28.3つの目
小説に限らず作品を創るうえではそれを客観的に見ることがとても重要であり、それこそが作品を面白くするのに必要な事だという話をしました。
そして、面白い作品を作れる人ほど作者の目線、読者の目線、第三者の目線を自在に使い分けているはずだ。それは意識的に行う人もいれば、無意識の内に頭の中で切り替えている人もいるだろう。
先週の連載で筆者は自主制作で映像作品を作っていたという話をしたが、
その制作の中でも客観視できるかどうかがその作品のクオリティに与える影響はかなり大きかったと実感している。
例えば良くあることとして、小説を書いたり仕事の文書をまとめていたり何か作品を作っていたとして、
その日は夢中になって作業した結果なかなか満足の行くものが仕上がったとする。
しかし後日、時間が経って改めて冷静になってそれを見てみると昨日思っていたのと何か違う、何かちょっと恥ずかしい。なんていう経験した人もいるのではないだろうか?
筆者は学校で作品を作る機会が多かったのでそれは毎日のように感じていた。
しかしその時の冷静になった自分こそが第三者の目線を持つ、客観視が出来ている自分なのだ。
誰しも何かに夢中になっていると周りが見えなくなってきて自分の世界に入り込んでしまうもので、その時は完全に作者の目線のみで作品と向かい合っている事になる。これは決して悪いことでは無い。作品に対する熱い思いは作者の目線だからこそ注ぐことが出来るものだと思うしな。
しかし、あまり夢中になり過ぎて客観視することを忘れてしまうとそれはどうなってしまうか。
自分だけが納得のいく、面白いと感じることが出来る作品が出来上がってしまうのではないだろうか。自己満足で作品を作っているのであればそれは大いに結構なこと。しかし、それを誰かに見てもらって面白いと思ってもらいたい、喜んでもらいたいと思うのであれば、少し自分の作品を見つめ直す必要が出てくると思う。
小説家になろうで多くの作品を読まれている方なら読んだことがある人も多いはず、そしてそれに気づいているはず。
「あぁ、この人は自分だけの目線で書いてるんだな」ということに。
逆に、作者、読者、客観の目線を使い分けて書かれている作品も読んでいて気づく。
作者だけが理解できる内容では無く物語を丁寧に読者に伝え、世界を彩るキャラクターにも個性が有り読者を混乱させることなく活き活きと作品の中で生きている。
言い回し、単語の選定、読みやすいよう工夫された文体、句読点のバランス、文字間隔などなど。
それらを3つの目から見て文章を組み立てていき小説を書き上げる。
それが、作品を創るということ。
今週は平日深夜2時00分に更新します。




