26話
静けさが支配するこの場所で、レグルスは倒れたハーフナーを見つめていた。
だが、周囲にいる名無し達はハーフナーが倒されたのにも関わらず動く気配はない。
そして、ローズは突然の出来事にただその場に立っていた。
「強いな」
(見切られていたか)
その考えを裏付けるように、ゆらりと立ち上がるハーフナーは、血走った目でレグルスを睨みつける。
「随分と舐めた真似を……ふぅ。いえ、いいでしょう。状況を何も分かっていない君達は可哀想なのでねぇ」
今にもレグルスに斬りかかりかねない形相であったが、一つ息を吐くと先程までと同じようにニヤリと口を歪めた。
「随分と優しいんだな」
「いえいえ、本当は今すぐにでも殺してやりたいのですが、私がやってしまうとすぐに終わりそうなので」
その言葉に確信を持った様子のハーフナーは、レグルスとローズを見て嘲笑を浮かべる。この場に2人を除けば全てが名無し達である。そして、全てが竜姫と契約している強者達。
比べるまでもない戦力差であった。
「ところでローズ。随分と顔色が悪いようですが、どうかしましたか?」
ハーフナーは目の前に並ぶ生徒達を見て震えるローズへと問いかける。固まっていた彼女だったが、その言葉でもう一度、周りを見渡し、ある事に気がついた。
「男子生徒は? それに、ミーシャさんの姿も……」
この場に居るのは強制的に契約された女生徒達のみである。他にも攫われた筈の男子生徒の姿も見えない。そして、ミーシャの姿も見受けられなかった。
そう呟いたローズの言葉にハーフナーは口をピクピクと動かし、遂には堪えこれないとばかりに笑い出した。
「ハハハハハッ。いい、実に楽しい」
暫く笑っていたのだが、ハーフナーは後ろに控える名無しに目をやった。すると、その男は奥の方へと消えて行く。
「さて、問題です」
ハーフナーはそう言うと人差し指を上げてくるくると回す。レグルスとローズはその謎の行動を見ていた。
「私達が攫った筈の何人かの生徒達の姿が見えない。それは何故でしょう?」
唐突に問いかけられる質問に答えることが出来ない。その真意を図ろうとレグルスは黙って聞いているが、何かあればすぐに動けるように戦闘態勢ではあった。
「何が言いたい?」
(ローズはまだかかりそうか……)
一向に続きを話す気配がないハーフナーに、レグルスは尋ねる。
先程のハーフナーの言葉を遮ったレグルスだったが、ローズは未だに立ち直れておらず、周りに契約した名無し達がいるこの状態で戦いを始める訳にはいかないと判断していた。
何とか時間を稼ごうとするレグルスだったが、ハーフナーにとっては全てが楽しい時間に変わりはないようだ。
ローズと違い全くと言って良いほどに動揺しないレグルスにハーフナーは更に楽しげに笑みを深める。
「君は動じないんですねぇ。さて、私達からしても優秀な竜姫は貴重ですよね? 勿論、滅竜師も優秀な者が欲しかったんですが、かなり反抗的でして……」
ハーフナーはそう言うと焦燥したローズへと蛇のような視線を向ける。ローズはただその視線を受け止める。そしてポツリと呟いた。
「え?」
そんなハーフナーの行動にレグルスは嫌な感覚を覚えて咄嗟に叫んだ。既にローズの心は折れかけているのだ。ハーフナーが何をするかなど分かっている。
「ローズ! 見るーー」
「こうなりましたぁ」
だが、その制止は虚しく鈍い音が洞窟の中に響き渡った。
ボトッ
ドサッ
辺りに濃密な血生臭い匂いが充満していく。バラバラになった肉塊がレグルス達とハーフナーの間にばら撒かれ、時間がたっているのか、原型を留めていない体には黒い血がこびりついていた。
余りにも残虐な光景にレグルスでさえも言葉を噤んでしまう。だが、それよりもローズの精神は限界であった。レグルスからすれば、まだ会った事もない生徒達だったが、ローズは全ての肉塊を知っている。
学園で共に学び、会話をしていた生徒達の変わり果てた姿。
「ほらぁ」
ハーフナーは近くにあった肉塊を何の躊躇いもなく蹴る。
ゴスッ
「見なさいよぉ」
「クソ野郎がッ」
レグルスはその行為を止めようと動こうとするが、その気配を察知したのか周りの名無しがピクリと反応する。
今のローズを戦いに巻き込む訳にもいかないレグルスは舌打ちをする。
ゴロゴロ
「うっ」
蹴られたその物体はローズの目の前で止まる。苦悶の表情に歪んだ頭と目が合った彼女は口を抑え、背中を丸めると地面にうずくまった。
耳を塞ぎ、何も視界に入れたくないとローズはその場から動こうとしない。
「全くもってバカなんですよぉ。名無しと戦おうとしていたのに、そんな覚悟で務まると思っていたんですかぁ? そこのお嬢さん?」
グチャッ グチャッ
「あはっ! あははは! 弱い弱い弱い」
何度も何度も元生徒達だった肉塊を踏みつけるハーフナーは狂ったように笑う。踏まれるたびに不快な音が響き渡っていく。
「甘い、甘いんですよぉ。あのベルンバッハとか言うジジイも滅竜師も竜騎士さえも全てが甘い。自分たちは選ばれた優秀な者だという驕りのせいで足元を掬われるんです。君の父上もさぞかし甘いんでしょう? 娘の事をそんな脆弱な精神にしか鍛えられないなんて」
この場を支配する高揚感からかハーフナーは饒舌に話す。止まる事がない聞くに耐えない罵倒がローズへと降りかかる。
「うぅ」
ついに我慢の限界が来たのかレグルスは腕をハーフナーの方へと向けた。
「あと1人いただろ?」
「ん? あぁ、あの子ですか。竜具も優秀ですし、何より楽しませて貰えそうな性格をしていたので、何もせずに最後に取っていたんです。ですが、もう用済みですねぇ。目の前に極上の竜姫が現れたんですから」
本当に忘れていたとばかりに答えたハーフナーは奥へと下がった男に振り返る。
「返してあげましょう」
そして、訳が分からないといった様子のミーシャがよろよろと現れた。まだ何もされていないのか、制服には汚れは無かったが、この現状を見たミーシャはその場で嘔吐した。
「あぁ、汚い。折角の楽しい光景なのに」
汚物を見るような目でミーシャを見つめるハーフナーはおもむろに腰に刺した剣を引き抜くと、ミーシャの首元に狙いを定めた。
だが、事態を飲み込めていないミーシャは蹲るローズを見つけて力無く声を上げる。
攫われた事は分かっていたが、他と隔離されたミーシャは何も分からない様子であった。そこに頼れるローズが居るのだから当然の反応である。
「ロ、ローズさん。助けて」
レグルスと会った時のようかオドオドとした様子のミーシャは手を伸ばす。学園で見ていた優秀なローズに救いを求めていた。
「それでは、さようなら」
そして、振り下ろされる剣。
「止めろ……お前は本当に性格が悪いな。それと、早くこっちに」
「は、はい」
振り下ろした剣はレグルスが放った滅竜技によってその場に留められていた。そして、救われたミーシャは見たことのあるレグルスの元へと駆け出した。
「これは風ですか? 素晴らしい!」
力を入れてもビクともしない剣にハーフナーは驚く。ここまで精緻に操作された滅竜技を使える者は少ないのだ。
「これ程の力があるなら、私達と来たらどうです? 竜騎士になれなければ竜姫と契約出来ないなんて不幸でしょう? 此方なら優秀なら誰でも選り取りみどりですよぉ〜。そんな、後輩が殺されそうになっているのに動けない程に脆い精神を持つお嬢さんが、トップに立つ学園にいても仕方がないでしょ? 君はこの光景を見ても動じていない君は私達と同類じゃないんですか?」
「行くわけないだろ」
「そうですか……。まぁ、もう少し楽しみたかっので、何人か殺しておきましょう。無能な騎士達はまだ来ないでしょうし」
そう言うハーフナーはレグルスに笑いかけている。
「だ、まれ」
弱々しく呟かれた言葉にハーフナーはピタリと止まる。
「はい? 何か言いました?」
「黙れぇぇ!」
突如として激昂したローズは跳ね上がるようにその場から起きると、強化された身体能力でハーフナーへと迫る。
その激情に雷奏姫は反応するかのようにスパークを奔らせ音を奏でる。
「ローズ! 待てっ!」
止めようとするレグルスだが、既に名無し達も動き出していた。行く手を阻まれるローズは目の前の名無しと相対する。
「許容量を超えて遂に切れちゃいましたかぁ。なら始めましょう、名無しとの楽しい遊びをね」
ハーフナーはそう言うと顔に手を当てる。そして、不気味な音と共に勢いよく皮膚を引き剥がした。
「ふぅ、やはり落ち着くなぁ。人の顔を被るのは大変ですよぉ」
「試験の時に学園に潜り込めたのはそう言うことか……下衆が」
「お褒めにあずかり光栄です」
現れた顔は目と鼻と口だけが分かるといった相貌である。ハーフナーは満足気に頷くと、懐から漆黒の仮面を取り出す。
「頭文字」
「これでもJの文字を使ってるんです。では、私は楽しく見ています」
ハーフナーはそう言うと奥へと歩き出す。
「逃げるのか?」
「いえいえ、見物ですよぉ」
間にいる名無し達のせいで追いかける事が出来ないレグルスは、ローズを見る。
振るうたびに輝く剣身は強化された体のお陰か無数に軌跡を作り出す。何とか受け止めていた名無しだったが、徐々に押され始めた。
「みんなを殺し、お父様やレグルスさんをバカにして、ミーシャも殺そうとしたお前らはここで殺す! レグルスさんを同類と言ったお前らは殺す」
何時もの表情からかけ離れたローズ。
蓄積された憎しみが爆発したのか、全てが吹っ切れた様子のローズは舞う。だが、相手の名無しは今までの相手では無かった。
全員が側に立つ生徒達を竜具に変え、その絶大な力を解放した。
「クソッ」
悪態をついたレグルスだったが、この状況で動かないという選択は無い。
「原初強化」
タッ
全ての祖となる滅竜技を使い、その場からレグルスは搔き消える。
「火剣」
そして、瞬時に間合いを詰めた相手に、手から生み出された火剣を振るう。
キィンッ
「契約した竜具は只の滅竜技では心もとないな」
完璧に決まった筈の火剣は目の前に立つ男によって防がれていた。冷気を放つ竜具はレグルスの火剣を瞬く間に消滅させていく。
さらに、左右から挟み込む名無し達はそれぞれが持つ竜具をレグルスに振るった。
「チッ」
瞬時に間合いを取ったレグルスは、油断なく構えながらローズの方へと目を向ける。相手は2人であり、何とか戦えてはいるが、負けるのは時間の問題である。
左右から繰り出される竜具を弾くたびに、雷奏姫は力を弱めていく。本来であればローズの方が強いのかもしれないが、契約された竜具とではそれ程までに力の差があった。
「逃げて下さい!」
レグルスは、後方で立ち尽くすミーシャへと呼びかけた。この状況ではミーシャを守れる自身がないようだ。
「で、でも」
「早く!」
オドオドとしたミーシャはその場から動かない。その間にもレグルスに向けて放たれる斬撃をいなし、反撃する。
暫く黙り込んでいたミーシャだったが、追い込まれる2人を見て決意を込めた表情をすると、自らの竜具を顕現させた。
「ロ、ローズ会長も戦っているのに、逃げ、れません。私もやります。お、お願いします、氷結晶の剣」
頭を下げたミーシャは手に持った青く光る剣を手にローズの元へと駆ける。それを見たレグルスは、すぐさまミーシャに向けて滅竜技を放った。
「四段強化」
オドオドしているとはいえ、流石は学園に残っているだけあり、ミーシャも中々の動きをしていた。さらに、レグルスによって強化された2人は相対する名無しと互角に渡り合っている。
何とかレグルスによってこの場は均衡を保っていた。第四階梯までも使えるレグルスが居なければ2人はすぐにでも死んでいたであろう。
それを見届けたレグルスは
「雷砲、炎砲」
両手から放たれた雷と炎の2つの咆哮は前方に立つ名無しを呑み込む。だが、レグルスはその奔流に飛び込むと、更に両手に同種の剣を生み出す。
「まだまだ上げるぞ」
何とか竜具の力で防いでいた名無しだったが、突如として目の前に現れるレグルスに反応できない。
「竜具が強くても斬撃は通るだろ?」
避けようとするが、レグルスの剣が顎門のようき2人を挟み込み首を断ち切った。瞬殺と迄はいかないが、レグルスは確実に敵を倒していく。
さらに、周りにいた2人に剣を投擲する。
「暴れろ」
弾こうとしたが、目の前で剣が爆発し炎と雷が吹き荒れる。不意を突かれた名無し達はその衝撃に倒れさる。
「やっぱり、竜具相手じゃキツイな」
いつも以上に込めた滅竜技にレグルスは消耗した様子を見せる。常識に照らし合わせれば、あのような出鱈目な使い方は誰にでも出来るものではない。
「ローズやミーシャさんは?」
レグルスは、ローズとミーシャを見ると彼女達も何とか目の前の敵を倒していた。
この場の名無しを倒せた事に安堵する2人だったが
パチパチパチ
場に似合わない拍手と共に、ハーフナーと黒装束の女性が現れた。それは、ハーフナーがついに本気を出すという事である。
「素晴らしい! まだまだ未熟な竜具を使っていたとしても契約した彼らを倒すなんて……楽しめそうだ。ほら、10番早くしろ、氷獄、さぁ、もっと見せて下さいよぉ」
辺りは冷気に包まれて地面を凍らせていく。吐く息は白く染まり、極寒の世界が広がった。放つ絶大な威圧感と共に綺麗な氷剣は周囲に干渉していた。
「奏でなさい、雷奏姫!」
「氷結晶の剣」
初めに動いたのはローズとミーシャだった。余りの力の差に、本能が警笛を鳴らし体が動いたのだ。強化された2人はハーフナーの元へと駆ける。
放たれた雷は轟音と共に、煌めく白い結晶がハーフナーへと向かっていく。だが、ハーフナーは氷獄を無造作に一閃した。
「凍結にご注意を」
「えっ?」
「そ、そんな」
雷はその姿のままに凍りつき、結晶もまた、時間を止められたかのように地面へと落ちていく。地面へと落ちた結晶は高い音を立てて割れていった。
更に、ローズとミーシャが持つ竜具も氷に閉じ込められ力を失っていた。
「私を他の名無しと同じにして貰っては困ります。なにせ頭文字でも10番目の位置にいるJなんですからぁ」
圧倒的な迄の差にミーシャは震えその場に座り込む。歯が立たないと直感でわかる程の差。
それは、ローズも同じであった。余りに違いすぎる実力に憎悪の感情は消え失せ、悔しげに呟いた。
「何も出来ないなんて……」
ローズはハーフナーに言われた事が脳裏をよぎる。敵を目の前にして塞ぎ込んだ弱い精神。そして、滅竜師達がバカにされ、父までもが無能だと罵られた。
だが、言い返す事は愚か、無能ではないと証明する事も出来ずに彼女は詰んだ。
ハーフナーにとってはローズはその程度の人間なのだ。
今までレグルスに頼りっ放しにっていた自分の弱さが憎いとばかりに雷奏姫を強く握りしめる。
何も出来ず生徒達が殺され、それを見ても何も出来ないローズは学園のトップだというプライドが崩れ去っていた。
もしかして、レグルスでさえもこの男には勝てないのではないかという不安が溢れてくる。込み上げる感情全てがマイナスに変わっていった。
「つまらないなぁ。君はもう必要ない。後はあの3人が捕まっている事を祈るとしましょう」
ハーフナーはローズの事にも興味が失ったのか、視線をレグルスの方へと向ける。
「残念だったな。向かった部隊は俺が倒した」
「ほぉ。あの中には竜姫を伴って居ないとはいえ、頭文字も居たのですが……残念だなぁ。あの3人の力は凄い! それに、あれ程に可憐な少女達を犯すのは楽しそうだったのですがねぇ。その中でも性格的にアリスとかいう子が楽しませてくれそうです」
レグルスは何も言わずに聞いている。ハーフナーは3人を捕らえた後の事を考えているのか、とても楽しそうに語る。
「何も言わないんですかぁ? 今から私が3人を捕まえて可愛がってきますよ? あそこまでの美なら名無し達専用の娼婦にするのも良い案だとは思うんですが、どうでしょう?」
「どいつもこいつも、そんな目でしかアイツらを見れないのか?」
「それはそうでしょう! 何だったら君も混ざりますか? 私達の後でですが、もしかして、もう済んでます?」
「アイツらは優秀だから色々と面倒だなぁとは思っていたんだが、そうでも無いな。お前みたいな奴らだったら容易い」
「ふぅ、認めたくは無いがお前相手に滅竜技だけじゃ荷が重い。使いたくは無いんだがな……」
「隠し玉ですかぁ?」
レグルスはそう言うと、ローズとミーシャに顔を向ける。何かと葛藤するような表情だったが、悔しげに伏せるローズと怯えるミーシャを見た。
「今から起きる事に何も言うじゃねぇぞ?」
その発言に2人は理解できない様子だったが、レグルスの真剣な表情に思わず頷いたのだが、その時に僅かに見えたレグルスの目が淡く輝いていた。
「ローズ、ミーシャ、少し借りるぞ」
その言葉と共にレグルスの体から閃光が迸った。




