71話
大陸に未曾有の危機が迫っていることは既に周知の事実であった。アガレシア皇国では各国から派遣された滅竜騎士達がサラダールの眠る地を守護していた。
ルーガス王国では純白に輝く鎧を身につけた聖騎士達が、リシュア連合国では守将。そして、ロウダン王国では英雄ガイネクスを筆頭に五大総武と呼ばれる者達が王宮を守護していた。
各国が守りを固める中、レグルスと最も近いセレニア王国の王宮は建国から数えても類を見ない程に厳重に警備されていた。王宮にはシュナイデルやリンガスといったレグルスと近しい者達も名を連ねている。
そして、もっとも重要な封印を守護する第二陣の結界。それは王宮の地下にあり、王家のみに伝わる道を通る事でしか辿り着く事は出来ない。そんな道を滅竜騎士ミハエルは進んでいた。エックハルト王から任された大任を果たすべく年老いてなお漲る闘志を胸に歩いていく。
ベルンバッハが学園や王都に。そして、ジークハルトがアガレシアへと出向いた今、最後の砦となるのがミハエルであるのだ。
「今回の騒動が最後の仕事となりそうだの」
既に年老いたミハエルはそんな事を口にする。
細心の注意を払いながら進んでいったミハエルは地下へと繋がる階段を降りていく。追跡が困難となる一本道の階段は下から見上げれば上の階段の様子が一望できるように螺旋を描いている。
ミハエルは油断なく、かつ自然に上方を警戒すると最後の階段を降りきった。目の前にあるのは何の変哲も無いただの壁である。
立ち止まったミハエルは手を壁に這わせると一部分にそっと扉に手を添え力を入れた。押された壁が僅かにへこみ、続けてちょうど扉の大きさの壁がさらに押し込まれた。
取っ手のように変化した窪みに手をかけ右へと力を込めると、壁が動き部屋が姿を表した。そこにするりと入り込んだミハエルの姿はその場から消える。
残ったのはただの壁であり、行き止まりであった。
誰もいなくなった廊下はひっそりと静けさを取り戻す。だが、誰も居ないはずの階段で静寂を破る声が響く。
白銀のベールが空中を漂い中から人が現れた。
「なるほどなるほど、時は満ちたってな。ちょうどいい生け贄になりそうだ。アンタの最後の仕事になるだろうさ」
軽快に楽しげにつぶやく男。それは、この国の軍の頂点の一角であるシェイギス・ハールーであった。彼は王から守護の任を任されたミハエルの後をつけていたのだ。
彼の能力ならば可能な芸当であり、未だこの国に彼を疑うものはいない。ましてや、その本当の実力すら知らなかった。
「冥府の門は開かれた」
そう言って笑うシェイギスの視線は第二陣へと繋がる壁へと向けられていた。
◇◆◇◆◇
メシア王国に留学という名の特訓に来てからはや1ヶ月が過ぎようとしていた。この場にアリス、サーシャ、ラフィリアの三人が揃っている。
「この国、結構すきだなぁ」
「確かにそうですね」
「レグルスも楽しそうだし、良いことね」
セレニア王国に居た際は、今でこそレグルスに対して負の感情を持つものは少ないが初めのうちはかなりのものだった。だが、この国は初日の乱闘騒ぎの次からは皆がレグルスを尊敬しているというものであった。
「極端っちゃ極端だけど、お兄ちゃんが褒められるのは嬉しいからねー」
他愛もない会話をする彼女たち。
ドタドタドタッ
「またやってるわね」
騒がしい足音を聞いたアリスはすくっと立ち上がる。
「レグルス、お待ち下さい!!」
広大な屋敷で鬼ごっこを繰り広げていたレグルスは後ろから聞こえる声を無視して逃げ続ける。
ヤマトとの毎日の修練を終えた後にこれまた毎日のように繰り広げられる鬼ごっこをヤマトを含めた皆は楽しげに眺めていた。
「毎日毎日飽きないのかよ、カエデのやつ」
猛然と追ってくるのは綺麗な黒髪を振り乱しながら追いかけてくるカエデであった。
「私と契約して下さい!」
「だーかーら! もうちょっと待てって言ってるだろ!!」
「もう待てません! 早く!!」
レグルスの強さを見てからというもの、強さこそが全てだと教え育ってきたカエデにとってまさしくレグルスは理想の王子様であったのだ。目の前を歩く二人を目にしたレグルスは叫んだ。
「おい、2人とも。助けてくれよ!」
ドタバタと繰り広げられる鬼ごっこにサーシャとラフィリアは笑みを浮かべて眺めている。
「えぇ〜、だって楽しそうだよ?」
「頑張って下さいね両方共」
いつも通りの返答を返されてしまう。
「くそぉぉっ」
そんな時、レグルスが通りかかった扉がガラリと開くとグイッと押し込まれた。
「うおっ」
「しー、静かにしなさい」
「アリス!」
赤い髪が目印のアリスによって助けられたレグルスは息を整える。
「全くカエデみたいなタイプは始めてだわ」
「何かあの目が怖いんだよな。根はいい奴なんだけど」
「そうよね。レグルスの事がす、す、好きっていうのは分かるんだけど……その表現の仕方が……ね。まあ、焦っているのかな?」
好きという言葉に何度か詰まりながらも答えたアリスとレグルスは同時に溜息を吐いた。
「そ、それに、レグルスもちゃんと向き合って上げなさいよね!!」
「えぇ〜、今の発言はどこいった! とんだ裏切りだぞ!!」
どうやらラフィリアとサーシャは我関せずで楽しそうに眺めているのだが、アリスは内心、少しばかりの羨ましさを感じていた。
この1ヶ月で女の子同士、話す事が多くなったのだが直接的に表現できるカエデが少しばかり羨ましいのも確かだ。
アリスはどちらかというと感情表現が苦手だ。そのせいでメシア王国に来る前には逃げ出す事態にまで発展していたのだから。アリスとて既にラフィリアやサーシャと共に契約した事もあり再び人が増える事にそれほど抵抗感はない。
むしろカエデを応援していると言っても過言ではないのだが、
「そりゃあラフィリアやサーシャはいつもアグレッシブだけど、私だってーー」
「ん? 何か言ったか??」
「何でもないわよ! バカっ」
「おいっ、声が大きーー」
ガラガラ
メシア王国に伝わる伝統的な襖が音を立てて開けられた。そこに立つのは見覚えのある少女。
「よ、よお。カエデ」
「ようやく捕まえました! 所でアリス!!」
「は、はい!」
キッと怜悧な瞳で見つめられたアリスは恐々とした返答を返した。
「お話があるの」
「う、うん」
カエデによってアリスが連行されていくのをレグルスは胸を撫で下ろして安堵するのだった。
「さらばアリス」
アリスは内心ドギマギしながら後ろをついていくとカエデの自室へとたどり着いた。
「作戦会議をします!」
「はい?」
「レグルスと契約するための会議です」
そう言って入ってい言った部屋には既にラフィリアとサーシャの姿もあった。すっとお嬢様らしくその場で正座したカエデに続いてアリスも腰を落とす。
「では、レグルスさんと契約する為の秘訣をご教授下さい」
カエデの発言にサーシャがまずハイハイと手をあげた。
「このまま押せ押せでいったらいいと思うよ!!」
「ですが……いつも逃げられてしまいます」
先ほどまでの強気な態度はどこへやら、シュンとしたカエデは弱々しげに呟いていた。
「お兄ちゃんはああ見えて恥ずかしがりなんだよ! それに、カエデちゃんみたいなタイプは始めてだからね」
「そうでしょうか?」
「そうですよ、カエデさん。本当に嫌ならレグルスさんだってサボる時みたいにさっさと逃げるはずです」
「だよねー、お兄ちゃんって逃げ足だけは凄いから」
ワイワイと続く作戦会議という名の恋話が続いていく。そんな時、ふとアリスの声が恋話を止めた。
「ねぇ、カエデ。どうしてそんなに積極的なの?」
「それは……強いですし」
「強いだけなの?」
「いえ、アリス達に聞いたレグルスのお話は彼が本当に優しい人なんだなって思えるお話ばかりで……聞いていく内にどんどん大きくなったと言いますか」
そう語るカエデは頬を朱に染めてはにかむ。
「それに、レグルスには既に三人ものお嫁さん候補がいるんですよ?」
「「ぶふっ」」
飲んでいた水を吹き出したアリスとサーシャを見やりながらラフィリアがわざとらしく微笑む。
「あらあら」
そこでまた決意を新たにしたカエデはふんすと鼻を鳴らす。
「やはり攻撃あるのみです。レグルスを逃すわけにはいきません! ですが、本当は少しばかり不安もあります」
ここ一週間ほど繰り広げた逃走劇を思い出してカエデは溜息を吐く。
「嫌われてないでしょうか?」
「それは大丈夫よ!」
「本当ですか、アリス? 私はアリス達が羨ましいです」
「私は逆にカエデが羨ましいな、思いをそのまま行動に移すのって大変じゃない?」
そう言って顔を上げたアリスへとラフィリアとサーシャはニヤニヤとした笑みを向けていた。
「ち、違う! いまのはーー」
「なら、頑張ります! 私とアリスでレグルスを追い詰めましょう」
ガシッと掴まれた両手を重ね合わせてカエデが意気込む。その熱意にあてられてからアリスの瞳にも闘志が宿る。
「そ、そうね! やってやるわよ!!」
「ええ、それじゃあ具体的な話を……」
2人で話し始めたのをよそにサーシャとラフィリアは笑みを浮かべる。
「これでお兄ちゃんも逃げられないね」
「ふふ、カエデさんも天然で策士です」
その夜、レグルスはメシア王国の伝統である温泉に来ていた。ここはレグルスにとっても1、2を争うベストプレイスだ。まるで池のような広さに張られたお湯は天上の世界のように安らかで気持ちのいい。体を流して入ったレグルスは息を一つ、だらりと湯船に身をまかせた。
しばらくつかっていると不意に後ろの方から声が聞こえる。それも、この場では聞こえないはずの見知った声。
「や、やっぱり無理よ……」
「行きますわよ! アリス、この試練を超えないと先に繋がりませんわ!!」
「で、でも、恥ずかしい……」
煙の先にうっすらと見える赤と黒。
パシャッ
「って、お、おい!! 何してんだ!?」
驚きのあまりに大声を出したレグルスに反応し、赤と黒の頭をこちらをぐるりと見る。
「ち、違うにょーー」
「さあ、レグルス! 観念しなさい!!」
「ちょ、ちょっとカエデ!」
ずんずんと進んでくるカエデに腕を引っ張られてアリスもまた引きずられてくる。
「ちょっと待てって、な? 流石に」
近づいてきたことでうっすらと見えるようになった2人の姿にレグルスはゴクリと唾を飲み込む。タオルで体を隠しているにも関わらず、温泉という場がそうさせるのか、肩に張り付いた髪が艶かしく見える。
ズルズルと後退するレグルスとどんどんと近づいてくるカエデとアリス。もはやその姿もはっきりと視界に映る。真っ白な太ももがレグルスの目一杯に広がる。どちらもかなりの美少女である2人の半裸の姿にレグルスの顔が沸騰しそうな程に赤くなる。
アリスはそんなレグルスの様子を見て急激に恥ずかしくなったのかカエデの手を振り払った。
「ちょ、ちょっと待ってカエデ!」
「「「あっ……」」」
三人の声が同時に響き渡った。
カエデからスルリと落ちるタオル。
人形のように整った顔が凍りついた。肩から下を隠すタオルがなくなったことで隠すものがなくなった。膨らんだ二つの双丘がぶるりと震える。
「ふ、ふんっ!」
恥ずかしさのあまりに正常さを失ったのかあろうことかカエデは息巻き、胸を貼ってどうどうと立つ。
「ちょ、ちょっとーー」
「あっ……」
それは誰の声だったのか、膨らみかけた双丘が露わになった。
「え……キャーー!!」
ザブンと湯に身を隠したアリスに続いて限界を突破したカエデも神速の速さで蹲る。
「え、えーと……」
言葉が出ないレグルスの後ろで『ちゃぷん』という音が聞こえた。
「なになに? 何かアリスの声が聞こえたような」
「あらあら、楽しそうな事になっていますね」
ギギギと壊れた機械のように首を回すと青と緑の髪が見える。
「わぁ! なになに……なら、こうだ!!」
サーシャは状況を理解したのか、大胆にも身を包むタオルを『ていやっ』とばかりに投げ飛ばした。
「これは恥ずかしいですけど、空気を読まないと」
そう言ってラフィリアもまたタオルに手をかけた。
「付き合ってられるかぁぁ!! 聖域!」
聖域を展開したレグルスは絶叫と共にその場から姿をかき消した。そして、ヒラヒラと上空から舞い落ちる白いタオル。
「あらあら」
「わあぁぁ!」
「ふにゅぅぅ」
「あ、あれがレ、レグルスの……」
4人共が顔を真っ赤に染めてその場で立ち尽くすのだった。




