66話
強者こそが全ての世界で生まれた彼女がその色に染まる迄そうかからなかった。戦いこそが至上の国では戦闘が娯楽へと昇華されていた。
国内にはスターとも呼べる滅竜師が大勢存在し、繰り広げられる下剋上と言う名の順位戦。学び舎では連日その話で持ちきりとなる。
もちろん少女も熱狂する友人と共に何度も通ったが彼女が心躍る者はいなかった。それは年の離れた彼女の兄が途轍つもなく強かった事が原因の一旦を担っていたのだが。
最年少で国内トップにまで上り詰めた兄は彼女が物心ついた頃には対人戦において滅竜騎士と並ぶとさえ呼ばれていたのだ。優しく、強い兄の順位戦では唯一心踊る戦いを見られた。
そんな兄を身近で見てきた彼女が心躍る相手はそうそういない。強さこそが史上であり、魅力すらも強さである。だが、少女が兄に恋を寄せることは無い。あるのは強い憧れという感情であった。
そんな少女が十代の半ばとなっても恋心を知らないのは仕方がないと言えば仕方がなかった。さらに幸いにも、少女にとっては災難な事に彼女もまた非凡な才を持っていたのだ。
武芸を習い始めてすぐに同年代では敵無しとなった。そしてその強さを後押しするように発覚した彼女の強力な竜具。
いつしか少女は恋をすることを諦めていた。同年代の友人達が咲かせる初々しい話しを軽く受け流す日々。皆が言う心がときめくという感情を兄以外で覚えることなく育った。
確かに少女よりも強い者は国内に無数にいる。だが、この人だという気持ちにはならない。夢見る少女だった過去に、夢想した遥かに強くそして気高い少年と共に戦場で寄り添う姿。
強敵と相対し、少女、そして自分よりも遥かに強い相棒の滅竜師と共に乗り越え惹かれ合うという幼い夢。
同年代の子にそれを求めるのは酷だと気づき、己の強さのみを追い求める様になった少女は今日も道場で汗を流していた。
薄紅色の着物を羽織った少女。肌は透き通るように白く、腰ほどまで伸びた黒髪がサラサラと揺らめく。道場で静かに佇む姿は何処か神聖さすら纏う姿であった。
静寂とは正反対の意志の強そうな目は鋭く先程までの自分の動きを反芻していた。そんな年に似合わず大人びた少女は軽く汗を拭うと木剣を立てかけた。
日課の訓練を終えた彼女が帰ろうとした時、道場の襖が僅かに開く音が聞こえる。少女はサッと身嗜みを整えると入ってくるだろう人物を待ち構えた。この道場は学園としても使われており、少女の家に併設されたものであった。そして、夕方過ぎに入ってくる者も自ずと分かる。
待つこと数秒、予想していた通りの人物が現れた。
「ヤマト兄様、帰って来ていたんですね」
尊敬する兄の姿に少女の鋭い目が和らぐ。純白の羽織を来た男は二十代半ばだと判断できる。優男然とした顔つきではあるが、どことなく少女に似ている。
「早く任務が終わったからね。カエデも今日は終わりかい?」
「はい」
「そうか……」
ヤマトは内心で溜息を吐く事となる。毎日、訓練に明け暮れるカエデと年頃の少女を比較して、年頃の少女にしてはいささか違うのではないかという思いだ。
年頃の妹がこれで良いのか、というのが彼の密かな悩みでもあった。確かに強く育ったカエデに嬉しい気持ちはあるが、兄としては複雑な気持ちである。
その原因も大凡察しているヤマトはいつもの事だと納得している。
そんな彼であったが、今日彼に齎された情報は嬉しいものでありその報告を取り急ぎとこの場に来ていた。
「カエデ、話があるんだけどいいかい?」
「勿論です」
心持ち足が軽くなったヤマトは正座したカエデの前で同じ姿勢を取る。
「カエデに朗報だよ」
「はて? 何でしょうか?」
コテンと首を傾げるカエデはやはり絶世の美少女であった。妹が絶大な人気を得ている事はヤマトも知っている。
だが、浮ついた話を一度も聞いていないのだ。そしていつもの堂々巡りが脳内を掠めるがその話は脇においたヤマトはその思考を打ち切り、今日告げられた言葉を掻い摘んで説明する。
「実はメシア王国に来週から賓客、いや留学生が来ることになったんだよ」
「はい……それでどうしました?」
賓客という単語も特に珍しいものではない。疑問を口にしたカエデは至極当然であった。
「何とカエデと同い年の子達なんだよ」
心持ちいつもより弾んだ声音で話すヤマトにカエデの疑問はますます高まる。浮足立った兄の姿はとにかく珍しいのだ。
「はぁ……それがどうしました?」
それを改まって告げる必要がないという事だ。カエデにとって同年代の者が増えようとさして問題ではないといったものである。他国から留学してこようがカエデにとっての関心はその程度。
その反応に苦笑いを浮かべつつもヤマトは軽い調子で言葉を続ける。
「同じ道場に通う事になると思う。それで、ここからが本番だ」
「で?」
僅かに鋭くなる眼。そのカエデの反応を見てもったいぶり過ぎたかな? と本題を口にするヤマト。
「実は4人のうち、3人の少女達はもしかしたらカエデよりも強いらしいんだ」
「はぁ……えっ!?」
ビクリと肩を震わせたカエデを見て頬を緩める。普段から武術にばかり傾向する妹のこんな姿を見れただけでも嬉しいというものだ。
「良い友達になれるといいね」
「そ、そうですか……それは、楽しみです」
実力が拮抗する同年代の相手というのは誰にでも必要なものだ。武を昇華すると共に、やはり同じ立ち位置に立てる友人は居たほうが良い。それはカエデも分かっているのか嬉しそうにはにかんでいる。
「あともう一つあるんだ」
だが、嬉しそうに笑うカエデに更に爆弾発言を投げかけるべくヤマトはニヤリと笑みを浮かべた。
「経験はまだまだ浅いけど、真剣勝負なら僕よりも強い少年が来るんだ」
「へ……」
時が止まったかのようにカエデが静止する。それは、脳の理解が追いついていないようであった。何度も何度もヤマトの言葉を反芻するが定着することは無い。すり抜けるように言葉が脳を駆け抜けていく。
「いま……なんと?」
「ようするに僕より強い……いや、潜在的に見れば歴代の滅竜騎士も超えていると思うな」
「えぇ!? ほ、本当ですか、ヤマト兄様!!」
正座を崩すと『ガタリッ』とヤマトの腕を掴んだカエデ。ヤマトよりも強い、いや歴代の滅竜騎士よりも強いとなれば世界最強と読んでも過言ではない。それが同年代の少年なのだ。
そんな言葉をヤマト以外から聞いても鼻で笑う所だが、下から見えるヤマトの目は嘘を言っているものでもなく、彼がそんな下らない嘘を吐いたことも無かった。
それが意味する事はとカエデは思い至った時、待ってはいられないとばかりに声を上げた。
「お名前は……お名前は!?」
叶わないと思っていた夢が叶うかもしれないのだ。自分よりも、いや誰よりも強い同年代の少年。諦めていたものほど手に入るかもしれないと分かればもどかしいものだ。
自分が待ちわびた少年の名を聞かなければとそんな思いがカエデを焦らせる。
「レグルス君っていうんだ」
「レグルス……レグルスさん……」
その名を聞いたとき、何故かストンと心に染み渡るものがあった。それが何かは分からない。だが、その名がとても大切なもののように感じられた。
胸をギュッと抑えたカエデは何度も心の中で反芻するように言葉を繰り返す。ヤマトの戦いを見た時と同様、いやそれ以上の胸の高鳴りに困惑しつつもカエデは浮足立つ心を鎮めることが出来ない。
「わ、わたし……」
自分の頬が凄い熱を持っている事を理解したのか両手で頬を抑えるカエデ。ヤマトはその姿を見て満足そうに頷いた。
「入国したら一緒に迎えにいこうか」
「はい!」
兄の気遣いに感謝しつつまだ見ぬレグルスに思いを馳せる少女。自分の中にストンと落ちたのが何かがわからない。だが、カエデはまだ見ぬレグルスに胸をときめかせるのだった。
その日からカエデの様子がおかしいと王都では話題になる程であった。日頃からしっかり者の筈のカエデが時折ぼおっとするのだ。日増しに時折頬を赤らめては両手で抑えるといった行動が目立つようになっていった。
その事態にいち早く気がついた女子連中は自分達も経験したその現象に思い当たる節があった。
「カエデ、もしかして好きな人が出来たの?」
「えっ!? そ、そんな事ないですよ?」
「あぁ〜! 怪しい……誰、誰なの?」
「そ、そんな人は……」
初心なカエデのその反応を見た少女達は狡猾にも切り口を変える。
「あ〜あ。どうせ碌でもない男なんでしょう?」
その質問には道場にいた他の男子生徒達も聞き耳を立て興味津々の様子である。メシア王国一の美少女、そして実力も高みにある高嶺の花。そんな少女が想う相手とはと、淡い期待を寄せていた男子たちは次の言葉で目の色を変えることとなる。
「ち、違います! レグルスさんは……えっと、見た事はありませんが、強くてきっと優しい筈ーー」
顔を赤らめてもじもじとするカエデが発言したレグルスという名は瞬く間に王都中に知れ渡るのだった。
その名は一夜にしてメシア王国中を駆け回り、幼い頃からヤマトの妹ということもあり知っている現役の滅竜師達は妹のようなカエデに悪い虫がついたとばかりに目を光らせる。
更にはメシア王国は武の国である。ならば、カエデが気にする者はどれ程の男なのだと推測し始める始末。
『レグルス、許すまじ』
『レグルスとやらがカエデに相応しいのか見極めてやる!!』
その言葉が囁かれる事となった。




