89話
「ちっ」
数千人規模の集団がレグルス達の眼前に現れていた。手に持つのは只の剣に鍬や鎌。おおよそ戦闘という職につく者達ではない。何を吹き込まれているのか全員がレグルスを睨みつけている。
「コイツが全ての元凶だ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
中央に立つ一人の男が叫ぶ。それにつられて憎悪の合唱が響き渡った。
「こ、これって……」
「あの少女は後で説明してもらうぞレグルス。マリー」
「はい」
狂気に充てられたローズが顔を青ざめさせている。レグルスを挟むように立つロイスの手に雷獣牙が握られた。
「雷奏姫を出すんだ、ローズ会長」
「は、はい」
ロイスの言葉に慌てて竜具を顕現させる。しかし、その顔色は悪い。それはロイスとて同じであり、相手が悪すぎる。彼らとて、学園襲撃の件やあの戦争と人殺しの経験がないとは言えない。しかし、何れも竜や竜騎士が相手であった。
それも裏組織という明確な悪だったのだ。だが、今回は違う。明確な殺意を向けてくるのは戦う術を持たない市民なのだ。
「お前の所為で家を無くした者や家族を失った者もいる! この悪魔めっ!!」
後方に立つ男から声が上がる。そして続く憎悪に濁った市民の声。
「ち、違います! レグルスさんの所為じゃ――」
「黙れっ!! そいつと一緒にいるお前も同罪だ!! 殺せっ!!」
そして、何の変哲もない石がローズに向けて飛んできた。本来ならばこのような石など容易に避けることができただろう。それも雷奏姫を使えば何も問題は無い。
だが、投げた者がいけなかった。それはまだ年端もいかない幼い少女だったのだ。投げられた石はたまたまだったのだろう、よろよろと放物線を描きローズの頭に向かっていく。
キュッと目を瞑った彼女に耳に鈍い音が聞こえてきた。それが何を意味するのか? 嫌な予感と共に目を開けるやはり額から血を流すレグルスの姿があった。
「レ、レグルスさん!」
「問題ない」
「でも血が……」
本当に何でもないとばかりに苦笑するレグルスの額をローズは慌てて拭う。
「レグルス――」
「流石に市民全員を倒す訳にいかないな。それこそ負の連鎖が続いて奴らの思う壺だろうよ。それに、お前らまでその手を汚す必要はない」
そして、レグルスは彼らの元に歩いていく。彼らが怒る原因は何だったのか? 冥府、そして竜の襲撃により王都や都市は半壊。家や家族、友人、知人が死んでいったのだろう。レグルスの視線の先にいる彼らは一様にやつれた様子であった。
頬がこけているものもいれば目の下に隈ができた者、身体を欠損している者達であった。彼らにとっては今回の戦いは被害者だ。突然巻き込まれ、長らくの我慢で成り立っていた軍は瞬く間に敗北した。
彼らは絶望したのだろう。そして自分たちを絶望に叩き落とした存在を知りたいと思うのは当たり前だった。だから彼らは事実の些細な矛盾に意識を向けず、ただ告げられた言葉を妄信する。全ての元凶が五王国であり、起点となったレグルスだと。
事実を知る傍から見ればそれは言いがかりに近いものである。しかし、そんなものは関係ない。そして、どのような経緯があり、複雑に絡まった要因があったとしても結果だけ見ればレグルスの契約という発端だった。
もし何の力もなくレグルス達がモルネ村で過ごしていたとする。そこに現れる裏組織達によって幼馴染達が無残に殺され、その一端に関わっていた者を知れば憎悪を募らせるのも仕方がない。
だからこそ、彼はその場で頭を下げた。
「すまない」
だから、こうする事しかできなかった。
「おとうさんをかえせっ!」
「あんたの所為でっ!! あんたの所為で子供が死んだのよっ! 返してちょうだい……返してっ!」
「ち、ちがうわっ! レグルスさんだって――」
「黙れっ!!お前たちの所為でどれだけ死んだと思っている……今さら謝罪なんて必要ないんだよっ」
「何が違うんだっ!! 現にお前らの国にこんな被害なんてないじゃないかっ。只のパフォーマンスだったんだろっ」
一斉に投げつけられる石がレグルスを打つ。この場に姿を現したレグルスに憎悪が集約された。何でもない、彼がスケープゴートに選ばれただけだ。
罵声がレグルスに浴びせ掛けられる。こうなる事はレグルスとて承知していた。だからこそ、この場にアリス、ラフィリア、サーシャ、カエデ、そして誰も連れてこなかったのだ。しかし、この場にはロイス、ローズ、マリーがいる。
誰かが剣を構えた。それは最初に叫んだ中央の男だ。切っ先をレグルスに向け血走った眼で睨みつけている。そして、彼は剣を構えたまま走り出した。
「くっ……これ以上我慢できない」
ロイスが怒りに震えた声で呟いた。
「動くなっ!!」
「やめて……もう」
ロイスが雷獣牙を突き出そうとし、レグルスが制止する。その僅かな間に男が加速した。それは聖域を用いた強化。市民だと思っていた彼の顔が醜悪に歪む。
「お前を殺せば俺は上にいけるんだぁっ」
叫び、そして周囲の市民達を押し倒し進む。
「私が……」
既にあと数歩でレグルスにたどり着く。そして受け入れようとでも言うのかレグルスは動かない。だから、この場で止めようとするのは一人だけ。
「ローズ!?」
「命の恩人ですから……ここで返します」
その姿がカエデと重なる。そしてレグルスの瞳から感情が消えていった。
(繰り返す……か。確かにそうだ)
レグルスから殺気が噴出する。感情をそぎ落としたレグルスが片手をあげる。そして、頭上から二つの影が降りてきた。
「っ!」
剣を握っていた男が何者かに踏まれ頭を地面に強く打ち付ける。
「いいじゃねぇかっ! 最後はその子にしとくぞ、レグルス」
「そうね。丁度良かったかも」
グチャッ
そして躊躇いもなく踏みつけた男の頭を踏み潰した。
「「黒土無双!!」」
そして、この場に竜王の竜具。そのひと振りが現れた。彼らが立つ地面が波打ち重なり凝縮していく。そして、地面から生まれるように一本の黒剣が姿を現した。それを握り振り返るグレイスはニヤリと笑みを浮かべていた。
「おいっ!」
「何だ、レグルスよぉ?」
「そいつらは敵じゃない」
「んあ? そんなもん関係ねぇ。俺は裏組織、泣く子も黙る死神だぞ?」
そしてグレイスは徐に黒剣を地に突き刺した。
「これは俺の役目だ。最後くらい良い方に付きてぇじゃねぇか。なぁ?」
レグルスの返答を待たず技が発動する。民たちが密集した場所から無数に突き出す黒剣。それが法則性をもって貫いていく。だが、貫かれる者とそうでない者がいる事に気が付いた。
ローズが呟く。
「これって……」
「あの中にいやがる竜騎士共を掃除しといたぜ。ったく欲に目が眩むとはこの事だぜ。おおかた地位や名誉をぶら下げられたんだろうが……。相変わらず人間は欲深いねぇ」
呆気にとられる市民達。
「よおく聞け! 俺様は死神だっ」
その言葉から起こる反応は劇的だった。誰もが知る裏組織において死神だけはその畏怖が強い。たった二人で五大裏組織に名を連ねていたのだからその名の大きさは誰もが知るものだ。
「お前らにとっちゃあ恐怖の象徴で雲の上の存在だわな。そんな有名人な俺の命を引き換えにこれからの事をよーく見極めろ!! まぁ裏組織の癖に何をとは思うだろうがな」
その内容にレグルスが反応する。
「おい、命って――」
「だが、この俺様の命は重いぞ、何たって死神だからなぁ。代わりに黙って見てて貰うぞ」
レグルスの質問に答えずグレイスは再び技を使う。それは地を操る地竜王がなせる御業。民たちが立つ地点が轟音を響かせて動き出す。その超常現象に悲鳴が巻き起こるがグレイスは気にしない。
「特等席だっ! ほらよぉっ」
周囲から飲み込まれるように大地が集まってくる。そして、民たちが立つ地面が押し上げられ頭上に上がっていった。波打ち移動していく地面が唖然とするレグルス達を通り過ぎ後方へと移動していく。
さながら空中に浮かぶ小さな島であった。
「流石に疲れるぞこれは……。んでお前」
「わ、私ですの?」
突然投げかけられた言葉に驚くローズ。
「ああ、お前だ。レグルスの事を命を賭して守ろうとしたな?」
「え、ええ。そうですわね」
そう言葉にされてしまうと些か照れがでてしまう。しかし、そんな反応には興味が無いのか続いてレグルスを指さしたグレイス。
「んで、お前はこいつを守る為に修羅になろうとしたって訳か?」
「あ、ああ。それがどうした?」
レグルスの返事を聞き頷いたグレイスはニヤリと笑う。
「まぁギリギリ合格だな、合格。これなら契約できるだろ。次代の地竜王がな」
「契約って何がだ?」
「まあ見てろって。それと、勝てよ……義理の兄弟」
「だから何なんだ? お前が出てきたらいつも分からん」
意味が分からずレグルスが憮然とする。
「兄弟ってのはあれだ。同じ運命を背負ったのが俺らだけだろ? まあそういう事だ。俺の出番は終わって次はお前だ、レグルス。まぁ俺は幼馴染を守れず、利用されるだけされたバカな役だったけどよぉ、最後くらいはアイツらに顔向けできるように、な」
「そう。役目が終わる」
黒土無双が解除されキャロルの姿が戻る。。
「もうじき来るだろう小鬼の相手は精々頑張ってくれよぉ、レグルス。……最後に嫌な役目を押し付けちまったな、キャロル」
「ええ、最悪の気分よ。でも、これでみんなに会えるからお相子」
グレイスとキャロルは向かい合うと徐に短剣を取り出した。
「おいっ」
そして、自らの胸を貫いた。あふれ出る血はどこを刺したかなど一目瞭然だ。心臓を貫いた二人は音を立てて倒れ伏した。流れ出る血が大地を染めていく。
「だから……お前らは説明がないんだよ……グレイス、キャロル」
二人の顔は笑っていた。僅かながら聞き及んだ断片的な情報を思い出すレグルス。彼らが先代のレグルスであった事。そして、契約したキャロルを除いた幼馴染達が、何も知らなかったテルフィナにより殺された事。
そこから騙され続け仇である六王姫の手伝いをしていたこと。それは時代が逆転していればレグルスに降りかかったかもしれない悲劇だ。だが、彼らは呪いのような役割を終えていた。義理の兄弟という言葉もあながち間違いではない。
何とも言えない感情がレグルスの心に広がっていた。
「ど、どういう事ですの?」
「全く君といるとおかしくなりそうだ」
状況が呑み込めない二人を放置して彼らが死した理由が明らかになる。死体となったキャロルから吹き上がる竜気。
「これは竜気……まさか!?」
レグルスは幾世代に渡って変遷してきた地竜王のエネルギーだと理解する。ようするに鍵となる力だ。そのエネルギーは意志を持つかのようにフワリと揺らめくと、この場にいる一人の元へと向かっていった。
「え、え!?」
驚きの声を上げるのはローズである。避ける暇もなく吸い込まれていくあめ色の光に包まれた。
そしてローズが握る雷奏姫が作り変えられていく。あめ色に輝く剣からは小さな紫電が迸る。そして連動するかのように地面が渦を巻き黒い砂――砂鉄が剣身を取り囲んでいく。それは只の砂ではなく硬質な砂。
それがまるで意志を持つかのようにグレイスとキャロルを包み込み地中深くに消えていった。
「……。 そ、それにこれはアリスさん達の力ですの?」
「ふぅ、どうやらそう言う事らしいな」
驚きを浮かべるローズに全てを悟ったレグルスが答える。死神の唐突な出現は毎度の事ではあるが、今回ばかりはいつもとは違った。
「お前らの分も背負ってやる」
そして、悪戯っぽく微笑むローズを見てレグルスは紡がれる言葉を予想して溜息を吐いた。
「はぁ~」
「ふふ、なら約束は覚えていますの?」
「ああ、約束は約束だ」
あめ色の光が天高く伸びていく。
そして、5人の竜姫と契約したレグルスの体が虹色に輝いていた。
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