77話
光が視界を遮る中、肉がひしゃげたような不快な音が聞こえてくる。何か巨大な生物達が蠢いているような振動が足を通して伝わる。
「全員集まれ」
ゲンジの声を頼りに散開していた滅刃衆と八刃が声を頼りに集結する。尚も続く不快音と共に濃厚な血生臭さが鼻をつく。その理解の及ばない現象に動けないでいたゲンジ達。
警戒を続ける彼らの耳に振動や音が聞こえなくなった。
グゴアォァ
「おいおいおい……」
耳をつんざく激しい咆哮。光が収まり彼らの目は正常な機能を取り戻した。咆哮によって半ば予想できていたのだが、そこには巨大な竜。今まで幾度と竜を倒してきた彼らでさえ感じたことの無い禍々しい竜気を宿した竜。
黒い鱗に浮かび上がる血管のような赤い線。
爛々と輝く眼がギロリとメシア陣営を睨みつけた。既に竜の周囲には名無しはいない。固まったように動けないで彼らは圧倒的な竜気に息をすることさえできないでいた。
その中でも唯一動ける者達の一人。三の数字を背負ったナガレが出来るだけ目立たぬようにゲンジに問いかけた。
「ゲンジさん……どうしますか?」
巨大な血の海に鎮座する竜から目が離せない。
「何がどうなっているのかは後だ。とにかく、コイツを野放しにだけはできねぇ」
「確かにそうですね」
「ライキとミヤマは援護しろ」
理解の及ばぬ現象を追求している暇はない。未だ動きを見せない竜の異様な圧力はそれだけで危険度を限界突破していた。
「了解です」
「分かりました」
六を背負うライキと七を背負うミヤマが頷く。だが、冷静でいれたのは彼らや一部の者達だけであった。人は自分の理解の及ばぬ圧倒的なものに対して取る行動は限られている。
それは、日々鍛錬してきた者とて例外ではない。なまじに力があるせいでその恐ろしさの片鱗を理解できるのだ。ダムが決壊するように、一人の行動が伝わっていく。
「う……うおぉぉぉっ!」
「よせ!」
禍々しい竜気に耐えきれなくなった一人の刀士が声を張り上げ、竜へと走り出した。ゲンジの制止すら耳に入っていないのか、彼に続いて他の者たちも竜具を構えて突貫する。
そして、竜もまた動いた。風を切る音が耳に伝わり、音に遅れて起きた現象を理解した。先頭を走っていた刀士はいつの間にか血の海の一部となり、次に先頭にいた集団の上半身が弾け飛ぶ。
竜が立つ血の海を中心にグツグツと泡立っていく。
そんな光景を間近で見ていた後ろの者が足をもつれさせ倒れゆき、胴に大きな風穴を開ける。連鎖的に起こる殺戮はこの場にいた多くの刀士達の命を散らせていく。
残り僅かとなった刀士達の耳に再び風切り音が聞こえてくる。まるで、死を迎えるだけになった子羊のように固まる彼ら。だが、今回は死が訪れなかった。
羽織が目の前で揺れる。自分達の命を狩らんとしていたものは巨大な尾であった。八刃、その四人によって受け止められた尾と竜具がギリギリと音を立てている。
拮抗する力と力。
「お前らはこの場を離れろ。他を援護しに行け! 早く!!」
ゲンジの切羽詰まった声に正気に戻った刀士達は邪魔をしまいと走り出す。彼らの尊敬するゲンジがそう判断を下したと言う事に疑いはない。
グオォォッ
横目で見送ったゲンジ達は安堵と共にその体を大きく吹き飛ばされる。矮小な人という存在に止められた怒りからか咆哮する竜。
難なく地面に着地した彼らは間髪入れずに斬りかかった。彼ら四人の背には民が暮らす王都の存在。元より彼らに逃げるという選択肢はない。圧倒的な竜と八刃との熾烈な争いが始まった。
◆◇◆◇◆
アリエス、カレンという六王姫との戦闘で徐々に圧されていくレグルス。一人ならまだしも二人相手となれば流石に分が悪い。ましてや、彼女達は古の争いが絶えなかった時代の竜姫である。
その技術は並大抵のものではない。
「はぁ、ダメだな……」
一度大きく距離をとったレグルスは頭を振ると、瞬時にアリスとサーシャの竜具を解く。レグルスの側に降り立った二人もまた苦い笑みを浮かべている。
「レグルス!?」
遠目から見守るカエデは必死の形相で叫ぶ。誰が見てもレグルスの敗北が近くなっているように見えていた。
「まあ待て、カエデ」
「は、はい」
思わず飛び出そうとするカエデを腕を振り上げて静止させる。
「心配すんなカエデ。アリス、サーシャ、あれをやるぞ」
「しょうがないわね」
「さっとやっちゃおうよ!」
その言葉に笑みを浮かべたレグルスは嵐王装衣もまた解除すると、現れたラフィリアへと手を伸ばす。
「「嵐王翡翠剣」」
ラフィリアが姿を変え、翡翠に輝く剣となる。レグルスは翡翠に輝く剣を水平に構えたままアリスとサーシャの前へと進み出る。
「まだ試験段階だったが……アリス、サーシャ」
「合点承知だよっ!!」
「ええ」
再びアリスとサーシャが竜具へと変化する。動こうとしたカエデとアリエスを牽制するようにテンペストを地面に突き立てると嵐が彼らを覆う。
二振りの竜具をそれぞれの手で掴むと、徐にレグルスは己に突き刺した。血は出ず、傷をつけることさえない。だが、体へと沈み込む相克した赤と青の輝きが大きくなり、レグルスを包みこむ。
その意味を理解しているかのように笑う二人。
「ヘぇ、装衣に続いてそれまで使えるんだ」
「なかなかやるじゃない。偽物」
タンっと軽やかに飛んだ2人が猛スピードでレグルスへと突き進む。レグルスを守っていた嵐を切り裂きレグルスへと迫る2人。
『レグルスさん!! 早く』
ラフィリアの声が脳に響くが、未だに動きを見せないレグルス。すると、目の前に突如として現れたカエデが己の竜具で迎え撃った。
「させません!」
今までの戦いを見てなお2人の力に臆することなく真正面から迎え撃つ。
閃光を発する刀が2人の竜具を受け止めていた。綺麗な波紋が浮かび上がった刀と衝突し、眩い閃光と共に雷音が鳴り響く。
僅かに拮抗する両者であったが
「そう、貴方もそうなのね」
「ニーナの姉妹。でも、契約していないみたいだね! そんなんじゃ……」
「ッ!」
「ほらね」
竜王の力を受け止めきれずにカエデは吹き飛ばされる。
「よっと、すまねぇな」
「いえ、助かりました!」
難なく受け止めたレグルスを見上げたカエデは、レグルスの瞳が青と赤へと変化している事に気がついた。
「後は俺がやる」
「いえ、私も出来る限りの事はします」
じっとカエデを見つめるレグルスであったが、折れたのもまたレグルスである。彼女のこういった時に見せる積極性、行動力は言葉で抑えられるものではない。
「なら頼む」
「はい」
レグルスの身に宿るのはアリスとサーシャの力である。カインツ達との戦いを得て閃いたものであった。
竜の力をその身に宿す事が出来るのならば可能であろうという考えのもと、アリスとサーシャが持つ竜王の力を限定的ではあるが操作できるようにしたものだ。
既に戦っているジャックやガイウスもまた同様の力を使っているのだろう。
「でも、まだ使いこなせていないみたいね。もって数分ってところ」
カエデの冷静な分析は的を射ていた。
「数分もあれば十分だ」
「生意気だよね」
そして、第二ラウンドが始まった。テンペストを手に斬りかかる。その刃には炎の息吹が宿っている。
「こうなったら分が悪いわ」
渦巻く嵐炎を受け止めたカレンは僅かに顔をしかめた。性質が二つに変化した炎を吸収することは出来ない。
ならば後は竜具のエネルギー同士の戦いとなるのだ。押し負けそうになったカレンを庇うようにアリエスが剣を振るうが、そこにカエデが割って入る。
「邪魔だよっ!」
「邪魔をしているですから邪魔で良いのです!」
その動きによってカレンの劣勢は決定づけられる。しかし、受け止めたカエデの竜具は悲鳴をあげる。当然ではあるが、契約前の竜具ではアリエスの力を抑える事が出来ないのだ。
だが、カエデは構わないと刀を振るい続ける。力では負けている、だがそれを補うように鍛えてきたメシア流刀術で何とか防ぎつづける。
レグルスならば勝てると信頼する彼女の太刀筋に迷いはない。
「助かった、カエデ」
レグルスの感謝に返す余裕もないカエデは裂帛の気合でもって返した。既にカエデの羽織は所々に血が滲んでいる。カエデも、そしてレグルスのこの力もそう長くはもたない。
そして、それは押されていくカレンにも当てはまる。
「はぁっ!」
レグルスが勝負に出た。
「くうぅっ! ちょっとアリエス!!」
「こっちもまだ無理!」
カレンとレグルスの剣戟が激しさを増すと共にカレンの顔から笑みが消え、傷が増えていく。
「くそくそくそッ」
そう浅くない傷が増えていきカレンは悔しげに叫ぶ。カレンの竜具から立ち昇る炎はラフィリアによって散らされ、サーシャによって凍らされていく。
黒炎を無効化できていた。
「鬱陶しいのよっ!」
突如として燃え上がる炎にレグルスは後退を余儀なくされた。竜王の力の解放とでも言うべきか、燃え盛る黒炎はカレンを中心に小さな円となって上空へと伸びていった。
「時間さえ稼げばいいのよっ! 早くしなさいアリエスッ!!」
炎の中心からヒステリックな叫び声が聞こえてきた。高温に熱された領域にはレグルスといえど易々と踏み込めるものではない。攻撃を捨て、守りに入ったカレンは己のプライドを踏みにじられたからか鬼の形相でレグルスを睨む。
『お兄ちゃん! 時間がないよ!!』
「ああ」
肩の力を抜いたレグルスは息を吐き出すとヤマトから教わった呼吸を始めた。その呼吸はまだまだ浅く、ヤマトからすればまだまだ稚拙な呼吸である。だが、そんな事すらしてこなかったレグルスにとっては桁違いの力をもたらす技術であった。
最速かつ慎重に精神を深く統一させていく。斬るという事のみを追求していくレグルスは余計なものを頭から追い出していく。
ピリピリとした剣気がレグルスから漏れ出し始めた。
「クソクソクソッ」
それは竜具にも反映されていく。全てを溶かす熱を持った薄い薄い風刃でコーティングする。さらに全身に冷気を纏わせていった。
テンペストを流麗な動作で腰に構えると、レグルスは軽やかに地を蹴った。それは、メシアに伝わる独特の歩法、縮地。
熱風を生み出す炎柱の前で立ち止まると目を見開いたレグルスは腰だめに構えたテンペストを走らせる。最速で振るわれた竜具はその暴風でもって熱を切り裂き進んでいく。熱を散らせながら進むテンペストは中心へと引き寄せられる。
抜刀された竜具に確かな手応えが伝わってきた。
「そ、そんな……」
炎柱が消え去り見えたのは脇腹から肩へと深い傷跡と血痕が見えるカレンの姿であった。驚きに目を見開くカレンがふらりと体を揺らし倒れ伏す。だが、そこに貼り付いた笑みは残虐なものであった。
「時間……切れ……よ」
それと同時にすぐ後ろでもまた誰かが倒れる音が聞こえた。
「カエデ……」
「良かった……守れた」
そこには腹を貫かれたカエデの姿。アリエスがいつのまにか後ろからレグルスを刺そうとしていたのだ。意味することは簡単で、いくらカエデといえども六王姫の1人を長く抑える事は出来なかったのだ。
「おい……」
「い、いつも言っていますが……私はレグルスが好きです」
背をアリエスに向けたカエデは貫かれながらも笑みを浮かべる。
「誰にも負けない。世界で一番強い……んです」
抜かれた剣の傷跡からとめどなく血が流れ出す。
「全く弱いくせに手こずられてくれるよ! まあこれで竜王の竜姫と偽物を殺せるんだから結果オーライってことだよね」
屈託無い笑みを浮かべるアリエスはちらりと倒れ込んだカレンを見やった。
「ふむふむ、カレンはまだ助かるね。逆に君の力は終わり」
「黙れっ!」
カエデを抱きとめたレグルスが叫ぶが、アリエスの言葉通りに制限時間が訪れていた。両目の色は元に戻り、片膝をついたアリスとサーシャの姿が戻っている。
2人とも荒い息を吐いているが、それはレグルスとて変わらない。全身を襲う倦怠感が体を動かす事を阻む。
「さて、これで計画が進む。サラダール様を復活させたら人間を殺して全てリセットするんだよ」
悍ましい事を口にしたアリエスは嬉しそうに微笑んでいた。
「っ!」
両者共に必殺の構えから放たれる剣閃。アリエスは思わぬ反撃に目を見開く。
だが、徐々に浮き彫りになる結果。僅かにレグルスの方が出遅れていた。
「終ーわり」
そして、アリエスの竜具がレグルスの首へと振り下ろされた。
『レグルスさん!!』
「「っ」」
アリスとサーシャは声にならない叫び声をあげる。
「どうやら俺らは良いように使われてたみたいだな」
「眠い。でも……もっとうざい」




