6話
双頭竜と対峙するサーシャは蛟を手にし再び構える。
その顔に迷いはなく、目の前の敵を射抜いていた。その想いに反応するかのように、竜具は輝きを増していく。
ギガァォ
暗い林の中で淡く輝くサーシャ。
目の前の少女を敵と認めたのか、双頭竜は4つの目でギロリと睨むと発達した足で大地を踏み締め迫ってくる。
「行くよ!」
その言葉を残しサーシャはその場から駆け出した。大地を軽やかに蹴り駆けていく。
「すごい!!」
(まるで空を飛んでいるみたい。お兄ちゃんはやっぱり凄いやぁ)
サーシャは思わず口に出し、この聖域の凄さを実感した。
エリク達が行使した初段強化とは比べものにならない程に力が漲ってくるのだ。流れる景色はとてつもなく早い。
気を抜いてしまえば、制御を誤り暴走してしまうような感覚、それを抑え込みサーシャは竜目掛け飛び込んだ。
タッ
左右から襲いかかる頭は目の前のサーシャを捉えると、人など丸々飲み込める大口を開け迫る。だが、サーシャは臆さない。
通り過ぎる際に剣閃を走らせていく。先程まで通らなかった筈の刃は振るうごとに深く傷跡を残していった。
竜は縦横無尽に駆けるサーシャを捉える事ができず、傷だけを増やしていく。そんなジリ貧の状態が続いていた。
このままでは勝てないと判断したのか片方の頭がサーシャに斬られる事も構わず、もう1つの頭が大口を開けた。
「ふっ!」
なおも、サーシャは残った頭に向かい蛟を高速で振り抜いていく。
片足を軸に切りつけ、さらに返す反動で更に切り裂いていく。鮮血が辺りに舞い、乱舞する姿はまるで踊っているようであった。
か弱い筈のサーシャが振るうには、おおよそ似つかわしくない斬撃は途切れる事はない。
やがて、双頭竜の口に空気が圧縮されていき周りが歪んだように見え始めた。
ごうごうと音を立てて、うねる空気弾には前回よりも遥かに強大な力が宿っている。
するとサーシャは目の前にある頭に足を乗せて、軽業師のように空へと飛び上がる。その表情は勝利を確信していた。
「さっきの空気はもう見たよ」
スタッ
もう一方の頭に飛び乗ったサーシャは蛟を交互に合わせ、力を込める。
「はぁ!」
空気をまさに吐こうとした瞬間、蛟の形状が変化し、鞭状に変わっていく。
それを振るい大きく開けた口を抑え込んだ。その力は強く双頭竜の口は閉ざされる。
ドオォン
轟音と共に衝撃波が広がっていく。土砂が舞う音と巨体が倒れる音が響き渡った。
「俺たちの聖域なのか?」
「俺らしかいねぇだろ!」
フィットの呟きにエリクは興奮した様子で返した。彼らが今見ていた光景はおおよそ信じられるものではなかったのだ。
生存が絶望的に見えた双頭竜の攻撃を躱し傷を負わせるサーシャ。
まるで舞うかのような戦闘に彼らは目を奪われていた。自分達が吹き飛ばされた後に起こった不可思議な現象。
「そうだ! 俺らの力が強くなったんだよ!!」
「そ、そうなのか」
いま何が起こっているのか未熟な彼らでは理解する事が出来なかった。エリクは自分が強くなったと思い込み興奮する。
「死線を潜り抜けたら強くなるのは有名だろ? それに、アイツがあんなに強くなったのが説明つかないだろ」
「たしかにそうだな」
「中位竜すら倒せるんだよ、俺らは!」
彼らは口に出した結果、この光景の理由がストンと理解できた。中位竜すら倒せる聖域を生み出していると思ったのだ。
彼らが興奮した様子でサーシャの方を見れば、戦いは幕を閉じようとしていた。
弱々しく倒れている双頭竜は片方の頭が吹き飛び、もう片方には頭と判別できない程に血が滴り、深い傷がついている。
空気が最期の抵抗だったのか、何もする様子がない双頭竜に歩み寄り、蛟を掲げる。
「これで、終わり!」
ズザンッ
サーシャが振るった二振りの剣は、ついさっきまで絶望の象徴だった竜の頭を、呆気なく切り離したのだった。
「ふぅ、終わったよ」
サーシャは額を拭うと、どこか白々しい態度で声を上げた。独り言にしてはやや声量が大きいと感じる。
「よくやったサーシャ。勝てたのは俺の聖域のお陰だろ?」
「流石はエリクだな」
そこに、何を勘違いしたのかエリクとフィットは近づいていく。まるで、サーシャは歓迎してくれるといったような表情で迷いなく歩み寄っていった。
「え?まだいたの?」
キョトンとした様子のサーシャは、嫌味ではなく本当にまだいたのか?といった風だ。
一陣の風が通り過ぎる。
「まだいたのかって、俺らの聖域で勝てたんだろ?」
「そうだ、これで俺と契約する気になったか? 何ならすぐにでもーー」
エリク達の方もまさかそんな答えが返ってくる事は予想していなかったのか理解できない様子だ。
だが、余程メンタルが強いのか自慢気に契約しようと語り始めたその時
「いやぁ、エリクは凄いなぁ。前々から出来るとは思っていたが凄い」
「だれだ!?」
そんな棒読みの声が聞こえてきた方を向けば、草を掻き分けてヒョッコリと顔を出す人物がいた。
「よっ!」
その人物が自分たちがよく知る相手だと分かり、エリクの顔に嫌らしい笑みが浮かんだ。
「なんだ、お前かレグルス。怠け者のお前とは出来が違うんだよ。っとそうだ、良いところに来たな」
「へへへ、エリク。都合がいいな」
エリクに同調するように フィットも笑みを浮かべたのだが
「なに、もしかしてその話って長い? そうならもう帰るけど」
いつもの様にレグルスは尋ねたのだった。そんな態度が気に食わないのか、エリクは感情が抜け落ちたかのように表情が消え去る。
「バカにしてんのか?」
「ん? してないぞー。何だったら朝まで聞いてやるぞ、俺は寝てるけどな、ふわぁ〜」
「ふっ、そんな事を言っていられるのまで今の内だぞ」
(イラつくが、こんな怠け者の弱小にいちいち青筋を立てていたら将来の英雄の名がすたる。この後のショーもあるしな)
そんな事を思うエリクは後ろのサーシャを見る。まるで、この場を支配しているかのような態度だ。
そんな事は知らないとばかりに、ポリポリと頭を書きながら大きな欠伸をするレグルスはいつも通りであった。
「お前の義妹が目の前で取られるのをよく見ておけよ」
「はぁ、何か分からんが見ておいてやる。ほら、早く」
偉そうに腕を組み見つめるレグルス。何故か立場が逆転しているようにも見えるのは不思議だ。顎をしゃくり促す。
「おいサーシャ、俺と契約しろ」
自慢気に語りかけたエリクに向かってサーシャは歩き始める。
「そうだ、コイツに知らしめてやれ! へ?」
興奮が頂点に達したエリクは叫ぶが、サーシャの行動に情けない声を出す。
まるで誰もいないかのように、目線も合わせる事なく通り過ぎていくサーシャ。驚きの表情を浮かべるエリク達。後ろからはサーシャの声が聞こえて来た。
「お兄ちゃん!! 遅いよぉ」
「おお、探したぞ。全くサボるなら目につく場所でサボれよな」
「サボってないもん!」
そんな楽し気な声を聞き、2人は我に帰る。自分たちの聖域を見たサーシャは自分の元へとくると思い込んでいた2人。
だが、先程までとは打って変わった声音で話すサーシャを見て見る見る間に顔が赤く染まっていく。
「おい! 何しているんだ!!」
「そうだぞ、早く契約しろよ」
怒鳴り声を上げた2人は大股でズンズンとレグルス達の元へと向かっていった。
「なんだなんだ?」
「俺たちは優秀な竜騎士になるんだ! サーシャは俺と契約した方が良いに決まってる」
「優秀ねぇ。すごーい」
その言葉を受けたレグルスは目を細めて呟いたが、最後はダルそうに言葉を発した。まるでそんな事を思っていないのは理解できた。
エリクはついには我慢できず両手を構える。
「バカにしやがって! 滅竜技、風刃!」
シーン
「何かした?」
「うるさい! 風刃! 風刃! クソガァッ!」
何度も何度も滅竜技を唱えるエリクだが、その手からは何も生み出されない。ただ、両手を構えて叫ぶ絵面が続く。
「バカな俺にも分かるように説明してくれ、何をしたんだ?」
「なんでだ、何で何も起きない」
「エリク、俺もできねぇ」
レグルスの問いに答える事も出来ない程に焦る彼らはブツブツと呟いている。そんな光景を冷めた目で見つめるレグルスは片手を振り下ろす。
「ま、こんな所か。落ちろ」
そして、そう囁いた時
ズボッ
「な!?」
「うぉっ」
自分の両手を眺めていた2人は突如として地面にめり込んだ。まるで落とし穴に落ちたかのように頭だけが地面に見えている。
突然のことに訳も分からない2人はもがこうとするが、埋まった体は動かず力んだ顔だけが震えているのだった。
「何をした!?」
そう問いかけるエリクはレグルスを睨みつける。
「落とし穴大作戦だな。実は双頭竜が掘っていたんだ。見たから間違いねぇ」
秘密話をするかのように声を潜めて話すレグルス。
まともに答える気はないのか、あの巨体でこんな穴を掘れる訳もなく有り得ない回答がエリク達に返ってきたのだった。
「流石にそれは、ぶふっ」
双頭竜が穴を掘る姿を想像したのか、思わず吹き出すサーシャはレグルスの肩を叩く。
さらに我慢できない様子で肩を震わしている。
「舐めやがって、出せ!」
「そうだ、こんな事してただで済むと思うなよ!!」
「怠け者の俺にはキツイな、すまん」
律儀に頭を下げるレグルス、だが顔を上げた際に見えた目に2人は凍りついた。
普段からふざけてばかりのレグルスだが、今見た目は今まで見たこともないような冷たいものだったのだ。
僅かに見えた淡く輝く目。顔を上げる頃には普段の気怠げな表情に戻っていたのだが
「うっ」
得体の知れないものを見たかのように押し黙った2人にレグルスは興味を失ったのか視線を逸らす。
「さて、帰るか」
「うん! でも歩けないや、おぶって」
「はぁ?」
先程までプルプルと笑いを我慢していたサーシャは、レグルスの背中に捕まり甘えた声を出した。
「はぁ、今回だけだぞ。出血大サービスだ、マジで。帰ったら寝るからな、ヤツは、馬車はとてつもない強敵なんだよ」
「はーい! ならなら、また膝枕してあげる」
ふむ、と魅力的な提案にレグルスは頷いた。馬車旅は苦しいものだが、そこに快適な枕が加われば言う事はないと。
「ねぇねぇ、さっきのって聖域を塗り替えたの?」
蛟が突如として強化された原因を尋ねた。
「まぁな、ちょちょいのちょいだ」
「そんな事が出来るんだぁ」
「簡単だぞ」
サーシャとレグルスは声量を落として話す。その内容をリンガスが聞いていたら、驚き過ぎて腰を抜かすかもしれないような内容だった。
聖域を聖域で塗り潰すなんて事は、塗り潰す相手よりも遥かに、天と地程に差がなければ出来ないような芸当だからだ。
こうして2人はこの場を後にしたのだった。