73話
巨大な山脈とその麓に広がる黒い森。頂上から流れてくる熱が風に吹き下ろされて麓へと広がっていた。通年を通して温暖なメシア王国の中でも指折りの暑さとされる黒い森がいつもとは違い騒がしかった。
木々が生い茂り、根が大地を這い回る不安定な足場をものともせず高速で移動する五人の姿。
戦闘を走るのは黒髪の少年レグルス。そして、左右を固めるのはアリスとサーシャである。中央にはラフィリアが疾駆し後方にカエデの姿がある。
最近では見慣れたフォーメーションを取る五人は日課とかした竜狩へと赴いていた。そして、今日彼らに与えられた任務は憤怒の大山脈で起きている異変の調査も含まれていた。本来、竜王の棲家には強力な竜が多数生息しているのだが、その数が減少しているという異変である。
山脈の頂上から吹き付ける肌を焼く熱波の中で疾走する彼らに汗一つ見えない。
「レグルスさん。右から来ます」
中央にいたラフィリアが淡々と報告を上げた。
「だいぶラフィリアの精度も上がってきたなぁ」
レグルスが感嘆する。まだ目にみえる範囲では竜の姿は見えないと言う事は離れた位置にいる竜を補足したと言うことである。そんなレグルスの態度に頬を膨らませたサーシャが詰め寄った。
「お兄ちゃん!!」
「ん? あ、ああ。サーシャのお陰で涼しくて快適だな」
「へへぇ〜」
顔をふにゃふにゃに崩したサーシャは猫のようにレグルスの体へと擦り寄っていく。そんな事をすれば黙っていない者がレグルスの右側からさり気なく近付いてきていた。
「おいアリス……近くないか?」
「んあ!? ばっ……ばかっ!! 近付いてなんかないわよっ!!」
「あぁ〜!! アリスちゃん真っ赤だよぉ〜」
レグルスの発言にあたふたするアリスに追い打ちをかけようとサーシャがからかう。キッと目を細めたアリスがレグルスとサーシャの距離を指摘するように指を指すと怒鳴った。
「サ、サーシャも離れなさい!!」
「はーい」
これ以上からかうとアリスが暴発する事は理解できるサーシャは大人しく離れていった。セレニア王国にいた頃ならここで終わる掛け合いであったが、今は勝手が違う。
「レグルス、私の後ろから抱き着いてきてもいいですよ?」
黒髪を翻してチラリと振り返ったカエデがそんな発言をする。美人なカエデが流し目を送る姿は、サーシャやアリスにはない艶っぽさがある。
そこからはアリス、サーシャがカエデと張り合うように騒ぎ出し、ラフィリアの的確な燃料投下によって収集するのが面倒な方向へと発展していく。
「お前ら……」
最近のレグルスの苦悩はもっぱらこの四人であった。そんなコント染みたやり取りをしている間も警戒を怠ってはいない彼らの感覚にもラフィリアが報告していた竜の気配が引っ掛かった。生い茂る木々の中で直線的に進んでくる竜。
ようするに
「力が有り余っているようです」
苦笑交じりの声を合図とするように右側の木々が弾けた。散弾のように飛び散った破片はレグルス達に届く前に灰となる。それをしたのが誰かなど小鼻を膨らませてレグルスを見ている赤髪の少女だと一目瞭然だ。
巨大な体躯が大地を踏みしめ巨悪な姿を晒した。黒く艶のない鱗は光を吸い込むように深く暗い。六本もある腕と胴長の体躯。そして、長く伸びた口と鋭く不規則に生えた乱杭歯は見る者の恐怖心を否応なく想起させた。
「悪食竜か……大物だな」
そう言ってレグルスがこの場に聖域を展開する。
一通り竜の生態を学んだ事があればこれほど特徴的な竜はすぐにわかる。極めて獰猛な性格であり、強靭な六本の腕を使い機微に動く。目についた敵へと見境なく襲い掛かりその乱杭歯でもって食い散らかす竜。
各国の正規軍にとっても厄介な敵であるが、ここにいる五人にとってはそうではない。悪食竜が餌を見つけ、歓喜の咆哮を上げようとした。
「相手にとって不足無しですね!」
「今回はカエデちゃんと二人でやるね~」
緩やかに宣言したサーシャが言葉と同じくふわりと跳躍する。その眼下ではカエデが既に一足飛びで駆け抜けていた。その行動を残された三人は黙ったまま見つめている。本来であれば悪食竜と相対すれば熟練の竜騎士とてそれなりの覚悟が必要なものなのだが、雰囲気は緊迫したものでは無い。
自らに向かってくる二つの存在にターゲットを絞ったのか歪な口を大きく開け突進の勢いをそのままに向かってくる悪食。
「金尖牙」
するりと現れた一本の薙刀。蒼白く輝く刀身と黄金に染まった柄。刀身と柄の境界には金色の鬣があしらわれている。地面を石突で叩きくるりと回すと構えなおした。眼前には恐ろしい咢が迫っている。
「行っくよぉ~!」
頭上から元気の良い声が聞こえてきた。双剣を象った竜具。零王白華剣を逆手に構えたサーシャは大木から生えた枝を逆さまになって蹴りこんだ。自由落下に加わる重力と共に蹴りこんだ力により速度を増したまま悪食竜の頭上へと接近する。
だが、竜とて見ているだけではない。サーシャの握る竜具を脅威と見たのか巨体をその六本の腕を旋回させ鞭のようにしなった尻尾を叩きつけようとした。
軌道を予め読んでいたかのようび無駄のない華麗なステップで躱したカエデは目の目を通り過ぎてゆく尻尾に向かって悠々と呟いた。
「こちらがお留守ですよ」
勢いよく引き込んだ槍を突き込んだ。硬い鱗をものともせず鋭く尖った穂先が鱗を突き進み、強靭な筋肉を突き破りながら侵入していく。だが太く強靭な骨に遮られ止まってしまう。
予想だにしていなかった悪食竜は竜具が止まったことを好機と見たのか甲高い咆哮を上げて身じろぎした。巨体が節操なく動けばそれだけで脅威になる。
「任せて、カエデちゃん!!」
頭上へと降り立っていたサーシャが零王白華剣を叩きつけ。小さな双剣から膨大な量の水が溢れ出し身じろぎする竜を包み込んでいく。強引に振りほどこうとする竜であったが体を包んでいくにつれ動きが鈍くなっていく。
ついに全身を水に包まれた竜は水牢に閉じ込められていた。そしてその隙を見逃す筈もなく、尻尾に突き立った金尖牙の柄に回し蹴りを叩き込んだ。
「せやっ」
凛とした声と共に目の前が一瞬だけ白く染まった。そして地鳴りを響かせて倒れていく巨体。全身から白煙を吹き出し黒焦げとなった悪食竜。内部までこんがり焼けている事は想像に難くない。
「一丁上がりだね! 褒めて褒めてっ、お兄ちゃん」
「私も頑張りましたよ!」
振り返りVサインを向けるサーシャとレグルスにすり寄っていくカエデ。それを阻止しようとアリスがずんずんと歩き出したとき、ラフィリアが首を傾げながら呟いた。
「でもやはりおかしいですね……これだけ暴れても新しい竜の反応が現れません」
「こうも続くとまた面倒ごとに巻き込まれている線が高いぞ……はあぁ~」
彼の何かしらのセンサーにガンガンと伝わっていた。
「ほら、溜息を吐いちゃダメよ」
そんなレグルスの気持ちを知ってか知らずか背中を叩いたアリス。普段はだらけきっているレグルスはよろよろと前方につんのめった。いつもなら半目で振り返る筈のレグルスが目を限界まで見開き後方へと飛びずさった。
そしてアリス達の前で立ち止まった。
「面倒だな」
「よぉ~また会ったな」
何の脈絡もなく、そしてラフィリアの感知をすり抜けて現れたのは二人組の男女で会った。真っ先に反応したのはレグルスとラフィリアである。二人にとっては忘れることのできないきっかけとなった者である。
既に臨戦態勢を取っているレグルスの横に並び立ったラフィリア。普段の彼女にはない鋭い眼光を向けていた。他の三人もまた尋常ならざる雰囲気に固唾を呑んでいた。
「あれは誰なの?」
背を向けているレグルスに向かってアリスが問いかけた。
「死神だ……」
「えっ!」
裏の人間の中でももっとも異彩を放つ死神。それが目の前に突然現れたのだから三人の動揺も仕方がない。無精髭を生やした男と眠たそうに目を僅かに開いた女の二人組。
「ハロー。あら? 初めましての嬢ちゃんが多いな……まぁ、俺達が死神だ」
そう言って手を振るハーロー。ネルの方は固まったまま動かない。
「いつも突然だな、お前たちは」
「それが俺らの在り方ってな」
「相変わらず面倒臭いな」
レグルスの言葉に反応して四人が身構える。足に力を溜め込もうとしたレグルスを察知してかハーローが両手を頭上に挙げて降参の意を示した。
「まあそう言うなよレグルス。それと今回は別に戦いに来たんじゃあねぇよ」
「信じられるか」
尚もにらみ続けるレグルスに対して頭上に掲げた腕をぶんぶんと振り回して敵意の無いことを全身を使ってアピールするハーローにレグルス達も一先ずは様子を見ることにした。そして、レグルスとしても死神の存在には気がかりなことがあった。
前回遭遇した際も何かを知っているような口振をしていた為、会話を続けることした
「そもそも前にも言ったが今のお前らには勝てねぇよ」
「何をしてたんだ?」
「此処の調査だな。ついでに襲ってくる竜も狩ってたが」
その言葉に反応した面々。死神の言葉を信じるなら憤怒の大山脈で起こっていた異変にも説明がつく。だが、死神がなぜ竜王の棲家を調査していたのか気がかりであった。
ましてや死神ほどの大物が自国に訪れていた知ったカエデが口を挟んだ。
「調査?」
「おいおい、何でもおじさんから聞けるだなんて思うなよ。まあ強いて言うなら裏付けだな。嬢ちゃんが可愛いから大サービスだぞ……おい!」
突然前のめりにたたらを踏んだハーローが振り返った。
「なに?」
「今俺の尻を蹴っただろ」
「知らない」
言葉少なく告げるネル。その態度に諦めた様子のハーローは首を振るとレグルスへと向き直った。
「まあ俺らの用は済んだし、最後に答えてやったんだからそっちも一つ答えてくれや」
「内容によるな」
「なに簡単だ。お前たちの戦う理由は分かったのか?」
「ん? ああ」
「それは信じるに値したか?」
「何を言っているんだ?」
要領の得ない言葉にどう返していいのか分からないレグルス。だが、飄々としていた死神が真剣な表情でレグルスを見つめていた。
「最後に、竜王の言葉を聞いたか?」
その口調と態度から何かを感じ取ったレグルスは端的に答えた。そう言わなければ何か重大なミスをしてしまうという直感である。そしてレグルスはその直感に従った。
「サラダールを倒せって言ってたらしいな」
「そうか……ありがとよ」
ヒラヒラと手を振りながらレグルス達とは反対方向に歩き出した死神。突然現れ、不可解な質問だけして消えていく死神に赤髪の少女は黙っていなかった。
「ちょっと待ちなさいよっ!」
「止めとけ、アリス」
「なんで? あいつも言ってたけど私たちなら勝てるわ」
そう告げるアリスに続くようにサーシャとカエデも頷いた。みすみす裏組織の大物を逃す事はないという判断からであった。
「いや、あいつらは何か隠してやがる。その何かが藪蛇だったら面倒だろう?」
「面倒って……お兄ちゃん!」
レグルスの裾を引っ張るサーシャ。
「レグルスさんの言う通りだと思います。ここは見逃しましょう」
「ラフィリアもそう言うなら……」
ラフィリアの発言で渋々引き下がったアリス達。五人は去っていく背中を見つめるだけであった。




