泊まれるスペースはないから。ご両親も美優さんも今夜はこちらのホテルに泊まって明日、美優さんの実家に戻る予定よ。じゃあ、切るわね。そろそろお二人が着く頃だから」


『待て、花織!! どこのホテルだ!?』


「さよなら」


 花織は通話を切った。そのまま裕貴の番号を着信拒否に設定にして、美優のスマホをテーブルに置く。美優がおそるおそる訊ねてくる。


「あの、離婚って…………」


「ハッタリよ。でも、真剣に考えたほうがいいわ。この先もあの男と夫婦をつづけるか。それとも別れて、新しい人生をさがすか」


 花織が膝をついて自身のスマホを操作すると、先ほどの裕貴との会話がそっくり再生される。美優は、びくり、と体をふるわせた。


「このとおり、会話を録音していたのは本当だし、家計簿も持って来ているし。あなたには悪いけれど、眠っている間に、あなたのスマホのメール履歴も確認させてもらったわ。弁護士に連絡をとったのも、本当。その人が録音や履歴の確認を提案してくれたの。これだけあれば、DVの証拠は充分でしょ。あなたさえその気になれば、今すぐにでも離婚できるはずよ」


「…………」


「あとね」と花織はつづける。


「重ね重ね勝手にやって申し訳ないんだけれど。あなたが眠っている間に、あなたのスマホからご両親に連絡させてもらったわ。お父様はお仕事中だったけれど、お母様が出られたので、今の状況を私の知っている範囲で説明したわ。裕貴のDVを含めてね」


「!?」


「お母様はとても驚かれて…………泣いてらしたわ。あなたが虐待されていたこともつらいけれど、それ以上に、あなたと連絡がつきそうで安堵なさったのよ。あいにく、あなたはよく眠っていたから、起こさなかったけれど」


「そんな…………」


「お父様の帰宅を待ってお話して、明日一番にこちらに来るとおっしゃっていたわ。あなたが病気と伝えたら、車で来てくださるって。夜に、またかけ直すとおっしゃっていたから、少し話したら?」


「そんな」


 美優は愕然と顔をおおった。


「話せない…………なにを話せばいいの…………? あたし、勝手に家を出て…………お母さんにもお父さんにも、親不孝なことをした。お母さんもお父さんも、本気で心配したから反対してくれたのに…………あたしは…………あたし達の恋を邪魔する障害にしか思っていなかった、それを今さら…………っ」


 美優は泣き出す。


「とりあえず、会って話してみたら? 親子なんだもの、話すのは当たり前でしょ? なにより、あなたは今、病気なの。まず安心できる場所で体を治して、それからこれからのことを考えればいいのよ」


「これから…………」


「あなた、まだ十九歳でしょ? いくらでもやり直せるわよ」


「やり直す…………」


 美優はぽろぽろ涙をこぼした。


「やり直したい…………もう最初から、全部やり直したい。裕貴と結婚する前…………ううん、付き合う前から…………あんな人とわかってたら、絶対、付き合わなかった。結婚なんてしなかったのに…………っ」


 嗚咽がもれる。


「みんなは大学に行って、優しい彼氏と遊んだり、将来の夢のために勉強したり、楽しそうなのに。どうして、あたし一人だけ、こんな所にいるんだろう。馬鹿みたい。全部、なかったことにしたい…………っ」


 バサバサの髪を乱して泣く美優を、花織は「愚かだ」と笑うことも断じることもできなかった。

 客観的には、美優の決断は愚かな行為だったろう。しかし人間は誰でも、そういう愚かな選択を一度や二度は犯した経験があるものではないか。

 三十三歳の花織には「愚か」と感じる選択でも、美優と同じ高校生の頃なら、憧れていたと思うのだ。


「そうだ」


 花織は立ちあがり、アクセサリーケースを開けて金色のペンダントをとり出す。


「あげるわ。気休めになるかも」


「…………?」


 美優は涙に濡れた顔をあげ、小さな砂時計がぶら下がるペンダントをうけとる。


「お守りよ。時間を巻き戻せる、魔法の砂時計ですって」


「魔法…………」


「そう説明されたの。もちろん、そういうご利益がある『かもしれない』って話だけれど」


 花織は笑った。

 むろん、あの店主の話は今でも真に受けてはいない。二年前に裕貴と破局した時だって、けっきょく巻き戻しを願わぬまま、今日まできた。

 あの頃の恋敵に渡す羽目になるとは予想していなかったが、どちらがより必要としているかといえば、間違いなく美優だろう。こんな小物でも、拠り所になるなら、それでいいではないか。


「たしか、最長で二年を巻き戻せる、とかなんとか。今から二年前なら、あなたが裕貴と結婚する前じゃないかしら?」


「たぶん…………先生に告白された直後だと思う」


「もし、本当に戻せたら、今度は裕貴に近づかなければいいわ。そうすれば、今頃はみんなと一緒に大学に行っているわよ。あ、でも」


 花織は付け加えた。


「万一、そのペンダントで二年前に戻れたら、私に忠告だけはしに来て」


「忠告?」


「あなたが裕貴と付き合わないなら、私が裕貴と結婚するかもしれないでしょ? まあ、可能性は低いかもしれないけれど、それは嫌だから」


 美優は首をかしげた。


「可能性が低いって、どうして? 裕貴と婚約していたんでしょ?」


「結婚の話は出ていたけれどね。後から考えると、雲行きは怪しかったの。プロポーズっぽいことを言われて、その直後に裕貴を私の両親に紹介して…………それからずっと『試験中だから』って、会えなかったの。たぶん、自然消滅を狙っていたんだと思うわ」


「どうして…………」


「想像だけれど、裕貴は私を『お金持ちのお嬢様』と勘違いしていたんだと思う。実際、うちは母方が地元では代々つづく家柄で、『旧家の令嬢』と言えなくもないんだけれど…………」


「違うの?」


「実質、庶民よ。本家は全然、別の家だし。うちは分家でさえない、傍流の傍流。父親が婿養子だったんで、一応、名字は『藤原』だけれど、それだけ。地元で『藤原』と名乗れば多少は便利だけれど、それだって、今はもう若い人には通じないしね。母は今でも『藤原』の姓を大事にしているけれど、相続する財産なんて田舎の家くらいだし、その家だって兄が継ぐし。そういうことを、親に紹介した時に裕貴に説明したんだけれど、それ以降に会えなくなったの。たぶん、私が財産を継ぐと期待していたんでしょうね」


 思い返せば、単純な理屈だ。

 目を丸くしていた美優も「そういえば」と思い出す。


「婚約者のこと…………『相手の親から強制されている』って、聞いた。旧家のお嬢様で…………一方的に見初められて結婚の話が出て、正直困っている、って。だからあたし、てっきり権力を盾に結婚を迫っているんだと…………」


「漫画やドラマじゃあるまいし」


 花織がばっさり言うと、「ホントだ」と美優が力なく笑った。再会して初めての笑みだった。

 そんなでたらめすら鵜呑みにしてしまうほど、二年前は幼かったのだ。


「まだ寝てなさい。私は夕食を…………」


 立ちあがりかけた花織を制するように、花織のスマホの着信音が鳴り響いた。

 一瞬で美優の表情がこわばり、瞳に恐怖が戻る。

 花織も緊張と共にスマホをとりあげた。

 知らない番号。さては美優のスマホにつながらないので、花織のほうにかけてきたか?


『はい』


 花織は慎重に話し出す。

 二言、三言、話すとスピーカー機能をオンにして、美優に差し出した。


『美優!? そこにいるの!? 美優!!』


「お母さん…………!?」


『美優!!』


 美優の母親の声が一気に明るくなり、涙声に変わる。


『美優…………ああ、美優…………やっと話せた…………!!』


「お母さん…………っ!」


『心配したのよ。ずっと心配していた。お父さんも、ずっと、あなたの連絡を待っていて…………今日の昼、藤原さんから電話をいただいて、どれだけ嬉しかったか…………』


「お母さん…………っ」


 美優は花織のスマホにすがりついた。


「ごめんなさい、お母さん。本当にごめんなさい。ごめんなさい…………っ」


 花織はスマホを美優に渡し、自分は席を外して夕食の支度にとりかかる。

 母娘の会話は三十分に及び、名残惜しそうに「明日、待っているから」と電話を切った。

 母も娘も語りたいことは山ほどあるのに、どちらも胸が詰まって何も言えないことが、聞いていた花織にも察せられた。


「ありがとうございます、藤原さん…………」


 スマホを置いた美優が、お粥を持ってきた花織に頭をさげる。


「あんなにひどいことをしたのに、こんなに助けてもらって…………本当にごめんなさい。ありがとう…………」


 美優の瞳が涙に輝く。哀しみを洗い流す、喜びと希望の涙だ。


「あたし、裕貴と離婚します。それで家に帰ります。帰って体を治して…………もう一度、やり直します。みんな、花織さんのおかげです。本当にありがとうございます…………」


 パジャマ姿の美優は布団に指をつき、深々と花織に頭をさげる。


「いいわよ、頭をあげて」と照れながら、花織は自分の中で、二年前の彼女に対するわだかまりが完全に消えていることを実感した。






 それからの美優は明るかった。

 熱はまだ残っていたが、出されたお粥をぺろりと平らげ、おかわりもした。薬を飲み、水分もとって、すっきりした様子で布団に横になる。

 花織も大きな問題を一つ片付け、気が楽になっていた。

 あとは明日、美優を両親に預け、知り合いの弁護士の名刺と集めた証拠を両親に渡せば、花織の役目は終了である。

 食器を洗い終えた花織は、いつものドラマを観ようとテレビをつけた。ニュースが映る。


『…………時頃、××高速でトラックと乗用車が衝突、運転していた妹尾(はじめ)さんと、同乗していた妻の佳子(よしこ)さんが…………』


「えっ…………」


 うとうとしていた美優が体を起こした。

 テレビ画面には、大破した車が転がる事故現場が映っている。


「うちの車…………!」


 美優の声に、花織も画面を凝視した。

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