58話
嵐王憑依を使用したレグルスはカインツと同じような状態へと変化していた。ラフィリアが顕現させていた竜具は姿を消している。
だが、レグルスの姿は変わっていた。翡翠の髪に翡翠の目へと変化しているのだ。カインツが黒炎竜グラウィスの力をそのまま宿したとすれば、レグルスは風竜王テンペストを宿したといえる。
「なんだ……それは? いや、テンペストの力をその身に宿したのか」
カインツは知らないのだがグラウィスはその力を知っている。既に自我すらも囚われたグラウィス。そして古竜とも呼ばれるグラウィスを遥かに圧倒するその竜気を忘れる筈もない。
焦りと恐怖が彼を支配する。
「なるほど、これは凄い」
レグルスは己の中にラフィリアの存在を感じていた。そして今まで力を使うたびに己を犯していた違和感もまた無くなったことを理解する。
レグルスは試しに右手を突き出すと、掌を握りしめる。その動作を理解したのはこの場でただ1人、カインツだけであった。
誰もが疑問を浮かべる中、後方へと飛び去ったカインツが立っていた場所が何かによって地面が大きく削れ取られていた。
「クソッ」
焦るカインツは両手を突き出して黒炎をぶっ放す。全てを燃やし尽くす炎はレグルスへと突き進むのだが
「風滅」
再び握りつぶしたレグルス。目の前に迫っていた黒炎は轟音と共に消え去った。それは、風を支配する竜王の力である。
切り取られたように跡形もなく消し去った黒炎に呆気にとられる周囲。
「は?」
誰が言ったのかその言葉と共にレグルスはその場から消えていた。いや、目で負えぬほどのスピードで踏み出したと言える。
空間が歪みカインツが知覚した時には既に目の前に零王白華剣を構えたレグルスがいた。腰だめに構えられた竜具は蓄えられた力を解放せんと待ちわびているかのように白く輝く。
カインツは言葉を出すのも惜しいとばかりに息を詰まらせると強靭な足を踏み込み右へと体を動かすがそれよりもレグルスの方が早かった。
何もない世界に白い軌跡が描かれた。
「クソッ!」
そして、悪態と共に鮮血が宙を舞った。だが、その鮮血は瞬時に凍りつくとぱっと辺りに白い華を咲かせたように見えた。
腹を深く切り裂かれたカインツはその場で体を大きく揺らした。いくら強靭な肉体を持っていたとしても抗えない絶対的な力を目の前に彼は既に負けを感じていた。
竜王は最強たりえるから竜王なのだ。
「何故……何故、我らをうらぎーー」
レグルスの体から翡翠の靄が溢れ出す。グラウィスはその姿に最後の言葉を吐き出した。
『全てはサラダールから始まり……そしてその戦いはまだ終わっていない。グラウィス、すまなかった』
威厳ある王の言葉がグラウィスには聞こえた。そして、グラウィスの意識は完全に消滅した。
切られた部分から痛みが広がっていく。傷口から内部へと体が見る見る間に凍っていき、既に上半身を動かすことも出来ない。
更に凍った先から粒子のように体が崩れ落ちていく。サラサラと飛び散る白華。
「俺は……オーフェ……」
眼光鋭くレグルスを睨みつけたままカインツは全身を凍らせ口もまた閉ざすことになる。舞い散るカインツだった白華は風に揺られて空高く舞いあがっていった。
「終わったか……、それにしてもあれはあれで尊敬するな」
レグルスはカインツが最後まで貫き通したオーフェン家という驕りにそんな感想を漏らした。だが、それ程の驕りが無ければグラウィスを堕とし自分へと取り込む事もまた不可能であっただろう。
「人と竜の力か」
聞かされた内容が落ち着いた今になって反芻していく。そしてそんなレグルスを見ていた周囲の生徒達は戦いが終わったと理解したのか絶叫を上げ始めた。
森に木霊する歓喜の声。絶望的な状況で現れたお伽話や英雄譚そのまま、英雄のようなレグルスに対して彼らは興奮を隠すこともない。
彼らにとっては翡翠を纏い純白な剣を持つレグルスは憧れる滅竜騎士よりも更に英雄的に見えていた。
「はぁ〜、これは面倒な事になりそうだ」
既にレグルスの頭には数々の面倒ごとが浮かび上がっていた。それは、高確率で当たるという確信、ではなく事実として彼を待ち受けているだろう。
この場にいたのは学園から見れば3分の1という一年生のみである。だが、彼らは介して今回の件は瞬く間に広がるであろう。
「仕方ないよ、お兄ちゃん!」
「何とか勝てましたね」
既に人の身に戻った2人は肩を落とすレグルスの隣で立っていた。終わってみればあれ程の3人の強敵に対して生徒達は傷は負っていても死ぬ程ではない。
ホッとした三人は笑みを浮かべていた。
「サーシャもありがとな」
「ふふーん」
レグルスの例にいつものように返すサーシャ。
「ラフィリアも助かった」
「いえ、当然ですよ」
ラフィリアの安定感のある笑みに包まれレグルスは息を吐いた。そして、倒れるアリスの元へと歩くとその横顔にかかった赤い髪をそっと触れる。
「帰るぞ」
レグルスはラフィリアとサーシャを伴いその足で気を失っているアリスを担ぐと歩き出した。
◇◆◇◆◇
あの事件があってから数日が経っていた。レグルスの英雄譚は当然ながら学園内に瞬く間に広まっていたのだ。
優秀な三人の影に隠れた怠惰なレグルスはその評価を180度変えていた。レグルスを一目見ようとクラスに押しかける者達も少なくない。
更には学園に通う者達は貴族の子弟が多いこともありレグルスの存在はセレニア王国の中でも話題の人物である。
彼の実力を知った者達はこぞってレグルスを所属する騎士団へと将来的に入団させようと早い段階から暗闘が始まっていた。
レグルスは視線を集める中、現場の検証や事態の把握に追われていたベルンバッハにもようやく時間が取れたのか、彼に呼び出された為に校内を歩いている。
彼がいるところには自然と人だかりが出来るような感じだ。
「アリスやローズさんの見え方が分かるなぁ」
以前とは違った意味で注目の的となっているレグルスは普段から目立つ四人を思い浮かべて軽く現実逃避していた。
女生徒からは好きとか嫌いとは違った何処か熱い眼差しを向けられ、男子生徒からは嫉妬されるのかと思いきや羨望の眼差しを受けていた。
見ていた一年生達は口を揃えてレグルスの活躍を話し合っていた為に、レグルスの英雄譚は嫉妬を通り越して羨望へと変わっていたのだ。
ようやく執務室へと入ったレグルスとベルンバッハは向かい合うように座っている。
どこか疲れた様子のベルンバッハを見て色々と自分の為に動いてくれていたのだと実感した。
「詳細についてはよい。既にラフィリアとサーシャ、そしてロイスやシャリアといった者に聴いておるからの」
「そうですか」
「王宮でも学園でもお主の話で持ちきりじゃ。それに、今回の件も救われる形になってしまったのぉ。本当に助かった」
深く頭を下げるベルンバッハ。英雄と呼ばれる彼とて神ではないし何でも分かるスーパーマンでもない。今回の件を事前に察知出来ていなかった事も仕方がないといえば仕方がない。
突発的に起こる事態を未然に防ぐことは難しく、いかに大規模な用意をしていようが無駄になる事の方が多い。ならば事態を可及的速やかに処理する事の方が何万倍も大切である。だが、ベルンバッハは度重なる事態に深く負い目を感じていた。
「学園、子供達の未来を守る為に竜騎士を辞したのじゃが、この有様では……何とも情けなくなるのぉ」
その点、今回はレグルスの活躍によって助けられた形になる。もちろんレグルスとてベルンバッハを責めるつもりもない。
国家を相手取る組織やイレギュラーに対処するのにベルンバッハ個人では手の届かない事の方が多い。
「いえ、ベルンバッハさんが学園にいるだけで多くの脅威は未然に防がれているでしょうし」
たしかにレグルスの言葉はその通りである。名無しを含めて巨大な裏組織を除いて、他の組織や悪党はベルンバッハがバックに付いている事だけで手出しはしないのだ。
「ふぅ。それで今回の件でラフィリア達に竜王の力が宿っており、我らの力は竜の力という事が知れたのか……何ともまあ、信じがたい事ではあるがのぉ」
「確実とは言えませんが、恐らくその話に間違ってはいないかと」
「確かにハーロー然り、今回の古竜とやらの件然り偶然で片付けるにしては無理がある。それに沈黙の大湖もまた沈静化したという報がルーガス王国から届いたのじゃ」
竜王の住処の一つ、沈黙の大湖はメシア王国とルーガス王国を分断するように広がる巨大な湖のことだ。
それは、今回契約したサーシャと関係しているという事を伝えていた。
「このまま行けば次は憤怒の大山脈になる」
「そうですね……」
溢れ出る溶岩が未だに山脈の範囲を広げている竜王の住処。遠くから見れば中心部から吹き出るマグマが空の色を赤く染めているのだ。
「今回の件で裏にいる者はわからんか?」
「カインツ達が手に入れた力には裏が確実にあるとは思いますが不明です」
「だろうのぉ」
考え込むベルンバッハはしばらくの間視線を宙へと向けていたが、その仕草も次の会話を話す為に終わる。
「そうじゃった。レグルスよ、王がお主を王宮へと招きたいそうだ。今回の件の褒美も合わせての」
「へ?」
「伝聞からでも途轍もない事を成し遂げておるのだ。それに、地形を調査した騎士達も地形が変わるほどの戦いに戦々恐々としておったわい」
「王と会うんですか?」
「ふむ」
レグルスは苦虫を噛み潰したような表情でベルンバッハを見つめるが答えは頷きによって返される。
「主に対して恐らくじゃがすぐにとは言わんが竜騎士の称号を授けられることになりそうじゃ……」
「いきなり竜騎士ですか!?」
竜騎士とは滅竜騎士や団長といった役職を除けば最高位に位置する存在だ。入学したばかりのレグルスに与えられる事は有史以来前例がない。
「ラフィリアやサーシャとの契約もあり、偉業を考えれば当たり前じゃ。だが、それをするには慣例が無い。よって、シュナイデルやシェイギスを含めた団長によってレグルスの留学が決まった」
そこから説明された内容は単純であった。今この状況でレグルスがこのままセレニア王国の学園に通う事は難しい。
だが、通わないとはいえ直ぐに竜騎士にするというのも国家として難しい。そこでシェイギスを筆頭にレグルスをメシア王国の学園へと留学させる案が出たのだ。
レグルスの実力であれば強き武を重んじるメシア王国は必ずレグルスを竜騎士にする際に協力してくれるという思惑もあった。
流石に二カ国からの推薦があれば前例すらも吹っ飛ばして竜騎士にしても何ら問題は無い。
留学を終えたのちレグルスが竜騎士になるのは決定事項である。
そこにはベルンバッハの思惑も深く絡んでいる。それは期間はベルンバッハが臨機応変に決める事になっていた事で明らかである。
勿論反対意見も出たのだが、シュナイデルとシェイギス、そしてベルンバッハといった2人の団長と元滅竜騎士の意見によって反対する者達も納得したのだった。
「あそこには憤怒の大山脈がある。お主には一度あそこへと行ってもらいたいという内心もある。それに、メシア王国でなら学生として過ごしやすかろう」
「確かにそう言われればそうですね」
レグルスは集まる視線にうんざりした様子で答える。それと同時に秘密を知る協力者のベルンバッハとの情報共有が少なくなると言う思いもあった。
「儂もまた友人であるミハエルに各地の調査を頼んでおる。分かり次第報告するようにしよう」
どうやら既に手は回しているようだ。
「分かりました」
既に国としての決定であればレグルスがいくら面倒臭がろうがどうしようもない。それにここで駄々をこねればこねるだけ自分の立場を悪くしてしまうだろうという判断もある。
素直に頷くレグルスであった。
「連れて行くのは今のところ、ラフィリアとサーシャとなっておる。じゃが分かるだろう?」
そう言うベルンバッハは片目を瞑りレグルスへと合図を送る。それが意味することはレグルスも理解していた。名前が出なかったアリスの事である。
「出立の日は謁見の日の次の日じゃ」
「了解です」
ベルンバッハに見送られレグルスは軽く礼をすると執務室を出て行ったのだった。




