85話
「全員揃ったわね」
宮殿の更に地下深い正方形のこの部屋には地面に描かれた陣以外には何もない。出口も無ければ白地の壁と天井、床のみである。そんなこの場所に降り立ったのはテルフィナの能力であった。大爆発が上で起こったのは揺れで把握していた。
陣の中心が輝いていることを確認したテルフィナは頷くと他に立つ四人へと声を掛けた。
「どうだった?」
幾数にも描かれた五芒星の中心に立つテルフィナの声に様々な反応が帰ってくる。
「あぁっ! ムカつくッ、ムカつくあのジジイ」
地団駄を踏むのは赤髪のカレンであった。ベルンバッハを思い出して憤慨している。
「ふぅ、流石にあの三人の相手は無理があるよ」
続いてメシアで防戦一方となっていたアリエスが全身を汚した状態で頬を膨らませていた。
「これで冥府も終わりですわね」
「まあいいんじゃない? その為の冥府だし」
「テルフィナ、もういいわよ!」
何れも絶世の美女でありかつてサラダールに仕えた竜姫達。六王姫がこの地に集結していた。
「とにかく早く開放しましょう」
彼女達はそれぞれが示し合わせたように六芒星の頂点に立った。
「そもそも勘違いしているのよ。サラダール様を完全に封印する事は無理。永き刻を経てその綻びは大きいものとなるもの」
その言葉と同時に3ヶ所の頂点が輝く。その位置する場所はリシュア都市連合とロウダン王国、そしてルーガス王国であった。それは爆発を抑えきれず首都が半壊した事を意味している。
「やはりね」
膨大なエネルギー爆発を上の二人が抑えるのは想定済み。しかし宮殿までは守りきれなかったのだった。そして、輝かない地点はセレニア王国とメシア王国である。
「流石はセレニア。でも3ヶ所の綻びで十分」
三ケ所が輝いた事で五芒星は緩やかに淡く輝いていく。線から線へと波及していきやがては全てが同じ状態へと変化した。
「復活は完全ではないけれど仕方ない」
テルフィナの合図と共に五人の竜姫が己の竜具を五芒星の頂点へと突き刺した。赤、青、緑、黄、茶と五色の色へと頂点から順に変わっていく。
「サラダール様、お目覚めの時間です。皇王堕天剣」
現れたのは漆黒に染まった大剣。常人が見ればその威圧感に意識をたもってはいられない程に強力な竜気を宿していた。五芒星の中心へと差し込まれる最後の竜具。
5人共が感激に極まった表情で最後の行いを見つめていた。彼女達にとって長きに渡る目標の最終段階である。
そんな涙を流す彼女達の表情は歪なものであった。感極まったような、しかし苦しむような嘆くような、はたまた怒っているかのような、そんな複雑な表情で見つめていた。
「貴方を狂わせたこの世界を浄化しましょう」
テルフィナは黒色の大剣を陣の中心から抜き放った。
◇◆◇◆◇
この日、全ての者が上空に現れた竜を見た。闇を凝縮したかのような漆黒の鱗を持ち、見る者すべてに恐怖を植えつける存在。
遥か離れているにも関わらず肩に圧しかかる重圧な負のエネルギー。それは邪悪なものであると一般民ですら感じ取れた。そんな圧は滅竜師、竜姫であればより強い波動となって伝わる。
首都が半壊した三国の者達は嘆くことすら忘れ立ち尽くす。セレニア、メシアの者達は勝利の余韻も吹き飛び絶望を色濃くする。誰もが上空を見上げていた。
「間に合わなかったか……」
爆発を抑え込んだ事で力を使い果たしたベルンバッハは地面に膝を突いていたまま呟く。巨大な黒竜がサラダールだと直感にも似た確信があった。多大な犠牲を払って得た代償は希望ではなく絶望だったのだ。
喪失感と虚無感は怒りへと変わりその拳が地面を砕く。
学園に避難していた生徒達の中、ミーシャが泣きそうな顔で呟く。
「ロ、ローズさん。あれは……」
「分からない。でも、邪悪な事だけは分かる」
そして、ロイスとマリーもまたその光景を見つめていた。
「レグルスなら勝てるか……いやそんな次元じゃない」
「ロイス様……」
その発言にはレグルスの安否を心配する意味が込められていたが、今のマリーには訳す事も出来ないほどに黒竜を恐れていた。全身がガタガタと震え頼りなくロイスの裾を握っている。
レグルスを深く知る者が多いセレニアだからこそ、その絶望は誰よりも深く大きい。圧倒的な力を見せたレグルスが霞んで見える、希望が儚く砕け散った。
「レグルス君……どうやら君に任せざる負えないようだね」
それは茶化した言葉ではあったが顔には笑みがなかった。
「チッ、アレを見ればどれだけ化物かわかるな。今のままじゃあ勝てねぇ」
「だろうな……」
レグルスは横に並ぶ死神の言葉に否定を浴びせる事は出来ない。何より力を得たレグルスだからこそサラダールの強さが分かってしまうのだ。
「なら、俺がその役を買ってやるよ。キャロル以外を失った俺は亡霊みたいなもんだからな」
ただ泰然と降下する黒竜に向けて、獰猛な笑みを浮かべた死神であったが戦えば死ぬ事は火を見るより明らかであった。ただの時間稼ぎ、いや死に場所を求めての発言なのだった。
「動いたぞ、レグルス」
黒竜が大きく羽ばたき空に向いていた頭がゆっくりとルーガス王国へと向く。そして、発射されるブレスは黒い闇であった。
直線に進んでいく闇は天から顕現した邪そのもの。そのただのブレスでルーガス王国で三番目に生えていた大都市は消滅していた。この瞬間に大勢の人が死んだことを意味する。
サラダールの暴虐を止められるものはいない。降下していたサラダールに更に動きがあった。クルリと反転する黒竜は空を見つめていたレグルスと視線が合わさる。
これはパフォーマンスだと、次はお前だと雄弁に語る鋭い目。
「っ!? 逃げろ、お前ら!!」
レグルスが叫ぶ。
その大きな顎門を開けたサラダールへとエネルギーが集まっている事を認識した。狙いはレグルス以外の何者でもない。レグルスの叫びにヤマトとグレイスはいち早く反応する。
手近にいた者を引き倒すと竜具を構える。それが気休めだとしてもそうするしかなかった。
やがて発射されるブレス。空間を歪めたような歪な閃光。まさしく全てを消滅させるものが一直線にレグルスへと突き進んでくる。
「お前たちは死んでも守る」
レグルスは対抗しようとせず、アリス、サーシャ、ラフィリア、カエデを守るように前へと進み出た。これほど必死なレグルスを見たことが無い四人は悲壮な表情を浮かべて手を伸ばす。
「レグルス!?」
「レグルスさん!」
「お兄ちゃん……」
「逃げて下さい!」
必死に叫ぶ彼女達はレグルスの背へと走り出す。だが、彼らが予想していた未来は来なかった。
「ここ最近、失態続きで学園長としての責務を果たせなんだ。何が英雄……何が後進を守るために学園長に就いた……。英雄とは国を守り誰もが憧れる背を見せることじゃ」
上空に飛ぶ黒竜をベルンバッハは見つめながら呟く。あの竜が狙っている場所がメシア王国だと察知していた。
「故に儂はいま歓喜に震えておる」
独白を続けるベルンバッハ。
「何故に儂がこれ程の力を得たのか……儂の力で国の子らを守れるのなら本望じゃ。のぉ、レイチェル……すまぬが付き合ってはくれぬか?」
彼の生き様が乗せられた言葉には万感の思いが込められていた。
「勿論です。私はどこまでも付いていきます、英雄の通る先へ」
英雄と共に隣に立ち続けたレイチェルは優しく微笑み手を差し出す。
「サラダール……これが英雄ベルンバッハの花道じゃ!!」
炎獅子に跨り天空へと駆け上がるベルンバッハ。まるで神話の英雄が現れたかのようにセレニア国民には見えた。
遥か左、セレニア王国が位置する場所から白い何かが飛び上がった。レグルスの強化した視野で見えたのは見覚えのある姿。
「バッハ爺……」
白炎獅子に跨るベルンバッハが一直線に闇へと駆け上がっていく。
メシア王国の方へと振り返ったベルンバッハは己を見ている筈の少年に語りかけた。その内容を汲み取れたのはレグルスのみ。視界を強化していたレグルスにはその口の動きで鮮明に伝わっていた。
『儂とレイチェルはこの辺りで退場じゃ。サボらず、怠けずしっかりやるんじゃぞ』
そして、白炎獅子の顎門が闇に喰らいつく。
ベルンバッハとレイチェルの命を投げうち全てを賭けた特攻はブレスを消滅させる事が出来た。英雄が命の灯火を燃やして防げたのはサラダールの只のブレス。
再びブレスの予備動作に入ったサラダールを見て涙を流す者が溢れる。しかし、英雄が作り出した時間はこの後の運命を大きく変えるものだった。英雄とは人を救うから英雄なのだ。
『何とか間に合ったか』
『我が同胞の子ベルンバッハ……惜しい者を無くした』
『此度は我らに任せよ』
『弱っている今の奴をもう暫くだけ封印する』
『全てをお主に賭けよう。レグルス』
それは誰が発した声なのか?
レグルスの背後に立つアリス、サーシャ、ラフィリア、カエデ。そして、死神の隣に立つキャロルから発せられた声であった。尋常ならざる気配だが、レグルスは不思議と落ち着いていた。それは、竜具を操る際に感じていた力であるからだ。
五大竜王と呼ばれる竜王達。
五人の竜姫からエネルギーが漏れ出しその姿を形作る。契約の際に見た四体の竜王と硬質な外殻を持った鉄壁の地竜王の姿。その五体の竜王がサラダール目掛けて一直線に飛び上がった。
空に舞う偉大なる竜王の姿に伝説の時代に舞い戻ったかのような光景を夢想し皆が見惚れていた。再び迫っていたブレスは掻き消され、五色の光がサラダールを包み込む。
『またしても邪魔をするのか……竜王共めぇ』
怨念の籠もった言葉を残したサラダール。光がさらに濃くなり霧散する。残ったのは晴天だけであった。




