84話
アガレシア皇国を見下ろす位置に二人の人物がいた。
「ルーガス王国の聖騎士は半壊したようです。リシュア都市連合国は主要な都市国家の占領をほぼ完了しています。残すは主都市リシュアのみです」
ルーガス王国が誇る最高戦力、聖騎士の死を軽く告げるレウスは今しがた竜に乗り飛び去った者が齎した情報を主に伝えていた。戦況は彼らにとって問題なく推移しているものだった。
「リシュア都市連合は恐怖、そして共和制などどいう愚昧な制度を突けばものの見事に都市連合の連携は崩れましたよ。主都市は連合長メリダと守将のお陰で保っていますが時間の問題かと」
「国力的に見ても妥当ね。それでロウダン王国はどうなのかしら?」
神秘的なまでに整った容姿を持つテルフィナが問いかけた。
「あの国が最も簡単でした。英雄ガイネクスをニーナ様が徹底的に惨たらしく、そして反撃を許さずに殺したようです。かの国は軍事力に力を割いていますが、質はセレニアやメシアと比べれば何枚も落ちます。英雄ガイネクスを徹底的に失った奴らは絶望し、結果はご覧の通りです」
「そう。メシアとセレニアは予想通り簡単には落ちなさそうね。でも準備は整ったわ」
そう言いながら彼女は眼下の光景を見つめていた。
各国へ向けて滅竜騎士が飛び立った事を見届けたテルフィナはその口を三日月状へと変える。幾十年にも渡り待ち望んだ瞬間を想像して流行る気持ちを抑えることすらせずに笑っていた。その主から放たれる感情の機微を敏感に察知したレウスはうやうやしく跪いた。
「さてさて、計画も大詰めですね」
「では参りましょう。テルフィナ様」
テルフィナとレウスは五大国の中心、サラダールを封じているアガレシア皇国へ堂々と入っていく。厳戒態勢が敷かれているはずのアガレシアは何人もの衛兵が目を光らせている。その横を歩く二人に気づくこともなく周囲を険しい顔で睥睨していた。
レウスが作り出した蜃気楼は光を反射し彼女たちの存在を知覚させないようにしていたのだ。なればこそ彼女たちを咎めるものはいない。そしてこれから行われる凶行を抑えられる訳もない。
誰も冥府や六王姫の詳細など知らない。無知とはこの世で最も恐ろしいものだった。
アガレシアを国と呼ぶには余りにも小さい面積。その構成は単純であり宮殿とその付近に広がる城下町だ。前方見やれば宮殿がすぐに目に入る程の小ささと言えば分かりやすいだろう。
「サラダール様を縛り付ける為だけに建設された国。忌々しい……」
思わずギリリとテルフィナの奥歯がきしむ。漏れ出た殺気はすぐさま霧散するがその表情は険しいものだ。彼女の言葉通りこの地はサラダールの封印を守る為に作られた国だと言っても過言ではない。守るにはその対象が小さければ小さいほど簡単だというのは合理的だった。
未だかつて五大国が防壁となり竜の侵略を許していないこの地に初めてのそして最大の脅威が迫っている事に始めに気付いたのは滅竜騎士ジークハルトと竜姫エレオノーラ、滅竜騎士キョウヤと竜姫オウカだった。
滅竜騎士達は平時においても各国から2人ほどの滅竜騎士達がこの宮殿に詰めている。それが彼らに与えられた最重要指名である。
彼らが守護するのは宮殿の地下深くに眠るサラダールの遺骸である。
「どうやら来たみたいです」
「伝えられたとおり来たのは1番の大物ね」
席から立ち上がったジークハルトとエレオノーラ。セレニア王国の滅竜騎士である。伝達の飛竜隊によっておおよその情報を知っている彼らは相手が未だかつて無いほどの強敵だと言うことも理解している。
「うちも被害が出でいるがヤマトがいる。だから俺達がここを守らなきゃな」
「カエデ達が心配ですけど……」
六竜が絡み合った紋章が刺繍されたローブの上に黒い羽織を肩にかけた黒髪の男、そして同じくローブの上に艶やかな羽織を羽織った黒髪の女性が眉を寄せながら呟いた。
彼らはメシア王国の滅竜騎士キョウヤ、そしてヒイラギである。濃密な殺気が忽然と消えた事を確かに感知していた。ジークハルトは扉へと僅かに意識を向ける。
「ロイド様に王宮から出られよと伝えておいてくれ」
その言葉と同時に壁越しから何者かの気配が消えた。王宮を守る事が困難を極めるという事は彼らが一番理解しているのだ。ましてやロイドを守りながら戦える相手では無いことを。
「もう復活は避けられそうにないんだろうな。事態の推移が早すぎる」
キョウヤの発言に反発する者はこの場にはいない。
「ここまで不利な状況が続くとなると、相手側は緻密な計画のもと進めていたのでしょう。情報が圧倒的に少なく、かつ相手側の戦力は我々を超えています」
「恐らくロイド様にも手が回っているでしょう……」
そう言って目を伏せるヒイラギ。サラダールの封印を増幅しているロイドが狙われることは周知の事実である。しかし、既に第二陣の封印もボロボロとなり今となってはこの封印地が最も優先的に守らなければならない。
ロイドの鍵としての役割も既にほとんど効力を成していない状況なのだ。
「ロイド様も既に覚悟している。我々は我々の成すべきことしようぜ」
ここさえ守ればどうにかなる。それが確実な事実なのは確かだった。ジークハルトは隣に立つエレオノーラと見つめ合う。
「頼む」
「もちろんよ」
「――陽輝剣メルズ」
閃光が解けるとジークハルトの手には名の通り、太陽のように輝く黄金の剣が姿を現していた。
「こっちもやりますか」
「ええ」
「氷千華」
キョウヤの手にもまた細長く針のように両端が尖った純白の槍が手に握られている。彼らが向かうはサラダール封印の地、王宮の地下に繋がる大広間である。
巨大な白亜の神殿を想起させる立派な柱が円状にぐるりと取り囲む壮厳な場所に足を踏み入れた彼らは中心部に空間の歪みが現れた事を理解した。そして彼らが来るのを見計らっていたかのように虚空から現れた少女。
真黒なドレスがフワリと舞い着地するテルフィナに続きレウスが前へと進み出ると恭しく頭を下げる。誰が見ても臣下の礼であった。微笑みを称えるテルフィナの姿は事情を知らなえれば可憐な乙女に見えた事だろう。
「さて、初めまして」
テルフィナが軽い口調で挨拶を口にした。その深淵の如く暗い瞳がジークハルトとヤマトを射抜いた。突如として背中に駆け上がる悪寒に急かされるようにジークハルトは動いた。輝陽剣メルズがその名の通り輝く。そして振り下ろした切っ先から超高温の熱線が一直線に向かっていった。
さらにキョウヤが投げはなった透明の氷槍が砕け散りキラキラと輝く破片へと変わる。高速で飛来する破片は全方位に現れた氷面に反射して不規則な軌道を描いたままテルフィナとレウスに襲い掛かる。磨き上げられた彼らの攻撃は完ぺきなタイミングである。
そんな攻撃を受けたテルフィナは動かず、前に立つレウスがその場で回転する。高速で回転する氷瀑が二人を包み込んだ。熱戦により水蒸気を上げ、破片が飛沫を散らす。大広間は突如として天変地異が起こる場所へと変貌していた。
「さすがに滅竜騎士二人はきついなぁ」
姿を現したのは全身を人型の竜へと変えたレウスである。その軽い言葉とは裏腹に両腕は消失しており全身が裂け夥しい量の血液が血溜まりを作っていた。まさしく瀕死の状態となったレウスは
「お前はセレニアの手で殺さなければならない」
再び輝きだす竜具。ミハエルを殺した彼をジークハルトは慈悲無く睨みつけていた。未だに動かないテルフィナはキョウヤが警戒していた。
「まだ死ぬわけにはいかないんでな」
「凍らせたのか」
振るおうとした剣先が鈍くなり己の行動に反して鈍重なものへと変わっていたからだった。凍り付いていく右腕はレウスによるものだ。しかしジークハルトの動きは止まらない。ゆらゆらとジークハルトの体から熱気が発生していく。
「だが……はぁっ!」
掛け声と共に振り抜くジークハルト。
「おいおい、化け物かよ全くよぉ」
両腕を無くしたレウスは受け身を取る暇もなく熱線から飛びずさる。その場に残されたのはふとももから先の右足だった。もはや立ち上がる事すらできないレウスは絶対絶命とおいう状況の中で笑っている。
「流石は次代の滅竜騎士ね」
世界最高峰の滅竜騎士達を前にテルフィナは笑みを深める。
「あなた達が持つ竜具は最上位のもの……誇っていいわ。でもね、それは竜王を除いてという前置きがつくの」
軽くテルフィナの手が振るわれた。ただそれだけでジークハルトとキョウヤは後退せざるおえない。直感の赴くままに二人は同じ態勢で竜具を突き出していた。硬い感触と共に何かが眼前で停止したのを感知する。
「これは……空間を操作しているんじゃねえのか?」
それはキョウヤの発言であった。だが、ジークハルトはふと己の立ち位置を確認する。
「まさか……そんな」
「へえ、やっぱり滅竜騎士は優秀ね。もう気付いただなんて。本当はあなた達ともっと戦いたいんだけど、そうも行かなくてね。レウスお願い」
「死ぬ気で死守します。いえもう死にたいですけど……」
「今まで良くやったわ」
その言葉を残してテルフィナの姿が朧げなものへと変化していき姿が消えた。異次元の強さを見せつけたテルフィナを追うことはできない。いや動くことができなかった二人。
「あんな化物が人の世に生きていていいのかよっ」
「我々の作戦は初めから破綻していたようだ。戦力差がありすぎる」
アガレシアを含めて六カ国を守らなければならない今回の戦いは最高戦力を分散しなければならない。だが、相手の戦力は予想以上に高いものでありジークハルトはこの時すでに作戦の失敗を確信していた。
「さて、俺だけじゃお前ら相手にもうもたねぇ」
レウスの言葉はその通りである。滅竜騎士を、ましてやこの二人を相手に手足を欠損したまま勝つにはいささか厳しいものがある。二人と早退するレウスがふと耳元に手を当てた。
「とまあ戦いは終わりのようだ」
レウスに届けられた情報。それは現在の戦況を表すものであった。メシア王国ではレグルスとヤマト、死神が加わった事により頭文字の全滅と用意していた巨竜の消滅。そしてアリエスの苦戦の報であった。
「そうか……みんな役目を全うしたのか」
伝えられるのは侵攻していた者達の訃報である。
セレニア王国では名無し、竜共に騎士団に殲滅されたとの事。冥府ジャックの死と共にクレスト、カレンがセレニア最高選力と拮抗していた。他の国では壊滅的被害を被っていた国々に戻った滅竜騎士達による対抗であった。メシア、セレニア以外の国は滅竜騎士が返ったとて優勢は変わらないがそれももう終わりであった。
「何の話だ?」
「終わったって訳だ。お前らがな」
その思念を受けてレウスは悲観ではなく歓喜に震えた。各国に戻った滅竜騎士、流石にテルフィナといえど全てを相手取れば厳しいものがある。しかし目的はそこではない。
「ようするに、冥府は道具なんだよ。この日の為に集められ作られたなあぁぁ」
その言葉と同時にシェイギスの体が爆ぜた。竜とはエネルギーそのものである。内包するエネルギー量は竜の格によって様々だ。以前にカインツ達を乗っ取った竜達は古竜ではあるがその力は知性ある竜の中では平均的なものである。
しかし冥府が宿す竜は竜王の側近、それこそ平均とは桁が違う。荒れ狂うエネルギーが大広間を呑み込み破壊していく。
その光景は各国で見られたものであった。追い詰めていた冥府のメンバー達すべてが爆ぜる。冥府の肉体を突き破り溢れ出したエネルギー爆発はセレニア王国、リシュア王国、ロウダン王国、そしてアガレシア王国で起こる。
衝撃が二人のもとへと到達する。
「抑え込むぞ、ジーク!」
「わかっている!」
「「解放」」
ジークハルト、キョウヤは己の竜具の最大出力でもって爆発を受け流すべく行動する。噛み締めた歯は砕け全身から血管が浮かび上がる。耐え切れず鼻から血が流れだすも、エネルギーの余波は天井、そして地上を突き破り空に打ちあがった。
上空にあった雲は霧散し、その惨状と比較して綺麗な晴れ間が広がっていた。この日、アガレシア皇国の被害は宮殿の消失という所で抑える事が出来た彼らはまさしく滅竜騎士であった。
「はぁはぁ、まさかこれ程の手を使ってくるとは……」
「くっ」
だが、同じ対応を出来たのはアガレシアとベルンバッハ、そして複数の騎士団長がいたセレニア王国のみであった。




